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大先生(元院長)のブログ

2度目のマレーシア旅行 PART V

 2017年の幕開け、今日はA子の夫M君はゴルフだと言って10時半ごろ出て行く。
入れ替わりにA子の御両親がやって来て一緒にKL市内の観光に出かける。まず中心部のツインタワーに行く。ここのモールにはユニクロや伊勢丹が有った。
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 モールの中の食堂街で朝食兼昼食(ブランチ)を食べる。そこはババ・ニョニャレストランで12年前にもここで食べたのだとA子は言っていた。「ババ・ニョニャ」とは中華系移民男性が現地のマレー人女性と結婚し、出来た混血の男の子をババ、女の子をニョニャと言う。
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 ツインタワー周囲は12年前に比べると周りに多くのビルが出来ているなと感じた。
 その後クワラルンプールタワーに行き展望台から360度KL市内を見た。まだまだ緑が多く、建物等もまだ建設が進んでいる。展望台の一画に床がガラス張りの所が有り、下を見るとドキッとする。
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 その後サイバジャヤのA子の両親の家に行く。家の前に拡がる湖は人工湖で、隣接する行政首都のプトラジャヤから繋がっているとのこと。A子の父の説明によると、プトラジャヤは前マハティール首相が行政首都を作ることを決め1990年代半ばから開発を進め今は行政機関が移転され行政首都になっている。その際マハティール首相は北海道の洞爺湖を見て新首都に人造湖を作ることを決め、「油ヤシ」の畑を掘削したりして大きな人口湖を作ったとの事。行政首都を作るに当たってはかなり日本が援助してくれたと話していた。
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 湖畔にはプトラ・モスク、プルダナ・プトラ(首相官邸)、各政府機関の建物が立ち並んでいる。
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 12年前はちょっと立ち寄っただけであったが今回はプトラジャヤ湖クルーズをした。私達はその日の最終便に乗り観光する。日没で日が暮れてくる頃出発した。ライトアップが有ったりして中々綺麗な夜景であった。遊覧船がUターンして帰る頃から雷と急激なスコールに見舞われ、急遽船内に戻る。そういえばこちらマレーシアに来て毎日どこかの時間帯でスコールに出くわす。
 クルーズの後、KLに戻って現地時間10時頃から広東料理レストランに行く。ここでA子の夫M君と合流。彼の話によるとゴルフは勝ったので夕食はお任せあれとのこ

2017年01月16日

2度目のマレーシア旅行 PART U

 翌朝12月31日大みそか、日本的感覚で朝7時(現地時間)に起きて準備をするも、こちら南の国ではどうやら一日二食らしくA子らが起き出して朝・昼兼用の食事に出たのは11時を回っていた。このパターンは最後まで同じで有った。とりあえず食事は大衆食堂と思われるところでAこの言葉によるとマレーシアの天ぷらなのだそうだが正式な名前は知らない。おくらの中に魚の身が挟んだもの等も有り、甘辛いたれを付けて食べるが十分美味しかった。
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 食後、マレーシアの昔の産業、例えば土器を作ったり、籠を編んだりしている様子を紹介する資料館のようなところに連れて行かれた。ツアー旅行で無いのでその建物が何なのか、何の目的が有って展示されているのかさっぱり判らない。日本で言えば江戸時代以前のような感じであった。
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 その後、クアラルンプール(KL)市内を移動し、何軒かチェーン店がある結構有名なアイスクリーム屋にいく。家内はドリアンアイスクリームを、私は珈琲アイスクリームを食べた。マレーシアの人達は甘いものが好きらしく、このアイスクリームも私にしてみれば甘すぎる感じがした。その後、私と家内はマッサージを希望していたのでタイ式のマッサージサロンに連れて行ってもらう。そこは塀で囲まれ、出入り口には銃を携帯したガードマンがいる大きな住宅街の一画にあり、しかもその住宅街は全てが豪邸で日本では数億円はするであろう感じの家ばかりであった。さらに驚いた事にその住宅街の中に18ホールのゴルフコースが有りまたビックリする。マッサージサロンは冷房が良く効きすぎて少し寒かったがリフレッシュできた。
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 2時間後にA子達が迎えに来てくれ、夕食は少し変わったところに案内するというので行ったところ、なんと北朝鮮政府が外貨獲得のために世界中に出店しているレストランの一つで有った。
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 店名は「コウリョウ レストラン」で、食事をしながら音楽や踊りのショーが観ることが出来る。7時頃に入店したが入店した時は2組くらいのお客だったが、ショーが始まる8時半頃には満席になった。日本では拉致問題等もある為少し後ろめたさが有ったが、A子達が連れて行ってくれたのでその場を楽しむ。この様にして外貨を稼ぎ金正恩の生活費や核開発やミサイル開発の資金を捻出しているのであろう。
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食事の味はまあまあ。店内は写真撮影禁止と書いてあったがこっそり3枚ほど撮った。
北朝鮮の若い女性にA子の息子がよくモテた。店内にはパナソニック製のスクリーンが何台かあり、ショータイムの時間以外は繰り返し北朝鮮のPRビデオが流れていた。音楽や踊りを披露する人達は全て料理を運んだりする人達である。そんなに上手な音楽や踊りではなかったが初めてその様な実態を見た。
 そういえば昨年どこかの国でこの種のレストランの女性店員が全員韓国大使館に逃げ込んで亡命をしたというニュースを観た記憶が有る。そのせいかこのレストランのトイレには鉄格子が入っていた。
大晦日、異国の地にあり除夜の鐘も無いので早めに就寝。無事2016年を終了する。

