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大先生(元院長)のブログ

初めてのスペイン旅行PART 8

 朝ゆっくりして7時起床、9時前に食堂に行きバイキングスタイルの朝食を食べる。色々の種類が有り少しずつ取っていたら結構な量になる。温かい物としてオムレツを頼むとすぐその場で焼いて持ってきてくれた。
そ れから10時前に家内とホテル出て散策に出かける。メインストリートのグラシア通りを海の方に向かって歩く。途中左手にカサバトリョーというユニークな建物がありガウディ設計したとのこと。その隣もその隣も結構ユニークな建築物が並んでいた。
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 通りの両側には綺麗なしゃれたお店がある。家内が興味を持ってお店に入って見たりする。さらに進むとカタルーニャ広場に来た。北の方角を見ると昨日観たサグラダ・ファミリアの建物が山の上に見えた。公園には色々の像が建てられていた。その後ろにはオレンジ色の屋根がかわいらしいカサ・ロカモラが見える。
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 その後公園の横にあるある「エルコルテ・イングレスデパート」に入り、その地下の食品街に行った。
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 その頃から家内は目が痛くて開けられないという。サングラスはかけていたのだが。そこでとりあえずホテルに戻ることにした。タクシー乗り場に行き一番後ろのタクシーに話しかけたが一番前に行けと言われ前に行って運転手さんにホテル「クラリス」まで頼むと、3区画先なので断られた。それもそうである。やっと一番目に並んでいるのに私たちを乗せたらほとんど銭が取れないので乗車拒否をしたのであろう。
デパートの食品街で買った菓子パンと牛乳1Lもって帰り、部屋で食事をした。家内は疲れたのと目が痛いと言うことで横になって休むと言うので、私一人再び散策に出かける。
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 午前中行ったカタルーニャ広場まで行きそこから右手に入ってランブランス通りを散策する。添乗員Sさんからバルセロナ散策地図をもらっていたのでそれを片手に始めた。この通りは大勢の人が歩いている。中央分離帯が広い通りになっていて分離帯の両脇には出店が並んでいて本当にいろいろ物を売っていた。分離帯の外側が一方通行の車道になっていてさらにその横に本当の歩道がある。
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 バルセロナ散策地図を見ながら海の方に向かって歩くのだが、予備知識も無いし標識の字も読めない。ガイドさんがいるわけで、どのあたりを歩いているのかさっぱり。とにかく面白そうな建物や何かがあれば写真を撮った。これが実は日本に帰って何の写真を撮ったのかさっぱり解らず、このブログを書くのにあたりあれこれ検索してやっと理解する有様である。
 海の方に向かう途中、右手に「サン・ジョセップ市場」が見えた。ものすごい数の人がいた。スリなどに合うとやばいので市場の中には入らなかった。
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 さらに進むと石造りの重厚なゴシック様式の建物がある。教会のような感じである。帰って調べたら14〜15世紀に建てられた「サンタ・マリア・デル・ピー大聖堂」だった。
 さらに進むと建物の壁の上の方に丸いものが装飾され、下の方の壁には日本画が描かれている建物を発見した。これも帰国後、調べると「カサ・ブルーノクアドロス」という建物で1883年に傘屋の建物を改修したのだとか。壁の丸いのは沢山の傘の飾り。地元では「傘の家」と呼ばれているとのこと。
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 さらに進むと着ている服から顔や手に彩色を施し一見銅像かと見間違う人に出会う。観光客に彼をバックに記念写真を撮影させてお金を稼ぐ大道芸人と思われる。
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 通りの先に高い塔が見えてきた。「コロンブスの塔」である。バルセロネータ港に立つ約60mの塔で塔の上には新大陸を発見したコロンブスの5像がある。
海上に架かるアーチ状の橋が有り、ヨット通過のため1時間に一度橋の中央が開閉するとのこと。海の中にはボラとおぼしき魚が泳いでいた。
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 そこから今来た道を帰り始める。地図によると少し入ったところに「レイアール広場」が有ったので行ってみる。中央には噴水があり、周りの建物の下ではカフェやバル、レストランなどがあり賑わっていた。ガウディの若い頃に手がけた街灯があった。
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 その後ランブランス通りに戻り地図を見ると近くに「グエル邸」が在るように記載されていたので、近所とおぼしき場所のお店の人に地図を見せながら英語で話してみたがよく判らないとのこと。
 もう少し行くと扉に面白い模様がありよく見ると日本語の漢字や平仮名あり写真に撮っていたら建物の上の方に「リセウ」と有った。どうやらバルセロナの名門オペラ座のようで有った。日本に関係するオペラでも公演されていたのかな。
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 そこでまた地図を見ると右手の少し入ったところにカテドラルの絵があったので行ってみることにした。狭い通り(車一台が通れる)を進むと立派な建物がある広場に出て来た。後で調べるとバルセロナ市役所であった。さらに進むと教会のような建物が見えてきた。しかし地図の絵のような尖塔が無い。とにかく写真を撮って帰ることにして歩き出す。なおこの教会は、後で「るるぶスペイン‘24」で調べたら『「サンタ・マリア・デル・マル教会」で、かっての海と陸の境目に建てられており権力者や聖職者に頼らず港湾で働く人々の力で建てられた教会「デル・マル」は「海の」を意味する。カタルーニャ・ゴシック様式の装飾が美しい』とあった。
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 さらに歩いて行くと尖塔がみえてきた。さらに進むと古い石造りの建物が現れた。地図からしてどうやら王の広場と称される「レイアール・マジョール宮殿」と思われた。この地区はゴシック地区の中でも最も古いエリアで中世の佇まいを残しているとか。
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 途中馬に乗った「王」と思われる像があった。検索したが誰かは解らない。なお正面には行かなかったので王の広場そのものを見ることは出来なかった。なおこの宮殿で1492年にアメリカ大陸に到達したコロンブスがパトロンであった「イサベル女王」と「フェルナンド王」に謁見した歴史の舞台となったところである。
 さらに進んで左に曲がるとやっとカテドラル「サンタ・エウラリア大聖堂」が見えた。
中には入らず外から外観を眺めただけであったが、壮大な感じがした。聖堂の前の広場では大道芸人達がギターを弾いたり、シャボン玉のパフォーマンスをしていた。
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時間が迫ってきたので急いでホテルに戻ることにする。ホテルに16時半過ぎに帰り着いた。
 17:15ホテルロビーに集合してバスにて「モンジュイック地区」にある「スペイン村」にオプショナルツアーの「フラメンコディナーショー」を見に行く。10名が参加した。途中「スペイン広場」は車窓観光で、ここバルセロナでは闘牛が禁止されたため、かって闘牛場であった建物を上方に持ち上げ「ラス・アレナス・ショッピングセンタ−」が出来ていた。また「カタルーニャ美術館」の建物が見えた。
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 「スペイン村」は、多くの文化的施設が集う「モンジュイックの丘」にあるテーマパークでバルセロナのみならず、スペイン国内中の代表的な建造物が原寸で再現されている。パーク内をぐるりと廻ればスペイン全土を一挙に観光したような気分になれるとのこと。また「フラメンコ」は本来「カタルーニャ地方」の文化ではないため、バルセロナ市内で観られる場所は数えるほどしかない。しかしここスペイン村は「スペイン」がコンセプトなので本場のフラメンコショーが観られるとのこと。
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フラメンコショーはレストランで食事をしながら観た。私の座席は丁度舞台のすぐ前でいわゆる「かぶりつき」の位置であった。そのためダンサーを見上げるようで首が痛かった。そういえば昔学生の頃、広島でストリップショーをかぶりつきで観たことを思い出した。1時間45分程いてホテルに帰る。明日はいよいよ帰国である。
続きはPART 9へ

