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大先生(元院長)のブログ

古希を迎えて

 先日私は満70歳いわゆる古希を迎えた。古希を迎えるのに多少の不安があった。というのも「70歳の壁」という言葉があるが、世の中には70歳を目前にして亡くなられる方がいらっしゃる。尾道歯科医師会でもここ4年くらいで3人の先生が亡くなられている。とにかく70歳を越えることが出来て今はほっとしている。従業員の皆や後輩の先生からからお花を頂いて古希を実感できた。
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 ところで誕生日の3日後に広島県歯科医師会国民健康保険組合から「国民健康保険高齢者受給者証」が送られてきた。4月から医療機関を受診する時は従来の保険証とこの高齢者受給者証が必要になる。この受給者証には窓口の負担割合が記載されている。本来70歳になると今まで3割負担であったのが2割負担となり軽減されるのである。しかし私の場合は現役で働いていることから現役並みの3割負担と変わらずである。
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 先日国の予算案が国会を通過したが、ここでも高齢者医療費の増加が取り上げられていた。その昔、田中角栄が70歳以上の老人の医療費の自己負担を無料にしていた良い時代があった。私が歯科医師になった昭和59年には無料の時代が終わり、1ヶ月何度受診しようとも400円の定額負担の時代でまだまだ良い時代であった。その後800円、900円、1010円、1020円と自己負担額は徐々に増加していった。しかし平成9年には1回の負担金が500円となり、そして平成14年には1割の定率負担となった。この様に保険制度が変わる度に我が医院でも窓口は混乱をした記憶がある。
 さらに平成20年には75歳以上が後期高齢者と呼ばれ、1割負担(現役並みの収入のある人は3割)。70歳から74歳は移行期間として、原則2割(現役並みの人は3割)となっている。しかしこのように自己負担額を上げてきたが、それでも医療費の増加に追いつけず全員3割という話もぼちぼち出てきている。これからどうなるのか?
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 ところで何かの本で読んだのだが平成16年の平均寿命は男性80.5歳、女性86.83歳、ところが健康寿命となるとは男性71.11歳、女性75.56歳とあった。
これを読んでふと思ったのだが私はひょっとしたら1年ちょっとしか元気でいられないのではないかと心配になる。
 私は今まで仕事一筋に生きて来たため、全くと言っていいほど人生を楽しんでいない気がする。ここで寝込んで人生終わらすわけにはいかない。
 私は生まれてくる前、天の神様とこの地上で私がやるべき使命、命の時間を約束していたと信じている。与えられたこの天命を全うするためにも背筋をぴんと張り、故あって歯科医師になったのだから、最後の最後まで歯科医師として仕事をし、次の節目、77歳喜寿に向かって真摯に生き、今までよりは少しだけ人生も楽しんでいきたいと思う。

