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07/17 我が診療室の梅雨明け
07/12 51年振りの大阪観光 PART 3
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院長のブログ

映画「鬼に訊け・・・宮大工 西岡常一の遺言」

 先日、宮大工・西岡常一のドキュメンタリー映画「鬼に訊け」を観た。凄い映画であった。プロとは、ここまでこだわるのか、自分も歯科医療に対してはプロのはずだが、ここまでのこだわりはなく、大いに反省させられた。
 西岡常一の名前は過去に何かの本で読んで、最後の宮大工といわれていたのも知っていた。特にこのとき記憶に残っていたのが「木の用い方。北に生えていた木は北側に、南に生えていた木は南側に使う」という言葉だ。
 この映画は山崎佑次監督の手によるが、実は6月10日に母校の尾道北高等学校の同窓会総会があり、その席に監督の奥様が先輩同窓生として出席されていて、この映画のことについて少しお話をされた。それを聞いていたのでなんとしても観たいと思っていた。
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 映画は法隆寺棟梁の座を辞し、薬師寺白鳳伽藍復興工事を引き受けたのは彼が62歳の時、宮大工の夢は伽藍の造営である。薬師寺でこの夢をかなえていった。20年が経過して、金堂、西塔、中門が復元され、回廊第一期工事の真っ最中の1990年5月からカメラを回し1993年3月、第一期工事の回廊木組みが終わり、左官職人が入って壁工事が始まった頃、ガンに冒された西岡にこれ以上カメラを回すには忍びないと監督・山崎氏が判断し撮影は終了する。

 内容について私がコメントできるほど安易なものではなく、ただ、ただ驚きと感動としか表現できない。
パンフレットに書いてある言葉を記させてもらう。
『棟梁として法輪寺三重塔、薬師寺金堂、西塔を再建し、飛鳥時代から続く寺院建築技術を伝えていったことから、最後の宮大工とよばれていた、故・西岡常一をめぐるドキュメンタリー。「堂塔の建立は木を買わず山を買え」「千年生きる建物、千年生きる檜、木は鉄を凌駕する」作業をする生前の彼の姿をとらえた貴重な映像と証言を通して、利便性や効率だけを追求するためだけに技術を発展させる現代の風潮への警鐘、自然と人間の共存の在り方などを訴えていく。」
また別のパンフレットでは
『千年の檜には千年のいのちがあります。建てるからには建物のいのちを第一に考えなければならんわけです。風雪に耐えて立つ・・・それが建築本来の姿やないですか。木は大自然が育てたいのちです。千年も千五百年も山で生き続けてきた、そのいのちを建物に生かす。それがわたしら宮大工のつとめです。』
 凄い言葉だと思うし、飛鳥時代から一本DNAが繋がっている感じがした。
作業する大工のノミの音を聞いただけで、誰の音か分かる。それだけ西岡氏の耳は研ぎ澄まされている。また木を撫でるだけで樹齢はもちろん産地やどんな癖をその木がもっているのか、内部にどんな節があるのか見抜いてしまう。プロ中のプロというよりは神様に近いのではなかろうか。
 映画では途中法隆寺の大修理などの回想や薬師寺西塔の再建時の苦労話を語ってもらいながら、西岡常一の思想を通し、「日本人の心」を我々に知らせてくれていると思った。
 1991年1月回廊工事の第一期工事の立柱式が執り行われる。この時期83歳かなりガンが進行していたが、西岡は作業を見ながら合掌し祈りを捧げていた。この姿に彼の生き様すべてが凝縮しているように思えた。

