月別アーカイブ
2025年05月(1)
2025年04月(1)
2025年03月(2)
2025年02月(1)
2025年01月(3)
2024年12月(1)
2024年11月(2)
2024年10月(2)
2024年09月(2)
2024年08月(2)
2024年07月(3)
2024年06月(5)
2024年05月(2)
2024年04月(1)
2024年03月(2)
2024年02月(3)
2024年01月(2)
2023年12月(1)
2023年11月(6)
2023年10月(3)
2023年09月(2)
2023年08月(2)
2023年07月(3)
2023年06月(2)
2023年05月(2)
2023年04月(2)
2023年03月(2)
2023年02月(8)
2023年01月(2)
2022年12月(1)
2022年11月(2)
2022年10月(1)
2022年09月(2)
2022年08月(2)
2022年07月(1)
2022年06月(2)
2022年05月(3)
2022年04月(3)
2022年03月(2)
2022年02月(2)
2022年01月(3)
2021年12月(1)
2021年11月(2)
2021年10月(3)
2021年09月(3)
2021年08月(2)
2021年07月(3)
2021年06月(2)
2021年05月(1)
2021年04月(2)
2021年03月(2)
2021年02月(2)
2021年01月(4)
2020年12月(2)
2020年11月(2)
2020年10月(2)
2020年09月(2)
2020年08月(2)
2020年07月(2)
2020年06月(1)
2020年05月(2)
2020年04月(1)
2020年03月(2)
2020年02月(7)
2020年01月(2)
2019年12月(2)
2019年11月(6)
2019年10月(3)
2019年09月(3)
2019年08月(7)
2019年07月(2)
2019年06月(3)
2019年05月(3)
2019年04月(4)
2019年03月(2)
2019年02月(3)
2019年01月(6)
2018年12月(2)
2018年11月(3)
2018年10月(2)
2018年09月(2)
2018年08月(2)
2018年07月(2)
2018年06月(2)
2018年05月(2)
2018年04月(4)
2018年03月(4)
2018年02月(2)
2018年01月(2)
2017年12月(3)
2017年11月(2)
2017年10月(3)
2017年09月(3)
2017年08月(4)
2017年07月(4)
2017年06月(5)
2017年05月(3)
2017年04月(2)
2017年03月(4)
2017年02月(3)
2017年01月(6)
2016年12月(3)
2016年11月(2)
2016年10月(2)
2016年09月(3)
2016年08月(11)
2016年07月(1)
2016年06月(3)
2016年05月(2)
2016年04月(2)
2016年03月(2)
2016年02月(2)
2016年01月(2)
2015年12月(3)
2015年11月(4)
2015年10月(5)
2015年09月(2)
2015年08月(5)
2015年07月(2)
2015年06月(5)
2015年05月(3)
2015年04月(2)
2015年03月(4)
2015年02月(1)
2015年01月(3)
2014年12月(2)
2014年11月(4)
2014年10月(4)
2014年09月(5)
2014年08月(3)
2014年07月(4)
2014年06月(2)
2014年05月(4)
2014年04月(5)
2014年03月(4)
2014年02月(3)
2014年01月(3)
2013年12月(5)
2013年11月(4)
2013年10月(5)
2013年09月(3)
2013年08月(7)
2013年07月(4)
2013年06月(4)
2013年05月(4)
2013年04月(4)
2013年03月(5)
2013年02月(4)
2013年01月(10)
2012年12月(3)
2012年11月(5)
2012年10月(4)
2012年09月(4)
2012年08月(7)
2012年07月(6)
2012年06月(4)
2012年05月(4)
2012年04月(3)
2012年03月(4)
2012年02月(3)
2012年01月(4)
2011年12月(4)
2011年11月(7)
2011年10月(4)
2011年09月(5)
2011年08月(8)
2011年07月(3)
2011年06月(4)
2011年05月(5)
2011年04月(4)
2011年03月(4)
2011年02月(5)
最近の記事
05/05 今年のGWと憲法記念日
04/10 満開の桜見物と五十三次版画鑑賞
03/24 院展観賞
03/09 令和6年度北部圏域ネットワーク(医療・介護連携)会議
02/11 建国記念の日に思う
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