2017年03月30日

「2045年問題」

 この言葉を知ったのは2ヶ月ほど前である。今までに「コンピューターの2000年問題」とか「団塊の世代全員が75歳以上になる2025年問題」とかいろいろ聞いてきた。それでは2045年問題とは何なのか?
 「2045年問題」とは人工知能(AI)が人間の知能を超える「技術的特異点(シンギュラリティ)」と言われている。この説明だけでは私の頭はついていかないが、どうやらコンピューターの知能がさらなる人工知能を作り人間の知能を超える現象、またはその瞬間を意味する言葉だそうだ。まさに近未来の映画「ターミネーター」のスカイネットを想像させる。
 昨年コンピュターソフトがプロの囲碁棋士と対戦してコンピュターが勝ったと大いに話題になった。また国立情報学研究所が中心となって進めている東大入試にチャレンジする「東ロボ君」や、慶応大学理工学部の「医師国試ロボ」はまだ合格ラインには達していないが合格出来るのも時間の問題であろう。
 また昨今各自動車会社は車の自動運転の技術開発に大きな投資をしており、2020年の東京オリンピックには一部実用化するような話もある。
そこで今月12日から16日までの日本経済新聞の記事や広告を調べてみたら、なんと多くの関連記事などがあった。
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 これらの記事を読んでいると、AIやロボットに職業を奪われる職種が多数出る感じがする。たとえば自動運転になるとタクシードライバー−等の職業が奪われてしまうのかも知れない。また自動翻訳機の発展等で同時通訳の仕事もなくなるかも知れない。
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 医療関係では「遠隔診療 都市で地方で」「仕事合間にスマホ診療」などの記事を読むと血液データーなどをAIが判断して病名を決めそれに合ったお薬が処方されるようになると内科医の仕事もなくなるのかも知れない。
 その他、介護ロボットが家族の一員になったり、現在宅配便の量が増えすぎ、クロネコヤマトは配達従業員の作業量を減らす労使交渉がまとまったが、2030年頃には物流を「完全無人輸送・配達サービス」化にするプロジェクトが立ち上がっている。
 我々歯科業界では現在、歯科医が患者様の歯を削って印象(型どり)をして作業模型を作り冠(かぶせ)や詰め物を国家資格を持つ歯科技工士が製作しているが、削った歯を直接写真撮影をしてコンピュターと連動した切削マシーンがハイブリッドプラスチックやジルコニアのブロックを削り出し、冠や詰め物が製作出来るようになった。また3D印刷機というのが開発されているがこの印刷技術を利用して総義歯(総入れ歯)も製作できる。こうなると歯科技工士も職を無くしそうであるが、実は近年歯科技工士を目指す若者が少なく、各地で歯科技工士専門学校が閉鎖してきている。ある意味このAIは歯科業界にとっては朗報なのかも知れない。
今後世の中がどうなっていくのかまだまだ私には見通せない。

2017年03月20日

「摂食・嚥下機能訓練研修会」に参加して PART U

 昨年2月、広島県歯科医師会が主催する2回コースの「摂食・嚥下機能訓練研修会」1回目を受講していたが、先日2回目の研修を受講した。今回は1月に竣工した広島駅北側の真新しい広島県歯科医師会会館で開催された。研修室で座学を受けその後1階に設置された広島県歯科口腔保健センターで実習を行った。
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 前回の研修会は摂食嚥下障害の総論、検査、診断、スクリーニングの講義と嚥下内視鏡検査(VE)の実習で有ったが、今回は「発達期障害の嚥下機能の評価と訓練の実際」・「中途障害の嚥下リハビリテーションの評価と実際」の講義を聴講し、その後実習・見学をした。
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 さらに今回は新しく導入されたX線透視装置による嚥下造影検査(VF)の実際を見学した。新しく導入したX線装置は東芝製の胃透視用の高級な機器であり、画像もデジタル処理され鮮明に写る。
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 ところで摂食嚥下は通常スムーズな一連の流れで進行し、健常者にとっては普通意識しないものである。その一連の流れは6段階に分けて考えられている。まず @ 食物の認知期、A 口への取り込み、B 咀嚼と食塊形成(準備期)、C 咽頭への送り込み(口腔期)、D 咽頭通過(嚥下反射・咽頭期)、E 食道通過(食道期、蠕動期)に分けられる。
 この6つのどこかの段階で障害が発生すると上手く食事が出来ないことになる。摂食嚥下障害がどの段階で起きているのか見極める必要がある。例えば認知症が有って第一段階の食べ物を認識できないケースもある。また脳血管障害や、高齢になって機能が衰えてくると口の中でいつまでもモグモグして呑み込めないとか、吞みこんだとしても全部を吞みこみ切れずに喉に食物が残存したり、食物が食道に入らず気管に流入して誤嚥が発生し最悪死に至るケースなど様々である。
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 的確にどの段階が傷害されているのか見極めるのが重要となってくる。
 この情報を得るためには可視化して診断する必要が有り、その検査方法としてX線透視による嚥下造影検査(VF)は有用な方法である。また実際に残存している場所を確認するには鼻から極細径のファイバースコープを挿入して検査をする嚥下内視鏡検査(VE)がある。VEについては前回実習したが、今回最新式の機械が導入され前回の光学式とは遥かに鮮明な画像を見ることが出来た。
 ところで「食」と言う漢字は「人」を「良く」すると書く。まさに我々歯科医の仕事は患者様が食べ物を美味しく食べれる様にお手伝いさせていただく職業でもある。
たとえ不幸にも嚥下障害のために口から食事が出来なくなったとしても、的確な診断とリハビリを実行し、再び口から食べれるように、今回の研修を一里塚としてさらに研鑚をして行こうと思った。

