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04/10 満開の桜見物と五十三次版画鑑賞
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大先生(元院長)のブログ

台風一過とカープ2連覇

 この17日、18日、私にとっては久しぶりに農作業を含めて何も予定の入っていない休みであった。17日は台風18号が接近し昼前から雨になり、徐々に風が出てきた。ずっとNHK・TVをかけていて台風の動きを見ながらごろごろとしていた。九州各地、特に大分県などは大変な災害が発生していた。
 尾道はほとんど何にも災害が無くてホットする。いつも思うことであるが、日本各地に比べ、尾道ほど災害が少なく安全な場所は無いと実感している。それが証拠に、多数の古いお寺・神社などが今も残っている。また南海トラフの地震が発生したとしても、津波の高さは一番低いと見積もられている。
Iターンを考えている人は是非、尾道に来られたら良いと思う。
 17日21時頃には雨がやみ、風も収まってきた。それで夜は窓を少し開けて寝る。翌18日は起床時雲一つ無い秋晴れまさに台風一過ですごくさわやかであった。
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 ところでカープは9月14日にDeNAに勝って優勝マジックを1としていた。16日のマツダスタジアムでのヤクルト戦で地元優勝を決めると選手もフアンも心に決めていた。14時からの試合で有ったため診療しながら時々院長室のTVを覗いたりしていたが残念ながら4:5で負け優勝はならず。
 翌17日は台風のため試合前中止、TVニュースでは朝早くから試合を信じて球場前にならぶフアンの姿が映し出されていた。
 18日、甲子園球場で2位の阪神との直接対決となる。球場には行けないが運良く休みであったので、14時から居間と自分の部屋両方のTVをかけてRCC放送とNHK・BS1を見比べながらTV観戦をする。試合は優位に進めるも追加点の欲しいときに凡打で点が入らず「三振なら俺でもすらー」と言ったり「フォアボールを出すと俺でもフォアボール出せらー」など悪態をつきながら観戦。それだけ力が入っていた。同点に追いつかれ困ったなと思うが、8回にバティスタのタイムリーで1点勝ち越したときには万歳がでる。
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 そして9回2アウト後、代打伊藤がショートフライで3アウト試合終了。思わず大声で「ヤッター」と声が出る。セリーグ優勝が決まった瞬間である。球場内も割れんばかりの万歳の声が両方のTVから聞こえ、スクリーンに三塁側のスタンドが大写しであった。この瞬間、今日の台風一過の空のように今迄もやもやしていた物が吹き飛んで嬉しさがこみ上げてきて少し目頭が熱くなり感極まった。2連覇は37年振りとか。
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 夕食はワインを開けてカープに乾杯しながら食べる。夜も遅くまで各局がカープの放送をしていたのを観ながらいつの間にか寝ていた。少しお酒が過ぎたのであろう。
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 翌日の中国新聞はカープばかりで紙面に赤が目立った。またスポニチも1面と26面見開きでカープの優勝を報じていた。嬉しい限りで有る。次は今年こそ日本一だ。

