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大先生(元院長)のブログ

駐車場整備工事完了

 永年の懸案事項であった駐車場の整備を院長の息子が決めて、今年の4月頃から少しずつ準備をし、まず「さいだ歯科医院」のシンボルである「サイ」の石像を玄関口から国道沿いの駐車場入口に移動した。そして6月27日から本格的な工事が始まった。
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 今迄駐車場東側は法面になっていてそこに花桃、桜、イチジク、キンカンなどが植えてあったが、キンカンだけは裏の畑に移植した。しかし残りは伐採してそこに擁壁を立て、埋め立て駐車場を少し拡張した。多くの患者さんがあの綺麗な花桃の花が見れなくなるのは残念だとおっしゃっておられた。
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 ロシアとウクライナの戦争で材料がなかなか入手しずらくなり、途中擁壁用の鉄筋の入荷がストップして工事が出来なくなる。
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2週間以上工事が止まるというハプニングもあったが、なんとか12月1日に全ての工事が終わり引き渡しを受けた。予定より2ヶ月遅れであった。
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 駐車場は広くなり、患者様用として14台分を確保した。これだと業者さん特に運送業者さんの大型トラックも安心して駐車出来るであろう。また駐車する場所は西側と東側にあるがその間の間隔を広くとってあるので出入りは簡単であると思う。また今迄は駐車場の入り口は1箇所であったが、あらたに南側に1箇所設けたのですごく便利になったと患者様には好評である。
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 車いすの患者様用に屋根付きの駐車スペースと横に息子が車庫を作った。車いす駐車スペースから玄関までは直接行けるよう新たなスロープもつけた。

 さらに車いす用駐車ペースの2階には研修室兼従業員の休憩室も作った。今迄のスタッフルームはあまりにも狭く、コロナ禍で食事も2組に分かれて時間差で食事をしていたが、これからはそれも解消できるであろう。
ともあれ私にとっても永年の懸案事項が解決してホットしている。

2022年12月08日

虫の知らせ

 辞書によると「虫の知らせ」とは『何の根拠もないが、何となくそのような気がすること。予感がすること』とある。
65年も前の話であるが、私が小学校4年生の昭和32年1月18日学校からの帰り道、急に祖父が死んだのでは無いかと思った。父方の祖父母は私が生まれる前になくなっており、母方の祖父母しか知らない。最も祖父に会ったのは生まれてすぐの頃、母親が里帰りをした時(もちろん記憶はない)と小学校1年生の夏休みに母親と一緒に石川県能美郡北市村に母親と一緒に遊びに行った時の2回だけ、この時の祖父の顔しか記憶には無かった。
当時祖父は胃癌のため一時金沢の国立病院に入院していたが退院して自宅療養をしていたようだ。親からは何も聞かされていなかったので祖父の容体を知るよしもなかった。
ただ「癌」と言う病気についてはどのような病気かわからず初めて知った名前であった。母親が言うには日本人のお医者さんか誰かがウサギの耳に毎日コールタールを塗っていたらウサギの耳に癌が発生したという話しをしてくれたのを鮮明に覚えている。
 日頃、祖父のことに想いを馳せた記憶は無い。ところがその日突然、急に「祖父が死んだのではないか」と思ったことが不思議であった。後年、このことが「虫の知らせ」だったと思った。
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 そして父の死後、遺品の中に昭和32年1月18日に我家に届いた2通の電報が残してあった。それによると1通は当日尾道電話局の受信がJAN 18 AM 11.55 「チチキトクスグ コイ」でもう1通は「チチシススグ コイ」で受信はJAN 18 PM 4.42と記されている。4時42分という時間から推測すると午後3時頃になくなったのかも知れない、丁度私が帰宅していた正にその時刻ではなかったのだろうか?
学校から家に帰ると母親がおじいちゃんが危篤なので今夜、夜行列車で北市まで行くと言ってあたふたとでかける用意をしていた。夕食前に電報が届き、「父死す」と書いてあった。急遽父・母・私・妹の4人で夜行列車に乗って出かけた。なお余談だが当日の夕食のおかずがワタリ蟹だったことをこれまた鮮明に覚えている。何故か私は色々のイベントがあったときの晩ご飯のおかずが何だったか覚えている。例えば父が通勤用の革鞄を買った日のおかずが鯖の煮付けであったとか、妹が生まれたとき私は4歳であったが、朝飯として父親と一緒に片栗粉を煮て食べたとか。
 ところで今回このことを思い出すきっかけは、家内の兄(私にとっての義兄)が亡くなったことである。10月の始め家内とその妹がコロナの為3年ほど東京の兄と会っていないので急遽会いに行こうと話がまとまり、10月7日から10月10日まで出かけた。兄は大喜びで「おまえら、わしがもうすぐ死ぬかと思って来たのだろう」と冗談を飛ばしていたとのこと。兄妹3人で4日間楽しく過ごせたと嬉しそうな顔で家内が帰宅した。
ところが今月7日の朝、昨夜(6日の23時過ぎ)義兄が亡くなったと義姉から電話が入る。一瞬耳を疑った。死因は心筋梗塞であった。1ヶ月前あれ程元気であったのに。まさに義兄が言った言葉通りになった。
今から思えば家内達が急に東京に行く気になったのもひょっとしたら「虫の知らせ」だったのかも知れない。
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 東京はこのところ死ぬ人が多く、なかなか火葬場の予約が取れなくて5日間待機させられ、11日通夜、12日葬儀となり家内と出かけ無事終わった。私も義兄がいなくなり淋しい気がしているが家内の気持ちはいかばかりかと思う。
今回のことも含めて私は「虫の知らせ」は存在すると信じている。

