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12/17 今どきのカラス
12/07 やもめ暮らし体験
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大先生(元院長)のブログ

「南京事件」とは何?

 昨年1月頃ビジネスホテルのアパホテルに南京事件否定の本が客室にあると中国人観光客が騒ぎ出し、中国政府まで問題にした事件があった。折しも2017年12月13日は旧日本軍が中国の首都・南京を陥落させてちょうど80年であった。そのようなことも有って1年かけて南京事件に関する本11冊を読破した。
 私が高校で習った日本史の教科書には「南京事件」の記載は無かった。最も高校の授業では、世界史は昭和の初めまで、日本史は明治時代の途中で尻切れトンボになりほとんど現代史は習わなかった。そのせいか広大入試で中華人民共和国の成立年を問う問題があったが不正解であった事を今でもはっきりと覚えている。
その後、いつの頃か「南京大虐殺」などの言葉を耳にし、事件があった、無かったの論争を知るようになった。そこで実際のところどうなのかと思い、この度たくさんある本から適当に拾い出しアマゾンで注文して読んだ。
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 北村稔『「南京事件」の探求』の中に『虐殺派・・・第二次世界大戦後の南京と東京の軍事裁判の判決に準拠して「南京事件」を告発する人』、『まぼろし派・・・南京と東京の軍事裁判の不当性を主張し、これらの裁判の判決文に描かれるような南京での「大虐殺」の不在を主張する人』、『中間派・・・必ずしも「虐殺派」か「まぼろし派」に区別出来ない人』と分類しこれらの人々の間で議論百出していると書いてあった。
 南京事件では東京裁判の判決が重要である。しかし此の裁判は戦勝国が敗戦国日本を裁いたもので、日本側が提出した証拠書類の多くが不採用となった。
ところが東中野修道『南京事件・・・国民党極秘文章から読み解く』を読んでみると驚くべき事実が書いてあった。特にマンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員であったティンパリー記者が執筆し、1938年7月に出版された「戦争とは何か」という本は中華民国の対敵宣伝本で、彼自身は国民党中央宣伝部の顧問であり日本を貶めるために書かれた本であることが10数年前に明らかになった。また東京裁判に出廷し、第三者的立場で証言したマイナー・ベイツ教授は「戦争とは何か」に書いてある通りの証言をし、その内容が証拠として採用されたが、彼もまた実は国民政府の顧問であった事がわかり、その証言の信憑性も怪しいと思われる。その他にも国民党は世界に向けて日本の非道を宣伝するために、多数の欧米人に本を書かせ日本の非道を訴えさせた。今もそうだが、当時の日本は情報戦で完全に負けていたのだと思う。
 今の日本は三審制で地方裁判所の判決が不服なら高裁、さらに最高裁へと上告できるが東京裁判は一審性の為新しい事実がわかってもやり直しがきかない。
また東京裁判ではA級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(通常の戦争犯罪)C級戦犯(人道に対する罪)として3種類に分けて裁かれた。日本人の多くがA級は一番罪が重く、次がB級だと考えている人が多いいようだが、A・B・Cは罪の軽重では無く、罪の種類を表す記号にすぎない。
ここで一番問題視されることは事後法と言って、東京裁判をするために急遽新たな法律が作られA級と、C級戦犯の考えが付加された。この法律は簡単に言ってみれば読者のみなさんが交通違反をして警察に捕まったところ、今日から交通違反者は死刑という新たに法律が定められたと告げられ死刑にされることと同じである。これに反対したのがインドの代表パール博士である。
 日本で南京事件が多くの国民に知れ渡ったのは朝日新聞記者本多勝一氏の「中国の旅」(昭和46年刊)という今では噴飯物の本がきっかけだったとネット上などに出ている。彼は中国に取材に行ったが全く裏を取らないで中国共産党に紹介された人々の話をそのまま載せたとか、写真も提供された物を載せ後になって間違いを認めたなどとネットに出ている。
このあたりの朝日新聞のやり方はまさに現在問題になっている慰安婦問題と同じやり口だったと思う。吉田清治氏が捏造して書いた記事で「日本軍の強制連行」が一人歩きし、今や世界中で「性奴隷」として広まっている。この件に関して朝日新聞は数年前に謝罪したが後の祭りである。
 南京事件については読者がそれぞれ「有る」・「無し」を判断すれば良いことで私自身は11冊の本を読んだが、戦争中のことで有り、書いてあるような殺人、強姦、略奪、放火が無かったとは言えないが、20万人、30万人もの人が虐殺されたというのは少し違うのでは無いだろうかと思った。いずれにしても今まで素通りしていた現代史を少しかじれて良い勉強をさせてもらったと思う。

