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大先生(元院長)のブログ

平成30年「日研71同期会」

 私は47年前の1971年4月に日立製作所に入社し日立研究所配属となった。この時配属された同期は45名であったが私は7年で会社を辞め歯科医を目指した。他にも途中退社をした人、他の工場や研究所に移動になった人、グループ会社に転属になった人、大学の教授になった人などいて、定年まで日立研究所で勤務した人はいない。しかし同期の結束が強く今では「日研71同期会」として毎年同期会が開催されている。
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 10年前に初参加し今回が3回目の出席となった。前回5年前と同じく長野県上田市郊外の別所温泉「玉屋旅館」で開催。ここは同期のY君の実家である。3月11日16時までに集合と言うことで新尾道駅を7時10分の新幹線で出発、福山で「のぞみ」に乗り換え東京、そしてまた新幹線を乗り継いで上田へと向かった。確か5年前は長野新幹線と言っていたのだが東京駅の案内には長野新幹線という名前は無く北陸新幹線とある。当時の車両は山陽・東海道新幹線に比べれば非常にぼろの車両だったと記憶している。それがあまりにも綺麗になっていて驚く、まさか長野新幹線が長野から金沢まで延伸され名前も北陸新幹線となっていたとは知らなかった。
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 今年は日本全体が寒く雪も多く降ったと報道されていたが当地についてびっくりほとんど雪はなく高い山の頂上付近に少し残っているだけであった。上田からさらに上田電鉄別所線に乗って終点まで行く。15時過ぎには全員が集合、と言っても今回は8人だけである。もう少し参加予定の人がいたが都合がつかず不参加となった様だ。それでも特許部のO君とは40年ぶりの再会である。
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 天気も良く、暖かいので別所温泉の古刹巡りをする。前回は自分で見て廻ったが今回は地元出身のY君の案内でラッキーである。いずれも鎌倉時代頃からの古刹で、北向き観音堂、愛染カツラの木、曹洞宗・安楽寺の国宝八角三重塔、天台宗・常楽寺の石造多宝塔等を見て回る。また別所温泉巡りの一つ「真田幸村の隠し湯」も外から見た。Y君の話によると2年前NHK大河ドラマで「真田丸」が放映されたときはずいぶんと賑わったが放送終了とともに観光客が一気に減少し、最近3軒の温泉旅館が倒産したとのこと。古い温泉郷ではあるが中々経営していくのは大変なようだ。幸いY君の実家の「玉屋旅館」は繁盛しているとのこと。5時ころ旅館に帰ってきて部屋割りをして宿の温泉につかる。お湯は単純硫黄泉でありとても気持ち良い。
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 風呂から上がり宴会となる。近況を語り合うが色々と楽しい話ができた。全員が違った部門でのエキスパートで今でも専門分野を生かしたアルバイトなどで活躍しておりその話を聞くだけでも驚くばかりである。
宴会後は部屋に戻って12時頃までみんなで話し込む。特に当日は3月11日 東日本大震災7周年であり当時の話をいっぱい聞いた。私はTVの報道しか知らないが、皆は体験者でありあまりにもリアルすぎた。
「地震後、建屋には入れず寒空の中、夕方まで会社の正門前で待機させられ、作業服のまま5時間以上懸けて自宅にたどり着いた」、「1週間水や電気が来なかった」、「自衛隊が給水車をだしてくれて有り難かった」、「水洗トイレが使えなくなると思って地震直後にスコップで庭にトイレ用の穴を掘った」、「小学校のプールの水を汲みに行って水洗トイレの水にした」「実家が津波で流された」など色々当時の苦労話を聴いた。同期は全員命には別状無かった、良かった。

