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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

映画「ブラック・スワン」、「アメイジング・グレイス」、「SOMEWHERE」を観て

 最近中々映画に行けなかったのだが、この1週間に3本の映画を観た。
アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝いたナタリー・ポートマン演じる「ブラック・スワン」。そのストリーをパンフレットから引用すれば「ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元ダンサーの母親・エリカ(バーバラ・ハーシー)の寵愛のもと、人生の全てをバレエに捧げていた。そんな彼女に新作「白鳥の湖」のプリマを演じるチャンスが訪れる。だが純真な白鳥の女王だけでなく、邪悪で官能的な黒鳥も演じねばならないこの難役は、優等生タイプのニナにとってハードルの高すぎる挑戦であった。さらに黒鳥役が似合う奔放な新人ダンサー、リリー(ミラ・クニス)の出現も、ニナを精神的に追いつめていく。やがて役作りに没頭するあまり極度の混乱に陥ったニナは、現実と悪夢の狭間をさまよい、自らの心の闇に囚われていくのだった……。」
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パンフレットにあるように試練と孤独、ライバルへの嫉妬、人間に秘められた二面性や変身願望が現実と妄想の映像として見事出されていた。総ては自分の心の持ちようということかも知れない。
アメイジング・グレイス」は、イギリスで「奴隷貿易廃止法」成立200周年を記念して製作された映画で実在の政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの、奴隷貿易廃止のための戦いの模様を描いた物語である。
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 この映画の中で歌われる『アメイジング・グレイス』は彼の師ジョン・ニュートンが書いた詩である。ニュートンはもともと奴隷貿易船の船長をしており、彼の航海の最中、2万人の奴隷が命を落としたという。彼の悔恨と神への感謝から生まれた詩である。この曲に支えられながら奴隷貿易廃止のために活動した政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの不屈の精神には感服した。そして美しい旋律の「アメイジング・グレイス」に心が安らいだ。
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「SOMEWHERE」のあらすじはパンフレットから引用すれば「退廃的なライフスタイルを送る映画スター 、ジョニー・マルコの暮らしは、表向きの華やかさとは裏腹に、じつは孤独で空虚だ。ある日、彼のもとに前妻と同居する11歳の娘クレオをしばらくの間、預かることになる。騒々しい日常は一転、クレオとの楽しく穏やかな日々が過ぎていく。そして、再び離れ離れになる日が訪れるが…クレオと過ごした何気ない日々の時間の中に、ジョニーはやがて自堕落な生き方が置き去りにしてきた、大切な何かに気く。」
家族の絆や日常の何気ないものの中に本当の幸せがあり、一日一日の大切さを感じさせられた映画であった。