懐かしき茨戸漕艇場

 昨年9月に北海道医療大学歯学部同窓会の財務担当副会長を拝命した。先日14日に理事会があり出席。当日、札幌は寒く2時過ぎホテルにチェックインした時の気温は10℃であった。ホテルの窓から見た山の上にはまだ雪が残っていた。
 IMG_0573.jpg-1.jpg   IMG_0576.jpg-1.jpg
 財務担当として予算の状況を見るとかなり厳しい状態が起きている。と言うのも、同窓会費の払い込みをする卒業生は1期〜10期生ぐらいまでは90%程度であるが、最近の卒業生は帰属意識が少なく、ここ10年くらい各期とも50%前後で推移している。しかも最近、入学する学生は定員割れを起こしており、卒業生そのものが少なく同窓会・会費収入が激減している。このままでは近い将来同窓会活動が制限されそうである。要は歯科医師国家試験の合格率を上げ定員まで入学者を増やす以外に道はなさそうである。
 IMG_0571.jpg-1.jpg   IMG_0865.jpg-1.jpg
 翌日は千歳市で開業している同級生のU君が迎えに来てくれ9ヶ月ぶりに会う。近況を語り合う。彼も早、還暦を迎えたとか。
彼の車に乗って動き出した。どうやら石狩街道を走っているのでひょっとしたら茨戸(バラト)に向かっているのかと聴くとそうだという。茨戸漕艇場は青春の詰まった思いでの場所である。
  IMG_0593.jpg-1.jpg   IMG_0598.jpg-1.jpg
 私は40年前1978年(昭和53年)に現在の北海道医療大学歯学部に1期生として入学した。大学教養部は道東の音別町に有り、大学の廻りはほとんど人家は無く原野の拡がる場所で有った。同級生達と話してボート部を立ち上げたが漕ぐべきボートは無く、来る日も来る日も柔軟体操や、ランニングで過ごしていた。2年生になって部員がアルバイトなどをして資金を貯め、白糠町の造船所で国内唯一のFRP(グラスファイバー)製のボート作って貰い校内の沼で進水式をして漕いだ、しかし船は重すぎて喫水が深く思うように進まなかった、
 3年生からは専門課程が石狩郡当別町に移り、札幌漕艇協会のボートを借りて茨戸で始めて本物のボートを漕いだ。朝練や夕練を毎日のようにした。特に6月から7月、朝練をやっていると「カッコウ」が鳴き、鏡のような水面をスーとボートが進む様は素晴らしい物であった。また夏休みには北海道大学漕艇部の宿泊所を借りて1週間ほど合宿もした。結局試合に出たのは「札幌市民レガッタ」に3年生の時と4年生の時だけであった。結果は予選落ちであった。5年生になったとき大学が初めて予算を付けてくれて舵付シェルフォアを一槽買って貰い進水式と初乗りを茨戸でやった。
 IMG_0601.jpg-1.jpg   IMG_0607.jpg-1.jpg
 そんな草創期を経て今では茨戸に医療大学の合宿の出来る研修センター(艇庫)まで建築され素晴らしい環境になっていたのに驚く。艇庫の中には6槽の艇が保管されていた。
 IMG_0603.jpg-1.jpg   IMG_0618.jpg-1.jpg
当日残念ながら我が後輩達はまだ来ていなかったが北海道大学や小樽商科大学の漕艇部の人たちが漕いでいるのをしばらく見ながら38年前の光景を思い出していた。
 空港までU君に送っ て貰い、空港でラーメンを一緒に食べて別れた。
 IMG_0664.jpg-1.jpg IMG_0635.jpg-1.jpg IMG_0636.jpg-1.jpg
 私の手元に「北海道医療大学ボート部創部15周年記念誌」(1994年・北海道医療大学ボート部OB・OG会編)が有り、帰宅して引っ張り出し読み返してみた。色々の情景がリアルに走馬燈のように巡ってきて38年前にタイムスリップした感あり。U君に感謝である。
 それにしても3月11日に長野県上田市、3月27日に沖縄、そしてこの4月14日に北海道とずいぶん日本列島を移動したものである。老体はくたびれた。

2018年04月19日

沖縄の孫達 PART U

 翌日は息子の嫁が運転して、一番下の4歳の孫息子も連れて沖縄市にある「沖縄こどもの国」に行き象やキリンを見たり、乗り物に乗ったりと孫達は大喜びである。
 IMG_0457.jpg-1.jpg   IMG_0396.jpg-1.jpg


 IMG_0411.jpg-1.jpg   IMG_0446.jpg-1.jpg
 途中普天間の近くを通って行くが、かって米軍人の住宅があった「キャンプ瑞慶覧西普天間住宅地」の広大な土地が日本側に返還され整地が行われていた。まだその跡地利用は決まっていないとか
 IMG_0391.jpg-1.jpg   IMG_0393.jpg-1.jpg
 最近は観光客の多くがレンタカーを利用するが、慣れない道路などのため事故をおこすことが 多いとのこと。レンタカーの後ろに「外国の方が運転中・急ブレーキ注意!」のステッカーが張ってあり日本人ドライバーが気を付けるようになっている。
 IMG_0394-2.jpg  IMG_0460.jpg-1.jpg
 4歳の孫息子は「やんちゃ」でほんとに大変。嫁は歯科医であるため息子と一緒に仕事をしながら4人の子育てで大変だし良くやっていると思う。
 「イオンモール沖縄ライカム」で昼食をしたが、そこにおもちゃの「トイザらス」が出店をしている。孫息子はそこに行くと言って大騒ぎ。家には多くのおもちゃも有り、もうそれ以上は必要ないと思い無視して帰る。孫息子は正確に発音できなくて「トリザらスへ行くトリザらスへ行く」と大泣きをしながら訴えていた。それで私が「好きなだけいくら泣いても良いし、大声を出しても良いよ」と言ったら今までこのような対応をされたことが無かったのか、しばらく黙り込んでしまい、どう対応したらいいか考えてまた少し泣いたが、そのうち諦めて寝てしまう。ホテルに送って貰い少し休息をした。
 夕方息子の家で食事をしたがその時は「トリザらス」を忘れてけろっとしていた。この日も結局息子は帰宅が遅くこの旅行の間で10分ほどしか口をきくことは無かった。
 IMG_0472.jpg-1.jpg   IMG_0481.jpg-1.jpg


 IMG_0491.jpg-1.jpg   IMG_0484.jpg-1.jpg
 翌30日、帰る飛行機は15:45分発で午前中、時間的余裕があり、昨日のメンバーで沖縄市立「壺屋焼物博物館」見学して沖縄の焼物の歴史を学んだ。
そして孫達はシーサーの絵付けを体験して楽しんでいた。
 今回は目一杯孫達と遊べて良かった。この次に会うときはそれぞれが更に成長しているのだろう楽しみだ。
只、沖縄から風邪を持って帰って1週間以上大変だった。