シネマ尾道で8月17日まで上映されていますので是非観て頂きたいと思います。

2012年07月23日

我が診療室の梅雨明け

 今日17日、列島各地は梅雨明け宣言をした。それに伴い各地では軒並み気温が上がり、群馬県館林市では39度を超えたとTVニュースで伝えていた。
 ところでこの15日・16日の2日間で診療室の天井を塗装してもらった。
5月のゴールデンウイークに床と壁のリニューアルをしたが、時間的に間に合わなくて、天井はそのままになっていた。25年を経過すると天井の白い石膏ボードも黒ずんで、灰色に近くなっていた。とりわけリニューアル以降、他が綺麗になった分、よりみすぼらしく見えていた。そこでこの連休に塗装をしてもらったのだが、ただ白く塗り替えてもらったのでは、芸が無いと思い、少し遊び心を出して、空色に塗装してもらい、さらに雲を描いてもらった。しかも空の色も南から北に向かって少し濃くなるようにグラデーションで塗装してもらった。
 最初塗装屋さんは天井を空色に塗った経験もなく、ましてや雲など画いた事が無いと、しり込みをされたが、私の気迫に押されて挑戦してみてくれた。ありがたい。
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 塗装が始まって途中部屋を覗くと、窓や床に養生のためビニールシートを張っているため、光の差込量が少なく、随分青色が濃く、まるで海の底にもぐったみたいに感じてこれは失敗したかなと不安になった。それでも、雲をあちこちに画いてもらうと少し違った感じになる。塗装屋さんは窓から見える空の雲を参考にしながら描いていた。
 いよいよビニールシートを外すと、思い描いていたものに近く安心した。
天井一面に青空が広がり、雲が流れて、まるでお外で空を見ている感じになって気分爽快である。
 我が診療室の天井が明るい空になって梅雨明けしたため、全国のお天気も梅雨明け宣言をせざるを得なかったのではと悦に思っている。
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 今日朝から患者様の反応がどうなのか期待をもっていたのだが、気が付いてくれる人は少なく、がっかり。気が付いても口に出さなかったのかとも思って見たりした。
 多分歯医者さんに来る人は、天井を見る余裕もなく、早く終わればよいと願っているし、治療台に横になってもほとんどの人が目をつぶっているので気が付かないのであろう。
しかし子供達は何にでも興味があるせいか、直ぐ気が付いておしゃべりしてくれた。すこしほっとした。
 ところで私は、冬のどんよりとした空が嫌いで、その空を眺めていると気がめいって「裏日本症候群」に陥りそうになる。しかしこれで、今年の冬からは毎日気分良く仕事が出来そうである。