2017年09月20日

終活・断捨離

 古希を過ぎたせいか今まであまり気にしなかった言葉が耳に残るようになった。例えば定年離婚、熟年離婚、「就活」ならぬ「終活」、断捨離など今まで聴いても右から左へスルー
していた言葉が何故か残ってしまう。
 TVドラマやコマーシャルなど色々のところでその言葉が出てくる度に気になりだした。とりわけ人生最後を迎えるに当たり身辺整理やお墓の手配などをするのが「終活」だそうだが、エンディングングノート、散骨、樹木葬と言った言葉も出てくる。さらに断捨離という言葉をもよく聞くようになった。
 少なくともまだ30年、100歳まで生きるつもりの私にはまだまだ先のことと思っている。
ところが先日家内が急に家の中を少し整理しだした。どうしたのかと聞くと終活だという。というのも1年半前にマンションに引っ越しをしてきたが、前の家に比べ面積は7割程度で収納場所も少ない。それで引っ越しの時かなり多くのものを処分したのだがそれでも不十分で、一部屋すべてを納戸代わりにしているが、物の上に物が積み上げられている。
 昨今は色々処分するにも勝手に捨てられず、お金を出して引き取ってもらわなくてはならないものも多々ある。
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 家内の目に一番に入ってきたのがゴルフ道具である。家内は膝が悪くとてもゴルフどころではない。私はサラリーマン時代にゴルフを少ししたが、歯科医になってからほとんどしたことはない。生涯でコースを廻ったのは20回程度かと思う。好きな人なら1年でそれくらい廻るであろうに。それでも10数年前にアイアンセットを買って練習場で少し使い、ゴルフ場で2回程使ったような気がする。それ以来触ったことも無かった。
 ゴルフ好きな人なら私の年になってもプレーをしておられるが、その多くの方がハンディーを持っておられ、エイジシュートなどを狙っていらっしゃるのかもしれない。
 私はあまりゴルフには興味がないので家内が処分するよと言ったとき迷わずOKを出す。早速、家内はリサイクルショップに電話しゴルフセットを引き取ってもらえるかどうか確認をする。以前私の三つ揃えの背広を持ち込んだときベストのみ300円くらいで引き取ってくれたが、後は引き取りを拒否され背広は燃えるゴミとして処分したことがある。ゴルフクラブも持ち込んでみないとわからないとのこと。
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 リサイクルショップの人が小一時間、本などを出して鑑定し私のアイアンセットは1本1000円で10本、1万円になる。ドライバーやパターなどはたいした金額にはならなかったが、それでもゴルフバックや新品のゴルフボールなど二人分併せて2万円ほどになった。お金を出して捨てるよりは少しでもお金になって良かった。
 ところで家内はここ20年以上和服を着たことが無い。そこで今度は和服を処分すると言っている。ただし母親に買ってもらった着物にはまだ未練があり捨てられないようである。
私もアルバムやここ何年も着たことも無い服、本などいっぱいあるのだが、思い切ることができない自分が情けない。
 家内が少しやる気になっていたので、冗談半分に「俺を断捨離しないでくれ」というと「お父さんを断捨離すると、私食べていけないから」との返事。
少し安心するが、今までのように亭主関白でいるといつ断捨離されるかもしれない。言葉遣いや態度に気をつけ、断捨離されないように努力しなくては。
 それにしても本気で断捨離の意味を考え、物への執着を捨て綺麗さっぱりと見切って部屋を広くしなくてはと思う。

2017年09月06日

今年のお盆休みPARTV

 翌8月15日は72回目の終戦記念日。帰りの新幹線の時間にはまだ少し時間があったので、思い切って靖国神社に参拝することにした。十数年前、普通の日に一度だけ参拝したことが有る。しかし終戦記念日に参拝するのは初めてである。よくTV等では靖国神社の周辺で靖国反対などのデモが有る為、家内は怖いと言ってホテルで待機。
 大手町駅から東京メトロ東西線で出かけ九段下で下車。尾道と違って一つの駅にも多くの出口が有ったり、連絡通路があったりで途中駅員さんに聞きながらやっと靖国方面の出口で地上に出る。そこには北朝鮮に拉致されたと思われる人達を救出しようとしている「特定失踪者問題研究会」を始め色々の団体がビラ配りをしている。私は拉致被害者全員が救出されるよう署名をした。
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 そこを通り抜け交差点を渡るとパワースポットなのか急にあたりの「気」が変わった感じがし、とても厳かな雰囲気になった。朝8時を回った時間帯で有ったが既に多くの人が集まり参拝をされている。昨日の葛西臨界公園と違いクマゼミの鳴き声はほとんどなく、ミンミンゼミの声が主である。
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 尾道あたりで神社に参拝する時、鳥居をくぐるたびに深々とお辞儀をされる人はいない。ここでは全員が立ち止り、きちんとお辞儀をして通って行かれる。また帰る時も振り返って立ち止り同じ様に深々とお辞儀をされていた。それだけで清々しさを感じた。当然私も見習って第一鳥居・第二鳥居・神門・中門鳥居とお辞儀をして前に進む。
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 旧陸軍の軍服に身を固めた人もいた。また各地方から団体で来られている人達も多数おられ中には礼服姿の人もかなりいらっしゃった。
 大手水舎で手を清め、口をすすいで拝殿の前に行き、柏手を打って今の平和な世の中の有難さを祀られている御霊に感謝する。
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  「靖国へ戦さ終わりし日に参り今の平和を御霊に謝す」と下手ながら詠んでみた。
 その後境内を観て回るが、記念館の遊就館は時間が無いと思い見学はしなかった。また拝殿の近くには多くのTV局や新聞社等が陣取って恐らく政治家の誰それが参拝したとかいつものようにニュースで流すのだろう。
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 思うに古来日本人は大きな木や岩などにも神宿るとして八百万の神を信仰して来た民族である。この靖国に祀られている神霊は戊辰戦争の時からの戦没者である。その様な場にイデオロギーは持ち込むべきではない様な気がする。ましてや死者に鞭打つ様な行動はすべきではないと思う。
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 他にも「母の像」や東京裁判の不法性を訴え続けたインドのパール判事の顕彰碑等が有った。彼は東京裁判において終戦後に戦勝国が勝手に作った国際法で日本を裁く事の不当性を訴えたのであり、以前NHKテレビの特別番組「東京裁判」でもパール判事の事は触れられていた。今流に言えば東京裁判は戦勝国による敗戦国に対するいじめ(復讐)以外の何物でも無かったのではないだろうか?
 靖国神社が平成31年に創立150年を迎えることから、途中の参道には靖国神社が出来た頃の錦絵等を始めその歴史が判るようにパネルが展示されていた。
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 1時間半ほどであったが8月15日に参拝が叶い、また色々のことに想いを馳せられて良かった。

