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01/29 『ルネサンス Vol 21』を読んで
01/11 2025年から2026年へ
12/23 『潜在ケアマネ12万5000人』の見出しに驚く
12/04 私もほっこり
11/24 栗原小・中学校卒業 傘寿同窓会
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

『ルネサンス Vol 21』を読んで

 ダイレクト出版の「ルネサンス Vol 21 (2026.1.16初版発行)」を先日発売と同時に購入した。「ルネサンス」は1年に1〜3回ほど発行されているオピニオン誌で、Vol 1巻から愛読をしている。
 今回のルネサンスのテーマは「奪われるニッポン 食・医・薬・地震・カネ 巨大利権から命と財産を守る30の方法」である。
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 目次の後の前書きには
「奪われるニッポン」今、何が私たちの命と未来を犯しているのか?
私たちは日々、「安心して生きている」と思い込んでいる。 けれど、静かに、しかし確実に命・健康・生活基盤をむしばむ構造がこの国のすぐ足元で進んでいることに気づいているだろうか。
今回の特集「奪われるニッポン」は、そうした“ 見えない危機を”可視化するための試みである。扱うテーマは、食・医・薬・地震・カネ。いずれも暮らしと切り離せない領域であるにもかかわらず、国民の知らぬところで制度改変や利権構造が積み重なり、結果として「命が削られる」事態が起きている。しかもその多くは、表向きの「安全」「発展」「合理化」といった名目の裏側で勧められてきた。では、いったい何が、“奪われて”きたのか。前編の第一特集では、5名の専門家がそれぞれの分野から、現実に起きている構造的危機を明らかにしている。
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そして後編の第二特集では、同じ5つの領域について、“奪われた物をどう取り戻すか”“生活と命をどう守るか”という実践的な方法を提示していく。本冊子全体で、危機の構造と解決の道筋を立体的に描き出す構成である。』とあった。
 どのテーマも読むほどに驚くことばかりであった。
中でも特に驚いたのは第2特集「守る」編の5番目「カネ」の中に「まさかの税金に騙されないための大人の知識」(三木義一 弁護士 青山学院大学 名誉教授 元学長)の中に議員だけが救われる国会特権という“非課税天国”の項目中に書いてあった。
丁度、2月16日から令和7年の確定申告が始まる。そのための資料の収集をしている最中であり、特に驚いた記事である。
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引用させてもらうと
 『政治家は清廉潔白であるべきだと信じたい人は多いだろう。だが制度の実態を見ると、驚くほどの特権構造が隠れている。国会議員の歳費(月額129万4000円)は法律で定められている。これに加えて、旧文通費にあたる「調査研究広報滞在費」100万円が支給される。非課税である。さらに、会派ごとに支給される立法事務費は議員一人当たり月65万円。秘書3人分の給与は国が負担し、地元との往復には無料の航空券が支給される。これらを合計すれば一人当たり年間で1億円規模の支出となる。ところが課税対象は歳費だけ。つまり所得税を払うのは全体のごく一部に過ぎない。一般人が1億円の所得を得れば、約4割が税金で消える。だが議員の実質的な負担率は、一般の納税者よりはるかに低い。私たちが1円単位で税金を取られている一方で、政治家は「税金で暮らし、税金を免れる」立場にいるのだ。』と書いてあった。
 この文章を読んだとき思い出したのが2005年9月に行われた第44回衆議院議員総選挙で比例南関東ブロックから35位の出馬で当選した、所謂小泉チルドレンの杉村太蔵(26歳)氏の言葉である。「真っ先に調べたのは国会議員の給料、2500万円ですよ」、「念願のBMWが買える」などの自由奔放な発言を連発して物議をかもした。その時、国会議員の収入はすごいなと思った。
続いて記事を引用すると
 『こうした特権は法律により裏付けられている。昭和22年制定の「国会議員の歳費、旅費及び手当などに関する法律」には、「調査研究広報滞在費については租税その他の公課を課すことができない」と明記されている。要するに、法的に“非課税の聖域”なのだ。
さらに問題なのは、政治家が自らこの制度を改正できる立場にあるということだ。改正は議員同士の協議で行われる。つまり、国民が直接関与できない。自分たちの待遇を自分たちで決める。これほど甘い制度があるだろうか。しかも政党交付金までが存在する。これは政治献金の透明化を目的に1995年に導入されたが、実態は「税金による政治資金供給」である。国民一人あたり年間約250円、総額315億3600万円以上が政党に配られ、党勢に応じて分配される。議員一人当たりに換算すれば約4,000万円規模になる。
 政党は法人格を持つ。だが驚くべきことに法人税をほとんど払っていない。政治団体は「公益法人」と同じ扱いにされ、さまざまな収入があっても原則非課税だ。パーティー開催も出版も、全て“公益活動”として免税扱い。税金をもらうために法人になり、法人であるのに法人税を払わない。これほど都合の良い構造はない。
 わたしはこの構造を「二重の聖域」と呼んでいる。国会議員個人が非課税の手当で潤い、政党という法人も非課税で蓄える。二重の非課税が、政治とカネの腐敗を温存してきた。しかもこの制度は、政治家の「世襲」を支える装置にもなっている。政治資金団体を活用すれば、相続税をほとんど払わずに資金と地盤を次世代に継承できる。故小渕恵三元首相の例が象徴的だ。政治団体が持つ資産は「政治活動のためのもの」として非課税扱いになり、娘の小渕優子氏が政治家を継いだためそのまま使える。この仕組みが世襲議員を再生産してきた。税制の歪みは、政治家自身がつくり、守り続けてきたものだ。私はこの問題を講義でも必ず取り上げる。「政治家が得をし、あなたが損をする」構造を理解しなければ、私たちは永遠に、“納税の奴隷”であり続ける。』 引用ここまで。
昔は国事に奔走して家産を失い、残るは井戸と塀ばかりという「井戸塀代議士」という言葉があったがこの文章を読む限り現代にはないのであろう。
現在第51回衆議院議員選挙が公示され2月8日投開票であるが、各政党・各候補者の人達は消費税廃止等を訴えているが、ここに書いてある自分たちの特権を返上する様な
意見はない。残念である。
 さらにこの記事の続きにはその他、『「みんなで払う」は嘘 消費税の”公平“ という幻想』 『社会保険料という”第二の税金“知らぬ間に奪われる』 『紙の呪い、印紙税 紙の時代の遺物』と題するオピニオンが掲載されていたが、どれも新しい視点からのオピニオンで面白かった。
 最後にまとめとして「命・生活を守るための“30の実践策”」が掲載されていた。
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 今号の特集では、各先生方から「食」「医」「薬」「地震」「カネ」の5つの領域で“命を奪う仕組み”と“守る方法”をご教授いただいてきた。ここでは、第1集の回答編ともいうべき第2集の記事をもとに、5領域*6項目の「実践策」を提案したいと有った。
 新聞・ラジオ・TVなどのオールド・メデイアだけに頼っていたら、「トンデモナイ」ことになる。常に視野を広げるようにしなくてはと思った。

