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大先生(元院長)のブログ

諺「柿が赤くなれば医者が青くなる」

 カレンダーを見ると10月26日は原子力の日と書いてあるが、この同じ日が「柿の日」だとは知らなかった。由来は明治28年10月26日に正岡子規が奈良を旅したおり、有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の名句読んだ日だとされている。そのせいか毎年「奈良の柿」PRレディーが総理大臣を表敬訪問している。今年も10月15日に表敬訪問があったことが首相官邸メールマガジンに載っていた。(写真はメールマガジンより)
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 私は35年前の11月に現在地に開業した。来院患者は順調に伸びていったが、翌年の7月後半から患者数が減少してきた。8月は暑いので少し涼しくなるまで休むと言われる患者様が多くいらっしゃった。しかし9月の後半になっても回復しない、それどころかさらに落ち込んできた。私の開業した地域は農村地帯で周りにたくさんの田んぼがある。専業農家は少なく大半は兼業農家である。そのため一家のあるじ達は会社から帰るや田んぼに直行し、稲刈り、ハゼ作り、ハゼ掛け、さらに脱穀と大忙しである。とても歯医者に来る時間はないのだと思った。そんなことが毎年繰り返されてきたが、あるとき「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざを知る。当時その本当の意味は知らなかった。まさに私の状況を表した諺だと思って柿が赤くなる時期は稲刈りと重なりどんなにあがいても暇になるのだと悟っていた。
 ところがどっこい恥ずかしいことだがその諺の意味はまるで違っていた。
インターネットで検索したところ『「柿が赤くなると医者が青くなる」ということわざは、柿が赤くなる秋は天候がよいので、体調を崩す人は少なく、医者は商売にならずに青ざめる、という意味で、おそらく、柿の健康効果も手伝って生まれたことわざでしょう。』とあった。また柿の成分を見ると『ビタミンCやビタミンAがミカンの2倍あり柿1個食べると、ビタミンCの1日の摂取基準量を満たすことができます。ビタミンCは風邪の予防や免疫力アップ、美肌の育成・維持などに重要な働きをする栄養素です。さらにまた、血圧を下げる働きのあるカリウムや、コレステロールを下げる働きのある食物繊維も豊富に含まれている。そのほか柿に含まれているタンニンは、二日酔いの予防や緩和にも役立ちます。そして、タンニンには抗酸化作用もあるので、がんなどの抑制効果も期待できます。まさに「医者が青くなる」ほど栄養たっぷりの果物です。』と書いてあり、まさに目からうろこであった。
しかし長い間自分なりの解釈で納得出来ていたのは幸いであった。
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 ところで私の家庭菜園の一角に1本の「次郎柿」の木がある。20数年前に家内が苗木を買ってきて植えたものである。「桃栗3年柿8年」と言われるが植えた苗木は接ぎ木がしてあり、2年目には一個だけ実がなった。初めてのたった一つの柿を当時健在だった広島の両親のところへ持って行ったことが懐かしく感じられる。
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 その後、年を経るに従い少しずつ収穫出来る実の数が増えてきた。今年はかなり多く、コンテナ3個分くらいはあり数えてはないが300個くらいは出来たのではないだろか。尾道や沖縄の孫たちに送ったり、従業員やご近所にお裾分けをした。