2018年03月15日

畑仕事開始

 3月になりついこの前までの寒さが嘘のように暖かく春らしくなってきた。冬の間、畑仕事は休んでいたが、なんとなく気が騒ぎ、早く畑をしなくてはと思って先日堆肥を農協で買ってきて畑に耕耘機で鋤きこんだ。そして種屋でじゃがいもの種芋を買って来て植えた。
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 それと同時に九条ネギの株分けして植え替える。収穫が楽しみである。現在畑は大根の収穫が終わった。今年は大根が結構大きく育ち、うちのスタッフにもお裾分けが出来た。しかも寒さや大雪の関係で大根の値段が高かったので元は取れたのでは無いだろうか?
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 今現在、畑には秋に植えた人参とゴボウ、不断草が有るが今年の寒さは異常でゴボウは冬の初め頃有った葉っぱは全部枯れ、最近新たな葉っぱが芽吹いてきている。人参の葉も濃い緑色になり地面にへばりついている。また不断草も何株かは枯れてしまったよほど今年の寒さがひどかったので有ろう。
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 ところで最近ネットで「主要作物種子法」の廃止が4月に迫っているとあった。
(http://kokocara.pal-system.co.jp/2017/05/29/seed-yoshiaki-nisikawa/)
そういえば最近の野菜などで種の自家採取が出来なくなっているものがあると聞いたことがある。これは遺伝子組み換えにより優れた野菜が出来るがその種を採取して植えても優れた野菜は出来ないのだそうだ。そのため毎年種屋さんから種を購入する必要がある。
 主要作物種子法は昭和27年に制定され、稲、麦、大豆の種子の開発や生産・普及を都道府県に義務づけている。戦後の食料が不足し十分に食べれない時代、冷害に強かったり気候風土に見合う食味の良いものを各都道府県の農業試験場が品種改良を行い推奨することで食糧増産を目指してきた。食糧としての重要性や、野菜などと違い短期間での種子の開発・普及が困難であることなどのため制定されたという経緯がある。私自身はこの法律があることも知らなかった。
 米に関しては農林1号が昭和6年につくられそれが改良され農林100号が現在「コシヒカリ」と言われている。
 確かに制度発足から半世紀以上が経過し、米の消費量減少、減反政策、農業人口の減少など食料・農業をめぐる状況が変化したとはいえ、稲などの品種の開発・普及に公的機関が責任を負うことで優良品種を安定して供給するという大事な役割は今日でも変わらないと思う。
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 しかし法律が廃止されると種苗会社によって除草剤に強い米などが遺伝子操作で作られる可能性がある。かって20年程前、「環境ホルモン」と言う言葉が騒がれた。当時、翔泳社刊 シーア・コルボーン他2名著の「奪われし未来」と言う本を読んで戦慄が走ったことがある。環境ホルモンとしてはダイオキシン、PCB・マラチオンなど100種類近く有ると言われているが、農業分野では遺伝子組み換え野菜にランドアップ除草剤を撒くと雑草だけが枯れてしまうので農家の除草作業が手間いらずになるともてはやされていた。今でもホームセンターなどでは売られているが撒かれた除草剤が雨水で流され、川や海に流れ込み魚が汚染されその魚を食べることで人間に害を及ぼすなど人類の生存を脅かすと当時は言われていた。現在は改良されているのかも知れない。
 今現在アメリカから輸入される家畜用の大豆は遺伝子操作で作られているものが大半である。米・小麦にはまだ遺伝子組み換えされたものは日本で栽培されていないが「主要作物種子法」の廃止により将来遺伝子組み替えの米・麦が栽培されるようになることも考えられる。時代の流れとしてそれもやむを得ないのかも知れないが出来るだけ避けて通ることが出来れば良いのだが。

