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05/05 今年のGWと憲法記念日
04/10 満開の桜見物と五十三次版画鑑賞
03/24 院展観賞
03/09 令和6年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議
02/11 建国記念の日に思う
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

初めてのインド旅行 PART Y

 まず最初に訪れたのはバラナシ・ヒンドゥー大学の中にあるヴィシュワナート寺院。新ヴィシュワナート寺院に入る前に左右にインド犀の像が配置されていた。サイは「さいだ歯科医院の」マスコットなので写真を撮る。それから本殿にはいるのだが写真撮影禁止と言うことで今思い出しても何を見たのか思い出せない。急ぐあまりゆっくり見れないし写真も無いので説明を聞いたことが思い出せない。その後赤く塗られたドゥルガー寺院(モンキー・テンプル)に行くがここも撮影禁止であった。とにかく急ぐあまり本来1日にかけて観光すべき場所をただ案内した事実だけがガイドにとって必要なのかさっぱりであった。
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 その後ホテルに帰り朝食後荷物を持ってペナレス郊外の四大仏跡の一つで釈尊の初転法輪の地、仏教教団成立のサルナート観光にいく。高校の世界史でこの地を「鹿野苑」と習っていたがサルナートというのは覚えてなかった。
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 ここ遺跡公園(ダメーク・ストゥーパ・モニュメントサイト)は写真OKだがビデオ撮影は禁止であった。入り口側の建物の中にこの場所を発掘したときの状況などのパネル展示があった。
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 ガイドのRさんが途中まで同行して説明をしてくれた。遺跡公園は芝生が敷かれ綺麗に整理され物売りなどもいなくて静かである。
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 僧院の跡や三つに折れたアショカ王の石柱、さらにひときわ大きな円形の基礎の廻りには多くの人がお祈りをしていたがここはダルマラージカ仏塔の基礎部分で紀元前3世紀にアショカ王が建てたものだそうです。基礎しか残っていないのは18世紀にレンガを建材と使用するために地元の人々が破壊したとのこと。お祈りしている人は裸足であったので我々も裸足で廻りを歩いてみた。
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 その後ダメーク・ストゥーパに向かう。高さ43メートルという巨大なストゥーパでアショカ王が初転法輪を記念して建てた物が増築され現在の姿は6世紀頃のグプタ朝のものだそうです。塔の廻りには美しいレリーフが施されている。その後サルナート考古博物館に行く。
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 博物館位入ってすぐ正面にはインドの国章になっている4頭のライオンが配された有名なアショカ王柱が展示されている。なおこの王柱のライオンの足下にある法輪が現在インド国旗の中央に配置されている。その後館内を観て回るが素晴らしい仏像やレリーフなどが展示されておりいつまでも観て飽きない感じがした。
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 その後遺跡公園を後にしてRさんが一番古い菩提樹があるところを案内すると言うので歩いてついて行く。そこは初転法輪寺であった。ところが本日スリランカのマヒンダ・ラジャパクサ首相がこれからこの寺院を訪れるため中には入れないとのこと。門から赤絨毯が敷いてある。寺院の中は無理でもそばまで行けるので、生まれて初めて赤絨毯の上を歩く。  
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 寺院の右奥に釈迦が五人の弟子にはじめて説法をした場所があり、その様子を再現した人形が置いてあった。その後昼食を近くのレストランでとる。これまたカレーであった。
その後帰途につくため空港に向かう。続きはPART Zへ

