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大先生(元院長)のブログ

新型コロナウイルスワクチン接種実技研修会

 6月20日に沖縄県を除いて緊急事態宣言が解除され東京・大阪などは「まん延防止等重点措置」に移行した。幸いなことに広島県は「まん延防止等重点措置」には移行しなかった。しかしこれからオリンピック・パラリンピックが開催され、夏休み、お盆などで人の移動が多くなり第5波が来ると懸念されている。そこで政府はコロナの収束手段としてコロナワクチン接種を加速するように働きかけている。
 ところで2021年6月1日の日本の人口推計を見ると総人口1億2547万人で0才から12才未満(4月1日時点での推計値によると)は1169万人、65才以上が3634万人である。政府はワクチンを12才以上に接種しようとしている。そうなると対象人数は総人口から12才未満を差し引いた人数1億1378万人となる。しかし重篤な病気のある人、ワクチンを打ちたくない人を差し引いて仮に9000万人が接種すると仮定してみる。ワクチンは一人2回接種なのでトータル1億8000万回の接種が必要となる。6月21日時点のワクチン接種者は政府のホームページによると32,922,292回とある。およそ3300万回が接種済みとして、残り1億4700万回となる、1日100万回を接種したとしても147日およそ5ヶ月かかる。おそらく接種修了は早くて11月ではないかと考えられる。
そこで政府が考えた奇策として歯科医師にもワクチン接種をさせることを目論んだのではないだろうか?
 コロナのワクチン接種は筋肉内注射で有り、普通私たち歯科医師が筋肉内注射をすると医師法17条違反となる。我々歯科医が扱えるのは口腔内だけである。ただし歯科麻酔医とか口腔外科医は打つことが可能であり我々一般歯科医は診療中にアナフィラキーが起きると緊急にアドレナリンを大腿部筋肉に注射を打つことは問題ない。
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そんななか、国がワクチン接種を1日100万回打つ計画を立てたことにより、医師・看護師だけではとてもワクチンの打ち手が足らない。そこで4月26日付けで厚労省が都道府県・市町村・特別区の衛生管部(局)に通達を出し歯科医が集団接種会場でのみ接種できる事を認めた。
 それを受けて日本歯科医師会は、歯科医師がワクチンを接種するための研修内容を検討し、日本歯科医師会のe−ラーニングシステムに動画コンテンツ「ワクチン接種研修セミナー」を作成した。ワクチン接種に協力する歯科医は5教材(合計1時間42分)を事前に研修して単位登録をする必要がある。各教材の動画を見た後それぞれテストが有りそれに合格しないと単位修得が出来ない仕組みになっている。私は何とか修了し受講修了書をもらった。
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 広島県歯科医師会は5月から広島市で研修会を行っていたが6月20日に東部地区として福山歯科医師会館で開催し私もワクチン接種実技研修会に出席した。
研修会に出席した動機は前回のブログにも書いたように、私自身が感染し医療関係者にお世話になったこと、また税金で入院させてもらったことへのお返しをしなければと考えた次第である。
 実技研修は広島大学大学院医系科学研究科救急集中治療医学客員教授の貞森拓磨先生によるスライド、動画を使っての説明、接種方法の実演があり、そして目の前に患者がいると想像しながら実際に行うイメージで動作を何回か練習した。その後上腕三角筋の模型を肩に付け針を刺して練習。それから参加した先生同士でお互いに生理食塩水を三角筋に注射をした。そしてまとめのお話を聴いて全て修了。なおこの時配布された文章中にたとえワクチンを打っていても15%はコロナに感染する可能性があると書いてあった。私はその15%の中に入っていたのだと合点した。
これからは何時、赤紙が来て招集されようとも応召してお役に立とうと思っている。