2023年11月25日

初めてのスペイン旅行PART 7

 朝6:00モーニングコール。7:15に出発してグラナダ飛行場に向かう。飛行場に着いたころ空が明るくなった。9:30飛び立ち一路バルセロナに向かう。到着後スーツケースを取るのに小一時間かかる。そしてバスにて街へ向かう。
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 日本人女性ガイドがついてくれた。まず世界遺産のサン・パウ病院に向かう。建築家モンタネールの代表作品でバルセロナ市内にあった6つの病院を合併して1936年に建設され、美しく芸術的に価値が高い48の建造物が建ち並んでいる。ここが最近まで実際に病院として使われていたとは思えない美しさと旅行社のパンフレットに有る。
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 『モンタネールは1850年バルセロナに生まれ、政治家として活動しながらモデルニスモ建築を代表する建築家で、スペイン国内のアラブ建築に影響を受けた合理主義とモデルニスモ様式独特の曲線の癒合が、モンタネールの建築物の特徴で、さまざまなアーティストとコラボレーションしたため、病院内の至る所に貴重な彫刻、モザイク、絵画で装飾されている』と「るるぶスペイン‘24」に解説があつた。ここは外観のみを見学。
 その後一つ星レストラン「イソップ」にて昼食。一皿、一皿量は少ないが中々の味であった。この旅行で全員一緒に食べるのはこれが最後、夕食は各自でのこと。
 昼食後再び日本人の女性ガイドと合流しサグラダ・ファミリアに行く。
ここでは資格のあるガイドが付き添うことになっており、綺麗な外人女性ガイドが合流した。顔が以前我が家にホームステイしていたアメリカのL子によく似ていた。中に入っても外人ガイドは説明しないで日本人ガイドがすべて説明してくれた。ところが観光客が多くて音声ガイドが混線を来たしたので、周波数チャンネルを変更したらしく私は気付かなかった。そのためガイドのそばにいるときだけ聞こえたが後はさっぱりであった。
 「サグラダ・ファミリア」は1882年、聖ヨセフ信徒協会の聖堂として着工。アントニ・ガウディが31歳の若さで2代目建築家に就任し、聖堂全体で聖書の内容を表現するという構想を打ち出した。字が読めない人でも聖書が解るようにと言うことで細密な彫刻が施され壮大なファサードとなっている。
 私はキリスト教徒でないため聖書を読んだことはなく、ある意味このファザードの彫刻から聖書の中身が少し理解できた。なお彫像などの説明は「るるぶスペイン’24」から転載させて貰った。
 『美しい曲線と光で彩られた聖堂内部など、未完にしてモデルニスモの最高峰と称されている。19世紀の天才建築家アントニ・ガウディが全人生を捧げた大聖堂。天高くそびえるその姿は未だ完成に至らず、ガウディの意思を引き継いだ人々の手によって、今も建築が進められている。建築様式や精密な装飾には、さまざまな意味が込められている。』とある。
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 まずガウディ広場の池越しに全体を見て記念写真を撮る。写真の右端はメインタワーの1つで2021年12月18日に完成した聖母マリアの塔である。高さ138m完成した塔のなかでは最も高く、てっぺんに設置されたガラス製の巨大な星は、キリスト生誕直後に輝いたと言われる“ベツレヘムの星”がモチーフとなっている。
 それから生誕のファザードに行く。
多数の観光客がいて入場も大変だった。このファザードは建物の北東側の入り口にあたり、ガウディ自らが指揮をとって完成した部分で、キリストの生誕に関する装飾が施されている。日本人建築家の外尾悦郎氏は1978年にバルセロナに渡り、「生誕のファザード」のハープを持った天使の彫刻を担当して以来40年以上多くの彫像を手がけている。現在サグラダ・ファミリア主任彫刻家である。
なお「生誕の門」では外尾氏が中央と左右両方の扉の彫刻を担当している。
「生誕のファサード」ではいずれも、圧倒されるほど繊細な彫刻が施されています。
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 「生誕の門」の中央部「慈愛の扉口」には「キリスト生誕」の像があり、産まれたばかりのイエスキリストがヨゼフとマリアに見守られている。イエス生誕の場面がよく描かれている、牛とラバの姿も見える。
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 その右に「羊飼いの礼拝」が配置されている。最初に星を見てキリストに祈ったのが羊飼といわれ、民衆の象徴とされている。左側にはイエスの誕生を確認に「東方の三賢者」がイエスのもとに贈り物を持ってやって来た像が彫られている。
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 またその上にはイエス、聖母マリア、ヨセフを囲む 15体の天使像が配置されこれらは外尾さんの作品 。9人の合唱隊、6人の楽器を奏でる天使たちがキリストの誕生を祝っている姿を表現しています。15体の天使が完成するのに17年を費やしたとのこと。
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そして「キリスト生誕」の上には、「受胎告知の彫像」が配されている。数々の芸術作品の主題とされている宗教的シーンで、大天使ガブリエルがマリアの前に現れ、神の子キリストを身籠もったことを告げる場面を表している。
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さらにその上には「マリアの戴冠」の像がある。これはキリストが聖母マリアに冠を授ける様子を表し、左下の人物は聖ヨセフである。さらにその上に「生命の木」として永遠のシンボル糸杉と大理石の鳩が止まっている。
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また信仰の門の右側には「働くキリスト」の像があり、大工である養父ヨセフの仕事を手伝う青年期のキリスト。キリストの世俗での生活を表した最後の彫刻。
まだ他にも色々の場面が表現されている。
 次に色鮮やかな聖堂内部に入る。
入った瞬間今まで見てきたカテドラルとは雰囲気が違った。高い天井に覆われた広大な空間、建物は十字形になっており、中心に主祭壇がある。白い無数の柱が並びステンドグラスの入った窓から青やオレンジの色鮮やかな光が入るようになっている。
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「主祭壇」主祭壇の上空に飾られているのは十字架に磔にされたキリストの像。50のランプ、血を表すブドウの房、キリストの体を表すパンを作る麦などにかこまれている。
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「ステンドグラス」西側は赤やオレンジ色、東側は青や緑とガラスの色が異なり、午前は東に面しているブルーやグリーンのステンドグラスがとても綺麗とのこと。午後と夕方は西に面しているオレンジ色、赤色、黄色のステンドグラスがとても綺麗だと言われた。私が見たときは正に午後であり何とも言えない暖かさを感じる色で聖堂内が照らされていた。
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 続いて「受難のファサード」に向かう。このファザードは聖堂の南西側にある入り口でこのファザードの彫刻はカタルーニャ出身のアーティスト、ジヨセップ・マリア・スビラックが担当して、彫像はキリストの受難から死、復活までの3日間を表しているが、生誕のファザードの彫像とは全く違ったフォルムをしている。
 中央の大きな扉「福音の扉」にはイエス最後の2日間について「新約聖書」から800字を抜粋している。重要な部分だけは金文字で装飾されている。
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その左側の彫像は「ユダの接吻」と言われ、裏切り者のユダが、隠れている兵士に誰がキリストかを伝えるシーン。悪魔のシンボルとされるヘビがユダの後ろでキリストを裏切るようにそそのかしている。また右側には「ペテロの否定」と言われ、ペテロはキリストを知っていることを3回否定した。それを3人の女性で表現した彫像。 
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その上には「ネガのレリーフ」と言われるキリストの顔の跡が残った布を掲げるヴェロニカ。左側にある横を向いた男性像はガウディと言われている。中央には「キリストの磔刑」で十字架に磔にされているキリストと、ヨハネに慰められる聖母マリア、ひざまずくマグダラのマリアがいる。キリストの足元には頭蓋骨が。そして右には「キリストの埋葬」が配され、布に包まれたキリストを埋葬しようとする最後の場面。傍らでは聖母マリアがひざまずいている。
二つのハザードの彫像を見たことで、ほんの少し聖書のお話が分かった。
20分間の自由時間があり地下博物館とミュージアムショップにも入ってみた。
集合して全員で記念写真を撮った。
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 その後バスにて「グエル公園」に行く。ここはパトロンで有ったグエル伯爵の依頼で市場や学校までも擁する60戸の田園住宅街として建設されたものの、計画は失敗。後に公園として開放された。市内が見渡せる広場のほか、ガウディがかって暮らした住居なども残る。ここからサグラダ・ファミリアが見えた。
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 公園内には土地の高低によって建築様式の異なる3つの柱廊がある。列柱ホールの左側にある柱廊の柱には、頭に籠をのせた女性が彫刻されており、洗濯女の柱と呼ばれている。
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「列柱ホール」はドーリア式の柱で建造されたホール。天井に4つある円形の破砕タイルの装飾はジュジョールの作品で四季を表している。列柱ホールの天井にあるバラ装飾、太陽やメドウーサなどが豊かな色彩で表現されている。
また列柱ホールの上に広大なテラスがある。広場はさまざまな色の破砕タイルを組み合わせて飾られた110mもあるベンチで縁取られている。ベンチの装飾はジュジョールが担当。テラスからはバルセロナの街が一望できる。ベンチに座ると腰の部分と背骨の境目が出っ張っており座り心地が良い。
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「中央階段」は中央入口から入ってすぐ現れる列柱ホールに続く長い広い階段で、列柱ホールの雨水貯めとしての役割もあったという。口から水を出しているモザイクのドラゴンがシンボルだが、実はトカゲやサンショウウオという説もある。
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 ここで現地の女性ガイドさん、日本人ガイドさんと別れ今夜宿泊するホテルクラリスに到着。このホテルはマドリードで泊まったホテルと同系列である。
 今夜も食事は付いて無く、添乗員のSさんが、ホテル近くのバルに案内してくれる9人で参加。日本の居酒屋の様なところである。今日も結構疲れた。明日は夜オプショナルツアーとしてフラメンコダンスを観に行くことになっているが、それまでは完全な自由行動だ。
 続きはPART 8へ