2020年02月24日

初めてのインド旅行 PART X

 朝4時半に起き、荷物をパッキングしてロビ−に降りた。まだガイドのRさんは来ていなかった。ロビーのソファーに座ったところ他のツアーのガイドさんが日本語で話しかけてきた。彼はマレーシアからの15人ほどのツアーガイドをしていると言っていた。意外と日本語を話せるガイドが多いのに驚く。
 Rさんが昨日のドライバーと一緒に来る。いよいよ家内の「憧れのガンジス河」遊覧に出かける。近くまで行きダシャーシュワメーダ・ガートに歩いて向かう。路上でごろ寝をしている人や、物乞いをする小さな子供。老人の乞食が多いのに驚く。朝早いのに多くの人が来ており、また僧侶が祈りを捧げている光景も見た。
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 ボートに乗ってガンジス河沿いを遊覧して見て回る。西にはまだ月が残っている。とにかく驚くばかりである。他の船には多くの観光客が船に乗っているが、私たちが乗ったボートは他に船頭さん・ガイドのRさんとの4人だけでゆったり乗れた。まず南の方に向かった。沐浴をする人達を見た。この習慣は何千年にもわたって行われているとのこと。ただ最近は水質汚染がひどいとのこと。
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 途中日本人の久美子さんが経営するゲストハウス「久美子の家」を見た。こんなところに日本人がいるのが不思議な感じがする。
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近くのボートに多くの水鳥が寄ってきていたのでRさん聞くと餌を撒いているのだという。鳥の餌を売る船が寄って来たので一袋買い大声で「ホーホー」と叫ぶがあまり寄ってこなかった。
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 そこからUターンをして北に向かう。丁度朝日が昇ってくるが霧が掛かって太陽が赤い、それでも崇高な感じがした。ヒンドゥー教徒達にとってガンジス河の聖なる流れに身を浸すのは早朝が良いとされている。朝日の一条の光が差し込んできたとき、人々は水を手ですくいあげ太陽に捧げ、また水を河にもどす。沐浴をすることは、全ての罪に対する贖罪であると信じられている。
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 その後少し進むと岸辺で火が焚かれている場所に来た。火葬場である。火の周辺のおびただしい布や竹が散乱している。恐らく竹は死体を運んだ担架の燃え残りで布は死体を包んでいた燃え残りと思われる。その横には次の火葬のために沢山の木が積まれている。朝から晩まで24時間火が絶えることは無いとのこと。
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 ここで火葬される人はベナレスの人だけでは無く、インド各地からここで火葬されるために運ばれてくるが、中には前もってベナレスにやってきて死を待つ人もいるのだとか。
焼かれた死体の灰はガンジス河に流すことにより死者の魂が救われると信じられている。
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 船着き場に戻る途中、前もって船頭さんが用意してくれていた木の葉っぱで造った、お椀のような器にお花とローソクがいれて有り、それに火を付けてガンジス河に流した。これは供養のために流すのだという。心の中で南無阿弥陀仏を唱えた。
それから陸に上がり昨日観光出来なかったところを駆け足で見て回る。続きはPART Yへ

