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院長のブログ

台北旅行 PART 5

 三日目、何も観光旅行をしていない。そこで昨年秋に行った故宮博物院を見学することにした。昨年行った時、ガイドが早く行かないと見れなくなると言っていたのを思い出し、開館前に行く。入場券を買い、日本語案内の音声ガイドを借りて見学。10人目くらいで入場した。直ぐに3階の301陳列室行き、翠玉白菜と豚の角煮に似た肉形石をゆっくり見て、1時間半ほどをかけて3階全部を観た。入場してから30分くらいで多くの見学者が来てうるさく、ごった返す。その後2階に行き磁器などの展示物を観た。家内は途中で足が痛くなったと言うことで、展示室にあった椅子に座って待つ。私は何とか駆け足で2階の展示物もほとんど見ることが出来た。まだまだ観たり無いが3時間ほどで切り上げ博物院を後にする。タクシーで中心街に向かい、昼ご飯は、再度日本料理の「大和」にした。肉うどんを食べる。結構いける味であった。その後昨夜行ったマッサージ屋に行く。故宮博物院の見学でかなり足が疲れていたので70分をしてもらう。その後街中を散策しながらホテルまで帰る。
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                          街中点描 
 両替したお金が少なくなったので再度両替しようと思ってある銀行によったところ、「300元の手数料が必要だが、もう少し先にある「台湾銀行」なら手数料が掛からない」と銀行員が親切に教えてくれた。歩きながら通行の人に台湾銀行の場所を聞いたが解らない。そこへ通りかかった日本人の女性が我々のやり取りを聞いていて日本語で教えてくれた。行ってみたが着いたのが15:37で銀行は15:30で終わっていた。残念。
 ホテルに帰り夕方の魏さんとの夕食に備え少し休んだ後、地下鉄で南天書局に向かう。今回はスムーズに行けた。魏さんと色々話す中で、彼は非常に地図に興味をもっており、特に鳥瞰図に特別の想いがあるようだ。その中で「大正の広重鳥瞰図絵師」と言われる吉田初三郎に興味を持たれていた。私はその人物を知らないと話した所、2004年9月に「台北建城120周年記念展覧会」が有り、その時、魏さんが主編となり作成した図録(台北市政府文化局出版)を持ってこられ、その134ページに初三郎が描いた台北市鳥瞰図が掲載されていた。その図は台北の南から見た図で絵の上方、北にあたるところには、門司、神戸、大阪の文字そして富士山までが描かれていた。
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       台北建城120周年図録表紙           台北鳥瞰図(初三郎)
 私たちが広島から来ているということで、広島の「広島印刷(後の広島図書)」が1949年に発行したグラフ誌「HIROSHIMA」に初三郎が描いた、原爆投下前後の鳥瞰図が載っていると思われるので、もしも手に入るのならそのグラフ誌を探してほしいとお願いされた。2002年・平凡社発行の「太陽」にそれらしきものがあるとのこと。そこで捜せるかどうか解らないが、古本屋をあたってみると答える。
 日本と違って食事の時間が遅いのか、レストランの都合なのか、南天書局でゆっくりした後、まず台湾大学近くの喫茶店(?)でパパイヤジュースとマンゴーが一杯載ったカキ氷をご馳走になる。どちらも美味しかった。
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       かき氷カフェー                樟山寺
 それからやっと車で市街地とは反対側に向かって出かける。多分南東の方角ではなかったかと思う。台北市立動物園の横を通り、国立政治大学の横から山に登って行く。くねくねした道をかなり走る。そして着いたのが樟山寺と言うお寺である。そこからは台北の中心部の夜景が綺麗で台北101のタワーも良く見える。どうやら私たちにこの夜景を見せるために出発時間を調整していたらしい。この山には猫空というロープウエイの駅もある。魏さんの話ではこの山一帯はお茶畑のようである。
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       台北101を望む夜景                茶房
樟山寺からまた暫く走って、ようやく山水客という茶房(ティーハウス)につく。9時を廻っていた。この山一帯に150軒ほどの茶房があるとか、来る途中ちょうちんを飾ったり、電飾をした茶房がたくさんあった。
 魏さんが言うには台北の人たちは涼を求め昔からここに来て食事をするのだと言う。メニューの内容は台湾の田舎料理との事、先ほど「マンゴー盛りカキ氷」を食べたばかりなのでそんなに食べられないことを告げて、後は魏さんにお任せした。
素麺のようなヌードルを茶油で炒めたものや、鶏1羽を茶油で揚げてぶつ切りにしたもの、当然お頭つきである。海老とマンゴーの入った野菜サラダ、あげ豆腐のようなものが出てきた。また魏さんが家で漬けたオリーブのお酒を持ってきてくれて飲ませてくれた。少し甘みがあり、日本の梅酒の感覚である。4年物だと言っていた。この茶房からも台北の夜景が良く見えた。
 食事後、魏さんの家がこの近くなので、ぜひ寄ってお茶を一杯飲んでいってくれと言われ、家にまで上がりこむ。
 コンドミニアムのようであったが、ものすごく広い大きな家であった。たまたま奥様は孫と一緒に里帰りをしていて自分ひとりだという。玄関を入ると直ぐ応接間のようで床から天井まで作りつけの本棚があり、びっしりと本がある。
聞けば全部台湾関係の本だと言う。また地図なども多く保管されていて、さながら図書館に来たのかとおもうほどであった。中国式のお茶の入れ方で歓待してもらった。お茶を飲みながら話す中で、現在広島に在住するMさんが、かって商社マンとして台湾在中のとき友人となったが、今は疎遠となっている。そこでMさんへのお土産を持って帰って欲しい。そしてMさんに連絡を取って「魏からの土産だと言って送って欲しい」と頼まれ、メールアドレス、住所、電話番号などのメモをお預かりする。結局二つ宿題を頼まれた。それからホテルまで送ってもらった。日本時間の深夜2時近かった。
続きはPART 6へ