2020年10月22日

タイからの嬉しい知らせ

 先日タイにあるドゥアン・プラティープ財団から私が里親になって奨学支援をしているスピー・タキアン君の近況や手紙・成績表などがメールで送られてきた。それによるとこの度、高校を卒業しカンチャナブリ・ラーチャパット大学の1年生になったとのこと。手紙には大学に入るに当たっての彼の意気込みが書かれていた。もっともタイ語のため読むことは出来ないが、財団が日本語に翻訳したものを添付していてくれた。そこには「僕は卒業した時に職業選択がきちんとできるように語学と情報を学びたいと考えています。僕は新しい大学生活に入ることに胸躍らせています。僕は難しくとも楽しんで挑戦し、根気よく勉強して卒業できるようにできる限り頑張ることをお誓いします。」とあった。私は胸がじんと熱くなった。
というのも彼の生い立ちが尋常なもので無いのである。
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 ところでドゥアン・プラティープ財団はバンコクのスラム街クロントイ地区にある。1978年にこのスラム出身のプラティープ・ウンソンタム・秦女史が、自分の経験からスラムに住む子供たちが悲惨な状況下にあり何とか助け出したいとして活動を開始された。現在の日本社会では考えられないことであるが、当時からスラムの子供たちは劣悪な環境下で養育され、やがて麻薬を常用するなどのさまざまな非行問題に引きずりこまれたり、また正規の教育を受ける機会も少ないために、仕事に就くのに十分な学歴が得られず、就職難になりがちであった。
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プラティープ財団のパンフレットによれば、とりわけタイの貧困家庭では、きつい労働と日々の生活費の捻出に精一杯で精神的なゆとりがなく、そのために夫婦が仲たがいしたり、子供の養育が至らなくなるなどの問題が生じています。生活の問題から来るストレスで子供を虐待したり、また違法であっても生活のために我が子を働かせるという状況も出てきます。社会全体に影響を及ぼしている麻薬は、急激な勢いで蔓延しており、若者たちはその犠牲となって始めて、わが身の破滅を知るという状況が起きている。こうした青年たちを立ち直らせ、社会的に自立できるよう教育の機会を提供していくために、プラティープ財団は1986年にチュンポーン県に少年のために、ニューライフプロジェクト「生き直しの学校」をスタートしました。一方少女たちの問題は少年以上に深刻で、近所の人や家族から強姦されたり、虐待されたりといった悲惨な状況下にあっている少女が多く、こうした状況を見かねて、少年たちの施設に続いて、1996年にカンチャナブリ県(映画 戦場に架ける橋の舞台になった場所)に「少女のための生き直しの学校」をスタートした。
ここでの少女たちの1日は、学校に行く子供たちの世話、野菜栽培、養豚、養鶏、調理や裁縫などの職業訓練、食事の準備などである。
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 この施設のこと、ウンソンタム女史の事を20年前の2000年に今は亡き石川洋先生(托鉢者、元、京都一燈園)にお聞きし、子供たちを継続的に奨学支援することにし、毎年いくばくかの奨学金を送っている。
 私が最初支援したB子は当時7歳の女の子であった。財団から送られてきたプロフィールによれば父親は麻薬売買と所持の罪で服役中、母親は麻薬常習者であった。施設に収容されたときは仔細な事で泣くなどなかなかなじめない子であったとの事。毎年学校の成績表や、短い手紙(日本人ボランティアが翻訳)、生活状況などが送られてきて、特に絵を描くことが得意のようであった。私は、いつの日か、彼女がタイ国の未来を背負って活躍することを楽しみにしていた。
しかし2008年6月17日にプラティプ財団からB子が親戚に引き取られ退所したと連絡が来た。両親は麻薬中毒で父親は服役中である。おそらく15歳になった彼女を働かせてお金を得ようとする親戚の魂胆であろう。まともな所で働くのなら良いが、売春宿などで働かされたら、8年間も里親として支援してきた甲斐が無いというものである。財団のほうも随分とそれを心配しているようである。今となっては27歳になったB子が幸せに生きていてくれることを願うだけである。
 その後、私の里親援助は2008年7月から戸籍証明も無く母親の死亡書のみしか持たないスピー・タキアン君7歳に切り替わった。財団から送られてきたプロフィールによれば両親と物乞いをしながら住む場所も一定しない生活をしていた。父親はアルコール中毒で話すこともおぼつかない。母親が死んだ時、たまたま「生き直しの学校」に保護された。毎年送られてくる財団の報告書を見ながら彼が元気にしていることに安堵していた。小学4年生からは自筆の手紙が添えられていた。最もそれ自体は読めないので財団の翻訳を読んでいた。彼からの手紙には前向きな気持ちが綴られていた。「生き直しの学校」で勉学と野菜栽培・養豚・養鶏・アブラヤシの収穫作業などの農業実習、スポーツ、コンピューター学習、学校外教育等をしながら小学校1年から今日まで甘えることなく頑張ったことが大学進学を決意しついに大学に合格したのだと思うと胸が熱くなる。
ちなみにタイの大学進学率は49.3%(2016年)日本の大学進学率は54.6%(2019年)であるが、しかしプラティープ財団「生き直しの学校」から大学へ進学する生徒はほんの僅かのようである。それだけ彼が信念を持って頑張ってきた証と考える。だからこそ彼が将来も頑張って国を引っ張って行きタイ国をより豊かな国にしてもらいた。日本の大学生にも貧困の中、頑張っている学生もいると思うが、TV等で見受ける大半の学生は真剣さが足らない気がする。
 日本にも児童養護施設があり、子供達を保護しているがプラティープ財団の方が子供達の置かれている状況をより深刻にとらえ、そのために自立しやすい実践プログラムを組んでいる感じがする。
 少なくとも彼が大学を卒業するまではもう少し里親を続けさせてもらおうと思っている。