2022年11月17日

秋の農作業を振り返って

 先日、9月21日に種をまいて苗を育てていた中生の玉ねぎ「まどか」を植え終わり、我が家庭菜園における秋の農作業はあらかた終わった。
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 この秋の農作業の中で一番の問題だったのは大根のお世話であった。昨年より1週間遅れの9月11日に種をまいた。9月14日には芽がではじめ、16日には全部発芽した。例年芽が出ると直ぐにチョウチョがやってきて卵を産み付けしばらくすると葉っぱが食い荒らされる。そこで今年は17日に大根の為にトンネルをつくって防御することにした。しかし9月18日には台風が来るというのでトンネルが風で飛ばされてはまずいと思い、ネット用の杭を購入して補強などをした。幸い被害もなくやれやれ良かったと思った。9月22日に1回目の間引きを行い2〜3本立てにした。その後何か様子がおかしいところが出てきた。
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9月28日は出てきたばかりの本葉を食べられ双葉だけ残っているとか、本葉がくるりと回っている。その葉を広げてみると中に7ミリ程度の白いウジ虫のような幼虫がいた。You Tubeで調べてみるとシンク虫のようである。この虫がどこから湧いてきたのか分からないが土の中にいたのではないだろうか。9月29日に2回目の間引きを行って、間引いた苗を、シンクイ虫にやられたところに移植してみたが10月2日には移植したものは全部枯れてしまっていた。結局植えた1/4が全滅で新たに種を買ってきてそこの所に植え直しをした。20日遅れとなる。その後はシンクイ虫被害もなく順調に生育し、10月30日にトンネルを外した。後から植えてものも小さいながらも順調に成長している。もう1週間もすれば最初に植えた大根は1〜2本収穫出来そうである。
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 10月15日には柿の収穫をしたが、今年は裏作なのか数が少なかった。しかし大きな柿であった。その日の午後はサツマイモ「紅はるか」を収穫したが今年は何故かゴボウのようなものが多く、お芋の形をしたものが少なかった、また芋の形をしているかと思えば1個だけ大きく育っていて後はゴボウのような形の芋が多かった。それでも息子達の家に届けることができた。
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 後はミニトマト畑の手じまいをおこなう。今年は未生の苗が8本ありかなりのトマトが収穫出来、大いに楽しませてくれた。その際まだ熟れてない実も収穫しこれは1〜2週間日向においとけば色づいて食べられるようになる。
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 生姜を11月3日に収穫した。初めてのことである。以前生姜を植えたことがあるが1個だけ芽が出たが2週間くらいで枯らしてしまった。全く生姜に対する知識が無く、多分浅く植えすぎたこと、水分蒸発を抑えるために稲わらや籾殻で覆っていなかったこと、水やりが不足いたことなどが挙げられる。6月2日に植え付けてから前回の反省を元に水やりを欠かさず、夏場はほぼ毎日水をやって育てた。1個のたね生姜から10本以上の芽が出ていた。10個植え付けたのだが一つの種生姜から10数個の新生姜が出来ていた。これが投資なら莫大の富を産むことになるのであろうと新生姜を見ながら思った。匂いが良くて味も良かった。
 後は、オクラ、モロヘイヤ、の種取りを行い、ナスビも手じまいである。冬の間は大根の収穫をして、春のジャガイモの植え付けまでゆっくり休めそうである。