2017年03月15日

中学校における携帯電話・スマホ事情

 先日私が歯科校医をしている中学校の学校保健委員会に出席した。今年度後半の委員会で「生徒の健康と安全について」報告が有った。その中で昨今世間で問題になっている携帯電話やスマホについて保持状況や使用状況についてアンケート調査を行ったことが報告された。
 「携帯電話等に係わる啓発推進会議」が現在全国一斉に「STOP 9」という「携帯電話の問題から子供を守ろう運動」を展開しており、広島県の教育関係の各団体も参加している。
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パンフレットには、携帯電話・スマートフォンによる通信を午後9時以降はしない、ケイタイ・スマホを置いて有意義な時を過ごそう!等が書いてあり、メールや通話、SNSなどに熱中し、深夜まで使用することで学習時間や睡眠時間が減少し、学力の低下をきたすことがグラフと共に示されている。
 中学校の調査では携帯電話(スマホ)の所持は54.1%で親のスマホを利用する生徒をあわせると70.2%であった。ただし生徒の自己申告アンケートなので本当はもう少し多いのかも知れないとのこと。また平日でも3時間以上携帯(スマホ)を使用する生徒が3割もいるとのこと。利用内容はLINEが圧倒的で中にはユーチューブのネットに動画をアップする生徒も居るとのことでした。
学校としては目の届かないところで様々な危険に巻き込まれる可能性を心配しており、現にLINEやツイッターで何件かのトラブルが発生していることも報告された。今後、保護者と学校が緊密に連携してトラブル回避をして行く必要がある。
 ところで私が毎月購読している「致知」3月号に古庄弘枝氏の「健康を脅かす電磁放射線の真実」と言う記事が掲載されており、携帯電話やスマホの電磁放射線(電波)の恐ろしさが書かれている。その中から一部抜粋して引用させてもらう。
『いまや現代人にとって欠かせない存在となっている携帯電話やスマートフォン(以下スマホ)。しかしその便利さの裏には、私たちの「命の根っこ」に関わる危険が潜んでいることは知られていません。
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例えば、スマホを持つ手が痺れたり、電話する時に耳の奥が熱くなったように
感じたことはありませんか。そのような自覚症状があれば、手や脳がスマホから出る“電磁放射線(電磁波)”の影響を受けている可能性があります。
 2011年に世界保健機関(WHO)の専門組織である国際がん研究機関は、携帯電話やスマホから出る電磁放射線に「発がんの可能性がある」と評価しました。
これを裏づける例として、2013年「世界甲状腺がん会議」で、イスラエルにおいて携帯電話の使用の増加に比例し女性の甲状腺がんの発症が増加しているとの研究が発表されています。
 2016年には、アメリカの国立環境衛生科学研究所が、携帯電話と同じ周波数の電磁放射線を浴びせ続けたオスのラットは、脳や心臓に腫瘍ができる割合が高まるという研究結果を発表しました。
 さらに電磁放射線の健康被害はがんに留まりません。携帯電話やスマホには、電子レンジと同じ種類の電磁放射線が使用されていますが、電子レンジは食べ物に含まれる水分を1秒間に24億5千万回振動させることで物を温めています。つまり携帯電話やスマホの電磁放射線に当たった細胞は1秒間に24億5千万回振動させられ、それが私たちの健康に様々な異変を引き起こすのです。
 目眩や耳鳴り、関節痛、不妊や流産、動悸・胸痛、頭痛、倦怠感、がん、アトピーなど電磁放射線によって引き起こされる症状や異常は、すべての臓器、神経系などに及びます。
 仙台市で「丸山アレルギークリニック」を開き、毎日150人以上の患者さんを診察する丸山修寛医師は、「電磁波が原因で何らかの病気になっている人や、電磁波のせいで治りにくくなっている人は、病気全体の9割にも及ぶ」と言い、「病気を治すには、電磁波の害をなくすことが絶対に不可欠だ」と断言しています。』・・・記事には他にも色々書かれておりドキッとする。
 この記事を読む限り、携帯電話・スマホを使用するのに勇気が必要となるが、私自身ほとんど電話しか使用しない、しかも週に数回使用する程度で有る。インターネットやE―メールはもっぱら有線で繋いだPCで対応している。本当はスマホを使いこなせないのが真実なのだが。

