大先生(元院長)のブログ
診療ゴミ |
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| | 環境保全の概念は今日の社会ではよく知られており、省エネ、二酸化炭素排出量、などエコ関連の言葉が多数氾濫している。
先日、日本歯科医師会雑誌4月号を読んでいたら国際歯科ニュースという欄に「環境に優しい歯科医療を行いましょう」という記事があった。読んでみて大いに驚かされた。
例えば、歯科における1年間の環境に及ぼす影響として
・ 6億8千万個の使い捨てプラスチック製の障害となる物
・ 17億枚の滅菌袋
・ 2千8百万リットルの定着液
・ 480万枚の鉛箔
・ 3.7トンの廃棄アマルガム
・ 90億ガロンの水消費(バキュームシステム)もしくは360ガロン(1.36トン)の一診療所における一日の水消費量
等が書いてあった。
さいだ歯科医院では現在デジタルレントゲンを導入していることより定着液と鉛箔については環境に優しくしている。
一般的な歯科医院では5年間に少なくとも200リットルの定着液と17,200枚の鉛箔の処分が必要だとの事。
しかし歯を削るためには水はどうしても必要なのだが、それでも毎日、毎日1.36トンもの水道水を垂れ流していることに驚いた。
私の診療室では感染対策としてデスポのエプロン、紙コップ、滅菌袋、ゴム手袋などを多用するが、これまた環境に負荷をかけることになる。しかしこと感染対策に関しては譲れない部分である。

デスポのエプロン・紙コップ ゴム手袋
そのほか現在レセプトオンライン化が国を挙げて進められているが、これを電子カルテにしてペパーレスにすると一般的な歯科医院では1年あたり10,000枚の紙が節約できるとのこと。
資源は限られており有効に使う必要がある。
現在もゴミは感染性廃棄物、医療廃棄物、一般廃棄物に分けて排出している。
とりわけ感染性廃棄物は特別に費用を払ってマニュフェストの交換をしながら専門業者に引き取ってもらっている。
更に一般廃棄物はある程度分別して排出しているがどの程度リサイクルされているのかは分からない。歯科に特化したリサイクル分別基準でも出来ると有り難いのだが。
今回この事実を学んだ以上、これからは清掃や消毒には害の少ない(毒性の無い)消毒剤を使うとか、リサイクルできる器具の導入や、エネルギー効率の良い製品を購入する等、環境保全に勤めなくてはと思った。 | | | |
2011年04月26日
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「いい選択」 |
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| | 先日結婚38周年を迎えた。年齢も64歳ともなればそろそろ人生の終点が見えてきそうである。そんなこともあって家内に「あなたはいい選択をしたね」といったところ怪訝な顔をする。
どうやら意味が理解できなかったようで「何の事」と言う。
それで私は「僕と結婚することを選択したことだ」という。
「僕と結婚したから幸せだろう」と少し自慢げに言う。
すかさず「それはあなたでしょう、私と結婚して」と逆襲される。
お互いの心の奥底には少なからず相手を幸せにしてやっているという自負があったのか?
私のように結婚した妻に向かって生意気にも「いい選択をしただろう」と不遜なことを言う人は他にはいないのかも知れない。

色々思い出してみるとどうやらプロポーズの言葉は私が発したようだ。
家内とは小学校1年生の時の同級生である。
41年前の5月、デートした時、家内が手作りのキャラメルを持ってきてくれた。それまでキャラメルは森永などのお菓子メーカーが作るものだと思っていたので、家庭でも作れるという意外性とそれが作れる彼女の才能にほれたのか、あるいは甘党の私にとっては海老以上の餌さだったのか、つい『来るか』とポロッと口を滑らした。
まったく結婚など考えていなかったのに。
それでも結婚してから、私は会社を退職、歯科大学入学、歯科医院開業と普通の人とはかなり違う波乱万丈の人生をよく二人で乗り切ってきたと思う。
正に人生の同志である。今でも色々思い出してはあの時はこうだったとか、ああだったとか話が弾む。

若い頃はよく夫婦喧嘩もしたが、最近はそれも無く、存在そのものが空気のようになっており、そばにいるのが当たり前の感覚で日々を過ごす。
孫達にも囲まれ日々楽しく過ごせている人生に感謝できる。
お互い「いい選択」をしたことは間違いないと確信している。 | | | |
2011年04月18日
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映画「しあわせの雨傘」・「愛する人」を観て |
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| | 先日カトリーヌ・ドヌーヴ主演の「しあわせの雨傘」を観た。彼女は1943年生まれで現在68歳。この映画では60歳のブルジュワ妻スザンヌを演じている。ところでカトリーヌ・ドヌーヴと言えば1964年、21歳の時ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」に主演、17歳の傘屋の娘ジュヌヴィエーヴを演じている。そのときの彼女の美しさには随分心を惹かれたものである。今回彼女はそれなりに美しく年を重ねていたが、ジャージ姿でジョギングする彼女を見ると下腹あたりに脂肪が付いたと思われ、47年の歳月に少しがっかりした。でも「ローマの休日」の晩年のオードリーに比べればはるかに色気がありまだまだ見捨てたものではない。