2012年08月30日

台北旅行 PART 4

 昼食はホテル近くの名前が「芝田」と言うカレーの店に入った。日本人が経営しているわけではない。ビーフカレーを頼んだが180元でサラダが付いており、しかも大きなビーフの塊が5~6個入っていて味も中々のものだった。
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 大きなビーフの入ったカレー                日本料理店「大和」
1 4時に昨日のマッサージ屋に予約を入れていたので、買った本や、もらった本と地図をホテルに置いて、こんどは歩いて行った。2時間マッサージをしてもらった。家内が昨日したカップリングもためしたみたが私には普通のマッサージのほうが良いと思った。
マッサージ終了後近くを散策しながら晩飯を何処で食べるか見てまわった。
ツアーで無いのに、何も下調べをして来なかったので常に食事のことが気になる。「大和・日本料理」の店が目に付く窓から覗き良さそうなので今夜の夕食はそこにしようと決めた。さらに散策。近くのカフェーショップにはいる。お客は台湾人のようであったが、日本語で注文していると、お客の人が手助けをしてくれる。親切である。
そのカフェーの横のビルに京劇のようなポスターが貼ってあり目に付く。
台北アイ(台北戯棚)という劇場であった。
 パンフレットから要約引用すれば、『1915年に出来た「台湾新舞台」が第2次世界大戦時空襲で焼けた。1989年に「台北新劇団」結成され中華文化芸術の賞賛を高めた。そして2004年に伝統舞台芸術の新劇場として「タイペイ・アイ」が建設され、ここでは60~90分の舞台で、京劇、雑技、管弦楽器(南管、北管、八音など)による演奏、台湾原住民歌と舞、曲芸、戯曲が披露され、海外からの観光客必見コーストなっている』との事。
 月曜日は演劇があると言うので行って、日本語の出来る人を呼んでもらう。話を聞くと今夜の出し物は京劇「金銭豹」で西遊記から抜粋した一節だとの事。340席ほどで全部自由席、しかし前もって予約をして切符購入が必要だとの事。20:30開演とのこと。せっかく来たので鑑賞する事として切符を買う550元。
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  タイペイ・アイ正面               新しく見つけたマッサージ屋
 開演までに間があり、さらに散策をすると、マッサージ屋の看板が目に付く、70分800元で昨日・今日してもらった所より安い。中も綺麗そうである。
そこでまず夕食を食べ、その後マッサージをしてもらってから劇を鑑賞する事にした。
夕食は「大和」にはいる。ほぼ満席に近い。にぎり寿司や定食などある。メニューを見ながら、そういえば今年は土用の丑の日にうなぎを食べてなかったので「うな重」にする。大きなうなぎが一切れのっていた。味は悪くない。デザートまで付いて280元である。客は日本人も少しはいたようだがお店の人に聞くとほとんどが台湾の人だという。もちろんここでも日本語OKである。
 食後、先ほど見つけた「得力」というマッサージ屋に行く。マッサージ師の方はほとんどが、目が不自由な方のようである。女性の方で日本語が達者な方がいて安心。70分してもらった。中々上手だと思った。結局今日は190分マッサージをしたことになる。その後タイペイ・アイに駆けつけるが5分ほど開演時間に遅れて一番後ろの席に案内された。
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 「金銭豹」の一場面 三蔵法師一行            俳優さんとのショット
 飽きさせない内容であった。終わってホールで記念に出演者と一緒の写真を撮ってもらった。今日も充実した一日であった。 続きは PART 5へ