2020年02月23日

初めてのインド旅行 PART W

 本来なら昨日の夜20:25の寝台列車で出発しペナレス駅に朝6:10に到着しペナレス市の観光を一日行う予定になっていた。ところが深夜2:10頃に列車に乗ったのだが指定の席に行くと2段ベッドの上の人が下段の私の本来のベッドを使用している。起こしてのいてもらったが、枕や毛布、シーツがない。乗務員と思われる人にガイドのRさんが交渉し持ってきてもらう。そんなこんなで実際に眠りについたのは3時頃だろうか、狭いしベッドの長さが少し足らなくてエビのような格好で寝る。朝7時過ぎには目が覚める。朝食はパンとオムレツの弁当であった。
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 インドの列車は全く車内放送がなく一体どこを走っているのか判らない。しかもインドの寝台列車は以前日本にあった寝台列車と違い通路が中央にあり私が乗った列車では左側が進行方向に対して直角に配列され通路を挟んだ右側に進行方向と並列に一つベッドが配列されている。おそらく線路が広軌道の為そのように配列されていたのであろう。そのため通路が狭くおよそ70センチ位の間隔であった。最も日本の場合、急行「安芸」号のように3段ベッドの時代も有ったので1区画の床面積当たりでは日本の方がベッド数は多くなるのかも知れない。
 それにしてもベナレスに向かう線は単線のためスピードは遅く駅でのすれ違いのため待つ時間も多い、特に遅れていて時間通りでないので駅以外のところでも信号により停止する。いつ頃着くのかとガイドのRさんに聞いても15時くらいかなという程度である。
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窓の外はのどかな田園風景で菜の花がいっぱい咲いている。Rさんに聞くと菜種油を採るとのこと。また麦畑もあるようであった。南に行くにしたがってサトウキビ畑が表れ、収穫している畑もあった。行く先々で多くの牛を見たが、Rさんに聞くと牛は神聖な生き物で食べない、しかも第2のお母さんだという。つまり母親のお乳が済めば牛乳は飲むようになるのでお母さんだという。なるほどと納得した。また牛の糞は燃料として使われており家の側や、畑に牛の糞を板状にして乾燥し小山のように積んであった。また町外れにはテントのような家や掘っ立て小屋のような家で暮らす人々も多く見られた。
昼はカレー弁当であった。食欲がなく半分ほど残した。
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 15時頃ある駅に停車したので手足を延ばすのにホームに降りてみた。私は座高が高いのかベッドに腰掛けると頭が上段のベッドに当たるため少し前かがみで座るので結構しんどかった。
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 ホームには野猿がいた。インドには至る所、野ザルがいる。昨日のアグラ城にも多くの猿がいた。というのもインド神話における猿の神様「ハヌマーン」があがめられており大切な生き物とのこと。以前観た映画「バジュランギおじさんと小さな迷子」の中でもハヌマーンのお祭りのシーンがあったことを思い出す。
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 それにしてもさっぱり目的地に着かないどうやら夜の8時頃ではないかとRさんが言う。そうなると今日予定の観光はおじゃんとなる、しかも明日の午後には帰国の途につくようになるのだが。本日観る予定の18時から20時頃に行われるガンジス河沿いで行われるヒンドゥー教の礼拝プジャ(アールティー)は見学できないが他は何とか見学できるようにするとRさんが言う。信じるしかない。
仕方ないのであきらめて彼と色々話す。彼の結婚についても聞いた。ヒンドゥー教にはカースト制度という身分制が有り上からバラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4階級が有り自分は上から二番目のクシャトリアに属する。母親が同じ階級の知り合いの家の娘を探してきたので何も言わずに結婚したとのこと。階級による差別は法律で禁止されているが慣習として他の階級との結婚はほぼ無いといっていた。また今は良く判らないが日本では私が結婚した時代、男性からお相手の女性の家に結納金を出していた。インドでは女性が生涯男性に養って貰う関係で女性の家から花婿料を出すので女性が生まれるとその家は大変だとR さんは言う。
その後、私が使用した毛布やシーツを綺麗にたたみ枕もそろえると、Rさんが何故そうするのかと聞くので日本では「立つ鳥跡を濁さず」という諺があることを説明したところ感心していた。その後乗車したとき枕、毛布、シーツなどを持ってきたボーイが私たちの席にやってきてチップを要求するが、Rさんが断固拒否をしてくれた。
 今回の旅行ではチップについて旅行会社から案内があり、旅行者1人あたりドライバーには1日250ルピー、ガイドには500ルピー、枕銭は20〜30ルピー、ポーターは荷物1個に付き20ルピーの案内があった。至る所チップのオンパレードである。日本では旅館に泊まった時、掛かりの女中さんに心付けをすることぐらいで面食らう。
 そんなこんなでやっと20:11にベナレス駅に到着。本来なら10時間程度であるのに何とおよそ倍の18時間も掛かった、へとへとでそのままホテルに直行。
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Rさんから明日は朝5時30分ロビーに集合と言われる。彼は別のホテルなのでここで別れすぐバイキングスタイルの夕食を取る。頭がふらふらして丁度船酔い状態であった。
このホテルはバスタブが有りやっと湯船につかれた。それでも布団に入ったのは23時を回っていた。過酷なさんざんの旅で難行苦行であったが、普通見ることが出来ない景色なども見ることが出来て良かったのかも知れない。続きはPART Xへ