2021年06月24日

コロナ感染顛末記

 5月15日(土)に院長である息子が発熱し仕事を休んだ。その後、息子の熱は下がったり上がったりしていた。17日(月)にかかりつけ内科医を受診しPCR検査を受け18日に午前陽性判定が出た。東部保健所より連絡があり息子はJA尾道総合病院を受診、宿泊施設療養となり午後にはホテルに隔離された。「さいだ歯科医院」はすぐさま午後から休診に切り替え、皆で手分けをして全ての予約患者様に「コロナが出たのでしばらく休診します、再開したらお電話をしますと」キャンセル電話をして対応した。
 保健所からの指示で私を含め全従業員および息子の嫁と娘が濃厚接触者ということで19日に保健所でPCR検査を受ける。翌20日(木)に結果が分かり私と従業員2人が陽性と判定された。私自身全く体温も正常、咳などの症状も出ていないのでまさに寝耳に水である。しかも私は5月13日にワクチンの2回目の接種を終えており何で感染したのか判らない。このことからワクチン接種が終わったとしても感染はするのだと理解した。インフルエンザの場合、ワクチンを打っていてもインフルエンザにはかかるが、症状は軽いと言われている。コロナワクチンも同じだと思った。
 保健所から連絡が来て21日(金)にJA尾道総合病院を受診するように言い渡される。その際は入院できる準備をして行くように指示がある。自分で車を運転して11:30に病院に行くと2階駐車場にテントが張ってありそこで完全防護服のDrと看護師がいて体温とSPO2を計測、色々問診を受けた。私は基礎疾患がないこと、常用している薬もないことなどを話す。その時のSPO2値が92%、正常値は95%以上のため少し低かったこと、また74歳の高齢者で有ることから、症状が急変した場合すぐ対応がとれるのでDrより入院を勧められる。頭の中ではホテル療養だと思っていたので即答が出来ず少し考えて入院を決定。その後Drより今日は病室に空きがない、1日自宅待機をして明日入院して下さいとのこと。医療も逼迫して来ているのかと思うと同時に、今夜もビールが飲めるとにんまり。
 翌22日15時前に保健所から迎えの車が来てJA尾道総合病院に護送される。通常の患者が入る通路でなく職員等が出入りする通路を通って5階に案内される。そこはお泊まり型人間ドックの人が宿泊される部屋で風呂あり、ソファーあり、TV見放題、眺めも抜群のかなり広い部屋であった。土曜日だったので血液検査は月曜日となる。入院のための書類を書いたりして体温、脈拍、SPO2を計り体調について「はい」、「いいえ」の質問に答える。以後、朝7時・昼2時・夜8時に自分で検温、SPO2を測定し紙に体調の質問に答えを書く。少し時間をおいてドアの外に看護師師さんが来て結果を聞いて帰られる。
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 また食事はその時間になったら廊下の台においてくれて、ドアを開けて中に取り込み食事をする。食事内容は200gの白ご飯とパックされたおかず、500mlのペットボトルの水、朝だけ200mlのリンゴジュースがついた。おかずは朝100キロカロリー前後、昼・夜はそれぞれ200カロリー前後であった。お湯が飲めないので電気ポットをお借りした。感染予防のため部屋からは1歩たりとも出れない。用事があればナースコールとなる。また窓の開閉は御法度で開けるとドアの隙間を通してウイルスが拡散するとの配慮である。
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 私はほとんど発熱も無く(入院中体温は36.5〜36.9℃)ベットに横たわることもなく、TVを見たり持ち込んだ本を読み始める。23,24日にはお風呂にも入る。月曜日朝、血液検査のために看護師が来て採血してくれた。夕方結果が出たが、基礎疾患もなくほぼ正常値でありDrが驚いていた。
 翌25日(火)JA尾道総合病院は尾道市でのコロナ患者急増のためか、7階をコロナ病棟とした。そのため私は5階の部屋から7階に部屋替えとなる。その時初めて部屋から出ることが許され、看護師に伴われて部屋替えを済ます。この部屋には風呂はなかったがシャワー室があり早速利用した。ここではTVはカードを購入して見ることとなった。
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相変わらず症状に変化はなく体調はいたって元気、本を読んだり体力回復のため病室内を歩き回る。
 ところで息子はホテル療養であったが熱が下がらず食事がとれないと言うことで、25日に急遽JA尾道総合病院に移送され入院となる。息子の担当Drは私のDr が担当したため色々と報告をしていただき親としての心配が解消された。
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 27日の夕刻Drが来て「退屈をされていますし、症状も無いことから明日退院しましょうと」言われ「やったー」と思う。翌28日(金)、速く目が覚め帰り支度、9時過ぎに看護師さんが来て退院の手続きを済ます。タクシーを利用して帰るためスーツケースは大きなゴミ袋でパッキングしてウイルスが拡散しないようにした。外来患者用の表玄関まで看護師が見送ってくれて十時過ぎに無事帰宅、1週間振りであった。
 なお家内は濃厚接触者としてPCR検査をしたが陰性のため2週間の自宅待機が求められ6月5日まで他人と接触することは禁止され、宅急便も受け取れない、外出も出来ない状態である。たまたま家内の妹が市内在住のため時折食料などを買ってドアの前に置いてくれていた様である。もしも一人暮らしで手助けをしてくれる人がいない場合、尾道市には手厚い援助をするシステムがあるのだろかと心配になった。私が帰宅してからは私が買い物に出かけた。感染者よりも濃厚接触者の方が2週間も隔離状態で身動きとれないので精神的ストレスがとても高いと感じた。
 退院に際しDrに「いつから仕事に復帰出来るか」聞いたところ、「今日から出来ます」と言われた。しかしPCR検査陰性であった他の従業員は6月2日まで自宅待機中で職場復帰が出来ない。その後息子や他の従業員も順次退院し、自宅待機者の待機も明けたので全員そろって6月4日から16日振りに仕事再開した。
多くの患者さまにご迷惑をお掛けした。ただ「さいだ歯科医院」から患者様への感染はなかったことが不幸中の幸いであった。これからはよりいっそうの感染対策に尽力しようと思った。