2012年08月29日

台北旅行 PART 3

 PART 2で書いたように我が家に有った「台湾習俗」の本は、大叔父の娘さん達、三人が日本で復刻して、二女の米様から私の母親に贈呈してもらったものである。その時、お手紙(平成8年12月26日付)を添えていただいていたのが、たまたま本の中にはせて込んであり残っていた。それによると本の復刻に合わせて(おそらく平成8年頃)、三姉妹で台湾を訪れかって住んでいた所を訪問した記述があった。
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日本で復刻した本           奥付に書かれた住所
 手紙の記述を引用させていただくと「表紙の絵は私が当時小学校6年生の時、画いたのですが、あれは私の家の前の景色でしたが、今ではぜんぜん変わりました。中国の大陸からどんどん人口が増えて、今ではあの川は土の下のほうを流れ、もう川は見た所ではありません。私の家は、いまだに残って居り、日本の瓦屋根がみすぼらしく見え、平屋でしたので、小さく見えました。私の家の敷地内の前と後ろはよその家になっており隣は8階建てで、通りをへだてた前の家には12階建て、本当に驚くばかり、浦島太郎のようです。もうあれから50年が経っているのですものね。・・・中略・・12階建ての所はあの本の絵の中では草原の所です。本当にうそのようですね。」
正に浦島太郎状態で、自分が描いた表紙の絵の時代と現在との変わりように驚かれたようだ。
私は大叔父たちが何処に住んでいたかは知らなかったが、本の奥付に、執筆者東方孝義の名前の横に「台北市川端町296番地」と記されていたためにそこが大叔父の住所だと思った。
それで魏さんに尋ねたところ、1932年発行で1997年に復刻された台北市の古地図を持ってきてくれて説明をしてくれた。しかもその近所で彼の兄は育ち、今も住んでいるとのこと。
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 1997年復刻地図             川端町の地図
 地図によると290番地と301番地が読み取れるのでその近辺だと判断した。
その地図の番地が書いてあるところに小さな小川があり、多分手紙に書いてあった川では無いかと思った。魏さんによると、川端町には日治時代大きな料亭があって賑わっていたのだそうだ。
また地図を見ながらその川に平行して当時あった鉄道線路は、今はなくなり道路になっていることも説明してくれた。またこの地図も魏さんからいただいた。
 魏さんの車で付近まで行ったが場所を特定することは出来なかった。
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 紀州庵の写真を印刷したカバー           紀州庵の庭の一部
 また日治時代の料亭「紀州庵」が崩れかけながらまだ残っていた。再建保存するために家屋がカバーで覆われていた。そこから歩いて「新店渓」の川近くまで行くがどこを見ても田んぼや草原などは無い。絵の中に書かれていたお寺がどれか解らないが、紀州庵近くにもお寺がありそれがそうなのかとも想像してみた。
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 トタン屋根でカバーされた紀州庵            新店渓(川)
 ところで川近くの道路上に行き先案内の文字が書かれていたが、そこに馬場町の文字がある。当時の地図によれば川端町の隣が馬場町であり、ここは今でも日治時代の町名が使用されているようだ。
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紀州庵近くのお寺                 馬場町名のある道路案内文字
 色々、魏さんにしていただいたのでお昼でもご馳走しようとお話をしたところ、13時から会議があるのでと断られる。逆に明日の夜ご一緒しましょうと誘われる。そして地下鉄の古亭駅まで送ってもらう。
そこからもと来た中山駅までもどる。
 台湾の地下鉄は紙の切符の変わり、プラスチックのコインのようなものが出てくる。この中にICチップが埋め込まれているようだ。自動改札機にそのコインをかざすと扉が開く。降りるときはコイン回収口があり、そこに投入すると扉が開く。何回もコインは使用可能なので紙の様に資源の無駄使いをしなくて済むので合理的では無いだろうか?
これでとりあえず私の目的は達した。続きはPART 4へ

