月別アーカイブ
2025年08月(3)
2025年07月(7)
2025年06月(1)
2025年05月(2)
2025年04月(1)
2025年03月(2)
2025年02月(1)
2025年01月(3)
2024年12月(1)
2024年11月(2)
2024年10月(2)
2024年09月(2)
2024年08月(2)
2024年07月(3)
2024年06月(5)
2024年05月(2)
2024年04月(1)
2024年03月(2)
2024年02月(3)
2024年01月(2)
2023年12月(1)
2023年11月(6)
2023年10月(3)
2023年09月(2)
2023年08月(2)
2023年07月(3)
2023年06月(2)
2023年05月(2)
2023年04月(2)
2023年03月(2)
2023年02月(8)
2023年01月(2)
2022年12月(1)
2022年11月(2)
2022年10月(1)
2022年09月(2)
2022年08月(2)
2022年07月(1)
2022年06月(2)
2022年05月(3)
2022年04月(3)
2022年03月(2)
2022年02月(2)
2022年01月(3)
2021年12月(1)
2021年11月(2)
2021年10月(3)
2021年09月(3)
2021年08月(2)
2021年07月(3)
2021年06月(2)
2021年05月(1)
2021年04月(2)
2021年03月(2)
2021年02月(2)
2021年01月(4)
2020年12月(2)
2020年11月(2)
2020年10月(2)
2020年09月(2)
2020年08月(2)
2020年07月(2)
2020年06月(1)
2020年05月(2)
2020年04月(1)
2020年03月(2)
2020年02月(7)
2020年01月(2)
2019年12月(2)
2019年11月(6)
2019年10月(3)
2019年09月(3)
2019年08月(7)
2019年07月(2)
2019年06月(3)
2019年05月(3)
2019年04月(4)
2019年03月(2)
2019年02月(3)
2019年01月(6)
2018年12月(2)
2018年11月(3)
2018年10月(2)
2018年09月(2)
2018年08月(2)
2018年07月(2)
2018年06月(2)
2018年05月(2)
2018年04月(4)
2018年03月(4)
2018年02月(2)
2018年01月(2)
2017年12月(3)
2017年11月(2)
2017年10月(3)
2017年09月(3)
2017年08月(4)
2017年07月(4)
2017年06月(5)
2017年05月(3)
2017年04月(2)
2017年03月(4)
2017年02月(3)
2017年01月(6)
2016年12月(3)
2016年11月(2)
2016年10月(2)
2016年09月(3)
2016年08月(11)
2016年07月(1)
2016年06月(3)
2016年05月(2)
2016年04月(2)
2016年03月(2)
2016年02月(2)
2016年01月(2)
2015年12月(3)
2015年11月(4)
2015年10月(5)
2015年09月(2)
2015年08月(5)
2015年07月(2)
2015年06月(5)
2015年05月(3)
2015年04月(2)
2015年03月(4)
2015年02月(1)
2015年01月(3)
2014年12月(2)
2014年11月(4)
2014年10月(4)
2014年09月(5)
2014年08月(3)
2014年07月(4)
2014年06月(2)
2014年05月(4)
2014年04月(5)
2014年03月(4)
2014年02月(3)
2014年01月(3)
2013年12月(5)
2013年11月(4)
2013年10月(5)
2013年09月(3)
2013年08月(7)
2013年07月(4)
2013年06月(4)
2013年05月(4)
2013年04月(4)
2013年03月(5)
2013年02月(4)
2013年01月(10)
2012年12月(3)
2012年11月(5)
2012年10月(4)
2012年09月(4)
2012年08月(7)
2012年07月(6)
2012年06月(4)
2012年05月(4)
2012年04月(3)
2012年03月(4)
2012年02月(3)
2012年01月(4)
2011年12月(4)
2011年11月(7)
2011年10月(4)
2011年09月(5)
2011年08月(8)
2011年07月(3)
2011年06月(4)
2011年05月(5)
2011年04月(4)
2011年03月(4)
2011年02月(5)
最近の記事
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 10
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 9
08/07 初めてのドイツ旅行 PART 8
07/31 初めてのドイツ旅行 PART 7
07/28 初めてのドイツ旅行 PART 6
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