2018年03月04日

西部邁著「国民の道徳」を読んで

 西部邁氏が多摩川に入水自殺(自裁死)して1ヶ月が経つ。その死をTVニュースで知ったときは驚いた。彼が保守の言論人であったことは知っていた。平成12年に産経新聞社から発刊された「国民の道徳」という初版本を購入して持っていたが、内容がとても難解でしかも673ページの大作のため最初の方を少し読んだだけで、書棚で埃をかぶっていた。
 この度TVニュースに接して新たに読み始めた。内容などは相変わらず私の頭では中々理解できないしろ物であり、まさに倫理学の本を読んでいる感じがする。大学教養部時代「倫理学」の単位は取ったが判定は「良」であった。その程度なので読んでいてもただ単に字面を追うだけの感がある。
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 彼は保守とは言われているが決して政治的な右翼・左翼の範疇に入るイデオロギー的保守ではない。大東亜・太平洋戦争の後、戦後民主主義が勃興しアメリカニズムが入り込み古い物を捨て去るのが良しとする進歩主義がもてはやされ、さらにグローバリズムが拍車をかけ、日本の伝統・国民の歴史・国民の道徳などが否定され、国家への愛着が廃れていくのに我慢がならずこの本を書いたのではないかと思う。
 構成は1歴史、2戦後、3政治、4文化、5経済、6社会の6章31節に分けて書かれておりそれぞれの分野での現状分析と今後の推移を推論している。17年前に起きていたこと、これから起こるであろう事などを書いている。
 『文明没落の兆候が我が国においておびただしく観察される。家庭の崩壊、学級の崩壊、学級の混乱、少年犯罪の増大、少女の風紀紊乱、青少年の学力低下、国民の勤労意欲の減退、役人における綱紀の乱れ、知識人の芸能人化、政治家の腐敗あるいは経営者の活力低下などの形で、文明衰微の兆候が次第にあらわになりつつ有る』と警告していたが、まさにその様になっている。現在の状態を見れば氏の眼力の正確さに驚くばかりで有る。
 本の中に用語の解説が書いてあったが「市民」とは『人間の内面で、社会の中で他人とかかわりながら、もっぱら「私」の利益を主張し、「私」の利益を追求し、「私」の欲望を満たそうとする側面。』と有った。これを今流行の「○○反対市民の会」等に当てはめると住民エゴそのものではないかと感じた。たとえば某市においてゴミ処理能力が限界に達し焼却場を早急に建設しなければいけない場合、建設予定地が発表されればすぐさま反対、それでいて代案もなくただ反対という場合などに当てはまる。
 また「他人に迷惑をかけないように」と言う教えは大事で有るが遊興費を稼ごうとする少女達の援助交際に対してそれを咎める場合、彼女たちの「他人に迷惑をかけているわけではないのだから、何をやっても咎められるいわれはない」という言い分を、的確に咎めることのできる道徳論が現代社会に有っては準備されていない、そればかりか道徳論はその種の男女の心に届かないので無効だとのたまう知識人がいると批判をしている。
 家庭での躾け特に「公徳」「公共」に対するもの、「恥の文化」についての「常識」や「良識」などを教えなくなっている事も問題視している。
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そのようなことも有ってか2022年度入学の高校生から「公共」という科目が導入される。
西部氏が心配していた道徳の衰退に少しでも歯止めがかけられるので有ろうか?
 ところで現在、平昌で冬季オリンピックが開かれているが、日本選手の活躍に国民が一喜一憂しており、会場では日の丸を持って応援し、1位になれば君が代が吹奏される。平成11年に「国旗・国歌法」が出来るまで、日教組は反対し、学校の卒業式・入学式ではトラブルが相次ぎ、ここ尾道でも自殺に追い込まれた校長先生もいた。この「国旗・国歌」についても西部氏は深く憂慮していた。その当時「日の丸、君が代」に反対した人たちは現在のオリンピックで興奮している人々をどのように評価するので有ろうか?
さらに西部氏はマスメディアが、みずからを「社会の木鐸」とか「言論の公器」と言いながら「世論を自分たちの方へ誘導する報道に終始している」として、痛烈な批判をしており今やマスメディアは第一権力になっているとしている。TV・新聞での報道を見る限りまさにその通りだと思う事は多い。
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 ところで西部氏は入水自殺をされたが、この本の最後の31節に「死生観が道徳を鍛える」と題して書いておられる。「死」というものは誰しも避けて通れない問題で有り、私も70歳を越え死は確実に忍び寄ってきていると思われる。「死」というものは医科の先生ほど身近では無いが、それでも永年通院して頂いていた患者様や訪問診療をしている患者様がお亡くなりになったとお聞きすればそれだけ一般の人より死を意識せざるを得ない。
 本の中で「自分の死は自分で決める」と述べており入水自殺は「自裁死」であり、17年以上前から真剣に死について考えた結論を実行したまでのことであろう。それは次の文からも明らかで有る。『精神的に見て、ここで自分の生命をおえさせるのが「良い」と判断したときに、自死を選ぶ、それが精神の安楽と尊厳を保つ死に方であり、しかも物理的厄介をあまりかけない自死の形が好ましい』とある。また『後悔の念を出来るだけ少なくするためには、自分の心身の最終点で有る死について、納得できる形で死を選び取ること、それへ向けて自分の生を追い込んでいくことが必要で有る』としている。さらに伴侶がいる間の自死は伴侶を納得させるもので無ければならないとし、重要なのは意図的な自死で有り、衝動的な自死では無いとしている。8年間介護された奥様を2014年に亡くされ、自らの体調・年齢を考え長年真剣に命と向き合ってきたからこそ「自裁」したので有ろう。「命つきればあの世行き」などの浅はかな考えしか持ち合わせない私にとっては驚くべき事であり、これからの生き方を真剣に考えなくてはならないと思った。
 いずれにしてもこの本を読んだ者として最近の日本国の状態には「公」が希薄化し「私」が全面に押し出されグローバル化がさらに推し進められれば日本国そのものが消滅するのではないかと憂うるばかりである。

2018年02月22日

昭和・平成の御代

 2月になったのでカレンダーをめくってふと思った。そういえば一昨年8月に天皇陛下がお言葉を発せられて以後、御譲位についての議論がなされ、1年3ヶ月後の来年4月30日をもって平成の御代が終わることになっている。
新聞やTV等では「生前退位」という言葉で報道されていたが、ネット上では 「退位」という言葉そのものが不適切である。次のお世継ぎが決まらないときは「退位」と言うが、日本では次は皇太子殿下と決まっているので「譲位」が正しい言葉だといった意見が飛び交っている。しかも生前という言葉は通常死んだ人に対して「○○さんは生前こうだった」と言う様な使い方をするので不謹慎だという意見もある。私にはよくは判らないが少なくとも昨年12月23日の陛下のお誕生日のお言葉では陛下自身が「譲位」と述べられていた。
 それは兎も角として、私は昭和22年生まれで昭和の時代を41年間、平成の時代を29年過ごしてきてどちらにインパクトがあったのかと考えてみた。
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 なお新聞のコピーは昨年浜ランドマークタワーで手に入れた私の誕生日の読売新聞の一面で有る。
世間では昭和は戦争の時代だったという評価もあるが、私は戦後生まれ戦争のことは何も知らないが、記憶としては貧乏であったことだけはよく覚えている。服や靴下についても継ぎはぎしたものを当たり前のように着ていたし、我家ではお米は内地米が買えず中学1年生まで細長い外米で有った。便所で大便してお尻を拭くときは新聞紙をA4サイズに切ったものを「くちゃくちゃ」揉んで使用していた。化学肥料が手に入らなかった当時は畑のそばに肥え溜があり、お百姓さんは肥料とするために各家庭から集めた糞尿を肥溜めに貯蔵し熟成させた後、野菜などの肥料としていた。そのため、野菜の根元などには多くの新聞紙が残っていた事からも日本中でそのような状態であったのであろう。
 その後、新聞紙から灰色の落とし紙に変わりそして今時のトイレットペーパーに変わったのは昭和40年頃だった気がする。しかも今のトイレットペーパーは2枚重ねの柔らかペーパーで贅沢な限りで有る。今の若い人たちに新聞紙でお尻を拭きなさいと言ってもとても実践は出来ないであろう。
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 上記の写真は読売新聞社編「目で見る昭和全史」の中の昭和22年のページで有る。
 そんな貧しい時代で有ったが、時間の流れはかなり緩やかで、流行歌のメロディーもゆったりしている。今時のようなアップテンポでビートのきいた曲やラップなどを聴くと、とても私はついて行けない。塾通いも無く近所の大きい子も小さい子も取り混ぜて一緒に遊びに夢中なれた。大学生、就職、結婚、子供が生まれ自分の生活がどんどん新しく更新されて行き生活が少しづっ良くなっていった記憶がある。人生を季節にたとえれば春から夏の終わりぐらいまでが昭和の時代で有った気がする。この年齢になるとすごく懐かしさがわいてくる。
それに比べると平成は阪神淡路大震災・東日本大震災・熊本地震等災害が目立っている。
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私自身に限れば平成の御代が始まったのは開業して4年目「さいだ歯科医院」を倒産させないように経営をいかに安定させ家族を養っていくかに心血を注いでいた。その為かのんびりしたという感じは無く常に追い立てられていた気がする。生活の中にパソコンが入り込み、メールでやりとりが出来るようになり生活は確かに便利にスピーディーになった気がするが、何か心に余裕がない。ノスタルジアを含めて昭和と平成を比べると昭和に軍配が上がる。今年中には平成の次の年号が発表されるが次の御代が良い時代で有ることを願うばかりで有る。