2022年11月06日

GHQ焚書

 先日ダイレクト出版社が発行する「ルネサンスvol.12号 2022.8.15発行」を読んだ。このルネサンスは定期刊行物ではないが年に2〜4回不定期に発行されており、毎回取り寄せて読んでいる。この12号は『GHQが隠した「本当の日本」』という特集であった。
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表紙の裏には次のような文章が書かれていた。
『1946年3月17日。日本を占領したGHQは、戦前まで刊行されていた大量の書物を、全国から“没収・廃棄”するように日本政府に命令。日本国民の目にふれないように「文部省」や各都道府県の「警察」を使って、秘密裏に書物を没収させました。その数、7,769冊。それらの中には、GHQが戦後の日本人に読ませたくなかった戦勝国にとって都合の悪い書物や、日本人としての生き方や叡智が凝縮された書物が多数ありました。先人が残してくれたこれらの「知の結集」を、誰かが「復刻」していかなければ、永遠に読まれずに国民の記憶から消えて行くことでしょう。私たちダイレクト出版社は、入手困難なぼろぼろの状態の「GHQ焚書図書を」発掘し、一流の専門家に読み解いて頂き、わかりやすい動画講義の形で後世に残すプロジェクトを開始しました。』
焚書という言葉は高校1年の世界史の授業で、秦の始皇帝が儒教の書物を焼き払い、儒者を穴埋めにして殺した蛮行を「焚書坑儒」だと習ったのが最初である。最近ネット上でも「GHQ焚書」という言葉を時々目にするようになり、購入したのは次の8冊である。
 「興亜の大業 松岡洋右」、「東亜全局の動揺 松岡洋右」、「政党を脱退して日本国民に訴う 松岡洋右」、「非常時と日本の国防 石原莞爾」、「日本戦時経済の進む途 岸信介」、「裏から見た支那人 笠井孝」、「真珠湾 ブレーク・クラーク著 (海軍大佐廣瀬彦太訳)」、「皇室と日本精神 辻善之助」。
現在の国際情勢を見たとき、これらの本は有用なヒントを与えてくれると思われる。
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いずれの本も復刻にあたり 1,歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改める。2,「常用漢字表」掲げられている漢字は、原則として新字体に改める。3,難読と思われる表記には、ふり仮名をつける。4,原書の誤植を修正し、必要と思われる箇所に(注)として説明を加えられており、読みやすくそれほど抵抗無く読めた。最後の「皇室と日本精神」は丁度読み始めたところである。
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ところで何故、民主主義国家であるアメリカがこの様な暴挙にでたのか、焚書蒐集・研究者の澤龍氏と歴史学者の福地淳氏との対談の中に
 澤氏「理由の1つは、やはり日本の優れた伝統文化や精神をぶった斬るためでしょう。焚書にされた本は、もちろんアメリカをはじめとする連合国を批判したものが大半なのだけれど、その中に我が国の歴史、文化、伝統、皇統、国体、精神、民俗・・・・国の根幹に関わる内容が多く含まれています。国を亡ぼしてやろうと思ったら、その国の歴史と文化を国民から奪って、忘れさせてしまえばいいんだからね。」
 福地氏「うん、日本人の魂が書き込まれた本がたくさん選ばれている。」とある。正にこの部分ではないかと思う。 
 先日ネット上で平成25年2月12日の衆議院予算委員会で日本維新の会の石原慎太郎議員が当時の安倍晋三首相に質問をしている記録を見つけた。その中で次のように話している。 「昨年2月ごろ、靖国神社で聞いた90歳超のある戦争未亡人の歌だ。この方は20歳前後で結婚して子供をもうけたが、主人は戦死された。ひ孫もできたかもしれないが、その方は90歳を超して今の日本を眺めてこういう歌を作った。『かくまでも 醜き国になりたれば ささげし人の ただに惜しまる』。これは強い共感を持ってこの歌を聞いた」と述べている。
正鵠をえた歌で、正にこれこそGHQの為せる技でだと思う。あれから10年が経つが今の世の中はその時以上に世の中が荒み日本人の心が破壊され「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮が強くなっているように思う。先日の安倍元首相の国葬についても国民を二分したがTVのインタビューなどでは「国会で議論されてない」、「法的根拠がない」、「国民の税金を使う」などの意見を述べる人が多かった。しかし日本では生活保護という制度があるがこれは憲法25条の理念に基づき生活保護法が作られその第一条には国は生活に困窮する国民に対して、必要な保護を行うと規定しており、外国人に対しては、生活保護法は適用されない。さらに2014年7月18日、最高裁においても「外国人は生活保護法による保護の対象にはならない」という判決が下されている。しかし人道上の観点から現在も支給されている。この様に外国人に生活保護を支給するようにしたのは昭和29年5月8日の「各都道府県知事」に宛てた厚生労働省社会局長通知である。もちろん国会での討論、議決も経ていない。平成29年11月10日の加藤厚労大臣の記者会見で記者が外国人生活保護は1200億円と述べているが、医療費無料、交通費無料、水道代無料などを含めると恐らく5000億円を超えると思われる。この金額と国葬16億円とを対比したときどうなんだろうと思われる。この様な寛容こそが日本人の心ではないだろうか?
 さて私が読んだ中でアメリカ人の書いた「真珠湾」(著者の奥付では昭和17年1月23日とあり、底本は昭和18年6月1日三刷 鱒書房)という本が何故焚書になったのか考察すると、この本の巻末に訳者の海軍大佐廣瀬彦太によりハワイ敗戦真相調査委員会である「ロバーツ委員会報告書」が附してある。アメリカはこの真珠湾攻撃が日本の騙し討ちであり「リメンバー・パールハーバー」という合い言葉の基に第二次世界大戦に参戦する。しかし昭和16年11月26日にハル国務長官から野村・来栖両大使に受託不能の挑戦状「ハルノートが」手渡されこれにより日本は戦争へと舵を切る。そのことはアメリカ側も十分予測しており翌11月27日には陸軍参謀総長、海軍作戦部長からハワイの陸軍司令長官・太平洋艦隊司令長官宛に「この訓令は戦争の警告と考えるべし」と通達された。さらに12月7日まで縷々適切な処置を執るよう命令や警告を受取っていた。しかし現地では適切な対応がとられなかったことを報告書は記載している。つまりハワイの惨敗の原因は、決して日本軍の「騙し討ち」にあったのではなく、まったく現地陸海軍当局の油断と無準備とにあったことを、明白に指摘している。この事が日本国民に知られるとまずいと思い焚書にしたものと考えられる。
 話は変わるがもう一つ1937年に書かれた「裏から見た支那人 笠井孝著」は最初の序に代えてで「支那の主要民族たる漢民族の特筆を拾い上げたものであって、就中その悪徳方面のみが、多すぎる嫌いがないでもない。素より支那人にも美点はある。併しながらそれがある故に、その悪徳方面を見逃す訳には行かない。そこで私は、この方面について私の体験を、極めて率直に記述した次第である。」と書いている。
 ここに書いてあることは今現在の中国の政治手法などからもその通りで有ろうと思われる。とりわけ中国に進出して儲けようと思われる経営者の方には是非読んでおいてもらいたい。
 2015年「かっぱえびせん」のカルビーが中国から撤退するのに持ち分の51%の株を買いたたかれてたったの1元(19円)で譲り渡してやっと引き上げることが出来た話などこの本を読むと何故そうなるのか納得できる。
 なおこの本の著者「笠井孝」についてはこの本が復刻されるまで詳細はわからなかったが復刻された本を読んだ読者の方からダイレクト出版に連絡があった。
日本陸軍の中でも、支那通で知られていた酒井隆(さかい たかし)という人物がペンネームで書いたものだった。
 彼は広島県出身、陸軍士官学校を出て1908年任官、駐中華民国公使館の副武官、支那駐屯軍参謀長、香港軍政庁長官など、中国に駐屯していた日本軍で要職を歴任し、陸軍きっての支那通として知られていた人物です。終戦後の1946年、南京の軍事法廷で死刑判決を受け、同年に処刑。最終階級は陸軍中将でした。
 つまり、この本は中国専門の日本軍人によって書かれたということであり、それだけ正確に、当時の日本軍は中国の情報を掴んでいた。それ故今も十分にこの内容は生きていると思う。