2度目のマレーシア旅行 PART X

 1月3日マレーシア滞在最終日、M君は朝10時頃出勤した。オフィスは車で10分ほどの所にある。彼は高校時代からイギリスに留学し、現在はgoogleマレーシアのナンバー2との事。またA子は現在子育中で仕事をしていないが国際弁護士の資格を持っており、いずれまた復帰するのであろう。まさにエリートカップルである。
  IMG_6443-1.jpg   IMG_6451-1.jpg
 午前中お土産を買う為にKL市内のモールに出かける。「ウーバー」と呼ばれる白タクが有りA子はスマホで検索して、家まで迎えに来てもらう。車の車種はレクサスで有った。日本にはまだ無いようだがいずれこれが解禁されると、タクシー業界も大変に成るかもしれない。
  IMG_6472-1.jpg   IMG_6450-1.jpg
 マレーシアの通貨リンギトンは日本円1,000円を37.5リンギトンで両替してもらった。この為、品物の値段の目安として値札の30倍をしておよその日本の価格に換算した。日本ではクリスマスセールが終わればデパートなどは 一斉にお正月用の飾り付けになるが海外では正月が終わるまで同じ飾り付けのようである。只、中華系の店は日本と同じ様な感覚である。
 買い物終了後、A子がM君に電話し、グーグルマレーシアを訪問した。
  IMG_6455-1.jpg   IMG_6460-1.jpg
 グーグルマレーシアが入居している高層オフィスビルに行き、パスポートを見せて手続きをしてビルの中に入る、その後20階のオフィスに行き、そこでまた手続きをしてゲストの名札をもらい中に入る。丁度お昼時でまず食堂に案内される。
 A子達の息子は初めてのオフィス訪問で食堂にいた社員(多くは女性)たちに大歓迎されていた。そこはバイキングスタイルになっており自分の好きな物を選んで食べられる。食後のコーヒーも豆を挽いてドリップした物が飲める。この食堂はいつでもオープンしており社員の方達が仕事中いつでも利用できるようだ。オフィスからの眺望も素晴らしい。食後オフィスの中を案内してもらったがもちろん内部は撮影禁止、会議室がいろいろあり、当然TV電話などで世界中のグーグルと会議が出来るシステムである。
  IMG_6462-1.jpg   IMG_6465-1.jpg
 M君は仕事の息抜きに机の後ろにゴルフのパターセットを置いて気分転換をしている様だ。彼らの仕事は時間から時間を管理された状態ではなく自分たちが仕事の進み具合により時間を管理している。
  IMG_6467-1.jpg   IMG_6468-1.jpg
 その後マッサージに行きたいとあらかじめA子に言っていたので、今回はモロッコ式マッサージ屋に連れて行ってくれた。感じとしては岩盤浴のように暖まったタイルの上に寝そべり、お湯をかけてもらい皮膚をふやかした後、全身の垢すりをしてもらう。びっくりするほどの垢が出る。その後きれいに流してもらい、着替えて別の部屋にてマッサージをしてもらう。初めての経験で随分すっきりした。
 A子たちと合流しモールの中の中華レストランで夕食後、いったん家に戻り荷物のパッキン後KL空港に行く。
  IMG_6479-1.jpg   IMG_6481-1.jpg
 A子の御両親がすでに来ておられた。みんなで今回の旅行のことまたA子達はまだ結婚式を挙げていないので結婚式での再会の約束をして別れる。我々の出国手続きが終わるまでずっと見送ってくれた。入国したときはなかったが出国に際し、両手薬指の指紋写真を撮られた。何かの犯罪に関係していないか後で調べることが出来るようにしてあるのかもしれない。それにしても12年前もそうだが今回も「おんぶにだっこ」でずいぶんお世話になった。
 定刻を少し過ぎ1月4日に日付が変わってからテイクオフ。軽食のサンドイッチが出てそれを食べ、寝始めたのは1時半を回っていた。帰りはビジネスへのグレードアップも出来ず、狭い座席であまり身動きも出来ずにうとうとしたら5時半には朝食だと起こされる。
  IMG_6485-1.jpg   IMG_6492-1.jpg
 窓の外を観ると暗闇の中から明るい光が出てくる様子が見え幻想的であった。
 朝7時15分頃関空着、空港で冬支度に着替える。帰りは出たとこ勝負、新大阪10時32発のがら空きの「こだま」に乗り13時前には我が家にたどり着く。
  IMG_6498-1.jpg   IMG_6501-1.jpg
 次の日、1月5日は仕事始め出勤する。ところがマレーシアで引いた風邪がだんだんひどくなり、ついに翌1月6日、開業以来30年間、病気で仕事を休んだことはなかったが、息子がいるからと甘え、思い切って休み内科に駆け込んだ。およそ3週間にも成るが今日現在完治しているとは言いがたい感がある。

2017年01月19日

2度目のマレーシア旅行 PART W

 1月2日、月曜だが1日が日曜日だったので振替休日だとの事。今日はマラッカに行くことになる。ここはA子の両親の出身地である。今回はマラッカの街を散策した。いつもより早めにA子の家を出発、途中オールド・タウンと言うレストランで10時頃に食事。ラーメンと名物のホワイトコーヒーをのむ。このコーヒーは中々美味しかった。
  
 IMG_6395-1.jpg   IMG_6397-1.jpg
 途中サイバージャやでA子の御両親と合流して一路マラッカへ、2時間弱でマラッカに到着。12年前にも一度来たのだが、当時に比べて観光客と車の多さにびっくり、車を駐車するのに大変だった。
  IMG_6403-1.jpg   IMG_6411-1.jpg
 今回は町並み散策に重きを置き、マラッカの市内中心部、名所として知られているスタダイス広場に行く。ここは別名オランダ広場と言われ、クロックタワーやセント・クライシス教会があり、広場にある噴水は1904年にビクトリア女王即位60周年を記念して建築されたとのこと。
  IMG_6414-1.jpg   IMG_6415-1.jpg