2018年04月10日

沖縄の孫達 PARTT

 一番上の孫娘がこの春から中学生になるというのでお祝を兼ね、先日孫達の春休みを利用して会いに行く。沖縄にいるためおいそれと簡単に会うことが叶わない。年二回ぐらい会えるのが関の山である。3月27日火曜日に出かけた。
 広島市上空を飛んでいるとき、太田川の流れや広島城のお堀などがしっかり見えた。
 IMG_0235.jpg-1.jpg   IMG_0246.jpg-1.jpg
 ところでこの日は天皇・皇后陛下の沖縄訪問と重なり、しかも到着時間もほぼ同じ時間帯であったせいか、空港にも多くの警官などが配置されていた。夕方ホテルの窓から下の道路を見ていると、沿道に日の丸を持った人たちが歓迎のため集まっていて、その前を菊の御紋の付いた赤い旗をつけた天皇・皇后両陛下の乗られた黒塗りの車が通過するのを見ることが出来た。沖縄でも多くの人が天皇・皇后両陛下を歓迎されている様を見てホットした。
 IMG_0250.jpg-1.jpg   IMG_0373.jpg-1.jpg
 翌日ジャンボタクシーをお願いし孫娘3人と一緒に観光に出かける、まず沖縄世界文化遺産の一つである「斎場御嶽(せーふぁうたき)」に行く。ここは琉球開びゃく伝説にも現れる琉球王国最高の聖地である。
 IMG_0276.jpg-1.jpg   IMG_0290.jpg-1.jpg   
家内は膝の手術をして4ヶ月になるが何とかゆっくりと歩いて見学できた。
ジャンボタクシーの運転手さんが観光案内もしてくれるので良かった。
  IMG_0299.jpg-1.jpg   IMG_0317.jpg-1.jpg
 その後グラスボートに乗って珊瑚礁に住み付いている魚を見学した。船着き場のそばの島も珊瑚礁で出来ており浸食されて奇怪な形状をしている。また砂浜には沢山の珊瑚のかけらが有り孫娘達は拾い集めて楽しんでいた。
海の水が綺麗で色とりどりの魚が見えて孫達も大歓声。
  IMG_0367.jpg-1.jpg   IMG_0343.jpg-1.jpg
 昼食後「おきなわワールド」に行く。そこに30万年の年月をかけて創られた「玉泉洞」と呼ばれる鍾乳洞を見学した。沖縄は珊瑚礁が多くあるため鍾乳洞が出来たのであろう、現在公開されている規模では山口県の秋芳洞には及ばないと思った。普通なら孫達は学童保育や塾などで大変なのだろうが今日一日は思い切り楽しんでいるようであった。それにしても台湾、中国、韓国などの観光客が溢れており、案内パンフレットも中国語・韓国語は2列、英語、日本語は1列でいかに中国・韓国が多い事か。しかも彼らは声高で話すので聞いていると頭が痛くなる。
 IMG_0360.jpg-1.jpg   IMG_0366.jpg-1.jpg
 その後、躍動感あふれる勇壮な伝統芸能「エイサー」も見学。家内は足が悪く杖を付いているので身体障害者用の前の席で見学できた。続きはPART Uへ

2018年04月08日

架空請求振り込み詐欺からのハガキ

 先日、家内宛に「消費料金に関する訴訟最終告知のお知らせ」と題する葉書が来た。家内は怪しいと思い直ぐに尾道警察署に持って行ったところ、警察の方が言われるには「最近、尾道にもこの手の葉書が良く来ている」とのこと。家内が「葉書に書いてある電話番号に警察に行ったら詐欺の葉書だと言っているがどうなのかと電話して見ようと思う」と言ったところ、警察の人は「電話は絶対にしないように、無視しておいてください」とのことで有った。
      IMG_20180324_0001.jpg-1.jpg
 私はその話を聞いて早速、インターネットで葉書に書いてある差出人の「法務省管理支局」を検索したところ、1ページ目の一番上に「法務省の名前等を不正に使用した架空請求により被害が発生しています」との項目があった。そこでクリックしたら詳しい内容が出てきた。
転記すると
 『平成29年5月以降,「少額消費料金未納に関する訴訟最終告知のお知らせ」,「総合消費料金に関する訴訟最終告知のお知らせ」などと題し,「裁判取り下げの相談に乗る」等と書かれたはがきが送付されているとの情報が法務省に多数寄せられており,実際に多額の金銭的被害も発生しております。
差出人は,「法務省管轄支局 国民訴訟通達センター」,「法務省管轄支局 民事訴訟管理センター」,「法務省管轄支局 民間訴訟告知管理センター」,「法務省管轄支局 国民訴訟お客様管理センター」などと記載されていますが,これらの団体と法務省とは一切関係がありません。
文面は,財産の差し押さえを強制的に執行する等と不安をあおり,本人からの連絡を求める内容になっており,書かれている電話番号に連絡をすると,弁護士等の紹介費用と称し,収納代行サービスやプリペイドカード等を利用させて金銭をだまし取るといった手口が報告されています。
 なお,はがきの裏面には,文面が見えないようにシールが貼付されている場合もあります。
 対処方法としては,はがきに書かれている電話番号等には「絶対に連絡しない」ようにし,「相手にしない」ことが大切です。それでも,不安に感じる場合には,お住まいの自治体の消費生活センターや警察等に御相談ください。』 とあった。
      001250518.png-1.png
また添付された画像はまさに家内のところに送られてきたものにほぼ合致する。
また別のページでは数百万円も支払った被害者もいるとの記述もあった。
 それにしても住所も名前もぴったりである。何処かで個人情報が漏れていることは間違いない。私達のように老人のところに送ってきているとすれば、年齢もばれているのであろう。本などをインターネットで購入し、カード決済で支払いをしているので、ひょっとしたらカードの番号まで漏れているのかも知れない。
 そういえば最近「日本年金機構」が受給者のデータ入力を日本企業に委託したところ、その会社が更に中国の業者へ再委託していることが明るみに出た。これなどは個人ナンバーまでが中国側に流出する可能性が有る。もし本当に流出してしまえばデータ情報を得た者が年金振込先変更届を出す可能性もある。そうなれば私達の口座には年金が振り込まれず、彼らに年金をかすめ取られてしまう懸念もある。個人情報の流出には大いに気をつけるべきである。

