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12/24 2020年を振り返って
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大先生(元院長)のブログ

玉子の値段

 昨年から新聞やTVのニュースで、吉川元農林大臣が福山の大手鶏卵会社のアキタフーヅの秋田元代表から賄賂を受け取ったと報道され、今月15日に在宅起訴された。アキタフーヅは福山市に本社が有り、地元の「中国新聞」が多くのページを割いて報道している。
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 ところで玉子で思い出すことは多くある。私が小学生の頃尾道では兼業農家がほとんどで友達の家では父親がどこか会社に勤めていて空いた時間に米作をする、母親が家で「い草」で畳を織るといった情景があった。多くの友達の家では母屋の近くに小さな鶏小屋があり、場合によっては縁側の下が鶏小屋になっていて3〜4羽程度の鶏が飼われていた。昼間は外に出て自由に歩き回る平飼いで、小屋以外のところでも玉子を産んでいた。私の家はサラリーマン家庭であったので近くの農家で玉子を分けて貰っていた。今では考えられないのんびりとした鶏の飼い方である。
 そして昭和40年に大学に入学したが、下宿では無く間借りのため3食外食であった。家からの仕送りもぎりぎりで、朝と昼は学生食堂で食事をするが一番安い45円のカレーライスをよく食べた。最もカレーライスといっても肉はもちろんじゃが芋や人参など野菜の形も無いカレーのルーだけがご飯に掛けてある代物である。それで時折スペシャルと称して生玉子を一つ注文してカレーの上に載せて貰う。当時その卵は1個15円でカレーと卵で60円の出費となる。そのためせいぜい月に1〜2回程度のぜいたくである。
 先日近くのスーパーに行ったところ、白い玉子が10個118円の値札が付いていた。この値段を見て改めて驚く。今年は令和3年、昭和で数えれば昭和95年になるが玉子一つが11円80銭である。55年前よりも安いのに驚く。
ところでインターネットで大学卒の初任給を調べたところ、昭和40年は平均23,000円である。当時玉子が1個が15円でもそんなものかと思っていた。2020年(令和2年)の平均初任給は209,014円実に初任給は9倍になっている。玉子が9倍の1個106円になっていてもおかしくないと思った。しかし玉子1個106円では誰も買わないであろう。
なお私が昭和46年大学院を修了して日立製作所に入社した時の初任給は49,900円であった。
 玉子は工業製品では無い。生きた鶏が産むのであるから、工業製品のように簡単に合理化は難しい。それで狭いケージの中に閉じ込めてとにかく玉子だけを効率よく生産させる方法に行き着いたのかも知れない。しかも55年前と比較してえさ代などの値上がりも考えれば良くこんな値段で消費者に提供してくれているものだと思う。さらに最近では鳥インフルエンザの流行で何万羽もの鶏の殺処分が報道されており鶏卵農家も大変だと思う。
 そもそも今回の賄賂事件の発端は家畜を快適な環境で飼育する「アニマルウェルフェア(AW)」の考えが欧米を中心に広まり日本にも飼育の方法の見直しを求める外圧が強まっていた。要するに私が小学生の頃に見ていた農家での鶏の飼い方の戻すということである。生産者は「AWが広まれば日本の農家はみなつぶれる」と危機感を募らせていると新聞に書いてあった。
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確かに今の鶏の飼い方は鶏の権利「鶏権」を著しく損ねてはいる。動物愛護を唱える人も1個11円80銭の玉子を食べながら鶏がかわいそうだというのも少し矛盾かなと思う。
新聞の記事中にアキタ元代表との一問一答が書いてあった。
「日本の養鶏に欧米のルールを持ち込んだら零細業者はつぶれる。玉子は1個50円くらいに高騰するであろう。だから養鶏農家と消費者を守るためAWに反対して貰おうとして動いた、自社利益図っていない」と書いてあった。
汚職は決して認められものでは無い。ただAWを日本が受け入れて玉子一個50円で我々消費者が受け入れることが出来るかどうかが問題だ。確かにケージでなく平飼いをされている農家さんもあるようである。ただこの人達の生産する玉子が現在いくらで売られているのかは知らない。現状日本の玉子自給率は96%とのこと。平飼いではそれほど多く生産できないので自給率は下がるであろう。日本は玉子の生食が多いため輸入には問題がある。他国から安い玉子を買ってくるのも問題があるし、そもそも食べ物の多くを輸入に頼ることは何か事あるとき、我々の生存が脅かされることを肝に命じておかなければならない。