2022年10月10日

医療費窓口負担

 本日「後期高齢者医療被保険者証」が広島県後期高齢者医療広域連合から送られてきた。これで今年3回目の保険証である。と言うのも3月から後期高齢者になったため最初3月25日から7月31日まで有効なもの、次に8月1日から9月30日まで有効なもので本日送られて来たものは来年7月31日まで有効となっている。これは10月1日より今迄1割り負担で有った方の中で一定以上の所得がある方は窓口負担が2割負担に変更されるからだ。
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 厚労省のHPによれば『少子高齢化が進展し、令和4年度以降、団塊の世代が75歳以上の高齢者となり始める中、現役世代の負担上昇を抑えながら、全ての世代の方々が安心できる社会保障制度を構築することが重要です。
 このような状況を踏まえ、医療保険制度における給付と負担の見直しを実施するとともに、子ども・子育て支援の拡充や、予防・健康づくりの強化等を通じて、全ての世代が公平に支え合う「全世代対応型の社会保障制度」を構築することを目的として、令和3年の通常国会において、健康保険法等の一部を改正する法律が成立しました。
 この法律により、令和4年10月1日から、現役並み所得者を除き、75歳以上の方等で一定以上の所得がある方は、医療費の窓口負担割合が1割から2割に変わります。また、窓口負担割合が2割となる方には、外来の負担増加額を月3,000円までに抑える配慮措置があります。』と説明されている。
そして2割になる人の数は後期高齢者全体の2割の人だと書いてあった。私の場合まだ現役バリバリで仕事をしているので今迄と同じく3割負担である。しかし「さいだ歯科医院」に通院される患者様の中には影響がでる方がいらっしゃるであろ。ただ厚労省のHPに書いてあるように「外来の負担増加額を月3,000円までに抑える配慮措置」が少しは有効であるだろう。ただメンテナンスの患者様には厳しいかもしれない。 
 ところで医療費の負担割合というのは法律で決まっており今迄は75歳以上の者は、1割(現役並み所得者は3割)。70歳から74歳までの者は、2割(現役並み所得者は3割)。70歳未満の者は3割。6歳(義務教育就学前)未満の者は2割、となっているがこの度75歳以上の者について改正が行われたと言うことである。
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6歳未満の就学前乳幼児については乳幼児医療と言うことで2割負担であるが、各自治体が補助を行っている。
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 尾道市でも最初は6歳未満で通院の場合1医療機関につき1日500円の患者負担で、同じ医療機関での1ヶ月の負担は通院月4日までの支払い(最高2000円)でその後は窓口負担がないと言うサービスが行われていた。その後小学校卒業までに延長され、さらに中学生までと延長されてきたが、この度10月1日より18歳到達後最初の3月31日(高校卒業)までに延長された。近辺の三原市、福山市よりも良いサービオス提供となった。平谷市長を始め市議会の先生方の英断によるものであり医療提供側としては本当に有難いことである。これにより少しでも受診抑制がなくなり市民の健康に役立てば良いと思う。
 また最近は若い人達がUターン・Iターンをして地方に移り住むケースが増えてきていると聞くが、この人達にとっても子育てするのにどこが良いか探す場合大いに参考にしていただき尾道市を選んでいただけるのではないだろうか?