2018年03月25日

水の力で走る車

 翌日、温泉に入り朝食、記念写真撮影後、次回の再会を約し同期会は散会。
  IMG_0124.jpg-1.jpg   IMG_0160.jpg-1.jpg
私は上田市にある創世ワールド株式会社と同じ敷地内にある子会社の深井総研株式会社を見学に行く。実は「さいだ歯科医院」は平成9年9月から「創世水製造装置」を導入し利用している。この「創世水」はまろやかで口当たりが良く美味しく患者さんにも好評である。また洗浄性も優れている。しかもこの水は腐敗しないので長期保存用に優れていると言われている。
  IMG_0157.jpg-1.jpg   IMG_0153.jpg-1.jpg
 深井総研は2007年7月からこの浄水装置を改良して製造した水50%と燃料油50%を混合させて燃焼させるSFW(創世フューエルウォーター)システム研究を行い2014年6月に開発している。訪問すると営業・設計担当のNさんが色々と説明してくれた。
 その後創世フューエルウォーターで走る車で上田市内千曲川沿いをドライブに連れて行って貰い体験させて貰った。
私が乗った車は俳優の千葉真一氏が乗っていたトヨタの「センチュリー」で千葉氏自身が研究のために提供してくれたとのこと。千葉という名にちなんでナンバープレートは1008(千の葉)となっておりユーモアを感じた。
乗り心地は良く、加速などもすごく滑らかであった。元々この車の燃費は2〜3q/ℓ位しか走らないが高速道走行だと10q/ℓ位まで伸びるとか。
 深井総研のパンフレットに車の走行実験データが書いてあった。
テスト条件は
@ローラーを利用しての時速60q運転、
A流量センサーを使って200ccの消費時間計測 
B 排ガスの計測 
Cノッキングの遅角量の測定
駆動部のタイヤをローラー上で駆動させ、60km速度を維持し続けるとエンジン回転数は1,500rpmに達します。
まずはガソリンのみの結果では200cc の消費時間は128秒。排ガスはCO₂が13.57%、NOxは457ppm 。
次にガソリン+SFWの結果では200cc の消費時間は311秒、CO₂は11.06%、NOxは46ppm。
比較すると、燃料は58.4%、 CO₂は18%、NOxは90%超の削減になるとあった。
  IMG_0144.jpg-1.jpg   IMG_0136.jpg-1.jpg
これらのデーターを見る限り燃料の削減もさることながら環境に優しいことが判る。
ドライブの途中「創世水」を使用して打った10割そばを提供しているお店に行って見たが「本日定休日」の札。このお店は民宿もしておりその民宿がユニークである。店主があの狩人のヒット曲「あずさ2号」で有名な「あずさ号」の先頭車両を購入しそれを民宿としていた。定休日だったがご主人にお願いして中を見せて貰う。
  IMG_0147.jpg-1.jpg   IMG_0150.jpg-1.jpg
深井総研に戻り、ディーゼル発電機のSFWでの運転状況も見学させて貰った。この実験でもA重油の消費量を44.88%削減できているとのこと。素晴らしいと思った。
           IMG_0166.jpg-1.jpg
その後12:39上田発の「あさま616号」で帰路につく。

2018年03月15日

平成30年「日研71同期会」

 私は47年前の1971年4月に日立製作所に入社し日立研究所配属となった。この時配属された同期は45名であったが私は7年で会社を辞め歯科医を目指した。他にも途中退社をした人、他の工場や研究所に移動になった人、グループ会社に転属になった人、大学の教授になった人などいて、定年まで日立研究所で勤務した人はいない。しかし同期の結束が強く今では「日研71同期会」として毎年同期会が開催されている。
  IMG_0061.jpg-1.jpg   IMG_0073.jpg-1.jpg
 10年前に初参加し今回が3回目の出席となった。前回5年前と同じく長野県上田市郊外の別所温泉「玉屋旅館」で開催。ここは同期のY君の実家である。3月11日16時までに集合と言うことで新尾道駅を7時10分の新幹線で出発、福山で「のぞみ」に乗り換え東京、そしてまた新幹線を乗り継いで上田へと向かった。確か5年前は長野新幹線と言っていたのだが東京駅の案内には長野新幹線という名前は無く北陸新幹線とある。当時の車両は山陽・東海道新幹線に比べれば非常にぼろの車両だったと記憶している。それがあまりにも綺麗になっていて驚く、まさか長野新幹線が長野から金沢まで延伸され名前も北陸新幹線となっていたとは知らなかった。
  IMG_0068.jpg-1.jpg   IMG_0076.jpg-1.jpg


