AM9:00〜PM0:45PM2:00〜PM6:20
木・日・祝日
2月の終わりに植えたじゃがいもはまだ全部芽を出していないがすこしづつ大きくなってきた。また冬の寒さでほとんど葉っぱが枯れていたゴボウの葉や人参も勢いを盛り返し大きくなったので収穫した。少し収穫時期が遅かったせいかどちらも薹が立ちかけていた。人参の中にはナメクジに食べられかけたのものや、縦に裂けたものもあったがまあまあの収穫であった。ゴボウも良く出来ていた。 収穫した人参の中に二本が絡み合ってなんともおかしな格好の人参があった。丁度人間が足を絡み会わせている様でなんとも艶めかしい感じである。 ところで畑に水をやるのに井戸水を汲み上げてやるのだが電源は使用するときだけ家からコードを引っ張ってきてポンプ動かしていた。 冬の間は農作業をしないので電源は入れずそのまま放置していたが、いざ使おうと思って電源を入れたところ動かない。冷却ファンを回してやったところ羽根車は回転しだしたのが、呼び水を入れてもまったく水が上がってこない。1時間以上悪戦苦闘をしたがどうにもならない。翌日ポンプ屋に来てみてもらったところ、羽根車の入っている鋳物製のケースが割れてそこから水が漏っているこれだと減圧にならないので水が上がってこないのだとか。 この冬は寒くてケースの中の水が凍って膨張し鋳物のケースが割れたのだとか。そういえばこの冬、診療室の水道が3日ほど凍って診療に差し障ったことがあった。ポンプ屋さんの話では同じ様なケースが今年は非常に多いとのこと。仕方なく新しいポンプを買うことにした。痛い出費である。これからは冬期の対策をしなくてはならないな。 いよいよ畑を耕すのだが、昨年秋に収穫して以来何も植えていないところは草が生え放題である。まず畑の草取り17時間かけて取った。 その後、耕耘機で耕し、肥料を入れてまた耕して畑にしていく。そこで農協にいつものように肥料を買いに行ったが営業時間が終わっていたので、ホームセンターに買いに行ったところ、たまたま肥料の袋に3.3uあたり2袋が目安と書いてあった。今迄どの程度入れたら良いのか判らず、毎回畑全体で5〜6袋程度入れていたがこの記載から言えばとても足らず雀の涙状態であった。 そこで今回は6種類の肥料を全部で45袋を購入してすき込んだ。これで少しは土が良くなるのではないだろうか? その後畝を作り、下準備は出来た。
連休にトウモロコシ、オクラ、キュウリ、なすび、トマトなど夏野菜を植えようかと思う。またサツマイモも植えなくてはと、あれこれ思い巡らしながら楽しんでいる。
2018年04月27日
昨年9月に北海道医療大学歯学部同窓会の財務担当副会長を拝命した。先日14日に理事会があり出席。当日、札幌は寒く2時過ぎホテルにチェックインした時の気温は10℃であった。ホテルの窓から見た山の上にはまだ雪が残っていた。 財務担当として予算の状況を見るとかなり厳しい状態が起きている。と言うのも、同窓会費の払い込みをする卒業生は1期〜10期生ぐらいまでは90%程度であるが、最近の卒業生は帰属意識が少なく、ここ10年くらい各期とも50%前後で推移している。しかも最近、入学する学生は定員割れを起こしており、卒業生そのものが少なく同窓会・会費収入が激減している。このままでは近い将来同窓会活動が制限されそうである。要は歯科医師国家試験の合格率を上げ定員まで入学者を増やす以外に道はなさそうである。 翌日は千歳市で開業している同級生のU君が迎えに来てくれ9ヶ月ぶりに会う。近況を語り合う。彼も早、還暦を迎えたとか。 彼の車に乗って動き出した。どうやら石狩街道を走っているのでひょっとしたら茨戸(バラト)に向かっているのかと聴くとそうだという。茨戸漕艇場は青春の詰まった思いでの場所である。 私は40年前1978年(昭和53年)に現在の北海道医療大学歯学部に1期生として入学した。大学教養部は道東の音別町に有り、大学の廻りはほとんど人家は無く原野の拡がる場所で有った。同級生達と話してボート部を立ち上げたが漕ぐべきボートは無く、来る日も来る日も柔軟体操や、ランニングで過ごしていた。2年生になって部員がアルバイトなどをして資金を貯め、白糠町の造船所で国内唯一のFRP(グラスファイバー)製のボート作って貰い校内の沼で進水式をして漕いだ、しかし船は重すぎて喫水が深く思うように進まなかった、 3年生からは専門課程が石狩郡当別町に移り、札幌漕艇協会のボートを借りて茨戸で始めて本物のボートを漕いだ。朝練や夕練を毎日のようにした。特に6月から7月、朝練をやっていると「カッコウ」が鳴き、鏡のような水面をスーとボートが進む様は素晴らしい物であった。また夏休みには北海道大学漕艇部の宿泊所を借りて1週間ほど合宿もした。結局試合に出たのは「札幌市民レガッタ」に3年生の時と4年生の時だけであった。結果は予選落ちであった。5年生になったとき大学が初めて予算を付けてくれて舵付シェルフォアを一槽買って貰い進水式と初乗りを茨戸でやった。 そんな草創期を経て今では茨戸に医療大学の合宿の出来る研修センター(艇庫)まで建築され素晴らしい環境になっていたのに驚く。艇庫の中には6槽の艇が保管されていた。 当日残念ながら我が後輩達はまだ来ていなかったが北海道大学や小樽商科大学の漕艇部の人たちが漕いでいるのをしばらく見ながら38年前の光景を思い出していた。 空港までU君に送っ て貰い、空港でラーメンを一緒に食べて別れた。 私の手元に「北海道医療大学ボート部創部15周年記念誌」(1994年・北海道医療大学ボート部OB・OG会編)が有り、帰宅して引っ張り出し読み返してみた。色々の情景がリアルに走馬燈のように巡ってきて38年前にタイムスリップした感あり。U君に感謝である。 それにしても3月11日に長野県上田市、3月27日に沖縄、そしてこの4月14日に北海道とずいぶん日本列島を移動したものである。老体はくたびれた。