2022年09月22日

ウォーキング効果で「脂肪肝」消失

 私は30年近く毎年お盆明けに三原医師会病院で健診を受けている。今年も8月25日に健診を受けた。今年は健診結果に期待をしていた。と言うのも昨年健診医から「少し運動をした方が良い」とアドバイスを受けそれで9月4日から毎日ウォーキングを始めた。雨が降ったりした時以外はほぼ毎日歩いている。最初は昼休みに診療室の周りを歩き、休日は自宅の近くを歩いていた。しかし今年4月21日から朝5時に起床して出勤前に7q前後50分ほど歩いている。この1年間の1日平均ウォーキングは7qで平均歩数は7561歩であった。
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 ウォーキングをしたことで体重や腹囲が減っているのは日々なんとなく感じていた。若い頃買ったズボンが昨年までは入らなくてタンスに仕舞い込んでいたが最近は入るようになっている。そして逆にここ2〜3年前に買ったズボンは、すかすかでベルトを締めるとズボンがだぶついて随分ださい感じになっている。
 先日健診結果が送付されてきた。
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体重は昨年比6.7s減少、また腹囲は7.4p減少していた。メタボ判定のBMIも2減少して23.4と標準になった。中でも一番驚いて喜んだ結果は腹部超音波検査で20年以上脂肪肝と判定されていたが今年は肝臓に白い陰がなく、脂肪肝ではないと判定された。毎年のように総合判定では「肥満傾向、脂肪肝を認めます。バランスのとれた食事と適度な運動を心がけ、体重のコントロールに努めましょう。」とのコメントが記載されていたが今年はこのコメントは消えていた。
歩けば当然エネルギーを消費するが、私の食事の量や内容、1日に飲むアルコール量((福山鞆の浦の保命酒、ぐい飲み半分(0.3合)と缶ビールなら350㎖1本程度))にほとんど変化はないことから、歩く(有酸素運動)ことにより消費するエネルギーはもっぱら今迄肝臓に蓄えられていた脂肪を消費したのではないかと考えている。肝臓の脂肪がなくなったせいか最近よく腹が減り夕方5時前頃からお腹が「ぐー」と鳴る、患者様に聞こえているのではないかと危惧する。
また腹部超音波診断では一昨年右の腎臓に「のう胞」が認められたが大きさに変化はない。さらに胃カメラでは毎年良性のポリープが認められ、「これからも内視鏡検査をおすすめします。」と書かれていた。
 この度初めて指摘されたことだが、血液検査で白血球数・赤血球数・血色素量・ヘマトリックトが少し正常値より低かった。そのため貧血傾向がある診断され「鉄分を多く含む食品の摂取を心がけましょう。めまい、立眩みなどの自覚症状があれば内科受診をお勧めします」と言うコメントがあった。現在、立眩みなどの自覚症状はなくウォーキングをするために朝早くから起き、昼休みも診療室裏手の家庭菜園での水まきやトマトなどの収穫、草取りなどをしていることから少し働き過ぎ、夏場で睡眠時間などが少し少ないなどが原因ではないかと自己分析を行っている。
とにかく脂肪肝が無くなったことが嬉しくてたまらない。これからもウォーキングを続け食事・アルコールに気をつけて生活をしようと思う。