2020年10月08日

今年のシルバーウイーク

 今年のシルバーウイークは20日〜22日の3連休であった。普通ならもう2日くらい休みを取ってどこか旅行に行けたのに、コロナのためにどこにも行けない。それで家庭菜園に力を注ぐことにした。日記風に書くと、
 20日(日):
 あらかじめ9月5日(土)に夏野菜のミニトマトやキュウリを引き抜き野菜用の土地を確保、肥料を入れて耕して少し土地を寝かせておいた。
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本日畑を観ると沢山の雑草の芽が出ている。再度耕運機を使って耕し畝を作る。植えるものとしては、おでん大根、春菊、人参、タマネギ、白菜とした。畝づくりをしてそれぞれの植え方に従って植えた。ただ立つたり座ったりで結構大変、翌日大腿四頭筋などが痛くなった。
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 野良仕事をしていると結構色々の虫を目にする。チョウチョもモンシロチョウ、アゲハチョウ、クロアゲハチョウ、モンキチョウの他ヒョウモンのオレンジ色のチョウ等。その中でアゲハチョウであるが青色の羽根を持っているものが飛んで来たが残念ながら写真は撮れなかった。帰ってインターネットで調べたらどうやらアオスジアゲハのようである。
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 またクロ色のアゲハチョウなのに羽を広げると青色が見えるチョウチョもいた。名前をインターネットで調べるも多くありすぎて確定できない。この畑にこんなにも色々の蝶がやってきていることに驚く。
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 また頭のとんがった10センチほどの大型のバッタを見つけた。この様に大きなバッタは今迄観たことが無く、インターネットで調べると日本で最大のショウリョウバッタのメスであった。
ところでモンシロチョウはアブラナ科が好物のため大根は芽が出るとモンシロチョウの格好の卵の産み付け場所になる。昨年もこれで出てきたばかりの本葉が食べられ、それで人間の手に吹きかける虫除け剤を葉っぱに吹きかけたところ、次の日には全部枯れていて再度植え直しをした経験がある。今年は芽が出たら早めに虫除けネットを張ろうと思う。
ところでこの夏は梅雨明け後、猛暑が続いた為か畑の隅に植えていた「青木」がこの夏の暑さで葉っぱがかなり枯れていてびっくりする。
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 21日(月):
 午前には畑の水まきをしてサツマイモの試し掘りをした。ねっとり系の「紅はるか」を植えているが今年は良い格好の芋が出来ているようである。
その後墓参りに行く。親不孝というか墓石に刻まれた父親の死亡日を観て、今日が父親の月命日だと気が付く。改めてしっかりとお参りした。その後家内の家の墓にもお参りする。
なお収穫した芋を後日や焼き芋で食べたところ、芋が太る時期に雨が降らなかったせいか特徴の一つである「ねっとり」感が少なく「ほかほか」系に近い感じがした。甘さは特に問題ないようであった。
 22日(火):
 畑の水まきをしてから墓所のとなりの山を散策する。いつも墓参りの時、横目で見るだけであったが、昨日新しい駐車場の横に山への登山道が見えたので家内と行ってみることに。
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 ここは高校の同級生のK君達が20年前くらいから山を整備し桜を植えてきて、今は桜山と呼ばれているようだ。桜や銀杏の木が植えられて、萩の花なども有り散歩コースにはもってこいかも知れない。
 三成の町が一望でき、空には筋雲や鱗雲が有り秋を感じさせてくれた。
なお昨日23日昼には大根の芽が発芽した。たった3日で発芽したことに驚く。

2020年09月24日

松岡洋右「興亜の大業」を読んで

 毎年終戦記念日が近づいてくるとTVも新聞もこぞって先の大戦は全て日本が悪かったような報道がされているが、私は何か少し違うような気がしている。それで以前、私は南京大虐殺についてどうだったのか色々の本を読んで巷に言われているように20〜30万人が虐殺されたというのは少し違うのではないかと思った。(H30.1.17投稿の「『南京事件』とは」のブログに記載)
 我々は戦後、東京裁判で全て日本が悪く植民地主義でアジアの国々に攻め込んだとされ、多くの日本国民がそのように思わされ自虐史観に染まっていると思っている。
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政府の広報誌に載った小学生の女の子に正しい答えを教えることが大事なのではと思っている。そんなとき友人から転送された経営科学出版(ライズ・アップ・ジャパン)のメールには次のように記されていた。
『あなたはご存知ですか?
戦後、GHQと日本政府の間で日本の歴史を破壊する密約がこっそりと交わされていたことを... というのも、戦後、GHQが言論統制を行ったことは有名ですが、、その中でも特にGHQが力を入れて取り組んでいたのが、日本政府と交わした「焚書密約」というものでした。その内容は、GHQは自らの思想にそぐわない日本の書物をリスト化して没収し、国民に読ませないようにするというものです。
そして、焚書対象となったのは昭和3〜20(1928〜1945)年に出版された約22万タイトルの刊行物のうち、7769点だったと言われています。この焚書活動は、書店や出版社の差し押さえだけではなく、全国の警察が出動して流通している対象書物はことごとく押収し、輸送中のものであっても奪われました。そして、没収を拒んだ者や没収者に危害を加えようとする者は罰せられるほど徹底的でした。
つまり、GHQにとって不都合な事実や戦前の日本人の考えが記された記録物は現代にほぼ残っていないということです、、、
だから、私たちは歴史を勉強しようと思っても、商業的な本ばっかりをつかまされたりで、、なぜ戦争へと進んでいったのか? 先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか?
いまの日本人に何を残したかったのか? 当時はどんな苦難があったのか?
など肝心なことを知るのが難しくなりました、、 
しかし、今日は1つ朗報があります。実は弊社でGHQによって焚書とされた書籍を手に入れることが出来ました。
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そして、この本の復刻に成功したので、これを記念して、今この文章を読んでくれているあなたに無料でプレゼントしたいと思います!』 とあり早速申し込んで手に入れ読んだ。
 松岡洋右といえば中学の社会科の授業で国際連盟を脱退したときの日本の全権大使で満州事変後のリットン調査団の報告に納得せずに議場から退場したという知識しか無かった。
この復刻された「興亜の大業」という本は昭和16年日米開戦の半年前発表されたもので松岡洋右が外務大臣を解任される直前のものである。開戦のおよそ半年前の状況が克明に描かれている。この本は戦後GHQにより焚書(書物を焼き捨てて、処分していくこと)とされたものである。本の帯には「GHQにとって不都合だった大東亜構想の真実」と書かれている。
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大東亜戦争(太平洋戦争)は何故起こったのかその大義は何だったのか常々疑問に思っていたがこの本にその答えがあったと思う、松岡は「興亜の大業」の意義は神武天皇の建国の御詔勅に現れた、「八紘一宇の御精神の実現である」としている。
本書に目を通すことで…当時の日本がどんな状況でなぜ、戦争へと進んでいったのか?先人たちは日本をどんな風に守りたかったのか?いまの日本人に何を残したかったのか?当時はどんな苦難があったのかを知ることができる。
また本のカバーの裏には
『「今日の白人人種が、アジアの大部分を征服し、現地民をほとんど奴隷化して、支配下に置いている事実を我々はどうして座視しうるであろうか」
松岡洋右は本書で、東亜全体が西洋列強の不当な迫害により、その生存さえも脅かされていると激しく糾弾する。そして、東亜を白人種ブロックから離脱させ、独立興隆せしめんとして「東亜新秩序建設運動」を提唱した。松岡は満州事変を「日本精神の爆発」とさえ呼び、満蒙を生命線とすることで日本の可能性を打開せんとする。本書は、政治家・松岡洋右の覚悟と信念が刻まれた渾身の書である。現代日本人が喪失した「日本精神」が当時の指導者にあり、青年の中にも脈々と流れていることを訴える「檄文」となっている。』とある。
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さらに産経新聞「正論」の元編集長上島嘉郎氏が本の最後に解説文を書いているがその一部が本の帯に転載されている。『「GHQが禁じ、戦後の日本人が自らタブーとしたことは何だったのか」本書は、外交政策を論じたものではなく、日本人(大和民族)の精神のあり方、その世界史的な使命について松岡自身が信ずるところを語ったものです。松岡の時代感覚、言葉遣いに、無関心でなく違和感を抱くことから、松岡と同時代を生きた父祖の思いに繋がる道筋が見えてきます。それが戦後の「閉ざされた言語空間」に一方的に拠るのではなく、戦前の日本人と繋がった上で、自らの言語空間の中で、葛藤を経た結果として出てくるものでなければならない。「興亜の大業」を今日読むことは、歴史認識の問題だけでなく、日本人を日本人たらしめていたものの喪失に否応なく気づかされることです。』とあった。
 今日、昭和22年生まれの私が育った時代とかなり様変わりして何か違った世の中になったと私は感じている。物質的に確かに豊かになったが心は貧しくなっているような気がする。これもGHQによる占領政策の一環として、自国の歴史を否定する教育が行われた結果、民族の誇りが損なわれ日本人の心が無くなったのではないだろうか。
 今、松岡洋右が生きていれば今の日本を観てどのような言を発するで有ろうか?

