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10/13 令和t7年度北部圏域ネットワーク(医療・連携連携)会議
09/21 腎癌切除の道のり PART 2
09/21 腎癌切除の道のり PART 1
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 10
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 9
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

白内障手術

 「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」中国の古典「孝経」にある言葉である。この言葉を母親が小さいときから私によく言い聞かせくれていた。意味は「親孝行というものは難しい事ではなく、自分の体は手足から髪の毛、皮膚に至るまでことごとく父母から頂いた物である。それを不注意にあるいは不摂生で傷つけることは親を悲しませ、傷つけるに等しく親不孝なことである。よってそうしない様な生き方が親孝行の第一歩である。」私は母親の言葉を守り出来るだけ親不孝にならないよう注意をしながら生きてきた。
 今迄に体にメスを入れたのは10数年前に痔の手術をしたのと今回の白内障の手術2回だけである。
 平成9年に家内が飛蚊症になったとき一緒に眼科に行き診察を受けたところ白内障と緑内障だと診断され、それ以来20年点眼にて治療を受けてきた。このところ右目の視力が落ち、物が二重三重に見え、霞がかかってきたことを先生に話したところ、取り敢えず右目を手術をすることになり10月31日に執刀してもらった。
 手術前にはパンフレットを貰い色々説明を受けていたので何の心配もなかった。緑内障もいずれ手術になるであろうが、白内障の手術をした後の方が良いとのこと。
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 白内障は老化の一種で髪の毛が白くなるのと同じで有り、避けることの出来ない物で、敢えて毀傷した訳ではない。遅かれ早かれ多くの人が経験するのだと思う。
 手術は日帰りで朝入院して点眼や抗生剤の点滴を受け昼前に手術室に入ったが15分ほどで終わる。後は眼帯をしてもらい部屋で17時まで寝ていて退院した。
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 翌日診察を受けるために眼帯を外してもらったところすごく明るく物が見えた。左目はよく見えると思っていたが今や、右目の方が明るく見えるため左目が霞んでいる。TVの画面を見ていても画面上の文字が右は黒々と見え、こんなにも黒いのかと思う。左は少し灰色がかっている。そして外の風景も明るい。いままで家の中で暗い暗いと言って電気をたくさんつけていたが、白内障のせいだったのだと認識した。
 眼内レンズは単焦点と多焦点レンズ(保険がきかない)が有るが、歯科医として細かい仕事をするので先生にどちらが良いか相談したところ、自分は眼科医で同じように細かい仕事をするので多焦点レンズはしないと言われ即、単焦点レンズにしてもらった。
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 手術後、日中はゴミが入らないように起きている間保護メガネ(ゴーグル)をかけ寝るときは金属製の眼帯をして寝ている。そして1日4回3種類の目薬を5分以上の間隔で点眼するのが大変である。私の場合はそれプラス2種類の緑内障の目薬の点眼が有り、時間を気にしながらの生活が続いている。
右が良くみえるようになり、診療用のメガネは右側を急遽、眼鏡屋で度のないレンズに入れ替えて貰った。これで何とか診療には差し支え無いようだ。左も今度手術をしたらそのときはメガネを新調しよう。
 ところで昔読んだ本の中に「目医者、歯医者が医者ならば蝶やトンボも鳥のうち」と書いてあった。眼科医と歯科医とを馬鹿にした言葉で、この言葉に発憤しながら私自身は歯科医師としての腕を磨いてきたつもりである。今回の白内障手術を経験して目医者さんは蝶やトンボどころではなく、立派な鳥。大鷲だと思った。誰が言い出したのか知らないが言ったやつに文句を言ってやりたい。
なお、昔、武見太郎医師会会長が歯医者を「拾い乞食」とよんでさげすんでいた時代もあった。この言葉にも私はずいぶん発憤して頑張ったつもりである