2017年01月12日

2度目のマレーシア旅行 PART1

 年末年始にマレーシアに行った。と言うのもマレーシア在住のA子が男の子を出産したと9月に連絡を貰った。A子は2003年3月から2004年2月までAFS留学生として我が家にホームステイをしていた。帰国した年の盆休みに一度マレーシアを訪問して以来である。もっともA子はその後何回となく我が家に里帰りをしていた。一昨年11月には御両親とマックと言うボーイフレンドを連れて我が家に来た。その後、彼とは正式に籍を入れた。
 赤ん坊に会いに行こうと9月22日に決めてネットで飛行機の予約をしたがエコノミー席が3席だけ空いておりすぐ予約をした。また出発時間が朝11時の為、当日尾道からでは合わないため、29日の夜の宿泊をホテル日航関西空港を同時に予約しておいた。29日午前中、医院の大掃除をして出かけた。前泊は初めての経験である。関空の中の食堂街でカツカレーを食べる。そして明日の受付カウンターの場所などの下見をした。
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 翌朝8時過ぎにチェックインカウンターに行きビジネスクラスにランクアップが出来るかどうか聞いたところ1席だけ出来るとの事。家内には申し訳ないが私一人だけランクアップした。追加料金は22100円であった。但し機内食はビジネスクラスの食事が用意されてなく、エコノミークラスと同じものを食べた。お酒は結構追加で出してくれた。座席はゆったりしており、ほぼフラットに倒す事が出来、寝転がって行けた。
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 クアラルンプール空港にはA子の御両親、A子、赤ん坊、旦那のM君、が迎えに来てくれていた。まずはサイバージャにある御両親の家にいく。大阪を出発するときは冬支度で有り、あまりにも暑いので夏服に着替えさせてもらう。
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 その後クアラルンプールに戻り中華食堂で夕食、A子の父が40年以上保管していたVSOPを持ち込み、蓋を取ろうとしたら、コルクが朽ちておりボッキリ折れる。今日の事にはならず、ビールを飲む。
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 その後A子の新居に行く。最近、築20年のコンドミニアムを購入し、内装をやり替え引っ越しを始めたばかりなので家具などはほとんどない。こちらマレーシアの住宅はフィリピンと同様、何軒かが集まって塀に囲まれた住宅街になっている。守衛がいて24時間人の出入りを監視している。共有ではあるがプール付には驚く。
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 A子の家の広さは大きく60坪くらい有りそうだ。夫婦のベットルームのトイレ、ゲストルームに隣接したトイレ、メードさんのトイレまで3カ所もある。日本ではなかなか手に入れられない家である。時差が1時間なので体調の方はなんとかなりそうである。

