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最近の記事
03/15 畑の草取り悪戦苦闘
02/17 由紀さおり文化講演会に参加して
02/14 堺屋太一氏の悲報に接して
02/03 脅迫・詐欺メール
01/22 健康寿命
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

畑の草取り悪戦苦闘

 昨年秋口に、少しばかり「おでん用大根」、「ニンニク」、「たか菜」を植えた。オクラやトマト、キュウリ、茄子等の夏もの野菜を収穫した後、畑の7割程度はそのまま放置しておいた。
 おでん大根は途中、間引きをして最終的に36本ほどを育て11月終わり頃から少しずつ収穫をした。今年は暖冬であったせいか1月終わり頃から大根の生長が著しくなり2月中頃には今まで見たことのないような大きさになる。そもそもおでん大根は長さが短いのが特徴である。
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 写真に示したおでん大根は長さ44センチ、胴回り42.5センチ、重さ4.2キロもありびっくりした。最後の7〜8本はほぼこの大きさ長さであった。この様に大きくなっても味が良く、夫婦二人で1本食べ切るのに一週間程度かかる。毎年おでん大根を植えているのだが、今迄3月に花の芽が出るまで置いてもこんなに大きくなったことがない。昨年春に肥料をしこたま入れて土を肥沃化したことによるのかもしれない。ニンニクも順調に育っているようで、6月頃には収穫できそうである。
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 まだ今年は何を植えるか決めていないがそろそろ農作業の準備をしなくてはと思い、まず11月以降運転していなかった井戸ポンプが動くかどうか動作確認をした。と言うのも昨年は冬が寒くて井戸ポンプの中の水が凍って破裂し廃棄せざるを得なかった。
今回は冬になる前に発泡スチロールでカバーを造って対策をしていた事と、暖冬だったので井戸ポンプは壊れないでスイッチを入れたとたんものの見事に一発稼働した。ほっとする。
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 毎年ある程度、畑の草をあらかじめ取ってから耕運機で掘り起こすことにしている。そうでないとあっという間に畑が草ぼうぼうになる。ところで最近雨の日が多く、なかなか休日が晴れない。それでも合間を縫いながら少し草取り始めたところ抜いた草の根にびっしり土がついてきて、少々ほろっても土が離れない。このまま草を捨てたのではせっかく肥沃にした土もかなり捨てることになる。夏場なら数日で草も枯れ泥も落ちるが、今年のように雨が多く、土が付いていると何日経っても抜いた草が枯れない。
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 そこで根の方を上にして置いて枯れやすいようにしてみたりしたがやはりなかなか枯れない。とうとう業を煮やして抜いた草を洗って土を落とし、ビニールシートの上に置いて少し枯れたところでゴミとして処理してもらうことにした。本当に手間がかかり悪戦苦闘しながらの草取りである。
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昼休憩も返上で作業着に着替えてやったりするが、している最中に小雨がぱらついたりしてがっかり。それでも時折聞こえるウグイスの声に春を感じたりしたが、本日やっと草取りが終了である。今度の日曜日には肥料を撒いて耕運機をかけよう。
 

