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初めてのイタリア旅行 PART 9

今日は7日目、アルべロベッロからオストゥーニ観光、その後マテーラ観光をしてナポリまでの400kmの行程である。オストゥーニはアドリア海に面し最近脚光を浴びている避暑地だそうだ。ここの白亜の街は遠くのアドリア海の青と空の青にマッチしてとても綺麗であった。

 

イタリアの観光地はどこも道路が狭く、この時期人が多く大変な混雑だ。聞くところによるとイタリアでは多くの人が2週間程度の夏休みをとりどこかへ遊びに行く。休暇の前1週間はどこ行く、ここ行くで盛り上がり、休暇が終わるとどうだったと盛り上がり夏場は1カ月程仕事にならないらしい。またバスの運転手さんも1日の労働時間が決まっており、残業はしない。そのため我々がバスを降りて観光している間、エンジンを止めて休息している。エンジンを動かすと運転手さんの労働時間に換算されてしまう。そのため観光から帰って来た時のバス室内の温度はかなわない。日本は本当に良い。
その後、世界遺産のマテーラ市に移動し「サッシ(サッシとは岩を意味するイタリア語サッソの複数形)」と呼ばれる洞窟住居を見学する。

 

ここにはグラヴィーナ渓谷の斜面の岩肌を掘って造られた洞窟住居群が約3000から4000 あり、何層にも重なって渓谷を埋め尽くす壮観な景色が広がっている。

 


 

マテーラの歴史は古く、この地に人類が住み着いたのは約7000年前と言われている。8世紀から13世紀にかけ、イスラム勢力の迫害を逃れたキリスト教徒の修道士たちは、洞窟内に130余りの教会や住 居を造り、この地に移り住むようになった。15世紀には地中海交易により繁栄したが、その後19世紀になると、町は徐々に衰退 していく。また人口の増加による住居の不足もあって、多くの貧しい人々は家畜とともに暮らすのを余儀なくされ、衛生面の悪化による死亡者が多発するほど深刻なものになった。この状況を見かねた政府は、1954年に特別法を出し、住民を強制的に新市街地へ移住させ、結果、サッシ地区は無人の廃墟となった。近年はサッシの文化的・芸術的な価値が見直され、1993年の文化遺産への登録を契機に官民共同でサッシの 保存・再開発が進んでおり、往時の姿と活気を取り戻しつつあるとのこと。

 


 
サッシを改装した洞窟レストランで昼食をとる。その後当時の家具や道具をそのまま残した、典型的な農民の洞窟住居「グロッタの家」を見学した。一つの部屋に家畜も同居していて大変だったのではないだろうかと思う。その後一路ナポリへ、

2016年08月25日

初めてのイタリア旅行 PART [

 昼食後、バスにて320km、イタリア半島を横断しポンペイから世界遺産のアルべロベッロにいく。今回の行程はどこまで行っても畑・畑の中を走るという感じ。途中から、丘の上に多くの風力発電用風車を見る。座席が狭くて閉口、今日は合計560q走破する。
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 ガイドさんの話によると、風車の音により、牛が食欲を無くしたり仔牛を産まなくなっているとのこと。日本でも原発の代わりに風力発電という意見もあるが、その功罪を見極める必要があるのかもしれない。途中1回トイレ休憩で4時間走りぱっなし。
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 19時過ぎに到着。こちらは日本と違って夜8時前にならないと日が沈まない。日の出の時間はあまり変わらない気がするが大分日本と様子が違う。到着後1.5時間ほどアルべロベッロを散策。この地域の住居はトゥルッリと呼ばれるまるでお伽噺に出てくるような、ただ石を積み上げただけのトンガリ屋根の家である。道路脇の石壁も石を積み上げただけ。自動車をぶつけて石壁を壊せば自分で石を積み直して修理するのだとか。
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 この街にイタリア人と結婚した陽子さんという日本人がお土産店を経営しておりそこに皆で行く。彼女はTBSの2015年11月10日放送回の「世界の日本人妻は見た」に出演されており、今でもその映像はYou Tubeにアップされている。
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 彼女の店は築400年の家で、内部を観光客に開放しており、お店ごと世界遺産だそうだ。家内はそこでピノキオのキーホルダーやスモークチーズを土産に買った。その後ホテルのレストランで21時半頃から夕食となる。
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 ところでイタリアでも日本と同様、飲酒運転は御法度、また妊婦がお酒を飲む事も胎児に悪影響が有り良い事ではないので日本は缶ビールなどに注意書きが有る。ところがホテルのレストランで注文したビールびんの口の部分に字ではなく、禁止マークが印刷されており画期的なアイデアだと思った。
 またこのホテルのお風呂が変わっていて、浴槽の半分が少し深いが残り半分はあさく、体全体を湯船につけることが出来ない。まるで足湯用の風呂であった。次の日他の人達に聞くと風呂桶がなくシャワーしか出来なかった人も居た様だ。