2026年01月29日

2025年から2026年へ

 今回の正月休みは12月29日から1月4日までの7日間であった。旅行などの予定も無く部屋の片付けをした後は読書三昧であった。
 最近、日本では殺人事件やオレオレ詐欺などが多発しており、昔はそのような事件はほとんど無かった。今、日本国民の心が荒んでいるとしか思えない。現在の教育が間違っているのか、親が子供に善悪の躾をしていないのか?解らない。
 それもあって何故日本人の心が荒んだのか考えると、GHQにより占領されそれまで日本人の心を形成してきた多くの良書が焚書され、しかも教育勅語も廃止され昔の精神が途切れてしまっているのではないかと思っていた。その焚書の内、昔の日本人の心を理解出来そうな復刻された本を購入していたので読んだ。
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 「我が日本学」中山忠直著(昭和14年12月) 「素描 祖国の歴史 附 演伎小史」清水三男著(昭和18年2月14日) 「葉隠れ武士道」松波治カ(昭和17年9月20日) 「神道と日本文化」清原貞雄(大正15年3月)を読んだ。1回の読書ではまだ理解出来ないところがあり、また機会を見つけて読み直ししたい。
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その他「なぜ私がワクチンを疑うのか」ロバート・F・ケネディ・ジュニア ブライアン・フッカー、林千勝解説(2025年10月10日発行)、月間雑誌「致知2月号」を読んだ。
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 1月1日は朝4:45に起床いつものように7kmのウオーキングをしたあとベランダに国旗を取り付け消防署の岸壁まで行って初日の出を拝む。昼過ぎに次男一家が新年の挨拶に来たので昼ご飯を一緒に食べながらサンフレッチェ広島レジーナとINAC神戸との試合をTVで観戦。見事サンフレッチェ広島レジーナが2:1で勝って皇后杯を手にする。
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 その後年賀状のチェックをしたところ二人出していない人があり急いで書いて本局まで歩いて出しに行く。正月番組はほとんど見なくて本を読む。
 2日は朝から箱根駅伝をTV観戦。5区箱根の山登りで青学の黒田朝日選手が驚異の走りで1位の早稲田を抜いて往路優勝を果たす。本当に素晴らしかった。明日朝のウオーキングのため10時過ぎには床につき寝る。正月だからと言って夜更かしなどしない健全な生活リズムである。
 3日も箱根駅伝を観る。青学の8区は世羅高校出身の塩出翔太君で尾道市出身でありしかも私の通った栗原中学の後輩である。応援に熱が入る。区間新記録の見事な走りをした。
平穏な正月三が日が終わろうとしていたところ、とんでもないニュースが飛び込んできた。米国が南米の「ベネズエラ大統領を拘束」したとのこと。
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 4日朝の朝刊によると『トランプ大統領は3日、ベネズエラへの大規模な攻撃を成功裏に実施し、反米左派マドゥロ大統領と妻を拘束したと自信の交流サイト(SNS)で発表した。首都カラカスで3日未明(日本時間3日午後)複数回の爆発があった。外国の元首を拘束するのはきわめて異例。近隣諸国などは米国を批判した。地域情勢が一層緊張するのは必至だ。』と出ていた。
これに関して多くの国や日本のTVなどでは国際法違反だという論調がほとんどであった。
 ところで私は国際政治学者の藤井嚴喜氏が主宰する有料のオンライン情報サービス「ワールド・フォーキャスト」を購入している。毎月定期的に(月3回配信、時に臨時配信あり)国際情勢・世界経済・国内の政治・経済などの動きを解説してもらっている。ここではTVや新聞などのオ−ルドメデイア等が報道しない事などもあり正しく世の中の動きを知ることが出来る。
 1月6日に配信された上旬号は今回のベネズエラの一連の流れについて解説されていた。それによると米国は国内に入ってくる麻薬により毎年10万人の人が亡くなっている。これは現在のアヘン戦争であるとトランプ大統領は考えており、そのため中国から入ってくる合成麻薬フェンタニルをアメリカに密輸をしないように習近平に掛け合ったりしているニュースが流れていた。このフェンタニルに関しては中国から日本の名古屋港経由でアメリカに輸出されていた。7月に一部関係者は逮捕されている。そのほかに南米コロンビアで製造されるコカインがベネズエラ経由でアメリカに密輸されていた。それをマドゥロ大統領が率先して行っていたとされる。そのためトランプ大統領はベネズエラをテロ国家と見なしその親分である大統領を拘束したとのこと。もちろん中国への威圧も有る。
 さらにベネズエラの石油産業はかってアメリカ資本との共同事業として運営されていたが1999年チャベス政権が国有化を宣言しアメリカを追い出したことも関係していると思われる。
 今回のアメリカの行動に対し国家主権の侵害だ、国際法違反だという声が上がるがそもそも国際法とは何になのだろう。2001年9月11日イスラム過激派アルカイーダ指導者のウサーマ・ビン・ラディンによってアメリカ同時多発テロ事件が引き起こされたが、彼を10年間追い続けてパキスタン国内で2011年5月2日にアメリカ軍によって殺害した。この件に対して他国で軍事行動を起こしたことに世間は国際法違反だとは言わなかった。また中国がフィリピン近くのスカボロー礁等を埋め立てて軍事基地を造ったことに対しフィリピンがオランダ・ハーグの常設仲裁判所に訴えたところ「国際法上の法的根拠がなく、国際法に違反する」と判決がでたにもかかわらず中国は素知らぬ顔で現在に至っている。その中国がこの度のアメリカの行動を国際法違反といのは可笑しい気がする。
 もっとも戦後の東京裁判において、戦争中になかった法律「平和に対する罪」・「人道に対する罪」を裁判が始まる前に急遽造りその法律でA級戦犯として裁いた。この行為は明らかに国際法違反だとしてインドのパール判事が反対意見を述べたが日本は裁かれその判決に従った。国際法とは言った何なのだろう。破るためにあるのか?
 ところで日本は北朝鮮に横田めぐみさん(拉致されて48年)など多数の人が拉致されており、政府は返すように話しているが全く相手にされない。もし自衛隊がアメリカの様に北朝鮮に攻め込んで金正恩や彼の娘を拘束したりした場合、アメリカを国際法違反というTVのコメンターなどはやはり日本を国際法違反というのであろうか?