2021年01月17日

2021年を迎えて、温暖化対策

 年末、何年かに一度の大寒波がやってくるとTVで言っていたが、ここ尾道ではほとんど影響もなく小雪がチョット舞う程度で有った。大晦日の夜NHKの紅白歌合戦の後、決まって家の外に出て近所の除夜の鐘を聞く。ところがどうしたことか10分間以上待っても鐘ねの音を聴くことが出来なかった。コロナの影響で参拝客を制限したり、早く鐘撞きを終わったのかも知れない。拍子抜けで有った。
 元旦、いつものように消防署の前の岸壁で対岸の向島の丘の上から出てくる初日の出を拝む。しかし今年は丘の上に大きな雲がかかっていて中々初日は顔を出さない。思うにこれは今年一年を表しているのでは、コロナのせいで今年前半は明るい兆しは見えないが後半、日の光が差してくる暗示では?せめてそうなれば良いなと想いながら初日に手を合わせた。
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 ところで先月菅総理が2050年に「温暖化ガス排出量実質ゼロ」を打ち出した。そのせいか年末から元旦までの日本経済新聞一面トップにこれに関連した記事が毎日のように掲載されていた。
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「洋上風力発電4500万キロワット」「原発新型炉を開発」「再生エネ5割越明記」「三菱重が水素製鉄設備CO₂排出ゼロに」「脱炭素の主役世界を競う」などの文字が躍る。この記事から人類は確実にカーボンゼロに向かいつつあるのかも知れない。
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確かに車でもガソリン車からEV(電気自動車)に移っていく。そこにはかなりの技術革新が伴いつつ産業構造も変わっていくのであろう。農業革命、産業革命、情報革命に次ぐ新たな第4の革命が起きると解説してあった。
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 正月休みどこにも出かけず、家で本を読んでいたところ日本歯科医師会雑誌12月号に気になる記事が掲載されていた。立命館大学古気候学センター長の中川毅氏の「宇宙と気候のリズム」で有る。
抜粋して掲載させて貰うと
『過去100万年の間に起こった気候変動を復元してみるとその大半は「氷期」であり、現代のような温暖で安定した時代は、長い氷期と氷期の間のつかの間だけ訪れる例外的なものでしか無かった。氷期がそれほど「ありふれた」ものであるならば、次の氷湖もいつかやってくる可能性が高い。今からおよそ2万年前、前回の氷期で最も寒かった時代には、地球の平均気温は今より10度以上も低かった。北ヨーロッパと北米の主要部は全て分厚い氷の下に埋もれていた。しかも膨大な量の氷が陸上に蓄えられた結果、海の水はその分だけ少なくなり、世界の海面は今よりおよそ130メートルも低下していた。日本周辺で言えば、東シナ海は干上がって陸になっていた。もし地球がふたたび当時のような状態になれば欧米の都市は全て放棄しなければならない。かろうじて残った都市も外洋につながる港湾は海面低下によって機能を失う。これを災害という観点で表現するなら、現代文明の根底を揺るがすほどの「巨大災害」に他ならない。
 氷期のリズムに関する人間の理解が大きく進展したのは1976年のこと。深海の泥に含まれる微生物の殻を大量に分析し、データーを数学的な手法で検証。その結果氷期と氷期の間の温暖な時代(間氷期と呼ばれる)は、驚くほど規則正しく10万年周期で到来していた。さらにこの10万年の間に2.3万年の周期が加わることで気候変動のパターンがさらに複雑な構造になっている。実はこの変動は地球が太陽の周りを回る公転軌道によるとされている。
 地球は太陽の周りを365.25日の周期で公転している。公転軌道はおおむね円であるが厳密にはケプラーの第一法則に従って楕円形になっている。この楕円の「細長さ」は時代によってリズミカルに変わる。そのため始め真円に近かった公転軌道が次第に細長い楕円になり、再び真円に戻るのに10万年もの歳月になる。
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 公転軌道が真円に近いとき、地球と太陽の距離は1年を通じてあまり変化しない。しかし軌道が楕円になると、1年の中に、地球と太陽の距離が近いときと遠い時期とが発生する。ちなみに現代の地球は、日本が冬の時太陽に近く、夏に太陽から遠い。つまりこの時間スケールで見ると、現代は「涼しい夏・温かい冬」の時代ということになる。いっぽう今からおよそ1万年前、氷河期が終わった頃の地球は夏に太陽に近く、冬に太陽から遠かった。「暑い夏・寒い冬」の時代である。地球の公転軌道が長細く、しかも夏に太陽に近づくようになった時、例外的に強い夏の日差しが照りつけ、それまで9万年掛けて分厚く育った氷河を溶かし始める。これこそが、本来は「普通の状態」である氷期が10万年に1回だけ終焉を迎えて、温暖期に移行していく理由である。
 地球の公転軌道は、地表でどのような人間活動が行われていようと関係なく、物理学の法則に従ってその形を変え続ける。すなわち地球を再び氷期に押し戻そうとする力はこれから数万年掛けて次第に強くなっていく。その自然の力が勝って実際に氷期がやってくるのか、それとも温室効果ガスの作用が上回って、次の氷期は回避されるのか人間にとっては重要な分岐点には違いないが、どちらのシナリオが正しいかについては専門家の間でも意見が分かれ、本当の意味での定説はまだ存在していない。』とあった。
 この文を読んで人間が生存していない時代にも氷期と間氷期のサイクルが繰り返し起きており、今の地球の状態は南極の氷が溶け、北極海の氷も溶けていることから、まだ間氷期の頂点に達しておらずしばらくこのまま気温上昇があるのではないだろうか?
温暖化ガスの対策をしても関係ないのかも知れない。むしろ温暖化対策をすることは氷期の到来を早めることに荷担しているのではないだろうか? 温暖化対策を行うことは自然の摂理に抗っているのかも知れないと思えた。そして温暖化・温暖化と騒ぐことによって誰か利益を得る人がいるのかと、うがって見てしまう。
それにしても早くコロナが収束することを願うばかりである。