2023年11月19日

初めてのスペイン旅行PART 6

 ところでアルハンブラ宮殿について予備知識が無く、「るるぶスペイン‘24」から引用させてもらうと『アルハンブラ宮殿は14世紀に完成した、イベリア半島最後のイスラム王朝、ナスル王朝(グラナダ王国)の大宮殿。丘の上に広がる1万4000uもの敷地に、緻密な装飾が美しい宮殿群や、堅牢な城塞、水路や噴水を多用した庭園等が点在し、イスラム建築の最高傑作として名高い。1492年、キリスト教軍のレコンキスタ(国土回復運動)により、アルハンブラ宮殿は陥落。王朝の栄華と哀愁が漂う遺産として、ヘネラリフェ、アルバイシン地区とともに世界遺産に登録されている。』とあった。
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 先に庭園を見学したことより順序が少し違った。かってモスクだった場所に立てられたサンタ・マリア・アルハンブラ教会の横を通り、となりのカルロス5世宮殿に行く。ここはグラナダ陥落後16世紀にカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が建設したルネサンス洋式の宮殿で、外観は正方形だが内部は円形の中庭を多くの列柱が取り囲んでいるのが特徴で、内部はグラナダ芸術美術館になっている。
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 続いてナスル朝宮殿に進む。ここは「メスアール宮」「コマレス宮」「ライオン宮」の三つに分かれており最初に「メスアール宮」の「メスアールの間」に入りそれを通り抜けてイスラム教祈祷室に入る。馬蹄形アーチの窓の向こうには、アルバイシン地区の美しい街並みが広がっていた。
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 次にメスアールの中庭に出てきたが、前方の壁には二つの青銅の門が有り周囲を色鮮やかなタイルが装飾されている。日本人ガイドさんによればこの門の右側はまっすぐでなく少しゆがんでいる。万能はアラーの神で人間は万能でないことを示すためにその様に作られているとのこと。門の外壁は見事な漆喰細工で、アラベスク模様で埋め尽くされている。そしてこの中庭には噴水があるだけ。
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 次に「コマレス宮」のアラヤネスの中庭を見る。コマレスの塔を正面に望む長さ34m幅7mの池があり両側には刈り込まれた天人花(アラヤネス)の生け垣がある。対岸から見ると水面に映える美しいアーチや周囲の緑が左右対象に写りとりわけ緑が映えていた。
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 そしてコマレスの塔の中に入ると「バルカの間」という細長い部屋があり、天井には幾何学模様の寄せ木細工が施され船底の形をしていることからこの名がついたとか。「バルカの間」の先には王に謁見するために大使が通されるという「大使の間」と呼ばれる大広間があり宮殿のなかで最も広い部屋となっている。
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 壁一面天井までびっしりと漆喰細工が施され、その細密なアラベスク模様は圧巻で、装飾の一部にはコーランの一部も彫られているとのこと。
また木組み細工の天井は星空をイメージしたデザインだとか。部屋の中央、天井の真下部分の床に立ち入り禁止スペースがあったが、これは宮殿が建てられたときのオリジナルのタイルが残っており傷まないように保護されている。
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 その後「ライオン宮」に移動、ここはかっての王の居住スペースで、男子禁制のハーレムだったところ。そのライオンの中庭はコーランに書かれた天国をイメージして造られ、当時は草花が植えられていた。中庭の中央には12頭のライオン像が水盤を支える噴水がある。当時は水を吹き出すライオンの数で時間を表す水時計でもあった。なお白大理石のライオン像は、かって黄金に彩色されていた。ほかと比べると彫刻技術がやや古拙に見えるのは、11世紀頃の建物から転用したためだと言われている。またライオンの口から流れる水は四方の溝に流れていくがこれは天国の川を意味し、宇宙の隅まで水が行き渡る様子を表している。
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そして中庭を取り囲むように「アベンセラヘスの間」「諸王の間」「二姉妹の間」という三つの部屋がある。まず「アベンセラヘスの間」に入る。ここは豪族アベンセラヘス一族が最後の王ポアブディルによって惨殺されたという伝説にちなみ、16世紀から「アベンセラヘスの間」といわれ、部屋の中の噴水についた薄茶色の染みは、アベンセラヘス一族の血だと伝えられ、かっての惨殺事件を彷彿させる。この部屋の一番の見どころは星をイメージしたという16角形の天井の鍾乳石飾りで、天井を覆う巧妙な装飾はモカラベ様式。立体的で複雑な構造から蜂の巣天井とも呼ばれる。
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 次に「諸王の間」にいく。ここは王の居住空間で、3つの寝室につながっている。内部は鍾乳石造りのアーチが美しく、天井には革に書かれたナスル朝の10人の王の肖像画が残されている。
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 続いて「二姉妹の間」に行くが、左右全く同じ大理石の敷石があることからこの名前がついたとのこと。八角形の天井には、「アベンセラヘスの間」と同じ鍾乳石飾りが施されモカラベ様式の天井が美しく広間は夏季の住居としてボアブディル王の母とその子供達が使ったという。壁にはいくつかの詩が刻まれている。「二姉妹の間」の奥にはリンダハラの望楼があり、二連のアーチ窓からは緑豊かなリンダハラの中庭を望むことが出来る。
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次に進むと下にコマレスの浴室の屋根が見えた。現代の浴室と同様、採光と換気が考慮されている。保存状態を保つため見学は外側からのみ。写真は浴室の屋根で採光が取り入れられる様子がわかる。