2020年02月22日

初めてのインド旅行 PARTV

 アグラの町は混み合っていて日本では信じられ内容の交通状態である。1車線の所を2列で走るのは当たり前。2輪車はちょっとの隙間に容赦なく入ってくるためクラクションはほぼ全車両が鳴らし放しで生きた心地がしない。
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 最初にタージ・マハルを観に行く。近くまで車で行き、インドの三輪タクシー(オート・リキシャ)に乗りかえ入り口まで行く。入るのにも非常に多くの人が並んでいたが、観光関係の政府の役人とコネが有るらしく前もって入場券を手に入れてくれ、並ぶことなく入場できてラッキーであった。日曜日なので観光客があふれていた。家内によると10年前はさほどでもなかったとか。それでも赤砂岩の門を入ると正面に大理石の白い建物が目に入ってくるがとても綺麗で、やっと本物が見れて感激した。
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 ガイドのRさんの説明とパンフレットに依ると、ムガール帝国の第5代皇帝シャージ・ハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために22年の歳月をかけてヤムナー河の畔に建てた総大理石の墓で広い庭園と水路が四方に流れ、その中央に左右対称の美しい白大理石の霊廟で四隅の4本のミナレット(塔)の高さは43メートル視覚的にもバランスが良く、霊廟を際立たせている。霊廟を挟んで赤砂岩のモスクと集会場がある。
 政府の役人の方が家内と私の写真を撮ってくれるサービスをしてくれた。廟の中に入には不織布の靴カバーを付けて入るが、なければ裸足ではいる必要があるとか、中は撮影禁止と書いてあったがちらほら撮影した人がいる。見つかると罰金が科されるとか。私は規則を守っていたので内部の写真はない。
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廟の裏にはヤムナー河があり、水鳥やペリカンらしきものが泳いでいた。
 その後アグラ城に向かう。この時も政府の役人の方が付き添ってくれた。パンフレットによると、「この城は第3代皇帝アクバルが8年かけて作った要塞である。外観は重厚感のある赤砂岩だが、城内は白大理石が多く使われており、幾何学的な装飾が施されている。」
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 また建物にはムガール帝国時代金箔を施されていた建物もあったが、Rさんの説明ではイギリスの植民地になったとき剥がされて持ち去られたとか。今でも一部金箔が残っている所もあった。また城壁の小窓からのぞくとタージ・マハールの全景が見えてよかった。
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 ところでアグラ20:25発の今夜の寝台列車が運休の為、現地旅行社が色々検討した結果マトゥラー発23時台の寝台列車を予約できたとRさんから聞く。出発まで時間に余裕が出来たので本場のアユルヴェーダセラピーを受けることにした。額に油を垂らして貰うなど三種類の施術をして貰った。私は初めての経験だったが日本のマッサージの方が私には向いている。その後インド料理のレストランでまたカレー料理の夕食となる。
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 その後アグラから50Kmほどニューデリー寄りのマトゥラー駅に向かう。22時半頃到着し待合室で待つが23時を過ぎ24時を過ぎてもいっこうに列車が来る気配はない。01時頃電光掲示板に遅延とでてくる。結局02時過ぎに列車が来て乗り込む。これからが苦痛の始まりだが続きはPART Wへ

2020年02月21日

初めてのインド旅行 PART U

 ニューデリー駅から朝6:00発の列車でアグラに向かって出発。インドの列車は広軌のため両側3人掛けである。指定席のせいか全席満席である。
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朝食にパンとカレー味のコロッケのような食事を列車内でガイドさんが手配してくれていた。外の風景は霧であまりよく見えなかったが霧の中から太陽が昇ってきて幻想的であった。
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途中、ガイドのRさんから夜寝台列車でバラナシ市へ行くことになっているが霧のため予定列車が運休となるという情報が入ったと聞かされる。じつはこのことが後から大変なことになるとは思いもしなかった。約2時間でムガール帝国の首都でアグラに到着。新たらしいドライバーが韓国製の車で迎えに来てくれていた。駅から駐車場まで歩くが子供達がまとわりついて物乞いをする。
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最初にアグラ郊外のムガール帝国時代の夢の都ファテープル・シークリー(世界遺産)に行く。入場する前にトイレに行くが有料で1人20ルピーを取られる。有料のせいか日本ほど綺麗ではないが用を足すことは出来た。
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駐車場から少し歩いてファテープル・シークリーの門までは専用バスで行くことになっている。バスにおそらくバス会社の名前なのであろうが「SWARAJ MAZDA」と書いてある。「MAZDA」とは日本の自動車会社マツダの英語標記「MAZDA」と同じである。マツダ製のバスではないし、多分ゾロアスター教の主神アフラ・マズダーに由来しているのではないかと思った。
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 ガイドのRさんの説明とパンフレットによればムガール帝国第3代皇帝アクバルがこの地に住む聖者の予言によって男児を授かり首都をこの地に移転した。5年をかけて建設したが水不足と猛暑の影響で14年しか使われず廃墟になった。城壁の中は宮廷地区とモスク地区に区分されているが今回は宮廷地区だけの見学である。宮廷地区には五重塔・謁見殿、宮殿がありいずれも赤砂岩で造られており建物には木彫りのような細かい細工や彫刻がなされている。ひとめ見ただけでは木で出来ているのかと思われ触って石だと納得した。
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40分ほど自由タイムと言われ写真を撮っていたら掃除をしている若者がここで写真を撮るように仕草をするのでそこで写真を撮ったところ指3本を出しチップを要求されるがスルーした。その後ガイドのRさんにつれられて説明を受けながら中を見て歩く。
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 見学後アグラ城、タージ・マハルに向かうが途中昼食のためレストランによる。小綺麗なレストランでダリアの花が咲きそろっていた。部屋でなく外のガーデンで食事になる。
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バイキングタイプの昼食であるが5種類のカレー、野菜、ナン、チャパティなどがおいてある。辛くなさそうなのを選んで食べる。ビールを飲みながらガイドのRさんと少し個人的な話をした。
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彼は現在31歳で妻と1歳の男の子がいるとのこと。14歳の時に父親を亡くし母親に育ててもらった。自分の下に妹と弟がいて気持ちとしては家長のとのこと。弟は現在、日本とインド政府の奨学金をもらい日本で就学しているとのこと。弟のために仕送りをしているとか。弟に送金した送り状の写真を見せてくれた。たいしたものである。続きはPART Vへ