 IMG_0094.jpg-1.jpg   IMG_0090.jpg-1.jpg
 今年は日本全体が寒く雪も多く降ったと報道されていたが当地についてびっくりほとんど雪はなく高い山の頂上付近に少し残っているだけであった。上田からさらに上田電鉄別所線に乗って終点まで行く。15時過ぎには全員が集合、と言っても今回は8人だけである。もう少し参加予定の人がいたが都合がつかず不参加となった様だ。それでも特許部のO君とは40年ぶりの再会である。
 IMG_0104.jpg-1.jpg   IMG_0110.jpg-1.jpg
 天気も良く、暖かいので別所温泉の古刹巡りをする。前回は自分で見て廻ったが今回は地元出身のY君の案内でラッキーである。いずれも鎌倉時代頃からの古刹で、北向き観音堂、愛染カツラの木、曹洞宗・安楽寺の国宝八角三重塔、天台宗・常楽寺の石造多宝塔等を見て回る。また別所温泉巡りの一つ「真田幸村の隠し湯」も外から見た。Y君の話によると2年前NHK大河ドラマで「真田丸」が放映されたときはずいぶんと賑わったが放送終了とともに観光客が一気に減少し、最近3軒の温泉旅館が倒産したとのこと。古い温泉郷ではあるが中々経営していくのは大変なようだ。幸いY君の実家の「玉屋旅館」は繁盛しているとのこと。5時ころ旅館に帰ってきて部屋割りをして宿の温泉につかる。お湯は単純硫黄泉でありとても気持ち良い。
  IMG_0114.jpg-1.jpg   IMG_0120.jpg-1.jpg
 風呂から上がり宴会となる。近況を語り合うが色々と楽しい話ができた。全員が違った部門でのエキスパートで今でも専門分野を生かしたアルバイトなどで活躍しておりその話を聞くだけでも驚くばかりである。
宴会後は部屋に戻って12時頃までみんなで話し込む。特に当日は3月11日 東日本大震災7周年であり当時の話をいっぱい聞いた。私はTVの報道しか知らないが、皆は体験者でありあまりにもリアルすぎた。
「地震後、建屋には入れず寒空の中、夕方まで会社の正門前で待機させられ、作業服のまま5時間以上懸けて自宅にたどり着いた」、「1週間水や電気が来なかった」、「自衛隊が給水車をだしてくれて有り難かった」、「水洗トイレが使えなくなると思って地震直後にスコップで庭にトイレ用の穴を掘った」、「小学校のプールの水を汲みに行って水洗トイレの水にした」「実家が津波で流された」など色々当時の苦労話を聴いた。同期は全員命には別状無かった、良かった。

2018年03月15日

畑仕事開始

 3月になりついこの前までの寒さが嘘のように暖かく春らしくなってきた。冬の間、畑仕事は休んでいたが、なんとなく気が騒ぎ、早く畑をしなくてはと思って先日堆肥を農協で買ってきて畑に耕耘機で鋤きこんだ。そして種屋でじゃがいもの種芋を買って来て植えた。
 IMG_9201.jpg-1.jpg   IMG_0006.jpg-1.jpg
 それと同時に九条ネギの株分けして植え替える。収穫が楽しみである。現在畑は大根の収穫が終わった。今年は大根が結構大きく育ち、うちのスタッフにもお裾分けが出来た。しかも寒さや大雪の関係で大根の値段が高かったので元は取れたのでは無いだろうか?
 IMG_9206.jpg-1.jpg   IMG_9212.jpg-1.jpg
 今現在、畑には秋に植えた人参とゴボウ、不断草が有るが今年の寒さは異常でゴボウは冬の初め頃有った葉っぱは全部枯れ、最近新たな葉っぱが芽吹いてきている。人参の葉も濃い緑色になり地面にへばりついている。また不断草も何株かは枯れてしまったよほど今年の寒さがひどかったので有ろう。
 IMG_9223.jpg-1.jpg   IMG_9209.jpg-1.jpg
 ところで最近ネットで「主要作物種子法」の廃止が4月に迫っているとあった。
(http://kokocara.pal-system.co.jp/2017/05/29/seed-yoshiaki-nisikawa/)
そういえば最近の野菜などで種の自家採取が出来なくなっているものがあると聞いたことがある。これは遺伝子組み換えにより優れた野菜が出来るがその種を採取して植えても優れた野菜は出来ないのだそうだ。そのため毎年種屋さんから種を購入する必要がある。
 主要作物種子法は昭和27年に制定され、稲、麦、大豆の種子の開発や生産・普及を都道府県に義務づけている。戦後の食料が不足し十分に食べれない時代、冷害に強かったり気候風土に見合う食味の良いものを各都道府県の農業試験場が品種改良を行い推奨することで食糧増産を目指してきた。食糧としての重要性や、野菜などと違い短期間での種子の開発・普及が困難であることなどのため制定されたという経緯がある。私自身はこの法律があることも知らなかった。
 米に関しては農林1号が昭和6年につくられそれが改良され農林100号が現在「コシヒカリ」と言われている。
 確かに制度発足から半世紀以上が経過し、米の消費量減少、減反政策、農業人口の減少など食料・農業をめぐる状況が変化したとはいえ、稲などの品種の開発・普及に公的機関が責任を負うことで優良品種を安定して供給するという大事な役割は今日でも変わらないと思う。
          IMG_0013.jpg-1.jpg
 しかし法律が廃止されると種苗会社によって除草剤に強い米などが遺伝子操作で作られる可能性がある。かって20年程前、「環境ホルモン」と言う言葉が騒がれた。当時、翔泳社刊 シーア・コルボーン他2名著の「奪われし未来」と言う本を読んで戦慄が走ったことがある。環境ホルモンとしてはダイオキシン、PCB・マラチオンなど100種類近く有ると言われているが、農業分野では遺伝子組み換え野菜にランドアップ除草剤を撒くと雑草だけが枯れてしまうので農家の除草作業が手間いらずになるともてはやされていた。今でもホームセンターなどでは売られているが撒かれた除草剤が雨水で流され、川や海に流れ込み魚が汚染されその魚を食べることで人間に害を及ぼすなど人類の生存を脅かすと当時は言われていた。現在は改良されているのかも知れない。
 今現在アメリカから輸入される家畜用の大豆は遺伝子操作で作られているものが大半である。米・小麦にはまだ遺伝子組み換えされたものは日本で栽培されていないが「主要作物種子法」の廃止により将来遺伝子組み替えの米・麦が栽培されるようになることも考えられる。時代の流れとしてそれもやむを得ないのかも知れないが出来るだけ避けて通ることが出来れば良いのだが。