2018年01月17日

年末年始

 今回の年末年始休暇はいつもとちがって結構大変であった。通常、年末年始の休暇は旅行などに出かけて家に居ないのだが、今回は12月28日に家内が膝関節手術を終えて退院した。やもめ暮らしは終了したのだが、かえって忙しくなる。
 病院で少しリハビリをしていたおかげでトイレに行くことと、お風呂に入ることは何とか自立できている。しかし歩くのは中々大変そうですぐ「しんどい」と言ってベットに横になる。起きていても少しの時間だけである。いったん座り込んだりベットに寝てしまうと起き上がったり立ち上がるのが大変。
 家内の部屋と私の部屋は離れているので何かあればすぐ携帯電話が鳴って呼び出される。また居間に一緒にいても必要な物がとれないので「お父さんあれ取ってと言われる」しかし『あれ』と言われても困る「あれって何なー」と聞き返す。私もそうだがこの年になると中々対象物の名前が出てこない。認知症が始まったのではと思う。
 やもめ暮らしの時は、晩ご飯でも簡単に自分が食べたいもので済ませていたが、家内は缶詰はいやだとか言うし少し手をかけなくてはならない。幸いお正月用に通販で「おせち料理」を買っていたので31日夜からそれをつつく。おせち料理は4〜5人分有るため、結局3日の朝まで食べれた。お餅は1月1日の朝オーブントースターで焼いてお雑煮で食べただけである。後は頂いた年越しそばを何回かに分け、茹でて食べる。こういうことを一度もやったことはなかったが、家内に指示されながら何とか食事が出来た。明日から仕事に出かけるがどうなることやら。
 家内は入院中、病院の廊下を歩いて売店まで行ったりし、少しはリハビリに役立っていた。しかし帰ってからはほとんど寝ているのでこれはいくら何でも拙いだろうと思い、1月2日にドライブに連れ出し向島を一周した。5日ぶりに外の空気を吸ってもらった。しかし1時間助手席に乗っていただけで足が痛くなったいと言うので早々に引き返す。
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 翌3日は少し歩いて貰おうと思い、三原のイオンに買い物に出かけ、買い物用の押し車を推させながら歩いて買い物をする。少なくとも床には段差がないので歩きやすいが買い物客が多く、ぶつかられて転んだら大変と気を遣う。
 やはり帰ってから、足が痛いと何カ所かロキソニンの湿布薬を貼る。それでも手術以来初めて寝返りが出来たと喜んでいる。少しずつではあるが良くなっている。
 家内が「お父さんこの休みは私への奉仕で終わったね」と言う。「いえいえそんなことは無いよ」と言いながらよくわかっているじゃんと内心思った。
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 ところで元日以来3日に一時雨がぱらついた物の穏やかなよい天気が続いている。私は元日の初日の出を家の前の岸壁で見た。日の出の光が雲に反射してまさに旭日旗を思い起こさす感じがした。太陽の光が尾道水道に反射し、また私の体に陽が当たった瞬間に暖かさが感伝わってきて太陽の恵みという物を改めて感じながら手を合わせた。
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 一日中陽が差して冬とは思えない、たいていは午前中晴れても午後は曇るのが冬の天候というイメージがあったが元日は夕日も綺麗で、日の入り時刻には東の空に十四夜の月が出ていた。3日は昼から少し曇って雨が降った以外、本日4日も朝からずっとよい天気で有り、この様な穏やかな日が1年間続いてくれればよいが、世界情勢悪化、天変地異など起こらなければと思う次第である。