2021年06月10日

大型連休(GW)終わる

 昨年のGWは全国に緊急事態宣言が出され、ステイホームを余儀なくされていた。しかしまさか今年もコロナが猛威を振るい、東京や大阪などに3回目の緊急事態宣言が発令されることなど予想だにしなかった。幸いここ尾道ではコロナ患者も累計で50人とか比較的穏やかである。今迄GWには沖縄の長男一家の里帰りがあったり、夫婦で海外旅行に出かけたりしていたが、それも叶わない。私は昨年以来1年以上在来線、新幹線、バスなどに乗ることもなくもっぱら尾道市内で生活している。
 今年はたまたま6日が木曜日で休診日のため連休は5月2日から5月6日までの5日間となった。そこで私はこの連休に夏物野菜の植え付けをしようと4月15日頃から準備を開始した。ゴボウの収穫をして畑をあけ、休日の多くを費やし草だらけの畑の草取りをし、肥料を撒いて耕運機で耕し満を持して5月2日を迎えた。
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 朝9時過ぎに近くのイケカク種苗店に行き、トマト、キュウリ、茄子、オクラ、シシトウの苗を購入。またキュウリとトマトにはマルチが良いと本に書いてあったので銀色マルチを購入した。生憎当日は天候が悪く途中雨が降ったり、気温も15℃程度しか上がらなかったが夕方6時頃までかかってその日の作業を完了。
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 翌3日は水やりと茄子、オクラに水分蒸発や病害虫予防を兼ねて敷き藁を施す。そして4日には朝7時前に畑に行き、トマトと茄子の支柱を設置する。何とか12時前に終了。今後は植えた野菜類の水やりや余分な芽をかいたり、しげる葉を剪定したりと結構大変。またタマネギの葉が少しずつ枯れてきており、月末頃には収穫出来るかも知れない。そして梅雨前にそこにサツマイモが植えられる。また3月11日に作付けしたじゃが芋は今花芽が出てきており梅雨前には収穫しなくてはならない。それと同時進行で畑に生える草取りと本当に忙しくなりそうである。
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 ところで4日の昼から家内と市役所まで散歩がてら歩いて行った。途中ビルの上に鯉のぼりが泳いでいた。ここ何年も繁華街で鯉のぼりを見た記憶はほとんどない。また中央桟橋の横に早咲きの河津桜が植えてあるがサクランボが実を付けていた。
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 昨年の4日とほぼ同時刻(昨年が16:54で今年が16:50)の尾道本通りを写真に納めたが、人出を比べると(左側が昨年、右側が今年の様子)昨年はほぼゼロであったが今年はかなり多かった。全国的にも人出の増加が報道されており、尾道駅前や宿泊施設U2の人出を見ると同じ傾向だと感じた。
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朝からの農作業とこのウォーキングとで10846歩、歩いた距離8.5km、上がった階数14階とスマホのアプリが示していた。
 5日は朝から雨、部屋から一歩もでないで300枚ほどの年賀状の整理をした。住所変更のあった人の住所録を変更、またお年玉の当たり番号を調べた。一等、二等には縁なく、三等の切手が7枚当たっていた。この時期に年賀状の整理をしながらもう一度読み返すのも中々良いものである。中には1月以降急に亡くなられた方もいて生前のご厚誼を懐かしんだ。
 6日は畑に足を運び苗の様子を観察して明日からの仕事の再開に備えて休養。

