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12/30 院長交替
12/13 映画「杉原千畝」を観て
12/07 映画「海難 1890を観て」
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院長のブログ

院長交替

 昨日、実に30回目の「さいだ歯科医院」の年末大掃除をした。今回はひと際、感慨深い掃除であった。というのもこの12月31日を以て息子と院長を交替することにし、私が院長としての最後の大掃除であったからだ。
 思えば30年前にこの地に御縁をいただき39歳で開業し、地域の皆様、患者様に支えられて今日の日を無事に迎えることができ感慨ひとしおのものが有る。息子も来年2月には39歳となり、私が開業した年齢となることから、まさに時を感じ決断をした。
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 この30年間思い起こせば本当に色々の事が有り、大変だったことが次から次へと脳裏をかすめて行く。開業した頃は来院される患者様が少なく「患者様が来ないこないのコンコン病」に苦しんだり、従業員確保に四苦八苦した。その中でも4人しかいない女性従業員が1度に3人も退職されて途方に暮れた事など、ほんとに修羅場をくぐりぬけて来た感じが有る。
 おもえば開業から数年は医院経営に追われ他に目を移す事など到底考えられず、とにかくがむしゃらであった。大企業に勤務していた経験から従業員に対してもかなり厳しい注文をつけていたように思う。決して従業員から慕われるような存在ではなかった。
 そんな折、ある懇意にして頂いている歯科の先生より大阪でのセミナーを紹介され受講してみた。このセミナーをきっかけに全て私自身の至らなさから引き起こった事だと気が付く。今までは仕事はチームワークだ、従業員も私も同じ仲間だと思っていても経営者対従業員という構図が強く、お給料を払っている事だけで何にも従業員に応えていなかった。
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 それでは何をしたら良いのかと思った時に、待合室と従業員用のトイレ2ヵ所を毎日掃除しようと決めた。それも従業員が出勤する前、朝6時半から30分かけて二つのトイレを掃除して気持ち良く従業員を迎える事、そして毎朝出勤してきた従業員と「おはよう今日も元気で頑張ろう」と声がけをしながら握手をすることを実行して来た。
 その積み重ねの御蔭で今では従業員の皆様に支えられて経営・人間関係も順調に推移している。安心して息子にバトンタッチが出来る。
 今後は息子が立派な経営をし、地域の皆様に愛され、「さいだ歯科医院」が永く続く事を願うのみである。
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毎年、大掃除の後は従業員と一緒にケーキとコーヒーをいただきながら1年間を振り返るのだが、今回は従業員の皆様から「院長お疲れ様でした スタッフ一同」とメッセージの入った花束をいただき労をねぎらってもらった。本当に有難いことである。
 これからは時折人生を味わうゆとりを持ちながら日々診療に関わっていこうと思う。
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 また家族付き合いをしている T 様からも30年間御苦労様でしたとピンクのばら30本をいただいた。本当にうれしい限りである。

2015年12月30日

映画「杉原千畝」を観て

 先日映画「杉原千畝」を観に行った。彼の事はかれこれ20年くらい前に知った。杉原千畝氏の奥様の杉原幸子さんが書かれた本「六千人の命のビザ」を読んでからである。それまでは彼の名前、彼の功績すら知らなかった。
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 彼は第二次大戦前夜、昭和14年にリトアニアのカウナスに代理領事として赴任しそこで色々の諜報活動、今で言うインテリジェンス、もっと砕けて言えばスパイ活動をしながらソ連の動きを調べていた。日本は当時満州でソ連と対峙していた為、ヨーロッパにおけるソ連の動きを探る必要が有った。当時ドイツはヒットラー総統のもと東ヨーロッパの国々を占領して行った。ポーランドがドイツに併合されとユダヤ人が迫害・虐殺され難民となってリトアニアにやって来る。しかしここも間はなくソ連の手に落ちる。ユダヤ人たちには安住の地は無く国外脱出を計ろうとするが行くあてがない。西はドイツが押さえており、南はトルコが入国を拒否をしており、唯一シベリア鉄道で日本を経由してアメリカ等自由な国に逃げることしかなかった。
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 そのため杉原千畝のいる日本領事館に日本経由のビザ発給に押し掛けてくる。日本国政府にビザ発給の許可の伺いを立てるが答えは「NO」である。彼らの窮状を見るにつけ、外務省の方針に逆らって外交官生命を賭して発給する。1940年8月1日から領事館が閉鎖される8月28日までさらにホテルに移動して発行を続け、9月1日カウナス駅からベルリンに向けて汽車が走りだすまで窓から身を乗り出して許可書を書き続けた。その後終戦となりソ連の収容所で家族ともども収容されるが昭和22年4月に無事帰国。
 帰国後外務省は命令に背いたことを理由に彼を罷免する。覚悟はしていたものの千畝氏にとって不本意な事であったろうと思う。この後職を転々とし、ロシア語が堪能な事から貿易会社に就職、単身でモスクワ駐在員になる。映画ではモスクワで彼が助けたユダヤ人のニシュリ氏と再会、彼は千畝氏にその時発給してもらった擦り切れたビザを見せるシーンが有った。しかし本当はイスラエル大使館で彼と再会したと奥様の本には書いてあった。その後のことは映画では字幕で解説が有る程度だったが、イスラエル国は彼の功績をたたえ昭和60年に勲章を授与し顕彰碑まで立てる。
 昭和61年7月に永眠する、その後海外からの圧力もあり、平成4年3月13日の衆議院予算委員会で質問が出され宮沢総理が発言し彼の名誉が回復される。外務省を罷免されてから実に44年振りである。
 それにしてもこの映画を観ながら現在の日本を見た時考えさせられるものが多々有る。杉原千畝氏の様に首を掛けてまで信念を貫く公務員や議員さんがどれほどいらっしゃるのか、パフォーマンスだけの政治家、事なかれ主義を貫く官僚。
 先日の新聞報道によれば3カ月で日本年金機構が運用に失敗し7兆九千億円もの損失を出し年金積立金を失ったという報道が有ったが、誰一人として責任を取る人がいない。
またこの混迷する現代にあって国際情勢は混とんとしているが、残念ながらわが国には、国際インテリジェンス収集をするための組織がほとんどない。当時の情報なき国家がだどった運命について、いま一度、思いを致してみるべきだろう。
 このままではいずれこの国はどこぞの国に飲み込まれてしまい無くなってしまうのではないだろうか?
 さらに世界では難民問題がクローズアップされているが、杉原千畝氏がビザを発給したのはあくまで日本を通過するためのもの、今後隣国等で政権崩壊が起これば何百万人単位での難民が押し寄せてくる。それを受け入れることの是非については、ただ感情論だけで片付けられるものでは無いことを今からしっかりと押さえておく必要がある。
 また前回ブログに書いたトルコの軍艦エルトゥールル号の話、今回の杉原千畝氏の話など日本人として誇れる話は多数ある。もっと学校で積極的に教えるべきではないだろうか、それこそ自分が日本人として生まれてきて良かったと誇りを持てるのではないだろうか?