2018年01月04日

平成29年(2017年)を振り返って

 毎年、年の瀬を迎えると新聞やTV等で国内・海外の十大ニュース特集が組まれていて、それを見ながらそういえば今年こんなことがあったなと思い出させてくれる。それで例年ブログにも我が家の1年を振り返って書くのだが、老夫婦2人だけの生活ではとても10個もニュースはない。書けるだけ思い出しながら書いてみよう。
1、 私と家内がサイボーグの仲間に。
10月の終わりに私は白内障の手術をして人工レンズを入れ、家内は11月の終わりに左膝に人工関節を入れ、まさに2人ともサイボーグの仲間入り。サイボーグと言えば石ノ森章太郎のSF漫画『サイボーグ009』を思い出すが、医学が進歩したことによりQOLが保てるようになり感謝である。
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2、 相次ぐ海外旅行キャンセル
今年の正月はマレーシア・クアラルンプールで迎えた。以前我が家にホームステイしていたA子に子供が生まれたのでお祝いに出かけていた。そしてA子達は結婚式をあげていなかったので、10月1日にインドネシア・バリ島で結婚式をするというので準備をしていたら、出発5日前に火山が爆発しそうだと警戒レベルが最高に引き上げられ、結婚式は延期、バリ島行きもキャンセル。結局火山は12月5日に爆発。そして12月22日からは家内とペルーのマチュピチ、アスカの地上絵、イグアスの滝を観に行く計画を立て準備万端にしていたが、家内の膝の手術でこれもキャンセル。今年は運がなかったと諦める。
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3、 孫達の成長
私には4人の孫娘と1人の孫息子がいる。4人の孫娘が今年全員小学生になった。一番上の孫娘は6年生で来年中学受験をするとか。長男一家は沖縄に6年前に移住したため中々孫には会えない。5月の連休に長男一家が里帰りをしてくれるのでその時だけ会えていた。しかし9月の終わりに家内と2人でバリ島旅行の代わりに連絡なしで沖縄に行き孫達に再会。皆元気であった。中でも唯一人の孫息子は4歳になりいよいよ「ガンボタレ振り」を発揮している。そして沖縄では学校が2学期制のため前期の終わりに秋休みがある。10月に秋休みを利用して2番目と3番目の孫娘達が私達に会いに来てくれ、今年はいつもにもなく孫達と会えて良かった。ついでに9月に行ったとき長男の診療所も初めて見学でき、親として一安心した。
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4、 齊田家のルーツ調査
昨年から埼玉の行政書士さんにお願いし、齊田家のルーツを調査して貰っていたが、この3月家系図が巻物として完成した。父方と母方両方の系図が判り良かった。NHK番組「ファミリーヒストリー」ではないが今回系図が判り、私が今迄に父親。母親から聞いていたこと等を息子たちに話せた事で息子や孫達に良い土産(財産)が残せた物と思う。さらに祖母のお墓も見つけ出すことが出来て良かった。
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5、 古希を迎える。
二人とも今年は古希を迎えた。「古来まれなり」と言われている。そして「国民健康保険高齢受給者証」が贈られてきて、いやが上でも高齢者と認識させられた。しかし井原市の名誉市民である彫刻家、平櫛田中の言葉に「六十、七十、洟垂れ小僧男盛りは百から、百から」と言うのがある。私も家内もサイボーグになったのだから彼の言葉のように元気で百歳過ぎまでは生きよう。
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6、 東京はとバス観光
6月とお盆に2回東京に出かけ「はとバス観光」を楽しむ。東京スカイツリーや国会議事堂巡り、横浜中華街の散策、ボリショイサーカス鑑賞など観光だけで東京に行ったのは結婚以来初めてである。その他山口の津和野に日帰りバス旅行に出かけた。こんな時ぐらいしか中々夫婦の会話が弾まない。
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7、 歯科医師会関係の役職をすべて終了したのだが・・・
5月31日を持って県歯関係の役職を離れて体も、時間も少し余裕が出来た。そのような事を見越してか2月には広島県歯科医師会創立110周年記念式典において役員功労賞を頂いた。ところが、今度は出身大学である、北海道医療大学歯学部同窓会の副会長を引き受けさせられる。今のところ大して活動することもないがやはり責任は重大であると認識している。
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8、 家庭菜園での野菜作り
今年も春先から目の手術をするまで色々野菜を育てて収穫をする。夏などは朝早くから起きて世話をしたりするが楽しくて仕方ない。また収穫できる喜びも有り、人生輝いていると実感出来る。体が動く間少しの面積でも良いから続けて行きたい物である。
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ここまで書いて次が出てこない。年をとるとそれだけ行動範囲等が狭くなり
十大ニュースに相当する物がなくなってきた感あり。
それにしても1年間を振り返ると何でこんなに時の経つのが早いのか恐ろし
くなる。ただただ来年も良い年であることを願うだけである。