2016年08月23日

初めてのイタリア旅行 PART Z

 今日は非常に楽しみにしているポンペイ観光である。私がポンペイの名を知ったのは、昭和32年、小学校4年生の時である。祖父の葬儀に行き、祖父の遺品の中に絵葉書が有った。母親に見せたら、「ヴェスヴィオ火山が爆発し一夜にして埋没した街で、200年ほど前に発見されたこと、祖父がドイツ留学の帰りに立ち寄って買ったものだ」と聞かされた。
 その後、NHK・TVやポンペイを題材にした映画を見たりして、是非一度は観たいと永年思っていたものが叶えられた。
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 城門を抜けると石畳の路は歩道と車道に分かれている。また交差点では日本庭園の飛び石のように置き石がある。坂を抜けると大きな広場に出る。目の前にあのヴェスヴィオ火山が見える。
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 2000年前のレンガ造りの家の壁に手を触れながら感動した。当時日本は弥生時代で住居は竪穴式住居である。このポンペイの人達との生活のギャップに驚く。
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 石柱が立つ神殿跡、裕福な商人の家、市場跡、公衆浴場、水道設備、下水道設備、墓所等がある。墓所の前の道路にはどくろの形をした石が敷いてある。
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 そして最後に見学した家では、奇跡的に当時の色そのまま鮮やかな朱色を背景にした壁画が残る「秘儀の間」を観た。この朱色は「ポンペイ・レッド」と呼ばれている。そして他の部屋には犠牲者の姿を再現したものが2体展示してあった。
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 これは発掘調査時、覆いかぶさった灰を掘っていた所、中が空洞になっている部分が有った。発掘者はその空洞が何か知りたくて空洞に石膏を注入し、固まった後掘り出した所人骨を含む人型が出てきた。ポンペイ遺跡を観てローマ時代の都市機能とそこに住む人の風俗などを再認識した。
 ポンペイ観光は全く日影が無く暑いの一言に尽きる。昼食は当然ビールとなる。

2016年08月23日

初めてのイタリア旅行 PART Y

 バスはサンタンジェロ城を見ながらテヴェレ川を渡りローマ市内中心部へと移動する。
「すべての道はローマに通じる」と言う格言どおりミラノからやってきた。
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 オードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの「ローマの休日」の舞台となったところで今日観光するところも映画のシーンと重なっている。家内は出発前に再度映画を見ていたようだ。
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 まず向かったのがかの有名なコロッセオである。2000年もの昔ここで剣闘士達がお互い、あるいはライオンなどの猛獣と戦ってローマ市民を喜ばせたところである。現代で考えれば許されざることである。映画では王女と新聞記者がコロッセオを背景にスクーターで走っていた画面が思い出せる。横にはコンスタンチヌス帝の凱旋門が立っている。次にバスに乗り車窓からベネツィア広場を眺めてトレビの泉に行く。
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 ここは18世紀に作られたもので古代ローマとはかけ離れたもので少し違和感が有った。コインを1回投げると恋が叶うとか、3回投げいれると離婚が成立するとかガイド氏が色々説明してくれた。30分ほど自由時間が有ったが、「恋も・離婚」もする気がないのでコインは投げずに家内と階段に腰掛けて泉を眺めていた。この泉の壁面は厚みが3メートル足らずでびっくりした。また歩いてスペイン広場に行くが改修工事中で階段が登れない。下から見上げただけである。
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 映画では王女がジェラートを食べたところだが今は禁止されているとか。そのほか散策しながら色々説明を受けたが、あまり記憶に残っていない。ただ、城壁などの遺跡を見ているとまさに「ローマは1日にしてならず」の格言通りだと感じた。同時にローマ帝国の勢いがどんなに巨大であったか想像出来る。
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 その後バスで夕食のレストランに行く。ここではカンツォーネの生演奏を聞きながらの食事であった。しかもハウスワイン飲み放題(45分間)が付いている。ビールは小瓶にして赤・白のワインを飲んだ。女性の歌手が「サンタ・ルチア」・「帰れソレントへ」などのナポリ民謡をアコーディオン伴奏で歌ってくれた。その他にも日本人観光客ということでサービスに「上を向いて歩こう」をアコーディオン演奏してくれた。
 イタリアで本場のカンツォーネが聞けて良かった。ローマ泊まり、明日はいよいよポンペイである。