2021年01月04日

2020年を振り返って

 早いもので今年も後わずかとなりました。例年なら我が家の十大ニュースというタイトルでブログをアップするのだが、今年はまったくその様なニュースはない。
 2020年元旦、尾道水道から昇ってくる初日の出を見ながら今年はオリンピック・パラリンピックがあるし、海外旅行も計画している。いい年になりそうだと思っていた。
ところがその時すでに新型コロナウイルス(武漢ウイルス)がひたひたと近づいていた事を、おそらく私を含めて日本人誰も知らなかったのであろう。
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 私はインド、ロシア、エジプト旅行を計画していたが、2月にかろうじてインドに行くことができた。当時インドでは3人の感染者数が報じられていたが、今や世界第2位の感染者数となっている。ロシア旅行に関しては旅行代金の一部を旅行業者にすでに払っていたが、3月末にキャンセルをしたためキャンセル料は払わなくて済んだ。しかし結局日本政府は海外渡航を禁じたためそのツアーそのものが無くなった。
 3月のお彼岸の時、沖縄にいる長男の次女が中学に、また齊田家唯一の男の子が小学校に入学するのでお祝いを持って会いに行った。当時沖縄もそんなに感染者数はいなかった。むしろ沖縄のホテルで「尾道にコロナ感染者3名発生した」というニュースが流れ驚いた。
丁度私が73歳の誕生日を迎え孫達が私のためにハッピーバースデーを歌ってくれた。
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 沖縄の往復はJALを利用したが、それ以来、新幹線はもとより在来線、バスにも乗っていない。11月に栗原中学校と、尾道学園の歯科検診に出かける時タクシーを利用したのが唯一公共交通の利用である。
 春先に第一波がやってきたとき、歯科治療は感染リスクが高いので、「緊急を要しない場合、診療を極力避けるように」と日本歯科医師会から指針が出た。私の医院でもメンテナンスにこられていた患者様に急遽電話をして来院を控えるようにお願いし、患者様自身も歯科に行くと危ないと判断され自発的に来院を控えられた。そのため4月・5月・6月と患者数、売り上げとも激減した。少しずつ回復してきたがいまだ元には戻っていない。最近では日本歯科医師会も歯科治療をする方がコロナに罹りにくく、かかったとしても重症化しにくいと受診を勧告するポスターを配布しだした。
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 今年はかなり厳しい経営状態となった。4年前に経営は息子に譲って私は勤務医をしている。その私が心配しても仕方が無いが、なんとか従業員の皆さんの生活を守れてほっとしている。
 尾道歯科医師会では昭和27年から毎月10日前後に会員の懇親のための飲み会「十日会」が開かれてきた。今年1月に新年会が開催されて以来一度も開かれず、もちろんこの年末の忘年会、来年の新年会も取りやめとなっている。飲み会が全くないというのは寂しい限りである。
そんな中、私の楽しみと言えば家庭菜園で野菜を作る事である。畑ではマスクもいらないし、見上げれば青空が見える。蝶々、バッタ、トンボ、蛙、季節の鳥や草花が目を楽しませてくれ、一時的にコロナを忘れることが出来た。
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今年は、ジャガイモ、サツマイモ、落花生、ネギ、フダンソウ、おくら、トマト、なす、キュウリ、ニンニク、モロヘイヤ、大根、紫蘇を収穫し、人参、タマネギ、ゴボウ、春菊、白菜等を現在育てている。白菜は初めての挑戦、霜が降り出したので、先日防寒対策として葉っぱをひもで縛った。どのような白菜が出来るのか楽しみである。
 ところで最初は我慢すればすぐに終わるだろうと思われていたが、このコロナ禍がいつ終息するのか見通しはさっぱり立たない。報道からすれば終わらないどころか悪化していく毎日である。しかも最近では世の中、コロナ疲れとまで言われ国民の気が緩んでいるとも言われている。平凡な日常が奪われどこに出かけるにもマスク着用、三密という言葉が流行語になったり、会社倒産、解雇、失業、医療崩壊と言った言葉が新聞やTVに頻繁に現れる。
この1年で世の中はすっかり変わってきた。テレワーク、オンライン授業、オンライン会議などカタカナ言葉が随分増え、社会が根本的に変わった感じがする。もはや元に戻ることは無いのであろう。
将来10年・20年後に2020年を振り返ったとき、あの年が「ターニングポイントだったね」と言われるのであろう。
まもなく始まる2021年一体どんな年になるのであろうか?まだ明るい兆しは見えないが少しでも明るい年になって欲しいものである。