2019年03月15日

由紀さおり文化講演会に参加して

 先日、しまなみ信金経営者協議会主催の文化講演会に三原市芸術文化センターポポロに出かけた。今回は歌手で女優の由紀さおり氏が「美しい日本語の歌を伝えたい」と題して講演された。1000人ほどの聴衆が来ており会場はほぼ満席であった。私は文化講演会とか言うものにほとんど参加したことがない。講演会と言えばおおかた歯科関係のものばかりである。
 彼女の話はとても面白く引き込まれていった。最初は彼女のデビュー曲「夜明けのスキャット」にまつわる話であったが、日本の歌は明治時代にまず西洋の曲に日本語の歌詞を付けるところから始まったこと、その後、学校教育のために唱歌が作られていったことなど歌の歴史を知った。
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 講演が進につれてアカペラで歌ってくれたりした。例えば滝廉太郎の「花」の場合は「春のうららの墨田川・・・」の川(がわ)は濁音でなく鼻濁音で歌うと音が柔らかくなるのだと話しながら濁音の場合と鼻濁音の場合を比較して歌われた。確かにその通りだと知った。
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 また「あめ あめ ふれふれ かあさんが じゃのめで お迎え 嬉しいな ピッチピッチ チャップチャップ ラン ラン ラン」の歌詞で有名な北原白秋の「あめふり」の場合、私は1番程度しか歌ったことはないが、
3番は「あら あら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで 泣いている・・・・」
4番「かあさん ぼくのを 貸しましょうか きみ きみ この傘 さし給え・・・・」
5番「ぼくなら いいんだ かあさんの 大きな じゃのめに 入ってく ピッチピッチ チャップチャップ ラン ラン ラン」
歌詞の3番、4番、5番には日本人の優しさが込められている特に4番と5番の間には傘を持っている男の子とびしょ濡れになっている子の間にどのような会話があったのだろうか、想像して見て下さいと言うお話もあった。
彼女が歌うのを聴きながら、そういえば小学生の時何度か母親が傘を持ってきてくれたことを思い出した。もちろん蛇の目ではなかったが。
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 西条八十の「カナリヤ」も日本人の優しさ、いたわる心がにじみ出していると話された。しかし彼女の歌を聴きながらこの歌詞のある意味怖さを感じた。
1、歌を忘れたカナリヤは 後ろの山に捨てましょうか。
  いえいえ、それはかわいそう
2、歌を忘れたカナリヤは 背戸の小籔に埋めましょうか
  いえいえ、それはなりませぬ
3、歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょうか
  いえいえ それはかわいそう
4、歌を忘れたカナリヤは 象牙の船に銀のかい
月夜の海に浮かべれば、忘れた歌を思い出す
1番は「後ろの山に捨てる」、2番は「背戸の小籔に埋める」、3番は「柳の鞭でぶつ」。
これって虐めそのものでは無いのか? 千葉県野田市で両親に虐められて亡くなった小学生4年生のことが頭をよぎった。両親に「かわいそう」とか、「なりませぬ」とかいう気持ちがあれば事件は起こらなかったのでは無いだろうか?
 サトウハチロー作詞の「小さい秋みつけた」を彼女が歌った後、会場のみんなに「この歌を聴いてあなたはどんな秋を見つけられますか」という問が投げかけられた。色々考えているときにふと古今和歌集の「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」と言う歌が思い出され、何時でも自分の周りには色々の事象があるのに、忙しさにかまけて見過ごしている自分に気付かされた。
 それにしても童謡とか唱歌の旋律の美しさに改めて驚くと共に、また歌詞が本当に素晴らしい日本語で、優しく情操豊かで心の中に染み渡る感じがする。
今の子供たちがどの程度童謡や唱歌を歌っているのか知らないが是非とも歌って欲しいと思った。
 70歳になっている彼女が1時間半ハイヒールで立ちっぱなしで講演する姿にも感動した。
最後に全員で故郷(うさぎ追いしかの山・・・)を歌って散会となった。
本当に良い時間を持ててよかった。