2017年11月02日

みのりの秋

 秋も深まりまもなく晩秋にかかろうとしている。我が家の家庭菜園では秋の収穫が始まった。と言ってもサツマイモと柿とカボチャである。サツマイモは「紅はるか」と「安納いも」の2種類を植えていた。サツマイモの作付けは今年で3回目であったが、なにぶん素人である。6月に植えたときは毎日のように水やりをしていたが、それでも何本かは枯れて植え直しをして何とかこの秋を迎えた。
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 この秋は雨が多く収穫時期を見極めるのに苦労した。下手をすれば芋が水太りで亀裂が入ったりするしタイミングが難しかった。7日〜11日に沖縄の孫2人が秋休みを利用して尾道にやってきた。それで芋掘り体験として一畝を掘り起こして一緒に収穫をした。そこそこ大きくなっており個数もまあまあの収穫があった。残りは日を改めて休みを利用して収穫した。
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 また柿は技工室の前に西条柿、畑の横に次郎柿を植えているが今年は次郎柿が大豊作であった。柿はものぐさな私にとって便利な果物である。肥料もせず、消毒もしない。ほったらかしで実がなるのが素晴らしい。
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仕事の合間を縫いながら4日ほどで「おれい柿」5個ほど残してコンテナ5杯分の収穫をした。家内と私二人ではとても食べ切れる量ではない。家内は干し柿にすると行って60個ほど皮むきをして干した。また冷蔵庫にも少し保存した。従業員さんやご近所に配ったりしたが、それでも処分しきれなく、「ご自由にどうぞ」と書いてコンテナごと待合室に置いた。患者様には好評であった。
 なお収穫した柿の中に生育途中で合体したのかよくわからないが、一つのへたから2個の柿が出来ている様に見える奇形種があった。

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芋と柿を沖縄の孫達にも贈って喜ばれ、食べている様子が家内のLINEに届いたようだ。
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 カボチャは2本苗を植えたが「ひょうたんカボチャ」だけが枯れないで実をつけた。今迄に4個ほど収穫したがまだ畑には10個ほど有る。これからの時期果たして黄色になって収穫できるかどうかわからない。味はそれほど良いとは思えないがそれでも食卓を賑わせてくれるのでありがたい。
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 今、畑では大根、人参、ごぼうが少しずつ大きくなっている。タマネギは苗が少し大きくなってきたのでもう少しで植え替えの時期を迎える。大根は11月の終わり頃から収穫可能であろう、人参やゴボウは春まで待たなくては。
 畑仕事をしていると近くの人たちが来てあれこれ知恵を授けてくれる。有り難いことである。ただ古希も過ぎてくるとあれやこれやと想いは巡るのだが体が思ったほど動かずもどかしい。気分転換を含めてこれからも家庭菜園を続けて行こう。

2017年10月29日

全歯懇に出席して

 昨21日(土)ANAクラウンプラザホテル岡山にて全歯懇(全国歯科大学同窓会・校友会懇話会)が開催され出席した。と言うのもこの9月から出身校の北海道医療大学歯学部同窓会の副会長に就任した。7月に大学の父兄後援会支部長会議で札幌の行った際、同級生で同窓会長のM先生より「齊田先生、尾道歯科医師会会長も退任されたことだし少し同窓会を見て欲しい」と言われ、夜中まで飲みながら頼まれたことによる。何で今更と思ったのだが同窓会の会員の中では最高齢であり、永く生きてきた経験を活かして欲しいとのことで引き受けた経緯がある。
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 当日M会長と専務理事のN先生が北海道から来られて合流。出席の各大学同窓会の役員の先生方の蒼々たるメンバーに驚き圧倒される。
最初、懇話会として兵庫県立大学大学院教授の筒井孝子先生による「地域包括ケアシステムにおける医療、介護、生活支援の在り方・・歯科関連専門職の役割と課題・・」と題して講演を頂いた。
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 地域包括ケアシステムを巡る背景として、今後多死化が進み人口の急激な減少が起こる。50年後には今より4000万人が減り、働き手がいなくなる。その過程で2025年問題があり、私を含めた団塊の世代が全員後期高齢者になり、医療と介護の供給が追いつかなくなる見通しがある。そこで高齢者が住みなれた地域で自分らしく生活を続けられるように医療・介護・福祉・保健の他職種が連携し、地域で支え合う仕組み「地域包括ケアシステム」を推進することが求められている。
 尾道においても7つの生活圏域に分かれネットワークの構築が進められている。私も北部圏域ネットワークのコア会議メンバーとして名を連ねているが、この地域包括ケアシステムに歯科がどのような立ち位置でしかもどのように関わるか悩んでいたところ、この講演でヒントをもらった感じである。
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 また二人目の演者は日本歯科医師会常務理事の小玉剛先生で「地域包括ケアシステムにおける歯科の立ち位置」と題して講演された。日本歯科医師会は平成元年から8020運動を展開し80歳で20本の歯を残すことに取り組んできたが、現在8020達成者は50%を越えるまでになった。しかしそのことが新たな問題を引き起こしている。認知症になったりして口腔機能管理が出来なくなり、残った歯が虫歯になって歯が根元から折れたり、感染を起こしたり、より悲惨な状態になってきている事実がある。これにどう関わるかという事で「食の支援」、「多職種協働」、「認知症対応」などやるべき事は多くあり、これからの仕事に参考にしていきたい。
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 その後会場を移し懇親会が行われ楽しいひとときを過ごした。