次は北側の回廊で、この回廊からは世界遺産のアルバイシン地区全体が見渡すことが出来る。青い空に白壁の家々がよく映えた南スペインらしい景色を楽しむことが出来た。
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そしてリンダハラの中庭にやって来た。1526年に設置された小さな噴水を幾何学模様の植木で囲んだ小さな庭、アルハンブラ宮殿のなかでカトリック的な要素を持つ場所。そして出口へ。そこではちょうど結婚式の写真の前撮りをしているカップルがいた。
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 バスの駐車場に行く途中、アルハンブラ宮殿の中で最も古い宮殿とされ長方形の池の奥に貴婦人の塔(ダマスの塔)を配する「パルタル宮」がたたずみ、水面に映る姿がとても綺麗で美しかった。
 携帯を手に持って写真を撮ったりしたせいか、携帯アプリでは1日のウオーキングが6.8qしかなかった。実際は足の張り具合からもっと歩いているものと思う。ヘネラリフェ庭園とアルハンブラ宮殿の見学でトータル2時間の見学であったため、駆け足見学の感あり、あまり頭に入っていない。もう一回ゆったりコースで見学したいな。日本人のガイドさんによると、今日我々を案内したコースを1日三回ガイドすることもあるとかすごいな。
 夜はホテルのレストランでスープとメインは鱈の蒸した物にソースが掛かった料理とデザートであった。このホテルには宿泊客用の飲料水が部屋に置いて無く、前もって購入してチェックインをした。初めての経験である。
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2023年11月12日

初めてのスペイン旅行PART 5

 モーニングコール7:00で8:45バスにてグラナダに向かう。途中3時間で白い村ミハスに到着する。旅行会社のパンフレットによると『スペイン南部に広がるアンダルシア地方、灼熱の太陽が織りなす光と影、抜けるような青い空と白い家並み。「プエブロ・ブランコ」と呼ばれるその白い家並みでよく知られるのがミハスです。白い家の窓には花々が溢れる、まるで映画のワンシーンのようにゆったりとした時間が流れています。』と有った。途中車窓からは山の中腹あたりまで白い家が連なっているのが見えた。
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 到着後日本語が「こんにちは」「さよなら」しか解らない外国人のガイドが来て案内してくれる。昼食でレストランに入る。前菜にガスパチョ(トマトの冷製スープ)が出てきた。
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その後、村の散策をする。なだらかな斜面に白い家が並んでいる。この白壁は毎年5月頃に主婦が石灰を塗って白さを維持しているとのこと。街中をロバタクシーがのんびり移動していた。
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 村の土産物店で日本人女性がやっているお店(アマポーラ)があるというので立ち寄り4人の孫娘達にミハスで採取した押し花を入れて造った首飾りを買った。
 楕円形の闘牛場を外から見たが、日陰になる処とそうでない処で観覧料が違うとのこと。その先の展望台に行くと地中海が目の前に見える。晴れていたが少しもやが掛かっているのか残念ながらアフリカ大陸は見えない。晴れ渡ったとき右手にはジプラルタ海峡が見えるとのことだったが残念。
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 バスの駐車でトイレに行くが無料であった。そのトイレの横にロバのオブジェがあり面白半分に跨がってみたところ、地元の人か観光客か解らないが乳母車を押していた女性が写真を撮りましょうというジェスチャーしてくれたのでスマホを渡したら撮影してくれた。普通なら子供しか乗らないであろう処に大人が跨がっていたのでおかしかったのかも知れないな。良い記念になった。
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 その後バスにて2時間、グラナダ市街を抜けてアルハンブラ宮殿に直行した。ここでは日本人の女性ガイドがついてくれた。宮殿の歴史を話してくれた。まず庭園を見てその後宮殿に案内して貰うことになる。
 水の宮殿と呼ばれる「ヘネラリフェ」庭園は13世紀末に建設され、歴代の王達が私的な休暇を過ごした夏の別荘でアルハンブラ宮殿の城壁の外、坂道を登った高台にある。
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入り口を入ると糸杉の並木道があり、野外劇場を抜けると下の庭園に出る。糸杉などが丁寧に刈り込まれておりすごく綺麗であった。左手にアルハンブラ宮殿が見える。咲いている花も種類が多く驚く。
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 その後アキセアの中庭に出てくる。真ん中に水路があり、噴水が出ている。ここは離宮の中核をなし、かっての王の間と見晴らしの塔が見える。スペイン・イスラムの庭園の完璧な見本であるとも言われている。
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 その後も庭園を巡る。豊富に庭園内を流れる水は山の上の用水路などから引き込まれている、
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 最後に渡った橋はへネラリーフェから集落や王宮都市へのアクセスを簡便にするため現代になって作られた橋でそこから撮影した写真はチノ坂へと続く外堀をまたいでいる水道橋。ここを通って用水がアルハンブラに流れ込んでいた。水の塔とは、この戦略的にも重要な水道橋を監視する機能ゆえにその名が与えられたとのこと。この橋を渡りいよいよアルハンブラ宮殿にやってきた。 
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2023年11月06日