2011年05月26日

「ホーム・アジア広島」設立50周年記念パーティに参加して

 5月15日に「ホーム・アジア広島」設立50周年記念パーティが広島市留学生会館で有った。
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     広島市留学生会館           K君が持ってきた資料
 ホーム・アジアと言っても御存じないと思うが、同期のK君が当時の新聞などの切抜きをコピーして持ってきてくれた。その資料の中の1961年7月10日の朝日新聞の記事によれば『1960年に国立教育研究所の矢口新氏のきもいりで「アジア諸国からの在日留学生と真のまじわりを結び、手をたずさえて諸国民の相互理解をはかり、アジアを一つのホームにする」ことを目的として「ホーム・アジア」が発足した。』とある。
 そして1961年4月には「ホーム・アジア広島」が設立された。山陽新聞1962.5.22の記事によると『広島で学ぶ東南アジアの留学生に暖かい家庭的な雰囲気を与え、励ましていこうという第1回ホーム・アジア広島の会の集いが、21日午後2時から広島市平和公園記念館前の南国をしのばせるフェニックスの葉影で開かれた。』とある。また当時『広大にはインドネシア・香港・タイ・シンガポール・パキスタン・マラヤから7人の留学生がおり、工学部と医学部で勉強している』と書いてあった。このような行事に広大生が参加していたようで、そこから1962年に広島大学の中に「広島大学ホーム・アジア同好会」が旗揚げされたようだ。
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          当日のパーティ風景
 私が広大に入学した1965年(昭和40年)にはかなり活発な活動をしており、記憶をたどると、三永の水源地に藤の花を観に行ったり、夏休みに可部の奥の柳瀬でのキャンプ、大学祭のときの「Asian Food For You 」というネーミングで留学生の出身国の料理の作り方を習い留学生たちと共に販売したこと、クリスマス会なども行った記憶がある。
 1966年には中国地方や九州地区にいる留学生を広島に招待して「アジア留学生交歓会」を行った。ダンスパーティーをして資金を稼いだり企業訪問をして寄付を募ったりした。また九州大学や九州工業大学学生課に行き留学生が出席できるようにお願いしたりした。この交歓会は広島市長にも出席いただいた。K君の資料によると東南アジアからの留学生31名を含む総勢150人が参加したとある。そして日本とアジアの国の今後の有り方や交流の仕方について活発な議論が行われたと記憶している。
 その後1960年代終わりの大学紛争(闘争)の最中、「どうべきあるか」と議論が高まり、結果として広島大学ユネスコ研究会と発展的に解消され、それも長続きはしないで自然消滅したとのこと。但し広島支部はその後も続き市民やボランティアに支えられて50周年を迎えることが出来た。本当に素晴らしいことである。
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 パキスタンのダラ・カビール君と           40数年後の仲間
 私は大学卒業と共にホーム・アジアからは手を引いていたので、このたびの会合に出席して40数年ぶりに当時の仲間と再会をした。皆当時の面影を残しながら年を重ね、顔にはしわ、頭は薄く白い、この40数年の話に花が咲いたがそれなりに皆苦労をしてきて今日を迎えたようだった。
K君が持参した当時の写真を見ながら若かった時の勇姿をみて苦笑することひとしきり。
 今にして思えば、ホーム・アジア運動に参加したことが、後年にAFS留学生のホームステイ先を引き受けることになったのだと思った。

2011年05月16日

初めてのテレビ出演

 5月12日尾道ケーブルTVの18:30からのOCTVニュースに生出演をした。テレビ出演は生まれてこのかた初めてである。
 この4月から尾道市歯科医師会の新会長になったために新会長紹介だとのこと。10日に打診があり、歯科医師会の活動などを話して欲しいということであった。
 私は人前で話すのに少し緊張するタイプなのだが、尾道市歯科医師会の為になると思い引き受けた。さっそく原稿を書いたり、その原稿がすらすら読めるように練習したが、いったい何分間の出演枠があるのかも知らされていない。
 当日40分前にスタジオ入りをする。
「しまなみ交流館」の中にあるスタジオにはカメラが3台が備え付けて有り、カメラマンとアナウンサー、プロデューサーいた。音楽係りやミキサーはガラス張りの別の部屋に居た。

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 打ち合わせに入り、そこで始めてCUE―SHEETを渡され持ち時間2分30秒を知った。リハーサルでは書いた原稿が長すぎるとばっさばっさと削られ何とか2分30秒の枠に入るようになった。ニュース4本の後に出番であったが、その待っている間、少々落ち着かない。
それでも始まると何とか無事にこなせてホッとする。

