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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

左肘受傷顛末記

 大げさなお題になったが傷そのものはほんのかすり傷。夏の頃家内に「お父さん肘が黒いよ、よく洗ったら」と注意を受けていたのを先月15日に風呂に入った時、たまたま思い出した。見ると肘が黒ずんでいたので軽石で少しこすった。次の日も同じようにこすって綺麗にしたのだが、その時ほんの僅かなかすり傷が出来たらしくヒリッとしたがそのまま放置。
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 ところが18日金曜日に診療中少し左手に痛みを感じた。診療後、着替えて車を運転して帰る途中左の袖が肘にあたって痛い。帰宅してよく見ると肘が少し化膿して腫れている。
 痛み止めと抗生剤を飲んで湿布をした。翌朝は腫れが少し大きくなっている。そのまま仕事を続けるが、夕方には左前腕部にまで腫れが拡がってくる。寝る頃になると、発熱が始まり、38.9度までになる。翌20日(日曜日)起床時38.1度と少し下がっていたが、腫れはさらに拡がってきている。このままほっておくと敗血症になって死ぬかも知れない等と悲観的に考えてしまった。そこで消防署に電話して本日の休日当番医を教えていただく。
 昼前にS整形外科にかけ込む。関節のレントゲンを撮ってもらい、受傷部位の消毒、抗生剤の筋注、受傷部への抗生剤軟膏塗付をしてもらい抗生剤と消炎鎮痛剤の処方をして頂く。肘部は皮膚が薄くしかも関節包がすぐ下にあり化膿しやすいのだとか。
 翌21日夕方、S先生からお電話をいただき状態をお話した。わざわざお電話をいただいたのでこれは一度診察にお伺いしなくてはと思い、翌22日私の予約患者様に無理をお願いし、キャンセルしてS整形外科に行く。前腕部の腫れはさらに拡がり病名としては「左前腕部蜂窩織炎」であると言われる。抗生剤の筋注をしてもらう。
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 翌23日は勤労感謝の日であったが、朝9時過ぎにまたS先生からお電話をいただき、腫れが手の甲まで達している現状報告をすると、「JA尾道総合病院か市民病院をすぐ紹介するから受診された方が良い」とアドバイスを頂き、早速尾道総合病院の外科にかけ込む。外科のドクター二人が私の腕を見てこれは入院になるかもしれないと言われる。もしそうなったら私の患者様に御迷惑がかかるし困ったなと思う。とりあえず血液検査をしてもらう。26日・27日は公務で広島出張がありどうした物かと結果を待つ間あれこれ考えた。
 検査結果からは何とか入院するほどではないとのことでほっとする。外科の先生から明日皮膚科を受診するように言われ、その場で皮膚科の予約をする。帰宅してずっと病人らしく寝ていた。今までたまっていた疲れが少しとれた感じがした。
 急遽息子に連絡して午前中の患者様の予約取り消しを頼む。翌24日朝から尾道総合病院皮膚科受診、結果このまま抗生剤服用を続け、1週間後の再診予約した。
 翌25日報告かたがたS整形外科を受診。少し良くなってきており手の甲の腫れは退いてきた。どうやら峠は越えたようで再度抗生剤の筋注をして頂く。それにしてもS先生に随分気にかけていただき申し訳なかった。病院通いをしている間、自分の患者さんに迷惑を掛けた事に深く反省する。
 12月1日に皮膚科を再受診した時は前腕部の腫れはほぼ消退。肘部のみ腫れが残存、皮膚科の先生からはさらにもう1週間抗生剤を服用する様に言われた。肘を風呂に付けて良いか尋ねたところOKの返事を貰ったが恐ろしかったので4日まで待って17日ぶりに風呂のお湯につけた。もちろんこすったりはしない。今日現在肘の受傷部は固くしこりが残り、触ると少し痛みが有るがほぼ問題ない。しこりはまだ3週間くらい消えそうもない。
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 この受傷で気が付いたのだが、私は右が効き手なので左で良かったと思ったがとんでもない事を思い知らされた。例えば患者さんの歯を削るのに右手は切削道具を持ち、左手は患者さんの舌や頬を排除するためにデンタルミラーをもつことになるが、動かせば痛い、力が入らないなど大変な不自由さを味わい、改めて私の職業には右も左も大事なのだと気付かされた。いままでキャンセルしたりして患者様にご迷惑をかけた分、今週から頑張らなくてはと思う。70歳が近づくと僅かの傷でこのように大げさな事になり、つくづく免疫力の低下をおもい知らされた。これからは大いに気をつけて生活をしていかなくてはと反省しきり。