2017年12月26日

今どきのカラス

 尾道水道に面した街に住みだして2年弱になる。以前は街から7キロほど入った周囲に田んぼがある三成の診療室2階に30年程住んでいた。裏の家庭菜園で野菜などを作ったりしていたが、時折カラスに収穫前のトウモロコシやスイカなどを食べられたりして、この野郎と思ったがそんなにカラスが多くいるとは思わなかった。
 童謡「七つのこ」の歌詞は
『烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と 啼くんだよ 山の古巣へ 行って見て御覧 丸い眼をした いい子だよ』である。
この歌詞によればカラスは山に巣があって夕方ともなれば「カアーカアー」と鳴きながら飛んで帰るというイメージをずっと持っていたし、三成に住んでいたときはその情景そのものであった。
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 ところが最近夕方になると、住んでいるマンションの近くでカラスが大声でなきさけぶ。見ると近くのマンションや、NTTの電波塔等の廻りに多数が集結し、車の音などに驚いて廻りのマンションの屋上から一斉に飛び立つのを見るとその数の異様さに度肝を抜かれる感じがする。
まさにヒッチコック監督の「鳥」という映画を思い出す。
 マンションの裏には山もあるし、尾道水道の対岸にも山もあるのだが、そこには帰らないでどうやらマンションの屋上や電波塔などをねぐらにしているようだ。
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冬至も近い今頃は日の出も遅く朝6時半頃はまだ薄暗い。しかしNTTの電波塔を見るとカラスがとまっており「カアーカアー」と鳴いている。
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 街は人口も多く人間が出すゴミなども多いし、また尾道水道にはあちこちに小さな漁港が点在しており、漁師さんがとった魚のおこぼれにもありつけカラスにとっては食料には困らないのかも知れない。
 カラスは賢いと言われており、山から出てくるよりはマンションの屋上をねぐらにする方が手っ取り早く効率良くえさにありつけることを学習したのかも知れない。
 それにしても私が小・中学生の頃とは廻りに生息している鳥たちの種類が変わってきているように思う。
 昔、夏にはトンビが空を悠々と舞っていて、高い松の木の上の方に巣を作っていたが、昨今トンビを見ることはほとんど無いと言うより皆無だと思う。
また近くの栗原川にはかなりの数の白サギが潮の満ち干に合わせてやって来てはえさをあさっている。中には一回り大きなアオサギを見ることもある。子供の頃このような光景を一度も見たことがない。今では尾道水道で時折、海鵜も見る事がある。
 そして海から5キロほど奥に入った川や池では、子供の頃カイツブリくらいしか見たことがなかったが、今では渡り鳥の鴨などが泳いでおり、本当に様変わりした感じがある。 
 たぶん昔は水田に多くの殺虫剤をまいたりしていたが今は薬剤散布がかなり減っているために環境が良くなり、小さいころに見たこともない鳥などが繁殖しているのかも知れない。
 うちの近くのカラスなどもこれだけ増えてくると、近い将来「糞害」が問題になってくるのではないだろうか。

2017年12月17日

やもめ暮らし体験

 先日、家内が左膝の人工関節置換手術を受け入院した。20歳のころ転倒して左の膝の半月板損傷で半月板を除去し、筋肉を鍛えたりしながら何とか50年生活してきた。しかし最近いよいよ痛みが増して歩くのが不自由となり手術を決断した。どうしても入院は1ヶ月程必要で有り、その間私は独り暮らしとなり「やもめ」状態となった。
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 結婚以来今迄、家事などほとんどしたことはなく、家内に任せきりであった。入院する1ヶ月前くらいから食後の後片付けで茶碗や鍋などの洗いものをするようになった。
しかし電子レンジ・IHクッキングヒーター、洗濯機など最近の物はスイッチなどのボタンが多く、使い方もよく判らない。1回だけ家内に習ったがすぐ忘れてあれこれトライする羽目になった。
 入院中の一番の問題は食事である。短期間なら良いが1ヶ月ほどの長期間一人暮らしである。
昔40数年前、家内が長男出産のため尾道の実家に帰省した時2ヶ月半ほど一人暮らしをした事がある。当時コンビニもスーパーもない時代で社宅アパートは日立市の片田舎に有りもちろん大衆食堂もない辺鄙なところにあった。そのときは同じアパートに住む同期入社のS君と話し合い、家内が尾道に帰省している間、私はS君の家で夕食を食べさせて貰う。4ヶ月ほど後にS君の奥様が出産のため実家に帰られたとき我が家でS君の夕食を提供し、お互いそれほど不自由は感じなかった記憶がある。
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今回は家内が入院前に魚や総菜の缶詰、野菜缶ジュース、電子レンジでチンするだけで食べられるご飯やカレー、インスタントの味噌汁、カップラーメンなどずいぶんといろいろの種類をとりそろえて沢山買い置きをしてくれているのでその中から見繕って食べることになった。
 朝はパンと牛乳とちょっとした物、昼はお弁当屋さんの弁当、夜は家内が備蓄していてくれた物や家庭菜園の大根を収穫しておかずとして食べている。また時折近くのスーパーでちょっとした物を買ってきたりしているが、時々息子の嫁が仕事帰りに1〜2品おかずを持たせてくれるので有り難い。
 また色々の支払いは引き落としになっているがそれでも引き落としになっていないものの支払いとか、お歳暮のお礼状とか諸々のことも今迄は家内にこれやっといてと言うだけで済んでいたが、1人になって色々のことを仕事の合間にするのが結構大変だ。
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 それにしても古希を過ぎた我々老夫婦だけの世帯では遠からずどちらかが先にあの世に行くことになりこの様な「やもめ暮らし」が必ず訪れる。私が先なら、家事にたけた家内は私の世話もしなくてすむし問題ないが、私が後なら、今回のようなことが突然にやってくると大変である。今現在、予行演習をしているのだと思いながら色々のことを学ばせて貰っている。昔から「男やもめに蛆がわく」という言葉があるがそうならない様に頑張って、家内が早く良くなって復帰してくれるのを望むばかりである。