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尾道ケーブルTVのニュースは夕方18:30に1回だけ生放送されるが、後は録画を次の日の18:30の生放送まで同じものを5回ほど再放送している。
出来映えが気になり、帰って20:30と23:00の2回再放送を観た。
話の内容などは、そこそこの出来であった。それでも少し表現を変えたほうが良かった部分もあり、自分的には90点くらいかなと思う。
ところが一緒に観ていた家内の批評は「怖い顔で映っている。もう少しリラックスして穏やかな顔で無いと駄目だ」と手厳しい。
ところでそこに映っている己が姿を見て愕然とした。蝦蟇ガエルではないが己が姿の醜さに驚いたのである。
日頃、全くといっていいほど気付いていなかったが、正面から見ると、右肩が下がり、口角は逆に左側の方が上がり、両眉毛のラインは左に下がっていた。
この姿勢の悪さは一種の職業病であるが、あまりにもよく目立つ。
これからは診療時の姿勢に気をつけなくてはと思う。
 更に決定打として、 最後にお礼で頭を下げたところ、頭のてっぺんの髪が薄く、あまりにも老人くさくなっており、歳は隠せないと愕然とする。
それでも、ともかく終わってほっとした。
何でも初めての事は緊張が付き物である。

2011年05月13日

福島第一原発事故に想う

 さる3月11日の東日本大震災で福島第一原発が事故を起こしてまもなく2ヶ月となる。しかし未だに終息の見通しさえ立たない状況下にある。その中で昼夜を問わず復旧活動に従事されている、東電、下請け企業や、原発を製造したメーカーの人たちが過酷な環境下、死に物狂いで活動されていることに頭が下がる。
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 (写真は東京電力のHPより転載)
この福島第一原発1号機が営業運転を始めたのは1971年3月のことである。私は同じ年の4月に日立製作所に入社をした。当時社内ではこれからは原子力産業の時代だと言われ、日立市にある日立工場(海岸工場)は活気に溢れていた。
夢のエネルギーといわれ、事故の事など少しも疑うことは無かった様に思う。
私は日立研究所に配属された。
原子力発電では原子炉や隔壁などはGE社から技術導入をしてある程度作られていたが、核燃料はアメリカからの輸入に頼っていた。そこで何とか燃料を国産化する必要があった。
ところで天然ウランの中には放射能を持つウラン235が0.7%しか含まずほとんどが無害のウラン238である。
当時国内では0.7%のウラン235を分離する技術開発が急ピッチで進んでいた。最終的に日本は遠心分離法を採用し、ガス状の六フッ化ウランから235を取り出すための遠心分離機の開発の真っ只中であった。ガス状の六フッ化ウランを遠心分離すると重い238が外側に軽い235が内側に集まってくる原理である。
配属された研究所での最初のテーマは高速で回転する遠心分離機の軸受けに注油するオイルの研究であった。通常の鉱物系のオイルだと放射線によりオイルが劣化し固形物が析出して回転が止まったり、場合によっては偏心回転になり、破損事故を起こすことが懸念された。そこで東海村の「動燃」(現在の核燃料サイクル開発機構)の実験炉で既存のオイルの暴露実験を行い暴露時間と析出物の量との関係を調べていた。更に文献調査を行ったりして、F素系のオイルがかなり良い結果を出したことを覚えている。しかし3ヶ月ほどで、新たな部門に配置換えになりその研究は途中やめとなったが、現在は何が使われているか興味はある。
私のオイルの研究と同時に隣の課では遠心分離機の胴体の開発をしていた。
遠心分離機は高速で回転させるため軽くて丈夫な胴を作る必要があった。
その材料としてカーボンファイバーを使用したFRPが特に研究されていたようだ。
今でこそ炭素繊維は釣竿や、ゴルフクラブのシャフトに使用されているが当時は非常に高価な材料であった。
これらの研究が成果を出したのか岡山県の人形峠で試験運転がされ、現在は青森県の六ヶ所村で大々的に燃料が生産されている。

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 (写真は広島県福山市鞆の浦、仙水島の9000万年前の断層)

新しい配属先ではガスタービン発電機のコイルの絶縁材料の研究をしたが、これもやはり原発関連の研究でもあった。
とにかく全員が国家プロジェクトの一翼を担っているという意気込みがあった様に思う。

結局日立製作所には7年しか勤めなかったが、少しでも原発関連の仕事に係わっていたことを思うと、今の福島の事故がとても他人事だとは思えない。
速く事故が収束し、避難されている人が1日でも早く自分のお家に帰れることを願うばかりである。
 