2026年01月11日

『潜在ケアマネ12万5000人』の見出しに驚く

 2025年問題「団塊の世代全員が75才を迎え、後期高齢者になる」と言われた2025年もまもなく終わろうとしている。そんな折り12月21日の中国新聞1面トップに「潜在ケアマネ12万5000人 4割従事せず 活用へ施策も」と題した記事が掲載されていた。わたしは団塊の世代でありこれからは介護支援を受ける必要が出てくるであろう。その時ケアマネさんがいなければ要介護度も決めてもらえないし、サービスプランも立ててもらえなくなる。大変なことだ。記事では地域により要介護の人のケアプランを造るのがやっとで、要支援の人のプランまで手が回わらないという事案も書かれていた。
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 ところで私は、平成12年にケアマネの資格を取得した。当時尾道市では医師会のK会長が介護保険の導入に熱心で、何度も講習会などを行い「尾道方式」と呼ばれる流れを作られた。そのせいもあり私は平成12年、広島県が行った2回目の試験を受験し無事合格した。免許の番号は110番台であり、正に先駆者の一団に属していた。当時尾道市歯科医師会ではケアマネの資格を持っているのは私一人であった。今はどうなのか判らないがひょっとしたらやはり私一人かも知れない。
合格後も研修会などに参加したりしていたが、実際問題として「さいだ歯科医院」で一人歯科医師として患者を診療しながらケアマネの仕事はとても片手間に出来る代物では無い。結局ケアマネとしての仕事に従事したことが無く、5年ごとの免許更新もしていない。その為今回の潜在12万5000人の中にはカウントされていない。ただ5年ごとの更新せずに期限が切れたとしても、法定研修を受講すれば免許は回復するとのこと。残念ながら80才を目の前にしてたとえ私が今更ケアマネに復帰してもどれだけ役に立てるか判らない。せいぜい自分が介護認定を受ける時に少し役立つかも知れない。
 しかしケアマネの資格を取得したことで、平成12年12月から平成19年3月まで「尾道市介護認定審査委員」として多くの要介護者の認定に携わった。これは良い経験となり、ケアマネとしての資格を役立たせることが出来た。また母親が介護認定を受けるとき母親のケアマネさんと色々話しながらサービスを決めることが出来た。
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 新聞記事によると私のように期限が切れた人を除き有効な資格を持つ人は全国で計31万1千人でその約4割が従事していない。『ケアマネ従事者は2018年度の約19万人から減少傾向に転じ23年度は18万5千人で、このうち60歳以上が3割を占めた。一方全国の65歳以上の高齢者は増え続け43年には現在と比べ約1割増しの3,953万人に上りピークを迎えると予測される。介護需要が 高まるのは必至である。潜在ケアマネが復職を尻込みする理由として、賃金の低さがあり、ケアマネの24年の月額給与は平均約34万5千円で、全産業平均に比べ約4万円低かった。業務面では本来の仕事を超えた「シャドーワーク」の負担が問題化。ごみ出しや買い物支援など要介護者の世話に追われる人が多い』と書いてあった。
 行政はこういう状況を真摯に受け止め、ケアマネ従事者の復職を含めて人材確保に対策をとっていただきたい。来年度予算で介護報酬の見直しなどが行われる様であるが高市総理には是非とも積極的な施策をお願いしたい。