2016年08月21日

初めてのイタリア旅行 PART X

 朝8:30ホテル出発し275Km、バスにて一路ローマへ向かう。途中トイレ休憩1回。
イタリアの高速道路には防音壁が無く景色は良く見える。途中ひまわり畑が有りまだ黄色い花を咲かせていた。12時過ぎ、ローマ到着かなり南に来たせいか暑い。ローマの街はアップ・ダウンが激しい様に感じた。
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 早速昼食となる。ここでは生ビールが有るというので大きいサイズを頼んだら1ℓのサイズが出てきた。昼食後バチカン市国を見学するのでアルコール臭はまずいかなと思ったがのどの渇きには抗しきれず。メインはピザ1枚であった。日本と違って路上でタバコを吸う人が多く、かなり匂いに辟易していた。レストイラン前のタバコの吸い殻捨ての中からまだ長そうなタバコをさっと拾っていく女性を見かけた。昔、子供の頃日本でも「もく拾い」が良く見られたが今では見ることが無い。
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 ローマのガイドは私とほぼ同年齢とおぼしき45年間ローマ在住の男性であった。彼曰く、「イタリア娘と結婚したばっかりに日本に還れなくなった」とか?
いよいよ世界一小さな国バチカン市国の見学である。まずバチカン博物館に行く。今回は事前予約が有りかなりスムーズに入場できた。ここでもセキュリティー検査があった。
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ここにも数々の美術品や壁画、天井画等が有り圧倒される。
 ここを通り過ぎるとシスティーナ礼拝堂に入るがここは撮影禁止。礼拝堂の天井にはミケランジェロが描いた「天地創造」、「失楽園」「ノアの大洪水」などの旧約聖書のエピソード、さらに彼の最高傑作といわれる「最後の審判」が祭壇に描かれている。いずれも日本テレビの支援により1981年から1994年まで修復作業が行われ色鮮やかに蘇っていて最高に綺麗であった。
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 その後、サンピエトロ大聖堂の中を見学した。この中にも彫刻や壁画があり、よくもこれだけの大きな建物を建てたものだ。ガイド氏のお話では免罪符の発行でお金を集めたとの事。また2体の天使像は今まで両方女性とガイド氏は思っていたが、左側は臀部の筋肉がしっかりついているので男性だと日本人の中学生が指摘した。そう聞いて改めて観たら男性のように思えることなどを説明してくれた。
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 大聖堂を出るとバチカンの衛兵が門番をしていた。サンピエトロ大聖堂前の広場に出てくる。コンクラーヴェの時煙が出てくる煙突も見ることが出来た。この後ローマ市内見学はPART Yへ。