2016年12月06日

スマホ中毒

 私が毎月読んでいる「致知」12月号に東北大学加齢医学研究所所長の川島隆太氏と明治大学文学部教授の齋藤孝氏の対談記事「素読のすすめ」が掲載されていた。なお「素読」とは辞書によると「意味の解釈を加えず、本の文字を声を出して読み上げること」とあった。
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 その記事の小見出しに「日本人が本を読まなくなったと言われて久しい。川島隆太氏は脳科学者の立場から読書離れとスマホ中毒の悪影響に警鐘を鳴らし、素読の必要性を訴えてきた。齋藤孝氏もまた数多くの素読の実践をベースに、その意義を伝え続けている。素読は私たちの脳にどのように作用し、どのような効果を生むのだろうか。お二人の対談から見えてきたのは素読で人を育てた先人の優れた知恵と、反対にスマホやSNSの驚くべき被害だった」とあり興味深く読んだ。
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 10数年前に齋藤孝氏の講演を聴いたことがある。そのとき「声に出して読みたい日本語」を出版されてまもない頃で、すぐ買い求めた。この本の中には色々の名文や名詩、名文句が取り上げてありテンポ良く楽しく読んだ記憶がある。
 ところで通常の学習では意欲のある方が脳がよく働く。そこで川島氏は以前「ゲームを楽しんでいる時の脳はよく働き、嫌々勉強するときの脳は働かない」という仮説を立てて実験したが結果は予想とは反対だった。
 齋藤氏は江戸時代の寺子屋では、先生のリズミカルな先導に合わせて子供たちが古典を復唱する方法すなわち素読を推奨されているが、これは脳科学の上から脳の活性化が実証されている。つまり本を黙読するのと声を出して素読するのとでは脳の働きに違いがある。黙読は文字を捉えて視覚で覚え、そこに描かれている意味を理解します。一方、それを声に出すのは、理解した文章の情報を音に変換する、口を動かす、息を出す、自分の声を耳で聞くといった二重、三重の機能が働くことになるので、それだけ脳が活発になるとのこと。
 ところで現在フェイスブック、ラインに代表されるコミュニケーションツールのSNSをした場合、素読とはまるきり逆で、効果どころかSNSをやっていると脳に抑制がかかることが分かった。これはラインの文面を見てみたら、極めてプアなコンテンツしか出てこない「お昼何にする?」「カレー」「どこに行く」といったように、まるで幼稚園児レベルの会話しか続かない。物を考える人としての脳は積極的に寝てしまっており、ある意味とても怖いツールであると書いてあった。 
 さらに仙台市で7年間、7万人の子供たちの脳を追いかけたて調べたところスマホやSNSの利用と学力の関係が明らかになり、SNSを使えば使うほど学力は低下し、脳の中の学習した記憶が消えている事実があった。
確かにライン等はコミュニケーションツールとして有用な側面もあるが、一日に5時間位SNSにかかりっきりになっている高校生等はざらだという話を聞くとスマホ中毒になりつつあるのかもしれない。
 最近スマホに付いては色々の問題が提起されている。スマホ老眼、歩きスマホでホームから転落、また今はやりのポケンモンGOでは夢中にになって自動車事故に遭い死者が出たりしている。
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 私もスマホを持っているが私自身は99%以上携帯電話としてしか使用していない。検索も、メールもさっぱりやり方を知らない。人はもったいないと言うが私はこれで良い。スマホ依存症はアルコールやタバコのレベルではなく、麻薬と同じ扱いにして規制すべきと川島氏は語られる。
 さらに高齢者は年齢と共に脳が老化していくが、素読や単純計算によるトレーニングが認知症改善の劇薬となると書いてあり、スマホをしない私はせっせと素読でもして認知症予防をしようと思った。