2022年09月13日

喜寿同窓会

 先日8月16日に尾道北高等学校16回生「喜寿の同窓会」が尾道市役所屋上広場で開催された。昭和60年の8月16日に同窓会が開かれた時、毎年この日に同窓会を行うように決めた。最初こそ守られたが段々開かれなくなった。7年、前北高槙ヶ峰同窓会卒後50年のホームカミング以来の集まりである。東京や大阪などからも集まり34人が参加した。発案者はずっと事務局を担当してくれているH君で、6月の槙ヶ峰同窓会終了後の昼食会の時、8月16日の16時16分に尾道市役所屋上で喜寿の同窓会を開催しようと提案をして決まった。私は3月に75歳になったばっかりでピンとこなかったが、彼が言うにはこの様なお祝は数えでするのだとか。彼は4月生まれで正にぴったり。来年の8月では満77歳を迎えている人がいるので今年しかないと思い賛同。
彼が出欠の案内やら準備一切を引き受けてくれた。そして出欠のハガキの裏に今の心境などを書いてもらいそれをそのままコピーして冊子を作り当日の記念品とする事になった。
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 当日は同級生の家内共々出席。雨が降りそうな天候であったが終了まで持ちこたえた。
最初に事務局を引き受けてくれているH君が把握している物故者は49人(およそ一クラス分の人数)だとかで全員で黙祷をした。そして新会長のK君の挨拶、その後全員による北高校歌斉唱だったが歌の歌詞もおぼろげで有ったが、なんとか歌えた。それから77歳という年齢に合わせて一人77秒のスピーチに移る。
 まずゲストとしてお迎えした平谷市長は公務の合間を縫って出席を頂いたが、今は亡き同級生の弟と言う縁もあり、これからの尾道の行くべき道などについて少しお話しを頂き、その後すぐに公務に復帰された。続いてもう一人のゲストは高校2年生の時に赴任された国語の国本先生である。聞けば来週88歳になられるとか。今でもお仕事で尾道から広島まで通勤されているとか。すごいバイタリティーである。見習わなくてはと思った。
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 後は順番にスピーチをしていったが、中々77秒では終わらない人も多くいた。
私が話した要約は『何かの本で読んだのだが、人間生まれる前に白い服を着たひげのお爺さんのところに呼ばれていき、いつ死ぬかを聞かされ納得の上でこの世に生まれてきている。私は5歳の時池でおぼれ死にかけたことがあり、その時「助けて・助けて」と叫ぶが、ただ泡が「ぶく・ぶく」と明るい水面に向かって上がって行くのが見えていた。その後のことは何も憶えておらず、気が付いたら土手の上で皆が心配そうにのぞき込んでいた。恐らく私が生まれるときにお爺さんに言われた年齢は5歳では無かったのであろう。この命、最後まで生ききって全うしなくてはならないと話した。』
 終わって三々五々解散となった。残念ながら集合写真を撮り忘れた。食事に行く人達もいたが、私は食事会に参加してもしもコロナに感染したら患者様、従業員、さいだ歯科医院に多大な迷惑がかかると考えこの度はそのまま帰宅する。丁度小・中・高の同級生のT君も帰ると言うので駅まで話ながら歩いて帰った。
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 帰宅してから記念品としてもらった「喜寿記念 はがき文集」を読んだ。
なんと108名の同級生が近況を書いていて驚く。卒業したのは家庭科を含め350名ほどでそのうち50名が鬼籍に入っているので現在300名ほどが生きていることになる。そのうちの108名とは3人に一人が近況を知らせてくれたことになる。懐かしい名前も多くあり本日会えなかったが、文集を読みながら昔を懐かしんだ。