  IMG_6416-1.jpg   IMG_6425-1.jpg
 以前来たときはスタダイス博物館を見学し、ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)、フランシスコ・ザビエルゆかりのセントポール教会礼拝堂跡に行ったが、生後3ヶ月の赤ん坊が同伴しておりそこまでは足を伸ばさなかった。
  FH010022-1.jpg   FH010026-1.jpg
 参考までに12前に訪れた時の写真を引っ張り出してみたところ、当時私は髪を紫色に染めていたし家内も私も若かった。この12年間のおのれの老け具合に改めて驚いた。
 オランダ広場の近くの店で水分補給をかねて、ジュースなどを飲んだが私だけは生ビールを飲む。近くの建物のひさしがピカピカの鏡のように磨かれたステンレス張りになっており、そこに天井を見上げる自分が映っていたので写真に収めた。
  IMG_6419-1.jpg   IMG_6429-1.jpg
 町並みを歩きながら何軒かの古物商の店内をのぞいてみた。特にM君がそのような物に興味があるらしい。それにしても本当に色々の物があり中国の古い時代の物、ポルトガル時代、オランダ時代、イギリス時代の物などまるで博物館にいる感じがした。まさにマラッカがそれだけ多くの国々に支配されていたことを示している様だった。
 その後マラッカの郊外にてA子の両親のなじみのババ・ニョニャレストランで夕食をした。また落雷とスコールの中KL市内に戻った。昨日から少し喉が痛い、マレーシアは暑い国だが車の中、建物の中どこにいてもクーラー漬けなので風邪を引きかけた感じがした。実はこれが日本に帰ってからの私の生活を乱す結果になろうとは想いもしなかった。

2017年01月17日

2度目のマレーシア旅行 PART V

 2017年の幕開け、今日はA子の夫M君はゴルフだと言って10時半ごろ出て行く。
入れ替わりにA子の御両親がやって来て一緒にKL市内の観光に出かける。まず中心部のツインタワーに行く。ここのモールにはユニクロや伊勢丹が有った。
  IMG_6294-1.jpg   IMG_6297-1.jpg
 モールの中の食堂街で朝食兼昼食(ブランチ)を食べる。そこはババ・ニョニャレストランで12年前にもここで食べたのだとA子は言っていた。「ババ・ニョニャ」とは中華系移民男性が現地のマレー人女性と結婚し、出来た混血の男の子をババ、女の子をニョニャと言う。
  IMG_6304-1.jpg   IMG_6344-1.jpg
 ツインタワー周囲は12年前に比べると周りに多くのビルが出来ているなと感じた。
 その後クワラルンプールタワーに行き展望台から360度KL市内を見た。まだまだ緑が多く、建物等もまだ建設が進んでいる。展望台の一画に床がガラス張りの所が有り、下を見るとドキッとする。
  IMG_6330-1.jpg   IMG_6338-1.jpg
 その後サイバジャヤのA子の両親の家に行く。家の前に拡がる湖は人工湖で、隣接する行政首都のプトラジャヤから繋がっているとのこと。A子の父の説明によると、プトラジャヤは前マハティール首相が行政首都を作ることを決め1990年代半ばから開発を進め今は行政機関が移転され行政首都になっている。その際マハティール首相は北海道の洞爺湖を見て新首都に人造湖を作ることを決め、「油ヤシ」の畑を掘削したりして大きな人口湖を作ったとの事。行政首都を作るに当たってはかなり日本が援助してくれたと話していた。
  IMG_6354-1.jpg   IMG_6360-1.jpg
 湖畔にはプトラ・モスク、プルダナ・プトラ(首相官邸)、各政府機関の建物が立ち並んでいる。
  IMG_6368-1.jpg   IMG_6388-1.jpg
 12年前はちょっと立ち寄っただけであったが今回はプトラジャヤ湖クルーズをした。私達はその日の最終便に乗り観光する。日没で日が暮れてくる頃出発した。ライトアップが有ったりして中々綺麗な夜景であった。遊覧船がUターンして帰る頃から雷と急激なスコールに見舞われ、急遽船内に戻る。そういえばこちらマレーシアに来て毎日どこかの時間帯でスコールに出くわす。
 クルーズの後、KLに戻って現地時間10時頃から広東料理レストランに行く。ここでA子の夫M君と合流。彼の話によるとゴルフは勝ったので夕食はお任せあれとのこ