物語はパンフレットから引用すれば
スザンヌ・プジョー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は60歳。朝のジョギングを日課とする優雅なブルジュワ主婦。結婚30年になる夫ロベールは雨傘工場の経営者で「妻は美しく着飾って夫の言うことを聞いていればいい」という完全な亭主関白だ。ところがある日、ロベールが心臓発作で倒れ、なんとスザンヌが工場を運営することに。ブルジュワ主婦ならではの感性で、傾きかけていた工場は大盛況!だが新しい人生を謳歌する彼女のもとに退院した夫が帰ってきた・・・・・
夫、子供、昔の恋人、そして工場の従業員たちと繰り広げる、涙あり笑いありの人生讃歌
気楽に鑑賞でき面白かった。
その日はもう一本続けて「愛する人」を観た。この映画は「しあわせの雨傘」とは違って少し考えさせられ、心に響くものがあった。

ストーリーを公式サイトから引用させてもらうと
『14歳の時、カレン(アネット・ベニング)は好きな人の子供を身ごもってしまうが、母の反対にあい、子供を養子に出す。
それから37年、母親を介護しながらともに暮らすが、素直になることが出来ない。ただ、名前も顔も知らぬわが娘を密かに想い、届く事の無い娘への手紙を書き続ける日々。
母親の愛情を知らずに育ったエリザベス(ナオミ・ワッツ)は、弁護士として成功しながらも、家族も恋人も作らず、一人きりで生きていた。
しかし予想外の出来事が起こる。同じ会社のボス(サミュエル・L・ジャクソン)の子供を妊娠してしまうのだ。その出来事が彼女の人生を変えてしまう。今までのキャリアを捨て、産むことを決意するのだ。そして彼女はずっと閉ざしていた母の存在を意識し始める。
そんな時、カレンの母親が亡くなった。生きているときに伝えることのできなかった母への本当の気持ちを悔やむかのように、愛する娘を探し始めることを決めた。
娘を手放したことを後悔しながら生きてきたカレン。
母の愛を知らずに育ったエリザベス。
母と娘の空白、37年。2人は会うことを決意する。
しかしそこには衝撃の運命が待ち受けていたーーー。
悲しみを乗り越えて見出す希望と感動のフィナーレに涙が止まらない。』
とある。
原題は「MOTHER AND CHILD」、文字通り母と子の物語である。
母と子は血縁なのか、あるいは一緒に過ごした時間の長さなのか、考えさせられた。
また映画の中でナオミ・ワッツが裸で、自分の大きなお腹を愛しそうにさするシーンがあるがこれは彼女自身の妊娠中に撮影されたものでビックリ。
いい映画であった。
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2011年04月09日
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ニュージーランド娘の里帰り |
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| | 先日ニュージーランドからJ娘が「ただいま」と言いながら帰って来た。
彼女は本当の娘ではない。AFS留学生として2005年3月から2006年2月まで1年間私の家にホームステーイし、私はホストファーザーであったためJ子を娘と呼んでいる。
今回で3回目の里帰りである。現在オークランド大学でコンピューターのハードウエアーを研究する学科の学生で来年卒業とのこと。この度は3ヶ月間、京都大学に短期留学しに来たのだ。彼女はもともとオークランド大学で文学部と工学部の2学部に在籍し、文学部の方は既に修了したとのこと。それにしても一度に2学部をこなすなんて素晴らしい。
ところで私にはJ娘の他にまだ4人の娘がいる。この度の地震と津波、原発事故が世界に発信されたため、AFS留学生としてかって我が家にホームステーイしたフィリピンのA娘、ミャンマーのE娘、USAのL娘、マレーシアのS娘と全員から早々にお見舞いのメールをもらった。それと同時に彼女たちの近況を知らせてくれた。
昨年5月に結婚したA娘は妊娠8ヶ月で大きなお腹を抱えた写真を送ってくれた。E娘は医者になり2年間のミャンマーでの研修医を終えシンガポールの大学で、博士課程の研究を始めた。L娘はUSAの空軍中尉として活躍し、将来の宇宙飛行士を目指している。S娘は弁護士試験に合格し、マレーシア法務省の高級官僚として、現在日本でも話題になっているTPPについて検討しているようだ。彼女たちがそれぞれの国において無くてはならない存在として活躍しており、私としても日本で留学生活を送った時お世話させていただいたことが今更ながら嬉しい。