2021年05月06日

日本の現状とウクライナ侵略から学ぶこと

 私が毎月購読している雑誌「致知」5月号にウクライナ人で政治評論家アンドリー・ナザレンコ氏による『日本は独立を維持できるのか』国を侵略されたウクライナ人からの警告という衝撃の記事が掲載されていた。
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 彼の父親は祖国で柔道の道場を運営していた。彼は柔道をしなかったが自宅には日本についての本や映画が山ほどあり子どもの頃から日本文化に憧れ13歳の時にはパスポートを取ったらすぐ日本に行こうと決意し、2014年、19歳で来日、日本の大学を卒業し現在は日本の会社で働きながら言論活動を行っている。
 来日以来一度もウクライナに帰ったことは無く日本と文化や価値観に共通点が多く強い親近感持つており「古事記」をウクライナ語に翻訳して出版もしている。「このように、日本の事が大好きな私ですが、唯一気掛かりなのが、安全保障や国防についての国民の認識です。母国が侵略された体験を持つ私からすると、日本の方々の考えの甘さや危機感の乏しさには、強い違和感を覚えるのです。」と書いている。
 以下引用抜粋させていただく。
『ウクライナはかって独裁国家ソ連の領土に組み込まれていたがソ連崩壊後に民主主義を取り戻した数少ない国の一つである。17世紀に前身のコサック国家が成立したときも憲法があり、最高権力者が投票で選ばれていたと言う歴史もある。ところが親露派がロシアの圧力に屈して国の方針を不本意な形に転換したことで国民の反発が起こり首都キエフでおこった小さな学生デモを警察が武力で鎮圧したことで国民の危機感や怒りが爆発し反対デモは一気に百万規模に拡大、本人もこのデモに参加し十日間抗議活動をおこなった。大統領はここまで高まった国民の声に一切耳を傾けず、警察に命じて実弾を撃ち百人もの尊い命は失われた。まさに現在ミャンマーで起きているような状態だったのであろう。大統領は軍隊を送って鎮圧しようとしたが、軍隊がこれを拒否して中立宣言を出したため、大統領と国会議員の三分の一がロシアに逃げ込み無政府状態になった。そこへ侵攻してきたのがロシアでした。ウクライナとの国境を定めた友好条約があったにも拘わらずウクライナの領土であるクリミア半島とウクライナ東部を不法占拠したのです。幸い自分の出身市のハリコフ市はウクライナの領土として確定したのを見届けて来日したとのこと。
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彼はさらに述べます。
 侵略という恐ろしい体験をしてきた私は、日本の方が次のような発言をするのを聞いて非常に驚きました。「軍隊をなくして隣国の脅威にならなければ攻められない」「どんな争いも、平和を訴え、話し合いさえすれば解決できる」「集団的自衛権を認めたら、他国の争いに巻き込まれる危険だ」
こうした主張をする方々には、ぜひウクライナの辿った道を学んでいただきたいと私は思います。
ウクライナは核兵器を放棄し、百万人の軍隊を五分の一の二十万人に縮小し、大国の対立に巻き込まれないよう軍事同盟にも一切加盟しませんでした。さらに兵器をロシアに譲る代わりにブタペスト協定書という国際条約を結び、ロシア、アメリカ、イギリス、フランスがウクライナを守るという約束を交わしました。ところが、その当事者であるロシアによって侵略されたのです。
他国との条約がいかに当てにならないものであるか、そして国の防衛を他国に委ねることがいかに危険であるか。ウクライナの失敗が、この事をはっきりと物語っています。
条約が破られたら国際社会がなんとかしてくれると、期待している日本の方は多いようです。しかしウクライナが侵略を受けた時に、一緒に戦い、守ってくれる国は一切ありませんでした。当時のアメリカはオバマ政権でしたが、ロシアの侵略を口先で批判するばかりで具体的な行動は何も起こしませんでした。ウクライナばかりではありません。チベットもウイグルも香港も侵略や弾圧によって人々の自由が理不尽に奪われていることに対して、国連は批判こそしますが、行動は起こしません。尖閣諸島はアメリカが守ってくれるから大丈夫、というのも危険な考え方です。アメリカが追求しているのはあくまでも自国の国益であり、いくら同盟国の領土であっても、自国の国益には合致しない限り行動を起こすことはありません。
 以前出会ったある日本の方は、自分の息子が戦争で亡くなるのは嫌いだから、アメリカ人が戦えばいいとおっしゃっていました。しかし、戦いもしない日本人の代わりに、アメリカ人が血を流して戦わなければならない道理がどこにあるのでしょうか。米兵にも家族があり、故郷があります。他国のために死にたいと思っている人など一人もいません。日本を守る主役はあくまでも日本人でありアメリカはその支援をする立場であることを忘れてはなりません。』
引用ここまで。
 彼が危惧されていることは至極まっとうなことであり、私自身は日本に生まれ、日本人として育ってきたことに幸せを感じている。一朝事あるときには日本人としての勤めは果たす覚悟は出来ている。そのような事態にならないことを祈るばかりである。

2021年04月25日

48回目の4月8日

 4月8日はお釈迦様の誕生日(花祭り)で私と家内の結婚記念日でもあり良い日を選んで結婚したものだと思っている。今年で48回目である。結婚式は広島駅の北側にあった公立学校共済組合「せとうち苑」で挙げた。実家から式場に行くとき八丁堀を経由して行ったが三越広島店が本日オープンという垂れ幕が架かっているのを思い出す。当日は今日のように少し霞んだ青空で、式場の桜の花びらが風に吹かれて散っていたのを思い出す。
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 48回目の今日は、最初親戚の祝い事に家内と一緒に出かけたが、その後は別行動で畑に出かけ草取りに精を出す。結婚した当時はいつも一緒にいることが当たり前で有ったが、時間の経過とともに一緒に過ごす時間は短くなり休日でもお互い好き勝手をしている。まさに「綾小路きみまろ」のあれから48年である。
 草取りをしながらその当時を色々思い出していた。結婚式の案内は当時、両家の親が連名で出すのが当たり前であったが、私たちは二人の名前で出し費用も親には負担をかけなかった。それで式が終わり全員をお見送りした後、結婚式・披露宴などの費用を全て支払い新婚旅行に出かけた。そのような話を息子達にしていたのか二人とも私たちの結婚スタイルを踏襲した。
 新婚旅行は広島港からフェリーで大阪南港まで行き紀伊白浜、勝浦、伊勢神宮 鳥窒周りながら新居のある茨城県日立市まで帰って来た。家内が新婚旅行の日程表を忘れ、JTBのクーポン券を頼りに珍道中を続けた。新婚旅行中のお昼ご飯はカレー−ライスとうどんしか食べさせてくれなかったと後々まで言われたことなどを思い出した。
 ところが今日はどういう風の吹き回しか2時頃、私が畑で倒れているのではと心配になったのか、コンビニでカツ丼弁当を買って様子を見に来てくれた。駐車場の桜は少し散っているが花桃は満開で、畑では芽を出してきたジャガイモ、勢いよく育っているタマネギ、ゴボウ、や2月の終わりに咲いた南高梅が早くも実を付けている。その他にもハナニラ、ローズマリー、スミレ、ポピーなどいろいろの花が咲いていて「本当に良い季節に結婚したね」と話ながら一緒に遅い昼食を食べた。
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 普通なら結婚記念日なので夜はレストランという選択枝も有るのだろうが、このコロナ禍外食は控える。しかも昼のカツ丼のボリュームが多すぎて夕食時にも腹は減らない。そこで軽くおそばにしてワインで乾杯する。ワインとおそばが合うのかと問われれば疑問符。私がグラスに2杯、家内が1杯飲んだだけで、後は栓をして冷蔵庫にしまう。三日ほどかけて残りを飲むようになるだろう。安上がりな結婚記念日の夕食となった。
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 食後、10年以上開いたことの無い「結婚式・新婚旅行」のアルバムを取り出し二人でにやけながら見た。お互い若かったね、美人だったね、ハンサムだったねと自分で自分を評価する。
その写真のなかに親族で撮った集合写真があるが、私や家内の両親も含めて多くの人が鬼籍に入られ、現在生きているのは私たちを含めて僅かに9人のみである。時の流れを感じた。
 最近家内が良く口にする言葉に「私と結婚して良かったか?」と質問される。まずかったとも言えないし、100点満点ではないが概ね良好なので「うん」と答える。私は私で逆に「俺と結婚できて良かっただろう」と半ば強制的に「うん」と言わせている。そのようなやり取りが出来るのも48年間の夫婦の絆なのであろう。あと2年で金婚式だがその時はレストランでフランス料理のフルコースで祝いたいものである。