2020年02月19日

初めてのインド旅行 PARTT

 2月7日からインド旅行に出かけた。インドといえば高校の世界史の教科書に載っていたタージ・マハルの写真が強烈でいつも頭の片隅にあった。また大学の美学美術史で仏像の勉強をしたことがある、そのため「螺髪」・「白毫」・「三屈法」などの言葉が頭の隅にあった。インドは初めてだが家内は10年前に一度行ったことがあるが、ガンジス河は観ていないと言うことで意見が一致。
 インドとスリランカに特化した「いい旅」旅行社のホームページから探し出し「タージ・マハルと悠久のガンジス河5日間」というプランを見つけた。このプランは二人から催行とあったので確実行けると思い参加した。最終的には我々二人だけのツアーとなった。
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 成田発のプランであったが、旅行社との交渉で伊丹から乗り継ぎでもOKということで尾道から新幹線で出かけ大坂空港ホテルに前泊する。出発前から路銀を使うと心許なくなるので夕食はホテル近くのコンビニで買った弁当で済ます。翌朝5時起床し6時過ぎにチェックインする。国内線・国際線ともJALだったので荷物はそのままインドまで運んでくれるので乗り継ぎは便利である。
 8時発の飛行機で成田へ、途中雪をかぶった富士山が見えたが、昨年11月19日に観た富士山よりも雪がしっかり積もって非常に綺麗であった。
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成田空港は初めての利用である。国内線到着ゲートから国際線出発ゲートまでかなり距離がありしかもムービングサイドウオークが少ない感じがした。午前11:00無事成田を出発。昼食は日本食でビールとワインを飲んだ。
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10時間半の長丁場の飛行である。お陰で映画を4本観た。日本では2月21日公開予定の最新作「チャーリーズ・エンゼル」や「ターミネーター:ニュー・フェイト」、「スターウォーズ/最後のゼダイ」、中井貴一主演の「記憶にございません!」を観た。1日に4本も映画を観るなど初めてのことだった。西に向かって飛ぶためインディラ・ガンディー国際空港に到着するまで日が暮れ無かった。途中ヒマラヤの山々が見え感動であった。
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 空港にはガイドのRさんが名前を書いた紙を持って迎えに来てくれていた。ホテルに行く前に中華料理の「富士屋レストラン」に寄る。店名が日本語だったのには驚く。インドでは飲食店の従業員さんはほぼ男性とのこと。ガイドのRさんの話によると明日から食事はカレーばっかりになるので今日は中華料理にしたとのこと。
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 その後宿泊するメトロポリタン・ホテルにチェックインした。中々よいホテルであった。ただしバスタブは無くシャワーである。明日は6時の列車なのでロビー5時半集合といわれRさんと別れる。続きはPART Uへ

2020年02月16日

ウオーキング・シューズお疲れ様

 先日広島空港に行った時、たまたま2階の出発ロビーの国内線と国際線との間の厳島陶板画の前で「宇宙展 はやぶさ2」をやっていた。「はやぶさ」と「はやぶさ2」の実寸大模型が展示されていた。「はやぶさ」は格納状態で展示され、「はやぶさ2」はパドル展開状態で展示されていた。
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 かなり大きなものである。しかしこの程度の大きさでよくも2億数千キロ離れた「リュウグウ」まで行って岩石を持ち帰ることに驚きを感じた。以前行方不明になった「はやぶさ」が無事戻ってきて「はやぶさ」本体は燃え尽きながらもカプセルを持ち帰った時も感動し、その様を映画化したものも観た。他にもH−UAロケットの模型も展示されていた。
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 この展示物をみている最中左の靴の裏の感覚がおかしいことに気が付いた。脱いで靴底を見ると靴底がすり切れて穴が開いている。びっくりする。
小学生の頃貧しくて物の無い時代、靴が破れるまで履いていた記憶があるが、近頃ここまで履いたことはない。そこそこのところで廃棄処分していた。しかしこのハイキングシューズはとても履きやすく靴の表面が傷ついて白けたところに黒マジックで塗ったりして使用していたのだがここまでになっているなどついぞ気付か無かった。
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何時からこの靴をはき出したのか思い起こしてみると、2016年6月に履き始めたので3年7ヶ月になる。私は「普段履き」、「よそ行き」と区別しない。冠婚葬祭以外は何処に行くのにもずっと履いていたので海外にも履いていき、イタリア・マレーシア・ベトナム・イギリス・フランス・ハワイと私にお供して大活躍をしたのだと感心した。
すぐにその足でスポーツ店買いに行く。非常に履きやすかったので同じ物を求めた。幸い同じ物が有りホットする。
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 履き倒した靴の裏を見ると左の外側がよくちびており、履き方が均等でない様である。だから穴があいたのかも知れない。ただし私は右足の裏外側に「たこ」が出来ている。本来は右の方が歩き方に無理があるのであろうが「たこ」のお陰で補正され一見正常の様な靴のちび方になっている気がする。
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ウオーキング・シューズさんお疲れ様。これからは新しい靴に助けられ、またあちこち歩き回ろう。