2025年12月23日

私もほっこり

 11月10日に「25年秋の収穫」と題してしてブログをアップした。その中で「今年は柿が大豊作でご近所様や従業員に持って帰ってもらうと同時に『御自由にお持ち帰りください』と張り紙をしてコンテナに入れて、ビニール袋も用意して待合室に出した。10月21日から11月11日までの間、何回か補充しながら置いていた。結構な人気でほとんどはけた』と書いた。
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 お持ち帰りいただいた多くの患者様の中で定期的に来院されているおひとりがこのことを中国新聞に投稿された。その投稿文「歯科で柿もらいほっこり」と題した投稿文が11月28日の「広場」覧に掲載された。その日の朝、私は新聞をさっと見ていたが気がつかなかった。帰宅したら家内がにこにこしながらお父さん柿のことが載っているよと言うので早速読ませていただいた。
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 『皮をむいて食卓に出し、おいしくいただいている。色が鮮やかで甘い。「歯医者に行って柿をいただけるなんて最高。2年前に亡くなったお母さんは柿が好きだったよね」などと夫と話しながら食べている』と書いてあった。ご夫婦の団らんが出来しかも亡くなられたお母様を偲ばれて良かったなと思った。また最後に「何でも美味しく食べられる歯を大切にしたいとおもった」と書かれていて私はぐっときて嬉しくなった。
 というのも私は今年11月6日に開業39周年迎えた。開業した頃は日本全国、虫歯の大洪水時代であった。当時、我々歯科医師は自分たちのことを「歯大工」と揶揄していた。治しても、治してもまた虫歯が出来て来院される。
 私は本来、歯科医師は歯を治療することがメインではなく、虫歯にならないようにまた歯周病に成らないようにする予防が本業だと思っている。
 このことでかって私が経験をした話をすると、開業間もない頃、一応虫歯の治療が終わり、今度は虫歯にならないようにと思い歯磨き指導でお呼びしたことがある。そして歯磨き指導をはじめたところ患者様から「今日は残業を断って來たのに、なんで歯磨きなのだ」とお叱りを受けたことがある。その時はかなりショックを受けたが最近では予防が大事だと言うことが理解されだし、スムーズにメンテナンスなどを受け入れてくださり安心して指導などが出来る。
 中国新聞に投稿された患者様も歯の大事さを理解されておられ本当に良かったと嬉しく思いほっこりした。

2025年12月04日

栗原小・中学校卒業 傘寿同窓会

 さる11月23日に昭和34年栗原小学校・37年栗原中学校卒業の傘寿同窓会が尾道国際ホテルで開かれた。十年前(2017.11.22)に古希の同窓会をして以来の開催であった。
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 中学を卒業して今年で63年になるが今までに今回を含めて8回目の同窓会で有った。
私は昭和61年1月2日に行われた3回目の同窓会から参加した。というのも高校卒業後、父親の転勤などで実家も尾道を離れていたが、縁あって昭和59年に尾道に帰ってきた。
 ところで1回目から7回目まではM君が名簿作りを始め何か何まで中心になってまとめてくれていた。しかし彼が大病を患い今回は出来ないし、参加も適わないかも知れないと言うことで、H君とIさん、Uさん達が「傘寿の同窓会」を開催しなくてはと思い立ち、私にも参加するように声がけをしてくれてお手伝いをさせて頂くことにした。
2月2日に準備委員会を4人で立ち上げ、開催日を何時にするか、どこでするか、案内はいつ頃出すか、ご招待をする恩師をどうするかなどをおよそのことを話し合った。そして第二回の会合を8月17日に行った。その間にH君があれこれ準備をしてくれ、途中経過はLINEで逐次報告を受け4人で内容を共有していた。往復はがき発送者の確認,はがきの文面チェック、決定会場の視察、会費決定などを行った。11月2日に第三回目の打ち合わせを行い、最終出席者の確認、当日の進行プログラムなどを決めた。私はほとんど顔を出すだけで後の3人が良くやってくれて万全の体制で当日を迎えることが出来た。
 出席できないかも知れないと言っていたM君も出席してくれて同期生は計33名が参集した。恩師の先生方は小学校の恩師N先生(90歳)、中学校の恩師Y先生(95歳)、K先生(91歳)のお三方が出席された。お三方ともすこぶる元気で背筋も伸びてぴりっとしておられ、私たちより老人くさくなく,むしろ私たちの方が老人くさかった。私自身先生方の年齢までは元気で居たいなと思った。
 一目見て誰かと名前が出て来る人もいれば、出てこない人は名札を見て思い出す人も居て時の流れを感じた。
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 12時に全員で集合写真を撮影、その後、私が開会の挨拶をして和やかに始まった。恩師のお話を聞きながら当時のことを思い出したりした。またその後、同級生に1分間スピーチをしてもらったがとても1分では終わらない同級生が多くいた。
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 同級生の話の多くは病気になったとか、病気を今現在抱えているとか、癌の手術をしたとか,膝関節を人工関節にしたとか,パーキンソン病になって投薬をしているとか,中には近々連れ合いを無くしたとか、10年前の古希の同窓会では聞いたことが無かった話題で、その大半は病気の話が占めており正に病気披露パーティの感があった。和やかに話が出来たし、料理も美味しかった。
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 最後は栗原中学校より校歌のCDを借りていたのでそれを流しながら皆で校歌を歌って終わった。その後8階のラウンジでコヒーを飲みながら二次会があり15:30に終了し散開した。
 私たち幹事4人はホテル代、先生へのお土産代、お車代の精算をしてお開きとした。