2017年01月08日

2016年を振り返って

 今年も後7日ほどになった。新聞などでは内外の今年の十大ニュースが発表されている。国際的には次期アメリカ大統領にトランプ氏、英・EU離脱等、また国内では天皇陛下退位への思い、熊本地震など驚きのニュースが多かった。そこで我が家の十大ニュースを考えてみたが今年はある意味、私にとって大転換の年であった。
1、1986年に開業した「さいだ歯科医院」は30年と成ったが、1月1日に院長職を息子に譲り私は勤務医となる。今までは診療のこと、経営のこと、従業員の手配等全ての責任を負っていたが、息子にアドバイスをする程度でかなり気分的に楽になった。
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2、3月には診療所2階の自宅から街中のマンションに引っ越した。毎日7時前にマンションを出て車通勤をしているが、歯科医師会の会合等で飲食があるときの出退勤には家内に送り迎えをしてもらい迷惑をかける羽目になった。
診療所の2階は改装し、12月に息子たちが引っ越して来て名実ともに息子が医院長になったと実感している。
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3、勤務医になったことで少し時間的余裕が出来たので、休みをもらって家内とイタリア旅行に出かけた。今まではアジアばかりたったが、初めてのヨーロッパでアジアとは違う感覚を経験した。しかも帰りの飛行機で一生に一度はと思っていたファーストクラスに乗れていい思い出が作れた。
4、今年私は69歳であるが大学の同窓会広島県支部主催でわざわざ私のために「古希のお祝い会」を開催していただきすごく恐縮した。また当日は北海道から多くの同級生が駆けつけてくれて楽しいひとときを過ごせた。
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5、5月には沖縄の長男一家が里帰りをしてくれて、家族全員がそろった。ただこれも、孫たちが大きくなり部活や勉強などで全員がそろうのはそろそろ難しくなるかもしれない。
6、かねてより私はルーツに興味があったので、埼玉県の行政書士のM先生にお願いして、NHKのファミリーヒストリーよろしく父方と母方の家系調査をしてもらった。残念ながら1800年代半ば頃までしか遡れなかった。しかしある程度のことが判かりよかった。そして我が家の家系が子子孫孫に伝えられることが出来て嬉しい限りである。
7、健康面では70歳に近づいたせいか、からだの老いを少し感じるようになってきた。4月頃から緑内障の目薬によるアレルギー反応のため眼瞼を腫らし、とんでもない顔になった。また左肘を受傷して腕をパンパンに腫らしたり、最近では奥歯の咬合面が摩耗して凍みたり、頬をかみやすくなったりと昨年までは考えられなかった事が起きるようになった。
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8、家庭菜園で野菜を作るのが楽しくなったが、素人のこと故、そんなに立派な作物はとれないがそれでも収穫した物を味わう気分は最高である。
9、結婚して以来年賀状の宛名書きを43年間家内に押しつけていたが、今年初めてやった。昔は家内が毛筆で宛名を書いていたが近年はコンピューターソフトを使用してやってもらっていた。自分がやってみるとコンピューターソフトを使ったとしても結構時間が掛かるのには驚き、今までの家内に感謝である。
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10、最後に特筆すべきことは、以前は年間50本以上観ていた映画を今年は先日観に行った出光佐三をモデルとした「海賊と呼ばれた男」1本だけであった。これは引っ越しをして有料放送の「WOWOW」と契約をしたせいかもしれないが、TVで観るより、やはり映画館で観る方が迫力があり楽しい。来年はもう少し映画館にも足を運ぼうと思う。