初めてのスペイン旅行PART 4

 朝7:00モーニングコール、今日はスペイン高速鉄道でスペイン第三の都市セビージャへ行く。スーツケースは別便にて今日泊まるホテルまで直送してくれると言うことで7:30にドアの外に置く。
我々は手荷物一つで出かける。始発駅のアートチャ駅にいく。セビージャと言う名前に記憶が無かった。昔何かで習った頃は「セビーリャの理髪師」という戯曲があったが「セビーリヤ」イコール「セビージャ」と言うのだそうだ。
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 このスペイン高速鉄道は日本とフランスが受注合戦をしたが、日本が負けてフランス式が採用された。車両の座席は半分が進行方向に向いてのこり半分は後方を向いている。もちろん座席を回転することは出来ない代物で、日本の様に座席にリクライニングは無い。アートチャ駅を10:10に出発。途中の風景は小麦畑とオリーブ畑である、オリーブは世界一の産出量とのこと。途中からはオレンジ畑も見えてきた。
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 途中トイレに行ったがこれまた不思議、男女兼用のトイレだが前の人が使用したトイレットペーパーが流れず便器に残っている。流そうと思ってペダルを踏んでも蒼い液体が出るだけでペーパーは流れない。故障なのかその様な設計になって居るのか判らない。スピードも日本の新幹線よりかなり遅い感じがした。それでも予定よりも15分早く約2時間30分の旅であった。日本では考えられない運行スケジュールである。
 直ぐバスに乗りまずスペイン広場に行く、立派な広場でセビージャの歴史がモザイクタイルで描かれていた。フラメンコを踊っている人がいて観光客が投げ銭をしていた。
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 昼食はスペイン風小皿料理「タパス」で小エビの煮た物やサラダなどを食べる。ビール1杯2.5ユーロだった。
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 駅からレストランまで来た現地ガイドはスペイン人で日本語は「こんにちは」「さよなら」程度。昼食後違うガイドが来たが説明が英語でほとんど理解できない。添乗員のSさんが日本語で話を補足してくれてやっとで理解出来た。
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 その後歩いてカテドラルに行く。このカテドラルはスペインで最も大きな聖堂で世界遺産に登録されている。内部にはコロンブスのお墓があった。
 コロンブスは新大陸発見後セビーリヤに滞在していたという。遺骸は米西戦争の終結した1898年にキューバから運ばれてきた。棺はカスティーリャ、レオン、アラゴン、ナバラ4ヶ国を表した4体のブロンズ像に担がれている。墓はその前の床に納められているとのこと。
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この聖堂はイスラム時代のモスクを基礎に15世紀に約100年かけて建築された物で建設には新大陸交易で得た巨万の富がつぎ込まれたとのこと。
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 横にあるヒラルダの塔は現在修復中で有ったがモスク時代のミナレットを16世紀にルネサンス洋式に改築した高さ94メートルの鐘塔で塔の上にはヒラルディーリョと呼ばれる風見鶏としてアテネ像が設置されている。異文化が融合した街のシンボルとして親しまれている。20分の自由時間があったので頂上まで登ってみたがかなりきつかった。家内は膝に人工関節を入れているのでどうかと思ったが無事登りきった。
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 その後サンタクルス街を通ってホテルに向かう。途中9〜11世紀にイスラム王の王宮として建設され、その後13世紀にはキリスト教王の居城となり14世紀にペドロ1世が大改築を行ってほぼ現在の姿になったアルカサルの城壁に沿って歩く。途中レンガがはがれて12世紀頃の壁が見えているところもあった。
また街中を馬車が観光客を乗せて走っているし、その前を路面電車が走っていて面白かった。
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その後「アルフォンソトレセ」ホテルに到着。このホテルはセビージャで最も格式の高い名門ホテルとのこと。
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 チェックインの手続きを添乗員のSさんがしている間、フロアーの椅子に座ってショルダーバッグの中を整理していたことは覚えているのだが、その時、腕時計を外したらしい。部屋に入ってあれこれしていたら添乗員のSさんが時計を忘れていませんかと言いに来てくれた。腕を見るとはめていない。ロレックスで金時計だと言ったらそれだという。急いでSさんとフロントに取りに行く。時間は日本時間にしていることを告げる。受け取ってみると間違いなく自分の時計であった。ホテルの女性従業員が見つけてくれたとのこと。お礼を言う。さすがに名門ホテルである、時計が無くならなかった。たいしたものだ。今思えば女性従業員さんにチップをやるのを忘れていたのが残念であった。
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夕食は中庭であった。テーブルの上にはろうそくがあり幻想的であった。
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2023年11月03日