2021年04月11日

コロナワクチン接種間近に迫る

 2月17日政府はワクチン接種を医療従事者から開始した。1月の終わりに広島県歯科医師会からワクチン接種の申し込みが来た。ワクチンの安全性は大丈夫かという不安があったが、まもなく74歳を迎える高齢者であり、来年あたり海外旅行が可能になったときワクチン接種の有無が条件となる可能性もあり申し込んだ。また2月12日には尾道市医師会より何処の施設で摂取したいか申し込み用紙がFAXで届いたので3カ所を希望して出した。
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 現在県内でも医療従事への摂取が始まっているが尾道ではその様子はない。そんな中、広島県歯科医師会から接種券付き予診票が数日前に送られてきた。その中に厚労省の「医療従事者等の方へ 新型コロナワクチン接種のお知らせ」とファイザー社の「新型コロナワクチン予防接種についての説明書」も同封されていた。
 ファイザー社の説明書の中に「今回接種する新型コロナウイルスワクチン(ファイザー社製のワクチン)の特徴」という記述があった。『本剤はメッセンジャーRNA(mRNA)ワクチンであり、SARS-Co-2のスパイクタンパク質(ウイルスがヒトの細胞へ侵入するために必要なタンパク質)の設計図となるmRNAを脂質の膜に包んだ製剤です。本剤接種によりmRNAがヒトの細胞内に取り込まれると、このmRNAを基に細胞内でウイルスのスパイクタンパク質が生産され、スパイクタンパク質に対する中和抗体産生及び細胞性免疫応答が誘導されることで、SARS-Co-2による感染症の予防が出来ると考えられています。』とある。
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このことは大変重要なことでヒトの体の中でDNA遺伝子組み換えを行いウイルスの一部(スパイクタンパク質)をつくることである。
従来のワクチン、例えばインフルエンザワクチンは鶏の卵にウイルスを注入し卵の中でウイルスを培養し不活化あるいは弱毒化したものをヒトに接種している。ヒトが自分の身体の中でウイルスの一部をつくることはなかった。人類史上初めての試みである。
 またワクチン接種による主な副反応は、『注射部位の痛み、疲労、頭痛、筋肉痛、悪寒、関節痛、発熱などがあり、まれに起こる重大な副反応としてショックやアナフィラキシーがある』と書いてある。
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 しかしこれらは接種したときだけの話であり、怖いのは数年後、10年後に起こるかもしれない長期の副反応につては何も記されていない。開発されて1年ほどしか経て無く長期の経過が観察されていない。そのため注入されたmRNAが将来変異し、予想もしないDNAの組み替えが起きた場合ヒトの身体がどのようになるのか、どのような障害が出て来るのかは判らない。だから妊婦、または妊娠している可能性のある人は接種前に医師に相談するように注意書きががある。さらに16歳以下は接種対象にはなっていない。政府は何故16歳以下にワクチン接種をしないのか説明はない。
 ネット上では遺伝子組み換えをした6本足の鶏などの写真が見つかる。ひょっとしたら遺伝子組み換えが起きるかも知れない話はほとんどTVや新聞には出てこない。情報統制され触れさせないようにしているのかもしれない。私は高齢者で先もそんなに長くはないし生殖能力も無い為、子孫に悪影響を及ぼす事はない。
 ところでワクチン接種を開始したが最初なかなか供給が進まなかったが、最近見通しが出てきたようだ。しかしEUでは域内のワクチン確保を優先するため、EU域内で製造したワクチンは他国に輸出しないとしてオーストラリアへの輸出がストップしたというニュースが流れた。そんな中、我が国はEU域内のベルギーから輸入しているが、なんとか確保できそうなのは日本政府の努力なのかもしれない。しかしうがった見方をすれば法外な値段をふっかけられ日本政府はそれを呑んだのかもしれない。またコロナの治療薬としてノーベル賞の大村智先生が開発した「イベルメクチン」が有効であるとのデーターがあり(効かないというデーターもある)治療薬としての認可を申請しているが、厚生省は認可を遅らせているとの情報もある。もし本当に有効であればワクチン接種をしないで感染した場合治療できる。そうなるとワクチンは必要なくなり、欧米のワクチン製造会社は利益を失うため日本に圧力をかけ承認をさせないようにしているのかも?その代償としてワクチン供給をしてくれているのかもしれない。世の中、特に国際関係は色々裏が有るらしく凡人たる私にはよく判らない。いずれにしてもコロナが早く終息することを願うばかりである。