2017年08月19日

今年のお盆休み PARTU

 翌日の「はとバス観光」は「ボリショイサーカス幕張公演」鑑賞コースにした。天候はドンヨリと曇っていたが雨はまだ降っていない。
サーカスそのものは子どもの頃に1度、「木下サーカス」を観たことがある。帰って息子に聞くと俺たちは連れて行ってもらった事が無いとの事。悪いことをしたなと反省。
 「国立ボリショイサーカス」は世界的に有名であり一度は観てみたいと思っていたので、バスに乗車した時から気分は高揚。このコースは最初葛西臨界公園にある「葛西臨海水族園」を見学して昼食後幕張メッセでサーカスを観ることになっていた。
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 2020年東京オリンピックが開催されるが、その会場の多くが東京湾の埋め立て地に出来るのだとガイドさんが説明をしてくれた。既存の施設名や新たに建設される競技場施設の説明を受けたが、そうなんだと思うだけで何も頭に残っていない。ニュースなどで施設建設についてゴタゴタがあったので本当に間に合うのか他人事ながら心配になる。 
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 葛西臨界公園に付くとやたらとセミが鳴いている。しかもクマゼミの声であり驚く。昔クマゼミは関東にはいないと思っていたのだが。帰宅してネットで調べると近年の温暖化により北限が拡がって来たとか、この葛西臨界公園のように埋め立て地にはよそから木を移植して緑化を計ったため、木の根っこの廻りの土に幼虫がいてそれが繁殖した等の説が有った。私は尾道と変わらないぐらい鳴いていたので木の移植説が正しい様に思った。
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 通常水族館と言うが葛西臨海水族園は元々、上野動物園開園100周年を記念して計画されたことから水族園と言うのだとバスガイドさんが説明してくれた。
 園内には色々に分類された水槽が有り、綺麗な熱帯魚や寒い地方の魚など展示されており、しかも展示水槽の上にあがり水槽の中が見物できるのには驚いた。またフンボルトペンギンやミナミイワトビペンギンなど4種のペンギンがいて楽しませてもらう。
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 その後バスにてディズニーランドのある千葉県浦安にある「東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート」内の「ダイニングスクエア ジ・アトリウム」に移動。この頃から雨がひどく降り出す。ここで和・洋バイキングの昼食を食べる。ここのホテルからはディズニーランドのシンデレラ城やビッグサンダー・マウンティン等が見えた。
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 その後幕張メッセに移動し、「ボリショイサーカス」を鑑賞。場内は撮影禁止である。色々のショーを観たが、一番の見所は「空中ブランコショー」。空中で宙返りをしながらブランコから次のブランコに移るのは圧巻で場内から何度も拍手喝采。体操選手が鉄棒で難易度の高い技を使って宙を舞うのよりも迫力があった。ただ虎やライオンなどを使った猛獣ショーは無く、犬・猫のチンケなショーにはがっかりした。それでも2時間楽しませてもらい、今日の「はとバス」も合格点であった。
 夕食は6月に来たとき食べた丸ビルの中のお店を訪ねたが既に閉店し、新たなお店がオープンしていた。テナント料の高い場所で営業するのは至難の業ではないなと思った。