初めてのスペイン旅行PART 3

 7:30モーニングコールであったが少し早目に起床。本日の支度をしてホテル1階のレストランで朝食。バイキングスタイルで結構美味しく食べた。9:15バスにて観光に出発。スペインは朝8時と言ってもまだ日が昇らない。少し暗い感じのなか出発。
現地に住んで居られる日本人女性の方がガイドとして今日1日案内してくれる。日本語の説明で本当に助かる。
 まずスペイン広場に行く。そこには『ドン・キホーテ』の作者セルバンテス没後300年を記念して作られた広場で中央にセルバンテスが彫刻された塔がありその前には愛馬の「ロシナンテ」にまたがり槍を持った「ドン・キホーテ」とその従者「サンチョ・パンサ」の銅像があった。小説「ドン・キホーテ」を全部読んだことは無いが、風車に立ち向かう話は記憶がある。
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 それからプラド美術館に行く。ガイドさんの説明によれば世界三大美術館の一つと言われているが、人によっては他の美術館を上げる人もいるとのこと。またこのプラド美術館の収蔵品の中に略奪品が1点もないことが自慢であるおっしゃっていた。
 団体予約で前もってチケットを入手しており、拝観時間も決められていたので待ち時間もなく、正面ではない横の入り口から入館した。館内での写真撮影は一切禁止のため、スマホやビデオをショルダーバッグに入れて観た。特にスペインが誇る3大巨匠、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品を時代を追って観た。いずれも高校の美術の教科書に載っていた絵でエル・グレコの「聖三位一体」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」そしてゴヤの「裸のマハ」、「着衣のマハ」そして「我が子を喰らうサトゥルノ」を観た。これらの絵をこの目で実際に見ていることの驚きを感じた。パンフレットの一部を転載させてもらう。
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 プラド美術館を出たところ正面に立派な教会が目に入た。ヘロニモスレアズ教会である。
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その後ソフィア王妃芸術センターに行き門外不出のピカソの「ゲルニカ」を観た。ここは写真撮影はOKであるがフラッシュはNGだった。現地のガイドさんは36年前からスペインに在住している方で絵の説明なども本当によく勉強されていてすごく良く解った。
その後ダリの「偉大なる手淫者」の絵を観たあと昼食に行く。途中コロンブスの記念碑をバスの車窓から観た。昼食のメインはシーフードとイカスミの2種類のパエリアでサラダとデザーとがあり結構豪華であった。
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 その後バスにて世界遺産の古都『トレド』に移動する。行く途中の風景はオリーブ畑と小麦畑(現在は刈り取られている)が続く。途中一回ドライブインによってトイレ休憩をする。
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お土産物などを売っていたので何がスペインの土産なのか観てみた。トレドはBC.192年から、永い間栄え6世紀に西ゴート王国の首都になった古都で、スペインの黄金期を築いた王フェリペ2世が、都をマドリッドに遷都するまで首都で有った。ローマ、イスラム、ユダヤ、キリスト教の諸文化の後がそのまま残っている。
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 まず旧市街が一望できるタホ川の対岸からトレド市街が一望できるミラドール展望台に行き街全体を眺め、写真に収める。旧市街は昔城壁で囲まれていたとのこと。旧市街は観光バスが入れないので途中まで行き、エスカレーターで丘の上まで登る。
最初にサントトメ教会を見学。ここにはトレド出身のオルガス伯爵の葬送を題材にしたエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」が有った。この絵の中にグレコ本人が描かれているとのこと。
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 次にカテドラルを観に行く。ここでは男性は帽子を脱がなくてはならない、女性は衣服の一つとして認められており脱がなくても良いのだとか。このカテドラルは完成に270年かけて造られた大聖堂で、総大理石の床、約750枚ものステンドグラスなどの装飾が内部を彩る。また天井に描かれたフレスコ画も素晴らしかった。宝物は黄金の主祭壇の彫刻で聖体祭ではキリストの体を表すパンを納めて街を担いで歩くとのこと。
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トレドの街中は中世のままの姿が残されている。市の規則で外観は決して変更してはならず、内装のみ変更可能として中世の街並みを保ってきているとのこと。結構街中を歩いた。バスにてマドリッドに戻り、夜はホテル近くのレストランで全員で食事をする。
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2023年10月30日

初めてのスペイン旅行PART 2

 空港からおよそ1時間で市内中心部のホテル『ヴィラレアル』に着く。ホテルの前にはネプチューンの噴水が有り、通りを挟んで向かい側には国会議事堂がある。
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1時間後に希望者は添乗員さんがマドリッド市内を散策しながら案内してくれるというので全員が参加する。前もって添乗員さんが配布してくれたマドリッド散策MAPをもって歩いた。
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 まずマドリードの中心地であるプエルタ・デル・ソル(太陽の門広場)に行く。
ここは昔この町が城壁に囲まれていた時代、太陽が昇る東側の門が有ったことに由来しているとか。広場の中心にはカルロス3世の銅像があり、またマドリッドのシンボル「熊とマドローニヨ(山桃)の木」の銅像があり多くの人が集まっていた。また周りの建物が素晴らしく驚く。
何かイベントがあったのか教会の音楽隊とおぼしき人達が楽器を奏でながら行進していた。またこの広場のマドリード自治政府庁の前に、スペイン国道の起点となるプレレートがありそこに立って記念写真を撮っていた。私もと思ったが多くの人が順番待ちだったので止めた。
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 王立劇場の建物や修道院の建物を見ながら王宮のあるオリエンテ広場に向かう。
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 途中ハムなどを売っている多くの店があった。窓越しにのぞいてみるとイベリコ豚の足1本丸ごと生ハムとして売っている。お値段は高いので1本が765ユーロ、中間が500ユーロ(日本円で8万円)安いので200ユーロの値札があった。高いのにも驚いたが足1本丸ごと買う人がいるのにも驚く。
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 オリエンテ広場にはフェリペ4世の銅像があり、王宮及びその庭を外から見る。糸杉が結構植えられていた。ここでUターンをして帰路につく。最初一緒だったツアーの人たちも他に行きたい所が有るのか、三々五々に分かれたため最後は私たちともうひと組のご夫婦だけとなった。添乗員さんはホテルまで送ってくれるとのこと。
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 途中サンミゲル市場の中に入ってみた。市場には大勢の人が買い物に来ていたが、添乗員さんから「人での多いいところではリュックやショルダーバックは後ろや横に掛けないで前の方に持ってきてさらに片手で抑えるように注意を受けていた」のでその様にして中を見て回った。
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 それからマヨール広場に出てきた。大きな熊のぬいぐるみを着て子供たちを驚かせたり、若いカップルが抱き合っていたりと日本では見慣れない光景であった。
 途中路地の向こうにサン・イシドロ教会の建物を見た。この教会はスペイン初のイエズス教会として17世紀初めに建てられたとのこと。添乗員さんの話ではこの教会に支倉常長一行の天正少年使節団が寝泊まりしていたとのこと。
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 今晩は夕食がついてないので各自が適当に食事をするようになっていた。日本出発時気がついてなくて驚いた。ホテルに帰りながら夕食の算段をするためバル(日本の居酒屋の感じ)のお店のメニューなど見て回った。多くのバルは外でも食べれるようになっている。
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もうひと組のご夫婦は気に入ったバルが見つかりそこで食事をすると言うことで分かれる。私たちもホテルの直ぐ近くまで帰ってきたのでそこで添乗員さんとお別れする。
それで家内とホテルのレストランにするかどうか話したが、結局ホテル近くのスーパーマーケットに行く。日本のコンビニ程度の大きさでしかも日本の様に明るい照明ではなくて薄暗い感じの店に入りパン・牛乳・バナナ・缶ビール・ヨーグルトを買った。その際、明日出発時に枕銭がいるのでお釣りに1ユーロがいくつか入る様にして貰った。英語の片言でなんとか通じた。ホテルの部屋でゆっくり食べた。疲れたので早急に寝ることとした。続きはPART 3へ