2017年12月07日

河合雅司著「未来の年表」を読んで

 世の中少子高齢化と言われて久しく、尾道市においても地域包括センターを中心に来たるべき2025年問題に対応すべく準備がなされている。私の歯科医院は北部圏域ネットワークにあり、先日も医療と介護の連携について会合が開かれ、問題点などの抽出を行った。
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そんな折、11月8日の日本経済新聞2面下段に「未来の年表・人口減少日本でこれから起きること」と題する本の広告が掲載されていた。そこには衝撃の言葉が並んでいた。これは読まなくてはと直感的に思い早速アマゾンで注文し手にいれた。
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日本の人口が減っていくことはわかっていても、それがどんなことになるのか断片的なことしか知識が無かった。
 目次を見るとこんなことも起こるのかと思うことばかりである。
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 2018年には18歳人口の急減で国立大学が倒産の危機と有った。確かに現在でも定員を満たさない私立大学は約半数と言われている。これがどんどん加速すれば地方の国立大学にも及ぶとのこと。
 2020年東京オリンピックの年には何と女性の半数以上が50歳越とあり「おばあちゃん大国」になるとある。驚きである。少子化と女性の平均寿命が伸びた事によるのであろう。
 20数年前DINKS(ダブルインカム・ノウ・キィズ)という言葉がもてはやされ敢えて子供を産まない時代があったがそれも少子化に影響を与えているのかも知れない。
また2021年には団塊ジュニア世代が50代に突入し介護離職が大量発生しその後介護が終わっても職場復帰や条件の良い職に再就職できず貧困の道を歩む恐れがあるとか。
 さらに2024年には6人に1人が75歳以上となり社会保障費が大膨張となる。このことは私自身団塊の世代なのでよく理解しているが、2027年には輸血用血液が不足するとは知らなかった。けがなどの際に使われる輸血の量はたかだか3.5%とのこと。癌・心臓病・白血病等の治療に輸血が必要で、特に抗がん剤により造血機能が落ちた患者さんに40%が使われ、その多くは高齢者が使用している。しかも輸血用血液は献血に頼っているが献血可能な年齢層の人口が減っており供給不足が起きるのだとか。いずれ病院に行っても輸血血液がなくて命が助からない状況が起こる可能性はある。
 少子化により2033年には3戸に1戸が空き家となり2039年には火葬場が不足してくる。
 そして2040年には自治体の半数が消滅危機とあり、ここ尾道でも現在毎年1000人が減っている状態で、恐らく現在の半数以下の人口になるであろう。その時、水道や道路などのインフラは老朽化し、予算も無く修理すら出来ず市としての機能不全に陥るのでは無いだろうか。また少子化が進んだ事によって警察官や自衛隊員、消防士といった「若い力」を必要とする仕事の人員確保が難しくなり、国防や治安、消防機能が低下し社会が破綻に直結し、泥棒も捕まえられない火事も消せない国になっていると予想される。
 さらに2042年には高齢者の数がピークに達し、無年金・低年金の貧しく身寄りの無い高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政はパンクするのではと心配されている。
 少子化と高齢化により農業に従事する人口が減少し耕作放棄地は増加をしている。今でも低い食料自給率のため不足分を海外からの輸入に頼っている。ところが世界の人口は現在73億人超であるが2050年には97億人を超えるといわれ世界中で食糧の争奪戦が始まり、日本人が十分な食料を確保できず飢餓状態に陥る可能性がある。
 そして2065年には日本の人口は8800万人となり現在よりも4000万人減少し2.5人に1人が高齢者となったとき、人が住んでいない地域が増大し、国土はスカスカになり2割以上は誰も住まない土地になる。著者は2065年に「外国人が無人の国土を占拠する」と記している。
 現在政府は人口減による労働力確保のため外国人労働者の大量受け入れや、永住権付与の緩和を推し進めようとしているがこれが進行すると、日本人の方が少数派になった市町村や地域が出てくる。そこへ「反日」の国が悪意を持って自国民を日本に送り出してくれば、戦わずして日本は彼らに占領されてしまう。現に北海道では膨大な土地が中国人よって買い取られており、対馬ではかなりの土地が韓国資本に押さえられ、自衛隊施設の隣接地まで購入されている事実がある。ましてや外国人参政権を認めると致命的になりいずれ日本が消滅していくのかも知れない。
まだまだ色々のことが書かれておりほんとに怖い未来を見せられている感じがした。
 著者はこの人口減に対して日本を救う10個の処方箋を提案しており、なるほどという提案もある。
 日本国民の多くの方がこの本を読んで、事実を受け止めて、人口減に対応する方策を考え、今迄のように予算のばらまきや、何でもかんでも政府におんぶに抱っこでは日本はもたない。我慢すべきところは我慢し未来の人たちに希望がもてる様にする必要があると感じた。
よりよい未来になるように祈りたい。