2017年01月16日

2度目のマレーシア旅行 PART U

 翌朝12月31日大みそか、日本的感覚で朝7時(現地時間)に起きて準備をするも、こちら南の国ではどうやら一日二食らしくA子らが起き出して朝・昼兼用の食事に出たのは11時を回っていた。このパターンは最後まで同じで有った。とりあえず食事は大衆食堂と思われるところでAこの言葉によるとマレーシアの天ぷらなのだそうだが正式な名前は知らない。おくらの中に魚の身が挟んだもの等も有り、甘辛いたれを付けて食べるが十分美味しかった。
  IMG_6231-1.jpg   IMG_6229-1.jpg
 食後、マレーシアの昔の産業、例えば土器を作ったり、籠を編んだりしている様子を紹介する資料館のようなところに連れて行かれた。ツアー旅行で無いのでその建物が何なのか、何の目的が有って展示されているのかさっぱり判らない。日本で言えば江戸時代以前のような感じであった。
  IMG_6251-1.jpg   IMG_6246-1.jpg
 その後、クアラルンプール(KL)市内を移動し、何軒かチェーン店がある結構有名なアイスクリーム屋にいく。家内はドリアンアイスクリームを、私は珈琲アイスクリームを食べた。マレーシアの人達は甘いものが好きらしく、このアイスクリームも私にしてみれば甘すぎる感じがした。その後、私と家内はマッサージを希望していたのでタイ式のマッサージサロンに連れて行ってもらう。そこは塀で囲まれ、出入り口には銃を携帯したガードマンがいる大きな住宅街の一画にあり、しかもその住宅街は全てが豪邸で日本では数億円はするであろう感じの家ばかりであった。さらに驚いた事にその住宅街の中に18ホールのゴルフコースが有りまたビックリする。マッサージサロンは冷房が良く効きすぎて少し寒かったがリフレッシュできた。
  IMG_6264-1.jpg   IMG_6274-1.jpg
 2時間後にA子達が迎えに来てくれ、夕食は少し変わったところに案内するというので行ったところ、なんと北朝鮮政府が外貨獲得のために世界中に出店しているレストランの一つで有った。
  IMG_6270-1.jpg   IMG_6290-1.jpg
 店名は「コウリョウ レストラン」で、食事をしながら音楽や踊りのショーが観ることが出来る。7時頃に入店したが入店した時は2組くらいのお客だったが、ショーが始まる8時半頃には満席になった。日本では拉致問題等もある為少し後ろめたさが有ったが、A子達が連れて行ってくれたのでその場を楽しむ。この様にして外貨を稼ぎ金正恩の生活費や核開発やミサイル開発の資金を捻出しているのであろう。
  IMG_6293-1.jpg   IMG_6292-1.jpg
食事の味はまあまあ。店内は写真撮影禁止と書いてあったがこっそり3枚ほど撮った。
北朝鮮の若い女性にA子の息子がよくモテた。店内にはパナソニック製のスクリーンが何台かあり、ショータイムの時間以外は繰り返し北朝鮮のPRビデオが流れていた。音楽や踊りを披露する人達は全て料理を運んだりする人達である。そんなに上手な音楽や踊りではなかったが初めてその様な実態を見た。
 そういえば昨年どこかの国でこの種のレストランの女性店員が全員韓国大使館に逃げ込んで亡命をしたというニュースを観た記憶が有る。そのせいかこのレストランのトイレには鉄格子が入っていた。
大晦日、異国の地にあり除夜の鐘も無いので早めに就寝。無事2016年を終了する。

2017年01月12日

2度目のマレーシア旅行 PART1

 年末年始にマレーシアに行った。と言うのもマレーシア在住のA子が男の子を出産したと9月に連絡を貰った。A子は2003年3月から2004年2月までAFS留学生として我が家にホームステイをしていた。帰国した年の盆休みに一度マレーシアを訪問して以来である。もっともA子はその後何回となく我が家に里帰りをしていた。一昨年11月には御両親とマックと言うボーイフレンドを連れて我が家に来た。その後、彼とは正式に籍を入れた。
 赤ん坊に会いに行こうと9月22日に決めてネットで飛行機の予約をしたがエコノミー席が3席だけ空いておりすぐ予約をした。また出発時間が朝11時の為、当日尾道からでは合わないため、29日の夜の宿泊をホテル日航関西空港を同時に予約しておいた。29日午前中、医院の大掃除をして出かけた。前泊は初めての経験である。関空の中の食堂街でカツカレーを食べる。そして明日の受付カウンターの場所などの下見をした。
  IMG_6175-1.jpg   IMG_6177-1.jpg
 翌朝8時過ぎにチェックインカウンターに行きビジネスクラスにランクアップが出来るかどうか聞いたところ1席だけ出来るとの事。家内には申し訳ないが私一人だけランクアップした。追加料金は22100円であった。但し機内食はビジネスクラスの食事が用意されてなく、エコノミークラスと同じものを食べた。お酒は結構追加で出してくれた。座席はゆったりしており、ほぼフラットに倒す事が出来、寝転がって行けた。
  IMG_6188-1.jpg   IMG_6192-1.jpg
 クアラルンプール空港にはA子の御両親、A子、赤ん坊、旦那のM君、が迎えに来てくれていた。まずはサイバージャにある御両親の家にいく。大阪を出発するときは冬支度で有り、あまりにも暑いので夏服に着替えさせてもらう。
  IMG_6202-1.jpg   IMG_6197-1.jpg
 その後クアラルンプールに戻り中華食堂で夕食、A子の父が40年以上保管していたVSOPを持ち込み、蓋を取ろうとしたら、コルクが朽ちておりボッキリ折れる。今日の事にはならず、ビールを飲む。
  IMG_6206-1.jpg   IMG_6218-1.jpg 
 その後A子の新居に行く。最近、築20年のコンドミニアムを購入し、内装をやり替え引っ越しを始めたばかりなので家具などはほとんどない。こちらマレーシアの住宅はフィリピンと同様、何軒かが集まって塀に囲まれた住宅街になっている。守衛がいて24時間人の出入りを監視している。共有ではあるがプール付には驚く。
  IMG_6220-1.jpg   IMG_6223-1.jpg
 A子の家の広さは大きく60坪くらい有りそうだ。夫婦のベットルームのトイレ、ゲストルームに隣接したトイレ、メードさんのトイレまで3カ所もある。日本ではなかなか手に入れられない家である。時差が1時間なので体調の方はなんとかなりそうである。