2025年11月24日

2025年秋の収穫

 11月7日は24節気の立冬で有った。今年は夏が過ぎても遅くまで暑く、秋は来ないのではと思っていたがやっと最近秋らしくなってきたとたん寒さも感じるようになった。
 この時期になるとそろそろ家庭菜園の農作業も終わりに近づく。今年は9月に腎がんの手術をしたりしてあまり畑にかまっておれなかった。10月にサツマイモの収穫をしたが2つの畝の内一つはまあまあの出来であったがもう1つの畝はその半分くらいも出来てなかった。同じようにしたはずなのにどうしてなのか分からない。
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 今年一番驚いたのは「次郎柿」がものすごく成ってゆうに300個以上来たと思う。ただし大きさは小さい物がほとんどであった。いつものように途中、実を摘果しかった。昨年はほとんどならなくて20個を収穫したにとどまっていた。
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 今年は柿のあたり年なのかも知れない。それが証拠に近所の人や患者様などから「今年はすごくなってどうしようかと思い悩んでいる」とか。私もご近所様や従業員に持って帰ってもらうと同時に「御自由にお持ち帰りください」と張り紙をしてコンテナに入れて、ビニール袋も用意して待合室に出した。2回ほど新しくして入れ替えて出したが結構人気でほぼ全数はけた。
また沖縄の孫達にもさつまいもと柿を送って喜んでもらった。
 二番目に驚いたのは6月の終わりから7月の始めにキュウリの収穫が終わった頃からカボチャの芽が2本のキュウリの根っこから出てきた。2023年6月にブログでUPした「すわ新種か?」で書いたことがあるがキュウリの苗には異なる2つの近交系(キュウリとカボチャ)を交配したものが売られている。今年の苗は正にその苗であったのだろう。
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 そしてこの苗はキュウリの元気が無いときカボチャの性質が現れやすいとのこと。2023年には途中から出てきたためキュウリの収穫は諦め抜いてしまったが、今年はキュウリが最後まで役目を果たした後だったし、せっかく出てきたので最後まで育てた。収穫して1つ食べてみたがカボチャの味は良く無かった。
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 夏野菜のナスやシシトウはそろそろ終わりである。また生姜も収穫時期に入ったが今年はさっぱりである。10個の種芋を植えたが芽を出したのは4個程度で中には今頃芽を出したのもある。やはり梅雨がほとんど無く夏も暑かったせいであろうか?
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 10月の終わりにはタマネギを90株ほど植えた。昨年までは種から植えて苗を育てていたのだが今年は9月に腎癌手術をうけたことより農作業ができなかった。種やで早生の苗を購入して植えた。来年4月の終わりから5月の始めに収穫出来るのを楽しみにしている。
 今、畑では大根が3センチ程度の太さになっている。蝶などの被害から守るためにネットでトンネルをしているがこれもそろそろ撤去しなくてはと思っている。この大根を植えるに当たって今年は大変だった。
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8月23日に畑の中と畑周りの草取りをして綺麗にしていたが癌手術の為畑のお世話ができなかった。手術後畑に行けば大根を植える場所は草だらけでまた草取りをする羽目になった。
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 やっと9月27日に種を植えた。その後11月2日に大根周りに生えた草をやっと取ったところである。
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 さらに野菜として小松菜、ほうれん草、春菊、チンゲンサイを植えておりそろそろ収穫できそうになってきた。
 これからはしばらく農作業もお休みになるが、もう頭の中では春になったら狭い家庭菜園なので連作ならないようにジャガイモをどこに植えようかと考えたりしている。


2025年11月11日

令和t7年度北部圏域ネットワーク(医療・連携連携)会議

 先日、令和7年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議が開催され出席をした。内容はまず3月に行われた令和6年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議を振り返り、内容の確認をした。
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 このときは在宅医療と介護連携として「北部圏域在宅医療の4場面に見た連携の推進」としてグループワークをして発表したが、今回その時の発表内容がまとめられ資料として提出された。
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 そのまとめの中から今回は「日常の療養支援」として、服薬管理をテーマとした内容でグループワークを行うことになった。7グループに分かれ各グループには専門職として医師又は歯科医師、保健師、薬剤師、ケアマネージャー、介護士、民生委員、ケアサービス事業者などが配置されている。
 まず検討に先立ち事例紹介がなされ、全員が3分間この事例を読み込んでからディスカッションを開始した。
事例
『75歳 男性 2年前に妻を亡くし一人暮らし。 一人娘は結婚して遠方に住み、年に1〜2回帰省する。数年前まで大工の仕事をして、近所付き合いもしている。入浴や着替え・食事などの身のまわりの事は何とか自分でしている。
買物は車を運転し近くのスーパーに総菜等を買いに行く、認知症はなく、介護保険の申請もしていない。病気は60歳ごろから、高血圧症と糖尿病の内服治療を始めた。
内服薬は朝と夕あり、妻がいたときは声かけしてくれて何とか続けられていたが、妻が亡くなってからは食事も不規則で飲み忘れる事が多い。
薬が残っているので定期検診にも行かないことが増えた。先日急に体調不良で動けなくなり困って近所の人に相談、民生委員から連絡を受け、地域包括支援センターが訪問、自宅に飲み残しの薬がたくさん残っているのを見つけた。
近所の協力でかかりつけ医に受診し、脱水症と診断され点滴をしてもらって体調は少し良くなっている。』
この事例を読み込んだあと、
@  各専門職の立場で出来そうなことをディスカションした。
妻が亡くなって食事が疎かになり高血圧症や糖尿病なのにスーパーでの総菜ばかりを食べるのはどうか病識が薄いのではないか。
薬を朝夕2回飲むのを1回で済むように薬を変更して貰う、薬に日付カレンダーをつける。
見守りをかねて配食サービスはどうか。
年齢から車での買い物は限界になるのでは、移動スーパーの利用はどうか。
今回のように体調不良を起こした時など見守りカメラの活用はどうか。
遠くの長女さんの帰省回数をもう少し増やすことはできないのか。
生活のリズムを整えるために生きがいサロンの活用、シルバーセンターへの登録など。
民生委員の訪問は75歳以上で一人暮らしなら月に4回は利用できる。
認知症もなく車も運転しているが介護保険は利用出来るのか等多くの問題点が指摘された。
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次に
A こんな支援や連携があったらいいなについてディスカッションした。
地域との繋がりとして行事に誘う。子供食堂への声かけ。シルバー料理教室の開催。
生きがいを持つ→生活リズムが整う
近隣の中で、見守りネットワークの構築→変化に気付ける。
独居や通院できない人のために行政が管理した巡回バス、安く利用。
等々。
この事例をディスカッションしながら私にとっても切実な問題を含んでいると思った。
 私と家内は現在78.5歳である。最近の会話では家内は「もし私が早く死んだらお父さんどうする、食事も作ったことはないし(ただし食後の食器や鍋の洗いはする)、洗濯機や電子レンジの使い方もよく知らないし」等と言われる。考えたことも無かったがこれから少し学習しないといけないなと思った。
 