2011年05月07日

孫の「尾道港祭り」

 GWの5月1日、昨夜来の雨が心配されたが、孫が尾道港祭りの『ええじゃんSANSA・がり踊り』にでた。
幼稚園なので10時スタートだという。踊りながら道路をパレードして、途中三箇所の審査場所がありその都度元気一杯に踊るとのこと。

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 私と家内も例年昼ごろから出かけるのに今までになく早く、「港祭り」に出かけた。孫が出るというだけでこれだけ気持ちが高ぶるのに驚く。
東日本大震災を応援するために「尾道から元気を!!」というスローガンのもと、いたるところに義援金箱が設置されていた。
さすが祭り、出店や屋台も多くあったがその中でも、3月末まで放送のあったNHK朝の連続TV小説「てっぱん」で尾道のお好み焼きが有名になったせいか、例年になくお好み焼きの出店が多くあったような気がした。
 こちら尾道では祭り一色であるが、一方東北地方では、新聞やTVなどの報道によれば未だに多くの人びとが避難生活を余儀なくされており、毎日命がけの生活をされている。日本中が自粛ムードでは駄目だという論調が新聞などに掲載されているが、やはり少し申しわけない気がした。

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 それでも孫の踊りをビデオに収めようと必死で追いかける。近くにやって来ると声をかけるが孫は聞こえても聞こえぬ振りで知らん顔をしている。
パレードが終わり最後に駅前広場のステージの上で踊った。

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 孫を追いかけるだけで結構しんどかったが、5歳の孫は踊って、パレードしてまた踊ったりしたのに、あまり疲れた様子も無く無事親元に帰ってきた。
一段と頼もしくなった孫の顔を見て相好を崩してしまう自分に気が付く。

2011年05月03日

診療ゴミ

 環境保全の概念は今日の社会ではよく知られており、省エネ、二酸化炭素排出量、などエコ関連の言葉が多数氾濫している。
先日、日本歯科医師会雑誌4月号を読んでいたら国際歯科ニュースという欄に「環境に優しい歯科医療を行いましょう」という記事があった。読んでみて大いに驚かされた。
例えば、歯科における1年間の環境に及ぼす影響として
・ 6億8千万個の使い捨てプラスチック製の障害となる物
・ 17億枚の滅菌袋
・ 2千8百万リットルの定着液
・ 480万枚の鉛箔
・ 3.7トンの廃棄アマルガム
・ 90億ガロンの水消費(バキュームシステム)もしくは360ガロン(1.36トン)の一診療所における一日の水消費量
等が書いてあった。
さいだ歯科医院では現在デジタルレントゲンを導入していることより定着液と鉛箔については環境に優しくしている。
一般的な歯科医院では5年間に少なくとも200リットルの定着液と17,200枚の鉛箔の処分が必要だとの事。
しかし歯を削るためには水はどうしても必要なのだが、それでも毎日、毎日1.36トンもの水道水を垂れ流していることに驚いた。
私の診療室では感染対策としてデスポのエプロン、紙コップ、滅菌袋、ゴム手袋などを多用するが、これまた環境に負荷をかけることになる。しかしこと感染対策に関しては譲れない部分である。
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 デスポのエプロン・紙コップ            ゴム手袋

 そのほか現在レセプトオンライン化が国を挙げて進められているが、これを電子カルテにしてペパーレスにすると一般的な歯科医院では1年あたり10,000枚の紙が節約できるとのこと。
資源は限られており有効に使う必要がある。
 現在もゴミは感染性廃棄物、医療廃棄物、一般廃棄物に分けて排出している。
とりわけ感染性廃棄物は特別に費用を払ってマニュフェストの交換をしながら専門業者に引き取ってもらっている。
更に一般廃棄物はある程度分別して排出しているがどの程度リサイクルされているのかは分からない。歯科に特化したリサイクル分別基準でも出来ると有り難いのだが。
 今回この事実を学んだ以上、これからは清掃や消毒には害の少ない(毒性の無い)消毒剤を使うとか、リサイクルできる器具の導入や、エネルギー効率の良い製品を購入する等、環境保全に勤めなくてはと思った。