2021年03月18日

春の訪れ

 今年の冬はことのほか寒かった。霜は毎日のように降りていたが1月12日には何年ぶりかに雪も積もった。また毎朝7時には歯科医院に出勤しているが、車の運転パネルに外気温マイナス7℃と表示される日もあった。そのように今年は特に寒かったのか駐車場脇に植えてあるキンカンが黄色に色づいてきてそろそろ食べようかと思っていたのだが寒さのためキンカンの実は凍みて全滅であった。キンカンを植えて20年くらいになるが初めての経験である。
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 そんな中、昨年秋に南高梅の小さな苗を購入し畑の片隅に植えていた。それが2月の半ばに白い花を咲かせそろそろ春だよと知らせてくれていた。そして3月になると庭の片隅で色々の花が咲き出した。
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 ところで昨年秋に大根、人参、春菊、タマネギ、ゴボウを植えたが、大根は12月頃から少しずつ収穫をしておよそ60本を2月23日にまでに収穫出来た。従業員・息子・ご近所様にお裾分けをした。春菊は少し収穫したが今年の冬の寒さでほとんどやられて枯れてしまう。人参は大分葉っぱがやられたが2月の前半から息を吹き返してきて、何とか収穫できた。写真はさいごに収穫した大根と人参である。
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いま畑にはゴボウとタマネギが残っている。ゴボウは1月半ばには葉っぱが全て枯れてしまいもう駄目かと思ったが最近新たな葉が出てきて復活している。5月後半には収穫できるかも知れない。タマネギは枯れもしないで元気な濃い緑色をして元気に成長を続けている。
 段々暖かくなってくるとそろそろ農作業を開始しなくてはと、うずうずしてくる。そして2月後半から畑の草を取り開始し、その草を干して枯らした後、野焼きしてその灰を畑に戻す。最も歯科医師としての仕事をしながら畑となるとどうしても日曜日や休診日しか出来ない。その日が晴れていれば最高だが、雨でも降ればさっぱり。昔の人は「晴耕雨読」と言っていたがまさにそのような感じである。何とか休診日の3月4日は、日中雨は降らないとの天気予報に従って肥料を購入してきて耕運機で耕し準備をした。
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 ところでじゃが芋、キュウリ、トマト、ナス、ピーマンは連作を嫌うので昨年植えた場所には植えられない。狭い畑なのでどこに何を植えるか頭を悩ます。じゃが芋は昨年のサツマイモの植えてあったところ、キュウリ、トマトは落花生の後に植えることにした。写真では通路の右側にあたる。これで今月半ばにはじゃが芋の作付が出来る。
 いよいよ春本番、順次色々の物を植えていかなくてはならないが、育てる途中の水まき、草取り、脇芽の切除、無農薬のため頻繁な除虫など世話は大変だが収穫時の楽しみを想いながら頑張ってみよう。