2012年08月23日

台北旅行 PART 2

 二日目、今日は「南天書局」に大叔父・東方孝義が1931年に編纂した「台日新辞書」の復刻版を買いに行く。丁度2ヶ月ほど前、たまたまインターネットで復刻版が台湾の出版社から1997年に出版されていることを知った。出発前に日本から出版社に電話しまだ在庫があることを確認していた。
ホテルのフロントで調べた住所を示し、行き方を教えてもらった。近くの中山駅から会館駅まで地下鉄で行くことを勧められる。外国で地下鉄に乗るのは初めて。何とかなるだろうと出かけ、駅の係員に住所を示し教えてもらう。ここでも台湾語はわからないが、漢字で書いてあるので何とか理解できた。台湾では現在北京語が公用語であるが、中国本土と違って略した漢字ではなく、かって日本が統治していた時代の古い漢字が使用されている。当用漢字に慣れている私だが何とか判読できる。淡水線の公館駅で降りる。ここには国立台湾大学がある。かっての台北帝国大学である。
大学近くに出版社があるはずなのに道に迷い、何人もの住民の方に聞きやっと探し当てた、コンドミニアムの1階が出版社である。
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国立台湾大学                         南天書局

 女子社員が対応してくれたが、日本語がわかる方と言ったら、社長兼、編集局長の「魏 徳文」氏が出てこられた。電話の人であった。すぐさま書棚から「台日新辞書」持ってきてくれた。
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 この辞書をめくってみると大叔父がこの辞書を編纂するに至った経緯が書いてあり、1ページから967ページまでが台湾語→日本語で966ページから1320ページまでが日本語→台湾語になっていた。奥付には当時の定価金4円50銭が書いてあった。
これほどの大著を学者でもない一介の警察官であった大叔父がよくも1人で編纂したものだと思い感激した。ちなみに編纂経緯の文章中に12年の歳月が掛かったと書いてあった。
この出版社「南天書局」の販売コーナーの書棚はすべて台湾関係の本や古地図で埋め尽くされていた。
魏社長は我々がわざわざ日本から辞書を求めて来店したことに凄く感激され、定価1400元のところ2割引の1120元で分けてくださった。
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南天書局                           魏 徳文氏

 そして大叔父が昭和17年に書いた「台湾習俗」と言う本も復刻していると言って見せてくれた。この本は大叔父の娘さん達が平成7年(1995年)に日本で復刻し私のところにも1冊ある。それで見せていただくと南天書局で復刻されたものは1997年であった。魏さんも私たちに興味がわいたのか、魏さんの部屋に通されお茶をよばれる。
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  左が日本で復刻した本               各本の奥付 
色々話しているうちに急に何故、魏さんが余りお金にならないような台湾に関する本ばかりを復刻されたり出版されるのか興味がわいてきた。
そこで質問をしたところ、政府があまり文化遺産に興味を示さない。
このままにしていると100年後200年後には今ある資料も無くなってしまい、台湾が台湾でなくなる。それが怖いし、忍びないとのこと。100年後を見据えて、儲けにもならない、赤字すれすれでひたすら台湾のことを思って経営されている魏さんに感服した。日本に帰ってインターネットで魏さんを検索するとその分野では知る人ぞ知るのすごい大家で、日本の文化勲章に相当する賞なども受賞されており改めて驚いた。
その後大叔父たちが多分昔住んでいたと思われる川端町に魏さんが連れて行ってくれた。そして先ほどの復刻した「台湾習俗」の本をどうぞお持ち帰りくださいと言われただで頂いた。
続きはPART 3へ