2011年04月26日

「いい選択」

 先日結婚38周年を迎えた。年齢も64歳ともなればそろそろ人生の終点が見えてきそうである。そんなこともあって家内に「あなたはいい選択をしたね」といったところ怪訝な顔をする。
どうやら意味が理解できなかったようで「何の事」と言う。
それで私は「僕と結婚することを選択したことだ」という。
「僕と結婚したから幸せだろう」と少し自慢げに言う。
すかさず「それはあなたでしょう、私と結婚して」と逆襲される。

 お互いの心の奥底には少なからず相手を幸せにしてやっているという自負があったのか?
私のように結婚した妻に向かって生意気にも「いい選択をしただろう」と不遜なことを言う人は他にはいないのかも知れない。

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 色々思い出してみるとどうやらプロポーズの言葉は私が発したようだ。
家内とは小学校1年生の時の同級生である。
41年前の5月、デートした時、家内が手作りのキャラメルを持ってきてくれた。それまでキャラメルは森永などのお菓子メーカーが作るものだと思っていたので、家庭でも作れるという意外性とそれが作れる彼女の才能にほれたのか、あるいは甘党の私にとっては海老以上の餌さだったのか、つい『来るか』とポロッと口を滑らした。
まったく結婚など考えていなかったのに。

 それでも結婚してから、私は会社を退職、歯科大学入学、歯科医院開業と普通の人とはかなり違う波乱万丈の人生をよく二人で乗り切ってきたと思う。
正に人生の同志である。今でも色々思い出してはあの時はこうだったとか、ああだったとか話が弾む。
 
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 若い頃はよく夫婦喧嘩もしたが、最近はそれも無く、存在そのものが空気のようになっており、そばにいるのが当たり前の感覚で日々を過ごす。
孫達にも囲まれ日々楽しく過ごせている人生に感謝できる。

 お互い「いい選択」をしたことは間違いないと確信している。

2011年04月18日

映画「しあわせの雨傘」・「愛する人」を観て

 先日カトリーヌ・ドヌーヴ主演の「しあわせの雨傘」を観た。彼女は1943年生まれで現在68歳。この映画では60歳のブルジュワ妻スザンヌを演じている。ところでカトリーヌ・ドヌーヴと言えば1964年、21歳の時ミュージカル映画「シェルブールの雨傘」に主演、17歳の傘屋の娘ジュヌヴィエーヴを演じている。そのときの彼女の美しさには随分心を惹かれたものである。今回彼女はそれなりに美しく年を重ねていたが、ジャージ姿でジョギングする彼女を見ると下腹あたりに脂肪が付いたと思われ、47年の歳月に少しがっかりした。でも「ローマの休日」の晩年のオードリーに比べればはるかに色気がありまだまだ見捨てたものではない。

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物語はパンフレットから引用すれば
 スザンヌ・プジョー(カトリーヌ・ドヌーヴ)は60歳。朝のジョギングを日課とする優雅なブルジュワ主婦。結婚30年になる夫ロベールは雨傘工場の経営者で「妻は美しく着飾って夫の言うことを聞いていればいい」という完全な亭主関白だ。ところがある日、ロベールが心臓発作で倒れ、なんとスザンヌが工場を運営することに。ブルジュワ主婦ならではの感性で、傾きかけていた工場は大盛況!だが新しい人生を謳歌する彼女のもとに退院した夫が帰ってきた・・・・・
 夫、子供、昔の恋人、そして工場の従業員たちと繰り広げる、涙あり笑いありの人生讃歌
気楽に鑑賞でき面白かった。