2020年12月24日

オンライン会議・オンラインセミナーに参加して

 今年も後1ヶ月を残すばかりになったが、今年はコロナショックで世の中随分と様変わりした。春先から緊急事態宣言が出され学校の休校や卒業式・入学式を取りやめたり、授業と言えば登校しないでオンライン授業だと言って自宅でパソコンを通して講義をうける、また会社には出勤しないでテレワークと称して自宅で仕事をするなど色々の事が起こっていて、私にとっては耳慣れない言葉がいっぱい溢れている。
 しかし歯科医師は対面でないと仕事が出来ないので、少なくとも私は関係ないと思っていたのだがここ1週間ほどでオンラインなるものを体験する羽目になった。
 私は現在母校の北海道医療大学歯学部同窓会の副会長(財務担当)を拝命しているが、先月28日に同窓会役員理事会がZoomを利用してオンライン会議が行われた。おっかなびっくり参加してみたところ、パソコンの画面に参加者全員の顔が写り、発言者をアップにするボタンをクリックすると発言者が大きく写り機能にも驚いた。もしもこれを今迄のように札幌で対面での会議にすると同窓会としては会議費という名目で実費ではあるが出張交通費や宿泊費を支払う必要がある。それでなくてもこのコロナ禍でマスクが手に入れにくい時期には同窓会としてマスクを調達して学生に配布した。
 またアルバイトが出来ず生活費に困っている学生などもいて、その人達を応援するのに同窓会として同窓生に寄付を求めた。私も幾ばくか寄付をしたがそれだけでは足らず同窓会としてかなりの金額を拠出した。この様に同窓会の資金が逼迫してきている時だけにこのリモート会議は財務担当としては良かったと思う。
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 さらに12月1日には日本歯科医学会が19:00〜20:30にやはりZoomウェビナーを利用して「日本歯科医学会令和2年度学術講演会(第1回)」を開催した。事前に受講登録をしていたところ、当日視聴用URLが送信されてきた。それをクリックするだけで参加出来た。内容は「新型コロナウイルス感染症における歯科の対応」と題して日本歯科大学付属病院口腔外科 教授 小林隆太郎先生が日本歯科医師会の会議室から講演をされた。受講申し込み者は全国で1200名を超えているとのことであった。
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なお講演会の冒頭、講演の内容の録音・写真撮影は遠慮願いますと言われた。写真は始まる前の待ち受け画面です。
 始めに感染の経過と現在の感染状況の説明がなされた。その後COVID-19の正しい知識と対応について話され、特に診療に関する留意点、診療環境に関する留意点、スタッフに関する留意点、ウイルスに対抗する歯科の重要性について話された。最後の歯科の重要性については口腔機能管理、口腔衛生管理(口腔ケア)がいかに大事で有るかを話された。そして「私たち歯科医師は、新型コロナウイルス感染症に対して、『出口戦略』というよりも新たな歯科医療環境への『入口戦略』ととらえて取り組んでいきたいと考えています。大切なことは、これまで行ってきた標準予防策の確実な実行です。それに加え、『正しい知識による、新たな習慣、新たな工夫』がテーマである」と締めくくられた。
始めと最後に講師の姿が映るだけで後は講師のパソコン画面のみが流れてくることから文字もよく見えるしその点オンラインセミナーの方が良いのかなと思った。講師の先生も壇上に立つ必要もないし、座ったままパソコンの画面を見て出来ることから体力的には良いのではないかと思う。聴く方も普段着で自宅の自分の机の上で出来るので良かった。
主催者もこの方式なら会場を借りる必要もなくインターネット環境のある小部屋で十分で開催経費も安上がりなのでは?私たちも交通費も要らないしこれからオンラインセミナーが主流になるのではと思った。
 二つのオンラインを経験してみて、このコロナが時代を一歩も二歩も先に進めたと感じた。

2020年12月03日

邪馬台国

 先日ダイレクト出版社から電子書籍の案内が届いた。電子書籍の存在は知っていたが、本と言えば紙に印刷されたものが本であるという身勝手な考えに凝り固まっていたので見向きもしなかった。
 この度の案内は『なぜ卑弥呼神社がないのか 日本のどこにも存在しない「邪馬台国」」というタイトルの本だったので興味をそそられ注文してみた。価格は100円。メールの中の「注文する」をクリックしたら15分ほどで返信メールが届き、その中のダウンロードボタンをクリックするだけで読み始めることが出来る。何とまぁー便利なことかと思う。
 PDFで届くのでページが拡大でき、私のように年寄りで目が不自由になってきている者にとっては有難い。しかも「音声で読み上げる」というボタンをクリックすると読み方に少し難があるが耳で聞くことも出来る。驚きの発見である。ただ長時間読んでいると目が疲れる。パソコン画面のブルーライトによるものであろう、時々目を休めないと行けないと思った。そして何よりも読んだ後、保存するのに本箱は要らない。パソコンのハードディスクに保存するので邪魔にならないし、USBメモリーに写せばどこにでも持ち運びが出来る。世の中進歩しているのだとつくづく思った。
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 ところで購入した本は田中英道・東北大学名誉教授の書かれたもので、先生は美術や日本国史に造詣の深い方である。
邪馬台国、卑弥呼と言えば中学や高校の日本史で少し習ったことがあり、魏志倭人伝にその記述があったこと程度しか知らない。
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 私の手元に朝日新聞社1980年(昭和55年8月1日)発行の「幻の女王・卑弥呼 邪馬台国への道 古代日本のナゾとロマン」という本がある。いつ手に入れたのか記憶が定かでなく購入したとき少し中をぺらぺらめくった程度であった。当時開催された「邪馬台国への道展」の記念写真集兼図録集の様である。この度、電子書籍を読み、そしてこの図録集もあわせて読んでみた。
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 邪馬台国がどこにあったかについては江戸時代の本居宣長の頃から議論がなされていて、北九州説、南九州説、畿内説、果ては関東地方だという説も有りいまだ解決されていない。さらに卑弥呼の墓については新しい古墳が発見される度にここがそうではないかと議論が出る。有力な説として奈良県・箸墓古墳がそれらしいと言われているが年代が100年くらい違うらしい。この様に様々な説が流布されている。
 田中先生は全国を調査されて「王」になったほどの卑弥呼が神社に祀られていないのはおかしい。また各地の風土記の中にも卑弥呼らしき記述がないこと、また民俗信仰、昔話の中にもそれらしきものがない。さらに魏志倭人伝の中には倭人の男性は入れ墨をしているなどの記述が有り魏志倭人伝の内容そのものに疑いを待たれている。
私も二つの本を読んでみて、それらしき国やそれらしき人物が当時いたかも知れないが魏志倭人伝に書いてある「邪馬台国」「卑弥呼」の名称そのものは作者・陳寿が想像して名付けた名前であったのかも知れない。そう考えると魏志倭人伝が絶対なものとして金科玉条のごとく論ずることには何か違和感を覚える。思うにこの問題は永遠の古代ロマンかも知れない。

2020年11月22日

新型コロナウイルス(武漢ウイルス)