2017年11月16日

白内障手術

 「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」中国の古典「孝経」にある言葉である。この言葉を母親が小さいときから私によく言い聞かせくれていた。意味は「親孝行というものは難しい事ではなく、自分の体は手足から髪の毛、皮膚に至るまでことごとく父母から頂いた物である。それを不注意にあるいは不摂生で傷つけることは親を悲しませ、傷つけるに等しく親不孝なことである。よってそうしない様な生き方が親孝行の第一歩である。」私は母親の言葉を守り出来るだけ親不孝にならないよう注意をしながら生きてきた。
 今迄に体にメスを入れたのは10数年前に痔の手術をしたのと今回の白内障の手術2回だけである。
 平成9年に家内が飛蚊症になったとき一緒に眼科に行き診察を受けたところ白内障と緑内障だと診断され、それ以来20年点眼にて治療を受けてきた。このところ右目の視力が落ち、物が二重三重に見え、霞がかかってきたことを先生に話したところ、取り敢えず右目を手術をすることになり10月31日に執刀してもらった。
 手術前にはパンフレットを貰い色々説明を受けていたので何の心配もなかった。緑内障もいずれ手術になるであろうが、白内障の手術をした後の方が良いとのこと。
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 白内障は老化の一種で髪の毛が白くなるのと同じで有り、避けることの出来ない物で、敢えて毀傷した訳ではない。遅かれ早かれ多くの人が経験するのだと思う。
 手術は日帰りで朝入院して点眼や抗生剤の点滴を受け昼前に手術室に入ったが15分ほどで終わる。後は眼帯をしてもらい部屋で17時まで寝ていて退院した。
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 翌日診察を受けるために眼帯を外してもらったところすごく明るく物が見えた。左目はよく見えると思っていたが今や、右目の方が明るく見えるため左目が霞んでいる。TVの画面を見ていても画面上の文字が右は黒々と見え、こんなにも黒いのかと思う。左は少し灰色がかっている。そして外の風景も明るい。いままで家の中で暗い暗いと言って電気をたくさんつけていたが、白内障のせいだったのだと認識した。
 眼内レンズは単焦点と多焦点レンズ(保険がきかない)が有るが、歯科医として細かい仕事をするので先生にどちらが良いか相談したところ、自分は眼科医で同じように細かい仕事をするので多焦点レンズはしないと言われ即、単焦点レンズにしてもらった。
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 手術後、日中はゴミが入らないように起きている間保護メガネ(ゴーグル)をかけ寝るときは金属製の眼帯をして寝ている。そして1日4回3種類の目薬を5分以上の間隔で点眼するのが大変である。私の場合はそれプラス2種類の緑内障の目薬の点眼が有り、時間を気にしながらの生活が続いている。
右が良くみえるようになり、診療用のメガネは右側を急遽、眼鏡屋で度のないレンズに入れ替えて貰った。これで何とか診療には差し支え無いようだ。左も今度手術をしたらそのときはメガネを新調しよう。
 ところで昔読んだ本の中に「目医者、歯医者が医者ならば蝶やトンボも鳥のうち」と書いてあった。眼科医と歯科医とを馬鹿にした言葉で、この言葉に発憤しながら私自身は歯科医師としての腕を磨いてきたつもりである。今回の白内障手術を経験して目医者さんは蝶やトンボどころではなく、立派な鳥。大鷲だと思った。誰が言い出したのか知らないが言ったやつに文句を言ってやりたい。
なお、昔、武見太郎医師会会長が歯医者を「拾い乞食」とよんでさげすんでいた時代もあった。この言葉にも私はずいぶん発憤して頑張ったつもりである