2016年08月20日

初めてのイタリア旅行 PART W

 昼食後バスにてアルノ川下流85キロにあるピサに行く。これまた写真でしか見たことのない建物であり、かのガリレオ・ガリレイが「落下の法則」を実証した歴史的建物である。イタリア人の女性がガイドとして付き添ってくれる。旅行会社からいただいた説明書によれば、1173年から鐘楼の建設を開始し、途中地盤沈下で傾くがそのまま続けて1350年実に177年をかけて建設された。屋上の中心は4.5メートル横にずれている。このドゥオモや斜塔の立つ広場はかって町外れで城壁の外側にあるが破壊されずに残ったことより奇跡の広場と呼ばれている。
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 添乗員さんが「城壁に沿って歩くとき合図があるまで横を見ないでまっすぐ歩いてくれ」という。そして城門のところに来たとき「横を向いて」といわ横を見るとまさにそこに右に傾いた斜塔が目に飛び込んできた。感動である。
 斜塔に登る為には、入場料を払い、10分前にはカメラ以外の手荷物をクロークに預け、軍隊が監視する中、空港のセキュリテーィ並のチェックを受けて斜塔内に入る。そこで簡単な説明を聞いて上り始める。
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 家内は日ごろ膝を悪くしており、今回の旅行も2本のストックをつきながら観光している。しかし是非とも登りたいという思いがあり挑戦してみる。無事頂上まで登るれた。760年以上前の建物に登れたのも最高。360度の眺望にも大満足である。また斜塔横のドゥオモや洗礼堂の建物はピサロマネスク様式といわれ美しい姿をしているが地盤がゆるく少し傾いているとの事それにしても素晴らしいの一言に尽きる。
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 夕食は斜塔近くのレストランで食べる。やはりパスタとシチューウとデザートの3プレートであった。
ミラノやフィレンツェでもそうであったが、ここピサではアフリカ系の人々が道端でシートを敷き土産物などを売っている。恐らくアフリカからの難民と思える。またジプシーの人が道端に座って物乞いをしている。
 写真を撮ることに気をとられていると、荷物を足元に置いたとたん置き引きされるトラブルが多発していること、子供がバックの中に手を入れるすりが横行しているので要注意と添乗員から説明を受けたのでバックを前に抱えて散策した。日本ではあまり見られない異様な光景である。
 ここ広場ではトイレは80セントである。ところで私は旅行に出かける前少し軟便であった。ところが飛行機に乗ったとたん便秘気味。海外旅行に出かけるといつもそうであるがなぜか便秘気味になってしまう。それだけ体が緊張しているのかも知れない。今日も良く歩いた。昨日と同じホテルの連泊である。

2016年08月19日

初めてのイタリア旅行 PART V

 8月7日、今日はフィレンツェ市内観光。午前中のメインは「ウッフイッツィ美術館」での美術品鑑賞である。通常は事前予約が出来て割合スムーズに入館できるのだが今日は日曜日、無料開放日のため予約不可で一般列に並んで入場する。そのため、モーニングコール5:30で7:00ホテル出発の早立ちである。途中小高い丘にあるミケランジェロ広場に立ち寄りフィレンツェ市内を眺望する。この広場にはミケランジェロの「ダヴィデ像」の複製が立っている。
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 その後「ウッフイッツィ美術館」に行くが8時だというのにすでに大勢の観光客が美術館を取り巻いて並んでおり、列の最後尾はベッキオ宮殿前のシニョリーア広場であった。
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 ここで現地ガイドさんと合流する。一人は日本に長く住んでいた年配のイタリア女性、もう一人はフィレンツェ市内に住んでいる日本人女性であり、私の班はイタリア女性であったが上手な日本語でガイドをしてくれた。結局2時間半並んでやっと入場。並んでいる間アルノ川に架かるベッキオ橋を交代で見に行ったりした。
 この美術館にはメディチ家が収集した3万点の絵画や多数の彫刻があり一部が展示されている。
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 中学校の美術の教科書に載っていたボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」や「春」、ミケランジェロの「トンド・ドーニ(ドーニ家の聖家族)」、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」など写真のみで見ていたもののが、今やまさに私の前に本物が展示されており感動に次ぐ感動であった。
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 その後サンタ・マリア・デルフィオーレ大聖堂を見たりして昼食となる。今回の旅行の食事で唯一イタリア料理でなくて中華料理であった。これは慣れている味でほっとした。午後の「ピサの斜塔」観光はPARTWへ。