 その日はもう一本続けて「愛する人」を観た。この映画は「しあわせの雨傘」とは違って少し考えさせられ、心に響くものがあった。
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ストーリーを公式サイトから引用させてもらうと
 『14歳の時、カレン(アネット・ベニング)は好きな人の子供を身ごもってしまうが、母の反対にあい、子供を養子に出す。
それから37年、母親を介護しながらともに暮らすが、素直になることが出来ない。ただ、名前も顔も知らぬわが娘を密かに想い、届く事の無い娘への手紙を書き続ける日々。
 母親の愛情を知らずに育ったエリザベス(ナオミ・ワッツ)は、弁護士として成功しながらも、家族も恋人も作らず、一人きりで生きていた。
しかし予想外の出来事が起こる。同じ会社のボス(サミュエル・L・ジャクソン)の子供を妊娠してしまうのだ。その出来事が彼女の人生を変えてしまう。今までのキャリアを捨て、産むことを決意するのだ。そして彼女はずっと閉ざしていた母の存在を意識し始める。
 そんな時、カレンの母親が亡くなった。生きているときに伝えることのできなかった母への本当の気持ちを悔やむかのように、愛する娘を探し始めることを決めた。
娘を手放したことを後悔しながら生きてきたカレン。
母の愛を知らずに育ったエリザベス。
母と娘の空白、37年。2人は会うことを決意する。

しかしそこには衝撃の運命が待ち受けていたーーー。
悲しみを乗り越えて見出す希望と感動のフィナーレに涙が止まらない。』
とある。

 原題は「MOTHER AND CHILD」、文字通り母と子の物語である。
母と子は血縁なのか、あるいは一緒に過ごした時間の長さなのか、考えさせられた。
また映画の中でナオミ・ワッツが裸で、自分の大きなお腹を愛しそうにさするシーンがあるがこれは彼女自身の妊娠中に撮影されたものでビックリ。
いい映画であった。

2011年04月09日

会長職

 この4月1日から計らずも、尾道市歯科医師会の第13代会長に就任した。
会長と言う名の役職は64年の人生の中で高等学校の時の生徒会長と今回の2回しかない。 歯科医師会では今までは副会長だったが名刺の肩書きから「副」と言う一文字が取れただけなのに、責任がぐっと迫ってくる。
 尾道市歯科医師会は昨年創立90周年を迎え、次の100周年に向けてスタートを切った。そのようなことを考えると会長に就任したことによる責任の重大さに気付かされる。
歯科医師会の大きな役割の一つは公衆衛生の普及向上であり、何をするのか常に考えながら会を運営することになる。多くは行政とタイアップを図り、尾道市民の「安心な暮らし作り」のために、妊娠時から死ぬまでの全ステージに関わって「食べる喜び噛む喜び」が得られるように検診や啓発事業を行っている。
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一部を書き出してみると
@ パパママ準備スクルーにおける妊産婦に対する講演と歯科検診
A 1歳半・3歳児歯科検診における個別歯科検診保険指導
1歳半3歳児の歯科検診の時に、各幼児の生活習慣を調査し、それと検診結果をもとに虫歯の危険度を個別に予測した上で、今後の口腔清掃や生活習慣についての指導を行っています。
B 幼稚園・小・中・高等学校における歯科検診
C 成人の歯周疾患検診事業
80歳で20本の歯を以上の歯を残す「8020運動」がありますが、20本以上の歯があればほとんどのものが美味しく食べられる。40歳、50歳、60歳、70歳の方々を対象に無料で歯科検診を行っています。
D 休日歯科診療
日曜、祝日や年末年始に、当番医が休日歯科診療を行っています。歯の痛みは急に起こる上に猛烈に痛いので、休日に診てもらえる事で市民に喜ばれています。
E 歯っぴーフェスティバル
毎年6月の「歯の衛生週間」に尾道市総合福祉センターで「歯っぴーフェスティバル」という催しを歯科衛生士連絡協議会の主催で行っています。これは主に就学前の乳幼児に対し、歯科検診と無料フッ素塗布を行い、虫歯の予防と啓発を行うものです。また歯に関する相談や歯みがき指導も受けることが出来ます。栄養士会や技工士会にも協力をいただき、歯に良い料理の展示や指の石膏模型を作っています。参加者は全員記念品がもらえます。
F 8020表彰
80歳で20本の歯を達成された方には、秋の公衆衛生大会で表彰を行い、賞状と記念品を贈呈しています。
G 訪問歯科診療・訪問口腔ケア
身体的な原因で歯科診療所に治療に来れない方には在宅や施設に歯科医師が出向いて「訪問歯科診療」をしたり、口腔の保清を保つために歯科衛生士による「訪問口腔ケア」事業を行っています。この事業には「歯ミング」という在宅の歯科衛生士の組織からも協力を得ています。
この他にも歯科医師会は多くの事業を行って尾道市民の健康に一役買っています。
改めて先達たちが築いてきた尾道市歯科医師会の名を汚さないように職責をまっとうしなくてはと思っています。