2021年03月07日

尾道市の水道事業安泰・バンザイ

 先日診療所のある地域を地盤とするY市会議員さんの活動報告書が届けられた。今回は12月定例議会報告書であった。千光寺公園の新しい展望台は2022年4月にオープンとか色々報告されていたが、その中で私の目を引いたのは「尾道市は『水道事業の県内統合には参加せず、引き続き単独経営で経営基盤強化に努める。』と表明」という記事があった。尾道市は素晴らしい選択をしたと思う。
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 内容を一部引用させて貰うと「安全な水は私たちの生活に欠かせないものであり、その水を提供する水道事業は、住民生活や社会経済活動を支える最も重要なライフラインです。しかし近年では、人口減少による料金収入の低下、水道管などの施設の老朽化に伴い更新費用の増加に経営環境の悪化など多くの課題に直面しています。そこで国は2018年12月に「水道法」を改正し『市町村の枠を超えた広域連携で水道事業の経営基盤の強化を図ることが有効である。』として、都道府県にその推進役を求めました。広島県内の水道事業は、安定経営の事業体もある一方で、厳しい経営の市町もあり、県は「県内の水道事業は、企業団を組織し経営を一元化する統合が最適である。」と考え各市町に2020年度末までに、統合するか否かその判断を求めていました。その結果尾道市・福山市・広島市は統合には参加しないことを表明したとあった。
 さて日本のように蛇口から出てくる水を直接飲めるのは、国連加盟国193カ国中、16カ国しかありません。日本は水道インフラが整っており、日本人にとって水道水が飲めるのは普通で当たり前のことです。しかし世界のほとんどの国では、水道水が飲めません。
安全な水確保のため水道法の改正が行われた。しかしこの改正により今迄、コンセッション方式(官民連携)が可能であった下水道に加えて、上水道も自治体が所有権を保持したまま民間企業が水道の管理と運営を出来るようになりました。
令和元年5月26日にUPしたブログ「今だけ・金だけ・私だけ」でも触れたが、20世紀にかけて、水道事業の運営権を民間に売却することで、事業の効率が良くなる、サービスが良くなる、無駄が無くなり、水道料金が下がると、、、、そのメリットを信じ、あらゆる国で民営化が加速しました。しかし、蓋を開けてみれば、民営化で料金が下がるのではなく、逆に水道料金がどんどん上がっていきました。
南アフリカでは4年140%、オーストラリアでは4年で200%、ボリビアでは2年で35%、フランスは24年で265%、イギリスは25年で300%。つまり水道料金が最高で3倍になったということです。
また、南アフリカでは、運営権を得た、グローバル企業(スエズ・リヨネーズ社の子会社)が利益を出すためにコストカットをし、水質チェックをおろそかにされ、水がどんどん汚くなっていき、コレラ菌が繁殖して、何百万人もの命が犠牲になり、幼い命も沢山犠牲となりました。
さらにアメリカのピッツバーグ市では、民営化にしたことで、水道料金は全米で最高に高くなったにも関わらず、水道管のメンテナンスはおろそかにされ、腐食防止剤は安いものに変わり、その結果、水道管からは鉛を含んだ茶色い水が出てくるようになりました。そのせいもあってか、その市に住む子供たちの血液からは、基準値超えの鉛が検出されたのです。
今この水道法の改正を受けて日本でも外国企業が名乗りを上げてきている。 とりわけフランスのヴェオリア・エンバイロメント社は世界三大水メジャーの一つで、ピッツバーグ市で問題を起こした巨大多国籍企業である。その日本法人がすでに松山市で料金徴収業務などを行っている(松山市のHPより)。いずれ給水事業に乗り出してくると考えられている。また浜松市ではヴェオリアや日本のJFEエンジン・オリックス等とコンセッション方式で下水道処理のみを行っているが、いずれ上水道の事業にも入ってくることが予想される。
問題は、どんな民間企業でも利益を追求することが第一目的であることを肝に銘じなければならない。水道料金の値上げ、老朽化設備の不更新、水質の検査業務の手抜きなどは当たり前かも知れない。その結果アメリカのピッツバーグ市のようになることも考えられる。
 確かに少子高齢化が進んでいる日本では広域連合化も止むなしとは思われるが、その時安易に民間事業者、特に多国籍企業に運営権を渡すようなことがあってはならないと思う。

2021年02月18日

クラウドファンディング

 私は日立製作所日立研究所に1971年入社した。一緒に入社した同期で「日研71同期会」が結成された。私は歯科医師をこころざし途中で退社したが、いまだ会員でありほぼ毎年同期会が開かれている。最も定年まで研究所にいた同期は皆無である。
その同期会幹事より昨年6月初旬にメールが届く。そこには同期のY君からのメッセージが添付されていた。彼は長野県上田市の「信州別所温泉」玉屋旅館の二男である。2018年4月に彼の実家の旅館で同期会が開かれ私も出席した。
 この別所温泉が2019年の台風19号により上田電鉄別所線の千曲川鉄橋が流されて客足が減っていたところコロナの為緊急事態宣言が発令され温泉郷が大打撃を受け、厳しい状況に追い込まれています。ご支援いただければ幸いです。クラウドファンディングで支援を募っているので同期会の皆様よろしくお願いしますと有った。早速クラウドファンディングをしているCAMPFIREというページにアクセスをしてみた。
そこには「信州上田・別所温泉街のMIRAI存続プロジェクト」が載っていて切実な状況が書かれていた。
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『新型コロナウイルスの影響で、別所温泉は旅館も飲食店も土産店も、観光に携わる業種はみな苦境に立たされています。別所に生まれ、上田を愛する者として、この街を守りたい。再び、信州最古の温泉地に多くの皆さんをお迎えすることができますように…。みなさんの応援をよろしくお願い致します!』
そして支援の方法として純粋な寄付でも良いがリターン方式(お礼)について書いてあった。
<リターンについて>
今回多くの地域のお店に協力を得て3タイプのリターンをご用意しました。
@ 共同店(飲食・土産など)でのご利用ができる「別所温泉MIRAIチケット」
A 別所温泉の旅館(13軒)・ゲストハウス(1軒)で利用できる「別所温泉MIRAI-YADOチケット」
B 別所温泉の旅館で提供されているオススメギフト「別所温泉MIRAI-GIFT」
つまり@の場合1,000円のご支援にたいし1,100円分のMIRAIチケットを発行して別所温泉内のお店で使えるようにするとのことであった。
Aについては10,000円のご支援いたいし温泉旅館内で使える11,000円の券を発行するとあった。
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 日立製作所勤務時代、協力会社の指導で上田市に2回出張し別所温泉に宿泊し、また日研71同期会でも2回訪れていたが、家内はまだ一度も訪れたことが無いのでこの機会を利用しようと思い温泉宿に泊まれるタイプを選んで応募した。丁度応募するときに政府が国民一人当たり10万円を支給してくれたのでそれを全部支援に回した。
別所温泉のクラウドファンデイングは6月27日に終了したが目標の500万円を突破し120%の6,005,080円、363人が応援したと報告があった。
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7月の半ば過ぎに宿泊施設専用の11,000円チケット10枚がお礼状と共に贈られてきた。有効期限は「2020年7月〜2021年1月31日」までと書いて有り、いつ行こうかと思案していた。政府はGoToトラベルを7月22日から実施したが、長野へは東京経由となるのでコロナ感染が怖いし、もしも私が感染すると「医療人のくせに軽率だ」とか、ありとあらゆる非難中傷が浴びせられそうで「さいだ歯科医院」に迷惑を掛けるし、患者様にも迷惑がかると思い二の足を踏んでいた。そこへ第三波がやってきて1月7日からの1都10府県に緊急事態宣言が発令され先日さらに3月7日までの延長ということでついに有効期限が過ぎてしまった。
最も私としては損をしたという気持ちは無く、むしろ政府から只で頂いたお金を有効に利用できた事で、ある意味満足感がある。
コロナが落ち着いて国内旅行が解禁となればチケットはないけれど別所温泉に必ず家内と行ってみようと思っている。