2017年03月03日

驚き! 「蛍の光」に4番まで歌詞が有った

 何年か前にユーキャンと言う会社が発売した「美しき日本の歌」という8枚組のDVDを購入した。購入した時にさらっと1度聞いたがそのまま戸棚にしまっていた。最近そのDVDに目がとまり、TVを見る代わりに、一巻から順番にBGM感覚で聴いた。
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 第二巻の最後に「蛍の光」が流れて来た。映像は小豆島の「二十四の瞳」に出てくる小学校、口ずさみながら聴いていた。「蛍の光窓の雪・・・さきくとばかり 歌うなり」
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 二番まで聴いて終わったと思ったら、何と続きの歌詞が聴こえてきた。まさに「えっ!」と言う感じ、しかも三番が終わると四番の歌詞が流れて来た。
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 間もなく満70歳になるが生まれて初めて耳にする。DVD購入して聴いた時は何も気づかなかったのだが。
改めて歌詞を見ると
(一)  蛍の光 窓の雪  書よむ月日重ねつつ
   いつしか年もさ すぎの戸を
明けてぞ けさは 別れゆく
(二) とまるも行くも 限りとて
かたみに思う ちよろずの
心のはしを 一言に
さきくとばかり 歌うなり
(三) 筑紫のきわみ みちのおく
海山とおく へだつとも
その真心は へだてなく
ひとつに尽くせ 国のため
(四) 千島のおくも 沖縄も
八洲のうちの 守りなり
至らんくにに いさおしく
つとめよわがせ つつがなく
 インターネットで調べたらこの歌は明治14年に文部省が制定した小学校唱歌である。
 特に四番は当時の日本国の領土を意識した歌詞となっている。
2月7日は「北方領土」の日であるが、若い世代の人たちには何のことか理解されていないように思う。この記念日は1855年(安政元年)2月7日に「日本国魯西亜国通好条約」が調印され、日ロ間の国境が画定した。この条約によって、両国の国境は択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に引かれ、択捉島から南の島々は日本の領土となったことに由来している。しかし大東亜戦争で昭和20年8月15日に日本がポッダム宣言を受け入れた後、進駐してきたソ連により占領され現在に至っている。
 卒業式などで何度も蛍の光は歌ったが、何故三番・四番を学校で教えなかったのか理由は知らない。もし四番の歌詞を学校で教えたら「北方領土の日」の意味が多くの国民に理解されるのではないかと思う。

2017年02月16日

広島県歯科医師会創立110周年記念式典に参加して

 先月、広島県歯科医師会創立110周年記念式典、並びに新会館竣工記念祝賀会の案内が来て出席することにした。当日は9時半から広島駅北側の二葉の里に建設された新会館の内覧会も有り初めて訪れてみた。
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 会の役員をしていた頃、新会館の建設についていろいろ議論をしたことが有る。今ここに出来上がった新会館を見ると本当に立派なのに驚く。今までの会館は昭和40年に建設されたもので、耐震性に問題が有った。実際、平成13年の「安芸灘地震」の時、私は県歯会館で会議中で有ったが、かなり揺れ、後で外に出ると外壁のタイルが落下し、一部ひびが入っていた。幸いにもその後大きな地震が無く、本当に良いタイミングで新しい県歯会館が竣工したと思う。後輩の先生方に良いものが残せたのではないのだろうか。
 広島高等歯科衛生士専門学校も会館の中に併設され学生さんにも良い環境で勉強できるのではないだろうか。
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 その後式典の行われるリーガロイヤルホテルに移動。当日の参加者は600名程だったとの事。多くの御来賓の出席のもと、式典が始まる。
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 式典の中で県知事表彰、永年在籍者表彰など各種表彰が行われた。私は役員功労者と言う事で表彰を受けた。ここ10年間に当職とは言え、かなり色々の役員を兼務していたのが認められたのかもしれない。
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 表彰状の他、記念品としてバットの代わりに歯ブラシをもった「カープ坊や」と県歯のマスコットキャラクター「はっぽくん」が印刷されたクリヤファイルや「カープ坊や」が印刷された帆布製の買い物バックを貰った。
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 式典後、祝賀会が始まったが安芸太田町の松原神楽団による「八岐大蛇」が演じられた。その後乾杯して宴会となる。会場では本当に久しぶりにお会いする他地区の先生達が出席されており、お互い元気な姿を確認し、色々の話が出来てよかった。