2025年10月13日

腎癌切除の道のり PART 2

 今度の腎臓手術は2週間ほどの入院となるのでその間メールができないと困る。病院ではWi-FiがないのでiPhone を経由してインタネットにつなぐ方法としてテザリングをauと契約したがなかなかうまく繋がらない。ちゅピCOM の人に来てもっていろいろしてもらい何とか目途が立つ。
 なお「国立がん研究センター情報サービス」が提供している小冊子に寄れば2019年に日本全国で腎がん(腎盂がんは含みません)と診断されたのは21,347例(人)である。
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 9月10日、 家内の妹が私と家内をJA尾道総合病院(以下JA尾総)に送くってくれ、10時に到着。入院用荷物を入院センターに預け、麻酔科と歯科の入院前受診をする。病室はAタイプを希望していたが、空きがなくCタイプだと言われる。これだと前立腺の生検の時の1日入院と同じになりとても我慢できそうにない。それで一部屋しかない特別室でも構わないことを申し出たところ再度調整すると言われた。その結果最初に申し込んだAタイプになった。
 病院の中のレストランで昼食をとり13時に入院センターに行き荷物を受け取り病室に案内してもらう。部屋は広く、使い勝手がよくPCも病室内で使用可能であった
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窓からは尾道水道や向島、因島大橋鉄塔が見え申し分ない。
 入院して直ぐに手術場の看護師さんが来て明日の手術のことを説明してくれたが、なんと昔から「さいだ歯科医院」に来てくれている患者さんでそのお子様達も私の患者さんで有った。家内は15時のバスにて帰る。
 夕方口腔外科の浜名先生と石田先生がご挨拶に来られた。申し訳なくありがたかった。
 9月11日、 いよいよ手術日で朝から食事は無く代わりに180mlの飲み物が手渡され飲む。手術は12:45からとのこと。私の前の手術が長引くと少し遅れるとのこと。しかしほぼ予定通り手術室に入り手際よく麻酔がかけられる。まず背中の腰のあたりに硬膜外麻酔をされる、その後全身麻酔を掛けられたのだろうが、全く記憶にない。私の手術は後腹膜鏡下腎部分切除術で進められた。
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 16時半頃目覚めたが集中治療室にいて家内と一言、二言、言葉を交わしたが何を話したのか覚えていない。うとうとするが眠れない、何度か睡眠薬を点滴してもらったがダメで3時ころから痰が出だし1分おき位に痰を出す。全身麻酔のため管を喉に挿管したことによるものだ。喉がカラカラだったが水は飲めない。看護師さんにお願いしてストローで水を含みうがいをさせてもらう。それでもなお痰が出る。
 9月12日、 朝五時ころから目覚めてしまう。少しせん妄が出たのではと思った。朝8時ころ歯科衛生士さんが来て口の中をひと通り見て周術期の介入は終わりといわれた。またICUの看護師さんが体温、血圧を測りに来た。彼女は私が栗原中学校で歯科校医をしていたとき私に歯の検診をして貰ったと言っていた。驚く。
 9時に主治医の柴村先生が来て摘出したものは悪性の様であるが詳細は病理組織検査の結果待ちになるとのこと。やっと水分を取ることが許可された。ストローで飲む。ほっとした気分になる、それから4〜5時間色々の手当てをしてもらう。全身を拭いてもらったり、点滴の針を2本ほど抜いてもらったりした。またリハビリと称して点滴のついた器具を持ってICUの部屋を歩いてみる。少しよろよろとして心もとない。
 14時に一般病棟に移動した。ひたすらベットに横になっていた。家内が来たとき昨日摘出した組織を写真に撮っていたので見せてくれた。家内によると丁度、鶏の肝のように見えたとか。
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 写真の摘出物の分割面を見ると下の方は正常組織であるが上方は組織がドロッとしていて、私でもこれは悪性だなと判断できる代物であった。先生が言われたことに納得。
 9月13日、 6時前に目が覚める夜中に看護師さんが来て尿パックやドレーンパックを空にしてくれた時、目が覚めたがすぐまた眠れた。午後足の浮腫を抑えるために履いていたきつい靴下を脱ぐことができた。また尿パックも除去され自分の「ちんちん」で排尿できるようになった。そして夜には紙おむつが取れパンツに履き替えることができた。
 9月14日、 5時半頃目覚める。8時過ぎ朝食後、点滴スタンドを押しながら5階の病棟を3周歩いた。10時過ぎに最後の点滴が始まる。11時半頃主治医の柴村先生が病棟に回診してくれて背中の硬膜麻酔の注射針と管を取ってくれ、さらにドレーン用管の抜去をしてくれた。12時頃看護師さんが来て点滴を終了し針を抜いてくれた。これで体から全てのチューブが取れて身軽になる。ほっとする。移動も簡単だし、ベットに横になることも、寝返りも楽にできる、ただしまだ腹に力が入ると少し痛い。午後義妹夫婦がお見舞いに来てくれる。今後の見通しを主治医の柴村先生に聞くと18日の血液検査次第とのこと。早く良くなるといいなと思う。
 9月15日、 昨夜右足を持ち上げたら足の外側の筋肉が痛く、夜中見回りに来た看護師さんに事情を話し経皮鎮痛消炎剤のテープを出してもらい右足の痛い部分に貼った。起床時少し痛みが治まっていた。昼食後シャワーをする。手術日以来のシャワーで鏡を見ると随分顔が黒ずんでいた。体力回復のため5階病棟フロアーを歩く。5階フロアーは中央部に共同トイレやシャワー室、処置室、ナースステイションがあり、その北と南側に病室がある。スマフォを持って歩くとおおよそ1周が200mである。2.3q程歩いた。また病棟の東西中央部にはディルームがあり、電話をかけたり、椅子に座って本を読んだり出来る。
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 そして歩いている時に昔からの「さいだ歯科医院」の患者さんにばったり出会った。聞けば脳梗塞で1か月近く入院しているとのこと。かなり回復されている様であった。お互い頑張ろうと励ましあった。
 9月16日、 昨夜も2時間おきくらいに目覚めその都度トイレに行く。そして痰がそのたびに出る。そこで先生に話し、咳止めの薬を処方してもらう。夕食後から服用開始。
 また朝・昼・夕方と3回に分けて病棟のフロアーを15周した。入院以来、家内は毎日様子を見に来てくれてナシ・ブドウ・桃などの果物を差し入れてくれ有難さが染みる。
 9月17日、 昨夜も2時間おきに目が覚める。朝、主治医の柴村先生に話をして膀胱を広げる薬を出してもらう。寝る前1錠服用するとのこと。思うに数日間導尿で膀胱の機能が働かなかったせいではなかろうか?
看護師さんが来て傷口に貼ってあったフイルムを剝がしてくれた。その下にあるテープは自然に剝がれるの待ってくださいとのこと。腹帯もしなくてよいと言われたが用心の為今日は巻いておくことした。
病院食にも慣れた。この程度なら太り過ぎにならないのであろう。
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 9月18日、 先週の手術から8日目である。朝5時45分に看護師が来て採血をしてくれた。9時前に主治医の柴村先生がきて血液検査の結果問題ない。明日か明後日に退院をしてもよいが如何するかと言われ、家のほうが落ち着くので明日したいと申し出た。その後病棟師長様が来て退院の手続きを始めることを伝えられた。退院は明日の朝10時と決まった。
いよいよこの窓からの眺めともお別れだ。15日には綺麗な夕焼け、17日には雷の光りが雲の間から見えた。
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 9月19日、 家内が9時半頃迎えに来てくれた。そして栄養士さんが病室に来て退院後の私の食生活について色々家内に説明をしてくれた。特に塩分については薄味にすること、炭水化物やタンパク質などもバランス良く食べさせることなど事細かに話してくれた。また次回10月10日の診察の予約を取る。このとき血液検査と11日に摘出した組織の病理検査結果を説明してくれるとのこと。治療代、入院費などを支払い無事10時過ぎに病院を後にした。帰って自室に入ると本当にほっとした。無事帰れて良かった。
 なお冒頭に書いた「国立がん研究センター情報サービス」が提供している小冊子に寄れば『一般的に腎細胞がんは、治療後10年以上経過してからも再発を起こすことがあります。病院への定期通院が終わった後も、健康管理の意味も含めて、健康診断や人間ドックなどを受けましょう』とあった。