2019年02月17日

堺屋太一氏の悲報に接して

 去る2月8日堺屋太一氏が亡くなられたと10日にTVでテロップが流れ、一瞬びっくりした。その後各局のニュース番組で取り上げられ彼の功績が報道されていた。
私にとって彼は特別の人である。私が現在歯科医をしているのもある意味彼のお陰である。
 新聞記事は日本経済新聞2月12日付け朝刊より
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 確か昭和53年1月3日の日本経済新聞の記事かコラム欄に書かれた記事の内容を今でもはっきり覚えている。その記事には当時私が勤務していた日立製作所を引き合いにして書かれていた。会社は大学卒を毎年1300名程度採用していたが、いわゆる堺屋太一氏が名付ける「団塊の世代」が入社するようになって急に大学卒が増えたので将来、課長とか部長と言ったポストがなくなると言うことが書かれていた。私は団塊世代の一番先頭で有り入社7年目であった。まさに私のことを言っているのだと思った。
「そうか将来課長にもなれないのか」とがっくりきたことを覚えている。その後、連日の会議や何やらで、ひどい風邪を引いた。3日間有給休暇を取ったが「休みます」という連絡を家内から上司にしてもらった。「1日目はああそうですかお大事に」だったが、3日目は「えっ、まだやすむの?」と言ったニュアンスで返答されたとのことで有った。
 今でこそ長時間労働・残業手当なしの企業をブラック企業と呼ぶが、当時工場で働く現場の工員は直接部門で大学卒等は間接部門に区別され、間接部門の人については1ヶ月の残業時間が決められており一人10時間程度であった。その為、与えられた残業時間を消費してしまうと後はいわゆるサービス残業である。しかし当時それは当たり前と思っていたし、その分ボーナスなどに反映されるのだと思っていた。
 しかし此の風邪を引いて休んでいる間に「このままで良いのか」自問自答を繰り返した。
昭和54年から大学入試がセンター試験になると報道されていた。会社を辞めて1年間びっちり勉強して医学部を受けようと思ったが、知り合いの歯科医の先生が私がすでに30歳を越えており、よしんば合格して6年間勉強しても卒後研修医をしていたら開業も遅くなる。歯科医師の方が良いといわれた。
それで歯科医を目指すこととして出身大学の広島大学歯学部に学士入学の制度があるかどうか尋ねたがそのようなものはなく1年生から学ぶようにと言われた。今ならどこの大学にもある制度で、第3学年に編入できるのだが当時はなく、センター試験を受ける覚悟で辞表を提出、2月の終わりだった。たまたま東日本学園大学(現北海道医療大学)が歯学部を設立し今まさに生徒募集をしていると歯科医師の先生から連絡を受け、私立でも受かって免許を取れば同じだし、来年合格できるかどうか分からない。君の年齢を考えればチャンスが多い方が良いとアドバイスしていただき受験。無事合格できて今の私がある。
 ほんとにあの記事出会えなかったら私の人生は全く違ったものになっていただろう。堺屋太一様々である。有り難うございました。
ご冥福をお祈りいたします。

2019年02月14日

脅迫・詐欺メール

 昨年12月に英文で書かれたメールが届く。最初にこれはあなたのパスワードの一つであると書いてあった。確かに何かに使ったことのあるパスワードであるが何のパスワードだったか全く覚えていない。ずいぶん昔に使用したパスワードである。
 近頃何をするにしてもパスワードが必要で有り、しかもパスワードの使い回しは良くないと聞いているので最近はメモを取るようにしているが今回のパスワードについては使用したことは有るが何のパスワードであったか記憶が定かで無い。それでびっくりして英文を読む。
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 内容をかいつまんで書くと、私はあなたを調べる様に強要されたわけではない。あなたは私を知らないし、何故あなたがこの様なメールを受け取ったのか大いに不思議に思っているでしょう。
私はポルノ動画サイトにマルウエアー(ウイルス)を仕込んだ。あなたがその動画サイトに入ってビデオを楽しんだことを知っている。こちらはあなたが動画を楽しんでいる間にキーロガー機能によりあなたのデイスプレーとウェブカメラ、メッセンジャー、フェイスブック、電子メールのアカウント情報を収集した。私はあなたが観ていた動画とあなたが動画を楽しんでいる様子を記録し、それを組み合わせた動画を作成した。
そこであなたには2つの選択肢がある。
一つはこのメールを全く無視すること。その場合は、私が作成した動画をフェイスブック、メッセンジャー、メール友達等に全て送信し公開する。
もう一つのオプションは米ドルで899ドルを私に支払う事。その際ビットコインで振り込む事。ビットコインが分からなければGoogleでビットコインの入手方法を探しなさい。
BTC(ビットコイン)送金先 ****************
 あなたが警察に通報してもこのメールから私にたどり着くことは出来ない。私はこのメールに特殊な仕掛けをしており、あなたがこのメールを読んだことを知っている。48時間以内に実行しないと動画をあなたの関係する連絡先全てに送信する。お金を受け取れば動画を消去すると書いてあった。