2012年08月21日

台北旅行 PART 1

 お盆休みに台北に出かけた。今回はツアーではなくプライベイト旅行で、飛行機の切符やホテルをインターネットで予約購入して出かけた。昨年11月に院内旅行で台湾に行った経験があったので少しは気が楽である。それでも、空港からホテルまでの行き方を心配しながら前もってネットで調べたりしたが、結局現地であれこれ聞くことになる。以外と英語よりも日本語が通じる感じがした。 
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 今回の目的は、家内はメインがマッサージ、私は大叔父・東方孝義が書いた「台日新辞書」の復刻版を買いに行くことで、観光は考えなかった。
 家内は昨年夏、中国旅行中に現地の子供が後ろからぶつかり、転倒して膝を悪くし、この1年整形外科や、街の按摩屋さん、膝サポーターの購入などあらゆる努力をしてかなり良くなってきている。そんな折、因島のM先生が以前、「五十肩」で手が全く挙がらなかった時、台北の「春鶴堂足體養身会館」というマッサージ屋でマッサージをしてもらったら、一発で治ったと教えてくれたのでそこをめがけていくことにした。
「ホテル・ロイヤル・台北」に着くや受付けでそのマッサージ屋に電話をしてもらい予約を取る。チェックイン後、休む暇なくタクシーでマッサージ屋に向かう。
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 携帯のカメラにM先生の顔写真を撮っていたのでそれを見せるとマッサージ屋のご主人と、女将さんがにっこり笑ってくれて安心。お1人60分1000元で家内と共に私もしてもらった。家内はカッピングも頼んでいてコースの中でしてもらったようだが私は普通のマッサージをしてもらう。 
 マッサージ屋についた頃から雷と土砂降りの雨、60分経ってマッサージが終わっても雨はやみそうでないし、他にお客もほとんどいないのでさらに40分足ツボマッサージをしてもらう。
 今回の旅行は食事が全く付いていないので、何処で食べたらよいか解らず、マッサージ屋さんに教えてもらう。雨も上がり少し涼しくなったが湿度が凄い。とりあえずホテルまで歩いて帰る。途中セブンイレブンがあり、そこで缶ビールと明日の朝食のためのクリームパンと牛乳、野菜ジュースを買って返る。結局3日間朝メシアは同じスタイルで通した。
 夕方タクシーで教えられた所に行く。現地の人だと違和感は無いのかも知れないが、私にはちょっと入る気にはなれない雰囲気のお店で早々にその場を離れた。
歩きながら戻っていると旅行案内の本にも出てくるお店「京鼎樓」が目に留まり行くと丁度開店したばかりで直ぐ入れる。メニューの絵を見ながら注文した。何を注文したかあまり覚えていない。食べれる量を考えながらしたつもりだったが少し多く残ってしまう。後は歩いて帰りながらホテルの近くを散策する。
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 東南アジアのどの国でもそうなのだか、昼間暑いため夜になると人々が街の通りにあふれてくる。その多さに圧倒される。三越デパートがありそこにも寄ってみるがいまいちと言う感じがした。後はホテルに帰って缶ビールを飲んで早めに寝る。家内はまず目的をゲットした。明日は私の目的をゲットしよう。
続きはPART 2へ