2017年08月17日

今年のお盆休み PARTT

 さいだ歯科医院は13日から16日まで盆休みであった。6月に東京に行き「はとバス観光」をしたのがすごく良かったので、この盆休みにまた「はとバス観光」に出かけた。ホテルは前回と同じところに宿泊。
 東京についてチェックインしてすぐ、「浜夜景物語」と言うコースに出かけた。丸の内を17時10分に出発して途中東京湾のレインボーブリッジを通り、今話題の豊洲市場を横目に羽田空港では高速道路が少し暗渠になっておりその上をANAの飛行機がゆっくり動いているのが見えた。
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 途中色々とバスガイドさんが説明してくれる。地理的に不案内で有りしかも何も知識の無い田舎者には「はとバス」は本当に有り難い。それにしてもここ尾道では絶対見れない光景が続いており、京浜工業地帯などを見ると日本にもこのようなところが有るのかと驚くことばかりであった。
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 横浜中華街に到着。昔、浜の叔父に連れらて中華料理を食べに来たことがあるが、何という店だったか覚えていない。中華街には食べ物屋が溢れており驚く。
この「はとバス」のコースには浜中華街「重慶飯店 別館」で本場四川料理の夕食付で、フカヒレスープ、北京ダックなど量はさほど多くないが八品が付いていた。50分の食事時間であったためか、料理はタイミング良く出され、味も口に合っていて、あっという間に食事を終了。
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 その後各自で中華街の自由散策(50分)となったが迷子にならないように、中華街大通りを散策し、土産物店などを見て廻る。中華街は多くの人が行き交い大賑わいである。
 その後みなとみらい21にある「浜ランドマークタワー」に向かう。途中ライトアップされている大きな観覧車を見たり、浜港の倉庫を車窓より眺めながら行くがここでもガイドさんの説明があるので、納得しながら観光が出来た。
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 到着後高さ273メートル69階に位置する「スカイガーデン」に上がり浜の夜景を満喫する。丁度タワーの上からは浜スタジアムが見え、DNAと阪神が試合をしている最中のようであった。結果は8:2でDeNAの勝。ついでに書けば、広島は4:1で巨人に勝ったが、残念ながらまだマジックは再点灯しなかった。なおこの日、巨人の阿部が2000本安打を達成した。
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 その後バスは帰途につく。バスの中から見る東京の夜景も素晴らしかったが、お盆と日曜日が重なっていたので、ビルの窓の明かりが少し少なかった。
東京駅地下街のコンビニで缶ビールを買って帰り、風呂上がりに飲んで寝る。

2017年08月16日

60数年ぶりの「三原やっさ踊り」

 私は小学校1~3年の時、三原市西町に住まいが有り、三原小学校に通っていた。確か、夏休みの時期、多分2~3年生の頃母親に連れられて「やっさ踊り」を観に行った記憶が有る。
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 当時は「三原やっさ祭」という名前で呼ばれていたのかどうか知らない。ただ子供心に人が多くてあまり面白いものではなかった気がしていた。
 尾道にUターンして33年になるが、三原の「やっさ祭」を観に行った事は一度も無かった。この度、孫娘が「子どもやっさ部門」に小学校のチームとして出るというので始めて観に行く。会場が三原駅前と言うので在来線で出かける。
 駅を出ると大勢の人がいてびっくり。案内所でガイドブックを貰い、ついでにうちわまで頂く。
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 孫娘は今年小学校に入学したばかりの1年生だが、夏休み毎週学校に出かけ、踊りを練習していたようだ。練習の甲斐があったのか少しギコチなさは残るものの何とか上手く踊っていた。どの小学校チームもそれぞれに力いっぱい踊っていたのが印象的であった。
 今年の「子どもやっさ大賞」は三原小学校の「三原小レインボー隊」であった。孫娘の学校は残念ながら賞外。
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 せっかく来たのだから大人の「やっさ踊り」も少し観ようと思い、交通規制されている道路と歩道の境界の縁石に家内と腰掛けて私は見物客が行きかうのを見ながら缶ビール片手にスタートを待っていた。夕方の風がストリートを吹き抜けとても気持ち良い至福のひと時で有った。
 三原の地べたに座っていることで、ふと自分が小学校に通っていた時の事を思い出す。当時の三原小学校には「花組」「月組」「雪組」と三っの組みが有り、それぞれに1年生から6年生まであったように記憶している。運動会や学芸会も3日に渡ってあったように思う。いわば一つの小学校に三っの小学校が有ったのではないかと思う。現代では考えられない程の超マンモス校では無かったのだろうか。
 小学校の校門まで運動場の西に幅広の坂道が有りそこを上って登校していた。途中大きな柳の木が有った事を覚えている。今はどうなったのかもわからない。さらに学校のすぐ裏手の桜山にもクラス全員で登った記憶がある。
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 また小三の時、小早川隆景が三原城を築城したことは確かに習った記憶が有る。「やっさ踊り」の起源は三原城が出来た時、人々がお祝いに踊りだしたという言い伝えがあり、まさに築城450年となる今年は一大イベントにふさわしい。そんな事を思い出しているうちにはじまった。踊りには「正調やっさや、創作やっさ」が有り、「子どもやっさ」とは違った迫力が有った。「正調やっさ踊り」は恐らく60数年前に観たものと同じなのであろう。それにしても職場の仲間や、町内会等、多数のチームが参加しており、長い歴史に根付いた「やっさ踊り」だと肌で感じる。
 時間の関係も有り最後までは観ないで途中で帰る。