2022年08月18日

初めての債権者顛末記

 さいだ歯科医院では1997年(平成9年)9月に創世ワールド株式会社の「創世水生成器」を導入した。水道の水を「創世水生成器」に通すことで得られる創世水は、洗浄力が高く洗剤がいらないとか、還元力を持った水なので酸化を防ぐとか、活性水素を含むため体内の活性酸素を中和することにより身体に良いと言われ、息子達がひどいアトピーに悩まされていたこと、健康に関する仕事をしているのだからと思い直ぐ導入した。そして21年間使用し、2018年(平成30年)10月に性能UPした後継機に入れ替えた。
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 その間、創世ワールド株式会社は創世水の新たなる可能性を求めて研究開発を行っていた。平成18年頃にこの創世水と油を混ぜて燃焼させる実験に成功したと報告があった。そして創世水50%と石油50%の燃焼にも成功し、この燃料を「SFW」と命名した。このSFWを内燃機関が使うようになればCO2やNOxの排出が抑えられ環境に優しい燃料となる。脱CO2と言った世の中の動きにぴったりであり、本当に良い研究だとおもった。マレーシアの漁船をSFWで動かしているビデをなどが会社から送られてきた。
 社長の深井利春氏はその研究にさらに熱を入れられるようになり新たに深井総研株式会社を設立した。そのため研究費や運営費を捻出するのに生成器を導入した人たちを対象に「縁故募集」と言う形での転換社債を発行することになったようだ。2015年9月に購入して欲しいとの依頼があり私は一口だけお付き合いをすることとして、私の虎の子を崩して投資をした。ただいずれ株券と交換すると言うことで社債証書は発行されず仮登録証のみが送られてきた。その後、年1回程度開発状況などの報告書が送られてきた。
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 しかし転換社債を株式に変更する話は遅々と進まなかった。最も創世ワールド株式会社は上場されておらず海外市場を狙って上場先を探していた、上海取引所Q板上場に2016年6月3日に上場されたが、毎日売り買いできるような市場ではなかった。その後オーストラリア市場にアタックし、そこが難しいとなると香港市場へ上場しよう画策していたが出来なかった。その間も何回か社債購入の案内があったが私は応募しなかった。
 ところで私は2018年3月に長野県上田市にある創世ワールド株式会社の本社(深井総研)を訪問し創世水とガソリンを混合しながら走る車に乗せてもらい長野県上田市をドライブした。乗り心地は通常の車と同じで特に違和感は無かった。この燃料(SFW)を使用すればCO2やNOxの排出が抑えられ環境に優しい燃料であると思われた。
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 ところがいつまでも社債が株式に転換されないことで一部の人たちが「新規上場詐欺」だと言って告訴をすると騒いでいるという「注意喚起」なる文章が2019年7月15日付けで送られてきた。私は創世ワールド株式社、深井総研株式会社を信じていたのでほとんど気にもとめていなかった。
 その後2020年12月30日に深井利春社長が10月20日に亡くなられ新たな経営陣で会社をやっていくという手紙が突然届く。そうしたら2021年2月20日長野地方裁判所上田支部破産係より創世ワールド株式会社および深井総研株式会社が破産をしたと連絡をしてきた。全くもって寝耳に水の話である。
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 まず思ったことは私が投資した転換社債は紙くずになったこと、さらに2年前に新たに買い換えた創世水生成器のメンテナンスがどうなるかである。年一回メンテナンスをしてもらっていたがこれが出来ないとこの生成器はお払い箱となるが、幸いにも今年(2022年)になってメンテナンス会社が決まり5月にメンテナンスをしてもらった。
 その後、上田市のS弁護士が破産管財人になったと長野地方裁判所上田支部破産係から破産手続きを開始する旨の通知書が来て債権の届け出をする様に言ってきた。創生ワールド株式会社には債権はなく、深井総研株式会社の転換社債を届けた。その中に2021年6月7日に財産状況報告集会を行うので出欠の可否を問うてきたがコロナ禍でもあり欠席として資料だけを送付してもらうことにし、2021年6月15日付けで資料が届いたが会社にはほとんどなにも残っていなかった。10月6日に第2回債権者集会があると案内があったが欠席とした。
 その後色々調べた結果2022年7月28日付けの「最後配当のご通知」という書類が破産管財人のS弁護士より届き、会社の債務は15億2千万弱で、配当できる金額が3,200万円程度であり、配当率は2.1162%と知らせてきた。全部パーだと思っていたのに投資額の2%強が戻ってくるということである。それにしても会社が倒産すると言うことは大変で関係者に多大な迷惑を掛けるのだとよく判った。債権者は管財人任せで何もしないが債務者だと毎日が針のむしろであろう。債務者だけにはならないよう日々精進しなくてはと思う。
 それにしてもSFW関係の特許やノウハウはどうなったのだろうか?中国とシェールオイル掘削現場での汚染土壌の洗浄に創世水を使用する研究を共同でやっていたが、どさくさに紛れて盗まれたのではないだろうか?それが気になった。