2011年04月04日

ニュージーランド娘の里帰り

 先日ニュージーランドからJ娘が「ただいま」と言いながら帰って来た。
彼女は本当の娘ではない。AFS留学生として2005年3月から2006年2月まで1年間私の家にホームステーイし、私はホストファーザーであったためJ子を娘と呼んでいる。
 今回で3回目の里帰りである。現在オークランド大学でコンピューターのハードウエアーを研究する学科の学生で来年卒業とのこと。この度は3ヶ月間、京都大学に短期留学しに来たのだ。彼女はもともとオークランド大学で文学部と工学部の2学部に在籍し、文学部の方は既に修了したとのこと。それにしても一度に2学部をこなすなんて素晴らしい。
 ところで私にはJ娘の他にまだ4人の娘がいる。この度の地震と津波、原発事故が世界に発信されたため、AFS留学生としてかって我が家にホームステーイしたフィリピンのA娘、ミャンマーのE娘、USAのL娘、マレーシアのS娘と全員から早々にお見舞いのメールをもらった。それと同時に彼女たちの近況を知らせてくれた。
 昨年5月に結婚したA娘は妊娠8ヶ月で大きなお腹を抱えた写真を送ってくれた。E娘は医者になり2年間のミャンマーでの研修医を終えシンガポールの大学で、博士課程の研究を始めた。L娘はUSAの空軍中尉として活躍し、将来の宇宙飛行士を目指している。S娘は弁護士試験に合格し、マレーシア法務省の高級官僚として、現在日本でも話題になっているTPPについて検討しているようだ。彼女たちがそれぞれの国において無くてはならない存在として活躍しており、私としても日本で留学生活を送った時お世話させていただいたことが今更ながら嬉しい。
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 ところでJ娘は最初、もう少し早く来る予定であったが、地震と大津波、そして福島原発事故のため家族の反対があり、来日が遅れたようだ。多くの外国人が日本から脱出している現在よく来たなと感心する。それだけ勉強したい意欲が強いのだろう。留学に当たっては笹川財団の奨学金がもらえたとのこと。全経費が賄える額ではないが、かなり助けになるのだろう。
 何日か一緒に過ごしているが、日本語検定1級を取得しており、会話はもちろん、日本語の深い意味も理解し、造語ばかりでしゃべる現代の若者よりは遥かに日本人らしい。
 以前のように海外から留学生が日本に来なくなったとニュースが流れていたが、政府はODCなどで色々の国に、お金や物を援助しているが、物よりも人を援助することの方が本当は重要なのではないだろうか。
 また明日はJ娘のオークランド大学の友人で一緒に京都大学に留学する台湾系のSさん(女性)がやって来るとのこと。賑やかになりそうである。
J娘の今後の京大での研究に期待している。3ヵ月後、帰国する前にもう一度会えるであろう。

2011年03月27日

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