2017年08月12日

「さいだ歯科医院」カープ・デー

 今年のカープの快進撃には驚くばかりである。7月28日現在で59勝32敗、2分けで貯金27。 2位の阪神と10ゲームの差がある。そしてどのチームに対しても負け越しはない。
 私が大学生の頃「巨人 大鵬 卵焼き」と言う言葉がはやっていた。当時の巨人はダントツの強さがあった。しかしそのカープが昭和50年に巨人を破って初優勝したときの興奮は今でもはっきりと覚えている。
そして昨年の優勝を含めて6回も優勝し、日本一にも3回輝いている。
今年は昨年の優勝に引き続き、その勢いをそのまま持続している。特に打線の好調さが光っている。
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 ところでプロ野球12球団平均年俸ランキングをインターネットで検索すると、カープは12球団中11位の低さである。一番高いのはソフトバンク、2番目が巨人でありカープの2.1倍の多さである。安い年俸でカープの選手が頑張っていると思うと判官贔屓なのか唯々応援したくなる。そして現在その巨人に対して13勝4敗で勝ち越しており、昔のカープを知っているものとしては少し小気味よい。
 そこで我が「さいだ歯科医院」としては今年もカープがセリーグ優勝、そして日本一になる様に応援することにした。
 さいだ歯科医院では通常6月〜9月は診療着として背中にさいだ歯科医院のロゴマークをプリントしたTシャツを着用して診療している。しかしカープの優勝を祈念し、今週から月曜日はカープの赤いユニホームを着て診療することにした。
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 何故月曜日にしたかと言えば、ほとんどの場合月曜日は試合がないことが多く、試合の無い日でも応援している気分を味わおうとした。
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 初日、患者様からの反応は様々であったが、中には日頃あまり話されない患者様が突然饒舌になり中々診療に入れないこともあった。従業員も患者様との会話が弾みまんざらでもなさそうである。
 近いうちにマジックが点灯するなどの話も聞くが、これから毎日一喜一憂しながらカープの優勝を信じて診療をしていこうと思う。