 勿論私はアダルトサイトなどに行ったことはなく身に覚えがないので無視した。
十日ほど経って第2弾が送信されてきた。若干読みやすくなった英文であったが、文面はほぼ同じで金額の要求が米ドルで998ドルになっていた。勿論ビットコインである。それも無視していたら1月になってまたほぼ同じ内容の3弾目が送られてきた。今度は米ドルで7000ドルを要求してきた。
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 私もこのパスワードが何だったか色々調べてやっとたどり着いた。何とGoogleのパスワードであった。すぐさまパスワードの変更を行う。
そういえば何年か前にGoogleのアカウントが大量に流出したといったニュースがあった。どうやらその時、私のアカウントも流出したのであろう。それを多分外国人と思われる人達が悪用してメッセージを送り届けて来たのであろう。
その後は何もメールが来ない。ポルノサイトを閲覧していたら真っ青になり詐欺に引っかかったかも知れない。メールやネットは怖いな。

2019年02月03日

健康寿命

 日本人の健康寿命をネットで検索すると2016年は男性72.14歳、女性74.79歳で、 前回調査の2013年の調査から男性は0.95歳、女性は0.58歳、それぞれ延びた。私はまもなく72歳となり健康寿命に達する。そのせいか先日、左目の白内障の手術をした。右目はすでに1年ほど前に済ましている。70歳までは手術や入院などしたことがなかったが、この手術一つをとっても老化が忍び寄って来ていると考えざるを得ないし、まさに健康寿命に近づいていると感じた。
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 一方平均寿命という言葉があるが私が生まれた1947年(昭和22年)の平均寿命は男50.06歳、女53.96歳であった。2017年の日本人の平均寿命は男性が81.09歳で女性が87.26歳いずれも過去最高を更新したとのこと。この平均寿命と健康寿命の差が介護などが必要となる期間とされている。この差を縮める事が「ぴんぴんころり」となる。
 ところで最近人生100年時代と言われ政府は働き方改革などの議論において定年を伸ばし年金の受給年齢を引き上げるなどの議論を開始している。
現在なら65歳で定年となった後、男の場合16年分の生活費でよいが、人生100年となれば定年後35年間生きていく必要があり経済面でも大変なことになる。この事を踏まえて政府が有識者会議を開いて検討を始めたことも納得できる。
 先日新聞記事で寿命100年は大いに達成することが出来るがその時の死因の1番は自殺と書いてある記事を読んでどきっとする。
 そんな矢先、呉市出身で東京で暮らす信友直子氏が監督・撮影・語りをしているドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」を観た。
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この映画は呉市に住む両親、認知症を発症した母87歳と耳が遠く95歳で初めて家事をする父と離れて暮らす一人娘の直子氏が東京と呉市を行き来して両親を泣きながら撮った1200日の記録映画である。
映画の最初の頃の画像は両親とも元気で生活している場面だったが映画が進むにつれて母親が認知症を煩い父親が老老介護をしていく場面になっていった。老老介護も限界となってきて娘の直子氏のすすめで介護保険を利用していくが、母親はヘルパーさんを拒否したり、自分が分からなくなって「死にたい」としばしば口走るようになっていく様が映し出されていた。
 正に新聞記事に書かれた様に自殺が死因の1番になるのが当たり前になるのではないかと思った。
家内と一緒に観たが、私達夫婦のこれからを見ている気がし、今から将来に向けて生活スタイルを考えていく必要を感じた。