2017年10月22日

沖縄小旅行

 A子の結婚式がバリ島の「アグン火山爆発」の恐れが高まり結婚式が延期になったことは前回のブログで書いた。出席予定で休暇を取っていたので、その休暇(9月28〜30日)を利用して代わりに沖縄の息子のところに行った。
 2年前、息子は沖縄で「みのる歯科」を開業したのだがまだ1度も見に行ったことが無く、家内と様子を見に行くことにした。息子たちを驚かそうと思い事前に連絡もしないで行く。空港からタクシーでホテルに寄りチェックインしてすぐに向かう。
 途中米軍那覇軍港横を通ったときタクシーの運転手さんが「今すぐにアメリカと北朝鮮が戦争をすることは無い」と言う。「どうして」と聞いたら埠頭に物資が山積みになっていない。戦争をするのであれば、ここに物資が山積みになると言うのである。なるほどと思う。
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 息子の診療所に着いて家内が保険証を出すと受付の子が怪訝な顔をして診療室に入っていった。まもなく息子が出てきて、「どしたん」とあまり驚きもしないで言うのでこちらも拍子抜け。診療室内部を見たり、待合室の雰囲気を感じたりして1時間ほど過ごす。
待合室に乳児医療の案内が張ってあった。尾道では小学校6年生卒業迄では1医療機関につき通院1日500円の一部負担で4日間でマックス2000円の負担となっていた。この10月1日から親の収入にかかわらず中学3年生終了までにこの制度が拡大された。
ところが沖縄では中学卒業まで一部負担金なしとある。政府からの手厚い補助金があるので可能なのであろう。沖縄の出生率はダントツの日本一である。これも手厚い政策があるからだと感じる。尾道もだいぶ近づいてきているが沖縄並みになればもう少し人口が増えるのかもしれない。
 木曜日だったので孫達も塾が有ったりしてゆっくり話せなかった。翌日は「ゆいレール」の1日券を買ってまず首里城公園に行く。首里城駅から城壁ルート沿いに歩いて「守礼門」へ行く。左手に城壁の石垣の整然さを右手に首里の町並みを見ながら歩いたが景色はなかなか良かった。
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 城内に入ったのは25年振りくらいで有る。結構ゆっくり見てまわり、王宮の中の「鎖之間」では庭園を見ながら一人310円でお茶と琉球菓子を食べながら庭園鑑賞ができるようになっていた。昼時でもあり疲れていたので休息かたがた利用した。
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 お客は私たち2人の日本人と欧米人2人、そして後は全員中国人であった。そういえばデパートに行ってもどこに行っても中国人の観光客の多いこと。ホテルでも中国人の観光客が多く宿泊しているようでエレベータ内でも中国語が飛び交っていた。国慶節の直前だったので多くの観光客が来ていたのかもしれない。一瞬私たちが中国へ旅行したのでは無いかとさえ思った。
 首里城観光の後、あちこち行こうと思っていたが疲れて結局首里城を観光しただけで終わった。夜は孫達と食事をしたが息子は仕事が有り会えず。
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 翌日は一番上の小6の孫娘は朝からお弁当を持って塾に行く。そこで3人の孫と嫁達と「対馬丸記念館」に行く。「対馬丸」は昭和19年8月21日沖縄から九州へ学童疎開する子供達を乗せて長崎へ向かった。翌8月22日夜10時過ぎ米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により撃沈され学童784名を含む1482名が犠牲になった。
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 記念館には犠牲者の遺品や亡くなった学童の写真、生存した人の手記などが展示されていた。またパソコンでは映像を使って解説がなされており戦争の悲惨さがよくわかる物であった。亡くなったお子さんのご家族の手記等を読むと目頭が熱くなるのを感じた。小学校4年と2年の孫も熱心に見学していた。
沖縄はまだ夏の真っ盛りという感じであったが、こちらは秋の気配で日本の広さ感じた。