2016年11月17日

開院30周年

 「さいだ歯科医院」は1986年11月6日に開院し今年の11月6日に開院30周年を迎えた。思いだしてみると開院当日は天気が良く、気温も高く絶好の開院日和で有った。今年も同じような天候の廻りあわせで有った。
 ただ今年は6日が日曜日だったので、夜は一人お酒を飲んで感慨に耽っていた。振り返ればこの30年間には本当に色々の事が有り、あんな事も、こんな事も有ったと思いだされた。多くは私の至らなさが招いた危機が多く、4人いた女性従業員の内3人が一度に退職されて途方に暮れた事等が走馬燈のように思い出され、良くも今日まで乗り越えてこられたと感慨ひとしおであった。
 今日、7日の朝礼時に従業員一同から開院30周年のお祝のお花をいただいた。毎年お花などをいただくが今年はとても感慨深かった。その後玄関前で記念写真を撮る。
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 ところで昔から「企業寿命30年説」と言うのが有る。最近の調査では平均の企業寿命は23.5年(2014年東京商工リサーチ)と言われている。
 さらに昔から何か一つの事に打ち込んで続ける人に対して「10年偉大なり、20年恐るべし、30年歴史なる」と言う言葉が有る。「さいだ歯科医院」もやっと歴史なったのであろうか?今年1月1日に院長職を息子に譲ったが、これからもさらに長期に渡って「さいだ歯科医院」が地域医療に貢献し、又従業員みんなの幸せが得られるように気配りをしていかなくてはならないと思った。
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 ところで何かの本で読んだ気がするが日本には世界一古い企業が有り、世界最古の企業トップ3はすべて日本企業だそうだ。ネット検索をすると1番目は大阪の寺社建築の老舗「金剛組」西暦578年創業、2番目が京都府の生け花の「財団法人池坊華道会」西暦587年創業、3番目が山梨県西山温泉の「慶雲館」西暦705年である。
 日本には創業200年を超える企業が3146社あり、世界最多となっており、しかも7社は1000年以上の歴史を持つのだそうだ。
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 「さいだ歯科医院」がこれから1000年続く事は無いかもしれないが創業者としては出来るだけ長く続いて欲しいと思うのが人情かも知れない。

2016年11月08日

収穫の秋

 私の診療所のまわりの田んぼもほとんど刈り取りが終わった。また地区の神社の秋祭りも終わり、収穫の秋も佳境に入って来た。
 先日、僅かばかりの家庭菜園のサツマイモを収穫した。今年は5筋程植えていたが、10月の初めに3筋掘った。その時はサツマイモには亀裂などは無かったがこの度収穫したお芋の1/3位に亀裂が認められた。前回掘ったときから今回まで雨が多く芋が水を吸い玉太りになり過ぎたのであろう。
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 しかし3週間ほど収穫時期を遅らせたので結構大きな芋も有り、豊作である。サツマイモは日照りに強く植えたら植えっぱなしで良いと思っていたが、今年の夏は暑く、ぐったりした葉っぱを見るとついついお世話する気になり何度も井戸ポンプを回して水をやった。
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 今、畑にはまもなく収穫予定のエゴマがあり、大分葉っぱが黄ばんで来ている。他に秋の収穫物としては柿しかないが、今年の柿は当たり年で豊作。次郎柿と西条柿を植えているが大分収穫できた。沖縄の孫達にも柿とサツマイモを送ることが出来た。
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 今、畑には10月の始めに植えた秋ジャガイモが芽を出しているが出来が悪く半分以上芽が出てこない。これからの気温や日照時間を考えるとこれが限度であろう。春に植えた時はそこそこ出来たのに。まったく素人がやる事なので解らないことだらけである。秋に植える芋は春の芋とは種類が違うらしい。
また大根も同時に植えたのだが、芽が出て少し経った頃、蝶の幼虫・青虫に葉っぱを食べられひどい状態になった。瀕死の状態だった大根も毎日のように青虫退治をしたおかげで新たな葉っぱが芽吹いてきてなんとかなりそうである。よく育っている大根は現在直径2センチ位になってきており収穫が楽しみである。
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 またタマネギの種も大根と同時期に植えたが、だいぶ大きくなってきており、もう少したったら植え替えである。そこでこの度芋畑を耕し、肥料を入れて準備完了である。さらに来年の春の収穫を目指してゴボウも植えた。もう少し畑に余裕があるので何を植えようかと家内と話しながら検討している。おそらくネギかな?
 