2017年01月08日

2016年を振り返って

 今年も後7日ほどになった。新聞などでは内外の今年の十大ニュースが発表されている。国際的には次期アメリカ大統領にトランプ氏、英・EU離脱等、また国内では天皇陛下退位への思い、熊本地震など驚きのニュースが多かった。そこで我が家の十大ニュースを考えてみたが今年はある意味、私にとって大転換の年であった。
1、1986年に開業した「さいだ歯科医院」は30年と成ったが、1月1日に院長職を息子に譲り私は勤務医となる。今までは診療のこと、経営のこと、従業員の手配等全ての責任を負っていたが、息子にアドバイスをする程度でかなり気分的に楽になった。
  IMG_4258-1.jpg   IMG_5796-1.jpg
2、3月には診療所2階の自宅から街中のマンションに引っ越した。毎日7時前にマンションを出て車通勤をしているが、歯科医師会の会合等で飲食があるときの出退勤には家内に送り迎えをしてもらい迷惑をかける羽目になった。
診療所の2階は改装し、12月に息子たちが引っ越して来て名実ともに息子が医院長になったと実感している。
   IMG_5730-1.jpg   IMG_4653-1.jpg
3、勤務医になったことで少し時間的余裕が出来たので、休みをもらって家内とイタリア旅行に出かけた。今まではアジアばかりたったが、初めてのヨーロッパでアジアとは違う感覚を経験した。しかも帰りの飛行機で一生に一度はと思っていたファーストクラスに乗れていい思い出が作れた。
4、今年私は69歳であるが大学の同窓会広島県支部主催でわざわざ私のために「古希のお祝い会」を開催していただきすごく恐縮した。また当日は北海道から多くの同級生が駆けつけてくれて楽しいひとときを過ごせた。
   IMG_4512-1.jpg   IMG_6169-2.jpg
5、5月には沖縄の長男一家が里帰りをしてくれて、家族全員がそろった。ただこれも、孫たちが大きくなり部活や勉強などで全員がそろうのはそろそろ難しくなるかもしれない。
6、かねてより私はルーツに興味があったので、埼玉県の行政書士のM先生にお願いして、NHKのファミリーヒストリーよろしく父方と母方の家系調査をしてもらった。残念ながら1800年代半ば頃までしか遡れなかった。しかしある程度のことが判かりよかった。そして我が家の家系が子子孫孫に伝えられることが出来て嬉しい限りである。
7、健康面では70歳に近づいたせいか、からだの老いを少し感じるようになってきた。4月頃から緑内障の目薬によるアレルギー反応のため眼瞼を腫らし、とんでもない顔になった。また左肘を受傷して腕をパンパンに腫らしたり、最近では奥歯の咬合面が摩耗して凍みたり、頬をかみやすくなったりと昨年までは考えられなかった事が起きるようになった。
   IMG_4566-1.jpg   IMG_6117-1.jpg
8、家庭菜園で野菜を作るのが楽しくなったが、素人のこと故、そんなに立派な作物はとれないがそれでも収穫した物を味わう気分は最高である。
9、結婚して以来年賀状の宛名書きを43年間家内に押しつけていたが、今年初めてやった。昔は家内が毛筆で宛名を書いていたが近年はコンピューターソフトを使用してやってもらっていた。自分がやってみるとコンピューターソフトを使ったとしても結構時間が掛かるのには驚き、今までの家内に感謝である。
   IMG_6125-1.jpg   IMG_6145-1.jpg 
10、最後に特筆すべきことは、以前は年間50本以上観ていた映画を今年は先日観に行った出光佐三をモデルとした「海賊と呼ばれた男」1本だけであった。これは引っ越しをして有料放送の「WOWOW」と契約をしたせいかもしれないが、TVで観るより、やはり映画館で観る方が迫力があり楽しい。来年はもう少し映画館にも足を運ぼうと思う。