 今年は3月頃から新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、一旦落ち着いたかに見えたが最近の報道では第2波が来つつある感がある。とりわけ毎年冬に流行するインフルエンザとの相乗効果心配されている。私も10月22日にインフルエンザワクチンの予防接種を受けた。
そんな中、毎月購読している月刊「致知」12月号に「この苦難をどう乗り越えるか」と題した。2015年ノーベル生理学・医学賞を受賞された北里大学特別栄誉教授「大村智先生」のインタビュー記事が載っていた。先生はこのコロナウイルスの特徴をいくつか纏められている。転載させていただくと
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「一つには潜伏期間が長くて、感染したとしてもすぐに発症しないことが多い。そして無症状の人が多い。問題なのはこの無症状の人からも人に感染することで、ここが他のウイルスと違うところ。
感染経路についても飛沫であったり空気感染であったり食べ物であったり非常に多彩で、一旦感染するとウイルスは全ての臓器に入り込むことができる。しかも、RNAウイルスなので、ウイルスの顔つきが変わりワクチンができても使えなくなる可能性があるんです。それに、普通はウイルスに感染すると体内に抗体ができて感染しなくなるのですが、新型コロナウイルスの場合は約3ヶ月で抗体の量が急激に減少するという報告もある。もう一つ恐ろしいのは、新型コロナウイルスの遺伝子は遺伝子配列の四カ所がエイズウイルスと同じだという点です。エイズウイルスはいまなおワクチンができていませんが、それと類似の性質を新型コロナウイルスも持っているわけです。こういう特徴を見る限り、このウイルスが自然にできたとはなかなか考えにくいんですね。人工的につくられたのではないかと思われるフシがいっぱいあります。実際、エイズウイルスの発見者リュック・モンタニエ博士は『遺伝子配列の四カ所がエイズウイルスと同じというのはどう考えても不自然だ』とはっきり指摘しています。だけどそれを証明するのは困難ですね。発生源とされる武漢のウイルス研究所に軍隊が乗り込んで証拠になりそうなものすべて破壊し、関係者の口封じをしたとされているからです。新型コロナウイルスが蝙蝠などの動物によるものか、あるいは人工的につくられたものなのか、今となってはそれを掴むことが困難になっているのが残念と言う他ありません。」
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また『日本人の致死率はなぜ低いのか』についても考察を加えられている。
「新聞で発表された数字で計算するとイタリアでは致死率12%。感染すると100人の内12人が亡くなるが日本の場合は1.9%で圧倒的に低い。これは日本人にはありがたいことに違いありません。その低い要因として日本人が三密状態(密閉・密集・密接)の除去をうまく行っていること、日常生活での衛生状態がよいこと、保険制度や医療機関が充実していることは一般的によくいわれているのですが、加えて和食の有効性についても指摘しておきたいと思います。和食や漢方薬にはリグニンと呼ばれる成分が含まれていて、これは体内の不用な鉄(生体不安定鉄)を除去、制御する働きがあるんです。体内の不用な鉄分は、人間が免疫を保つのに欠かせない亜鉛を減少させる働きが有り、和食でリグニンを摂取することでその減少を食い止めることができます。次に仮説だが日本人のBCG摂取率の高さも新型コロナウイルスの発症を抑える一因となっているといわれている。
最後に、PAK遮蔽ということについて触れたいと思います。体内にウイルスやバクテリアが入ってくると、その働きを促す悪いタンパク質(PAK)が体内で発生し、免疫系を壊してしまう。これを防ぐのに効果的なのが日本人が好んで口にする野菜や海藻です。免疫力が保たれることでウイルスに打ち克つことができるんです。」
さらに現在のワクチン開発についても疑問を投げかけておられる。ワクチンがそんなに早く開発はされないであろうこと、またたとえ出来たとしてもこのウイルスは変異を繰り返し、効かなくなることも考えられる。「そう考えると、この感染症は今後も長引き、完全に消すことは無理だと思います。根気強く付き合って行くことになるでしょうね。」
 確かに私たちは毎年インフルエンザのワクチン接種をしているがこれは昨年のインフルエンザのウイルスと今年のウイルスは型が違うためメーカーが毎年、今年は多分こういう型のウイルスが現れるのだろうと予想をしてそれに合ったワクチンを生産している。この予想が当たればインフルエンザは押さえ込むことが出来るが外れれば大流行となる。政府は来年の春には5000万人分のワクチンを手当てすると言っているが、それが有効なワクチンであることを期待するばかりである。さらにこれからは毎年新型コロナウイルスのワクチン接種も行わなければならないのだろうか?
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 余談だが11月6日に、わが「さいだ歯科医院」は開業34周年を迎え従業員一同からお花を頂いた。