このように1年間を振り返るとあっという間の出来事であり、大過なく1年が無事に過ごせたことに感謝するばかりである。来年もまた元気で1年を過ごそうと心に誓う。

2016年12月24日

だまし絵の巨匠エッシャー展を観て

 かれこれ30年数前、大学の物理の時間に教授からエッシャーの「だまし絵」を見せてもらった事が有る。その絵は「滝」と呼ばれる絵で、滝から水が落ちて水車を回し、その水が流れて行った先が又元の滝になるというものだった。この絵を観た時の感想はもしもこれが現実なら永久に水力発電できるのだがと思った。それにしてもその時はすごい絵が有るなと思ったが、どうして騙されるのか考えても見なかった。
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 そして20年ほど前にたまたま書店で朝日新聞社から発刊されていた「エッシャーの宇宙」と言う本を見つけ購入した。しかし中の絵をぱらぱらめくる程度でほとんど読まずに書棚に置いていた。ところが11月11日から広島県立美術館で「エッシャー展」が開催される事をTVニュースで知った。是非とも観に行こうと思いやっと先日足を運んだ。
 音声ガイダンスを借りてじっくり見学できた。作品はスケッチ画、木版画、リトグラフ等が概ね初期のものから順に展示されていた。彼の緻密な版画等を観ていると感動する。
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 日本の浮世絵は浮世絵師が絵を描きそれを彫師が木版に仕上げさらに摺り師がするという分業化がなされているが、エッシャーの場合全て又は木版や石板に彫るところまでは本人がやっているようである。版木も一部展示して有ったが細かい線等を利用し陰影を上手く彫り、より立体的に見える工夫がしてあり驚くばかりであった。
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 彼がどのような経過を経てだまし絵にたどり着くのかがなんとなく判った、1958年製作の「物見の塔」や1960年の「上昇と下降」そしてパンフレットの表紙に用いられている「滝」。いかに人間の脳は騙されやすいのかと思う。前述の「エッシャーの宇宙」と言う本の中にどのように作画をすればこの様な絵になるのか解説がしてある。そして今回の展示の最後にグラフィックデザイナーの福田繁雄氏が、「物見の塔」と「滝」を絵に描いてある通りに忠実に立体模型を製作したものが展示してあった。本来ならこの姿なのに脳が騙されてあたかもエッシャーの描いた絵が真実のような錯覚に陥る。
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 昔、物理の教授がこの絵を見せてくれた時、「真実は一つである、思い込みや一面的な見方をしてはならないそれが自然科学だ」と話していたのを思い出した。多くの自然科学者達は研究過程で常識では考えられない事象に出会った時、諦めるかあるいはとことん追求研究し新たな発見をするか、その事をこのエッシャーのだまし絵が示唆している様に思えた。2時間半ほどかけて観たが本当に楽しく驚きの連続であった。

2016年12月11日

左肘受傷顛末記

 大げさなお題になったが傷そのものはほんのかすり傷。夏の頃家内に「お父さん肘が黒いよ、よく洗ったら」と注意を受けていたのを先月15日に風呂に入った時、たまたま思い出した。見ると肘が黒ずんでいたので軽石で少しこすった。次の日も同じようにこすって綺麗にしたのだが、その時ほんの僅かなかすり傷が出来たらしくヒリッとしたがそのまま放置。
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 ところが18日金曜日に診療中少し左手に痛みを感じた。診療後、着替えて車を運転して帰る途中左の袖が肘にあたって痛い。帰宅してよく見ると肘が少し化膿して腫れている。
 痛み止めと抗生剤を飲んで湿布をした。翌朝は腫れが少し大きくなっている。そのまま仕事を続けるが、夕方には左前腕部にまで腫れが拡がってくる。寝る頃になると、発熱が始まり、38.9度までになる。翌20日(日曜日)起床時38.1度と少し下がっていたが、腫れはさらに拡がってきている。このままほっておくと敗血症になって死ぬかも知れない等と悲観的に考えてしまった。そこで消防署に電話して本日の休日当番医を教えていただく。
 昼前にS整形外科にかけ込む。関節のレントゲンを撮ってもらい、受傷部位の消毒、抗生剤の筋注、受傷部への抗生剤軟膏塗付をしてもらい抗生剤と消炎鎮痛剤の処方をして頂く。肘部は皮膚が薄くしかも関節包がすぐ下にあり化膿しやすいのだとか。
 翌21日夕方、S先生からお電話をいただき状態をお話した。わざわざお電話をいただいたのでこれは一度診察にお伺いしなくてはと思い、翌22日私の予約患者様に無理をお願いし、キャンセルしてS整形外科に行く。前腕部の腫れはさらに拡がり病名としては「左前腕部蜂窩織炎」であると言われる。抗生剤の筋注をしてもらう。
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 翌23日は勤労感謝の日であったが、朝9時過ぎにまたS先生からお電話をいただき、腫れが手の甲まで達している現状報告をすると、「JA尾道総合病院か市民病院をすぐ紹介するから受診された方が良い」とアドバイスを頂き、早速尾道総合病院の外科にかけ込む。外科のドクター二人が私の腕を見てこれは入院になるかもしれないと言われる。もしそうなったら私の患者様に御迷惑がかかるし困ったなと思う。とりあえず血液検査をしてもらう。26日・27日は公務で広島出張がありどうした物かと結果を待つ間あれこれ考えた。
 検査結果からは何とか入院するほどではないとのことでほっとする。外科の先生から明日皮膚科を受診するように言われ、その場で皮膚科の予約をする。帰宅してずっと病人らしく寝ていた。今までたまっていた疲れが少しとれた感じがした。
 急遽息子に連絡して午前中の患者様の予約取り消しを頼む。翌24日朝から尾道総合病院皮膚科受診、結果このまま抗生剤服用を続け、1週間後の再診予約した。
 翌25日報告かたがたS整形外科を受診。少し良くなってきており手の甲の腫れは退いてきた。どうやら峠は越えたようで再度抗生剤の筋注をして頂く。それにしてもS先生に随分気にかけていただき申し訳なかった。病院通いをしている間、自分の患者さんに迷惑を掛けた事に深く反省する。
 12月1日に皮膚科を再受診した時は前腕部の腫れはほぼ消退。肘部のみ腫れが残存、皮膚科の先生からはさらにもう1週間抗生剤を服用する様に言われた。肘を風呂に付けて良いか尋ねたところOKの返事を貰ったが恐ろしかったので4日まで待って17日ぶりに風呂のお湯につけた。もちろんこすったりはしない。今日現在肘の受傷部は固くしこりが残り、触ると少し痛みが有るがほぼ問題ない。しこりはまだ3週間くらい消えそうもない。
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 この受傷で気が付いたのだが、私は右が効き手なので左で良かったと思ったがとんでもない事を思い知らされた。例えば患者さんの歯を削るのに右手は切削道具を持ち、左手は患者さんの舌や頬を排除するためにデンタルミラーをもつことになるが、動かせば痛い、力が入らないなど大変な不自由さを味わい、改めて私の職業には右も左も大事なのだと気付かされた。いままでキャンセルしたりして患者様にご迷惑をかけた分、今週から頑張らなくてはと思う。70歳が近づくと僅かの傷でこのように大げさな事になり、つくづく免疫力の低下をおもい知らされた。これからは大いに気をつけて生活をしていかなくてはと反省しきり。