2017年10月04日

バリ島「アグン火山」警戒レベル最高

 実は10月1日、私の家に1年間ホームステイしていたマレーシアのA子がバリ島で結婚式を挙げることになっていた。実質的には籍も入って結婚しており、息子も1歳になっている。今年の正月に息子の顔を見にマレーシアに行った。
 結婚式に参列して欲しいとのことで今年2月末、ネットのDeNAトラベルでインドネシア・ガルーダ航空の予約、バリ島アヨディアリゾートホテルの予約をして支払いを済ませた。また前泊するための日航関空ホテルの予約、新幹線の往復切符も手に入れA子の息子のお土産などの準備。さらに私が着ていく衣装なども準備して万全をきたしていた。
 27日に尾道を出発するので、この連休に荷物のパッキングをして旅行の準備をすることにして昨日昼からパッキングを開始していた。ところが15時のTVニュースでインドネシアバリ島のアグン火山(標高3031メートル)が爆発の危険が出てきてインドネシア政府が警戒レベルを最高に引き上げたと報道された。全く寝耳に水の出来事で有り、楽しく準備をしていた手が止まってしまった。
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 急いで外務省の「海外安全ホームページ」を開くと「インドネシア:バリ島アグン火山の警戒レベル引き上げに伴う注意喚起(新規)」が掲載されていた。
内容は「現在は山頂から9キロ圏内と、山の北、北東、南東、南から南西部の12キロ圏内への立ち入りが禁止され、現地警察は住民を避難させている。万が一火山が噴火した場合、航空機の運航への影響やぜんそくや気管支炎、肺気腫、心臓疾患といった健康被害が生じる可能性があるとしている。
在デンパサール日本国総領事館では、アグン火山やその周辺への渡航を予定している方に対し、中止や延期を呼びかけている」とあった。また他のネットニュースでは9400人が自主避難したと出ていた。
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 ひょっとしたら行けないか、行ったとしても帰れなくなる恐れがあると思った。そこで家内がすぐにA子に電話するも繋がらない。それでLINEで「バリ島が大変」とメッセージを残す。2時間半ほど経ってA子から電話が掛かってくる。結婚式は中止して来年4月に改めてやるとのこと。
 こうなるとバリ島に行く理由も無くなり急いで旅行のキャンセルを始める。
新幹線切符は新尾道駅へ持っていき手数料を払ってキャンセル完了。その間、家内は前泊予定の関空ホテルに電話したが旅行社経由で予約していたのでそこを通さないとだめ。連休中で旅行社に連絡するがどうにもならない。25日月曜日まで待つことになった。日にちが悪すぎる。
 また航空機とバリ島のホテルについてはDeNAトラベルを利用して手配していたので電話をかけると飛行機については手数料を払えばキャンセルできるとのこと、ところがホテルはキャンセル出来ないとのこと。また海外旅行保険は自分でするように説明を受ける。
かなりキャンセルが可能なので一応ホットする。最終的な金額ははっきりしないがなんやかんやで20万円近くは無駄になるようである。
来年4月の結婚式には今時点で出席するかどうか決まらない。
 普通ならバリ島の火山が爆発したとしても大して気にもならないで有ろうが当事者に当たると大変なのだと思い知り、こんなこともあるのだと初めて経験した。と同時にがっかり気が抜けた