2017年07月28日

達成感

 如何にも上段から構えたタイトルのようであるが、達成感を得るにはほんの些細なことから大仰なものまであると思う。例えば今日はこの本を読み終わろうと起床時に思ったことが夜寝る前に読み終えておれば今日は本が読めた良かった達成感を味わえる。ただ果たして毎日、毎日連続して達成感を味わえるかどうかは判らない。
 日常のニュースを観ていると何か達成感が無く、破れかぶれで事件を起こしているようなものに出くわす。
 ところでこの16・17日の2連休、私は家庭菜園の草取りをして今までにない達成感を味わった。
 6月27日にほぼ草取りを終えていたのだが、この梅雨の雨のせいかあっと言う間に草ボウボウになっていた。たった20日程でこの様になるのかと思うとがっかりである。しかも草は花が咲き種が出来かけている。急いでとらないと又草が生える。
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 草取りをしながらこの理由を色々考えてみた。正解かどうか判らないが自分なりに納得した考えを導き出した。要は草取りをしても完全に根が取れるわけでなく、ひげ根が切れて地中に残ったり、途中で根っこが折れたりしているのであろう。考えてみれば秋から冬にかけて地上の草は枯れても地下で根が生きていて春に芽吹く。このことが草取りをするたびにおこっているのではなかろうかと勝手に結論付けた。
 16日は、日中草取りをすると熱中症になる恐れがあり、夕方4時半頃から2時間ほどしたが暑くてシャツや首に巻いたタオルがビショビショ。しかし思ったほど草取り面積が確保できず達成感はあまりない。
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 そこで翌17日、朝5時起床し5時半頃から開始。まだ畑には太陽の光は差し込んできていない。しかし空を見上げれば雲には光が当たり綺麗である。また鳥がさえずり、温度もさほど高くなくやるぞと言う気が高揚してくる。
 7時半頃からクマゼミが「ワッショ、ワッショ」と鳴き出す。その後アブラゼミなどの声が聞こえてきた。時折風が吹いてきて、汗でぬれた衣服から気化熱を奪い心地よい。大自然の中に生きているという感じがしてきた。
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 また草取りをしながらふと後ろを振りむけば草がなくなり綺麗になった光景が目に入って来る。自分がした仕事に対する成果が目で確認出来てすごく嬉しくなる。それでさらに目の前にある草を取ろうという意欲がわき上がってくる。9時頃からは気温が上がってきて水分補給をしばしばするようになる。11時過ぎまでやって畑のおよそ1/5程度を取り終えた。
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 畑のいたるところ、草の生え際に蟻塚が在り草を引き抜くと中から蟻が出てきて大騒ぎ、蟻にとっては気の毒なのだが仕方ない。今TV等で騒がれている「ひあり」ではないので攻撃性は無い様である。
 それにしてもこの達成感と至福感は一体何なのだろう。久しく味わった事が無い。しかもお金もかけずに安上がりでこんなに大満足が得られるなんて思いもしなかった。多分汗をかき、手足の適度な疲労感、そして何よりも成果をすぐに目で確かめられたことがこの達成感に繋がったのであろう。これからも草取りをして達成感を連発したい。

2017年07月20日

日帰り津和野バス旅行

 9日の日曜日バスツアーで津和野に行く。家内がインターネットショップの会員になっていたところ、バス旅行が当たったと手紙が来た。旅費は本人只だが、同行者は6000円弱必要と書いてあった。家内は何度か津和野には行っているのだが、私はまだ行ったことが無かったので、同行することにした。
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 ところで7月4日の未明から島根県浜田地方は大雨、その後九州方面で大雨になり被害は甚大となっている。旅行日が近づくに連れて津和野の天候が気になり毎日スマフォアプリで検索。当日も朝、検索すると雨・雷と出ていた。そこで合羽と雨傘を用意し出かける。
 尾道駅前を7:40スタート。一路津和野にむかうのかと思いきや、最初ファクトリーに寄っていくと添乗員さんが言う。何のことか分からない。バスは西に向かわないで福山に向かう。福山港近くの革製品の製造工場に連れて行かれる、ムトンのシーツや毛皮のコート、ハンドバックなどの製品を製作する会社である。この様なバスツアーには必ずツアー客に何かを買わせるような仕組みが有るのだとか。
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 そこで1時間ちょっと時間をつぶし、福山東インターから山陽道に入る。結局尾道インター横を通過したのは10:30であった。考えてみれば尾道駅から尾道インターまで2時間50分掛かった事になる。中国道に入る頃から雨はやみ、途中の高津川ではアユ釣りをしている人もいたが、川の淵のよどみには先日の雨で流された木っ端が多数浮かんでいた。津和野に着いた時は晴れて間がのぞいていた。
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 昼食は旅行代金の中に入っているもので済ます。中には差額を払ってもう少し豪華な食事をされる方もいた。
食事後、森鴎外旧宅を見学。それから街中を散策し、鷺舞の銅像や水路で鯉が泳いでいるのを観たが、ここの鯉は老齢で丸々太っていて「豚鯉」と呼ばれているとか。また内部が椅子でなく畳み敷きの教会を見学した。
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 さらに「華泉」と言うお酒を作っている酒造メーカーの見学をして、きき酒をしたところ、気にいったのが有ったので原酒4合瓶を買って帰る。津和野の滞在時間2時間ちょい。
 その後岩国の錦帯橋に行く。久しぶりの錦帯橋である。AFSの留学生が我が家にホームステイしている頃毎年のように訪れていた記憶が有る。
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 1時間弱の自由時間、錦帯橋は渡らないで近くのホテルのロビーでコーヒーを飲んで過ごし尾道には19:30頃帰ってくる。まさに12時間の行程であった。
 津和野・津和野と思っていたのが叶えられ、しかも天候に恵まれてラッキーであった。
 ただ歳をとってきたせいか、途中バスが止まるたびにトイレで用をたす必要があった。また日頃トイレは洋式トイレを利用しており何も問題が無いが、大便の時に和式トイレしか無い場合、立ち上がるのに「ヨッコラショ」である。だんだんバス旅行などトイレに行きたい時、行けない旅行は困難になるのかもしれないなと思った。