 僅かな畑でも維持しようとすると大変であり、お百姓さんには本当に頭が下がる。
日本の食糧問題を考えると、TPP問題も行き着くところお百姓さんたちにメリットがなければ何にもならない。それでなくても食糧自給率は先進国中最低であり、これ以上自給率が下がると他国より兵糧攻めに遭ったとき、日本は滅んでしまう。昨今の金銭至上主義にはいささか不安が残る。

2016年10月29日

向島一周サイクリング

 9日・10日と連休であった。9日は何かと所用がありそれらを片付けるので手一杯であったが、10日の朝、家内が「お父さん今日は何かある」と言うので特に「ない」と答えたところ何処かに行こうという。あまり奥さん孝行をしていないので素直に従う。
 車で出かけるのもなんとなく面白くない、それで自転車で尾道の対岸の向島を一周しようということになる。もっとも私も家内も自転車はアシスト付自転車であり、坂道はアシストのスイッチを入れて走れるので、この年でもたぶん大丈夫だろと判断した。
 向島は私が小学校1年の途中まで住んでいたところ、家内も高校生の途中まで住んでいて少しは勝手を知っている。
 最近尾道から「しまなみ海道」を四国・今治までサイクリングをしながら行くことがサイクリストの間では世界的に有名になりつつある。道路に描かれたブルーラインに従って行けば今治まで行ける。
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 9時過ぎに自宅を出て、まず尾道U2にある自転車専門店のジャイアンツに寄って手袋を購入し福本渡船を渡って向島に渡る。ブルーラインは西側に行くように描かれていたが、島を一周するために東廻りでいく。向東・天女浜・歌を経て海岸沿いに走る。かなり向島が開発されていて昔あった建物が無かったり、野原で有ったところに建物が出来ていたりして、家内と昔は「こうだった」、「ああだった」と話しながらサイクリングをする。
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 天気が良く、海の向こうの島影や浮かぶ船、波穏やかで砂浜に寄せる波を見ていると本当に心和らぐ。干汐海水浴場、広島大学臨海実験所を経て立花臨海公園に達する。この辺りに来ると道路にブルーラインが描かれていた。トイレ休憩をしたが、ここから因島大橋を渡る道があるため多くのサイクリストが集まっていた。外国の人も多くいてまさに国際級である。しまなみサイクリングロードの道路脇にはコスモスなどが咲いており心和む。
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 私たちは尾道方面と書かれたブルーラインに沿ってさらに西に向かい津部田、道越まで来た。出来るだけ海岸線に沿ってサイクリングをしようと思いブルーラインの描かれているサイクリングロードから別れ、細い道をいく。途中土地の人に聞くとこの先、坂が急だとアドバイスをいただく。まさに急な坂道で、家内は転んでしまう。自転車を押しながら坂を登りきる。その後NHK向島ラジオ中継放送所のアンテナがあるところに来たが、左側の海沿の道を進んだところ道が行き止まり。どうやらその道はミカン山への農道であり参った。全ての道はローマに通じていない。
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 引き返して県道に戻り有道からまた海沿いに走り九軒島を経て、小歌島(おかじま)の渡し場まで帰ってきて向島を一周できた。およそ3時間のサイクリングで有った。
 帰宅後、疲れたので2時間ほど昼寝をする。久しぶりに楽しい1日を過ごした。