2020年11月08日

諺「柿が赤くなれば医者が青くなる」

 カレンダーを見ると10月26日は原子力の日と書いてあるが、この同じ日が「柿の日」だとは知らなかった。由来は明治28年10月26日に正岡子規が奈良を旅したおり、有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句読んだ日だとされている。そのせいか毎年「奈良の柿」PRレディーが総理大臣を表敬訪問している。今年も10月15日に表敬訪問があったことが首相官邸メールマガジンに載っていた。(写真はメールマガジンより)
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 私は35年前の11月に現在地に開業した。来院患者は順調に伸びていったが、翌年の7月後半から患者数が減少してきた。8月は暑いので少し涼しくなるまで休むと言われる患者様が多くいらっしゃった。しかし9月の後半になっても回復しない、それどころかさらに落ち込んできた。私の開業した地域は農村地帯で周りにたくさんの田んぼがある。専業農家は少なく大半は兼業農家である。そのため一家のあるじ達は会社から帰るや田んぼに直行し、稲刈り、ハゼ作り、ハゼ掛け、さらに脱穀と大忙しである。とても歯医者に来る時間はないのだと思った。そんなことが毎年繰り返されてきたが、あるとき「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざを知る。当時その本当の意味は知らなかった。まさに私の状況を表した諺だと思って柿が赤くなる時期は稲刈りと重なりどんなにあがいても暇になるのだと悟っていた。
 ところがどっこい恥ずかしいことだがその諺の意味はまるで違っていた。
インターネットで検索したところ『「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざは、柿が赤くなる秋は天候がよいので、体調を崩す人は少なく、医者は商売にならずに青ざめる、という意味で、おそらく、柿の健康効果も手伝って生まれたことわざでしょう。』とあった。また柿の成分を見ると『ビタミンCやビタミンAがミカンの2倍あり柿1個食べると、ビタミンCの1日の摂取基準量を満たすことができます。ビタミンCは風邪の予防や免疫力アップ、美肌の育成・維持などに重要な働きをする栄養素です。さらにまた、血圧を下げる働きのあるカリウムや、コレステロールを下げる働きのある食物繊維も豊富に含まれている。そのほか柿に含まれているタンニンは、二日酔いの予防や緩和にも役立ちます。そして、タンニンには抗酸化作用もあるので、がんなどの抑制効果も期待できます。まさに「医者が青くなる」ほど栄養たっぷりの果物です。』と書いてあり、まさに目からうろこであった。
しかし長い間自分なりの解釈で納得出来ていたのは幸いであった。
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 ところで私の家庭菜園の一角に1本の「次郎柿」の木がある。20数年前に家内が苗木を買ってきて植えたものである。「桃栗3年柿8年」と言われるが植えた苗木は接ぎ木がしてあり、2年目には一個だけ実がなった。初めてのたった一つの柿を当時健在だった広島の両親のところへ持って行ったことが懐かしく感じられる。
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 その後、年を経るに従い少しずつ収穫出来る実の数が増えてきた。今年はかなり多く、コンテナ3個分くらいはあり数えてはないが300個くらいは出来たのではないだろか。尾道や沖縄の孫たちに送ったり、従業員やご近所にお裾分けをした。

2020年10月22日

タイからの嬉しい知らせ

 先日タイにあるドゥアン・プラティープ財団から私が里親になって奨学支援をしているスピー・タキアン君の近況や手紙・成績表などがメールで送られてきた。それによるとこの度、高校を卒業しカンチャナブリ・ラーチャパット大学の1年生になったとのこと。手紙には大学に入るに当たっての彼の意気込みが書かれていた。もっともタイ語のため読むことは出来ないが、財団が日本語に翻訳したものを添付していてくれた。そこには「僕は卒業した時に職業選択がきちんとできるように語学と情報を学びたいと考えています。僕は新しい大学生活に入ることに胸躍らせています。僕は難しくとも楽しんで挑戦し、根気よく勉強して卒業できるようにできる限り頑張ることをお誓いします。」とあった。私は胸がじんと熱くなった。
というのも彼の生い立ちが尋常なもので無いのである。
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 ところでドゥアン・プラティープ財団はバンコクのスラム街クロントイ地区にある。1978年にこのスラム出身のプラティープ・ウンソンタム・秦女史が、自分の経験からスラムに住む子供たちが悲惨な状況下にあり何とか助け出したいとして活動を開始された。現在の日本社会では考えられないことであるが、当時からスラムの子供たちは劣悪な環境下で養育され、やがて麻薬を常用するなどのさまざまな非行問題に引きずりこまれたり、また正規の教育を受ける機会も少ないために、仕事に就くのに十分な学歴が得られず、就職難になりがちであった。
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プラティープ財団のパンフレットによれば、とりわけタイの貧困家庭では、きつい労働と日々の生活費の捻出に精一杯で精神的なゆとりがなく、そのために夫婦が仲たがいしたり、子供の養育が至らなくなるなどの問題が生じています。生活の問題から来るストレスで子供を虐待したり、また違法であっても生活のために我が子を働かせるという状況も出てきます。社会全体に影響を及ぼしている麻薬は、急激な勢いで蔓延しており、若者たちはその犠牲となって始めて、わが身の破滅を知るという状況が起きている。こうした青年たちを立ち直らせ、社会的に自立できるよう教育の機会を提供していくために、プラティープ財団は1986年にチュンポーン県に少年のために、ニューライフプロジェクト「生き直しの学校」をスタートしました。一方少女たちの問題は少年以上に深刻で、近所の人や家族から強姦されたり、虐待されたりといった悲惨な状況下にあっている少女が多く、こうした状況を見かねて、少年たちの施設に続いて、1996年にカンチャナブリ県(映画 戦場に架ける橋の舞台になった場所)に「少女のための生き直しの学校」をスタートした。
ここでの少女たちの1日は、学校に行く子供たちの世話、野菜栽培、養豚、養鶏、調理や裁縫などの職業訓練、食事の準備などである。
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 この施設のこと、ウンソンタム女史の事を20年前の2000年に今は亡き石川洋先生(托鉢者、元、京都一燈園)にお聞きし、子供たちを継続的に奨学支援することにし、毎年いくばくかの奨学金を送っている。
 私が最初支援したB子は当時7歳の女の子であった。財団から送られてきたプロフィールによれば父親は麻薬売買と所持の罪で服役中、母親は麻薬常習者であった。施設に収容されたときは仔細な事で泣くなどなかなかなじめない子であったとの事。毎年学校の成績表や、短い手紙(日本人ボランティアが翻訳)、生活状況などが送られてきて、特に絵を描くことが得意のようであった。私は、いつの日か、彼女がタイ国の未来を背負って活躍することを楽しみにしていた。
しかし2008年6月17日にプラティプ財団からB子が親戚に引き取られ退所したと連絡が来た。両親は麻薬中毒で父親は服役中である。おそらく15歳になった彼女を働かせてお金を得ようとする親戚の魂胆であろう。まともな所で働くのなら良いが、売春宿などで働かされたら、8年間も里親として支援してきた甲斐が無いというものである。財団のほうも随分とそれを心配しているようである。今となっては27歳になったB子が幸せに生きていてくれることを願うだけである。
 その後、私の里親援助は2008年7月から戸籍証明も無く母親の死亡書のみしか持たないスピー・タキアン君7歳に切り替わった。財団から送られてきたプロフィールによれば両親と物乞いをしながら住む場所も一定しない生活をしていた。父親はアルコール中毒で話すこともおぼつかない。母親が死んだ時、たまたま「生き直しの学校」に保護された。毎年送られてくる財団の報告書を見ながら彼が元気にしていることに安堵していた。小学4年生からは自筆の手紙が添えられていた。最もそれ自体は読めないので財団の翻訳を読んでいた。彼からの手紙には前向きな気持ちが綴られていた。「生き直しの学校」で勉学と野菜栽培・養豚・養鶏・アブラヤシの収穫作業などの農業実習、スポーツ、コンピューター学習、学校外教育等をしながら小学校1年から今日まで甘えることなく頑張ったことが大学進学を決意しついに大学に合格したのだと思うと胸が熱くなる。
ちなみにタイの大学進学率は49.3%(2016年)日本の大学進学率は54.6%(2019年)であるが、しかしプラティープ財団「生き直しの学校」から大学へ進学する生徒はほんの僅かのようである。それだけ彼が信念を持って頑張ってきた証と考える。だからこそ彼が将来も頑張って国を引っ張って行きタイ国をより豊かな国にしてもらいた。日本の大学生にも貧困の中、頑張っている学生もいると思うが、TV等で見受ける大半の学生は真剣さが足らない気がする。
 日本にも児童養護施設があり、子供達を保護しているがプラティープ財団の方が子供達の置かれている状況をより深刻にとらえ、そのために自立しやすい実践プログラムを組んでいる感じがする。
 少なくとも彼が大学を卒業するまではもう少し里親を続けさせてもらおうと思っている。