2018年02月01日

「南京事件」とは何?

 昨年1月頃ビジネスホテルのアパホテルに南京事件否定の本が客室にあると中国人観光客が騒ぎ出し、中国政府まで問題にした事件があった。折しも2017年12月13日は旧日本軍が中国の首都・南京を陥落させてちょうど80年であった。そのようなことも有って1年かけて南京事件に関する本11冊を読破した。
 私が高校で習った日本史の教科書には「南京事件」の記載は無かった。最も高校の授業では、世界史は昭和の初めまで、日本史は明治時代の途中で尻切れトンボになりほとんど現代史は習わなかった。そのせいか広大入試で中華人民共和国の成立年を問う問題があったが不正解であった事を今でもはっきりと覚えている。
その後、いつの頃か「南京大虐殺」などの言葉を耳にし、事件があった、無かったの論争を知るようになった。そこで実際のところどうなのかと思い、この度たくさんある本から適当に拾い出しアマゾンで注文して読んだ。
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 北村稔『「南京事件」の探求』の中に『虐殺派・・・第二次世界大戦後の南京と東京の軍事裁判の判決に準拠して「南京事件」を告発する人』、『まぼろし派・・・南京と東京の軍事裁判の不当性を主張し、これらの裁判の判決文に描かれるような南京での「大虐殺」の不在を主張する人』、『中間派・・・必ずしも「虐殺派」か「まぼろし派」に区別出来ない人』と分類しこれらの人々の間で議論百出していると書いてあった。
 南京事件では東京裁判の判決が重要である。しかし此の裁判は戦勝国が敗戦国日本を裁いたもので、日本側が提出した証拠書類の多くが不採用となった。
ところが東中野修道『南京事件・・・国民党極秘文章から読み解く』を読んでみると驚くべき事実が書いてあった。特にマンチェスター・ガーディアン紙の中国特派員であったティンパリー記者が執筆し、1938年7月に出版された「戦争とは何か」という本は中華民国の対敵宣伝本で、彼自身は国民党中央宣伝部の顧問であり日本を貶めるために書かれた本であることが10数年前に明らかになった。また東京裁判に出廷し、第三者的立場で証言したマイナー・ベイツ教授は「戦争とは何か」に書いてある通りの証言をし、その内容が証拠として採用されたが、彼もまた実は国民政府の顧問であった事がわかり、その証言の信憑性も怪しいと思われる。その他にも国民党は世界に向けて日本の非道を宣伝するために、多数の欧米人に本を書かせ日本の非道を訴えさせた。今もそうだが、当時の日本は情報戦で完全に負けていたのだと思う。
 今の日本は三審制で地方裁判所の判決が不服なら高裁、さらに最高裁へと上告できるが東京裁判は一審性の為新しい事実がわかってもやり直しがきかない。
また東京裁判ではA級戦犯(平和に対する罪)、B級戦犯(通常の戦争犯罪)C級戦犯(人道に対する罪)として3種類に分けて裁かれた。日本人の多くがA級は一番罪が重く、次がB級だと考えている人が多いいようだが、A・B・Cは罪の軽重では無く、罪の種類を表す記号にすぎない。
ここで一番問題視されることは事後法と言って、東京裁判をするために急遽新たな法律が作られA級と、C級戦犯の考えが付加された。この法律は簡単に言ってみれば読者のみなさんが交通違反をして警察に捕まったところ、今日から交通違反者は死刑という新たに法律が定められたと告げられ死刑にされることと同じである。これに反対したのがインドの代表パール博士である。
 日本で南京事件が多くの国民に知れ渡ったのは朝日新聞記者本多勝一氏の「中国の旅」(昭和46年刊)という今では噴飯物の本がきっかけだったとネット上などに出ている。彼は中国に取材に行ったが全く裏を取らないで中国共産党に紹介された人々の話をそのまま載せたとか、写真も提供された物を載せ後になって間違いを認めたなどとネットに出ている。
このあたりの朝日新聞のやり方はまさに現在問題になっている慰安婦問題と同じやり口だったと思う。吉田清治氏が捏造して書いた記事で「日本軍の強制連行」が一人歩きし、今や世界中で「性奴隷」として広まっている。この件に関して朝日新聞は数年前に謝罪したが後の祭りである。
 南京事件については読者がそれぞれ「有る」・「無し」を判断すれば良いことで私自身は11冊の本を読んだが、戦争中のことで有り、書いてあるような殺人、強姦、略奪、放火が無かったとは言えないが、20万人、30万人もの人が虐殺されたというのは少し違うのでは無いだろうかと思った。いずれにしても今まで素通りしていた現代史を少しかじれて良い勉強をさせてもらったと思う。