2020年01月26日

2019年から2020年へ

 昨年12月初め頃風邪を引いた。熱は出ないが、鼻水と咳と痰に悩まされていた。特に咳がひどく、私が死ぬときは肺炎で亡くなるのではないかと思う。医者に掛かることが苦手でついつい後回しになる。家内に早く行きなさいと催促されやっと24日に内科を受診する、28日にもお薬をもらう。
 さいだ歯科医院は29日から1月5日までの休暇に入った。出来るだけ家の中でおとなしくしていたら少しずつ快方に向かった。今年は家でのんびり、大晦日の夕刻西の海に沈む太陽を観ながら無事過ごした1年に感謝をした。
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 NHKの紅白歌合戦を観ながら年越しをする。内容、衣装、舞台装置など昔とは随分様変わりしていて私のイメージとは随分違っていた。しかしAIで再現した美空ひばりはかなりのものであった。その後「ゆく年くる年」の場面に変わり各地の除夜の鐘が中継された。私は外に出て近くの除夜の鐘の音を確かめた。4カ所くらいから聞こえてきた。最近新聞やネットのニュースで除夜の鐘が『うるさい』と苦情が出て完全に取り止めたり、お昼や夕方に変更しているところがあるとのこと。昔からの伝統である除夜の鐘が聞けなくなると味気ないが、「寺の街・尾道」ではよもやそのようなことは無いであろう。さらにそのニュースでは運動会の開始を知らせる花火も『うるさい』と苦情が出て多くの学校でとり止めているのだそうだ。私が小学生の頃は花火の音で今日は運動会があるぞと思い嬉しくなっていたのだが、段々味気ない世の中になりつつあるのだろうか?
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 元旦は国旗を出し、近くの海岸で初日の出を観ながら今年1年の安寧を祈願して手を合わせる。おせちとお雑煮で新年を祝う。年賀状が届くが、だしそびれていた4枚を急いで出しにいく。尾道の本局は車の駐車スペースがなく困ったなと思っていたら、何と「年賀状受取隊」と書いた袋を持って職員の方が路上の車まで取りに来てくれ「気をつけてお帰りください」とまで声がけをしてくれ感激である。今年からなのかな?よいアイディアある。
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二男一家は毎年新年の挨拶に来てくれるのだが孫娘がインフルエンザやヘルペスになったので行けないという連絡をもらう。こちらからお年玉を届けにいき、帰りに烏須井神社に寄ったが16時前にもかかわらず参拝客が列をなしていた。まだ風邪気味なので横から手を合わせただけで帰る。
 2日も穏やかなよい天気である。昼から歩いてシネマ尾道に行き「台風家族」を鑑賞。内容はよく分からなかった。とりわけ両親が死んで10年経つというのに白骨死体がばらばらにならないでくっついて川を流れていくシーンは、解剖学教室の骨格標本を使用しているのが見えみえで笑ってしまった。
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先月尾道新聞に千光寺のお城を解体するという記事が載っていたのを思い出し尾道駅前からふと尾道城を見たら何と東側のしゃちほこ瓦が崩れて無くなっていた。これで新聞記事の解体する内容に合点がいった。 
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 3日も引き続き天気がよく穏やかな日差しに誘われ家内と散歩に出かける。5日に新市庁舎のお披露目式があるのだが、その前に外観を見に行こうと新市役所に行ってみる。勿論中には入れないが、職員の方々が出勤され引っ越しをされていた。
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 免震構造で立派な庁舎である。建て替えには賛否両論あったが、これから人口がどんどん減少して行けば新市庁舎どころではないので今建て替えてよかったのではないかと思った。
今日の散歩で9643歩、7.4kmの運動量であった。
 6日間も仕事をしないでいるとそろそろお尻がむずむずしてくる、あと2日休みがあるがどう過ごしたらよいのやら、どうも私は仕事の虫のようである。完全リタイヤー後が怖い。