ところでJ娘は最初、もう少し早く来る予定であったが、地震と大津波、そして福島原発事故のため家族の反対があり、来日が遅れたようだ。多くの外国人が日本から脱出している現在よく来たなと感心する。それだけ勉強したい意欲が強いのだろう。留学に当たっては笹川財団の奨学金がもらえたとのこと。全経費が賄える額ではないが、かなり助けになるのだろう。
何日か一緒に過ごしているが、日本語検定1級を取得しており、会話はもちろん、日本語の深い意味も理解し、造語ばかりでしゃべる現代の若者よりは遥かに日本人らしい。
以前のように海外から留学生が日本に来なくなったとニュースが流れていたが、政府はODCなどで色々の国に、お金や物を援助しているが、物よりも人を援助することの方が本当は重要なのではないだろうか。
また明日はJ娘のオークランド大学の友人で一緒に京都大学に留学する台湾系のSさん(女性)がやって来るとのこと。賑やかになりそうである。
J娘の今後の京大での研究に期待している。3ヵ月後、帰国する前にもう一度会えるであろう。
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2011年03月27日
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東北・関東大震災 |
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| | 3月11日(金)14:46に発生した三陸沖を震源とする東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞いと一日も早い復旧復興をお祈り申し上げます。
それにしてもTVで観ていて津波の凄まじさに足がすくみ、身の毛がよだった。映画のワンシーンであればどんなにか良いかとも思った。
そして死者、行方不明者を含めて15000人以上だとの事。また福島第一原発、第二原発の事故も不安をあおっている。
私は北海道で歯学を学んだためにこの東北地方には多くの同級生がいます。また、40年前に日立製作所日立研究所に同期入社した仲間や友達が日立市や常陸太田市、水戸市など茨城県には多く住んでいる。地震発生と同時に彼らの安否が心配であったが、しばらくの間ほとんど安否情報はなかった。しかし昨日あたりから少しづつ情報が入ってきている。かなりの人が物的被害はあったものの命は無事でほっとしている。
ところで、日本歯科医師会は昨年9月に大規模災害、特に東海・東南海・南海地震を想定して「大規模災害時の歯科医師会行動計画」定めていた。
これよると緊急歯科医療の確保、身元確認への協力体制の迅速な整備、巡回口腔ケア班の編成及び出動など多くの項目を挙げている。
それを受けて広島県歯科医師会も昨日「広島県歯科医師会災害対策本部」を立ち上げた。これからは自治体や、被災地の歯科医師会からの要請で組織だった支援を行うことになった。
緊急歯科医療に関しては自衛隊が野外で治療できる設備を20SET持っているとの事。それを利用することも盛られている。
さらに死体の身元確認という作業があるが、これが困難を極めるであろう。果たして出来るのだろうか。
歯科医師会はかって日航のジャンボ機が墜落した時、歯型を頼りに身元確認をした。この場合はあらかじめ乗客名簿があり、確認しやすかったが、今回地元の歯科医院も被災してカルテなども消失しており、照合作業は困難を極めるであろう。しかもその数は膨大である。ましてや海上に流された死体の場合はどこから流れて来たのかさえも判らない。ほぼ不可能ではないだろうか?
それでもご遺体をご遺族にお返しすることがどうしても必要である。それによりご遺族が気持ちに区切りをつけ、新たなる歩みをはじめることが出来るのでは無いだろうか。
TVで避難所生活をされている方の不自由な状態を見るにつけ早く復興に向けて、日本国民がこの国難を一致団結して乗り越えなくてはと思う。
私はここにいて何も出来ない。せいぜい義援金を出すぐらいしかない。
最後に改めまして、被災地の1日でも早い復興と皆様のご無事を心よりお祈り申し上げます。
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2011年03月15日
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運転免許証更新手続き |
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| | 先日運転免許証の更新に行ってきた。今までは尾道警察署で出来たが、一昨年11月から福山市に広島県東部運転免許センターが開設されそこに初めて行った。
立派な免許センターで駐車するスペースも広く安心して駐車出来た。建物の中も広くしかも職員の方が優しく直ぐに話しかけていただき手続きが流れるように進んだ。今までは警察署の中ということもあり、なんとなく堅苦しい感じだったが本当に良かった。幸いにも私はここ10年優良運転手で今回も30分の優良運転講習会の受講で済んだ。
このたびの申請では申請写真もいらず、免許証と更新案内のはがきと手数料だけを持っていくことで事足りた。随分簡素化されている。そして講習が終わったら隣の部屋で直ぐに免許証の交付があった。新しい免許書はICチップが埋め込まれ、暗証番号を2個申請した事で、今まであった本籍地が免許証に記載されていない。少し個人情報保護になっている感じがした。そして免許証の裏には死んだり、脳死状態になったとき、臓器提供をするかどうかの項目があり、サインする欄が設けてあった。死んでも人様のお役に立てるかもしれない。
ところで、講習会では免許証の有効期限についての説明があったが、私は現在64歳で今回も優良運転手だったので5年間有効、つまり次は69歳の時に更新になる。ところが70歳になると3年ごとの更新になるとの事。これからの5年間また優良運転手になるように気を付けて運転すると次の免許証は74歳までいける。
その後は3年ごとの更新なので77歳までいけるがその頃になれば免許証返納をしなくてはならないだろう。そう考えると、昭和43年に免許を取得して以来今まで12回ほど更新してきたが、更新手続きをするのもせいぜい後2〜3回程度となる。それを考えた時改めて自分の歳を知らされ、人生のゴールに確実に向かっていると気が付かされた。