2018年01月17日

年末年始

 今回の年末年始休暇はいつもとちがって結構大変であった。通常、年末年始の休暇は旅行などに出かけて家に居ないのだが、今回は12月28日に家内が膝関節手術を終えて退院した。やもめ暮らしは終了したのだが、かえって忙しくなる。
 病院で少しリハビリをしていたおかげでトイレに行くことと、お風呂に入ることは何とか自立できている。しかし歩くのは中々大変そうですぐ「しんどい」と言ってベットに横になる。起きていても少しの時間だけである。いったん座り込んだりベットに寝てしまうと起き上がったり立ち上がるのが大変。
 家内の部屋と私の部屋は離れているので何かあればすぐ携帯電話が鳴って呼び出される。また居間に一緒にいても必要な物がとれないので「お父さんあれ取ってと言われる」しかし『あれ』と言われても困る「あれって何なー」と聞き返す。私もそうだがこの年になると中々対象物の名前が出てこない。認知症が始まったのではと思う。
 やもめ暮らしの時は、晩ご飯でも簡単に自分が食べたいもので済ませていたが、家内は缶詰はいやだとか言うし少し手をかけなくてはならない。幸いお正月用に通販で「おせち料理」を買っていたので31日夜からそれをつつく。おせち料理は4〜5人分有るため、結局3日の朝まで食べれた。お餅は1月1日の朝オーブントースターで焼いてお雑煮で食べただけである。後は頂いた年越しそばを何回かに分け、茹でて食べる。こういうことを一度もやったことはなかったが、家内に指示されながら何とか食事が出来た。明日から仕事に出かけるがどうなることやら。
 家内は入院中、病院の廊下を歩いて売店まで行ったりし、少しはリハビリに役立っていた。しかし帰ってからはほとんど寝ているのでこれはいくら何でも拙いだろうと思い、1月2日にドライブに連れ出し向島を一周した。5日ぶりに外の空気を吸ってもらった。しかし1時間助手席に乗っていただけで足が痛くなったいと言うので早々に引き返す。
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 翌3日は少し歩いて貰おうと思い、三原のイオンに買い物に出かけ、買い物用の押し車を推させながら歩いて買い物をする。少なくとも床には段差がないので歩きやすいが買い物客が多く、ぶつかられて転んだら大変と気を遣う。
 やはり帰ってから、足が痛いと何カ所かロキソニンの湿布薬を貼る。それでも手術以来初めて寝返りが出来たと喜んでいる。少しずつではあるが良くなっている。
 家内が「お父さんこの休みは私への奉仕で終わったね」と言う。「いえいえそんなことは無いよ」と言いながらよくわかっているじゃんと内心思った。
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 ところで元日以来3日に一時雨がぱらついた物の穏やかなよい天気が続いている。私は元日の初日の出を家の前の岸壁で見た。日の出の光が雲に反射してまさに旭日旗を思い起こさす感じがした。太陽の光が尾道水道に反射し、また私の体に陽が当たった瞬間に暖かさが感伝わってきて太陽の恵みという物を改めて感じながら手を合わせた。
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 一日中陽が差して冬とは思えない、たいていは午前中晴れても午後は曇るのが冬の天候というイメージがあったが元日は夕日も綺麗で、日の入り時刻には東の空に十四夜の月が出ていた。3日は昼から少し曇って雨が降った以外、本日4日も朝からずっとよい天気で有り、この様な穏やかな日が1年間続いてくれればよいが、世界情勢悪化、天変地異など起こらなければと思う次第である。

