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07/20 達成感
07/12 日帰り津和野バス旅行
07/03 映画鑑賞二本
06/22 久しぶりの東京旅行 PART V
06/20 久しぶりの東京旅行 PART U
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

達成感

 如何にも上段から構えたタイトルのようであるが、達成感を得るにはほんの些細なことから大仰なものまであると思う。例えば今日はこの本を読み終わろうと起床時に思ったことが夜寝る前に読み終えておれば今日は本が読めた良かった達成感を味わえる。ただ果たして毎日、毎日連続して達成感を味わえるかどうかは判らない。
 日常のニュースを観ていると何か達成感が無く、破れかぶれで事件を起こしているようなものに出くわす。
 ところでこの16・17日の2連休、私は家庭菜園の草取りをして今までにない達成感を味わった。
 6月27日にほぼ草取りを終えていたのだが、この梅雨の雨のせいかあっと言う間に草ボウボウになっていた。たった20日程でこの様になるのかと思うとがっかりである。しかも草は花が咲き種が出来かけている。急いでとらないと又草が生える。
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 草取りをしながらこの理由を色々考えてみた。正解かどうか判らないが自分なりに納得した考えを導き出した。要は草取りをしても完全に根が取れるわけでなく、ひげ根が切れて地中に残ったり、途中で根っこが折れたりしているのであろう。考えてみれば秋から冬にかけて地上の草は枯れても地下で根が生きていて春に芽吹く。このことが草取りをするたびにおこっているのではなかろうかと勝手に結論付けた。
 16日は、日中草取りをすると熱中症になる恐れがあり、夕方4時半頃から2時間ほどしたが暑くてシャツや首に巻いたタオルがビショビショ。しかし思ったほど草取り面積が確保できず達成感はあまりない。
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 そこで翌17日、朝5時起床し5時半頃から開始。まだ畑には太陽の光は差し込んできていない。しかし空を見上げれば雲には光が当たり綺麗である。また鳥がさえずり、温度もさほど高くなくやるぞと言う気が高揚してくる。
 7時半頃からクマゼミが「ワッショ、ワッショ」と鳴き出す。その後アブラゼミなどの声が聞こえてきた。時折風が吹いてきて、汗でぬれた衣服から気化熱を奪い心地よい。大自然の中に生きているという感じがしてきた。
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 また草取りをしながらふと後ろを振りむけば草がなくなり綺麗になった光景が目に入って来る。自分がした仕事に対する成果が目で確認出来てすごく嬉しくなる。それでさらに目の前にある草を取ろうという意欲がわき上がってくる。9時頃からは気温が上がってきて水分補給をしばしばするようになる。11時過ぎまでやって畑のおよそ1/5程度を取り終えた。
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 畑のいたるところ、草の生え際に蟻塚が在り草を引き抜くと中から蟻が出てきて大騒ぎ、蟻にとっては気の毒なのだが仕方ない。今TV等で騒がれている「ひあり」ではないので攻撃性は無い様である。
 それにしてもこの達成感と至福感は一体何なのだろう。久しく味わった事が無い。しかもお金もかけずに安上がりでこんなに大満足が得られるなんて思いもしなかった。多分汗をかき、手足の適度な疲労感、そして何よりも成果をすぐに目で確かめられたことがこの達成感に繋がったのであろう。これからも草取りをして達成感を連発したい。