2022年08月07日

カラスによる食害

 先日7月9日の中国新聞の備後覧に「厄介者のクラゲ漁業者悩ます」という記事が出ていた。私は毎朝自宅の近くをウォーキングしているが先月28日に尾道保健所の前の岸壁に沿って歩いているとき大量のクラゲが浮遊しているのに気が付いた。その数は恐らく何万匹以上であったろう。丁度満ち潮の時間帯で三原の方から松永の方に向かってびっしり浮遊していた。3日間くらいは同じような状態であったが、新聞記事が出た日には所々に浮かんでいる程度である。あれだけの数どこかに流れていったのか、それとも漁業関係者が除去されたのであろうか?新聞記事にも書いてあったが漁業関係者に取っては死活問題になりかねない。余分な話だがその日の新聞トップは「安倍元首相撃たれ死亡」の記事であった。
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 ところで尾道の山間部では畑にイノシシが出てきてせっかく植えていたものが台無しになったという話しを患者様などから伺う事が多くなってきている。お百姓さんにとっても死活問題である。これも耕作放棄地などが増えてイノシシが人の住むエリアに近付いてきて事が原因であると言われている。
 私も診療室の裏で小さな家庭菜園をしているが、私の所は国道184号線沿いで車の交通量が多くまだイノシシはでて来ない。しかしカラスがやってきて作物を荒らす。先日もトマトを襲撃された。
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 毎年ミニトマトしか育てないのだが、今年は家内がお友達から大玉のトマトの苗2本を頂いたのでそれを育てている。出来るだけ赤く熟れてから収穫しようと思っていた矢先、カラスにやられた。仕方なくそのトマトを畑の横の方に投げ捨てておいたが翌朝その場にいってみると投げ捨てたトマトはさらにカラスに食われていた。
そこで自衛策として今は少し赤くなったところで収穫し家に持って帰り3日〜4日おいていて赤くなったところで食することにしている。今までミニトマトなら赤くなってもカラスにやられたことはない。
 家庭菜園を初めてから今までにカラスにやられた作物としては、スイカ、落花生、トウモロコシ、イチジク、柿であったが、トマトも襲撃されることを知った。それにしてもカラスは賢いのか、私がそろそろ収穫だと思っているタイミングでやってきて先に食い荒らしてしまう。畑の横に電信柱がありそのてっぺんにカラスがしょっちゅうやってきてきょろきょろしているので襲撃のタイミングを見計らっているのであろう。
 ところで現在私の家庭菜園では茄子、オクラ、シシトウ、ピーマン、キュウリ、トマト、ショウガ、サツマイモ、山椒、九条ネギ、茗荷等をチョットずつ植えている。この中で1ヶ月程前に山椒の若葉に長さ3センチくらいの蝶の幼虫・青虫が2匹とりついて芽吹いたばかりの若葉を2日間くらいで食べてしまった。かわいそうであるが幼虫は殺した。現在は若芽がまた出てきて何とか枯れずに育ちそうである。毎日見回りをしなくてはならない。
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それにしても蝶の幼虫被害は以前大根を植えたときに全部食べられ全滅したことがある。無農薬で育てるため白菜などもやられたことがある。
 私の場合たいした食害ではないがそれでも水やり、除草など世話をしていると愛情が湧くのでやられると情けないし腹が立つ。まだ人間が出来ていないのであろう。

2022年07月14日

不覚にも歯痛に襲われる

 先週の木曜日(16日)に左上の奥歯が少し浮いた感じがしていた。このところ休みの日にジャガイモの収穫、そしてサツマイモの植え付け、さらに昼休みにはキュウリ・トマト・なす・ピーマン・シシトウ・オクラ・モロヘイヤ、さらに植え付けたばかりサツマイモの苗の水やり等、ゆっくりする暇も無く農作業が忙しく少し疲れているのだろうと思っていた。
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 ところが18日(土曜日)の朝3時54分に歯が痛くて目が覚める。
上下の歯を合わせると痛い。指で触ってみるとどうも左上の第一大臼歯のようである。さらに歯茎から何かとんがったようなものもある。昨夜の歯磨きが十分でなかったのかと思い布団に転がったまま30分ほど歯磨きをする。5時に起床したときは少し痛みが治まっていた。そのまま朝のウオーキングにでかけ、帰宅後朝食を摂ったがやはり左で噛むと痛い。出勤してレントゲン撮影をしたら、歯の神経(歯髄)がいつの間にか死んで歯根尖に膿がたまっているようなレントゲン画像であった。
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とりあえず仕事が始まる前に息子に応急処置をしてもらう。
 この歯は何年か前に、歯髄腔近くまで摩耗していて凍みるようになったので何とか金属で修復した記憶がある。第一大臼歯は6歳の頃生えてくるため別名6歳臼歯とも言われている。ということは75歳となった現在この歯を69年間使っていることになる。
 私もいままで何度か歯の痛みに襲われたことはあるが、寝ていて痛みで目が覚めた経験は初めてである。よく患者様から問診で痛みの様子などをお聞きするのだが、身をもって体験したのでこれからはもう少しいろいろな角度から質問をするよう工夫してみよう。
 それにしても今まで痛みが無かったことで全く自分の歯の検診をしていなかった事に気がつく。撮影したレントゲン写真からは昨日・今日の話ではなく、少なくとも半年くらい前からは少しず歯根尖の膿の袋は出来つつあったのではないだろうか。私が最後に撮ったレントゲン写真は2020年3月31日であった。患者様にはせめて1年に1度は検診においで下さいと言いながら自分の検診をしていなかった事が恥ずかしい限りで、「医者の不養生」、「紺屋の白袴」状態であった。反省しきり。
なお18日に息子に応急処置をしてもらっていたが、本日21日から本格的に治療を開始してもらう。
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 歯が痛いと食べるのが不自由であり、しかも食べる意欲がそがれてしまう事を身をもって経験できた。自分の仕事は世の中の人にとって大切な仕事なのだとつくづく思った。

2022年06月22日

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