2018年01月04日

平成29年(2017年)を振り返って

 毎年、年の瀬を迎えると新聞やTV等で国内・海外の十大ニュース特集が組まれていて、それを見ながらそういえば今年こんなことがあったなと思い出させてくれる。それで例年ブログにも我が家の1年を振り返って書くのだが、老夫婦2人だけの生活ではとても10個もニュースはない。書けるだけ思い出しながら書いてみよう。
1、 私と家内がサイボーグの仲間に。
10月の終わりに私は白内障の手術をして人工レンズを入れ、家内は11月の終わりに左膝に人工関節を入れ、まさに2人ともサイボーグの仲間入り。サイボーグと言えば石ノ森章太郎のSF漫画『サイボーグ009』を思い出すが、医学が進歩したことによりQOLが保てるようになり感謝である。
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2、 相次ぐ海外旅行キャンセル
今年の正月はマレーシア・クアラルンプールで迎えた。以前我が家にホームステイしていたA子に子供が生まれたのでお祝いに出かけていた。そしてA子達は結婚式をあげていなかったので、10月1日にインドネシア・バリ島で結婚式をするというので準備をしていたら、出発5日前に火山が爆発しそうだと警戒レベルが最高に引き上げられ、結婚式は延期、バリ島行きもキャンセル。結局火山は12月5日に爆発。そして12月22日からは家内とペルーのマチュピチ、アスカの地上絵、イグアスの滝を観に行く計画を立て準備万端にしていたが、家内の膝の手術でこれもキャンセル。今年は運がなかったと諦める。
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3、 孫達の成長
私には4人の孫娘と1人の孫息子がいる。4人の孫娘が今年全員小学生になった。一番上の孫娘は6年生で来年中学受験をするとか。長男一家は沖縄に6年前に移住したため中々孫には会えない。5月の連休に長男一家が里帰りをしてくれるのでその時だけ会えていた。しかし9月の終わりに家内と2人でバリ島旅行の代わりに連絡なしで沖縄に行き孫達に再会。皆元気であった。中でも唯一人の孫息子は4歳になりいよいよ「ガンボタレ振り」を発揮している。そして沖縄では学校が2学期制のため前期の終わりに秋休みがある。10月に秋休みを利用して2番目と3番目の孫娘達が私達に会いに来てくれ、今年はいつもにもなく孫達と会えて良かった。ついでに9月に行ったとき長男の診療所も初めて見学でき、親として一安心した。
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4、 齊田家のルーツ調査
昨年から埼玉の行政書士さんにお願いし、齊田家のルーツを調査して貰っていたが、この3月家系図が巻物として完成した。父方と母方両方の系図が判り良かった。NHK番組「ファミリーヒストリー」ではないが今回系図が判り、私が今迄に父親。母親から聞いていたこと等を息子たちに話せた事で息子や孫達に良い土産(財産)が残せた物と思う。さらに祖母のお墓も見つけ出すことが出来て良かった。
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5、 古希を迎える。
二人とも今年は古希を迎えた。「古来まれなり」と言われている。そして「国民健康保険高齢受給者証」が贈られてきて、いやが上でも高齢者と認識させられた。しかし井原市の名誉市民である彫刻家、平櫛田中の言葉に「六十、七十、洟垂れ小僧男盛りは百から、百から」と言うのがある。私も家内もサイボーグになったのだから彼の言葉のように元気で百歳過ぎまでは生きよう。
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6、 東京はとバス観光
6月とお盆に2回東京に出かけ「はとバス観光」を楽しむ。東京スカイツリーや国会議事堂巡り、横浜中華街の散策、ボリショイサーカス鑑賞など観光だけで東京に行ったのは結婚以来初めてである。その他山口の津和野に日帰りバス旅行に出かけた。こんな時ぐらいしか中々夫婦の会話が弾まない。
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7、 歯科医師会関係の役職をすべて終了したのだが・・・
5月31日を持って県歯関係の役職を離れて体も、時間も少し余裕が出来た。そのような事を見越してか2月には広島県歯科医師会創立110周年記念式典において役員功労賞を頂いた。ところが、今度は出身大学である、北海道医療大学歯学部同窓会の副会長を引き受けさせられる。今のところ大して活動することもないがやはり責任は重大であると認識している。
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8、 家庭菜園での野菜作り
今年も春先から目の手術をするまで色々野菜を育てて収穫をする。夏などは朝早くから起きて世話をしたりするが楽しくて仕方ない。また収穫できる喜びも有り、人生輝いていると実感出来る。体が動く間少しの面積でも良いから続けて行きたい物である。
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ここまで書いて次が出てこない。年をとるとそれだけ行動範囲等が狭くなり
十大ニュースに相当する物がなくなってきた感あり。
それにしても1年間を振り返ると何でこんなに時の経つのが早いのか恐ろし
くなる。ただただ来年も良い年であることを願うだけである。