2012年07月17日

51年振りの大阪観光 PART 3

 午後からの観光は劇団四季のミュージカル「夢から醒めた夢」の鑑賞。ミュージカルは12:30分開場、13:00公演開始である。
私は四季のミュージカルを観るのは今回が2度目となる。何年か前に、広島に「キャツ」が来た時初めて観た。その時も中々良いものだと思った。
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 「大阪四季劇場」は昼食をしたヒルトンホテルプラザWESTの隣。桃谷楼を12:45に出て急いで駆け込む。7階の劇場まで上がると、すでに多くの観客が来場している。衣装を着た出演者と思われる役者さんがちびっ子達や観客のお相手をしてパフォーマンスを披露している。
場内では多分撮影禁止と思い、ロビーでの写真を2枚だけ写した。
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 席は2階G列20番、入り口まで行くとドアガールの制服姿の女性が、声をかけてくれて席まで案内してくれた。田舎から来た初老の少し場違いな面容に、いたたまれなくて声がけをしてくれたものと思う。それが証拠に若い先生たちには、声がけも無く、彼らは勝手に席を捜して着席していた。
 開演まで5分ほどあったが舞台では小人やピエロなどに扮した人たちが観客を飽きさせないように色々パフォーマンスをしていた。また私の目の前でお化粧をし、衣装を着た女性が1階の舞台まで輪投げをして見事入れ、びっくりした。程なく開演となった。
 私はこのミュージカルについては何も予備知識が無い。パンフレットのよると、『これがミュージカル、これがファンタジー。赤川次郎と劇団四季が織りなす最高傑作。1987年の初演以来、公演回数は1600回を超え、上演のたびに完成度を高めて多くの方々から愛され続ける「これぞミュージカル、これぞファンタジー」の最高傑作です。心にしみる音楽、躍動感あふれるダイナミックなダンス、幻想と美しさに満ちた演出は、観た後に優しい気持ちとこれ以上ない感動で心を満たします。さあ、夢の配達人がときめく夢の世界へご案内します。』とあった。
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 ストーリーもパンフレットから引用すれば『不思議なこと、この世と違う別の世界に憧れる少女ピコ。彼女は夜の遊園地で寂しげな瞳をした美しい少女マコと出会います。マコはピコに自分の秘密を打ち明けます。実はマコは幽霊だったのです。事故で命を落としたマコは、ひとり残された母が心配で、まだ霊の世界に行けずさまよっていたのです。「母を励ますために、一日だけ自分と入れ代わって」というマコの願いをピコは受け入れます。マコの代わりに霊界に行ったピコは、そこで人間以上に人間らしい霊たちに出会い、愛と生きることの素晴らしさを教えられます。ピコとマコは約束の場所に戻り、ふたりは再び入れ代わることになっていたのですが・・・。』
 観終わって、まさにパンフレットの字句どおり、楽しい気分に浸れた。出演者達の声の張りも素晴らしく、しぐさやダンスもさすがだと感心した。プロとはこうでなければと改めて思った。映画はよく鑑賞するが演劇やミュージカルにはあまり縁が無かった。秋には大阪四季劇場でかの有名な「ライオンキング」が上演されるようだ。出かけてみたいと思う。
その後お土産を買って新新幹線で無事尾道に帰ってきた。
尾道市歯科医師会を預かる私としては、事故なく無事帰れたことで正直ほっとした。51年振りの大阪観光、おおいに楽しめた。

2012年07月12日

51年振りの大阪観光 PART 2

 10時出航、といってもドラは鳴らない。安治川水門を経て中心部に向かう。
この水門は津波被害を防ぐためのものだそうだ。
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 案内役の三ノ助師匠が色々の風物について説明してくれる。私は、最初クルーズの間、我々が退屈し無い様に何か落語をするのかと思っていたが、単純にバスガイドならぬ、クルーズガイドに徹していた。それでも時折、説明の中に、落語の落ちに近いしゃべくりで笑わせてくれる。また扇子と手ぬぐいを使っての芸のしぐさをして見せてくれた。特にうどんを食べるしぐさはたいしたものである。やはり芸人だと感心した。
また大阪には落語家が250人ほど、東京に500人程いるとの事。この人数が多いか少ないかということになったら、日本中では750人でも、世界70億人の中のたったの750人ならば自分達は貴重な存在だと話してくれた。我々歯科医師などよりもよっぽど貴重で天然記念物かもしれない。そんな話も織り交ぜながら、両舷に見える風景の案内をしてくれる。
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 関西電力本社ビル前を通過するとビルの屋上から大きな垂れ幕で「節電」と書いてある。大阪国際会議場(今年11月10日に歯科医学会総会がある場所)。大阪市庁舎では最上階に橋下市長がいるとの事、大阪市公会堂・個人が寄付して建てたのだそうだ、中之島公園などの説明を受け、それぞれがこのような配置になっていたのかと初めて知った。
 川クルーズでは多くの橋の下をくぐるのだが、所によっては水面からの高さの低い橋もあり、この場合は、我々が座っている部屋が船倉のほうに下がる。また天井のガラス戸も閉まってしまう。この時は川の水面が丁度お風呂に入っている感じの高さに見える。所々、舟が通過する時にこすったと思われる傷が橋板の底についている場所もあった。橋をくぐり抜けるとまた、部屋がせり上がり、天井屋根も開く。
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 舟が土佐堀川から東横堀川に入っていくと、前方に青い水門があって川がせき止められている。三ノ助師匠によると川の水位が違うので船をスムーズに通すのに仕掛けがあるという。暫くすると舟の後方で川から水門が競りあがってきて完全に舟は前にも後ろにも進めない囲まれた状態になる。そして水が少しずつ排水され、東横堀側と同じ水位になって初めて前方の水門が開き航行可能となる。正にパナマ運河と同じ原理である。日本にパナマ運河があるなど初めて知った。それから程なくして有名な道頓堀川に出てきた。有名なグリコの看板などを見て無事湊町船着場に到着。
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 タクシーにてヒルトンプラザWEST店に移動。桃谷楼で中華の昼食、着いたのが12時前、しかしこちらのスケジュールを知らせてなかったためか、店側の料理の出し方があまりにもゆっくりで、午後からの劇団四季の公演に間に合うかどうかイライラ、最後はデザートもそこそこに切り上げ退席。少し残念。続きはPART 3へ