2020年01月03日

映画「人生をしまう時間」を観て

 先日、来年1月開催の「尾道市北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議」の参加案内が送られてきた。今回は退院時のケアカンファレンスをロールプレーをしながら意見交換をするとの案内であった。そんな折、たまたま映画「人生をしまう時間(とき)」が封切られシネマ尾道に観に行った。
 パンフレットにはNHK BS1スペシャル「在宅死”死に際の医療“200日の記録」に新たなシーンを加え、再編集をほどこした待望の映画化とあった。私は残念ながらNHKの番組は観ていなかったので内容に驚くことが多かった。
さらにパンフレットから引用すると『東大病院の名外科医がたどりついた最後の現場それは「在宅」の終末期医療だった。超高齢化が進み、やがて多死時代を迎える日本。近年、国は医療費抑制のため終末期医療の場所を病院から自宅に移す政策をとってきた。同時に、家族に看取られて、穏やかになくなっていくことを目指す「在宅死」への関心が高まってきている。しかし家族との関係や経済力など事情はそれぞれ。「理想の最後」の厳しい現実が立ちはだかることもある。
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 都会の片隅で、「在宅死」と向き合うベテラン医師がいる。埼玉県新座市の「堀ノ内病院」に勤める小堀鷗一郎医師、80歳。森鴎外の孫で、東大病院の名外科医だった彼がたどりついた最後の現場が在宅の終末期医療だった。患者と家族とともに様々な難問に向き合い、奔走する医師や看護師、ケアマネージャーたち。一人ひとりの人生に終わりに、医療に何ができるのか。映画は、地域の在宅医療に携わる人々の活動に密着し、命の現場を記録した。』
 いくつかのケースが描かれているが、ひとり暮らしの老人のケース、お金に余裕が無く夫がひとりで妻を在宅介護しているケース等。小堀医師は80歳だがミニパジェロを自分で運転しながら各家庭を回る。最近高齢者による事故が多く報道されて免許の自主返還が言われているが、小堀医師から車を取り上げるの酷だなと思った。
 もうひとりの医師・堀越は娘(52歳)が子宮頸がんで母親(77歳)が介護しているケースを受け持っていたが、途中からモルヒネを使用しながら緩和ケアを取り入れ最後は穏やかな顔で逝った話などケアをする母親の苦悩なども映し出されていた。介護する人の大変さもあるが、介護されるひとが感謝しながら生活していく姿に心を打たれる多くの場面があった。
 一番心に残ったのは全盲の娘・広美(47歳)が84歳の末期の肺がんを患う父親を在宅介護するケースであった。全盲でありながらかいがいしく介護をしていた。本来なら施設介護が妥当なのかもしれないが、父親は全盲の娘ことを思って在宅で闘病することを希望した。何回か往診して柿が色づいてきた頃、娘さんから緊急連絡が入り駆けつけた小堀医師は容態を確かめ、娘を父親の枕元に呼び寄せ「手を握ってあげて。やっぱりお父さん、これが最後だね」と、父親の心臓はほとんど止まりかけて微かな呼吸だけが残っていた。小堀医師「広美さんここに来てのどを触ったらわかるよ」、広美「ああ喉仏がちゃんと上下して息しています」「それが止まったらそれが最後だよ」 しばらくして喉の動きが止まり広美さんの手に父がつきたことを告げる。
 この場面を観ながら私は両親の最後を看取った時の状況を思い出した。父親は13年前病院で最後を迎えた。私が駆けつけた時はすでにAEDで救命処置をしてもらっていたが、心臓は心室細動の状態であった。頑張れと声はかけたものの逆に「親父よく頑張った」という思い募り、救命処置をやめてもらう。しばらく心室細動が続き目はわずかに開いて薄目状態であった。私がまぶたを閉じてやると心電図はスーッと横一直線になった。顔は穏やかな顔をしていた。
 母親は9年前に施設で亡くなった。前の晩から泊まり込んでいた家内から電話が入り急行したがすでに意識は無く弱々しい呼吸をしていた。母親の手を握り体をさすったところ閉じた目から涙が一筋こぼれ出た。意識は少しあったのだろうが2時間もしない内に呼吸は完全に止まった。幸いにもわたしは両親の最期の瞬間を見届けることが出来、映画で広美さんが父親の死の瞬間を感じ取った画面と重なっていた。
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 今までは看取る側であったがこれからは看取られる立場になる、終活だと言いながらまだそこへは思い至ってはいない。先月「ACP 人生会議」のポスターが物議をかもし厚労省は配布を取りやめたが、これからは本当に最期をどう過ごしたいのかよくよく考えをまとめなくてはと思う。私だけの問題ではなく同年代全員に関係してくることだと思う。