2020年09月13日

「サギソウ」初見参

 10日ほど前にNHKの広島県ニュースで「せら夢公園」で「サギソウ」が咲いているという映像が流れた。サギソウは図鑑で見たことがあったが実物は見ていなかったので先週の日曜日に家内と出かけた。コロナ騒ぎで3月以降ほとんど出かけることもなく、私自身は自宅と診療室そしてその裏の家庭菜園との往復のみで尾道市から一歩も外に出たことがない。それでドライブかたがた少し遠回りをして行くことにした。12時過ぎに家を出てまず広島空港の横にある広島エアポートホテルで和食ランチを食べる。緊急事態宣言以後外食も一度しただけであった。
 1時間半ほど駐車場に車を止めていたが出発のためエンジンを掛けてびっくり。パネルに表示された温度は46℃である。昔ドバイで夜中の2時頃、飛行機の乗り継ぎのためターミナルからバスで駐機場まで移動したとき外気温が42℃ですごく暑かったのを思い出したが、それよりも暑いのに驚く。最も車の温度センサーは地上30〜40センチ位のところに取り付けてあるので、コンクリートからの輻射熱でこの様にひどい温度になっている。TVニュースで毎日のように熱中症のことが報じられているが最もだと思う。
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 その後空港からフライトロードを経由して「せら夢公園」に行く。近くの「せらワイナリー」に一度来たことがあったがこの公園は初めてである。管理センターらしきものが有りそこで聞くとパンフレットをくれた。かなり広い公園でサギソウは自然観察園の湿原に咲いているとのこと。
行ってみたところ足もとが悪い。何人かが見学されていたがおそらく私たちのようにNHKニュースを観てこられたのではないだろうか?
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花そのものは3センチ角くらいの大きさで小さく可愛らしく、本当にサギが飛んでいる姿に似ていた。その他にもサワギキョウ、カワラナデシコなど何種類かの花が咲いていたが群生していると言うほどではなかった。
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本当の名は知らないが子どもの頃、雌のミドリ銀ヤンマ、雄のアオ銀ヤンマと呼んでいたトンボが「トンボ池」の水面を「すー」と飛んでいた。またキイトトンボ、や蝶も飛んでいたりして自然豊かな感じがした。
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その後管理センターに戻ると交流広場で丁度噴霧水が噴き出していて、子供たちが大騒ぎで遊んでいた。私も中に入ってみたがひんやりとして気持ちが良かった。その他にも「せらミニチュアガーデン」などもあり素晴らしい公園で今度孫達と来ても良いなと思った。