2017年02月14日

尾道駅散策

 昨年7月にJR西日本が尾道駅の建て替えを発表した。新しい駅舎は2018年夏営業開始だそうだ。現在、駅舎の東側に仮の駅舎の建設工事が始まっている。近々現駅舎が取り壊されるようなので、その前に写真を撮らなくてはと気がせいていたが、やっと今日撮りに行けた。一昨日から県北は大雪でどうかと心配したが良い天気であった。
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 インターネットで尾道駅を検索したり、、自宅にあった財間八郎・朝井柾善共編 国書刊行会の「写真集 明治・大正・昭和 尾道」を見たりして尾道駅の歴史を調べた。現在の駅舎は1891(明治24)年に建てられ、その後1927(昭和3)年改築された。そのとき「翼を広げた鶴のようなのびやかな寄棟の平屋、両端部に半切妻の妻をもつシンメトリなデザインになったとか。当時は中央部に三角屋根があったが、その後も何度か増改築を実施しており、現在中央部の三角屋根はない。木造の建物で築125年が経過しており、耐震性に問題があり、立て替えることになったらしい。
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 小さいときから見慣れた駅がなくなるのは少し寂しい気がする。写真を撮りながら昔、ここはチッキ等の小荷物を預けたり受け取る窓口があった場所だったとか、現在、仮の駅舎を建設している場所には購買部または物資部とかが有って、母親と良く買い物に来たことを思い出す。さらに歩いて本通り入り口に来たところ、商店街には国旗が飾られており、今日が建国記念日であることに気がついた。そこから土堂小学校下の「うず潮橋」に上がり尾道駅に出入りする列車を写真に納める。
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 北口から駅構内に入った。昔そこには尾道鉄道の電車のホームが有り、栗原の宮ノ前まで良く乗ったことを思い出す。
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 上りと下りのホームから電車の出入りを写した。またホームの屋根を支える柱はレールを加工して作ってあり写真に納める。駅舎だけの建て替えなのかホームの屋根も作り替えなのかは判らない。
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 表の改札口を出ると目の前に尾道水道が広がり、日の光を浴びて海が輝いた素晴らしい景色が飛び込んできた。まさに尾道駅は最高のシチュエーションだと思った。