このように1年間を振り返るとあっという間の出来事であり、大過なく1年が無事に過ごせたことに感謝するばかりである。来年もまた元気で1年を過ごそうと心に誓う。

2016年12月24日

だまし絵の巨匠エッシャー展を観て

 かれこれ30年数前、大学の物理の時間に教授からエッシャーの「だまし絵」を見せてもらった事が有る。その絵は「滝」と呼ばれる絵で、滝から水が落ちて水車を回し、その水が流れて行った先が又元の滝になるというものだった。この絵を観た時の感想はもしもこれが現実なら永久に水力発電できるのだがと思った。それにしてもその時はすごい絵が有るなと思ったが、どうして騙されるのか考えても見なかった。
IMG_20161208_0004-1.jpg  IMG_6073-1.jpg  IMG_6089-1.jpg
 そして20年ほど前にたまたま書店で朝日新聞社から発刊されていた「エッシャーの宇宙」と言う本を見つけ購入した。しかし中の絵をぱらぱらめくる程度でほとんど読まずに書棚に置いていた。ところが11月11日から広島県立美術館で「エッシャー展」が開催される事をTVニュースで知った。是非とも観に行こうと思いやっと先日足を運んだ。
 音声ガイダンスを借りてじっくり見学できた。作品はスケッチ画、木版画、リトグラフ等が概ね初期のものから順に展示されていた。彼の緻密な版画等を観ていると感動する。
IMG_6106-1.jpg  IMG_6111-1.jpg  IMG_6109-1.jpg
 日本の浮世絵は浮世絵師が絵を描きそれを彫師が木版に仕上げさらに摺り師がするという分業化がなされているが、エッシャーの場合全て又は木版や石板に彫るところまでは本人がやっているようである。版木も一部展示して有ったが細かい線等を利用し陰影を上手く彫り、より立体的に見える工夫がしてあり驚くばかりであった。
  IMG_6112-1.jpg   IMG_6113-1.jpg
 彼がどのような経過を経てだまし絵にたどり着くのかがなんとなく判った、1958年製作の「物見の塔」や1960年の「上昇と下降」そしてパンフレットの表紙に用いられている「滝」。いかに人間の脳は騙されやすいのかと思う。前述の「エッシャーの宇宙」と言う本の中にどのように作画をすればこの様な絵になるのか解説がしてある。そして今回の展示の最後にグラフィックデザイナーの福田繁雄氏が、「物見の塔」と「滝」を絵に描いてある通りに忠実に立体模型を製作したものが展示してあった。本来ならこの姿なのに脳が騙されてあたかもエッシャーの描いた絵が真実のような錯覚に陥る。
      IMG_6108-1.jpg   IMG_6081-1.jpg


      IMG_6107-1.jpg   IMG_6079-1.jpg
 昔、物理の教授がこの絵を見せてくれた時、「真実は一つである、思い込みや一面的な見方をしてはならないそれが自然科学だ」と話していたのを思い出した。多くの自然科学者達は研究過程で常識では考えられない事象に出会った時、諦めるかあるいはとことん追求研究し新たな発見をするか、その事をこのエッシャーのだまし絵が示唆している様に思えた。2時間半ほどかけて観たが本当に楽しく驚きの連続であった。