2017年12月26日

今どきのカラス

 尾道水道に面した街に住みだして2年弱になる。以前は街から7キロほど入った周囲に田んぼがある三成の診療室2階に30年程住んでいた。裏の家庭菜園で野菜などを作ったりしていたが、時折カラスに収穫前のトウモロコシやスイカなどを食べられたりして、この野郎と思ったがそんなにカラスが多くいるとは思わなかった。
 童謡「七つのこ」の歌詞は
『烏 なぜ啼くの 烏は山に 可愛七つの 子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と 啼くんだよ 山の古巣へ 行って見て御覧 丸い眼をした いい子だよ』である。
この歌詞によればカラスは山に巣があって夕方ともなれば「カアーカアー」と鳴きながら飛んで帰るというイメージをずっと持っていたし、三成に住んでいたときはその情景そのものであった。
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 ところが最近夕方になると、住んでいるマンションの近くでカラスが大声でなきさけぶ。見ると近くのマンションや、NTTの電波塔等の廻りに多数が集結し、車の音などに驚いて廻りのマンションの屋上から一斉に飛び立つのを見るとその数の異様さに度肝を抜かれる感じがする。
まさにヒッチコック監督の「鳥」という映画を思い出す。
 マンションの裏には山もあるし、尾道水道の対岸にも山もあるのだが、そこには帰らないでどうやらマンションの屋上や電波塔などをねぐらにしているようだ。
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冬至も近い今頃は日の出も遅く朝6時半頃はまだ薄暗い。しかしNTTの電波塔を見るとカラスがとまっており「カアーカアー」と鳴いている。
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 街は人口も多く人間が出すゴミなども多いし、また尾道水道にはあちこちに小さな漁港が点在しており、漁師さんがとった魚のおこぼれにもありつけカラスにとっては食料には困らないのかも知れない。
 カラスは賢いと言われており、山から出てくるよりはマンションの屋上をねぐらにする方が手っ取り早く効率良くえさにありつけることを学習したのかも知れない。
 それにしても私が小・中学生の頃とは廻りに生息している鳥たちの種類が変わってきているように思う。
 昔、夏にはトンビが空を悠々と舞っていて、高い松の木の上の方に巣を作っていたが、昨今トンビを見ることはほとんど無いと言うより皆無だと思う。
また近くの栗原川にはかなりの数の白サギが潮の満ち干に合わせてやって来てはえさをあさっている。中には一回り大きなアオサギを見ることもある。子供の頃このような光景を一度も見たことがない。今では尾道水道で時折、海鵜も見る事がある。
 そして海から5キロほど奥に入った川や池では、子供の頃カイツブリくらいしか見たことがなかったが、今では渡り鳥の鴨などが泳いでおり、本当に様変わりした感じがある。 
 たぶん昔は水田に多くの殺虫剤をまいたりしていたが今は薬剤散布がかなり減っているために環境が良くなり、小さいころに見たこともない鳥などが繁殖しているのかも知れない。
 うちの近くのカラスなどもこれだけ増えてくると、近い将来「糞害」が問題になってくるのではないだろうか。

2017年12月17日

やもめ暮らし体験

 先日、家内が左膝の人工関節置換手術を受け入院した。20歳のころ転倒して左の膝の半月板損傷で半月板を除去し、筋肉を鍛えたりしながら何とか50年生活してきた。しかし最近いよいよ痛みが増して歩くのが不自由となり手術を決断した。どうしても入院は1ヶ月程必要で有り、その間私は独り暮らしとなり「やもめ」状態となった。
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 結婚以来今迄、家事などほとんどしたことはなく、家内に任せきりであった。入院する1ヶ月前くらいから食後の後片付けで茶碗や鍋などの洗いものをするようになった。
しかし電子レンジ・IHクッキングヒーター、洗濯機など最近の物はスイッチなどのボタンが多く、使い方もよく判らない。1回だけ家内に習ったがすぐ忘れてあれこれトライする羽目になった。
 入院中の一番の問題は食事である。短期間なら良いが1ヶ月ほどの長期間一人暮らしである。
昔40数年前、家内が長男出産のため尾道の実家に帰省した時2ヶ月半ほど一人暮らしをした事がある。当時コンビニもスーパーもない時代で社宅アパートは日立市の片田舎に有りもちろん大衆食堂もない辺鄙なところにあった。そのときは同じアパートに住む同期入社のS君と話し合い、家内が尾道に帰省している間、私はS君の家で夕食を食べさせて貰う。4ヶ月ほど後にS君の奥様が出産のため実家に帰られたとき我が家でS君の夕食を提供し、お互いそれほど不自由は感じなかった記憶がある。
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今回は家内が入院前に魚や総菜の缶詰、野菜缶ジュース、電子レンジでチンするだけで食べられるご飯やカレー、インスタントの味噌汁、カップラーメンなどずいぶんといろいろの種類をとりそろえて沢山買い置きをしてくれているのでその中から見繕って食べることになった。
 朝はパンと牛乳とちょっとした物、昼はお弁当屋さんの弁当、夜は家内が備蓄していてくれた物や家庭菜園の大根を収穫しておかずとして食べている。また時折近くのスーパーでちょっとした物を買ってきたりしているが、時々息子の嫁が仕事帰りに1〜2品おかずを持たせてくれるので有り難い。
 また色々の支払いは引き落としになっているがそれでも引き落としになっていないものの支払いとか、お歳暮のお礼状とか諸々のことも今迄は家内にこれやっといてと言うだけで済んでいたが、1人になって色々のことを仕事の合間にするのが結構大変だ。
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 それにしても古希を過ぎた我々老夫婦だけの世帯では遠からずどちらかが先にあの世に行くことになりこの様な「やもめ暮らし」が必ず訪れる。私が先なら、家事にたけた家内は私の世話もしなくてすむし問題ないが、私が後なら、今回のようなことが突然にやってくると大変である。今現在、予行演習をしているのだと思いながら色々のことを学ばせて貰っている。昔から「男やもめに蛆がわく」という言葉があるがそうならない様に頑張って、家内が早く良くなって復帰してくれるのを望むばかりである。