2017年11月02日

みのりの秋

 秋も深まりまもなく晩秋にかかろうとしている。我が家の家庭菜園では秋の収穫が始まった。と言ってもサツマイモと柿とカボチャである。サツマイモは「紅はるか」と「安納いも」の2種類を植えていた。サツマイモの作付けは今年で3回目であったが、なにぶん素人である。6月に植えたときは毎日のように水やりをしていたが、それでも何本かは枯れて植え直しをして何とかこの秋を迎えた。
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 この秋は雨が多く収穫時期を見極めるのに苦労した。下手をすれば芋が水太りで亀裂が入ったりするしタイミングが難しかった。7日〜11日に沖縄の孫2人が秋休みを利用して尾道にやってきた。それで芋掘り体験として一畝を掘り起こして一緒に収穫をした。そこそこ大きくなっており個数もまあまあの収穫があった。残りは日を改めて休みを利用して収穫した。
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 また柿は技工室の前に西条柿、畑の横に次郎柿を植えているが今年は次郎柿が大豊作であった。柿はものぐさな私にとって便利な果物である。肥料もせず、消毒もしない。ほったらかしで実がなるのが素晴らしい。
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仕事の合間を縫いながら4日ほどで「おれい柿」5個ほど残してコンテナ5杯分の収穫をした。家内と私二人ではとても食べ切れる量ではない。家内は干し柿にすると行って60個ほど皮むきをして干した。また冷蔵庫にも少し保存した。従業員さんやご近所に配ったりしたが、それでも処分しきれなく、「ご自由にどうぞ」と書いてコンテナごと待合室に置いた。患者様には好評であった。
 なお収穫した柿の中に生育途中で合体したのかよくわからないが、一つのへたから2個の柿が出来ている様に見える奇形種があった。

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芋と柿を沖縄の孫達にも贈って喜ばれ、食べている様子が家内のLINEに届いたようだ。
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 カボチャは2本苗を植えたが「ひょうたんカボチャ」だけが枯れないで実をつけた。今迄に4個ほど収穫したがまだ畑には10個ほど有る。これからの時期果たして黄色になって収穫できるかどうかわからない。味はそれほど良いとは思えないがそれでも食卓を賑わせてくれるのでありがたい。
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 今、畑では大根、人参、ごぼうが少しずつ大きくなっている。タマネギは苗が少し大きくなってきたのでもう少しで植え替えの時期を迎える。大根は11月の終わり頃から収穫可能であろう、人参やゴボウは春まで待たなくては。
 畑仕事をしていると近くの人たちが来てあれこれ知恵を授けてくれる。有り難いことである。ただ古希も過ぎてくるとあれやこれやと想いは巡るのだが体が思ったほど動かずもどかしい。気分転換を含めてこれからも家庭菜園を続けて行こう。

2017年10月29日

全歯懇に出席して

 昨21日(土)ANAクラウンプラザホテル岡山にて全歯懇(全国歯科大学同窓会・校友会懇話会)が開催され出席した。と言うのもこの9月から出身校の北海道医療大学歯学部同窓会の副会長に就任した。7月に大学の父兄後援会支部長会議で札幌の行った際、同級生で同窓会長のM先生より「齊田先生、尾道歯科医師会会長も退任されたことだし少し同窓会を見て欲しい」と言われ、夜中まで飲みながら頼まれたことによる。何で今更と思ったのだが同窓会の会員の中では最高齢であり、永く生きてきた経験を活かして欲しいとのことで引き受けた経緯がある。
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 当日M会長と専務理事のN先生が北海道から来られて合流。出席の各大学同窓会の役員の先生方の蒼々たるメンバーに驚き圧倒される。
最初、懇話会として兵庫県立大学大学院教授の筒井孝子先生による「地域包括ケアシステムにおける医療、介護、生活支援の在り方・・歯科関連専門職の役割と課題・・」と題して講演を頂いた。
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 地域包括ケアシステムを巡る背景として、今後多死化が進み人口の急激な減少が起こる。50年後には今より4000万人が減り、働き手がいなくなる。その過程で2025年問題があり、私を含めた団塊の世代が全員後期高齢者になり、医療と介護の供給が追いつかなくなる見通しがある。そこで高齢者が住みなれた地域で自分らしく生活を続けられるように医療・介護・福祉・保健の他職種が連携し、地域で支え合う仕組み「地域包括ケアシステム」を推進することが求められている。
 尾道においても7つの生活圏域に分かれネットワークの構築が進められている。私も北部圏域ネットワークのコア会議メンバーとして名を連ねているが、この地域包括ケアシステムに歯科がどのような立ち位置でしかもどのように関わるか悩んでいたところ、この講演でヒントをもらった感じである。
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 また二人目の演者は日本歯科医師会常務理事の小玉剛先生で「地域包括ケアシステムにおける歯科の立ち位置」と題して講演された。日本歯科医師会は平成元年から8020運動を展開し80歳で20本の歯を残すことに取り組んできたが、現在8020達成者は50%を越えるまでになった。しかしそのことが新たな問題を引き起こしている。認知症になったりして口腔機能管理が出来なくなり、残った歯が虫歯になって歯が根元から折れたり、感染を起こしたり、より悲惨な状態になってきている事実がある。これにどう関わるかという事で「食の支援」、「多職種協働」、「認知症対応」などやるべき事は多くあり、これからの仕事に参考にしていきたい。
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 その後会場を移し懇親会が行われ楽しいひとときを過ごした。