2020年10月08日

今年のシルバーウイーク

 今年のシルバーウイークは20日〜22日の3連休であった。普通ならもう2日くらい休みを取ってどこか旅行に行けたのに、コロナのためにどこにも行けない。それで家庭菜園に力を注ぐことにした。日記風に書くと、
 20日(日):
 あらかじめ9月5日(土)に夏野菜のミニトマトやキュウリを引き抜き野菜用の土地を確保、肥料を入れて耕して少し土地を寝かせておいた。
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本日畑を観ると沢山の雑草の芽が出ている。再度耕運機を使って耕し畝を作る。植えるものとしては、おでん大根、春菊、人参、タマネギ、白菜とした。畝づくりをしてそれぞれの植え方に従って植えた。ただ立つたり座ったりで結構大変、翌日大腿四頭筋などが痛くなった。
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 野良仕事をしていると結構色々の虫を目にする。チョウチョもモンシロチョウ、アゲハチョウ、クロアゲハチョウ、モンキチョウの他ヒョウモンのオレンジ色のチョウ等。その中でアゲハチョウであるが青色の羽根を持っているものが飛んで来たが残念ながら写真は撮れなかった。帰ってインターネットで調べたらどうやらアオスジアゲハのようである。
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 またクロ色のアゲハチョウなのに羽を広げると青色が見えるチョウチョもいた。名前をインターネットで調べるも多くありすぎて確定できない。この畑にこんなにも色々の蝶がやってきていることに驚く。
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 また頭のとんがった10センチほどの大型のバッタを見つけた。この様に大きなバッタは今迄観たことが無く、インターネットで調べると日本で最大のショウリョウバッタのメスであった。
ところでモンシロチョウはアブラナ科が好物のため大根は芽が出るとモンシロチョウの格好の卵の産み付け場所になる。昨年もこれで出てきたばかりの本葉が食べられ、それで人間の手に吹きかける虫除け剤を葉っぱに吹きかけたところ、次の日には全部枯れていて再度植え直しをした経験がある。今年は芽が出たら早めに虫除けネットを張ろうと思う。
ところでこの夏は梅雨明け後、猛暑が続いた為か畑の隅に植えていた「青木」がこの夏の暑さで葉っぱがかなり枯れていてびっくりする。
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 21日(月):
 午前には畑の水まきをしてサツマイモの試し掘りをした。ねっとり系の「紅はるか」を植えているが今年は良い格好の芋が出来ているようである。
その後墓参りに行く。親不孝というか墓石に刻まれた父親の死亡日を観て、今日が父親の月命日だと気が付く。改めてしっかりとお参りした。その後家内の家の墓にもお参りする。
なお収穫した芋を後日や焼き芋で食べたところ、芋が太る時期に雨が降らなかったせいか特徴の一つである「ねっとり」感が少なく「ほかほか」系に近い感じがした。甘さは特に問題ないようであった。
 22日(火):
 畑の水まきをしてから墓所のとなりの山を散策する。いつも墓参りの時、横目で見るだけであったが、昨日新しい駐車場の横に山への登山道が見えたので家内と行ってみることに。
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 ここは高校の同級生のK君達が20年前くらいから山を整備し桜を植えてきて、今は桜山と呼ばれているようだ。桜や銀杏の木が植えられて、萩の花なども有り散歩コースにはもってこいかも知れない。
 三成の町が一望でき、空には筋雲や鱗雲が有り秋を感じさせてくれた。
なお昨日23日昼には大根の芽が発芽した。たった3日で発芽したことに驚く。