2025年09月21日

腎癌切除の道のり PART 1

 久しぶりにブログをアップします。このブランクの間、人生で初めての経験をして何かと忙しかった。
現在日本では二人に一人が癌になると言われ年間100万人が癌に侵されている
毎年三原医師会病院でPET-CT検査を行っている。家内からは放射線被ばく量が増えるので間隔をあけて受診したらと何時も言われる。昨年ブログにも書いたように大腸癌の疑いと診断され市内のHクリニックで大腸内視鏡検査をしたが異常なく良かった。
 今年は6月16日(金)にPET―CT検査を行った。その結果が6月20日に送られてきた。結果は3か所癌の疑いがあるというものであった。
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一つは脳下垂体に集積がある。二つ目は前立腺に三つ目は腎臓にがんの疑いがあると書いてあった。いずれも指摘されたところにはまったく異常を感じない。
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 一番驚いたのは脳に異常ということでびっくり、家内は以前から福山の太田記念病院創始者 太田浩右先生がされている太田トホーニャ診療所に掛かっていたのでアポイントもなく6月21日(土)に行く。事情を話したら診察してくださり。即、太田記念病院で脳のMRIを撮り画像を受け取り持って行ったところ来週あたりに結果を連絡してくれとのことで帰る。ところが午後は休診なので先生の息子さんと一緒に画像解析をしたところ特に異常はなかったと連絡をいただきほっとした。これで三つの内一件落着。夜ワインを飲んだ。
 前立腺と腎臓については6月26日にいつも掛かっているF泌尿器クリニックに、PET―CTの結果を持って受診した。PSA検査のため採血された。もっと精密な検査が必要ということでJA尾道総合病院(以下JA尾総)で7月14日と7月18日にCTとMRI検査を行うように予約を取ってもらう。ドイツ旅行から帰ってきて紹介状を受け取ることにした。
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翌日、前の日に行った血液検査の結果を聞いたところPSAは2.05で今までにない良い結果で、前立線癌の疑いは無いようであったが念のため7月18日にMRI検査を受けることにした。
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 7月14日にJA尾総で腎臓の精密検査としてCT検査を受ける。1時間待って紹介元のFクリニックへの返書とCT画像のCDを持ってすぐにFクリニックに行き返書の内容と画像を見せてもらう。確かに右背中に円形のものがあるが今日の検査では悪性か良性かは判断できないとのこと。その後どうするかの話はなかった、18日に前立腺のMRIを取りに行くのでどうしたものか聴こうと思う。
 7月18日、JA尾総で前立腺のMRI検査をする。終わって報告書を持ってFクリンニックに行き結果説明を受けた。前立腺が内腺肥大しており右の内腺と外腺の移行領域及び左の外腺部に怪しい像がある。生検(針生検)をする必要があるとかで、JA尾総に生検前受診の予約を7月25日9:00に取ってもらう。それにより生検日が決まるとのこと。その時は1泊する必要があるとのこと。この年になると色々出てくるものだ、成るようにしか成らないのだから腰を据えてかからなくては。
 7月25日、 家内と一緒に出掛け、JA尾総泌尿器科で診てもらう。結局前立腺に対しては8月1日に血液検査を行い8月12日入院・生検となる。その後は結果次第である。
また腎臓についてはエコー検査でも白黒はつかないが、癌の確立が高いようである。先生からは半年後に検査をして様子を見てもよいと言われたが、癌ならその間に大きくなったり進行転移すると困るので思い切って手術をすることにした。9月10日入院、11日手術、2週間入院ときまった。
 8月1日、 家内とJA尾道総合病院に行き術前検査と入院の手続きをする。1日だけの入院なのでパーテーション付きの4人部屋とした、9月の手術の時は個室にしようと思う。
8月12日、 9時前に家内に連れられてJA尾総で入院手続きをし、11時前に手術室に入り脊椎麻酔してもらい前立腺から12か所組織を取り出して貰う、痛くはないが取り出すときバチン、バチンと大きな音がしていた。
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30分程で終わり後は顕微鏡による病理検査だが結果は8月29日に判るとのこと。病室に戻るが麻酔がよく効いていて左脚の方は左半身麻痺の感覚。ピクリとも動かせない、右足で左足を触ると大根のような感覚である。
19時過ぎまでお尻が麻痺をしていた。また尿は出そうな感覚があったがさっぱり出ない。2回導尿をしてもらう。20時半頃寝ることにした。23時半頃、隣の人が痛みを訴えて看護師が来て色々処置をしていて目が覚める。トイレに行くが尿は血液交じりでちょろちょろしか出ない。その後横になりうとうとしたが3時前に目が覚めてその後は眠れなかった。
 8月13日、 家内が迎えに来て退院する。当分の間の生活について説明を受ける。1週間はアルコールを控えるように言われた。また8月29日の腎臓手術前検査のことについて説明を受ける。
 8月29日、 JA尾総に家内と一緒に行き前立腺の生検結果を聞く。悪性ではなかった。良かった。3か月に一度くらいの頻度で泌尿器科に行きPSA検査をするように言われた。9月11日の腎臓手術の術前検査をして帰る。夜は前立腺も癌でなかったことからワインで乾杯。