その他、事故の件数や死亡者数、事故発生が一番多いい交差点などの報告があったが、とりわけこの東部地区では死亡件数が多いとの事。
そして65歳以上の高齢者が死亡者の48.8%を占めているとの事。後1年すれば私も高齢者、道路を歩いたり横断したりするときには十分注意をしなくてはならない。
これからも注意してハンドルを握らなくてはと誓いを新たにした。
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2011年03月11日
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ギャップ・イヤー |
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2011年03月05日
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映画「ヒア アフターを」観て |
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| | 先日クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア アフター」を観に行った。ヒア アフターとは「来世」と言う意味であるが、私は何故か「前世」とか「来世」に興味がある。
と言うのも私は5歳の夏に池で遊んでいて深みにはまり、九死に一生を得た経験がある。

この映画のはじめにパリで活躍するジャーナリストの女性が東南アジアで休暇中に津波にのまれ死にかける。その時水の中を浮遊する画面があったが、私が溺れた時、体がどんどん水の中に沈んでいき、もがきながら「助けて」と叫ぶが口から泡がぶくぶく出て上のほうへ上がっていくのを今でも鮮明に覚えおり、その記憶と重なるものがあった。どれほどの時間が経ったか解らないが私も映画の女性のように息を吹き返した。只その時映画のように不思議な光景が見えたわけではない。
さらに私が小学校の4年生で昭和32年1月18日学校から帰宅途中、突然に母方の祖父が死んだのでは無いかと思った。確かに祖父は胃がんで入院していたが今にも死にそうな話は聴いていなかった。家に帰ったら祖父が危篤だという電報が来ていた。母はその日の夜行で石川県の祖父のところに行く用意をしていたが、夕食時に祖父死亡の電報が配達されてきた。その電報には、死亡時刻が書いてあったが、正に私が祖父は死んだのでは無いかと思った時間と一致していた。「虫の知らせという」言葉があるが本当にそうなのだと思った。
祖父には生まれて以来2回しか会っていない。一度目は1歳の頃、母が里帰りした時で、私の記憶には無い。小学1年生の夏休みに石川県に遊びに行って祖父に遊んでもらったことしか覚えていない。それでも私に「虫の知らせが」ありとても不思議に思った。
そんなこともあり、立花隆著「臨死体験(上・下)」、ブライアン・L・ワイス著「前世療法」、飯田史彦著「生きがいの創造」などの本を読んだ。臨死体験は脳の為せるわざとも言われるし、実際前世や来世があるか解らないが、現代科学で説明できないものがあるように思う。