2023年10月27日

初めてのスペイン旅行PART 1

 今年2回目の海外旅行である。1月終わりにエジプトに出かけたのはプレ金婚旅行で、今回は金婚旅行と思い、阪神航空フレンドツアー社の<名門ホテル「アルフォンソトレセ」に泊まる太陽の国スペイン9日間>のツアー旅行に参加した。
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 10月7日に出発。新尾道駅を15:21の「こだま」で出かける。このたびは新大阪まで乗り換えなしで出かけた。この方が時間がかかるが、ゆったり気ままに乗っておられる。新大阪で「はるか」に乗り換えたが、これも自由席。今回もスーツケースは前もって関空に宅配便で送ってもらうサービスを利用。私はショルダーバック一つ、家内も手提げ鞄一つで楽ちんで有った。
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 関空到着後、いつもどおり2階のローソンでおにぎりを買って食べる。その後4階の出発ロビーで円からユーロに両替をしてもらう。1ユーロ164円で手数料が6円ちょっと掛かっていた。その後フレンドツアー社のカウンターに行くと旅行鞄が必要と言われ、私が鞄を取りに行っている間、家内が受付を済ませ添乗員の方から注意事項を聞いた。実はこのことが後でとんでもないことを引き起こすことになろうとは思いもしなかった。
 エミレーツカウンターで搭乗手続きをしてもらい出発時刻までラウンジでゆっくりする。何組かの御夫婦がラウンジにいらっしゃり、多分同じツアーでは無いかと家内と話していた。ビール2杯とワインを少々飲んだ。1時間半ほどゆっくりして無事搭乗。機体はB777で両窓際が2席で中央が3席で横1列が7席のかなり窮屈な配置で有った。
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 0時前にテイクオフした。まもなく軽食がでる。食べた後いつも通り映画を観る。日本映画を探し「左様なら今晩は」を見始めた。2年間同棲していた彼女が家を出て行って一人になった若い男性の部屋に突然若い女性の幽霊がやってきて引き起こす物語だったが途中、土堂小学校下の高架橋とおぼしき場所からどうやら尾道駅を写していると思われる画面に遭遇、その後尾道の街の色々な場所が映し出され驚いた。お好み焼きの手鞠、向島大橋、尾道シネマなど、まさか飛行機の中で尾道の街を観るなんて驚きであった。大林監督時代は尾道三部作なども有り尾道を題材にした映画を観ていたが、まさか今時、尾道が出るなんてと思った。その後寝るが少し寒くて途中トイレに行く。
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 日本時間で午前7時30分頃目覚めてまた映画を観る。日本映画「私たちの幸せな結婚」を観る。途中朝食が出たが、幕の内弁当でボリュームがあった。10時間ちょっとのフライトで無事ドバイの空港に到着。
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 本当は降りたところで集まることになっていたらしいのだが、関空で手続きを家内に任せで私はスーツケースを取りに行っていたため説明を聞いていなかった。さらに頂いた書類にも目を通していなかったので、降りていく人の流れに任せて乗り継ぎ方へ行き手荷物検査を終えたところで、どうも同じツアーの人がいないことに気がつく。
 書類を出してみたら飛行機を降りたところで集まると書いてある。急いで添乗員さんに電話をする。私たちがいるところはCゲートで今度乗る飛行機はAゲートである。Aゲートは別のターミナルビルのためバスにて行かなくてはならないとのこと。家内と私は搭乗券を見せながら片言の英語で手荷物検査の所にいた係員に聞いたりしてやっとバスに乗り込み10分ほど掛けてAゲートターミナルに到着。ラウンジで他の人たちと合流できた。ほっとする。とんだハプニングであった。
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 1時間ほど休んでドバイからスペイン・マドリッド行きの飛行機に乗る。今度の機体はA380で座席も窓際1席、中央2席、の1列4席のゆったりしていて、色々の物が座席の横に置けるし、飲み物なども備えてあった。これだと寝返りが打てる。1時間ほどして朝食が出る。
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 また映画を観る。役所広司主演の松竹映画「峠」は長岡藩家老「河合継之助」を題材にした話で中々味のある話であった。見終わったときが日本時間15:35で現地時間10:35で本日の飛行ルートを観ると丁度アラビア半島の上を飛んでいた。まもなくエジプト・スエズ運河の上を通過するのであろう。
また映画を観る。今度は中井貴一主演「嘘八百・・なにわの陣」で、丁度見終わったところでマドリードに到着。現地時間13:25(日本時間20:35でNHKの「どうする家康」が日本では終わる頃の時間)で8時間弱のフライトで有った。
関空を出発してトータル21時間45分ほどの旅程であった。
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 今度は間違わないで全員で行動し各自スーツケースを受け取り、バスでとりあえずホテルに直行する。気温27℃で暑い。続きはPART 2へ

