当日のパーティ風景
私が広大に入学した1965年(昭和40年)にはかなり活発な活動をしており、記憶をたどると、三永の水源地に藤の花を観に行ったり、夏休みに可部の奥の柳瀬でのキャンプ、大学祭のときの「Asian Food For You 」というネーミングで留学生の出身国の料理の作り方を習い留学生たちと共に販売したこと、クリスマス会なども行った記憶がある。
1966年には中国地方や九州地区にいる留学生を広島に招待して「アジア留学生交歓会」を行った。ダンスパーティーをして資金を稼いだり企業訪問をして寄付を募ったりした。また九州大学や九州工業大学学生課に行き留学生が出席できるようにお願いしたりした。この交歓会は広島市長にも出席いただいた。K君の資料によると東南アジアからの留学生31名を含む総勢150人が参加したとある。そして日本とアジアの国の今後の有り方や交流の仕方について活発な議論が行われたと記憶している。
その後1960年代終わりの大学紛争(闘争)の最中、「どうべきあるか」と議論が高まり、結果として広島大学ユネスコ研究会と発展的に解消され、それも長続きはしないで自然消滅したとのこと。但し広島支部はその後も続き市民やボランティアに支えられて50周年を迎えることが出来た。本当に素晴らしいことである。