2017年07月20日

日帰り津和野バス旅行

 9日の日曜日バスツアーで津和野に行く。家内がインターネットショップの会員になっていたところ、バス旅行が当たったと手紙が来た。旅費は本人只だが、同行者は6000円弱必要と書いてあった。家内は何度か津和野には行っているのだが、私はまだ行ったことが無かったので、同行することにした。
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 ところで7月4日の未明から島根県浜田地方は大雨、その後九州方面で大雨になり被害は甚大となっている。旅行日が近づくに連れて津和野の天候が気になり毎日スマフォアプリで検索。当日も朝、検索すると雨・雷と出ていた。そこで合羽と雨傘を用意し出かける。
 尾道駅前を7:40スタート。一路津和野にむかうのかと思いきや、最初ファクトリーに寄っていくと添乗員さんが言う。何のことか分からない。バスは西に向かわないで福山に向かう。福山港近くの革製品の製造工場に連れて行かれる、ムトンのシーツや毛皮のコート、ハンドバックなどの製品を製作する会社である。この様なバスツアーには必ずツアー客に何かを買わせるような仕組みが有るのだとか。
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 そこで1時間ちょっと時間をつぶし、福山東インターから山陽道に入る。結局尾道インター横を通過したのは10:30であった。考えてみれば尾道駅から尾道インターまで2時間50分掛かった事になる。中国道に入る頃から雨はやみ、途中の高津川ではアユ釣りをしている人もいたが、川の淵のよどみには先日の雨で流された木っ端が多数浮かんでいた。津和野に着いた時は晴れて間がのぞいていた。
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 昼食は旅行代金の中に入っているもので済ます。中には差額を払ってもう少し豪華な食事をされる方もいた。
食事後、森鴎外旧宅を見学。それから街中を散策し、鷺舞の銅像や水路で鯉が泳いでいるのを観たが、ここの鯉は老齢で丸々太っていて「豚鯉」と呼ばれているとか。また内部が椅子でなく畳み敷きの教会を見学した。
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 さらに「華泉」と言うお酒を作っている酒造メーカーの見学をして、きき酒をしたところ、気にいったのが有ったので原酒4合瓶を買って帰る。津和野の滞在時間2時間ちょい。
 その後岩国の錦帯橋に行く。久しぶりの錦帯橋である。AFSの留学生が我が家にホームステイしている頃毎年のように訪れていた記憶が有る。
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 1時間弱の自由時間、錦帯橋は渡らないで近くのホテルのロビーでコーヒーを飲んで過ごし尾道には19:30頃帰ってくる。まさに12時間の行程であった。
 津和野・津和野と思っていたのが叶えられ、しかも天候に恵まれてラッキーであった。
 ただ歳をとってきたせいか、途中バスが止まるたびにトイレで用をたす必要があった。また日頃トイレは洋式トイレを利用しており何も問題が無いが、大便の時に和式トイレしか無い場合、立ち上がるのに「ヨッコラショ」である。だんだんバス旅行などトイレに行きたい時、行けない旅行は困難になるのかもしれないなと思った。

2017年07月12日

映画鑑賞二本

 先日久しぶりに映画館に足を運ぶ。昔は神辺まで行って封切り映画を観ていたが、少し歳をとったのか神辺までが遠くに感じられ、尾道に1軒しかない「シネマ尾道」に行った。観た映画は2本で1本目は「人生フルーツ」。
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 この映画は2月4日の中国新聞シネマ欄で紹介があったので是非見てみたいと思っていた。3月に一度上映があったのだが、時間がとれなくて見そこねていた。6月になってまた上映開始されたので観に行く。
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 建築家の津端修一さん90歳と妻英子さん87歳、合わせて177歳。お二人は愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン、ここは修一さんが日本住宅公団在職中に開発を手がけたタウンだがその一隅、雑木林で囲まれた一軒の平屋に住んでいる。宅地の一角で四季折々の野菜70種類と果物50種類を育てながら永年連れ添ったお二人が人生を豊かに楽しく生活を送っている姿を追った、東海テレビ制作のドキュメンタリーである。
家庭菜園で少しばかりの野菜を作ったりしている私達夫婦と重なって興味深く観賞した。