2020年08月23日

「新型コロナ感染関連」院内掲示物

新型コロナにより世界中で経済は停滞、破壊されている。8月11日付けの日本経済新聞一面トップに上場企業純利益36%減、12日のトップには日本小売店来客2ケタ減の文字が躍っていた。新型コロナの為多くの企業の倒産も報道されており日本の経済は大変な苦境に晒されている。
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私たち歯科業界も大変で有る。4月7日に緊急事態宣言が発令され、日本歯科医師会からメンテナンスや簡単な治療など不用・不急の患者の診療を控えるように通達が出された。我が医院でも予約の入っていたメンテナンス患者にキャンセル電話をしたり、受付では患者さんの体調を詳しく問診したり、体温測定を実行し今も継続中である。
それに加えTVのワイドショウ等で今回の新型コロナウイルスは人との接触で感染することから、“歯科は危ない”と大々的に報道されて、かなりの患者さんが来院を控えられ、特に高齢者を中心に歯科に行く事を控える方が増えた。せっかく自分の歯を保つ「8020運動」で健康維持に取り組まれているのに歯科に行かなくなると、口腔機能の低下による慢性疾患の悪化などさまざまな問題が起こります。
「口のことくらい大丈夫だろう」と思わずぜひ歯科に来ていただきたいのです。全国6万9千軒の歯科医院でのクラスターの発生はゼロである。
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そういうこともあって日本歯科医師会や広島県歯科医師会はその後、色々の啓発ポスターを作成し、私の医院でも待合室に張り出している。
ちなみに社会保険診療報酬支払基金発行の「月刊基金8月号」によれば令和2年4月診療分の結果が報告されていた。歯科の件数は前年同月比77.7%、金額は同じく前年同月比87.3%となりかなりのマイナスであった。さいだ歯科医院の場合もう少し数字は悪かった。
緊急事態宣言が5月25日に全面解除されましたがいまだに患者の戻りは少ない。
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特に重症化しやすいのは基礎疾患を持っている方ですが、実は日本で最も多い基礎疾患は「歯周病」で、日本人の8割がかかっています。歯周病ケアは他の疾患を防ぐことにつながります。重症化には炎症に起因するサイトカインストーム(免疫の暴走により正常組織にまでダメージを与えてしまう現象)が関わっていると考えられていますが、ウイルスに感染後、歯周病菌が炎症をより悪化させる可能性があり、今口腔ケアから遠ざかる事はとても危険です。
私の医院でも毎月のメンテナンス実施で何とか口腔機能を維持していた患者さんが来院を控えられた為、この度歯肉が腫れたと訴えて半年振りに来院されるケースがあり憂慮している。
今後高齢者が外出を控える中、口腔機能の低下によるオーラルフレイルの発症から運動機能の低下そして寝たきりになることが感染収束後いっぺんに出てくるのではと懸念している。
この様なことを踏まえ政府は「骨太の方針2020(経済財政運営と改革の基本方針2020)」の中の『「新たな日常」に対応した予防・健康づくり、重症化予防の推進』において歯科の重要性を記載した。「口の中の健康が重要」と国が認識を示したことは我々にとって朗報である。
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これからも「自分で判断せず、かかりつけ歯科医にご相談ください」と言うことを発信していこうと思う。