2015年12月13日

映画「海難 1890を観て」

 この映画、封切り日の12月5日に鑑賞した。この映画の題材になっているオスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールル号の沈没事故のことを10年前位に知った。またその事件後95年を経ったイラン・イラク戦争のさなか、取り残された日本人の為にトルコが救援機を出して救出してくれたことは当時新聞で知っていたが改めて今回映画を観ながら感動した。
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 東映オフィシャルサイトのイントロダクションから引用させていただくと
 『日本よりおよそ9000kmも離れた、アジアとヨーロッパの2つの大州にまたがる1つの国、トルコ共和国。かつてオスマン帝国として歴史に名を刻んできたその国と日本は、長きに渡り交流を深めてきた。そして2015年、日本トルコ友好 125周年を迎える。遥か海を越えた両国の友好には、歴史の裏に隠された2つの知られざる物語があった―。
 1890年9月、オスマン帝国最初の親善訪日使節団を載せた軍艦「エルトゥールル号」は、その帰路の途中、和歌山県串本町沖で海難事故を起こし座礁、大破。乗組員618人が暴風雨の吹き荒れる大海原に投げ出され、500名以上の犠牲者を出してしまう。しかし、この大惨事の中、地元住民による献身的な救助 活動が行われた。言葉の通じない中、避難した小学校では村中の医師が集まり応急手当を行い、台風の影響で残りわずかな蓄えにもかかわらず、食糧や衣類を提供。そのおかげで69名の命が救われ、無事トルコへ帰還する事が出来たのだ。この出来事によりこの地で結ばれた絆は、トルコの人々の心に深く刻まれていっ た。

 そして、時は流れ1985年、イラン・イラク戦争勃発。サダム・フセインのイラン上空航空機に対する無差別攻撃宣言によって緊張が高まった。この宣言後、 在イランの自国民救出の為、各国は救援機を飛ばし次々とイランを脱出。しかし、日本政府は救援機を飛ばすことが危険と判断し救助要請に応えなかった。テヘランに残された日本人は215人。メヘラバード国際空港で誰も助けの来ない危機的状況に陥り絶望の淵に立たされた。この状況を打開すべく、日本大使館はトルコへ日本人救出を依頼。トルコ首相は、それを快く承諾。まだ500人近くのトルコ人がテヘランに残っていたにも関わらず、日本人に優先的に飛行機の席を譲ったのだった。』

 この映画は実話をもとにして日本・トルコ友好125周年という節目の年に両国の支援のもと遂にビッグプロジェクトとして完成したものであり、映画の最後にエルドアン大統領のコメントが有った。
 この映画には出てこなかったが、エルトゥールル号の乗組員をトルコまで送り届けた軍艦「比叡」の海軍士官にあの「坂の上の雲」に出てくる秋山真之がいた。またテヘラン脱出当時のトルコ大統領オザル氏に救援機を出してもらう様に直接交渉した元伊藤忠商事の森永堯氏の存在を忘れてはならない。
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 昨日、日本経済新聞に1985年のイラン・イラク戦争の際、邦人を救出した当時の塗装を再現したトルコ航空機がイスタンブール〜関西空港線に就航した記事が載っていた。
 この映画を観ていて日本人を救出できない日本国に腹立たしさを感じた。我々が税金を納めている理由は、政府が日本国民の生命財産を守る義務が有るはずなのに、自衛隊機を飛ばして救出するのは憲法9条が有る為、自衛隊機が紛争地域に行くことは海外派兵となり憲法違反となる。それをするには国会の承認がいるとか。またトルコ航空の乗員は救援機に乗務することを全員が志願したのに、日本航空は乗員の安全が保証出来ないと言って断った事など、たまたま和歌山県串本町の人達が昔トルコの人を助けた縁と絆もあり無事救出された。もし何百人もの邦人が死んでいたらどうなっていたのだろうか。マスコミはどのような非難を政府に浴びせたのだろうか?
 今世界は混とんとして、テロ等も頻発しており、国際貢献や仕事などで海外に暮らす在留邦人も多くいる、必ずこの様な場面が出てくるのではないかと心配する。
今年安保関連法案が成立し今後は自衛隊機が救出に行けるのではないだろうか。
もちろんその様なことが起こらない事を願うだけである。
日本人の良い性格等が表現されており本当に良い映画であった。

2015年12月07日

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