2019年01月22日

ベトナム旅行 PART X

 朝6時にホテルを出発しダナン国際空港に行く。前回と同じようにガイドさんと別れて自分たちで手続きを行う。手続きのため順番に並んでいると中国人の女性が列に割り込んで来たので「NO」と言うと何かしら大声で文句を言っていたが渋々列の後ろに並んだ。少しでも列に隙間があれば割り込んでくるのを今迄で何度も経験したことがある。
 無事ホーチミン市につく。ここで3人目のガイドさんに迎えられる。さすが南に来たせいか気温は28度を超えて汗が出てくる。市内観光でまず向かったのは統一会堂。この建物はあまりにも歴史的に有名な建物である。
 ベトナム共和国(南ベトナム)の大統領府で1975年4月30にサイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車2台がこの建物のフェンスを破り突入、ここに南ベトナムの首都サイゴンは陥落した。この時の映像は中継されていて見た記憶がある。正に1つの国が消滅する瞬間で多くのアメリカ人やベトナムの高官・家族などが米軍のヘリコプターで脱出していく様が放映されていた。
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 現在この建物は統一会堂と名を改め、庭には当時突入した北ベトナムのソ連製戦車T-54が展示されている。中には入らないでフェンス越しから見るだけの観光であった。
 次に歩いてサイゴン大教会に行く。途中何度か道路を横断するのだがバイクの数や車が多く、手を挙げてゆっくり横断した。さもないと相手はスピードを緩めないため事故になるとガイドの説明である。現在この教会は修復中でここも中に入らず外から見ただけである。
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その横にクリームイエローのサイゴン中央郵便局があり、フランス統治下に建てられた郵便局で365日休日無しでオープンしている。入ると正面の壁にホーチミンの肖像画が掛けてあり土産屋さんもあった。なお郵便ポストは黄色であった。
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昼食後ドンコイ通りの雑貨屋さんに入って見る。1時間の自由時間でスーパにも行ってみる。その後ガイドさんが観光予定にはなかった福音寺に急遽案内してくれる。この寺の池にナマズが飼われていたが「白なまず」がいるのに驚いた。寺の中を見て歩き、そこに般若心経が掲示されているのに驚いた。
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夕食まで3時間以上の自由時間となった。集合場所はシェラトンホテルのロビーとなる。どこを観光したら良いのか判らず思い切ってガイドさんにマッサージを紹介してもらう。シェラトンホテルの直ぐ近くにあり、日本語を話す従業員もいて安心だった。日本語のパンフレットも有りグループの多くの人達と行く。 家内と私はタイ式マッサージを選ぶ。ホットストーンマッサージをされる方もいた。タイ式は90分で米ドル40ドルであり都会だけあって少し高い。
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終了後、シェラトンホテルのロビーに行くが集合時間まで1時間以上あったのでホテルの近くを歩いてみる。マッサージのお陰で足取りは軽かった。
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サイゴン・オペラハウス、ホーチミン市人民委員会庁舎を見た。途中JICA
の事業として清水建設と前田建設がホーチミン市地下鉄工事を行っていた
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 シェラトンホテルのロビーに戻ったが、ロビーは広々としてとても綺麗で外国人のみが利用している様である。全員と合流し夕食会場へ。
 最後の食事はベトナム風フレンチであった。品数が少なくがっかり。サラダ、カボチャスープ、ポークステーキとデザートでイタリア旅行の時の3プレートを思い出した。
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 食後ホーチミン国際空港に行くが搭乗口集合が23:30で3時間ほどあった。他の人達は免税店など見て回られたが私と家内は15番ゲートでずっと待っていた。23時頃ベトナム航空のアテンダンドが来たがゲートにいる係員となにやら話していたが全員が引き上げるのを目撃した。あれ何と思い急いで私も係員の所に行きチケットを見せると搭乗口が変更になったという、電光掲示板を見ると18番ゲートになっている。何人か近くにいたグループの人に知らせ18番に移動する。そこでまた電光掲示板を見ると今度は22番ゲートと表示されている。さらに22番ゲートで待っていると再度変更となり、12番ゲートと表示されしかも出発時間が1時間40分延びて2時(日本時間午前4時)だという。さまよえる乗客という感あり。文句を言う気力も無くひたすら待ち、結局1時間30分遅れで出発となる。何と朝から21時間30分も起きていたことになる。
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 関西空港までほとんど寝れなくて、空の上から平成30年最後の日の出を見て無事関空着陸。「はるか」・「こだま」と乗り継いで我家に12月31日12:40頃帰り着く。結局32時間ほど寝てないこととなりしかもハプニング続きで大いにくたびれた。でもベトナムにはまた行ってみたい。