2016年10月12日

広大工学部応化S44卒古希同窓会

 先日、広大工学部応用化学科S44年卒の古希の同窓会が大阪在住のクラスメートのお世話で、大阪ヒルトンプラザWEST6階「燦」で開催され参加した。我々のクラス会は昭和45年に1回目をした後、平成22年、平成26年、と今回で4回目である。平成22年まではみんな現役で忙しく働き、クラス会をする余裕もなかった感じがしている。しかも今回が広島以外での初めての開催である。
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 当日の会場は大阪駅前ということで案内が来ていたが、大阪という場所は何回か行ったことがあるが、ほとんど誰かの後をついて行くだけだったので全く不案内。きょろきょろ探す羽目に。やっと見つけて行ったところは、実は以前劇団四季を鑑賞した場所であった。おかげでなんとかぎりぎりに間に合う。
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 今回は43名の内20名が参加、卒業以来初めて会う級友が2名。その内一人は体型が変わりすぎて全く名前が出てこない。幹事が前もってみんなの近況をメールで聞いておりその一覧が机上配布されていた。参加できなかったクラスメートの状況もよく分かった。すでに他界したクラスメートが2名いる。
 また2ヶ月ほど前に、工学部同窓会の同窓会誌が届いていたが、その中の物故者名簿に当時我々を教えて頂いた3名の先生方の名前が記載されていた。いずれも90歳を超えられており、ほぼ天寿を全うされたのではあろう。しかし我々にとっては寂しい限りである。幹事の挨拶の前に全員で黙祷をした。
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 他界したクラスメートのY君の実家は造り酒屋で、名古屋在中のT君がわざわざY君の実家のお酒を持参してくれ、それをみんなで飲みながらY君を忍んだ。
 各自の近況を聞いているとボランティア活動をしている、家庭菜園をしている、親の介護をしているとか、結構みんな日々忙しそうで、趣味や社会活動など大いに元気に活躍していることを知り私自身元気と勇気をもらった。
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 終了後、同じ研究室だった神戸在住のN君が大阪を案内してくれる。心斎橋、法善寺、難波花月、大阪の日本橋、黒門市場などを歩いて案内してもらう。いくつかの場所は訪れたことがある。これらの場所も今までは誰かについて歩いただけでどこに何があるのか分からなかった。この度は全部で歩いて案内してもらったので少し位置関係が分かった。おかげで本日の歩数は12872歩になった。
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 だんだん年を経ると、参加できる人数も減る可能性があり、次のクラス会は来年、名古屋で開催することになった。万難を排して参加しようと思う。