2012年07月11日

51年振りの大阪観光

 7月7日〜8日に尾道市歯科医師会の旅行に参加した。今年は大阪方面である。
私にとって大阪は1年に1回程度出張するが、いつも目的地に行くだけで、観光は全くした事が無い。中学生の時、修学旅行で観光して以来のことである。
今回の旅行の目玉は「落語家と行くなにわ探検クルーズ」と劇団四季のミュージカル「夢から醒めた夢」である。前日6日の夜は雷が鳴り、激しい大雨が降って旅行はどうだろうかと心配したが、曇り空ながら雨も止みほっとする。
 午後、尾道を出発し、大阪駅から徒歩3分の「ハートンホテル西梅田」にチェックイン。このホテルは客室471室と、尾道では考えられない多さである。部屋の窓からは大阪駅の西の端が見え、列車の往来が多く見ていても飽き無い。
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 夜は日本料理の「河久」で食事をした。33階、地上142メートルのお座敷での食事会であった。そこそこの料理であったが、日頃、尾道で食べている我々にとっては魚の活きのよさや味を考えるとやはり日本料理を食べるなら尾道が一番だと思う。
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 食事会の後、他の先生方は三々五々大阪の街に出かけられたが、私はホテルにまっすぐ帰り、マッサージを頼む。2時間してもらい、そのままぐっすり良く眠れた。翌朝気持ちよく目覚め。
 朝食後いよいよ観光である。ホテルからユニバーサルシティーポートまでタクシーで行く。本来はJRで行く予定だったが、ある先生の提案(わがまま?)でタクシー移動となる。お陰で早く着き過ぎ、外で待つのは暑い。
そこで目の前の「ホテル ユニバーサル ポート」に入って小用を足し、乗船時間まで過ごす。昨日泊まったホテルよりははるかに立派で、受付けカウンターの後ろには大きな水槽があり、魚がゆったりと泳いでいた。またUSJで買ったと思われる荷物を持った小さいお子様連れのご夫婦が目立った。
せめてこの程度のホテルに泊まれたらなと行きかう人を観ながらうらやんだ。

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 「落語家と行くなにわ探検クルーズ」は乗り合いクルーズで基本的には4コースがあるようだ。
今回私たちが利用したのは「川のゆめ咲線コース」でユニバーサルシティポート→安治川→堂島川→大川→土佐堀川→東横堀川→道頓堀川→太左衛門橋船着場→湊町船着場 の90分コースであった。
9時50分乗船開始。飲食物の持ち込みは禁止で、欲しければ中で買うという規則。早速、生ビールを一杯注文。
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本日の案内役は桂三枝の弟子で、落語家暦15年の桂三ノ助さんであった。
続きはPART 2へ