2018年04月19日
翌日は息子の嫁が運転して、一番下の4歳の孫息子も連れて沖縄市にある「沖縄こどもの国」に行き象やキリンを見たり、乗り物に乗ったりと孫達は大喜びである。
途中普天間の近くを通って行くが、かって米軍人の住宅があった「キャンプ瑞慶覧西普天間住宅地」の広大な土地が日本側に返還され整地が行われていた。まだその跡地利用は決まっていないとか 最近は観光客の多くがレンタカーを利用するが、慣れない道路などのため事故をおこすことが 多いとのこと。レンタカーの後ろに「外国の方が運転中・急ブレーキ注意!」のステッカーが張ってあり日本人ドライバーが気を付けるようになっている。 4歳の孫息子は「やんちゃ」でほんとに大変。嫁は歯科医であるため息子と一緒に仕事をしながら4人の子育てで大変だし良くやっていると思う。 「イオンモール沖縄ライカム」で昼食をしたが、そこにおもちゃの「トイザらス」が出店をしている。孫息子はそこに行くと言って大騒ぎ。家には多くのおもちゃも有り、もうそれ以上は必要ないと思い無視して帰る。孫息子は正確に発音できなくて「トリザらスへ行くトリザらスへ行く」と大泣きをしながら訴えていた。それで私が「好きなだけいくら泣いても良いし、大声を出しても良いよ」と言ったら今までこのような対応をされたことが無かったのか、しばらく黙り込んでしまい、どう対応したらいいか考えてまた少し泣いたが、そのうち諦めて寝てしまう。ホテルに送って貰い少し休息をした。 夕方息子の家で食事をしたがその時は「トリザらス」を忘れてけろっとしていた。この日も結局息子は帰宅が遅くこの旅行の間で10分ほどしか口をきくことは無かった。
翌30日、帰る飛行機は15:45分発で午前中、時間的余裕があり、昨日のメンバーで沖縄市立「壺屋焼物博物館」見学して沖縄の焼物の歴史を学んだ。 そして孫達はシーサーの絵付けを体験して楽しんでいた。 今回は目一杯孫達と遊べて良かった。この次に会うときはそれぞれが更に成長しているのだろう楽しみだ。 只、沖縄から風邪を持って帰って1週間以上大変だった。
2018年04月10日
一番上の孫娘がこの春から中学生になるというのでお祝を兼ね、先日孫達の春休みを利用して会いに行く。沖縄にいるためおいそれと簡単に会うことが叶わない。年二回ぐらい会えるのが関の山である。3月27日火曜日に出かけた。 広島市上空を飛んでいるとき、太田川の流れや広島城のお堀などがしっかり見えた。 ところでこの日は天皇・皇后陛下の沖縄訪問と重なり、しかも到着時間もほぼ同じ時間帯であったせいか、空港にも多くの警官などが配置されていた。夕方ホテルの窓から下の道路を見ていると、沿道に日の丸を持った人たちが歓迎のため集まっていて、その前を菊の御紋の付いた赤い旗をつけた天皇・皇后両陛下の乗られた黒塗りの車が通過するのを見ることが出来た。沖縄でも多くの人が天皇・皇后両陛下を歓迎されている様を見てホットした。 翌日ジャンボタクシーをお願いし孫娘3人と一緒に観光に出かける、まず沖縄世界文化遺産の一つである「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に行く。ここは琉球開びゃく伝説にも現れる琉球王国最高の聖地である。 家内は膝の手術をして4ヶ月になるが何とかゆっくりと歩いて見学できた。 ジャンボタクシーの運転手さんが観光案内もしてくれるので良かった。 その後グラスボートに乗って珊瑚礁に住み付いている魚を見学した。船着き場のそばの島も珊瑚礁で出来ており浸食されて奇怪な形状をしている。また砂浜には沢山の珊瑚のかけらが有り孫娘達は拾い集めて楽しんでいた。 海の水が綺麗で色とりどりの魚が見えて孫達も大歓声。 昼食後「おきなわワールド」に行く。そこに30万年の年月をかけて創られた「玉泉洞」と呼ばれる鍾乳洞を見学した。沖縄は珊瑚礁が多くあるため鍾乳洞が出来たのであろう、現在公開されている規模では山口県の秋芳洞には及ばないと思った。普通なら孫達は学童保育や塾などで大変なのだろうが今日一日は思い切り楽しんでいるようであった。それにしても台湾、中国、韓国などの観光客が溢れており、案内パンフレットも中国語・韓国語は2列、英語、日本語は1列でいかに中国・韓国が多い事か。しかも彼らは声高で話すので聞いていると頭が痛くなる。 その後、躍動感あふれる勇壮な伝統芸能「エイサー」も見学。家内は足が悪く杖を付いているので身体障害者用の前の席で見学できた。続きはPART Uへ
2018年04月08日