2018年03月04日

西部邁著「国民の道徳」を読んで

 西部邁氏が多摩川に入水自殺(自裁死)して1ヶ月が経つ。その死をTVニュースで知ったときは驚いた。彼が保守の言論人であったことは知っていた。平成12年に産経新聞社から発刊された「国民の道徳」という初版本を購入して持っていたが、内容がとても難解でしかも673ページの大作のため最初の方を少し読んだだけで、書棚で埃をかぶっていた。
 この度TVニュースに接して新たに読み始めた。内容などは相変わらず私の頭では中々理解できないしろ物であり、まさに倫理学の本を読んでいる感じがする。大学教養部時代「倫理学」の単位は取ったが判定は「良」であった。その程度なので読んでいてもただ単に字面を追うだけの感がある。
    IMG_9187.jpg-1.jpg   IMG_9184.jpg-1.jpg
 彼は保守とは言われているが決して政治的な右翼・左翼の範疇に入るイデオロギー的保守ではない。大東亜・太平洋戦争の後、戦後民主主義が勃興しアメリカニズムが入り込み古い物を捨て去るのが良しとする進歩主義がもてはやされ、さらにグローバリズムが拍車をかけ、日本の伝統・国民の歴史・国民の道徳などが否定され、国家への愛着が廃れていくのに我慢がならずこの本を書いたのではないかと思う。
 構成は1歴史、2戦後、3政治、4文化、5経済、6社会の6章31節に分けて書かれておりそれぞれの分野での現状分析と今後の推移を推論している。17年前に起きていたこと、これから起こるであろう事などを書いている。
 『文明没落の兆候が我が国においておびただしく観察される。家庭の崩壊、学級の崩壊、学級の混乱、少年犯罪の増大、少女の風紀紊乱、青少年の学力低下、国民の勤労意欲の減退、役人における綱紀の乱れ、知識人の芸能人化、政治家の腐敗あるいは経営者の活力低下などの形で、文明衰微の兆候が次第にあらわになりつつ有る』と警告していたが、まさにその様になっている。現在の状態を見れば氏の眼力の正確さに驚くばかりで有る。
 本の中に用語の解説が書いてあったが「市民」とは『人間の内面で、社会の中で他人とかかわりながら、もっぱら「私」の利益を主張し、「私」の利益を追求し、「私」の欲望を満たそうとする側面。』と有った。これを今流行の「○○反対市民の会」等に当てはめると住民エゴそのものではないかと感じた。たとえば某市においてゴミ処理能力が限界に達し焼却場を早急に建設しなければいけない場合、建設予定地が発表されればすぐさま反対、それでいて代案もなくただ反対という場合などに当てはまる。
 また「他人に迷惑をかけないように」と言う教えは大事で有るが遊興費を稼ごうとする少女達の援助交際に対してそれを咎める場合、彼女たちの「他人に迷惑をかけているわけではないのだから、何をやっても咎められるいわれはない」という言い分を、的確に咎めることのできる道徳論が現代社会に有っては準備されていない、そればかりか道徳論はその種の男女の心に届かないので無効だとのたまう知識人がいると批判をしている。
 家庭での躾け特に「公徳」「公共」に対するもの、「恥の文化」についての「常識」や「良識」などを教えなくなっている事も問題視している。
  IMG_9173.jpg-1.jpg   IMG_9174.jpg-1.jpg
そのようなことも有ってか2022年度入学の高校生から「公共」という科目が導入される。
西部氏が心配していた道徳の衰退に少しでも歯止めがかけられるので有ろうか?
 ところで現在、平昌で冬季オリンピックが開かれているが、日本選手の活躍に国民が一喜一憂しており、会場では日の丸を持って応援し、1位になれば君が代が吹奏される。平成11年に「国旗・国歌法」が出来るまで、日教組は反対し、学校の卒業式・入学式ではトラブルが相次ぎ、ここ尾道でも自殺に追い込まれた校長先生もいた。この「国旗・国歌」についても西部氏は深く憂慮していた。その当時「日の丸、君が代」に反対した人たちは現在のオリンピックで興奮している人々をどのように評価するので有ろうか?
さらに西部氏はマスメディアが、みずからを「社会の木鐸」とか「言論の公器」と言いながら「世論を自分たちの方へ誘導する報道に終始している」として、痛烈な批判をしており今やマスメディアは第一権力になっているとしている。TV・新聞での報道を見る限りまさにその通りだと思う事は多い。
   IMG_9143.jpg-1.jpg   IMG_9142.jpg-1.jpg
 ところで西部氏は入水自殺をされたが、この本の最後の31節に「死生観が道徳を鍛える」と題して書いておられる。「死」というものは誰しも避けて通れない問題で有り、私も70歳を越え死は確実に忍び寄ってきていると思われる。「死」というものは医科の先生ほど身近では無いが、それでも永年通院して頂いていた患者様や訪問診療をしている患者様がお亡くなりになったとお聞きすればそれだけ一般の人より死を意識せざるを得ない。
 本の中で「自分の死は自分で決める」と述べており入水自殺は「自裁死」であり、17年以上前から真剣に死について考えた結論を実行したまでのことであろう。それは次の文からも明らかで有る。『精神的に見て、ここで自分の生命をおえさせるのが「良い」と判断したときに、自死を選ぶ、それが精神の安楽と尊厳を保つ死に方であり、しかも物理的厄介をあまりかけない自死の形が好ましい』とある。また『後悔の念を出来るだけ少なくするためには、自分の心身の最終点で有る死について、納得できる形で死を選び取ること、それへ向けて自分の生を追い込んでいくことが必要で有る』としている。さらに伴侶がいる間の自死は伴侶を納得させるもので無ければならないとし、重要なのは意図的な自死で有り、衝動的な自死では無いとしている。8年間介護された奥様を2014年に亡くされ、自らの体調・年齢を考え長年真剣に命と向き合ってきたからこそ「自裁」したので有ろう。「命つきればあの世行き」などの浅はかな考えしか持ち合わせない私にとっては驚くべき事であり、これからの生き方を真剣に考えなくてはならないと思った。
 いずれにしてもこの本を読んだ者として最近の日本国の状態には「公」が希薄化し「私」が全面に押し出されグローバル化がさらに推し進められれば日本国そのものが消滅するのではないかと憂うるばかりである。