2016年09月30日

歯周疾患検診

 先日、尾道市健康推進課より「平成28年度尾道市歯っぴー検診受診券」が送られてきた。そこには「今年度、あなたは無料歯周疾患検診の対象です」さらに
「実施期間10月1日〜11月30日、検診場所・尾道市内委託歯科診療所・病院」とあった。当然私の勤務する「さいだ歯科医院」も委託歯科診療所でありこの検診のことは周知のことであった。しかしまさか自分自身が対象者であることには思いもつかなかった。私が今年度中に70歳になることすら失念しており本当にびっくりすると同時に否が応でも70歳を受け入れざるを得ない。今回の検診が最後の検診に当たる。自分は歯科医だが日頃、口の中を検診してもらったことが無いので、息子の院長先生に検診してもらうことにする。「医者の不養生」という言葉があるが良い機会かもしれない
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 ところでこの「歯っぴー検診」は10数年前から尾道市では取り組んでいただいている。それまでは我々が誕生してから受けられる公的歯科検診は1.5歳児、3歳児歯科検診、就学時前検診、幼稚園入学〜高校卒業までの年1回の学校検診があった。高校を卒業すればその後、公的歯科検診は無い。
就職すると職場では年1回の検診が労働安全衛生法により義務付けられているが、その中に歯科検診を実施することは入っていない。願わくば労働安全衛生法に「歯科検診」という4文字さえ書き加えていただければ全てが解決するのだがいつまでたっても埒があかない。
 そこでなんとか市民の皆様のお口の健康に資するために尾道市歯科医師会から要望書を出してこのような検診事業を尾道市がスタートさせた経緯がある。
対象者は歯周病が顕著になる40歳から10歳刻みで、40歳・50歳・60歳・70歳が対象者であった。
 ところで私どものところに3〜5年振りに来院される患者様の多くの方が、結構虫歯が新たに発生していたり、歯周病が重症化されている方々が多い。
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 そこで昨年6月に歯科医師会としてこの検診を見直し35歳から70歳までの間を5歳刻みで検診出来るようにしてほしい旨、尾道市長に要望書を提出したところ、今年度から35歳から5歳刻みの検診が導入された。
 尾道市の人口規模でここまで検診が充実しているところは広島県でも先進的である。受診率がどの程度になるか分からないが、対象となる市民の方が少しでも多く受診され、お口の健康に役立ったら良いなと思う。
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 この度の検診案内の少し前に、「平成28年度高齢者肺炎球菌予防接種のご案内」が尾道市より送付されて来ていた。まだ開封していなかったが本日開封するとそこにも今年度70歳になる方のところに丸印がついており、否が応でも高齢者になりつつあることを自覚させられた。

2016年09月19日

「18歳」と「81歳」の違い

 先日いつも通ってこられるYさんが「先生面白い文章があるので読んでみて」と1枚の紙を渡してくれた。聞くところによれば娘さんが電話口で話してくれたのを書き取ったのだとか。すぐ目を通したところ思わず納得。すぐコピーをして医院のスタッフにも見せる。みんなケラケラ笑いながら納得である。
 その内容は
 「18歳」と「81歳」の違い
 ・  道路を暴走するのが18歳  逆走するのが81歳
 ・ 心がもろいのが18歳  骨がもろいのが81歳
 ・ 偏差値が気になるのが18歳  血糖値が気になるのが81歳
 ・ 受験戦争を戦っているのが18歳  アメリカと戦ったのが81歳
 ・ 恋に溺れるのが18歳  風呂で溺れるのが81歳
 ・ まだ何も知らないのが18歳  もう何も覚えていないのが81歳
 ・ 東京オリンピックに出たいと思うのが18歳  東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳
 ・ 嵐と云うと松本潤を思い出すのが18歳  鞍馬天狗の嵐寛寿郎を思い出すのが81歳
 ・ 自分探しの旅をしているのが18歳  出かけたままわからなく成って皆が探しているのが81歳
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Yさんは81歳をすでに超えていらっしゃるが、まだまだお元気で70代半ばくらいにしか見えない。背筋も伸びてしゃきしゃきと歩かれる。この文書とは無縁の様である。
ところで最近2025年問題がクローズアップして来た。これは2025年に団塊の世代が全員後期高齢者になる。そうなると今の介護施設などの数ではとても対応できなくなり、また医療保険・介護保険が破綻する恐れが出てきた。
厚労省のホームページを見ると、「2025年(平成37年)を目途に、高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもと、たとえ重度な要介護状態となっても可能な限り、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現していきます。」とある。
 歯科医師会としてもこの地域包括システムにどのように関わっていくか議論が始まった。
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先日歯科医師会の会合で尾道市における、65歳以上の単身世帯、夫婦二人の世帯数の平成17年と22年の国勢調査からの比較」表が出ていた。それによると平成22年には65歳以上での単身世帯が7786世帯、夫婦2人世帯が7389世帯とあった。恐らく単身あるいは2人世帯が、一番地域包括ケアシステムが必要になるのではなかろうか。
その数字を見ながらハタと思ったのは、私も65歳以上の夫婦2人世帯であることに気が付き驚く。昔は、3世代同居は当たり前だったが現在核家族化が進み、子供たちが独立すれば後は夫婦二人になってしまう、このままだと私達夫婦のどちらかに何かあれば老老介護の身になるのだと認識した。やはり住み慣れた地域、自宅で過ごしたいという気持ちは非常に強い。
81歳になってもYさんのようにしっかりと自立した生活ができ、最後はこのシステムを上手に利用出来れば良いのだが。