2017年02月12日

初めての小倉と門司

 先日、会の先生方と懇親会をかねて小倉と門司に行った。今まで小倉は博多に行くとき新幹線からちらっと街や小倉城を見るだけであった。まして門司などは名前だけ知っている地名でしかなかった。今回の旅行もメインは懇親会なので福山16:02の「さくら」で出かけ17:17には小倉到着。リーガロイヤル小倉にチェックインしてすぐさま懇親会会場の「観山荘別館」に出かける。丁度私は風邪を引いていたことも有り宴会で少しお酒を飲んだだけで酔いがかなり廻る。
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それでも二次会について行く。名前は覚えていないがかなり大きなクラブで若いホステスさんが多くいたことは覚えている。水割り一杯を少し飲んだだけでほとんど眠っていて全く楽しむことはなく勿体ないことだった。その後、私はホテルに帰って寝たが他の先生方はもう少し小倉の夜を楽しまれたようだ。体調さえ良ければ私も楽しめたのだが。またの機会にしよう。
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 翌日は、9時にホテルを出発して、バスで門司港に行く。ここは門司港レトロとして観光スポットになっているようだ。目の前の海は関門海峡で関門橋が見える。2時間ほど自由散策となり、三々五々散策する。旧門司税関、旧大阪商船などの赤煉瓦の建物や旧門司三井倶楽部の建物等を見ながら歩く。
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 そして九州鉄道記念館駅が有り、そこにはSLを始め懐かしい列車が展示して有り随分と楽しませてもらう。それにしてもSLにはずいぶんと引きつけられる物がある。かって呉線が電化される折、呉の川原石駅で待ち構えては急行「安芸」号などのSLの写真を撮った記憶がよみがえってきた。
そういえば鉄道オタク?の呉のN先生、帰りは新幹線ではなく、私たちと別れ在来線で一人呉に帰られたようだ。
 最後にたどり着いたのが出光美術館門司であった。ここには創業者の出光佐三の年表が掲げられていたが、たまたま12月に「海賊と呼ばれた男」の映画を観ていたので、その年表と映画のシーンが重なりなるほどなるほどと一人うなずきながら見ていた。リニューアルオープン第二弾として「松竹梅 吉祥のうつわ」展が開催されていた。色々の器を見ながらこれ値段はいくらなんだろうとかとゲスな考えをしながら観ていた。
 その後、何処か覚えていないが山の手の割烹旅館で昼食をとり、小倉発14:25の「さくら」で無事帰ってきた。風邪は何とか持ちこたえた。

2017年01月31日

2度目のマレーシア旅行 PART X

 1月3日マレーシア滞在最終日、M君は朝10時頃出勤した。オフィスは車で10分ほどの所にある。彼は高校時代からイギリスに留学し、現在はgoogleマレーシアのナンバー2との事。またA子は現在子育中で仕事をしていないが国際弁護士の資格を持っており、いずれまた復帰するのであろう。まさにエリートカップルである。
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 午前中お土産を買う為にKL市内のモールに出かける。「ウーバー」と呼ばれる白タクが有りA子はスマホで検索して、家まで迎えに来てもらう。車の車種はレクサスで有った。日本にはまだ無いようだがいずれこれが解禁されると、タクシー業界も大変に成るかもしれない。
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 マレーシアの通貨リンギトンは日本円1,000円を37.5リンギトンで両替してもらった。この為、品物の値段の目安として値札の30倍をしておよその日本の価格に換算した。日本ではクリスマスセールが終わればデパートなどは 一斉にお正月用の飾り付けになるが海外では正月が終わるまで同じ飾り付けのようである。只、中華系の店は日本と同じ様な感覚である。
 買い物終了後、A子がM君に電話し、グーグルマレーシアを訪問した。
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 グーグルマレーシアが入居している高層オフィスビルに行き、パスポートを見せて手続きをしてビルの中に入る、その後20階のオフィスに行き、そこでまた手続きをしてゲストの名札をもらい中に入る。丁度お昼時でまず食堂に案内される。
 A子達の息子は初めてのオフィス訪問で食堂にいた社員(多くは女性)たちに大歓迎されていた。そこはバイキングスタイルになっており自分の好きな物を選んで食べられる。食後のコーヒーも豆を挽いてドリップした物が飲める。この食堂はいつでもオープンしており社員の方達が仕事中いつでも利用できるようだ。オフィスからの眺望も素晴らしい。食後オフィスの中を案内してもらったがもちろん内部は撮影禁止、会議室がいろいろあり、当然TV電話などで世界中のグーグルと会議が出来るシステムである。
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 M君は仕事の息抜きに机の後ろにゴルフのパターセットを置いて気分転換をしている様だ。彼らの仕事は時間から時間を管理された状態ではなく自分たちが仕事の進み具合により時間を管理している。
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 その後マッサージに行きたいとあらかじめA子に言っていたので、今回はモロッコ式マッサージ屋に連れて行ってくれた。感じとしては岩盤浴のように暖まったタイルの上に寝そべり、お湯をかけてもらい皮膚をふやかした後、全身の垢すりをしてもらう。びっくりするほどの垢が出る。その後きれいに流してもらい、着替えて別の部屋にてマッサージをしてもらう。初めての経験で随分すっきりした。
 A子たちと合流しモールの中の中華レストランで夕食後、いったん家に戻り荷物のパッキン後KL空港に行く。
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 A子の御両親がすでに来ておられた。みんなで今回の旅行のことまたA子達はまだ結婚式を挙げていないので結婚式での再会の約束をして別れる。我々の出国手続きが終わるまでずっと見送ってくれた。入国したときはなかったが出国に際し、両手薬指の指紋写真を撮られた。何かの犯罪に関係していないか後で調べることが出来るようにしてあるのかもしれない。それにしても12年前もそうだが今回も「おんぶにだっこ」でずいぶんお世話になった。
 定刻を少し過ぎ1月4日に日付が変わってからテイクオフ。軽食のサンドイッチが出てそれを食べ、寝始めたのは1時半を回っていた。帰りはビジネスへのグレードアップも出来ず、狭い座席であまり身動きも出来ずにうとうとしたら5時半には朝食だと起こされる。
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 窓の外を観ると暗闇の中から明るい光が出てくる様子が見え幻想的であった。
 朝7時15分頃関空着、空港で冬支度に着替える。帰りは出たとこ勝負、新大阪10時32発のがら空きの「こだま」に乗り13時前には我が家にたどり着く。
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 次の日、1月5日は仕事始め出勤する。ところがマレーシアで引いた風邪がだんだんひどくなり、ついに翌1月6日、開業以来30年間、病気で仕事を休んだことはなかったが、息子がいるからと甘え、思い切って休み内科に駆け込んだ。およそ3週間にも成るが今日現在完治しているとは言いがたい感がある。