2017年10月22日

沖縄小旅行

 A子の結婚式がバリ島の「アグン火山爆発」の恐れが高まり結婚式が延期になったことは前回のブログで書いた。出席予定で休暇を取っていたので、その休暇(9月28〜30日)を利用して代わりに沖縄の息子のところに行った。
 2年前、息子は沖縄で「みのる歯科」を開業したのだがまだ1度も見に行ったことが無く、家内と様子を見に行くことにした。息子たちを驚かそうと思い事前に連絡もしないで行く。空港からタクシーでホテルに寄りチェックインしてすぐに向かう。
 途中米軍那覇軍港横を通ったときタクシーの運転手さんが「今すぐにアメリカと北朝鮮が戦争をすることは無い」と言う。「どうして」と聞いたら埠頭に物資が山積みになっていない。戦争をするのであれば、ここに物資が山積みになると言うのである。なるほどと思う。
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 息子の診療所に着いて家内が保険証を出すと受付の子が怪訝な顔をして診療室に入っていった。まもなく息子が出てきて、「どしたん」とあまり驚きもしないで言うのでこちらも拍子抜け。診療室内部を見たり、待合室の雰囲気を感じたりして1時間ほど過ごす。
待合室に乳児医療の案内が張ってあった。尾道では小学校6年生卒業迄では1医療機関につき通院1日500円の一部負担で4日間でマックス2000円の負担となっていた。この10月1日から親の収入にかかわらず中学3年生終了までにこの制度が拡大された。
ところが沖縄では中学卒業まで一部負担金なしとある。政府からの手厚い補助金があるので可能なのであろう。沖縄の出生率はダントツの日本一である。これも手厚い政策があるからだと感じる。尾道もだいぶ近づいてきているが沖縄並みになればもう少し人口が増えるのかもしれない。
 木曜日だったので孫達も塾が有ったりしてゆっくり話せなかった。翌日は「ゆいレール」の1日券を買ってまず首里城公園に行く。首里城駅から城壁ルート沿いに歩いて「守礼門」へ行く。左手に城壁の石垣の整然さを右手に首里の町並みを見ながら歩いたが景色はなかなか良かった。
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 城内に入ったのは25年振りくらいで有る。結構ゆっくり見てまわり、王宮の中の「鎖之間」では庭園を見ながら一人310円でお茶と琉球菓子を食べながら庭園鑑賞ができるようになっていた。昼時でもあり疲れていたので休息かたがた利用した。
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 お客は私たち2人の日本人と欧米人2人、そして後は全員中国人であった。そういえばデパートに行ってもどこに行っても中国人の観光客の多いこと。ホテルでも中国人の観光客が多く宿泊しているようでエレベータ内でも中国語が飛び交っていた。国慶節の直前だったので多くの観光客が来ていたのかもしれない。一瞬私たちが中国へ旅行したのでは無いかとさえ思った。
 首里城観光の後、あちこち行こうと思っていたが疲れて結局首里城を観光しただけで終わった。夜は孫達と食事をしたが息子は仕事が有り会えず。
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 翌日は一番上の小6の孫娘は朝からお弁当を持って塾に行く。そこで3人の孫と嫁達と「対馬丸記念館」に行く。「対馬丸」は昭和19年8月21日沖縄から九州へ学童疎開する子供達を乗せて長崎へ向かった。翌8月22日夜10時過ぎ米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により撃沈され学童784名を含む1482名が犠牲になった。
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 記念館には犠牲者の遺品や亡くなった学童の写真、生存した人の手記などが展示されていた。またパソコンでは映像を使って解説がなされており戦争の悲惨さがよくわかる物であった。亡くなったお子さんのご家族の手記等を読むと目頭が熱くなるのを感じた。小学校4年と2年の孫も熱心に見学していた。
沖縄はまだ夏の真っ盛りという感じであったが、こちらは秋の気配で日本の広さ感じた。

2017年10月04日

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