2020年09月24日

松岡洋右「興亜の大業」を読んで

 毎年終戦記念日が近づいてくるとTVも新聞もこぞって先の大戦は全て日本が悪かったような報道がされているが、私は何か少し違うような気がしている。それで以前、私は南京大虐殺についてどうだったのか色々の本を読んで巷に言われているように20〜30万人が虐殺されたというのは少し違うのではないかと思った。(H30.1.17投稿の「『南京事件』とは」のブログに記載)
 我々は戦後、東京裁判で全て日本が悪く植民地主義でアジアの国々に攻め込んだとされ、多くの日本国民がそのように思わされ自虐史観に染まっていると思っている。
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政府の広報誌に載った小学生の女の子に正しい答えを教えることが大事なのではと思っている。そんなとき友人から転送された経営科学出版(ライズ・アップ・ジャパン)のメールには次のように記されていた。
『あなたはご存知ですか?
戦後、GHQと日本政府の間で日本の歴史を破壊する密約がこっそりと交わされていたことを... というのも、戦後、GHQが言論統制を行ったことは有名ですが、、その中でも特にGHQが力を入れて取り組んでいたのが、日本政府と交わした「焚書密約」というものでした。その内容は、GHQは自らの思想にそぐわない日本の書物をリスト化して没収し、国民に読ませないようにするというものです。
そして、焚書対象となったのは昭和3〜20(1928〜1945)年に出版された約22万タイトルの刊行物のうち、7769点だったと言われています。この焚書活動は、書店や出版社の差し押さえだけではなく、全国の警察が出動して流通している対象書物はことごとく押収し、輸送中のものであっても奪われました。そして、没収を拒んだ者や没収者に危害を加えようとする者は罰せられるほど徹底的でした。
つまり、GHQにとって不都合な事実や戦前の日本人の考えが記された記録物は現代にほぼ残っていないということです、、、
だから、私たちは歴史を勉強しようと思っても、商業的な本ばっかりをつかまされたりで、、なぜ戦争へと進んでいったのか? 先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか?
いまの日本人に何を残したかったのか? 当時はどんな苦難があったのか?
など肝心なことを知るのが難しくなりました、、 
しかし、今日は1つ朗報があります。実は弊社でGHQによって焚書とされた書籍を手に入れることが出来ました。
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そして、この本の復刻に成功したので、これを記念して、今この文章を読んでくれているあなたに無料でプレゼントしたいと思います!』 とあり早速申し込んで手に入れ読んだ。
 松岡洋右といえば中学の社会科の授業で国際連盟を脱退したときの日本の全権大使で満州事変後のリットン調査団の報告に納得せずに議場から退場したという知識しか無かった。
この復刻された「興亜の大業」という本は昭和16年日米開戦の半年前発表されたもので松岡洋右が外務大臣を解任される直前のものである。開戦のおよそ半年前の状況が克明に描かれている。この本は戦後GHQにより焚書(書物を焼き捨てて、処分していくこと)とされたものである。本の帯には「GHQにとって不都合だった大東亜構想の真実」と書かれている。
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大東亜戦争(太平洋戦争)は何故起こったのかその大義は何だったのか常々疑問に思っていたがこの本にその答えがあったと思う、松岡は「興亜の大業」の意義は神武天皇の建国の御詔勅に現れた、「八紘一宇の御精神の実現である」としている。
本書に目を通すことで…当時の日本がどんな状況でなぜ、戦争へと進んでいったのか?先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか?いまの日本人に何を残したかったのか?当時はどんな苦難があったのかを知ることができる。
また本のカバーの裏には
『「今日の白人人種が、アジアの大部分を征服し、現地民をほとんど奴隷化して、支配下に置いている事実を我々はどうして座視しうるであろうか」
松岡洋右は本書で、東亜全体が西洋列強の不当な迫害により、その生存さえも脅かされていると激しく糾弾する。そして、東亜を白人種ブロックから離脱させ、独立興隆せしめんとして「東亜新秩序建設運動」を提唱した。松岡は満州事変を「日本精神の爆発」とさえ呼び、満蒙を生命線とすることで日本の可能性を打開せんとする。本書は、政治家・松岡洋右の覚悟と信念が刻まれた渾身の書である。現代日本人が喪失した「日本精神」が当時の指導者にあり、青年の中にも脈々と流れていることを訴える「檄文」となっている。』とある。
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さらに産経新聞「正論」の元編集長上島嘉郎氏が本の最後に解説文を書いているがその一部が本の帯に転載されている。『「GHQが禁じ、戦後の日本人が自らタブーとしたことは何だったのか」本書は、外交政策を論じたものではなく、日本人(大和民族)の精神のあり方、その世界史的な使命について松岡自身が信ずるところを語ったものです。松岡の時代感覚、言葉遣いに、無関心でなく違和感を抱くことから、松岡と同時代を生きた父祖の思いに繋がる道筋が見えてきます。それが戦後の「閉ざされた言語空間」に一方的に拠るのではなく、戦前の日本人と繋がった上で、自らの言語空間の中で、葛藤を経た結果として出てくるものでなければならない。「興亜の大業」を今日読むことは、歴史認識の問題だけでなく、日本人を日本人たらしめていたものの喪失に否応なく気づかされることです。』とあった。
 今日、昭和22年生まれの私が育った時代とかなり様変わりして何か違った世の中になったと私は感じている。物質的に確かに豊かになったが心は貧しくなっているような気がする。これもGHQによる占領政策の一環として、自国の歴史を否定する教育が行われた結果、民族の誇りが損なわれ日本人の心が無くなったのではないだろうか。
 今、松岡洋右が生きていれば今の日本を観てどのような言を発するで有ろうか?

2020年09月13日

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