2019年12月21日

年末詐欺にご用心

 先日、SMBCのカードをだれかに悪用されかけているので取引を遮断した。回復するために、下記のアドレスにアクセスしてパスワードとカードナンバーを登録するように誘ったメールが届く。おかしいと思い削除して放っておいた。5日程経って削除済アイテムに入れていたメールを見ると文章が消えていた。
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左肩のマークをクリックするとGoogle safe Browsingの画面が出てきた。このGoogleセーフブラウジングは、Googleが提供するブラックリストサービスで、マルウエアやフィッシングコンテンツを含むWebリソースURL提供してくれるもので、どうやら間違いなくパスワードやカードナンバーを盗むための詐欺メールであったのであろう。今年は年明けに私がアダルトビデオを見ている映像を私のコンピューターを操作して録画をしている。ばらまかれたくなかったらビットコインで899ドル分を送るようにと言う内容のメールも届いた。その後もほぼ同じ内容で4回くらい届いた。詳細は2月3日のブログに書いた。
 さらに4日程前に家内に重要なお知らせですので必ず開封して下さいという葉書が来た。
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開封してみたところ「未納料金お支払いのお願い」とあって請求内容は『貴殿が以前携帯で利用した有料番組サイト等ご利用料金のお支払いの確認が出来ておりません。本件につきましては債権者様と貴殿との間で締結された電子消費者契約上における契約不履行に抵触したため、弊社が債権者様から債権回収の依頼を正式に受理しましたので、今後弊社がご請求させていただきます。』
法務大臣許可第47 保証協会債権回収株式会社 東京都中央区日本橋浜町3-35-4-6F
お問い合わせは下記電話番号(050−5373−8162)までお願いいたしますと記載されている。通常なら固定電話の番号が記載されるはずだがこの葉書は携帯電話が記載されているので怪しいと思った。
 保証協会債権回収株式会社を検索したところホームページがあり、「2019.12.04 重要 弊社をかたった郵便物にご注意ください」とでていた。なお葉書記載の会社名も住所も正しかった。
「最近、弊社を装った郵便物が送付されたとの連絡がありました。郵便物の中で、「未納料金のお知らせ」として、携帯電話で利用された有料サイトの料金が未納となっている」などとして、問い合わせの電話番号が記載されているものです。
弊社は全国51の信用保証協会の共同出資により設立された会社で、現在信用保証協会が有する求債権以外の受託債権はございません。
万一、不審な郵便物があった場合には、事前に当社窓口までお問い合わせいただくとともに、最寄りの警察署や、消費者センターなどにもご相談いただきますようにお願いいたします。
令和元年12月4日 保証協会債権回収株式会社」とあった。
家内は有料サイトなど身に覚えのないことでありとんでもないと怒っている。
どこからか名前と住所を入手して葉書をよこしたのであろうが、この葉書には「*お客様の個人情報の取り扱いについては、極めて重要な情報資産と認識しており、適法かつ公正な方法で取得を行い、適切に利用、管理、保護させていただきます。」と書いてある。
不正な方法で名前と住所を手に入れているくせに、書いてあることとやっていることが全くチグハグである。さらに御丁寧に「弊社は最近多発している悪質な架空請求業者ではありません。」と書いてある。いかにも本物らしく装っており引っかかる人も出てくるのではないだろうか。
 昨日神奈川県庁のデーターの入っているハードデスクがネットオークションで売られ、そのハードデスクの廃棄を依頼された会社の元従業員が盗んで捕まるという事件があった。このように至るところで個人情報は漏れ出ているのであろう。以前、家内に「消費料金に関する訴訟最終告知のお知らせ」という架空請求の葉書が来たことがある。この件も平成30年3月30日のブログに書いた。
このときと同じ名簿が出回っているのかもしれない。
例えば通販で物を買ったり、キャッシュレスで買い物をするとそれらがビックデーターとなり流出すればいくらでもこのような詐欺葉書が来る。いずれ日本人全てのデーターは誰かに握られてしまうのであろう。私も老人になり引っ掛かり安くなって来ているかもしれない。気をつけなくては。

2019年12月10日

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