2018年02月22日

昭和・平成の御代

 2月になったのでカレンダーをめくってふと思った。そういえば一昨年8月に天皇陛下がお言葉を発せられて以後、御譲位についての議論がなされ、1年3ヶ月後の来年4月30日をもって平成の御代が終わることになっている。
新聞やTV等では「生前退位」という言葉で報道されていたが、ネット上では 「退位」という言葉そのものが不適切である。次のお世継ぎが決まらないときは「退位」と言うが、日本では次は皇太子殿下と決まっているので「譲位」が正しい言葉だといった意見が飛び交っている。しかも生前という言葉は通常死んだ人に対して「○○さんは生前こうだった」と言う様な使い方をするので不謹慎だという意見もある。私にはよくは判らないが少なくとも昨年12月23日の陛下のお誕生日のお言葉では陛下自身が「譲位」と述べられていた。
 それは兎も角として、私は昭和22年生まれで昭和の時代を41年間、平成の時代を29年過ごしてきてどちらにインパクトがあったのかと考えてみた。
    IMG_9159.jpg-1.jpg  IMG_9168.jpg-1.jpg
 なお新聞のコピーは昨年浜ランドマークタワーで手に入れた私の誕生日の読売新聞の一面で有る。
世間では昭和は戦争の時代だったという評価もあるが、私は戦後生まれ戦争のことは何も知らないが、記憶としては貧乏であったことだけはよく覚えている。服や靴下についても継ぎはぎしたものを当たり前のように着ていたし、我家ではお米は内地米が買えず中学1年生まで細長い外米で有った。便所で大便してお尻を拭くときは新聞紙をA4サイズに切ったものを「くちゃくちゃ」揉んで使用していた。化学肥料が手に入らなかった当時は畑のそばに肥え溜があり、お百姓さんは肥料とするために各家庭から集めた糞尿を肥溜めに貯蔵し熟成させた後、野菜などの肥料としていた。そのため、野菜の根元などには多くの新聞紙が残っていた事からも日本中でそのような状態であったのであろう。
 その後、新聞紙から灰色の落とし紙に変わりそして今時のトイレットペーパーに変わったのは昭和40年頃だった気がする。しかも今のトイレットペーパーは2枚重ねの柔らかペーパーで贅沢な限りで有る。今の若い人たちに新聞紙でお尻を拭きなさいと言ってもとても実践は出来ないであろう。
IMG_9165.jpg-1.jpg IMG_9164.jpg-1.jpg
 上記の写真は読売新聞社編「目で見る昭和全史」の中の昭和22年のページで有る。
 そんな貧しい時代で有ったが、時間の流れはかなり緩やかで、流行歌のメロディーもゆったりしている。今時のようなアップテンポでビートのきいた曲やラップなどを聴くと、とても私はついて行けない。塾通いも無く近所の大きい子も小さい子も取り混ぜて一緒に遊びに夢中なれた。大学生、就職、結婚、子供が生まれ自分の生活がどんどん新しく更新されて行き生活が少しづっ良くなっていった記憶がある。人生を季節にたとえれば春から夏の終わりぐらいまでが昭和の時代で有った気がする。この年齢になるとすごく懐かしさがわいてくる。
それに比べると平成は阪神淡路大震災・東日本大震災・熊本地震等災害が目立っている。
      IMG_9162.jpg-1.jpg
私自身に限れば平成の御代が始まったのは開業して4年目「さいだ歯科医院」を倒産させないように経営をいかに安定させ家族を養っていくかに心血を注いでいた。その為かのんびりしたという感じは無く常に追い立てられていた気がする。生活の中にパソコンが入り込み、メールでやりとりが出来るようになり生活は確かに便利にスピーディーになった気がするが、何か心に余裕がない。ノスタルジアを含めて昭和と平成を比べると昭和に軍配が上がる。今年中には平成の次の年号が発表されるが次の御代が良い時代で有ることを願うばかりで有る。

2018年02月01日

「南京事件」とは何?