2020年08月13日

『「自立国家」日本の創り方」を読んで

 この本は7月15日に発売された。著者の北野幸伯氏は卒業生の8割が「外交官」か「諜報員」になるモスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業(政治学修士)し、カスピ海北西岸カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任した異色の経歴を持ち、28年間ロシアで生活し現在は日本に帰国し国際関係アナリストとして活躍中である。
私は彼がロシア居住中に発行していたメルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」を愛読している。
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 本の帯には12年前の予言通りに進む日本! 国民のなかで事態の深刻さに気付いている人は少ない。僕らに必要なのは、今こそアメリカに頼らない勇気だ!とある。
12年前の予言とは2008年9月4日(リーマンショック発生2008年9月15日発生)に出版された『隷属国家日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?』(ダイヤモンド社)がベースになっている。
その本の中で5つの問題@人口問題、A国防と外交、B食糧自給率、C教育の劣化、Dものづくり大国の衰退について日本が「このまま何もしないならば、どんな未来が待ち受けているのか?」という、予言のようなシナリオが書かれていました。
 2008年当時は、まさか!と苦笑が出るようなシナリオでした。どのシナリオの結末も、私たち日本人が望むようなものではありません。シナリオは2050年くらいまで書かれていますが、2020年の今、そのシナリオが大方、現実に向かっているのです。
2008年の予測を検証し新たな提案をしたのが今回の『「自立国家」日本の創り方』である。
 例えば、少子化はもっとも深刻化して昨年は出生した子どもは87万人弱になりました。死亡者数と出生者数の差はマイナス51万人でほぼ鳥取県の人口(約55万5000人)が無くなったことになり、その数は今後さらに増加し、2050年には人口は8000万人台となると言われている。この新刊本ではその解決法としてフランスやロシア等の出生率増加に成功した政策を紹介している。
 また尖閣問題から日中対立が激化することや、ここ数年で日本が中国寄りになることなどを2008年に予測していたがドンピシャであった。
最近は中国公船が100日以上連続で接続水域に侵入し、日本漁船を追い回すなどの事例が発生している。
 また覇権国家アメリカの没落と中国の台頭について予測していたがまさにそのとおりとなっている。日本人の多くは戦争と言えば鉄炮でドンパチするのが戦争と思っているが、アメリカと中国どちらも核兵器を持っているのでそのような戦争は起こりにくく、むしろ貿易戦、サイバー戦、情報戦、金融戦として現在米中覇権戦争が勃発している。
最近もアメリカと中国がそれぞれ相手国にある総領事館の閉鎖を命じ、まさに国交断絶が目の前に迫っている。
 私は食糧自給率の問題が気になった。食料自給率、米・仏・独では100%前後、英でも60%だが日本はたったの37%・・・特に世界に拡がったコロナ禍、アフリカトビバッタの異常繁殖、中国の長雨や気候変動などにより食料生産が世界中で急速に減少している。しかも地球上では毎年8000万人の人口増加があり、食料が少なくなればどの国も自国民ファーストで他国への食料輸出を控えることになる。もし輸入が止められたら、日本人は餓死することになる。何とかお米の自給率は100%にしなくてはならない。
 彼が未来のことを正確に予測できることは彼が手に入れる情報ピラミッドが多岐にわたることである。つまりこの世の中にはいくつかの情報ピラミッドがある。米英ピラミッド、欧州ピラミッド、中国ピラミッド、イスラムピラミッド、ロシアピラミッド等々がある。ピラミッドが違うと、同じ事件に対する見解が全く異なる。日本は米英情報ピラミッドの下流にある。日本にはもちろん報道の自由はあるがその解釈はどうしても米英ピラミッドの外に出ることは無い。言い換えればロシアピラミッドは世界を支配する米英のネガティブ面について報道規制が全く無い。彼は自然と多角的に物事を見るようになり「政治経済というのは、案外因果関係がはっきりしている」ということに気付いたからである。
 この本には日本が100年後も繁栄する国にするための「発想の転換」や「提案」が多く書かれており、本当は国・地方の公務員、国会議員を始め政治家の人々、学校の先生方に是非読んで貰いたいとおもう。

2020年07月26日

心は日本晴れ

 世の中コロナ・コロナで大変。緊急事態宣言が解除されたとは言え、いまだに感染が続き毎日感染者数が発表され今日は東京で100人超えとのこと。さらに梅雨期と重なり大雨の予報がでたりして心は折れてしまう。そんな中、6月11日に三原医師会病院でPET―CT検査を受けた。PET―CTは全身(一部適さない部位もある)の癌の発生を発見するのに役立つのだが、昨年は家内が「毎年PET―CT検査を受けると放射線のために身体に悪いのでは」と言うので検査をしなかった。
 しかし今年は家内の忠告を無視して受け、結果が17日に来た。そしたら思わぬことに『胸部下部食道に局所集積があります。CTでは特記所見はないが内視鏡等で病変有無をご検討下さい。またその他の部位については悪性を疑う異常集積は指摘できません、さらに脳粗大病変は指摘できません』と放射線専門医のコメント。
 総合判定は『判定基準Aの正常からFの治療継続までの6段階のうち5番目のE判定で精密検査を要する、至急胃カメラ検査を受けるように』とあった。ついに癌になったのかと思う。
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毎年8月に人間ドックで胃カメラ検査をしているので今年も8月まで検査を延ばしても良いか三原医師会病院の担当医に電話をしたところ、もしも悪性であったらまずいので出来るだけ早急に受けた方が良いとアドバイスを受け、すぐその場で予約をお願いし6月30日に予約が取れた。
昨年の胃カメラでは問題なかったのに、やはりPET―CTを受けなかったのがまずかったのかと思ったりした。検査までの2週間出来るだけ明るく振る舞うが、ひょっとしたらとかすかに頭の隅に不安がよぎる。
 以前何かの本で読んだことがあるが「人間は生まれる前、魂は白髪の老人から行き先と死ぬ時期を教えられてこの世に出てきているのだとか、ただほとんどの人が覚えていないらしい。しかし中には4〜5歳くらいまで生前の自分のことを覚えている。例えばNHK教育TVの英語の放送をいとも簡単に理解するので両親が不思議に思いその子に聞いたら生まれる前はアメリカ人に住んでいて英語を話していたので理解できる」と答えた話を読んだことがある。 輪廻転生は本当なのか?
そうなると自分の寿命は世の中のお役に立てなくなった時に帰還命令が出るのか? それとも、もう少し世の為にしなければならない使命が残っているのだろか? 今迄考えたことも、思いもしなかったことが頭をよぎる。
 癌であればいつまで生きられるのか、癌のステージによっては手術が必要なのか?それで完治できるのか等色々のことが頭に浮かんでくる。それでも死ぬときは潔く死ななくてはと妙に冷めた気持ちになる。
 胃カメラをする当日も家内や従業員に「癌の宣告を受けてくるから」と明るく笑いながら話して出かけた。
胃カメラの結果は特に悪性を示す所見もなく、組織検査もなかった。食道下部にはわずかな逆流性食道炎が見られるが、薬を飲むほどでもないしまた胃の中も問題ないと説明を受ける。心の中で「ヤッター」と叫ぶ。顔がほころんできたのを自覚した。
心の中はあっという間に日本晴れ。夜はワインで一人乾杯をした。