2016年09月06日

初めてのイタリア旅行 PART ]T

 ナポリで2連泊したホテルは部屋が広くこの旅行では一番良かった。しかしイタリアのホテルは日本と違って髭剃り、ヘヤ―ドライヤー、電気ポットなどが置いてない。観光立国を目指しているのなら、もう少し日本の様なおもてなしのサービスが有った方が良いのでは。
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 さて帰国の為ナポリからローマへ向かう途中、トイレ休憩に寄った店の駐車場に葉っぱがまるで赤紫蘇と同じ色をした木が有った。木の名前は知らないが恐らく葉っぱにはアントシアニンがあるのでは? 4時間かけてローマ空港に到着。私は免税品等を買っていなかったので、すぐ搭乗手続きが終わったが、免税品を買った人は中々手続きが出来なかった。セキュリティー検査の後、出発までラウンジで昼食をする。
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 帰りはファーストクラスにした。というのも6月頃、舛添前東京都知事が出張にファーストクラスを使用した事等が問題となり辞任に追い込まれた。一生に一度は乗ってみたいと憧れをもっていた。都知事は税金、私達は自腹なのにと思いながら家内共々TVニュースを観ていた。旅行の最終締め切り直前に旅行会社より、ファーストクラスが取れると案内が有り、しかも思っていたよりかなり安価だったのですぐさま申し込んだ。
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 帰りの飛行機もローマからドバイまではA380 であった。旅行に出る前、エミレーツ航空のホームページを観たら高度12000メートルで「シャワースパ」とあった。それで搭乗してすぐに、CAにシャワーを使用したいと話しておいたら、私の番は3番目で丁度バクダットの上空辺りであった。ファーストクラスのトイレは前方のデッキに左右1部屋ずつありそこにシャワールームも併設されている、その部屋の使用時間は30分、シャワーのお湯は5分間だけ出る仕組みであった。洗面用具など至れり尽くせりの装備である。家内は残念ながら疲れて寝てしまい使用せず。シャワー室を出るとすぐCAが飲み物を尋ねるのでジュースを頼む。
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 ファーストクラスは完全に個室と言った感じで、身長1.8メートルの私が足を延ばしても十分余裕が有る。個室のサイドボックスには水やコーラ、ジュース等が置いてあり自由に飲める。またお菓子等も色々の種類がそろえて置いてあった。
 また食事もビジネスよりは良いと思えたが私の味覚がついていかない。お酒はドンペリを頼んだ、2006年ものと1998年ものの2つを見せてくれたが、こちらもシャンペンの知識は無く単純に古い方が熟成していて良いだろう程度で1998年ものを飲んだ。気圧の低い空の上ではすぐに酔いが回る。3杯が限度である。エスプレッソコーヒーにはエミレーツ航空会社のマークがデザインして有った。食後は寝そべったまま映画鑑賞をする。
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 現地時間22時頃ドバイ到着。乗り換えのため4時間程ラウンジで過ごすが、ここは関空やローマと違ってファーストクラス専用のラウンジで広くゆったりとしている。ソファーに寝そべって時間待ちをしている人もいた。ビールとお刺身、お寿司を食べる。9日程日本食から離れていたせいかドバイのお寿司でも「まあまあ」の味がした。
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 ドバイを8月13日のAM3:00(現地時間)に離陸、一路関空に向かう。夜の飛行なのかパジャマのサービスが有る。ファーストクラスで出されたものは全てお持ち帰りOKで、お菓子やスリッパ、パジャマも持ち帰ったが、テーブルの上の化粧品は持ち帰らなかった。
 朝、食事の時間はフリータイムで目覚めた時にお願いすれば出してくれる。昨日から食べ通しだったので、軽食程度にする。家内は食事をせずにずっと寝ていた。
 どうにか無事日本時間17:20頃関西空港に着陸。添乗員さんにお礼を言って解散。
 新大阪より「こだま」に乗り無時22時前に家に帰る。10日間の大周遊旅行が終わる。
 今回の旅行は大人数のツアーで有ったが添乗員さんは一人で良くこなしていた。彼女は私達のツアーの5日前にイタリアのツアー添乗が終わったばかりだと言っていた。次は9月の初めにはニューヨークへ添乗するとか。添乗員さんの労働環境は本当に大変なものだと感じた。それにしても観光地や歴史の知識等に良く精通しており、私達夫婦にとって良い思い出作りをして頂き感謝である。