2017年12月07日

河合雅司著「未来の年表」を読んで

 世の中少子高齢化と言われて久しく、尾道市においても地域包括センターを中心に来たるべき2025年問題に対応すべく準備がなされている。私の歯科医院は北部圏域ネットワークにあり、先日も医療と介護の連携について会合が開かれ、問題点などの抽出を行った。
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そんな折、11月8日の日本経済新聞2面下段に「未来の年表・人口減少日本でこれから起きること」と題する本の広告が掲載されていた。そこには衝撃の言葉が並んでいた。これは読まなくてはと直感的に思い早速アマゾンで注文し手にいれた。
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日本の人口が減っていくことはわかっていても、それがどんなことになるのか断片的なことしか知識が無かった。
 目次を見るとこんなことも起こるのかと思うことばかりである。
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 2018年には18歳人口の急減で国立大学が倒産の危機と有った。確かに現在でも定員を満たさない私立大学は約半数と言われている。これがどんどん加速すれば地方の国立大学にも及ぶとのこと。
 2020年東京オリンピックの年には何と女性の半数以上が50歳越とあり「おばあちゃん大国」になるとある。驚きである。少子化と女性の平均寿命が伸びた事によるのであろう。
 20数年前DINKS(ダブルインカム・ノウ・キィズ)という言葉がもてはやされ敢えて子供を産まない時代があったがそれも少子化に影響を与えているのかも知れない。
また2021年には団塊ジュニア世代が50代に突入し介護離職が大量発生しその後介護が終わっても職場復帰や条件の良い職に再就職できず貧困の道を歩む恐れがあるとか。
 さらに2024年には6人に1人が75歳以上となり社会保障費が大膨張となる。このことは私自身団塊の世代なのでよく理解しているが、2027年には輸血用血液が不足するとは知らなかった。けがなどの際に使われる輸血の量はたかだか3.5%とのこと。癌・心臓病・白血病等の治療に輸血が必要で、特に抗がん剤により造血機能が落ちた患者さんに40%が使われ、その多くは高齢者が使用している。しかも輸血用血液は献血に頼っているが献血可能な年齢層の人口が減っており供給不足が起きるのだとか。いずれ病院に行っても輸血血液がなくて命が助からない状況が起こる可能性はある。
 少子化により2033年には3戸に1戸が空き家となり2039年には火葬場が不足してくる。
 そして2040年には自治体の半数が消滅危機とあり、ここ尾道でも現在毎年1000人が減っている状態で、恐らく現在の半数以下の人口になるであろう。その時、水道や道路などのインフラは老朽化し、予算も無く修理すら出来ず市としての機能不全に陥るのでは無いだろうか。また少子化が進んだ事によって警察官や自衛隊員、消防士といった「若い力」を必要とする仕事の人員確保が難しくなり、国防や治安、消防機能が低下し社会が破綻に直結し、泥棒も捕まえられない火事も消せない国になっていると予想される。
 さらに2042年には高齢者の数がピークに達し、無年金・低年金の貧しく身寄りの無い高齢者が街に溢れかえり、生活保護受給者が激増して国家財政はパンクするのではと心配されている。
 少子化と高齢化により農業に従事する人口が減少し耕作放棄地は増加をしている。今でも低い食料自給率のため不足分を海外からの輸入に頼っている。ところが世界の人口は現在73億人超であるが2050年には97億人を超えるといわれ世界中で食糧の争奪戦が始まり、日本人が十分な食料を確保できず飢餓状態に陥る可能性がある。
 そして2065年には日本の人口は8800万人となり現在よりも4000万人減少し2.5人に1人が高齢者となったとき、人が住んでいない地域が増大し、国土はスカスカになり2割以上は誰も住まない土地になる。著者は2065年に「外国人が無人の国土を占拠する」と記している。
 現在政府は人口減による労働力確保のため外国人労働者の大量受け入れや、永住権付与の緩和を推し進めようとしているがこれが進行すると、日本人の方が少数派になった市町村や地域が出てくる。そこへ「反日」の国が悪意を持って自国民を日本に送り出してくれば、戦わずして日本は彼らに占領されてしまう。現に北海道では膨大な土地が中国人よって買い取られており、対馬ではかなりの土地が韓国資本に押さえられ、自衛隊施設の隣接地まで購入されている事実がある。ましてや外国人参政権を認めると致命的になりいずれ日本が消滅していくのかも知れない。
まだまだ色々のことが書かれておりほんとに怖い未来を見せられている感じがした。
 著者はこの人口減に対して日本を救う10個の処方箋を提案しており、なるほどという提案もある。
 日本国民の多くの方がこの本を読んで、事実を受け止めて、人口減に対応する方策を考え、今迄のように予算のばらまきや、何でもかんでも政府におんぶに抱っこでは日本はもたない。我慢すべきところは我慢し未来の人たちに希望がもてる様にする必要があると感じた。
よりよい未来になるように祈りたい。

2017年11月16日

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