2025年09月21日

初めてのドイツ旅行 PART 10

 今日は7月8日である。ホテル出発が10:45なのでゆっくり寝て7時頃に起床、朝食後ホテル裏のスーパー「togt」に行き家内が自分用にライ麦のビスケットを購入。他にお土産としてアスパラスープやミルクチョコレートを購入した。ホテルに帰りパッキングをして準備完了。家内が帰りのeチケットが見当たらないと言っていたが鞄の中から出てきてやれやれ。
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 フランクフルト空港でチェックインを行う。この際、現地の日本人の女性が来て、アドバイスをしてくれた。チェックインに時間がかかった為、ラウンジは30分程度しか利用出来なかった。私はビール1杯とバナナ1本を食べた。
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 ラウンジから搭乗口に行く途中にDuty Freeのお店があったがそこで自分や嫁達に香水のオーデコロンを買ったりしたため集合時間ぎりぎりであった。
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 気温は18℃で空港に着いてから雨が一時降りだし雷も鳴ったため出発が30分遅れる。
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 シャンパン一杯飲んで後は映画を見る。「子連れじゃダメかしら」、日本映画の「はたらく細胞(2024年12月公開)」、この映画は血液の中の赤血球、白血球、リンパ球、血小板、NK細胞、マクロファージや肝臓、腎臓。肛門の働きなどがわかりやすい物語となっていて為になった。子供達や場合によっては看護学校などの教材になるかも知れないと思った。そして「黒い司法 0%からの奇跡」この映画は南部アメリカの黒人に対する差別を描いた物語でアメリカの暗部を見た感がある。最近、日本でも冤罪罪事件のやり直し裁判があり無罪を勝ち取った例がチラホラ見受けられる。
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 夕食は17:00頃から出てきた。和食を選んだがしっかりした良い夕食であった。
飛行機は丁度黒海上空を飛行している。その後3時間ほどでカスピ海を横断してアジア大陸上空に入っていた。22時過ぎに椅子を倒して寝る。
翌、7月9日の6時20分頃目覚める。飛行機はゴビ砂漠の上を飛んだようである。朝食も和食を頼んだ。結構美味しかった。
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 10:10頃羽田空港に無事到着。手荷物カウンターで預けたバッグを受け取り順次解散となった。その後ターミナル3(国際線ターミナル)からターミナル2には無料バスで移動。2階フロアーのANAカウンターでチェックインした後、3階のフロアーにあるビジネスカードで入れるラウンジに行き14時過ぎまで過ごす。アップルジュース2杯を飲む。
 飛行機は25分遅れで出発。無事広島空港に到着。正広駐車場に行き駐車料金を払おうとしたところ長期間利用していると言うことで1日分安くしてくれた。車を運転して無事18時前に我が家に帰り着く。郵便受けは新聞を停めていたにもかかわらず満杯であった。
 息子の処に無事帰り着いたことを電話したら荷物が届いているというので、お土産を届けに行き荷物を受け取る。
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 診療室の裏の家庭菜園はとんでもないことになっていた。私がいない間ほとんど雨が降らなかったようで、茄子の葉っぱやキュウリの葉っぱが枯れていた。またそこら中草だらけである。翌日水撒きに行く必要があるなと思った。
取り敢えず無事に帰れて良かったし、小さい頃から憧れていたドイツに行けて本当に良かった。
 終わり

2025年08月11日

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