2016年08月18日

初めてのイタリア旅行 PART U

 朝6時(日本時間8月6日13:00)にモーニングコールで起こされる。今日はベネチア観光。添乗員さんが毎回観光地の手作り案内図を配布してくれる。それを見ながら船でベネチア本島に行く。港には豪華客船が5隻停泊している。世界から観光客が来ている感じを受けた。
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 途中「ため息橋」見ながら船着き場から歩いてサンマルコ広場へ。ドゥカーレ宮殿やサンマルコ寺院内部を鑑賞、イタリアでは観光地には必ず軍隊がいて自動小銃等で完全武装した状態で警備していた。これは昨今ヨーロッパで多発するテロ対策の為であろう。
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 30分間のゴンドラ遊覧を楽しむ。但しゴンドラ上での歌は無かった。その後ベネチアンガラス工房見学。それにしてもイタリアの空の青さは半端でなくきれいである。そして気温は日本並だが、湿度が少なくからっとした感じで気持ちよい。
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 ところでイタリアの観光地には公衆トイレが少なく、レストランや買い物にお店に立ち寄った時等に利用させてもらう。ガラス工房でトイレを借用した。公衆トイレの場合50セント〜1ユーロが必要であった。
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 近年海水の水位が上がり冬場などはサンマルコ広場を含めベネチア全体が海水で溢れる様子がよくTV等で放映されるが、今回滞在時に満潮となり、サンマルコ広場のマンフォールから少し水が溢れてきていた。近い将来ベネチアは水没してしまうかも知れない。
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 お昼はベネチア本島のレストランでイカ墨パスタを食べた。食事に関しては、朝はホテルでのバイキングスタイルの朝食だが、品数は少なく日本のホテルとは全く比べ物にならなかった。昼食や夕食ではお水のサービスは無く、1リットル2〜3ユーロで買うことになる。そのためテーブルに着席するとまず、飲み物の注文が来る。私は毎回ビールを注文したが場所に寄るのか、レストランの格によるのか、小瓶1本が3〜5ユーロ、大ビンは7〜10ユーロであった。夕食時に一度だけ白ワインの小ボトルを注文したが後はビールで通した。
 それと今回の旅行での食事は全て3プレート(皿)である。まずバスケットに一人当たり一切れのパンが盛られており、最初の一皿が前菜、と言っても生野菜とかパスタ等。二皿目が魚料理か肉料理に少し野菜が添えてある。時には二皿目がピザ1枚という事もある。そして三皿目がスイーツ又は果物。添乗員さんの話によれば私達が日本で食べているものに比べれば、イタリアの食事はすごく質素なのだとか。帰国してから少しイタリア流をまねて3プレートの食事にしている。体調が良い感じがする。
 ベネチアを後にフィレンツェに向かう。途中トイレ休憩で日本人の店員さんがいる土産物屋に立ち寄る。結構お菓子の試食や、ワインの試飲出来て良かった。ただ250キロ狭い車の中では閉口した。現地時間20時過ぎにホテルチェックイン。

2016年08月17日

初めてのイタリア旅行 PART T

 1月に息子と院長を交代したが、息子が30年頑張って働いてきたのだから海外旅行にでも行ったらと水を向けてくれた。そんな折、旅行会社からのダイレクトメールが来た。見たらイタリア旅行の案内である。昔からローマやポンペイは行ってみたいと思っていた。そこで日程調整をして、8月4日から8月13日までの10日間のツアーに出かけた。
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 尾道駅から福山まで在来線で行きそこから新幹線に乗ったのだが、初っぱな家内が尾道駅で自動改札を抜ける際切符を受け取らず自動改札を出た。早速駅員に注意される。何かしら旅の大変さを案じさせられる。それでも尾道駅にエレベーターが設置されており、重い荷物を持って階段を上り下りせず出来たことは幸先良い感じがした。何とか無事関空に集合しEチケットを旅行会社から受け取る。今回のツアー参加者は39名という大集団である。しかも添乗員さんは1人。大丈夫かと少し心配になる。
 最近私は足がむくむため、エコノミー症候群になるといけないと思い、ビジネスクラスを利用した。ラウンジで食事をし、ビールを飲んで過ごし、関空発23:40のUAEのエミレーツ航空で出発する。テイクオフしてすぐに軽い軽食が出て、シャンパンを飲んで眠りにつく。
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 日本時間で8月5日の朝10時前、現地時間の朝5時前にドバイ到着。そこで5時間待ってドバイ発ミラノ経由ニューヨーク行きの飛行機でミラノに出発。この飛行機はA380エアバスで2階席がビジネスとファーストクラスの席であった。日本時間で8月5日の21:30、現地時間の14:30にミラノ到着。時差7時間。時差の事を考えるとタイムマシーンに乗って過去にもどっている感じがした。
 本来日本ならそろそろ寝る時間だがこちらミラノでは昼過ぎ、すぐに専用バスにてミラノ観光が始まる。この専用バスは日本のバスと違い座席と座席の間隔が狭く、私が座ると膝が前の席に当たり、身動きがし難い。全工程(およそ1200キロ)このバスを利用しての移動は難行苦行の始まりである。
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 街は中世のような建物が多くドゥオーモ(教会堂)、ミラノの商店街アーケード「ガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世」スカラ座などを見学。
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 添乗員さんからはスリが多い事、物売りが多く、バラを持ってきて女性に差出しそれを受け取るとお金を要求されるとか、怖い話を沢山聞いた。
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 その後約290キロ移動してベネチア近くの最初の宿泊地パドヴァへ行く。ホテルに着いたら23時(日本時間8月6日の朝8:00頃)実に我が家を出発して39時間以上が経過。やっと寝れる。