2020年07月03日

じゃが芋の収穫

 昨日中国地方も梅雨入りとなり早速雨に見舞われる。これから1ヶ月以上雨の季節で湿気などに悩まされるし集中豪雨の心配もある。今年はそれに加えてコロナ禍で世の中大変。仕事柄マスク着用しているが外出時つい忘れて仕舞う。鞄の中や車の中にいくつか入れて何とか対応している。TVニュースなどでも夏場のマスクが熱中症を引き起こすのではないかと危惧する報道がなされている。心配である。
 ところで今年から農作業をしたことをノートに書き留めて記録に残すようにした。こうしておけば来年の農作業に役に立つ物と思っている。
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 そのノートに寄れば3月15日に作付けをしたじゃが芋は、「とうや」という品種16個を半分にして32個を植え付けていた。またアンデス赤は21個購入しそれは丸ごと植え、種屋さんがおまけでお試しにくれた「シャドークイーン」という種芋3個を半分にして6個植えた。このシャドークイーンは外皮が濃いこげ茶色で中身は紫色で初めて見たじゃが芋であった。
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 2週間程でアンデスとシャドークイーンの芽が出てきた。とうやは3〜4日遅れて出てきた。何分素人なのでただ順調に育っているのを見ていたが、たまたま5月9日に来院された患者さんが「先生、じゃが芋はよく育っているようだが芽かきをしたのか」と問われ、してないと答えると「それはいけん、芋が小さくなるよ」といわれ翌10日に早速、芽かきをしたが、どのようにしたら良いのやら分からず「仕舞った聞いておけば良かった」と思ったが後の祭り、それで適当にしておいた。
 梅雨が近づいてきたので4日に「とうや」を収穫し、7日に「アンデス赤」と「シャドークイーン」を収穫した。「とうや」はそこそこ大きな芋もあったが「アンデス赤」は小ぶりで、「シャドークイーン」は中間ぐらいの大きさに育っていた。いまから思えば種付き時期をもう少し早くして芽かきの時期をもう4週間くらい前にしておけば良かったのかなと反省する。しっかりノートに書き留めておこう。
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それにしても1つの種芋で8個くらいは出来るので数だけ見ればすごい見返りと思う。ただし肥料代や私の労力代を計算に入れると全くペイしないのであろう。でも自然の風に吹かれ、太陽の日差しの中、鳥の声などを聞きながら汗を流し時間が過ごせることは本当に幸せと感じることが出来る。
収穫した芋は尾道や沖縄の孫達に「じいちゃんが作ったじゃが芋だ」と言って少しばかり
送った。
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 また今年はジャンボニンニクも植えてみたが結構良く育って収穫できた。
いま畑ではキュウリ、茄子が少し収穫できるようになりベビートマトも色づいてはない
が、かなり実を付けてきている。
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サツマイモもだいぶ葉っぱが出てきた。また患者さんから頂いたジャンボピーナツや新種のキュー(Q)ナツもどうにか根付いたしオクラも少し大きくなってきている。
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ただこれからは雑草との戦いが始まるが、畑仕事にはマスクが要らないので、助かる。
熱中症にならないように気をつけてこれからも趣味としての農作業をしよう。