2017年09月24日

台風一過とカープ2連覇

 この17日、18日、私にとっては久しぶりに農作業を含めて何も予定の入っていない休みであった。17日は台風18号が接近し昼前から雨になり、徐々に風が出てきた。ずっとNHK・TVをかけていて台風の動きを見ながらごろごろとしていた。九州各地、特に大分県などは大変な災害が発生していた。
 尾道はほとんど何にも災害が無くてホットする。いつも思うことであるが、日本各地に比べ、尾道ほど災害が少なく安全な場所は無いと実感している。それが証拠に、多数の古いお寺・神社などが今も残っている。また南海トラフの地震が発生したとしても、津波の高さは一番低いと見積もられている。
Iターンを考えている人は是非、尾道に来られたら良いと思う。
 17日21時頃には雨がやみ、風も収まってきた。それで夜は窓を少し開けて寝る。翌18日は起床時雲一つ無い秋晴れまさに台風一過ですごくさわやかであった。
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 ところでカープは9月14日にDeNAに勝って優勝マジックを1としていた。16日のマツダスタジアムでのヤクルト戦で地元優勝を決めると選手もフアンも心に決めていた。14時からの試合で有ったため診療しながら時々院長室のTVを覗いたりしていたが残念ながら4:5で負け優勝はならず。
 翌17日は台風のため試合前中止、TVニュースでは朝早くから試合を信じて球場前にならぶフアンの姿が映し出されていた。
 18日、甲子園球場で2位の阪神との直接対決となる。球場には行けないが運良く休みであったので、14時から居間と自分の部屋両方のTVをかけてRCC放送とNHK・BS1を見比べながらTV観戦をする。試合は優位に進めるも追加点の欲しいときに凡打で点が入らず「三振なら俺でもすらー」と言ったり「フォアボールを出すと俺でもフォアボール出せらー」など悪態をつきながら観戦。それだけ力が入っていた。同点に追いつかれ困ったなと思うが、8回にバティスタのタイムリーで1点勝ち越したときには万歳がでる。
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 そして9回2アウト後、代打伊藤がショートフライで3アウト試合終了。思わず大声で「ヤッター」と声が出る。セリーグ優勝が決まった瞬間である。球場内も割れんばかりの万歳の声が両方のTVから聞こえ、スクリーンに三塁側のスタンドが大写しであった。この瞬間、今日の台風一過の空のように今迄もやもやしていた物が吹き飛んで嬉しさがこみ上げてきて少し目頭が熱くなり感極まった。2連覇は37年振りとか。
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 夕食はワインを開けてカープに乾杯しながら食べる。夜も遅くまで各局がカープの放送をしていたのを観ながらいつの間にか寝ていた。少しお酒が過ぎたのであろう。
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 翌日の中国新聞はカープばかりで紙面に赤が目立った。またスポニチも1面と26面見開きでカープの優勝を報じていた。嬉しい限りで有る。次は今年こそ日本一だ。