2016年08月16日

古希のお祝い会

 先日、私のために同窓会広島県支部が「古希のお祝い会」を家内同伴のもと尾道グリンヒルホテルで開催してくれた。私は現在69歳と3カ月であるが、この様なお祝い会は満年齢でするのか、数え歳でするのか良く判らない。インターネットで検索しても両論併記である。もっとも70年前の今頃は少なくとも母親の胎内に宿っていたから命を得て70年にはなる。 
 ところで私は大学の1期生、31歳で大学に入ったため全卒業生の中で私が初めて古希を迎える。そのせいか当日は北海道から大学法人事務局の常務理事のK様が大学を代表してご臨席をいただいた。そして本部同窓会会長は同級生であるが家族全員で駆けつけてくれた。さらに現役学生のお母様や卒業生のお母様方で組織されている「広島すずらん会」の皆様や、主催者の広島支部の先生方が出席され、とてもにぎやかな会となった。
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 また同級生10人も北は北海道から東京・大阪・九州と全国から来てくれて楽しい会となった。
 それにしても尾道でこのような会を開くことは、飛行場から直接尾道に来る便が無い、新幹線は1時間に1本、東京方面からは福山乗り換え、九州方面からは広島乗り換えなど、交通機関が不便なため出席者の皆様に大変御迷惑をおかけしてしまった。
 私も前日の夜、北海道から来た同級生を空港まで迎えに行きホテルまで送り届けた。
 祝賀会に先立ち、私に何か講演をするように言われ、結局私の誕生から今まで歩んできた道を「70年の歩み」と題して講演した。春頃から少しずつ写真などを引っ張り出し、スキャニングをしたりしてパワーポイントで講演資料を作った。
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 お陰で自分の歴史を振り返る事が出来、自分が結構努力し頑張ってきたことを確認できて本当に良かった。もしも日本経済新聞社から「私の履歴書」に投稿を依頼されれば何時でもOKである。もっともそんなことは有り得ないのだが。 
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 そして祝賀会での御祝辞や励ましのことばでは、私が「大学のレジェンド」だとか、「齊田さんがいたから国家試験に合格出来た」とか、皆が私を持ち上げてくれて唯ただ耳がこそばゆい感じがした。また当時家内と子供2人を連れて北海道に渡り学生生活をしていたので同級生は結構私の家に遊びに来ていた。その際、家内が学生達にカレーライスを振舞っていたようだが、「あの時のカレーライスの味が忘れられない」と言ってくれる同級生もいて家内もまんざらではなさそうだった。当時、家内自身も学生気分で同級生達と接していたようだ。
この様なことが無い限り中々会えない同級生たちもいて本当に良かった。二次会にも多数の方々が出席され懐かしい話に花が咲いた。
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 ところで還暦の色は赤だが、古希の色は紫なのだそうだ。祝賀会の花束贈呈で頂いた花束にも紫の花が有った。また「広島すずらん会」のT様から頂いた花は北海道のラベンダーでこれも紫であった。

2016年07月19日

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