 映画の中に出てくる詩、「風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生フルーツ。」すごく心に響く言葉であった。
 修一さんは庭の草取り後、昼寝をしたまま旅立たれる場面が収録されていたが、理想的な旅立ちでまさに人生フルーツの完遂だとおもった。
我々夫婦もこうありたいものである。
 2本目の映画は2016年、第66回ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)に輝いた「海は燃えている」。この映画はイタリア最南端の小さな島ランベドゥーサ島で起きていることを映像化したドキュメンタリー映画である。
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 内容の一部を公式サイトより引用させてもらうと
 『12歳の少年サムエレは、友だちと手作りのパチンコで遊び、島の人々はどこにでもある毎日を生きている。しかし、この島には彼が知らないもうひとつの顔がある。アフリカや中東から命がけで地中海を渡り、ヨーロッパを目指す多くの難民・移民の玄関口なのだ。島の人口約5500人に対して、今は年間5万人を超える難民・移民がランペドゥーサ島へやってきている。島には巨大な無線施設が建ち、港には数多くの救助艇が停泊している。ひとたび難民たちが乗った船から救難要請の連絡が入ると、無線が飛び交い、ヘリコプターが飛び立つ。夜の海を照らすサーチライトが難民たちを探している。そんな緊迫した様子とは対照的に、島の日常は流れていく。家々のラジオからは音楽が聞こえ、漁師は海へ出かけ、雷の日には老女は家で針に刺しゅう糸をとおす。同じ島にありながら、島の生活と難民たちの悲劇は決して交わることがない。両者を結ぶのは、島でたったひとりの医師のみ。島の人たちを診察する傍ら、島にやってきた多くの難民たちの検診や死にも立ち会う。彼は言う「こうした人々を救うのは、すべての人間の務めだ。」少年サムエレにも変化が起こり、左目の弱視が見つかる。右目を塞いで左目の働きを上げていくために矯正メガネをつけることになる。それはまるで、今まで見えていなかったもうひとつの目で、未知の世界を見るかのように──。』・・・引用終わり。
 この映画を観ながらもし将来北朝鮮の体制が崩壊したりするとおそらく何百万人もの難民が日本にやって来るのでは? そのとき日本はどのような対応をするのであろう、巡視船の数は不足し、色々な病気が持ち込まれないようにする検疫体制だって整っていない。今騒いでいる「ヒアリ」どころの騒ぎではない。かってベトナム戦争の時、ボートピープルが1万人ほどやってきたがその比ではない。巡視船を総動員すればその間に尖閣が中国に占領される恐れもあるし。自衛艦を出せば騒ぐマスコミもいるだろうし、何も考えていない日本、無策の日本に気をもむ。考えさせられる映画であった。

2017年07月03日

久しぶりの東京旅行 PART V

 昨日の観光で17000歩ほど歩いていたせいか朝起きて「寝れなかった」という苦情は家内から無くひと安心である。
 ところで私も家内も尾道北高校16回生である。関東地区にも結構16回生が住んでおり、毎年同窓会を行って顔を合わせているとのこと。この度、家内の小・中・高校の同級生で千葉在住のEさんが、我々の上京を聞いて国立新美術館で開催されている「たぶろう展」に小田原在住のO君が絵を出品しているので観に行こうと誘ってくれた。
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 ホテルにEさんが御主人と同伴で迎えに来てくれ、地下鉄を乗り継ぎ六本木まで行く。地下鉄の乗り換えは、地下道が迷路のようで「お上りさん」の私達にはとても出来ない。
 10時前に国立新美術館に着く。この建物はガラス張りで女優若尾文子の御主人の黒川紀章が設計して10年前にオープンしたものである。O君はすでに来ており、2年振りの再開を喜ぶ。彼は永年富士フイルムに勤務して退職後は趣味で絵を描いているとの事。昨年はこの展覧会で賞を獲得したのだとか。
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 ところで「たぶろう」とはどういう意味か判らなったが、目録に「Tableau(タブロー)とはフランス語で「絵・絵画」の意。たぶろう美術協会は「たぶろうの道」を探求する美術集団」とあった。O君は協会員ではないが、公募で出品しているとか。
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 会場に入ると今まで観た絵画展とはまるで雰囲気が違い、油彩、日本画、アクリル、水彩画、CG等の大作が展示されており、油彩だのに一見日本画に見えるものもある。会場の照明も明るかったが全体に明るい色調の絵が多かった。彼の作品は「城塞の街・オビドス」と題名が付いておりポルトガルの地方都市を題材にしていた。現地に行ってスケッチして来たのかと聞いたところスケッチも少しはするが何枚も写真を撮ってきてそれを参考にして描くのだとか。なかなかおもしろい絵画展であった。まさに彼は今やO画伯である。
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 その後O君とは別れ、地下鉄「乃木坂」から「国会議事堂前」で乗り換え東京駅に行く。地下鉄の下をさらに地下鉄が走っており案内のEさん夫妻がいなければどうにもならない。地下鉄車両内の吊り広告に犀 が載っていたので写真を一枚。
 北口の「ホテルメトロポリタン丸の内」27階の「Dining & Bar TENQOO」レストランで昼食をすることになる。
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 驚いた事にEさんが連絡をしていてくれたらしく同級生のK君とN君がすでに来ており一緒に昼食となる。
 やはり2年振りの再開、K君は世田谷に住まいし、三井石油化学を退職後家庭菜園のため東京農大で野菜の栽培方法等の講義を受けたり、ボランティア活動をしたり、最近は植物の絵を描いているとの事。
 実際彼が書いた絵を見せてもらったがまさに植物図鑑に出てくる様な緻密な絵でびっくり。残念なことに写真に収めるのを忘れてしまった。またN君は横須賀に住んでおりNTT退社後少しのんびりしていたようだが、70歳になって特許調査や評価等を行う会社のエキスパートとして再就職をしたとの事。それでも毎日のフルタイムではないようだ。私が毎日フルタイムで仕事をしていると驚かれる。
 レストランから丸の内方面が見え、宿泊していたホテルが眼下に見え景色は良かった。食事後皆と別れ帰宅することに。
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 帰りの新幹線では念願の富士山を観ることが出来、2泊3日の旅行で有ったが楽しい思い出に残るものであった。Eさんご夫妻の計らいで思わぬことに同級生3人にも会えて良かった。Eさんご夫妻に感謝である。