2020年06月12日

致知別冊「母」VOL.2を読んで

 令和元年6月に『致知別冊『母』―子育てのための人間学』が発刊され、今年4月にVOL.2が発刊された。
VOL.1の巻頭に『母』――発刊に寄せてと題する編集長の藤尾佳子氏の一文があるがその書き出しは
[どんなに時代が変化しようとも、絶対に変わらない不変の真理は、世の中にあるだろうか?
めまぐるしく変わる時代の変化を見ていると、絶対不変の真理などないように思えるが、弊社刊『小さな人生論○4』の中に、絶対不変の法則は四つあるとか書かれている。
「人間は必ず死ぬ」と言うこと。「自分の人生は自分しか生きられない」ということ。「人生は一回限りである」ということ。「この悠久の宇宙の中で、自分という人間は過去にも未来にも一人しかいない」ということ。そしてもう一つ心に留めておきたい法則。
それは、「子は母から生まれてくる」ということ――これも絶対に変わらない不変の真理ではないだろうか。]とある。だからこそこの本『母』には母親としての心構えや、母と子どもの絆に焦点を当て育児・子育てなどで悩む人達への指針となる内容が編集されている。
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「母と子の幸せな人生のために」を核としてVOL.2も素晴らしい内容である。
 最初の記事は「一流の選手の親が語るいかに子供の力を伸ばすか」と題して水泳選手池江璃香子の母親池江美由紀氏と女子テニス杉山愛選手の母親杉山芙佐子氏との対談であった。
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どのように育てればあのような素晴らしいアスリートが出来るのか興味を持って読んだ。その中で璃香子さんの母親は「躾の原則は親が主導権を持つこと」、「家庭の中で「敬」を大事にしなさいと目上の人を敬うこと」つまり「長幼序」を大切にしてきた。それ故「水泳なんかいつ辞めたっていい。技術があって速く泳げることより、人間性が何より大事だから」と璃香子にはしょっちゅう話してきたとある。また杉山愛選手の母親は「子供が大人になった時、自分の頭で判断し、楽しく幸せな生活をしていけるか見据えながら、いま目の前の子供と向き合っていくことが大事です」述べている。いずれも人格教育を大事にしてきたのだなと思った。
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 また「僕を換えてくれた母の生き方」と題して、ものまねタレント・コロッケこと滝川広志の手記があった。彼の家の柱には母の字で「あせるな」「おこるな」「いばるな」「くさるな」「まけるな」と書いた紙が貼られていた。彼はその頭文字を横に読んで「あおいくま」と読んでいたが母親からこの言葉だけは覚えておきなさい。これを覚えておけば大丈夫だと教えて貰った。19歳で母親の反対を押し切って東京に出たが、芸能界への道は中々開けず悶々としているとき、いつも「あおいくま」の言葉が頭に浮かんでいたとのこと。何とか芸能界に入り昭和62年の「ものまね王座決定戦」で優勝してからコロッケという名前を認識して貰うようになったとのこと。「あおいくま」という言葉をあるときまで他の誰かを対象として考えていたが、それは全て他人ではなく自分自身に向けての戒めの言葉と気づく。40年の芸能生活で色々の人を見てきた。有頂天になっていつの間にか凋落していく人、威張って人を見下し皆から嫌われる人、人によって態度を変える人。人の足を平気で引っ張る人。ともすれば、そういう風潮に流されがちな芸能界にあって僕が「相手が一番、自分は二番」と素直に思うことが出来たのは「あおいくま」のおかげ。母の教えは僕の気ままな生き方を大きく変えたと綴ってあった。下積みの時も母親から教えて貰った言葉を肌身離さず頑張った彼もすごいと思ったが母の教えはそれ以上に素晴らしいものだと思った。
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 『「お母さんの言葉が」こどもの可能性をグングン引き出す』と題した学習コンサルタントステージメソッド塾代表の西角けい子氏の記事も素晴らしかった。「子どものやる気をはぐくむ言葉とつみとる言葉の違い」や「叱り方のコツ」などが書いてあった。子育て真っ最中のお母様方には是非読んでもらいたい内容である。
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 次に唯一母親でなく父親に焦点を当てた「父親の第一の仕事は妻を笑顔にすること」と題して「花まる学習会代表」高濱正伸氏の手記が目にとまる。子育てをほとんど妻に丸投げしていた私にとって耳の痛いことが書いてあった。
今の家庭の九割が何らかの問題を抱えている。核家族、共働き世帯が増え、皆仕事で忙しく、そもそも時間的にも精神的にも家族と関わることが困難になっている。妻や子どもと上手く関係がつくれず、家庭に自分の居場所がない、家に帰るのが億劫になる「帰宅拒否症候群」に陥る父親が増えているとのこと。そうした父親不在の家庭で、子どもを育てている母親もまた非常に孤独な状態にある。日本では、昔から子育ては地域社会が協力して行っていました。子育て経験に乏しい若い母親でも周りの人達が支え、「その辛さ、分かるわ」と共感してくれたことで、すーっと不安やストレスが解消されていた。しかし、いまは仕事で父親もいない、核家族化で祖父母もいない、隣にどんな人が住んでいるかも分からない、自分も働きに出なくてはならない社会環境になり、家庭で一人りきりの母親が真面目に頑張って子育てをしようとすればするほど、精神的に追い込まれてしまっている。ここに現代の子どもを取り巻く問題の根っこがあると分析されている。日々仕事に追われる父親はいくら家事・育児を手伝いたいという思いがあっても、余裕のないのが現実である。それならば家庭での父親の最も重要な仕事は、中途半端に家事・育児を手伝うことではなく、あくまで「妻を笑顔にすること」だと筆者は説く。そのために大事なのは、夫婦関係を恋愛の延長で捉えたり、家庭を安らぎの場であると認識することを思い切ってやめ、夫婦関係や家庭を日々働いている職場と同様の“戦場”であると捉え、子どもの将来のために「妻を本気で笑顔にするんだ」「俺は妻のためならなんでもできる」と覚悟を決めること、これが安定した幸せな家庭を築く第一歩だと記している。さらに父親が出来る家庭での大事な役割・仕事は、忙しい中でも時間が許す限り子どもと向き合って遊んであげることだと、そして夫婦で心を合わせて幸せな家庭を作ることそのためには父親が覚悟を持って家庭に向き合わなければ、母親の笑顔も子どもの幸せも実現出来ないと記してあった。全く同感である。
この記事を読みながら、私の来し方を省み、今更ながら家内の頑張りと努力に頭が下がり自分の傲慢さに恐れ入るばかりであった。これからは償いの意味を込めて少しでも家内を喜ばすように努力をしていこう。
紹介出来なかった他の記事も全て内容が素晴らしく母親の偉大さ、子どもとの絆、子育てへの覚悟などがひしひしと伝わってきて感動であった。
 子育て中のお母様、子育てを終えて方でも、お孫さんたちと向きあったりするときのヒントがいっぱい有り是非とも読まれることをお勧めします。

2020年05月24日

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