2017年01月19日

2度目のマレーシア旅行 PART W

 1月2日、月曜だが1日が日曜日だったので振替休日だとの事。今日はマラッカに行くことになる。ここはA子の両親の出身地である。今回はマラッカの街を散策した。いつもより早めにA子の家を出発、途中オールド・タウンと言うレストランで10時頃に食事。ラーメンと名物のホワイトコーヒーをのむ。このコーヒーは中々美味しかった。
  
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 途中サイバージャやでA子の御両親と合流して一路マラッカへ、2時間弱でマラッカに到着。12年前にも一度来たのだが、当時に比べて観光客と車の多さにびっくり、車を駐車するのに大変だった。
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 今回は町並み散策に重きを置き、マラッカの市内中心部、名所として知られているスタダイス広場に行く。ここは別名オランダ広場と言われ、クロックタワーやセント・クライシス教会があり、広場にある噴水は1904年にビクトリア女王即位60周年を記念して建築されたとのこと。
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 以前来たときはスタダイス博物館を見学し、ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)、フランシスコ・ザビエルゆかりのセントポール教会礼拝堂跡に行ったが、生後3ヶ月の赤ん坊が同伴しておりそこまでは足を伸ばさなかった。
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 参考までに12前に訪れた時の写真を引っ張り出してみたところ、当時私は髪を紫色に染めていたし家内も私も若かった。この12年間のおのれの老け具合に改めて驚いた。
 オランダ広場の近くの店で水分補給をかねて、ジュースなどを飲んだが私だけは生ビールを飲む。近くの建物のひさしがピカピカの鏡のように磨かれたステンレス張りになっており、そこに天井を見上げる自分が映っていたので写真に収めた。
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 町並みを歩きながら何軒かの古物商の店内をのぞいてみた。特にM君がそのような物に興味があるらしい。それにしても本当に色々の物があり中国の古い時代の物、ポルトガル時代、オランダ時代、イギリス時代の物などまるで博物館にいる感じがした。まさにマラッカがそれだけ多くの国々に支配されていたことを示している様だった。
 その後マラッカの郊外にてA子の両親のなじみのババ・ニョニャレストランで夕食をした。また落雷とスコールの中KL市内に戻った。昨日から少し喉が痛い、マレーシアは暑い国だが車の中、建物の中どこにいてもクーラー漬けなので風邪を引きかけた感じがした。実はこれが日本に帰ってからの私の生活を乱す結果になろうとは想いもしなかった。

2017年01月17日

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