2017年06月22日

久しぶりの東京旅行 PART U

 朝起きるとTVでは「テロ等準備罪」の法案をまだ参議院本会議でやっていた。今日は「はとバス」で国会議事堂を見学する予定だが出来るのかなと思う。
「はとバス」の出発は9時50分なので、それまでホテルから歩いて皇居前広場を散策しバス乗り場まで行くことに。
 皇居前広場を横切って坂下門に向かって宮内庁職員が通勤していた。二重橋を見たり、広場の松の木や楠木正成の銅像を見たりした。
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 定刻にバスは出発、バスガイドが色々説明してくれ、あっという間に国会議事堂に着く。入場するのは表門ではなく議事堂の裏手からで、「テロ等準備罪」に反対する人たちがまだその場に陣取っていた。議事堂の中の見学は初めてである。今回は正面から見て左側の衆議院の見学である。同時に衆参両方は見学出来ないことのこと。議事堂内は写真撮影禁止である。国会内を警備しているのは警察ではなく衛視と呼ばれる職員だが、昨夜からの徹夜国会のため睡眠をしていないので「ぴりぴり」しているとガイドさんが話していた。議事堂の壁や柱は石造りでその中に色々の化石があった。TV中継などで見る委員会室の廊下や、本会議場を見学する。ガイドさんが衛視に聞いて見たところ、本会議場だけ1〜2枚の写真撮影が許可されたので写す。
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 その後、外に出て46都道府県の木が植えてある小道を通りながら正門に向かう。広島県は当然「もみじ」であった。正面から議事堂を撮影した。
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 その後バスの待っている待機所に行く途中、沿道に警官が立って歩道から車道に出ないように規制している。何事かと思ったら皇室の旗を掲げた黒塗りの車が白バイに先導されて目の前を通過、中に皇太子殿下が乗っておられた。手を振る。平成11年に「しまなみ街道」の開通式典に皇太子殿下ご夫妻が尾道に来られ、その際「さいだ歯科医院」の前を車で通過され手を振って以来お顔を直に拝見した。夜のニュースで皇太子殿下はデンマークとの「国交関係樹立150周年」にあたり公式訪問のため羽田空港に向かう途中であったとの事。東京に住んでいるとこのような場面にも遭遇するのだなと思った。
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 その後赤坂スクエアダイニングレストランでバイキング形式の昼食を食べる。ズワイガニの足等も有ったが、私たちは主に肉系、野菜系を食べる。
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 昼食後、私も家内も初めての東京スカイツリーに行く。「はとバス」のコースのためまったく待ち時間なしで地下駐車場から4階フロアーそして展望シャトル(エレベーター)に乗り換え350メートルの天望デッキへ50秒で到着した。この天望シャトル(EV)は4基が運航されておりその内部は春・夏・秋・冬、の異なる装飾がなされているとのこと。私達が乗ったのは〈冬〉で「都鳥の空」が装飾されていた。
 天望デッキ到着後すぐさま次のEVを乗り換えて445メートルの展望回廊フロアーへ行く。451.2メートルのソラカラポイントまで歩きながらスロープを上り360度の東京の展望を楽しんだ。近くの隅田川や東京ドームの屋根、東京タワー等が見えた。晴れて日差しはあるが遠くは霞んで残念ながら富士山は見えなかった。
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 その後天望デッキにEVで降りたが、そのEVの内部の装飾は〈夏〉「隅田川の空」で花火大会をモチーフにした綺麗な装飾であった。上りも下りも同じEVで無くて幸い。
その後車窓にてバスガイドさんの説明を聞きながら東京観光をして無事東京駅南口に帰りつく。
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 夜の食事は肉系にしようと思い新丸ビルのレストラン街に行ってみたがイメージしていたお店が無く、昨日と同じ丸ビルの6Fにある焼き肉屋に行く。7時過ぎだがお客様が多く、40〜50分待ちだという。びっくりさすが東京である。そこで「KATANA」と言う串焼き等をしている居酒屋風の所に行く。ここでも少し待たされたが食事にありつく。美味しかった。また機会があれば来ても良いと思った。昨日と同様明日の朝食のおにぎりなどをコンビニで買って帰る。