 昨年1月頃ビジネスホテルのアパホテルに南京事件否定の本が客室にあると中国人観光客が騒ぎ出し、中国政府まで問題にした事件があった。折しも2017年12月13日は旧日本軍が中国の首都・南京を陥落させてちょうど80年であった。そのようなことも有って1年かけて南京事件に関する本11冊を読破した。
 私が高校で習った日本史の教科書には「南京事件」の記載は無かった。最も高校の授業では、世界史は昭和の初めまで、日本史は明治時代の途中で尻切れトンボになりほとんど現代史は習わなかった。そのせいか広大入試で中華人民共和国の成立年を問う問題があったが不正解であった事を今でもはっきりと覚えている。
その後、いつの頃か「南京大虐殺」などの言葉を耳にし、事件があった、無かったの論争を知るようになった。そこで実際のところどうなのかと思い、この度たくさんある本から適当に拾い出しアマゾンで注文して読んだ。
  IMG_9153.jpg-1.jpg 
 北村稔『「南京事件」の探求』の中に『虐殺派・・・第二次世界大戦後の南京と東京の軍事裁判の判決に準拠して「南京事件」を告発する人』、『まぼろし派・・・南京と東京の軍事裁判の不当性を主張し、これらの裁判の判決文に描かれるような南京での「大虐殺」の不在を主張する人』、『中間派・・・必ずしも「虐殺派」か「まぼろし派」に区別出来ない人』と分類しこれらの人々の間で議論百出していると書いてあった。
 南京事件では東京裁判の判決が重要である。しかし此の裁判は戦勝国が敗戦国日本を裁いたもので、日本側が提出した証拠書類の多くが不採用となった。
ところが東中野修道『南京事件・・・国民党極秘文章から読み解く』を読んでみると驚くべき事実が書いてあった。特にマンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員であったティンパリー記者が執筆し、1938年7月に出版された「戦争とは何か」という本は中華民国の対敵宣伝本で、彼自身は国民党中央宣伝部の顧問であり日本を貶めるために書かれた本であることが10数年前に明らかになった。また東京裁判に出廷し、第三者的立場で証言したマイナー・ベイツ教授は「戦争とは何か」に書いてある通りの証言をし、その内容が証拠として採用されたが、彼もまた実は国民政府の顧問であった事がわかり、その証言の信憑性も怪しいと思われる。その他にも国民党は世界に向けて日本の非道を宣伝するために、多数の欧米人に本を書かせ日本の非道を訴えさせた。今もそうだが、当時の日本は情報戦で完全に負けていたのだと思う。
 今の日本は三審制で地方裁判所の判決が不服なら高裁、さらに最高裁へと上告できるが東京裁判は一審性の為新しい事実がわかってもやり直しがきかない。
また東京裁判ではA級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(通常の戦争犯罪)C級戦犯(人道に対する罪)として3種類に分けて裁かれた。日本人の多くがA級は一番罪が重く、次がB級だと考えている人が多いいようだが、A・B・Cは罪の軽重では無く、罪の種類を表す記号にすぎない。
ここで一番問題視されることは事後法と言って、東京裁判をするために急遽新たな法律が作られA級と、C級戦犯の考えが付加された。この法律は簡単に言ってみれば読者のみなさんが交通違反をして警察に捕まったところ、今日から交通違反者は死刑という新たに法律が定められたと告げられ死刑にされることと同じである。これに反対したのがインドの代表パール博士である。
 日本で南京事件が多くの国民に知れ渡ったのは朝日新聞記者本多勝一氏の「中国の旅」(昭和46年刊)という今では噴飯物の本がきっかけだったとネット上などに出ている。彼は中国に取材に行ったが全く裏を取らないで中国共産党に紹介された人々の話をそのまま載せたとか、写真も提供された物を載せ後になって間違いを認めたなどとネットに出ている。
このあたりの朝日新聞のやり方はまさに現在問題になっている慰安婦問題と同じやり口だったと思う。吉田清治氏が捏造して書いた記事で「日本軍の強制連行」が一人歩きし、今や世界中で「性奴隷」として広まっている。この件に関して朝日新聞は数年前に謝罪したが後の祭りである。
 南京事件については読者がそれぞれ「有る」・「無し」を判断すれば良いことで私自身は11冊の本を読んだが、戦争中のことで有り、書いてあるような殺人、強姦、略奪、放火が無かったとは言えないが、20万人、30万人もの人が虐殺されたというのは少し違うのでは無いだろうかと思った。いずれにしても今まで素通りしていた現代史を少しかじれて良い勉強をさせてもらったと思う。

2018年01月17日

HOME院長ブログ治療の流れ院内案内診療案内予防歯科3DS母子感染ホワイトニングインプラントスポーツマウスガード
患者様の声料金表院内販売グッズ スタッフ紹介スタッフ募集アクセス院長紹介お問い合わせ治療写真集取り組み