2012年07月10日

映画「スノーホワイト」を観て

 先日スノーホワイトを観た。グリム童話生誕200周年記念との事でパンフレットには「“おとぎ話”は終わった。今新たなる「白雪姫」伝説が始まる!」と有る。
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 ところで「白雪姫」の話は昔、私が小さい頃に絵本を読んでもらった記憶が有る程度で、我が家は息子二人だったので、白雪姫の絵本を買い与えた記憶が無い。映画を観ながら、物語の内容が私の記憶とかなりかけ離れていた。
たまたま我が診療室には子供連れのお母様が診療に来られた場合、お子様が退屈しない様に、アニメマンガのDVDを幾つか備えている。その中に1937年ウォルトディズニー製作の「白雪姫と7人の小人」が有ったので、映画を観て帰った後、直ぐDVDを観た。
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 『「白雪姫」の継母の王妃が鏡に向かって「世界中で一番美しい女性は?」と問いかけると鏡がそれは「白雪姫」だと答える。自分が一番だと信じている王妃は怒りのあまり白雪姫を殺すように猟師に命じるが、そのことを知った白雪姫は森に逃げ込み、そこで7人の小人に出会い、楽しく暮らす。しかし王妃がまだ白雪姫が生きていることを知って、王妃はりんご売りのおばあさんに変身して毒りんごを言葉巧みに「白雪姫」に食べさせる。そして永い間眠ってしまうが、王子様が現れ、白雪姫に口付けをすると目を覚まし、その後王子様と仲むつまじく過ごす』という話だった。もっとも魔女が最後にどうなったのかは覚えていなかったが、アニメでは、雷に打たれて谷底に落ちて死んだようである。
しかし今回のスノーホワイトは所々同じような話にはなっていたが、大胆なアレンジが加えられていた。パンフレットから引用すれば
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 『スノーホワイトは、マグナス王と王妃に大切に育てられた、外見だけでなく、その心も清らかで美しいプリンセス。しかし母亡きあと、新しい王妃に迎えられたラヴェンナに父王を殺された彼女は、国を乗っ取られ、7年間の幽閉生活を送ることになる。やがて、王宮を脱出したスノーホワイトは森の中へ逃亡。彼女を捕らえるためにラヴェンナ女王が放った刺客のハンター、エリックと手を組み危険をかわしながら、たくましく生きる能力を身につけていく。
一方、「スノーホワイトの心臓を口にすれば、永遠の若さと美貌が手に入る」と魔法の鏡に告げられた女王は、あの手この手でスノーホワイトを追跡し、罪の無い命と自然を破壊していく。すべては自分のせいと心を痛め、たとえ地の果てまで逃げても女王の魔の手から逃れられないと悟ったスノーホワイトは、抵抗軍を組織し、女王を倒すべく、進軍を開始する。
狩や剣のテクニックを身につけ、凛々しく変貌を遂げていくスノーホワイトにスポットを当てた物語は“新時代の白雪姫“と呼ぶにふさわしい斬新な魅力に満ちている』とある。
 この映画では小人は最初8人だが途中戦いの中で一人死ぬが、7人は最後まで生き抜く。また女王ラヴェンナは戦いに敗れて死ぬなど、DVDのお話とはかけ離れている。映像はCGなどを使い現代的であり、ある意味コンピュターゲームの中の物語かとも思った。
ただのラブストーリーではなく、現代にマッチしたエンタテイメントと感じた。
 ところで1937製作の「白雪姫と7人の小人」はかすかな記憶をたどると、多分昭和28年(?)頃、尾道駅前の映画館で春休みに上映していたのでは無いかと思う。まだ小学校に上がる前だったが母親からお金をせびって、一人で向島の宇立から塩田の中の道を歩いて駅前渡船まで行き、渡し舟に乗って映画館に行った(片道5キロくらいかな?)。しかし、5円か10円か不足していたため、入れてもらえなくてべそをかきながら帰った記憶が有る。今回たまたまその時の映画をDVDで観たのだと思う。
私の時代は、7歳くらいでも、親に連れられて映画などは観に行かなかった。車もほとんど走っていなかったので危なくなかったのであろう。また貧しかったから親までお金を払って観る経済的余裕がなったのであろう。今時では考えられない。そんな切ない記憶をスノーホワイトは思い出させてくれた。

2012年07月05日

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