2017年06月20日

久しぶりの東京旅行 PARTT

 今まで公務で毎月仕事を休んで広島に4〜5日出張していたが、5月31日を持って退任し広島出張がなくなった。そこで仕事に差し支えないように今まで通り同じ日数を休んで自分のために時間を使うことにした。まず手始めに先日家内と東京に2泊3日の小旅行に出かける。私は4年振り、家内は7年振りの東京である。
 【JR企画】マイプラン東京を利用し、観光は「はとバス」の国会議事堂とスカイツリーコースというプランで出かけた。また「新幹線パーク&ライド・新尾道駅駐車場」が利用できたため3日間ただで車を駐車できた。
 午後2時過ぎに新尾道駅を出発東京に向かう。尾道は晴れていたが朝の天気予報では東京方面は雨の予報が有り富士山が見えるかどうか気に病んでいたがやはり途中富士山は霞んで裾野しか見えなかった。3時間53分で東京駅につく。ホテルは東京駅北口の「丸の内ホテル」で徒歩2〜3分のところにありすごく便利。
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 新しくなった東京駅の外観を家内は初めて見たとか。それにしても東京駅の中を歩いていても人は多いし、また歩くスピードも速く圧倒され私たちは気分的に年寄りの「お上りさん」になってしまった。
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 ホテルは素泊まりで予約していたので、まず夕食をどこでするかホテルの従業員のお姉さんにそこそこ安くて美味しいお店を聞く。丸の内界隈の地図を見せてもらいながら説明を聞いたが、あまりにも色々あり場所も不案内のため、「丸ビル」の中のレストラン街に行くことにした。昔、サラリーマンをしていた頃、旧丸ビルに出張したことがあるが、今はすっかり新しい建物になっている。
 途中、寝る前のビールと明日の朝食を確保するために東京駅南口の交番でコンビニの場所を聞く。地下街にあるというので場所の確認のため地下街に降りたが、地下は迷路のようでさっぱり分からない。人に聞いたりしてなんとか確認できた。
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 その後、丸ビルに入り5F・6Fのレストラン街を見て歩く。結局家内がうどんを食べたいというので、おでんとうどんが食べられる「浜まる」と言うお店で食事をした。帰りに先ほどのコンビニで缶ビール、おつまみのナッツ、朝食用のおむすび、牛乳、パンを購入。東京駅南口から北口まで地上を歩いて帰るが東京駅のライトアップや丸の内のビルの窓の明かりが綺麗で、まさに都会を感じた。
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 我が家では別々の部屋で寝ているが、ホテルはツインのため翌朝家内にお父さんの「いびき」でよく寝れなかったと言われた。