2016年12月11日

左肘受傷顛末記

 大げさなお題になったが傷そのものはほんのかすり傷。夏の頃家内に「お父さん肘が黒いよ、よく洗ったら」と注意を受けていたのを先月15日に風呂に入った時、たまたま思い出した。見ると肘が黒ずんでいたので軽石で少しこすった。次の日も同じようにこすって綺麗にしたのだが、その時ほんの僅かなかすり傷が出来たらしくヒリッとしたがそのまま放置。
 IMG_0519-1.jpg   IMG_6057-1.jpg      
 ところが18日金曜日に診療中少し左手に痛みを感じた。診療後、着替えて車を運転して帰る途中左の袖が肘にあたって痛い。帰宅してよく見ると肘が少し化膿して腫れている。
 痛み止めと抗生剤を飲んで湿布をした。翌朝は腫れが少し大きくなっている。そのまま仕事を続けるが、夕方には左前腕部にまで腫れが拡がってくる。寝る頃になると、発熱が始まり、38.9度までになる。翌20日(日曜日)起床時38.1度と少し下がっていたが、腫れはさらに拡がってきている。このままほっておくと敗血症になって死ぬかも知れない等と悲観的に考えてしまった。そこで消防署に電話して本日の休日当番医を教えていただく。
 昼前にS整形外科にかけ込む。関節のレントゲンを撮ってもらい、受傷部位の消毒、抗生剤の筋注、受傷部への抗生剤軟膏塗付をしてもらい抗生剤と消炎鎮痛剤の処方をして頂く。肘部は皮膚が薄くしかも関節包がすぐ下にあり化膿しやすいのだとか。
 翌21日夕方、S先生からお電話をいただき状態をお話した。わざわざお電話をいただいたのでこれは一度診察にお伺いしなくてはと思い、翌22日私の予約患者様に無理をお願いし、キャンセルしてS整形外科に行く。前腕部の腫れはさらに拡がり病名としては「左前腕部蜂窩織炎」であると言われる。抗生剤の筋注をしてもらう。
  IMG_6063-1.jpg   IMG_6061-1.jpg
 翌23日は勤労感謝の日であったが、朝9時過ぎにまたS先生からお電話をいただき、腫れが手の甲まで達している現状報告をすると、「JA尾道総合病院か市民病院をすぐ紹介するから受診された方が良い」とアドバイスを頂き、早速尾道総合病院の外科にかけ込む。外科のドクター二人が私の腕を見てこれは入院になるかもしれないと言われる。もしそうなったら私の患者様に御迷惑がかかるし困ったなと思う。とりあえず血液検査をしてもらう。26日・27日は公務で広島出張がありどうした物かと結果を待つ間あれこれ考えた。
 検査結果からは何とか入院するほどではないとのことでほっとする。外科の先生から明日皮膚科を受診するように言われ、その場で皮膚科の予約をする。帰宅してずっと病人らしく寝ていた。今までたまっていた疲れが少しとれた感じがした。
 急遽息子に連絡して午前中の患者様の予約取り消しを頼む。翌24日朝から尾道総合病院皮膚科受診、結果このまま抗生剤服用を続け、1週間後の再診予約した。
 翌25日報告かたがたS整形外科を受診。少し良くなってきており手の甲の腫れは退いてきた。どうやら峠は越えたようで再度抗生剤の筋注をして頂く。それにしてもS先生に随分気にかけていただき申し訳なかった。病院通いをしている間、自分の患者さんに迷惑を掛けた事に深く反省する。
 12月1日に皮膚科を再受診した時は前腕部の腫れはほぼ消退。肘部のみ腫れが残存、皮膚科の先生からはさらにもう1週間抗生剤を服用する様に言われた。肘を風呂に付けて良いか尋ねたところOKの返事を貰ったが恐ろしかったので4日まで待って17日ぶりに風呂のお湯につけた。もちろんこすったりはしない。今日現在肘の受傷部は固くしこりが残り、触ると少し痛みが有るがほぼ問題ない。しこりはまだ3週間くらい消えそうもない。
  IMG_6056-1.jpg    IMG_6059-1.jpg 
 この受傷で気が付いたのだが、私は右が効き手なので左で良かったと思ったがとんでもない事を思い知らされた。例えば患者さんの歯を削るのに右手は切削道具を持ち、左手は患者さんの舌や頬を排除するためにデンタルミラーをもつことになるが、動かせば痛い、力が入らないなど大変な不自由さを味わい、改めて私の職業には右も左も大事なのだと気付かされた。いままでキャンセルしたりして患者様にご迷惑をかけた分、今週から頑張らなくてはと思う。70歳が近づくと僅かの傷でこのように大げさな事になり、つくづく免疫力の低下をおもい知らされた。これからは大いに気をつけて生活をしていかなくてはと反省しきり。