2016年12月06日

スマホ中毒

 私が毎月読んでいる「致知」12月号に東北大学加齢医学研究所所長の川島隆太氏と明治大学文学部教授の齋藤孝氏の対談記事「素読のすすめ」が掲載されていた。なお「素読」とは辞書によると「意味の解釈を加えず、本の文字を声を出して読み上げること」とあった。
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 その記事の小見出しに「日本人が本を読まなくなったと言われて久しい。川島隆太氏は脳科学者の立場から読書離れとスマホ中毒の悪影響に警鐘を鳴らし、素読の必要性を訴えてきた。齋藤孝氏もまた数多くの素読の実践をベースに、その意義を伝え続けている。素読は私たちの脳にどのように作用し、どのような効果を生むのだろうか。お二人の対談から見えてきたのは素読で人を育てた先人の優れた知恵と、反対にスマホやSNSの驚くべき被害だった」とあり興味深く読んだ。
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 10数年前に齋藤孝氏の講演を聴いたことがある。そのとき「声に出して読みたい日本語」を出版されてまもない頃で、すぐ買い求めた。この本の中には色々の名文や名詩、名文句が取り上げてありテンポ良く楽しく読んだ記憶がある。
 ところで通常の学習では意欲のある方が脳がよく働く。そこで川島氏は以前「ゲームを楽しんでいる時の脳はよく働き、嫌々勉強するときの脳は働かない」という仮説を立てて実験したが結果は予想とは反対だった。
 齋藤氏は江戸時代の寺子屋では、先生のリズミカルな先導に合わせて子供たちが古典を復唱する方法すなわち素読を推奨されているが、これは脳科学の上から脳の活性化が実証されている。つまり本を黙読するのと声を出して素読するのとでは脳の働きに違いがある。黙読は文字を捉えて視覚で覚え、そこに描かれている意味を理解します。一方、それを声に出すのは、理解した文章の情報を音に変換する、口を動かす、息を出す、自分の声を耳で聞くといった二重、三重の機能が働くことになるので、それだけ脳が活発になるとのこと。
 ところで現在フェイスブック、ラインに代表されるコミュニケーションツールのSNSをした場合、素読とはまるきり逆で、効果どころかSNSをやっていると脳に抑制がかかることが分かった。これはラインの文面を見てみたら、極めてプアなコンテンツしか出てこない「お昼何にする?」「カレー」「どこに行く」といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かない。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっており、ある意味とても怖いツールであると書いてあった。 
 さらに仙台市で7年間、7万人の子供たちの脳を追いかけたて調べたところスマホやSNSの利用と学力の関係が明らかになり、SNSを使えば使うほど学力は低下し、脳の中の学習した記憶が消えている事実があった。
確かにライン等はコミュニケーションツールとして有用な側面もあるが、一日に5時間位SNSにかかりっきりになっている高校生等はざらだという話を聞くとスマホ中毒になりつつあるのかもしれない。
 最近スマホに付いては色々の問題が提起されている。スマホ老眼、歩きスマホでホームから転落、また今はやりのポケンモンGOでは夢中にになって自動車事故に遭い死者が出たりしている。
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 私もスマホを持っているが私自身は99%以上携帯電話としてしか使用していない。検索も、メールもさっぱりやり方を知らない。人はもったいないと言うが私はこれで良い。スマホ依存症はアルコールやタバコのレベルではなく、麻薬と同じ扱いにして規制すべきと川島氏は語られる。
 さらに高齢者は年齢と共に脳が老化していくが、素読や単純計算によるトレーニングが認知症改善の劇薬となると書いてあり、スマホをしない私はせっせと素読でもして認知症予防をしようと思った。