2017年06月18日

古銭 PART U

 表に国会議事堂が描かれたこの10円札には随分と記憶が有り懐かしい。インターネットで調べると発行は昭和21年2月25日で支払い停止は昭和30年4月1日とある。この紙幣も民間によって印刷されたもので偽造が多発したのと昭和26年に10円硬貨(通称ギザ拾)が発行された事などにより短命であったようだ。
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 また表面のデザインが「米国」に見えるのでGHQの陰謀が有るのではないかと国会で問題視された事もあるとネットの記事にあった。
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 表に高橋是清、裏面は日本銀行の描かれた50円札は昭和26年(1951年)12月1日発行され昭和33年(1958年)10月1日に支払い停止になったがこの紙幣の記番号は現在の紙幣と同じくアルファベットと数字の組み合わせが採用されている。ただし発行枚数が少なく頭のアルファベットが1桁のものしか存在しない。なお昭和30年には50円硬貨が発行され順次硬貨に移行していった。
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 表が聖徳太子と夢殿、裏面が法隆寺の100円札は最初昭和19年(1944年)3月20日に発行された「い号券」であるが、新円切り換えのため昭和21年3月2日に通用停止となった。しかし新しい100円札を発行する時間的余裕がなく、「い号券」の彩色を変更し表面中央百圓の下に赤色の新円標識(瑞雲)を入れて通用させた。なおこの百円札は新円切り換え後のお札のため現在も使用可能らしい。
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 その後、表が板垣退助、裏面が国会議事堂の100円札(B号券)が昭和28年(1953年)12月1日に発行されたがこの紙幣は21年間《支払停止日昭和49年(1974年)8月1日》使用されずいぶんなじみのあった紙幣である。なお100円硬貨は1957年に銀貨が発行され1967年には白銅貨に変更になって現在に至っている。
ところでPARTTで紹介したように50銭紙幣に板垣退助が印刷されていたが、この100円札の板垣退助の方が少し老人で上品な顔になっているように思える。
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 私の持っている500円札は2種類あり一つは表面が岩倉具視、裏面が富士山のB号券で昭和26年(1969年)4月2日発行、支払い停止日は昭和46年(1971年)1月4日である。
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もう一つはその後発行されたC号券で昭和44年(1969年)11月1日発行され、やはり表は岩倉具視であり、裏面も同様富士山が印刷されているが印刷がより緻密になり透かしもより確認しやすく、偽造しにくくなっている。昭和57年には500円硬貨が発行され、この紙幣も平成6年(1994年)に支払い停止となった。
 さて昔良く使用した記憶のある日本国最初の1000円札《昭和25年(1950年)1月7日発行》は表が聖徳太子で裏面が夢殿のデザインである。しかし残念ながら私は持っていない。小学生の頃1000円は非常に高価な価値がありとてもコレクションン出来る状態ではなかったのであろう。
 ところで現在手元にある千円札は大人になってたまたま残していたもので、肖像が伊藤博文、夏目漱石、現在の野口英世の千円札である。
なお夏目漱石のD号券より肖像として文化人が採用されるようになり、以後5000円札、1万円札にも文化人が採用されている。
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 さて肖像に聖徳太子が用いられている紙幣は明治以降7種類あるのだそうだが私の所には先ほどの100円札の他、5000円札、1万円札と3種類ある。
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 かって一万円の代名詞とも言われるほど有名な聖徳太子ではあるが、昨年来から小学校、中学校の社会の教科書改定に当たり小学校では聖徳太子(厩戸王)、中学校では「厩戸王」(聖徳太子)と記載すると文科省の学習指導要領の改定案に示されたが、小学校と中学校で連続性がないのではとの意見が出て国会で、激論が交わされた。
 本人が生きていた時代は「厩戸王」と呼ばれており聖徳太子は死後100年くらい経過したころ後世の人が功績を称えるために贈った名前だというのである。私は聖徳太子(「厩戸王」)の方が断然しっくりくるのだが。
 結局小・中学校ともに「聖徳太子」に戻し、「古事記や日本書紀では『厩戸王』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになった」と表現することになった。しかし今後歴史研究成果によってはいずれ教科書でも括弧付になるかも知れない。
 このたび、たまたま子供の頃の集めていた古銭を見つけて色々調べてみたところ、そのお札が使われていた時代や背景、また何故そのようなデザインになったのかなどを知ることが出来てとても面白かった。