前世については、いろいろの人が子供たちが覚えていると証言しているので一番上の孫娘に「お母さんのお腹の中から生まれてくる前どこにいたのか、どうだったか」聞いたが返事は無かった。そろそろ2番目の孫の聞いてみようとおもう。
そんなわけで興味を持って映画を観た。
内容は映画を観てのお楽しみだがパリで活躍するジャーナリストのマリーが恋人との休暇を楽しんでいた東南アジアで津波に巻き込まれ死を垣間見る、そして帰国してからも呼吸が停止した時に見た不思議な光景が忘れられずその正体を突き止めようとする。
一方サンフランシスコにはかって霊能者として死者との対話をしていたが今では対話に疲れて工場で働きながら人生を変えようとする男ジョージが居る。
またロンドンで母と双子の兄と暮らすマーカスが突然の交通事故で兄を亡くす。そしてもう一度兄と話したいと霊能者を訪ね歩くが本物は居ない。ある日マーカスはジョージの古いウェブサイトに行きあたる・・・・・・
日本では恐山のイタコが霊能者で死者との対話をするといわれている。やはり何か有るのだろう。
ただクリント・イーストウッド監督は「死後の世界があるかどうか、真実は誰にも分からない。ただ、人は誰も与えられた人生を精一杯生きるべきだと、僕は信じている」と述べている。
私も「今ここ」が総てだと思う。
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2011年02月27日
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映画三昧 |
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| | 2月3日から2月11日までの間で7本の映画を観た。現在上映は修了したが最初が「アンストッパブル」で暴走列車を止めるべく色々の手立てをしていく過程がスリリングで結構手に汗握る面白い映画であった。次が「ウォール・ストリート」、これは正月に韓国仁川空港から福岡空港までの間で観ていた映画で、途中切れになっていて非情なマネーゲームの果てに何があるのか是非最後の結末が観たいと思っていたもの。最後はやはり血のつながりがお金に勝るようだ。
その次が掘北真希主演の「白夜行」これもストーリーに引き込まれ固唾を呑んで観ていたように思う。そしてその日はもう一本「僕と妻の1778の物語」を観た。この映画は癌で余命1年と宣告された妻に夫として何が出来るかと考えた末に1日1編の短編小説を書くことにして実行していく。1年が過ぎ2年、3年と経つうちに妻の容態は悪化していく。妻が死んだ日に1778編目の物語を死んだ妻が読めるようにと原稿用紙に空書きし、それを空に投げて風に舞い上がらせる。癌を扱った映画のため少し重たい感じがしたが、自分だったらどうなのだろうかと考えてみたが結論は出ない。
そして2月11日には夕方16時半に夕食を食べて、エーガル8シネマズに行き、17:20から3本映画を観た。終わったら24:05であった。最初が「毎日かあさん」で、あまり笑うような場面は無かったがなんとなく憎めないほのぼのとした映画であった。映画の最後はキャストの名前が出てくるがこの映画ではスチール写真を挿入しながら映し出されていた。そして一番最後の写真は作者、西原理恵子さんとご主人がカンボジアのアンコールワットをバックに写した写真であったため、12月にアンコールワットを訪れたときの事を思い出させてくれた。次いでトイレ休憩後、同じ劇場で「ジーンワルツ」を見た。パンフレットには『“生命誕生の現場”崩壊の一路をたどる産科医療に潜む闇に迫るとある。代理母出産に挑む産婦人科医の戦いを描く医療ドラマで、妊娠受け入れ拒否や地方の医師不足などの医療問題を背景に、不妊治療のエキスパートの主人公が生命誕生に全力を尽くす姿を描く。壊滅寸前の産婦人科医療の現実に圧倒されながらも希望につながるラストが感動を呼ぶ』とあった。正にその通りでいずれも最近の話題が組み込まれており、私も一医療人であることから興味を持って鑑賞した。
またトイレ休憩の後、3本目の映画「太平洋の奇跡」を観た。この映画は太平洋戦争の激戦地サイパン島で、たった47人の兵力で4万5,000人ものアメリカ軍を翻弄(ほんろう)し続け200人の民間人を守りぬき、アメリカ軍から恐れられた実在の日本人、大場栄大尉の実話を映画化したものだ。この物語は歴史の中に埋もれていたが、かって銃を交えた元アメリカ海兵隊員のドン・ジョーンズが書いた一冊の本「OBA、the LAST SAMURAI」により広く知られるようになった。サイパン戦とは1944年6月、日本の重要な基地であったサイパン島に米軍が上陸、激戦となった。追い詰められた日本軍は、7月7日、約4000名の兵士で最後の総攻撃(バンザイ突撃)を敢行。捨て身の攻撃で、日本軍はほぼ全滅玉砕した。一方、島の北部に残された民間人はマッピ岬から次々と海に身を投げ命を絶った(その後この崖は「バンザイ・クリフ」と呼ばれている)。その数8000人とも12000人とも言われている。サイパンが落ちて以後、B29による本土爆撃が可能となった。2005年天皇・皇后陛下がバンザイ・クリフを慰霊されている。日本軍による民間人虐殺などの話がある中でこのサイパンでの大場大尉の行為は賞賛される。観終わって熱い物がこみ上げてきた。「ジーンワルツ」と「太平洋の奇跡」はお勧めである。
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2011年02月15日
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