2019年01月06日

ベトナム旅行PART W

 起床時から雨、それもかなり強くなったりしている。朝食後バスにて古代チャンパ王国の聖なる遺跡ミーソンに行く。ここは1999年に世界遺産に登録されている。途中ガイドさんからホイアンは昔港町で、徳川幕府が鎖国政策を取るまでは千人以上の日本人が住んで日本人町を造っていたが外国貿易禁止令に従ってほとんどの日本人が帰国したとのこと。ミーソンへ向かう途中の田んぼの中に谷弥次カ兵衛と言う人の墓があり、彼は日本に帰国する際ホイアンの彼女に会うためこの地を訪れたとき倒れ帰国出来なくなりこの地に骨を埋めたとガイドさんが説明してくれた。日本とベトナムの繋がりの深さを知った。
 ミーソン遺跡に到着。結構雨が激しく入り口から遺跡まで徒歩、電気自動車で行くが靴の中まで水が浸みてきた感あり。
 ガイドさんの説明によるとベトナム戦争当時この地域にはベトコンの兵士が多数潜んでいたことから、アメリカ軍B-52の爆撃を受けて遺跡の3分の2が破壊されたとのこと。現に爆弾の破裂した穴が保存されているし、米軍の爆弾2個も発掘されて展示されていた。
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 遺跡そのものはアンコールワットの遺跡にかなり似ている感じがした。建物はレンガ造りであるがレンガとレンガの間にはセメントなどの接着材が使われていないとのこと。時間の関係でほんの一部しか見ることが出来なかったのが残念である。

 その後、休憩所のような所に戻り横のステージでチャムダンスショーを見学した。男性が縦笛を息継ぎなしで長時間演奏するのには会場から大きな拍手が上がった。
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 バスにてホイアンに戻り旧市街を散策、ここも治安が悪いのでショルダーバックは前に持ってきて行動するように注意を受ける。
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福建会館を見学した。ここは元々中国福建省から来た商人達が17世紀に建てた中国人の集会場で中に天后聖母が祀られている。
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その後日本橋(別名来遠橋・・・論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けられたという説有り)を見た。1593年に建てられ、日本人町と中華街とを結ぶ橋だと言われているが、確固たる証拠はないとのこと。屋根付きの石橋で現在ベトナム2万ドン紙幣の絵柄になっている。写真では右手が中華街、左手が日本人町と言われている。
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昼食後絹織物製造所とランタン製作所を見た。絹織物製作所では実際に蚕が桑の葉を食べて成長し繭を作りそれを湯煎して絹糸を製糸する様子を見た。その後夕方まで自由行動となる。
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通りの一角で結婚式の前撮りをしているカップルに遭遇、写真に納めたりかって、日本人町があったとされる地区に長崎市から送られた山車の朱印船が飾られていた。
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夕食後ナイトマーケットを見に行く。カエルの串焼きを売っていた。正に飛び出した格好をしていた。
 明日は6時出発のため8時前にホテルに帰ってきたところ、上の階で大音響のカラオケ大会をしている。聴けばベトナムの人達の忘年会とのこと、9時までは我慢しようかと思っていたが、同じツアーの方達がホテルに文句を言って部屋替えをしてもらった。思わぬハプニングであった。明日はいよいよ最後ホーチミン市(旧サイゴン)の観光である。
続きはPART Xへ