2017年09月20日

終活・断捨離

 古希を過ぎたせいか今まであまり気にしなかった言葉が耳に残るようになった。例えば定年離婚、熟年離婚、「就活」ならぬ「終活」、断捨離など今まで聴いても右から左へスルー
していた言葉が何故か残ってしまう。
 TVドラマやコマーシャルなど色々のところでその言葉が出てくる度に気になりだした。とりわけ人生最後を迎えるに当たり身辺整理やお墓の手配などをするのが「終活」だそうだが、エンディングングノート、散骨、樹木葬と言った言葉も出てくる。さらに断捨離という言葉をもよく聞くようになった。
 少なくともまだ30年、100歳まで生きるつもりの私にはまだまだ先のことと思っている。
ところが先日家内が急に家の中を少し整理しだした。どうしたのかと聞くと終活だという。というのも1年半前にマンションに引っ越しをしてきたが、前の家に比べ面積は7割程度で収納場所も少ない。それで引っ越しの時かなり多くのものを処分したのだがそれでも不十分で、一部屋すべてを納戸代わりにしているが、物の上に物が積み上げられている。
 昨今は色々処分するにも勝手に捨てられず、お金を出して引き取ってもらわなくてはならないものも多々ある。
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 家内の目に一番に入ってきたのがゴルフ道具である。家内は膝が悪くとてもゴルフどころではない。私はサラリーマン時代にゴルフを少ししたが、歯科医になってからほとんどしたことはない。生涯でコースを廻ったのは20回程度かと思う。好きな人なら1年でそれくらい廻るであろうに。それでも10数年前にアイアンセットを買って練習場で少し使い、ゴルフ場で2回程使ったような気がする。それ以来触ったことも無かった。
 ゴルフ好きな人なら私の年になってもプレーをしておられるが、その多くの方がハンディーを持っておられ、エイジシュートなどを狙っていらっしゃるのかもしれない。
 私はあまりゴルフには興味がないので家内が処分するよと言ったとき迷わずOKを出す。早速、家内はリサイクルショップに電話しゴルフセットを引き取ってもらえるかどうか確認をする。以前私の三つ揃えの背広を持ち込んだときベストのみ300円くらいで引き取ってくれたが、後は引き取りを拒否され背広は燃えるゴミとして処分したことがある。ゴルフクラブも持ち込んでみないとわからないとのこと。
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 リサイクルショップの人が小一時間、本などを出して鑑定し私のアイアンセットは1本1000円で10本、1万円になる。ドライバーやパターなどはたいした金額にはならなかったが、それでもゴルフバックや新品のゴルフボールなど二人分併せて2万円ほどになった。お金を出して捨てるよりは少しでもお金になって良かった。
 ところで家内はここ20年以上和服を着たことが無い。そこで今度は和服を処分すると言っている。ただし母親に買ってもらった着物にはまだ未練があり捨てられないようである。
私もアルバムやここ何年も着たことも無い服、本などいっぱいあるのだが、思い切ることができない自分が情けない。
 家内が少しやる気になっていたので、冗談半分に「俺を断捨離しないでくれ」というと「お父さんを断捨離すると、私食べていけないから」との返事。
少し安心するが、今までのように亭主関白でいるといつ断捨離されるかもしれない。言葉遣いや態度に気をつけ、断捨離されないように努力しなくては。
 それにしても本気で断捨離の意味を考え、物への執着を捨て綺麗さっぱりと見切って部屋を広くしなくてはと思う。