2016年11月17日

開院30周年

 「さいだ歯科医院」は1986年11月6日に開院し今年の11月6日に開院30周年を迎えた。思いだしてみると開院当日は天気が良く、気温も高く絶好の開院日和で有った。今年も同じような天候の廻りあわせで有った。
 ただ今年は6日が日曜日だったので、夜は一人お酒を飲んで感慨に耽っていた。振り返ればこの30年間には本当に色々の事が有り、あんな事も、こんな事も有ったと思いだされた。多くは私の至らなさが招いた危機が多く、4人いた女性従業員の内3人が一度に退職されて途方に暮れた事等が走馬燈のように思い出され、良くも今日まで乗り越えてこられたと感慨ひとしおであった。
 今日、7日の朝礼時に従業員一同から開院30周年のお祝のお花をいただいた。毎年お花などをいただくが今年はとても感慨深かった。その後玄関前で記念写真を撮る。
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 ところで昔から「企業寿命30年説」と言うのが有る。最近の調査では平均の企業寿命は23.5年(2014年東京商工リサーチ)と言われている。
 さらに昔から何か一つの事に打ち込んで続ける人に対して「10年偉大なり、20年恐るべし、30年歴史なる」と言う言葉が有る。「さいだ歯科医院」もやっと歴史なったのであろうか?今年1月1日に院長職を息子に譲ったが、これからもさらに長期に渡って「さいだ歯科医院」が地域医療に貢献し、又従業員みんなの幸せが得られるように気配りをしていかなくてはならないと思った。
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 ところで何かの本で読んだ気がするが日本には世界一古い企業が有り、世界最古の企業トップ3はすべて日本企業だそうだ。ネット検索をすると1番目は大阪の寺社建築の老舗「金剛組」西暦578年創業、2番目が京都府の生け花の「財団法人池坊華道会」西暦587年創業、3番目が山梨県西山温泉の「慶雲館」西暦705年である。
 日本には創業200年を超える企業が3146社あり、世界最多となっており、しかも7社は1000年以上の歴史を持つのだそうだ。
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 「さいだ歯科医院」がこれから1000年続く事は無いかもしれないが創業者としては出来るだけ長く続いて欲しいと思うのが人情かも知れない。

2016年11月08日

収穫の秋

 私の診療所のまわりの田んぼもほとんど刈り取りが終わった。また地区の神社の秋祭りも終わり、収穫の秋も佳境に入って来た。
 先日、僅かばかりの家庭菜園のサツマイモを収穫した。今年は5筋程植えていたが、10月の初めに3筋掘った。その時はサツマイモには亀裂などは無かったがこの度収穫したお芋の1/3位に亀裂が認められた。前回掘ったときから今回まで雨が多く芋が水を吸い玉太りになり過ぎたのであろう。
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 しかし3週間ほど収穫時期を遅らせたので結構大きな芋も有り、豊作である。サツマイモは日照りに強く植えたら植えっぱなしで良いと思っていたが、今年の夏は暑く、ぐったりした葉っぱを見るとついついお世話する気になり何度も井戸ポンプを回して水をやった。
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 今、畑にはまもなく収穫予定のエゴマがあり、大分葉っぱが黄ばんで来ている。他に秋の収穫物としては柿しかないが、今年の柿は当たり年で豊作。次郎柿と西条柿を植えているが大分収穫できた。沖縄の孫達にも柿とサツマイモを送ることが出来た。
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 今、畑には10月の始めに植えた秋ジャガイモが芽を出しているが出来が悪く半分以上芽が出てこない。これからの気温や日照時間を考えるとこれが限度であろう。春に植えた時はそこそこ出来たのに。まったく素人がやる事なので解らないことだらけである。秋に植える芋は春の芋とは種類が違うらしい。
また大根も同時に植えたのだが、芽が出て少し経った頃、蝶の幼虫・青虫に葉っぱを食べられひどい状態になった。瀕死の状態だった大根も毎日のように青虫退治をしたおかげで新たな葉っぱが芽吹いてきてなんとかなりそうである。よく育っている大根は現在直径2センチ位になってきており収穫が楽しみである。
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 またタマネギの種も大根と同時期に植えたが、だいぶ大きくなってきており、もう少したったら植え替えである。そこでこの度芋畑を耕し、肥料を入れて準備完了である。さらに来年の春の収穫を目指してゴボウも植えた。もう少し畑に余裕があるので何を植えようかと家内と話しながら検討している。おそらくネギかな?
 