2016年08月28日

初めてのイタリア旅行 PART ]

 24日にイタリアで大きな地震があり多くの死者と建物崩壊がTVニュースで報じられている。被災者に心より哀悼の意と、お見舞いを申し上げると同時に、我々のイタリア滞在中で無かった事に安堵している。
 8日目、カプリ島の「青の洞門」とアマルフィの観光である。カプリ島の「青の洞門」に入るには一度に4人しか小舟に乗れないため我々39人のツアー客が観光するにはかなりの時間が必要。しかも人気スポットの為、3時間位は船の上で揺られながら順番待ちをすることになる。その為、船酔いをする人は酔い止めを、またカプリ島に渡って船に乗ったら最後、観光が終わるまでトイレが無い。必ずフェリーの中でトイレを済ますように添乗員さんから注意が有った。朝早くホテルを出発したが既にフェリーは満席状態。
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 海に突き出した巨大な石の要塞、通称「卵城」と呼ばれる巨大な石の要塞を右手に見ながらナポリ港(サンタルチア港)を出港。45分でカプリ島に到着。すぐ定員50人あまりの船に乗船し、「青の洞門」入り口まで行く。
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 しかし潮、波、風の状態が悪く残念ながら本日は洞門の中に入れない。入り口だけの観光をして元のマリーナグランデに引き返す。ところで狭い入口から中に入る時は4人全員がボートの中に仰向けに寝て入口のロープを手繰りながら入るのだそうだ。それにしても非常に残念、またの機会にしなくては。ここの海の色は日本の海の色と違って青色が濃い。プランクトンが少ないのだとか。
その後カプリ島のビーチを散策。私は素材が紙の糸で織った帽子を購入 10€。
昼食後、歌で有名な「ソレント港」へ行く途中ヴェスヴィオ火山が良く見えた。
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 ソレントの街は断崖絶壁の上にあり、港からはシャトルバスで上がり、40人乗りのバスで一路アマルフィに向かう。
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 アマルフィ海岸は、海に迫る急勾配の斜面に白壁の家や別荘が点在し世界一美しい海岸と言われ、世界遺産に登録されている。何年か前に映画「アマルフィ 女神の報酬」を観てその美しい風景に憧れをもっていた。ただ途中の道路は断崖絶壁を縫うようにして行くのだが、狭い道に多くの車が駐車しており離合が大変である。上手な運転手さんで良かった。教会はサラセン文化が融合した独特の形態で今までと少し趣を異にしていた。
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 アマルフィに向かう途中も、アマルフィに着いても、青い海に映える白壁のコントラストが何とも言えない感動を呼んだ。さすがに観光客が多く、街の前面は海水浴場となっており芋の子を洗う状態であった。明日は帰国の途へ。

2016年08月28日

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