2017年09月06日

今年のお盆休みPARTV

 翌8月15日は72回目の終戦記念日。帰りの新幹線の時間にはまだ少し時間があったので、思い切って靖国神社に参拝することにした。十数年前、普通の日に一度だけ参拝したことが有る。しかし終戦記念日に参拝するのは初めてである。よくTV等では靖国神社の周辺で靖国反対などのデモが有る為、家内は怖いと言ってホテルで待機。
 大手町駅から東京メトロ東西線で出かけ九段下で下車。尾道と違って一つの駅にも多くの出口が有ったり、連絡通路があったりで途中駅員さんに聞きながらやっと靖国方面の出口で地上に出る。そこには北朝鮮に拉致されたと思われる人達を救出しようとしている「特定失踪者問題研究会」を始め色々の団体がビラ配りをしている。私は拉致被害者全員が救出されるよう署名をした。
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 そこを通り抜け交差点を渡るとパワースポットなのか急にあたりの「気」が変わった感じがし、とても厳かな雰囲気になった。朝8時を回った時間帯で有ったが既に多くの人が集まり参拝をされている。昨日の葛西臨界公園と違いクマゼミの鳴き声はほとんどなく、ミンミンゼミの声が主である。
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 尾道あたりで神社に参拝する時、鳥居をくぐるたびに深々とお辞儀をされる人はいない。ここでは全員が立ち止り、きちんとお辞儀をして通って行かれる。また帰る時も振り返って立ち止り同じ様に深々とお辞儀をされていた。それだけで清々しさを感じた。当然私も見習って第一鳥居・第二鳥居・神門・中門鳥居とお辞儀をして前に進む。
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 旧陸軍の軍服に身を固めた人もいた。また各地方から団体で来られている人達も多数おられ中には礼服姿の人もかなりいらっしゃった。
 大手水舎で手を清め、口をすすいで拝殿の前に行き、柏手を打って今の平和な世の中の有難さを祀られている御霊に感謝する。
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  「靖国へ戦さ終わりし日に参り今の平和を御霊に謝す」と下手ながら詠んでみた。
 その後境内を観て回るが、記念館の遊就館は時間が無いと思い見学はしなかった。また拝殿の近くには多くのTV局や新聞社等が陣取って恐らく政治家の誰それが参拝したとかいつものようにニュースで流すのだろう。
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 思うに古来日本人は大きな木や岩などにも神宿るとして八百万の神を信仰して来た民族である。この靖国に祀られている神霊は戊辰戦争の時からの戦没者である。その様な場にイデオロギーは持ち込むべきではない様な気がする。ましてや死者に鞭打つ様な行動はすべきではないと思う。
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 他にも「母の像」や東京裁判の不法性を訴え続けたインドのパール判事の顕彰碑等が有った。彼は東京裁判において終戦後に戦勝国が勝手に作った国際法で日本を裁く事の不当性を訴えたのであり、以前NHKテレビの特別番組「東京裁判」でもパール判事の事は触れられていた。今流に言えば東京裁判は戦勝国による敗戦国に対するいじめ(復讐)以外の何物でも無かったのではないだろうか?
 靖国神社が平成31年に創立150年を迎えることから、途中の参道には靖国神社が出来た頃の錦絵等を始めその歴史が判るようにパネルが展示されていた。
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 1時間半ほどであったが8月15日に参拝が叶い、また色々のことに想いを馳せられて良かった。

2017年08月19日

今年のお盆休み PARTU

 翌日の「はとバス観光」は「ボリショイサーカス幕張公演」鑑賞コースにした。天候はドンヨリと曇っていたが雨はまだ降っていない。
サーカスそのものは子どもの頃に1度、「木下サーカス」を観たことがある。帰って息子に聞くと俺たちは連れて行ってもらった事が無いとの事。悪いことをしたなと反省。
 「国立ボリショイサーカス」は世界的に有名であり一度は観てみたいと思っていたので、バスに乗車した時から気分は高揚。このコースは最初葛西臨界公園にある「葛西臨海水族園」を見学して昼食後幕張メッセでサーカスを観ることになっていた。
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 2020年東京オリンピックが開催されるが、その会場の多くが東京湾の埋め立て地に出来るのだとガイドさんが説明をしてくれた。既存の施設名や新たに建設される競技場施設の説明を受けたが、そうなんだと思うだけで何も頭に残っていない。ニュースなどで施設建設についてゴタゴタがあったので本当に間に合うのか他人事ながら心配になる。 
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 葛西臨界公園に付くとやたらとセミが鳴いている。しかもクマゼミの声であり驚く。昔クマゼミは関東にはいないと思っていたのだが。帰宅してネットで調べると近年の温暖化により北限が拡がって来たとか、この葛西臨界公園のように埋め立て地にはよそから木を移植して緑化を計ったため、木の根っこの廻りの土に幼虫がいてそれが繁殖した等の説が有った。私は尾道と変わらないぐらい鳴いていたので木の移植説が正しい様に思った。
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 通常水族館と言うが葛西臨海水族園は元々、上野動物園開園100周年を記念して計画されたことから水族園と言うのだとバスガイドさんが説明してくれた。
 園内には色々に分類された水槽が有り、綺麗な熱帯魚や寒い地方の魚など展示されており、しかも展示水槽の上にあがり水槽の中が見物できるのには驚いた。またフンボルトペンギンやミナミイワトビペンギンなど4種のペンギンがいて楽しませてもらう。
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 その後バスにてディズニーランドのある千葉県浦安にある「東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾート」内の「ダイニングスクエア ジ・アトリウム」に移動。この頃から雨がひどく降り出す。ここで和・洋バイキングの昼食を食べる。ここのホテルからはディズニーランドのシンデレラ城やビッグサンダー・マウンティン等が見えた。
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 その後幕張メッセに移動し、「ボリショイサーカス」を鑑賞。場内は撮影禁止である。色々のショーを観たが、一番の見所は「空中ブランコショー」。空中で宙返りをしながらブランコから次のブランコに移るのは圧巻で場内から何度も拍手喝采。体操選手が鉄棒で難易度の高い技を使って宙を舞うのよりも迫力があった。ただ虎やライオンなどを使った猛獣ショーは無く、犬・猫のチンケなショーにはがっかりした。それでも2時間楽しませてもらい、今日の「はとバス」も合格点であった。
 夕食は6月に来たとき食べた丸ビルの中のお店を訪ねたが既に閉店し、新たなお店がオープンしていた。テナント料の高い場所で営業するのは至難の業ではないなと思った。