2019年01月05日

ベトナム旅行 PART V

 朝4時半起床し、ロビーに5時集合、直ぐにバスで空港に向かう。朝が早すぎてホテルの朝食が間に合わずバスの中でパンとモンキーバナナとヨーグルトの朝食を食べる。ガイドさんが搭乗カウンターまで案内してくれわかれる。そこから先は我々だけでチケット発行、スーツケースの預け入れをした。さらに外国人の我々はパスポートチェックを受け、手荷物検査場では靴まで脱いでチェックを受けた。その後搭乗して予定通りベトナム中部のフエに10時頃到着。
 新しいガイドさんが空港に迎えに来てくれており、今度のバスは新しく立派である。すぐにフエ市内の観光が始まる。まず世界遺産のフエ王宮に行く。
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ここはベトナム王朝最後の王都として栄えたところだがベトナム戦争の時アメリカの空爆などで王宮の多くの建物が焼失し一部修復中の建物もあったが、壁などは今も黒くすすけたままである。ベトナム戦争はベトナムの南北戦争で当時の世界情勢から起こるべくして起きた感があるが、フエが丁度南北境界線に近く戦闘は激しかったと想像できる。
 その後、輪タク(シクロ)に乗って昼食の為レストランにむかう。乗り心地はまあまあである。宮廷料理と称されるものを食べる。本当の宮廷料理なら50〜100品ぐらい有るのだが我々は10品目を食べた。料理と言うよりも人参や色々のもので飾りを造りお皿に盛られて綺麗であった。もちろん飾りは食べてはいけないのだとか。
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昼食後はティエンムー寺に行く。フエで一番古いお寺で1601年創建の七層八角の塔が有り、ベトナム戦争当時、政府に抗議するためサイゴンに行き焼身自殺をした住職の車が展示されていた。この焼身自殺の話はニュースで聞いた記憶がある。寺の周りには土産物店などがあった。
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その後バスにて12代皇帝が眠るカイディン廟に行く。1920〜1931年の12年間を掛けて建設され精巧な建造物に壮麗な装飾がなされさすが王廟である。様式は中国を模していると思われた。
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その後バスにてダナン経由で宿泊するホテルのあるホイヤンに移動する。ここはランタンで有名で街のここ彼処にランタンが飾られている。夕食は海岸べりのレストランでホイアン料理を食べリゾートホテルにチェックイン。このホテルは2連泊である。
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 ところでホテルのトイレに入ったところトイレットペーパーは便器に流さない様に書いてあり驚く。家内に聞くと海外では良くあることだという。今迄私は気付かないで流してきた。その後気を付けて色々の所の便所を覗くとそのようで有る。ホーチミン国際空港のトイレでさえもその様になっていた。良い勉強をしたと同時に何と日本は素晴らしいと改めて思った。
またマッサージをしに行く。今度は1人25米ドルであった。
続きはPART Wへ

2019年01月04日

ベトナム旅行 PART U

 今日は午前中世界遺産のハロウ湾観光である。このハロウ湾はベトナム戦争の引き金となった1964年のトンキン湾事件で有名なトンキン湾の中に有る。
ベトナム随一と言われる美しい景観で多くの観光客を魅了する人気スポットと言われている。しかし残念ながら雨天の予報が出ており、空は曇って少し海霧が出ていたので、観光案内パンフレットにあるエメラルドグリーンの海にはほど遠かった。 
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切り立った岩肌を見せた島々が点在する光景は「海の桂林」とも呼ばれ、正に以前訪れた中国の桂林に似ていた。その特徴は島が石灰岩で出来ており、長い時間をかけて雨や海水に侵食されることで出来たとのこと。クルーズ船による観光であるが我々は3時間コースのクルーズで有った。時間のある人には1泊クルーズも用意されているとのこと。
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 島の形が千差万別で有りその中でも有名な闘鶏岩を間近で見て、その後鍾乳洞の有る島に上陸しティエンクン鍾乳洞内を見学する。丁度乾期に当たるため内部は水がほとんど無く歩きやすかった。昼食を船の中で海鮮ランチを食べる。
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 その後バスにてハノイに戻り観光をする。まず元ベトナム国家主席ホーチミンの遺体を安置しているホーチミン廟を訪れた。綺麗に整備され廟の入り口には警備員が微動だにしないで直立不動で立っていた。その後セントジョセフ教会(ハノイ大教会)へ歩いて行き、内部には入らないで外から教会を眺めた。この教会はフランス植民地時代の遺産であり、1990年に現在のネオゴシック様式に改装されたとのこと。
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 その後直ぐ近くのホアンキエム湖に行く。此処でガイドさんから15世紀にベトナムが明に支配されていたとき、竜王からもらった剣で明を撃退した。その後、湖から亀が現れ剣を竜王に返すように言って剣を湖の中に持ち帰ったと言う「環剣伝説」を話してくれた。
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 また旧市街は治安が悪いのでショルダーバック等が背中側にあるとスリに遭ったり、カミソリで切られるので用心するように注意を受ける。早速バックを前の方にして旧市街を歩きレストランに行く。夕食は生春巻き等のベトナム名物料理とのこと。夕食後ベトナム伝統の水上人形劇を鑑賞する。この中の演目にも「環剣伝説」演じられていた。
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 その後ホテルにチェックインする。明日はハノイからフエに国内線で行くためチェックアウトが5時と言うことで有ったが、少し時間的余裕があったのでガイドさんにお願いしてマッサージに連れて行ってもらう。チップ込みで1人30米ドルであった。続きはPART Vへ