2016年12月06日

スマホ中毒

 私が毎月読んでいる「致知」12月号に東北大学加齢医学研究所所長の川島隆太氏と明治大学文学部教授の齋藤孝氏の対談記事「素読のすすめ」が掲載されていた。なお「素読」とは辞書によると「意味の解釈を加えず、本の文字を声を出して読み上げること」とあった。
         IMG_6040-1.jpg   IMG_6043-1.jpg
 その記事の小見出しに「日本人が本を読まなくなったと言われて久しい。川島隆太氏は脳科学者の立場から読書離れとスマホ中毒の悪影響に警鐘を鳴らし、素読の必要性を訴えてきた。齋藤孝氏もまた数多くの素読の実践をベースに、その意義を伝え続けている。素読は私たちの脳にどのように作用し、どのような効果を生むのだろうか。お二人の対談から見えてきたのは素読で人を育てた先人の優れた知恵と、反対にスマホやSNSの驚くべき被害だった」とあり興味深く読んだ。
          IMG_6042-1.jpg
 10数年前に齋藤孝氏の講演を聴いたことがある。そのとき「声に出して読みたい日本語」を出版されてまもない頃で、すぐ買い求めた。この本の中には色々の名文や名詩、名文句が取り上げてありテンポ良く楽しく読んだ記憶がある。
 ところで通常の学習では意欲のある方が脳がよく働く。そこで川島氏は以前「ゲームを楽しんでいる時の脳はよく働き、嫌々勉強するときの脳は働かない」という仮説を立てて実験したが結果は予想とは反対だった。
 齋藤氏は江戸時代の寺子屋では、先生のリズミカルな先導に合わせて子供たちが古典を復唱する方法すなわち素読を推奨されているが、これは脳科学の上から脳の活性化が実証されている。つまり本を黙読するのと声を出して素読するのとでは脳の働きに違いがある。黙読は文字を捉えて視覚で覚え、そこに描かれている意味を理解します。一方、それを声に出すのは、理解した文章の情報を音に変換する、口を動かす、息を出す、自分の声を耳で聞くといった二重、三重の機能が働くことになるので、それだけ脳が活発になるとのこと。
 ところで現在フェイスブック、ラインに代表されるコミュニケーションツールのSNSをした場合、素読とはまるきり逆で、効果どころかSNSをやっていると脳に抑制がかかることが分かった。これはラインの文面を見てみたら、極めてプアなコンテンツしか出てこない「お昼何にする?」「カレー」「どこに行く」といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かない。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっており、ある意味とても怖いツールであると書いてあった。 
 さらに仙台市で7年間、7万人の子供たちの脳を追いかけたて調べたところスマホやSNSの利用と学力の関係が明らかになり、SNSを使えば使うほど学力は低下し、脳の中の学習した記憶が消えている事実があった。
確かにライン等はコミュニケーションツールとして有用な側面もあるが、一日に5時間位SNSにかかりっきりになっている高校生等はざらだという話を聞くとスマホ中毒になりつつあるのかもしれない。
 最近スマホに付いては色々の問題が提起されている。スマホ老眼、歩きスマホでホームから転落、また今はやりのポケンモンGOでは夢中にになって自動車事故に遭い死者が出たりしている。
  IMG_6018-1.jpg   IMG_6038-1.jpg
 私もスマホを持っているが私自身は99%以上携帯電話としてしか使用していない。検索も、メールもさっぱりやり方を知らない。人はもったいないと言うが私はこれで良い。スマホ依存症はアルコールやタバコのレベルではなく、麻薬と同じ扱いにして規制すべきと川島氏は語られる。
 さらに高齢者は年齢と共に脳が老化していくが、素読や単純計算によるトレーニングが認知症改善の劇薬となると書いてあり、スマホをしない私はせっせと素読でもして認知症予防をしようと思った。

2016年11月17日

開院30周年

 「さいだ歯科医院」は1986年11月6日に開院し今年の11月6日に開院30周年を迎えた。思いだしてみると開院当日は天気が良く、気温も高く絶好の開院日和で有った。今年も同じような天候の廻りあわせで有った。
 ただ今年は6日が日曜日だったので、夜は一人お酒を飲んで感慨に耽っていた。振り返ればこの30年間には本当に色々の事が有り、あんな事も、こんな事も有ったと思いだされた。多くは私の至らなさが招いた危機が多く、4人いた女性従業員の内3人が一度に退職されて途方に暮れた事等が走馬燈のように思い出され、良くも今日まで乗り越えてこられたと感慨ひとしおであった。
 今日、7日の朝礼時に従業員一同から開院30周年のお祝のお花をいただいた。毎年お花などをいただくが今年はとても感慨深かった。その後玄関前で記念写真を撮る。
          IMG_5988-1.jpg
 ところで昔から「企業寿命30年説」と言うのが有る。最近の調査では平均の企業寿命は23.5年(2014年東京商工リサーチ)と言われている。
 さらに昔から何か一つの事に打ち込んで続ける人に対して「10年偉大なり、20年恐るべし、30年歴史なる」と言う言葉が有る。「さいだ歯科医院」もやっと歴史なったのであろうか?今年1月1日に院長職を息子に譲ったが、これからもさらに長期に渡って「さいだ歯科医院」が地域医療に貢献し、又従業員みんなの幸せが得られるように気配りをしていかなくてはならないと思った。
           DSC_6643_12-1.jpg
 ところで何かの本で読んだ気がするが日本には世界一古い企業が有り、世界最古の企業トップ3はすべて日本企業だそうだ。ネット検索をすると1番目は大阪の寺社建築の老舗「金剛組」西暦578年創業、2番目が京都府の生け花の「財団法人池坊華道会」西暦587年創業、3番目が山梨県西山温泉の「慶雲館」西暦705年である。
 日本には創業200年を超える企業が3146社あり、世界最多となっており、しかも7社は1000年以上の歴史を持つのだそうだ。
 IMG_5971-1.jpg   IMG_5986-1.jpg
 「さいだ歯科医院」がこれから1000年続く事は無いかもしれないが創業者としては出来るだけ長く続いて欲しいと思うのが人情かも知れない。

2016年11月08日

HOME院長ブログ治療の流れ院内案内診療案内予防歯科3DS母子感染ホワイトニングインプラントスポーツマウスガード
患者様の声料金表院内販売グッズ スタッフ紹介スタッフ募集アクセス院長紹介お問い合わせ治療写真集取り組み