2017年06月11日

古銭PART T

 先日、実家から持ち帰ったがらくたを整理していたら子供の頃から集めていた小銭などが出てきた。寛永通寳や天保通寳などの他に戦前から戦後にかけての紙幣が何枚か出てきた。それを見ながらこの紙幣使った記憶があるな。でもいつ頃まで使っていたのか気になってインターネットで検索する。本当に今は便利な世の中になったものだ。
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なお紙幣を使用目的でコピーすると犯罪だが、写真撮影してブログなどにアップすることは問題ないことが財務省のホームページに書いてあった。
 さてその紙幣の中に「one-cent」と英字で表示され、大日本帝国政府と書かれているものがあった。これは大東亜戦争の時の軍票で昭和16年太平洋の島々、東南アジア、ビルマ、オセアニアで石油、ゴム、錫などの資源を確保するために発行されたらしい。もちろん私が生まれた昭和22年には通用していない。
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 他の紙幣を見ていると戦前から戦後の初期のものには菊の御紋章がほとんど付いている。
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 八紘一宇の塔が印刷されている10銭紙幣は昭和19年11月1日発行、また表が鳩で裏面が国会議事堂の10銭紙幣は昭和22年9月5日発行でまさに戦後を象徴し平和と民主主義の象徴という感あり。
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 また板垣退助が印刷されている50銭紙幣は昭和23年3月10日発行で10銭紙幣と同様いずれも昭和28年12月31日まで流通していた。そのとき50銭の硬貨も流通していたが同日通用停止となり、これ以後日本では通用するお金は1円が最低単位となった。戦前までは厘(1/1000円)の単位まであったのだが。
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 このことは昭和21年2月17日に突然預金封鎖、新円切り換えが行われたこととも関係しているのであろう。なお現在でも為替相場や株式相場では銭の単位まで使用されている。
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 また武内宿禰が描かれている1円札は大正5年8月15日に発行されたが、昭和33年10月1日に発行停止となった。しかもこのお金は兌換紙幣である。この紙幣と引き替えに1円銀貨と交換すると書いてある。最も兌換は昭和6年に停止され不換紙幣となったがそのまま通用していた。
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また二宮尊徳が描かれた1円札は昭和21年3月19日発行、昭和33年10月1日発行停止となっているが、これはアルミ製の1円硬貨が昭和30年に発行され普及したためであろう。
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 5円札は昭和21年3月5日に発行されたが印刷は大日本印刷、または凸版印刷という民間によってデザイン、印刷されたもので偽造券が多発して昭和30年4月1日に支払い停止に追い込まれたとか、最も昭和24年に5円硬貨が発行され、以後は5円硬貨に移行したようだ。
二宮尊徳の1円と5円紙幣は使用した記憶がある。続きはPART Uへ

2017年06月05日

ありがとう尾道駅・さよならイベント

 以前のブログにも少し書いた事があるが、明治24年より125年間利用されてきた尾道駅舎がいよいよ本日(平成29年5月15日)営業を終える。正確には5月16日0:07糸崎行が発車して終わる。それに先立ち昨日(5月14日)尾道駅周辺で感謝イベントが10:00~17:00まで開かれた。
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 私は10時過ぎに観に行った。開会式は終わっていたが、尾道学園の吹奏楽部の学生が演奏をしていた。その後ベッチャ―太鼓の演奏がある。合間に仮駅舎に展示されている尾道駅舎の変遷の写真展を観た
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 昭和22年生まれの私は小さい時から尾道駅を利用しているが昭和30年頃の写真に写る風景には覚えがある。駅前のバスの切符を売っていたブースや「渚の女神と噴水」の写真等本当に懐かしい。
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 イベントには「尾道駅探検ツアー」が企画されており先着30名くらいが参加でき、並んで番号札を貰う必要がある。もともと10:30からの午前の部と15:00からの午後の部の2回が予定されていた。私がイベント会場に着いた時は午前の部は〆切った後で、残念だなと諦めていたのだが多くの参加希望者がいて、急遽臨時に12:00の回が行われることになった。そこで案内が有った時参加しようと列に並ぶ。ベッチャ―太鼓の演奏中並んで終了後、番号札を貰った。
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 12時まで30分ほど時間があり駅の周りを観て回ると、駅舎の壁が落書きコーナーになっており、多くのメッセージを書いてあり、感謝の言葉が多かった。JR西日本のキャラクターも登場して親子連れ等は記念写真に大わらわであった。
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 いよいよ探検ツアーの開始、片岡駅長が案内役を務め尾道駅の特徴等を話してくれた。ホームには非常ボタンが何か所にも設置されているが、このボタンを押すと上下両方の列車が止まるとのこと。一番ホームと二番ホームとの間に昔はもう1本レールが有ったが、今は撤去されて無いので、もしホームから転落した場合、ホームへ上がろうとしないで、上り線と下り線の間に行けば、轢かれないで済むという話や、一番ホームと二番ホームとの連絡通路が他の駅と違って地下通路になっているのはその昔、尾道の人達が都会に負けたくないという心意気の現れであったのだそうだ。
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 また3番ホームには水色のペンキで「瑞風」と書いてあり、ここに6月17日から運転開始されるトワイライトエクスプレス「瑞風」が6月27日(火)に停車するとのこと。広島県での停車駅は尾道と宮島口だけとの事、朝8時過ぎに来て12時過ぎには出て行くので4時間程度の停車になるとの説明。
またプラットホームの屋根を支えている柱がレールでできている事は知っていたが、そのレールは廃材でしかも多くがドイツ等の外国製だと初めて知った。当時の日本の製鉄技術がドイツ等に比べ劣っていたのかも知れない。それから駅舎を出て駅の前の広場で駅舎を観ながら説明があり屋根の上の「尾道駅」と書かれた看板は旧国鉄時代のもので今は駅名の前にJRが付くとの事、仮駅舎にもJRが付いていた。
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 そして屋根の左右にある小さな三角屋根は、柱を減らして空間を広くとる為のトラスト構造と言うもので、この駅舎が作られた当時流行していたものらしく、駅舎の裏の千光寺山、中腹にある洋館建ての家の屋根も同じ様式が観られとの説明が有った。最後に新しい駅舎は来年完成し初代の駅舎の様な外観になるのだとか。
 それにしても永い間本当にご苦労様でした尾道駅舎よ!!  後2時間でお役ごめんですね。