2019年01月03日

ベトナム旅行 PART T

 12月25日午後から休暇をもらってベトナム旅行に出かける。2年振りの海外旅行である。家内が左膝人工関節置換術をして1年経過した。かなり歩くのもスムーズになったので旅行に行こうと思い、ネットで検索したところヨーロッパやエジプト等はほとんどがキャンセル待ちの状態、たまたまクラブツーリズムの「魅惑のベトナム6日間」というツアーが空いており申し込んだ。
コースは関空・・・ハノイ・・・ハロン湾・・・フエ・・・ホイアン・・・ミーソン・・・ホイアン・・・ダナン・・・ホーチミン・・・関空で、ベトナムの北から南までの縦断旅行である。
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 26日朝8時30分関西空港団体受付コーナーに集合と有り、当日尾道発では間に合わないのでホテル日航関西空港に前泊する。
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 1時間以上並んで搭乗券の発給を受け出国審査をして予定通りベトナム航空直行便で関空を出発、一路ハノイに向かう。飛行機は満席であった。5時間半をかけハノイ着、その後マイクロバスにて4時間かけてハロンに行く。高速道路が最近出来たらしいが通行料が高くて一般道路を走る、ベトナム人の現地ガイドが空港で迎えてくれる。此処ではじめてツアー参加の仲間が顔をあわせる。夫婦のカップルが3組、親子のカップルが1組、友人が急遽キャンセルになりお一人で参加の人とあわせて9名の団体である。少ない団体だったのでマイクロバスの席をゆったり贅沢に使えた。ガイドさんはハノイ大学日本語コースを卒業されており日本語は堪能、安心する。
 途中ベトナムの現状を話してくれる。現在ベトナムはあちこちで建設ラッシュが進んでいる。近年の中国での人件費の高騰や、政府の締め付けなど様々な問題で中国から世界の工場が引き上げ他国に移転している。その恩恵を受けているようで多くの日本企業も進出しているとのこと。
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 昔、日本は東京オリンピックに向かって高度成長期としてずいぶんと発展したがそんな勢いを感じた。ガイドさんの話しではベトナム人の平均収入は3万円程度であり、私が大学を卒業した頃学卒の初任給が3万円弱であった。また交通事情はバイク天国で各家庭に2〜3台はざらとのこと。それでも20年くらい前には自転車が主流であったとか。日本では昭和40年にトヨタがカローラを発売したことにより自家用車時代が始まったが、ベトナムが日本の様に車社会になるにはまだ20〜30年くらい掛かりそうである。そう思うと昭和40年代の日本と同じくらいかなと感じた。またハロンに行く途中の畑には多数の牛が草を食んでおり、ベトナムでは米は二期作で2月になると水田の代掻きに活躍するとか、農業はまだほとんど、機械化されてないようだ。
 ハロンに入るとハロン湾が世界遺産に登録されたことも有り別荘、リゾートマンションなどが此処彼処と建設されていて、多くが中国資本とのこと。
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 レストランで夕食を食べる、ビールはハノイビールを飲むが330mlが3ドルである。ベトナムの通貨ドンも有るが旅行者は米ドルが使いやすい。ドンは桁数が多く日本円との換算では二桁削除後0.5を掛けるとおよその日本円が出る。写真の10,000ドンは日本円の50円相当である。この旅行中どうしても米ドルのおつりが無い時ドンをもらったがほとんど米ドルで済ませた。ホテルにチェックインした時は日本時間で23:30(現地時間21:30)を廻っていた。ホテルの部屋や設備はまあまあ良かった。続きはPART Uへ

2019年01月03日

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