2021年02月11日

「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」を読んで

 この本は致知出版社から昨年末に刊行され、早くも13万部突破のベストセラーになっている。私が25年以上毎月購読している月刊「致知」のインタビューや対談記事、もしくは致知出版社の書籍の一部を抜粋し、再構成したもので、内容は掲載当時の物で、登場人物の肩書きは原則として「致知」掲載当時のものとしたが、発言者のご意向などにより、一部変更した箇所があると書いてあった。
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 毎朝その日のページを読んで仕事に出かけているが、今日で丁度1月分31人の方のお話を読んだことになる。読みながらこの記事は以前読んだことがあるなと思うページも有り、その時こんな感想だったな思いだしながら読んだが、改めて読み直してみるとさらに深い味わいや合点がいくことが多い。

 昨日1月30日には広島県安芸高田市向井原町にお住まいの坂田道信(ハガキ伝道者)様の文が掲載されていた。この文は以前「致知」で読んで目頭が熱くなったことを思い出す。
転載させていただく事とする。
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「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」 坂田道信(ハガキ道伝道者)

『徳永康起先生は熊本県の歴史始まって以来、初めて三十代の若さで小学校の校長になられた方でしたが、初めて「教員の仕事は教壇に立って教えることだ」と五年で校長を降り、自ら志願して一教員に戻った人でした。だからどの学校に行っても校長に煙たがられたと思われますね、自分より実力が上なものだから。
 それで二年ごとに学校を出されてしまうんだけど、行く先々で教師たちが一番敬遠している難しいクラスを受け持って、みんなを勉強好きに変えてしまうんです。
授業の前に児童たちが職員室へ迎えに来て、騎馬戦みたいに先生を担いで、「ワッショイ、ワッショイ」と教室に連れていったというんです。先生、早く教えてくれって。

先生は昼飯を食べない人でした。なぜ食べないかというと、終戦直後、昼の時間になると弁当を持ってこられない子どもたちがさーっと教室からいなくなる。
それでひょっと校庭を見たら、その子たちが遊んでいたんです。その時から自分もピタッと昼飯を食べるのをやめて、その子たちと楽しい遊びをして過ごすようになりました。
 以来、昼飯はずっと食べない人生を送るんですよ、晩年になっても。

これは戦前の話ですが、「明日は工作で切り出しナイフを使うから持っておいで」と言って児童たちを帰したら、次の日の朝、「先生、昨日買ったばかりのナイフがなくなりました」という子が現れました。先生はどの子が盗ったか分かるんですね。それで全員外に出して遊ばせているうちに、盗ったと思われる子どもの机を見たら、やっぱり持ち主の名前を削り取って布に包んで入っていた。

 先生はすぐに学校の裏の文房具店に走って、同じナイフを買い、盗られた子の机の中に入れておきました。子どもたちが教室に帰ってきた時、「おい、もう一度ナイフをよく探してごらん」と言うと、「先生、ありました」と。
 そして「むやみに人を疑うものじゃないぞ」と言うんです。その子は黙って涙を流して先生を見ていたといいます。
それから時代が流れ、戦時中です。特攻隊が出陣する時、みんなお父さん、お母さんに書くのに、たった一通徳永先生宛ての遺書があった。もちろんナイフを盗った子です。
「先生、ありがとうございました。 あのナイフ事件以来、徳永先生のような人生を送りたいと 思うようになりました。
 明日はお国のために飛び立ってきます……」という書き出しで始まる遺書を残すんです。
昨日読んでもやはり目頭が熱くなった。

 また前日29日の桂小金治氏(タレント)の「努力の上の辛抱という棒を立てろ」という文も以前読んですごいと思ったが改めて読んで、子育て、親父の心構えなどがすんなり腹に落ちる。
 また、王 貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)の「プロは絶対にミスをしてはいけない」や道場六三郎(銀座ろくさん亭主人)の「仕事にも人生にも締め切りがある」では修業時代、いつも僕は思っていた。“人の二倍は働こう” “人が三年かかって覚える仕事を一年で身につけよう”。など他にも人生に役立つお話がいっぱいあった。
 明日から2月、1日1話を読みながら感動や勇気を貰いながら明るい気持ちでその日を過ごしていこうと思う。12月まで楽しみが毎日続く。本当に良い本である。

2021年01月31日

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