2017年05月15日

「渡部昇一の少年日本史」を読んで

 渡部昇一氏にはお会いしたことはないが、月刊誌「致知」にほぼ毎月のように「歴史の教訓」と題して記事を書かれていた。氏の深い洞察力に毎回感服しながら記事を読んでいた。執筆された著書もたくさんあるが、私自身は、平成13年産経新聞社発行の「国民の教育」という本を購入して読んで感動したことを思い出す。
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 「渡部昇一の少年日本史」という本は4月28日に発売されたが、発刊されることを毎月読んでいる「致知」の中で知っていたのでアマゾンで予約購入をする手続きをしていたところ、4月17日に突然ご逝去されたという新聞記事を目にする。享年86歳であった。
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 この本のあとがきには「本書は渡部昇一という人間が、これからの日本を支える若い人たちに向けて書いた一種の遺言と見なしていただいても結構だと思います。本書を通じて、私たちの世代が見てきた日本の輝かしい虹を若い人たちが受け継いでくれることを願ってやみません。」平成29年4月とある。まさにこの本が絶筆となった感がある。
 本は29日に届いたのだが、GW等が有り読み始めるのが最近になった。私は日本史を高校3年生の授業で受けたが明治時代に入ったところで時間切れ、その後のことは習わなかった。
 この本は中学生や高校生向けに易しく書かれた本であるが、神話の時代から現代までを日本人なら知っておきたい日本史のエッセンスを凝縮した日本通史である。この本を読むことによって今までTVや新聞で知っていた私の価値観が変わった感じがする。
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 最近TVや新聞で「天皇陛下の御退位」問題とか憲法を改正し2020年に施行したいとする「安倍総理のビデオメッセージ」などかまびすしい。また皇統が耐えるかも知れないと言うことで「女性宮家の創設」とか「女性天皇」とか色々言われているが、一般国民からすれば何のことか内容はよく分からないし、なんとなく良いではないのかと言った感じを持ってしまう。
 本では25代武烈天皇の時、皇統の危機がおとずれるが26代継体天皇にどのようにして皇位を継承したのかとか、女性天皇の称徳天皇が弓削道鏡を寵愛して道鏡に皇位を譲ろうとした事件のことなどを読むと、今までは一般女性が天皇陛下と御結婚されれば皇后陛下となられ皇族になられる。しかし女性天皇が男性と結婚すると言うことは男性なら日本人でなくても誰でも皇族になれるという道を開くことになる。こうなると男性も、女性も誰でも皇族になれるチャンスがあると言うことになり、皇族の意味が無くなる気がした。2600年以上も続く男系男子相続がどんなに重い意味を持つのか理解できた気がする。
 また現在の憲法がGHQの監視の下どのようにして出来たのかを知ると憲法改正を唱える人たちの意見にも一理あるように思えてきた。 この本を読んで改めて日本人であることの素晴らしさを気づかせてもらった。

2017年05月14日

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