 僅かな畑でも維持しようとすると大変であり、お百姓さんには本当に頭が下がる。
日本の食糧問題を考えると、TPP問題も行き着くところお百姓さんたちにメリットがなければ何にもならない。それでなくても食糧自給率は先進国中最低であり、これ以上自給率が下がると他国より兵糧攻めに遭ったとき、日本は滅んでしまう。昨今の金銭至上主義にはいささか不安が残る。

2016年10月29日

向島一周サイクリング

 9日・10日と連休であった。9日は何かと所用がありそれらを片付けるので手一杯であったが、10日の朝、家内が「お父さん今日は何かある」と言うので特に「ない」と答えたところ何処かに行こうという。あまり奥さん孝行をしていないので素直に従う。
 車で出かけるのもなんとなく面白くない、それで自転車で尾道の対岸の向島を一周しようということになる。もっとも私も家内も自転車はアシスト付自転車であり、坂道はアシストのスイッチを入れて走れるので、この年でもたぶん大丈夫だろと判断した。
 向島は私が小学校1年の途中まで住んでいたところ、家内も高校生の途中まで住んでいて少しは勝手を知っている。
 最近尾道から「しまなみ海道」を四国・今治までサイクリングをしながら行くことがサイクリストの間では世界的に有名になりつつある。道路に描かれたブルーラインに従って行けば今治まで行ける。
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 9時過ぎに自宅を出て、まず尾道U2にある自転車専門店のジャイアンツに寄って手袋を購入し福本渡船を渡って向島に渡る。ブルーラインは西側に行くように描かれていたが、島を一周するために東廻りでいく。向東・天女浜・歌を経て海岸沿いに走る。かなり向島が開発されていて昔あった建物が無かったり、野原で有ったところに建物が出来ていたりして、家内と昔は「こうだった」、「ああだった」と話しながらサイクリングをする。
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 天気が良く、海の向こうの島影や浮かぶ船、波穏やかで砂浜に寄せる波を見ていると本当に心和らぐ。干汐海水浴場、広島大学臨海実験所を経て立花臨海公園に達する。この辺りに来ると道路にブルーラインが描かれていた。トイレ休憩をしたが、ここから因島大橋を渡る道があるため多くのサイクリストが集まっていた。外国の人も多くいてまさに国際級である。しまなみサイクリングロードの道路脇にはコスモスなどが咲いており心和む。
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 私たちは尾道方面と書かれたブルーラインに沿ってさらに西に向かい津部田、道越まで来た。出来るだけ海岸線に沿ってサイクリングをしようと思いブルーラインの描かれているサイクリングロードから別れ、細い道をいく。途中土地の人に聞くとこの先、坂が急だとアドバイスをいただく。まさに急な坂道で、家内は転んでしまう。自転車を押しながら坂を登りきる。その後NHK向島ラジオ中継放送所のアンテナがあるところに来たが、左側の海沿の道を進んだところ道が行き止まり。どうやらその道はミカン山への農道であり参った。全ての道はローマに通じていない。
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 引き返して県道に戻り有道からまた海沿いに走り九軒島を経て、小歌島(おかじま)の渡し場まで帰ってきて向島を一周できた。およそ3時間のサイクリングで有った。
 帰宅後、疲れたので2時間ほど昼寝をする。久しぶりに楽しい1日を過ごした。

2016年10月12日

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