2012年08月19日

孫との再会

 先日、父親の7回忌を執り行った。速いものであれから6年である。
今年は春先母親の三回忌もあり、珍しく重なった。次はいつ重なるのか解らないし、いつまで法事が出来るのかこれからは年齢との勝負かも知れない。
 お寺さんのお経を聴きながら、父親のことを思い出すが、私の記憶は父親の心臓が停止した瞬間で止まっている。「危篤」と言われ病院に駆けつけた時、心臓はすでに心室細動状態で電気ショックを3回したが戻らなかった。薄目を開けていた父親のまぶたを私が指で閉じた瞬間、心電図は一直線になった。その場面で父親の思い出は止まっているが当時1人しかいなかった父親の「ひ孫」も今では4人になり周りはどんどん時間が進んでいる感じがする。
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 7回忌にあわせ、3月に沖縄に移住した長男一家を呼び寄せた。姦しい3人の孫がやって来た。次男の孫とあわせ4人である。沖縄の3人の孫の内、長女が小学校1年生の7歳、次女が5歳、三女があと10日ほどで3歳になる。4ヶ月間会わなかった間に、長女は随分大人びてお姉さんらしくなり、妹達のために色々の場面でポジションを譲っているのに驚いた。三女は口が達者になり良くしゃべるし、はっきり自分の意志を表現している。一番成長進歩したのではないかと思う。
次女は真ん中なのでどうなのかと心配していたが萎縮もしないで結構わがままを通している。三人ともいい関係で姉妹をしているようだ。
 尾道の次男の長女が一番下でこの11月に2歳になるが、沖縄の従姉妹たちに負けじと動き回り、愛嬌を振りまいていた。爺・婆としてはどの光景もほほえましく思えた。
ひ孫4人を含め家族全員で墓参りも出来てよかった。これからは中々こういう場面はめぐってこないであろう。
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 昔、患者様がお盆明けに診療に来た時、孫の面倒を見てお盆は疲れたと言いながら『待って嬉』、『来て嬉』、『帰って嬉』だと笑いながら仰っていた言葉がふと思い出され、正にその通りだと思った。
 
 台風一過といった感じでまだ孫達の余韻が残る。次、沖縄から孫達がやって来るまでは当分の間次男の娘相手に爺・婆をしよう。

2012年08月07日

2年ぶりの札幌

 先週土曜日、2年ぶりに札幌に出かけた。気温が31度を超えて暑く、涼しいだろうと期待していたのが裏切られた感じがした。札幌駅近くのホテルで大学の父兄後援会の全国支部長会議が有った。メンバーは卒業生もしくは現役学生のご父兄である。思い出してみると、この会に出席するようになって17年の歳月が流れていた。大学の現状や、現役学生への支援のあり方など活発に議論をしてそれなりに成果はあったのでは無いかと思っている。
 広島空港から札幌への飛行機はANAが撤退してJAL1便だけのため早い時刻での出発となり少し不便になった。
会議の開かれる同じホテルに宿を取っていたが3時前に到着。前もって仲の良かったU君に連絡をしていたので、会議が始まる前1時間ほどホテルロビーで現況を語り合えた。U君は丁度私と一回り若く元気にあふれ、学生時代よりも遥かに逞しくなっている感じがした。
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 その後、会議に出席した所、やはり同級生が私を含め4人出席していた。会議後の懇親会ではミニクラス会の感あり。頭の髪の毛の色や薄さに卒後28年の時を感じながら昔の思い出話に花が咲いた。
 K君が2次会を設定しているというので、すすき野に繰り出す。若い人であふれていたが、景気が悪く昔ほどでは無いと言う。でも広島の流川あたりよりは遥かに賑やかで驚く。
 ワインクラブに行くと、そこに同級生で岩見沢市長のW君が来ていた。彼に会うのも久しぶり。話を聞くと7月31日に市長を勇退し、なんとしてもこの国を変えたいと言う想いが強くなり、今度の衆議院選挙に出るのだという。彼の父親も自民党の代議士であったが、我々が3年生の時急死された。そういう意味で彼自身は自民党だと思っているのだが、自民党と公明党の選挙協力のため、自民党の公認にはなれず、無所属で立候補するとか。
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 少し無謀とも思えたが、彼が10年市長としてやってきたことで、国の予算配分などなんとも理不尽なことが多く市民のためにならないことがわかったからだという。その他教育や、生活保護の問題や、医療の問題、過疎化の問題、夕張市の財政破綻など、我々一般市民では理解し得ないことなど熱く語ってくれた。聴きながら、大阪の橋下市長の考え方に似ていると感じた。
 彼には是非当選して欲しいと思うのだが、無所属立候補だと党からの選挙資金も無く、我々一般庶民から見ると莫大な資金を全部自前調達しなければならない。またTVやラジオでの政見放送のチャンスもなく、かなり不利な感じがする。
北海道の選挙区に対して広島にいる私ではほとんど何も応援してやれないのが、残念である。
願わくは、彼が当選して、私に熱く語ってくれたことを実現してくれることをただ祈るばかりである。
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 翌日大通り公園と赤レンガの道庁を観て廻り、従業員さんへのお土産を買って帰ってきた。

2012年08月02日

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