2017年07月12日

映画鑑賞二本

 先日久しぶりに映画館に足を運ぶ。昔は神辺まで行って封切り映画を観ていたが、少し歳をとったのか神辺までが遠くに感じられ、尾道に1軒しかない「シネマ尾道」に行った。観た映画は2本で1本目は「人生フルーツ」。
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 この映画は2月4日の中国新聞シネマ欄で紹介があったので是非見てみたいと思っていた。3月に一度上映があったのだが、時間がとれなくて見そこねていた。6月になってまた上映開始されたので観に行く。
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 建築家の津端修一さん90歳と妻英子さん87歳、合わせて177歳。お二人は愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウン、ここは修一さんが日本住宅公団在職中に開発を手がけたタウンだがその一隅、雑木林で囲まれた一軒の平屋に住んでいる。宅地の一角で四季折々の野菜70種類と果物50種類を育てながら永年連れ添ったお二人が人生を豊かに楽しく生活を送っている姿を追った、東海テレビ制作のドキュメンタリーである。
家庭菜園で少しばかりの野菜を作ったりしている私達夫婦と重なって興味深く観賞した。

 映画の中に出てくる詩、「風が吹けば、枯れ葉が落ちる。枯れ葉が落ちれば、土が肥える。土が肥えれば、果実が実る。こつこつ、ゆっくり。人生フルーツ。」すごく心に響く言葉であった。
 修一さんは庭の草取り後、昼寝をしたまま旅立たれる場面が収録されていたが、理想的な旅立ちでまさに人生フルーツの完遂だとおもった。
我々夫婦もこうありたいものである。
 2本目の映画は2016年、第66回ベルリン国際映画祭金熊賞(グランプリ)に輝いた「海は燃えている」。この映画はイタリア最南端の小さな島ランベドゥーサ島で起きていることを映像化したドキュメンタリー映画である。
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 内容の一部を公式サイトより引用させてもらうと
 『12歳の少年サムエレは、友だちと手作りのパチンコで遊び、島の人々はどこにでもある毎日を生きている。しかし、この島には彼が知らないもうひとつの顔がある。アフリカや中東から命がけで地中海を渡り、ヨーロッパを目指す多くの難民・移民の玄関口なのだ。島の人口約5500人に対して、今は年間5万人を超える難民・移民がランペドゥーサ島へやってきている。島には巨大な無線施設が建ち、港には数多くの救助艇が停泊している。ひとたび難民たちが乗った船から救難要請の連絡が入ると、無線が飛び交い、ヘリコプターが飛び立つ。夜の海を照らすサーチライトが難民たちを探している。そんな緊迫した様子とは対照的に、島の日常は流れていく。家々のラジオからは音楽が聞こえ、漁師は海へ出かけ、雷の日には老女は家で針に刺しゅう糸をとおす。同じ島にありながら、島の生活と難民たちの悲劇は決して交わることがない。両者を結ぶのは、島でたったひとりの医師のみ。島の人たちを診察する傍ら、島にやってきた多くの難民たちの検診や死にも立ち会う。彼は言う「こうした人々を救うのは、すべての人間の務めだ。」少年サムエレにも変化が起こり、左目の弱視が見つかる。右目を塞いで左目の働きを上げていくために矯正メガネをつけることになる。それはまるで、今まで見えていなかったもうひとつの目で、未知の世界を見るかのように──。』・・・引用終わり。
 この映画を観ながらもし将来北朝鮮の体制が崩壊したりするとおそらく何百万人もの難民が日本にやって来るのでは? そのとき日本はどのような対応をするのであろう、巡視船の数は不足し、色々な病気が持ち込まれないようにする検疫体制だって整っていない。今騒いでいる「ヒアリ」どころの騒ぎではない。かってベトナム戦争の時、ボートピープルが1万人ほどやってきたがその比ではない。巡視船を総動員すればその間に尖閣が中国に占領される恐れもあるし。自衛艦を出せば騒ぐマスコミもいるだろうし、何も考えていない日本、無策の日本に気をもむ。考えさせられる映画であった。

2017年07月03日

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