2023年10月22日

尾北16回生「もう一度喜寿を祝う会」

 9月16日に「もう一度喜寿を祝う会」が尾道のRyokan尾道西山(旧 西山別館)で開催された。昨年8月16日に34名が尾道市役所屋上に集まり「喜寿の会」が開催されたが、コロナ禍もあり食事会もなく座ることなく立ったままでの開催で有ったため、なんとなく顔合わせをしただけの感じがしていたので有ろう。11人の発起人が集まり今回企画運営をしてくれた。64名(男35名、女29名)の16回生が集まった。このようなお祝い事は数え年でするらしいのだが、昨年の8月では私は75歳になって4ヶ月しか経過して無くて、中々ピント来なかった感がしていた。
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 尾北16回生は昭和60年に開かれた同窓会で名前を16(いちろく)会と名付け、毎年お盆の8月16日に集まることにしていたがいつの間にやらうやむやとなっていたが昨年無事に復活していた。今回は1ヶ月遅れでは有ったが16日に開催できた。地元の同級生とは毎年6月に開催される北高「槙ヶ峰同窓会」で顔を合わせている。平成27年の「槙ヶ峰同窓会」では卒後50年の「ホームカミング」で招待を受け104名が集まったがその時以来の人数で有る。
 16時集合で17時から会が始まる。幹事の一人が進行役をつとめ、最初に物故者に黙祷を捧げる。配布された名簿には男性47名、女性12名の名が記されていた。当時の尾道北高校は普通科と家庭科があり、我々16回生は卒業時、普通科は男性181名、女性121名で家庭科は全員が女性で52名。男女別でいけば男性181名、女性173名であるがはるかに男性の死亡者数が多い。調査しきれなかった人たちもいると思うが、男子が4倍近く多いのに驚く。これも平均寿命が関係しているのか?
 次にA君が祝太鼓として氷川きよしの「きよしのズンドコ節」を叩いて会を盛り上げた。
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その後同窓会会長のK君の挨拶があり、白ワインで乾杯となり宴が始まる。
席は前もってくじ引きでテーブルが決まっていた。色々話を聞いていると「この年齢になると次の機会に参加できるかどうかわからないので最後かも知れないとおもい参加した」という人たちが多かった。
 県外からの参加者紹介もあり遠くは北海道からの参加者もいた。
卒業以来会ってなかった長崎からのF(旧姓T)君と話が出来たことは良かった。またここ4年ほど会っていなかった明石から参加したY君と話すと、この6月に奥様を亡くされたとか。日常生活や食事などについて色々と様子を聞いてしまう。息子さんが近くに住んでおられる様だが、ほとんどは自分でスーパーに買い物に行き自炊しているとか。  
最近家内との会話にも「お父さん私が先に行ったら食事どうするの?少し料理をしてみたらと誘われる」が聞き流していた。しかし同級生のことを聞くと少し考えなくてはと思う。
 最初お顔を見ても名前が出てこない人も多くいたが、だんだん面影が出てきたり、名札を見て思い出したりとあっという間の2時間で有った。
 最後に幹事の方から昨年の喜寿の会にはご出席いただいた恩師のK先生の近況のお手紙が披露された。2通あり6月の時点では参加することを楽しみにしているとのことで合ったが、8月のお手紙では、今年は89歳になり歩くのも少し自信が無く酷暑故に欠席するとのことで合った。
K先生は私が2年生の時赴任されてきたが、おそらく29歳でなかったかと思う。第一印象がすごかった。普通先生は授業の始まりのベルが鳴って職員室を出られるのだがこのK先生はベルが鳴る前に教室の入り口の廊下に立っていてベルが鳴ると同時に教室に入ってこられてすぐ授業開始された。驚きである。それがずっと続いていたと思う。
 最後に校歌斉唱で宴はお開きになった。タクシーが中々来ないので歩いて家まで帰る。65分かかった。
 翌朝いつものようにウォーキングをしていたらK先生のお住まいのマンションの前でぱったりお会いする。ちょうどゴミ出しに出てきておられた。昨日のことをご報告した。とても元気そうで足取りもしっかりされていて良かった。
つぎは80歳「傘寿」の会が有るのかな?

2023年09月18日

懐かしき歌

 先日、頭から布をかぶった外国籍の女性が来院された。服装でイスラム圏からの方だと思った。どこの国から来たのか聞けばインドネシアとのこと。3年以上介護施設で働いているとのこと。日本語もすごく達者である。
 インドネシアと聞いたとたん「ノーナマニサパ ヤンプーニャン ラササーヤ  サーヤゲン」とい言う言葉が急に頭に浮かんだ。
多分インドネシア語だと思ったのでこの言葉はインドネシア語ですか?と質問してみた。彼女はすごく驚いたようで「そうです」と答えてくれた。矢継ぎ早にどうして知っているのですかと逆に質問された。
 昔、昭和40年(58年前)に広大に入学したとき「広大ホームアジア」という同好会に入って活動をしていた。この同好会は当時日本政府が大東亜戦争で日本が負け、その折アジア各国に迷惑を掛けたという趣旨で日本の各地の大学へ国費留学生を招いていた。当時広島大学にはインドネシア、台湾、パキスタン、からの留学生がいた。彼らが日本で生活することや日本語の習得、勉強などのお手伝いをしたり、また色いろと意見をのべあいながら親睦を高め、日本を理解してもらうような活動をしていた。
休日にはハイキングに出かけたり、夏休みにはキャンプに行ったりクリスマス会などもあってより親睦を高めた。その時いろんな歌を歌った。その中で歌詞に「ノーナマニサパ ヤンプーニャン ノーナマニサパ ヤンプーニャン ラササーヤ  サーヤゲン」というのがあり、インドネシアからの留学生と一緒に歌った光景を思い出した。しかし歌の題は忘れていた。この歌詞の意味を逆に彼女に聞いてみたが難しいと言われた。
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 次回彼女が来院されるまでに少し知識を入れようとインターネットで検索したら「かわいあの娘(こ)は誰のもの」と言う歌でボニージャックス他、何人かが歌っていることがわかった。流行歌だったとは全く知らずラジオで聴いたこともなかった。
それで歌詞をコピーしてスマホで歌が聴けるようにして来院を待った。来院されたとき歌の歌詞を渡しスマホで聴いてもらった。この曲、元はインドネシアの民謡のようなものらしい。日本でインドネシアの歌が聴けるとは思っていなかったようでとても喜ばれた。
その後、私も再々この歌を口ずさんでいる自分に気がつく。
 同じ頃、広大工学部応用化学科で一級先輩のTさんからメールが届く。終活するつもりで段ボール箱をあけたらいろんな物が出てきたがその中にガリ版刷りの「春歌集」が出てきたといつて1ページ目の写真を添付してきた。これまた懐かしい物である。今のZ世代の人たちに「春歌」と行っても判らないであろうが私たちの世代では一杯飲んだらよく「春歌」を歌ったものである。今の若い世代では、「春をひさぐ」なんて言葉は死語に近いであろう、「売春」と言う言葉は理解できるようである。
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 それにしても添付写真の最初の歌は「めんこい仔馬」のメロディーで歌うのだが
『ゆうべとうちゃんと寝たときに、 へんなところに芋がある、 とうちゃんこの芋なんの芋  オーラ  坊やよく聞けこの芋は、 坊や作った種芋さ。』・・・・
私も何回も歌った懐かしい歌である。
 いろんな歌が替え歌となっていて、「性」や「セックス」を想起させるものがほとんどで有った様に思う。それにしても替え歌の歌詞を作詞した人はごく普通の人であろうが、作詞家としての才能があったのでは無いか? あるいは詩人では無いのかと想像してしまう。私にとっては古き良き時代の日本の文化かなと思う。今の若い世代はいやらしいと毛嫌いするのであろうが。

2023年09月05日

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