2017年08月17日

今年のお盆休み PARTT

 さいだ歯科医院は13日から16日まで盆休みであった。6月に東京に行き「はとバス観光」をしたのがすごく良かったので、この盆休みにまた「はとバス観光」に出かけた。ホテルは前回と同じところに宿泊。
 東京についてチェックインしてすぐ、「浜夜景物語」と言うコースに出かけた。丸の内を17時10分に出発して途中東京湾のレインボーブリッジを通り、今話題の豊洲市場を横目に羽田空港では高速道路が少し暗渠になっておりその上をANAの飛行機がゆっくり動いているのが見えた。
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 途中色々とバスガイドさんが説明してくれる。地理的に不案内で有りしかも何も知識の無い田舎者には「はとバス」は本当に有り難い。それにしてもここ尾道では絶対見れない光景が続いており、京浜工業地帯などを見ると日本にもこのようなところが有るのかと驚くことばかりであった。
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 横浜中華街に到着。昔、浜の叔父に連れらて中華料理を食べに来たことがあるが、何という店だったか覚えていない。中華街には食べ物屋が溢れており驚く。
この「はとバス」のコースには浜中華街「重慶飯店 別館」で本場四川料理の夕食付で、フカヒレスープ、北京ダックなど量はさほど多くないが八品が付いていた。50分の食事時間であったためか、料理はタイミング良く出され、味も口に合っていて、あっという間に食事を終了。
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 その後各自で中華街の自由散策(50分)となったが迷子にならないように、中華街大通りを散策し、土産物店などを見て廻る。中華街は多くの人が行き交い大賑わいである。
 その後みなとみらい21にある「浜ランドマークタワー」に向かう。途中ライトアップされている大きな観覧車を見たり、浜港の倉庫を車窓より眺めながら行くがここでもガイドさんの説明があるので、納得しながら観光が出来た。
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 到着後高さ273メートル69階に位置する「スカイガーデン」に上がり浜の夜景を満喫する。丁度タワーの上からは浜スタジアムが見え、DNAと阪神が試合をしている最中のようであった。結果は8:2でDeNAの勝。ついでに書けば、広島は4:1で巨人に勝ったが、残念ながらまだマジックは再点灯しなかった。なおこの日、巨人の阿部が2000本安打を達成した。
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 その後バスは帰途につく。バスの中から見る東京の夜景も素晴らしかったが、お盆と日曜日が重なっていたので、ビルの窓の明かりが少し少なかった。
東京駅地下街のコンビニで缶ビールを買って帰り、風呂上がりに飲んで寝る。

2017年08月16日

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