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大先生(元院長)のブログ

赤ちゃん

 先日、7月に出産退職をしたM子さんが生後1カ月の息子のA君を連れて「さいだ歯科医院」にお披露目に来てくれた。生まれた時が2370グラムぐらいだったらしく1カ月で漸く3040グラムになったとか。
 早速、私を含めてスタッフ皆が赤ちゃんを抱かせてもらう。あまりにも小さいのでスタッフたちも恐る恐る抱っこしながら赤ん坊の可愛さを口々に話している。
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 ところでM子さん少しお疲れ気味だったので訳を聞くと「3時間ごとの授乳のために十分に寝させてもらえないのだ」とか?
 「皆、親御さんは同じ思いをしながら子育てをしていたのだ。お母さんに感謝しなくてはいけないよ」と話しながら、「それで子供は嫌なのか」と意地悪な質問をしてみた。すると「とんでもない宝物だ」という。そうだろなと思いながら、毎月私が読んでいる月刊「致知」11月号の記事を思い出した。
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それは熊本市にある「慈恵病院理事長兼院長の蓮田太二氏」の「子供たちの命と未来を守れ」という記事であった。
蓮田氏は8年前に日本で初めての試みとなった「こうのとりのゆりかご」(通称・赤ちゃんポスト)の取組を始められた。これまで預けられた子供の数は120人に上るそうです。
蓮田氏の取組の原点はある時から子供の虐待を報じるニュースがよく目につくようになり、命を救えなかった報道を何度も目にし、「なぜ親は子を殺したのか」という強い憤りを感じるようになっていったのだそうです。
始めるにあたりドイツに視察に行ったりされたが、日本では前例がないとか、法律専門家の方からは、匿名で赤ちゃんを預かるのは捨てる事を助ける「遺棄幇助罪」に当たる可能性が有るという意見等が出たとの事。中々前に進まなかったが、その間に熊本で立て続けに3人の赤ちゃんが遺棄され、その内2人が亡くなるという痛ましい事件が起こり決意を固め障害を乗り越えついに平成19年5月に日本初となる「こうのとりのゆりかご」の運用が始まったと記事に書いてあった。
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M子さんの場合、実家のご両親も一緒に子育てを手伝ってくれているようで幸せ者だなと思いながら、元気で頑張るようにエールを送り、息子のA君がすくすく育つ様にと願う。また働く気になったら我が職場に復帰してくる様にも話した。

2015年10月31日

院内旅行・鹿児島 PARTV

 3日目。今日も良い天気で暑くなりそうな予感のもと8:30にホテルを出発。ここ霧島は道路脇などいたるところで湯けむりが登るのを見ながら仙厳園に向かう。海岸沿いに桜島を見ながらマイクロバスは軽快に走る。途中運転手さんが、「今日は噴煙が上がる様に私がスイッチを押します」と冗談話しをしながら仙厳園に着いた。
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 まず隣の「尚古集成館」を見学する。幕末時代、藩主島津斉彬がこの地に東洋最大の工場群「集成館」を築き、そこで製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子等のガラス、薩摩焼の研究・製造を行っていた。
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 これらの遺品等が展示されていてどれを見ても感心するばかりで薩摩藩の先見性に驚く。ところでこの「尚古集成館」の建物は29代忠義により機械工場として建設されたものだが、今年「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されたものである。その後、薩摩切子工場を見学しギャラリーショップで薩摩切子のすばらしい細工を見た。
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 仙厳園は通称磯公園と呼ばれており、島津家の別邸として築造された。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭園である。やはり53年前に修学旅行で訪れたところである。当時家内も同じクラスメートで有ったが、クラス写真を撮った場所は記憶していなかった。
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 園内の「展望レストラン松風軒」で昼食をとっていたが、ふと窓越しに桜島を見ると噴煙が上がっており、急いで写真に収める。ビックリ、運転手さんがスイッチを押したのかな?後で聞いたら笑いながら「そうだ」と言っていた。本当にびっくりである。
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 その後鹿児島市内に行き西南戦争時の弾痕が残る鶴丸城の石垣を見ながら城山に登る。途中西郷隆盛が潜んでいた洞窟や彼の終焉の地をバスの中から見る。城山から見た桜島はすでに噴煙はおさまっていた。ここ城山ではセミの声がうるさく「つくつくぼうし、つくつくぼうし」と大合唱でまだまだ夏の様である。
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 その後、西郷隆盛や大久保利通の生誕地「鍛冶屋町」にある「維新ふるさと館」に行き幕末から明治の時代への展示物や、映像を見たりした。特に「維新体感ホール」で上映される偉人たちの等身大ロボットやマルチスクリーンを使ったドラマは面白かった。
 ところで今年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」は長州を舞台にした幕末から明治へのドラマであるが維新を成し遂げた薩摩・長州の事を少し知りえた事は何かの縁かもしれない。ただスケジュールの関係で見学時間が少なく消化不良の感はあった。
 全ての日程を終え鹿児島発16:07の「さくら564号」にて帰途につく。新尾道駅に無事19:51に到着。3日間良い天候に恵まれ、全員怪我・病気も無く帰れたことに安堵した。

2015年10月13日

院内旅行・鹿児島 PARTU

 2日目は朝8:30にホテル出発。今日も天候は晴れ、開聞岳を見ながら本州最南端長崎鼻灯台へ行く。実は鹿児島は53年前、高校2年生の修学旅行(1967年11月6日〜11日)で訪れて以来である。但し、開聞岳・長崎鼻は初めてである。また女性従業員は誰も鹿児島に来たことが無いので楽しく旅を満喫しているようだ。
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 さすが薩摩富士と呼ばれるだけあって開聞岳の姿は実に綺麗である。その後、大ウナギや謎の生物「イッシー」が棲むと言われる池田湖を見ながら鹿児島港に向かう。途中「かるかん・さつま揚げ工場」見学をした。まるで修学旅行で、従業員はお土産を買い求めていた。
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 鹿児島港からフェリーで桜島に渡る。7月終わりに旅行を計画した後、桜島が9月8日には爆発し、また28日にも噴火しどうなるかと思ったが、今日は全く静かで噴煙も見えない。有村溶岩展望所から中岳を見る。53年前に来た時は噴煙が有ったのだが残念。また当時はごつごつした溶岩台地だったが今は松が自生しており荒々しさが無い。展望所や遊歩道なども整備され時代の流れを感じた。
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 その後大正3年の大爆発で大隅半島と陸続きになった牛根に行く。ここからは昭和火口からの噴煙がわずかに見られた。海岸線を桜島を左手に観ながら一路霧島神宮へ向かう。
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 この霧島神宮も修学旅行で来たがあまり記憶が無い。霧島神宮は6世紀の創建で天照大神の孫のニニギノミコトが祭られている。ニニギノミコトは天照大神から「三種の神器」を授かり高千穂の峰に天孫降臨された神様でその曾孫が神武天皇と言われている。まさに皇室の御先祖様を祀る由緒正しき神宮なのだろう。それにしても古くからある伊勢神宮・出雲大社・霧島神宮などはその佇まいが荘厳で何かしら霊的な感じがする。従業員達と全員で「おみくじ」を引いてみた。全員が吉や末吉で凶が無く旅行が無事に終えられると思った。
 それにしても私には「おみくじ」で思い出されることが有る。昔、家内と結婚する前に安芸の宮島で「おみくじ」を引いたら凶が出て引き直したがまたも凶、さらに引き直しても凶が出たことが有った。3回も凶が出たということは宮島の神様が女神様なので私達の結婚にやきもちを妬かれたのだと今でも思っている。
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 参拝の後、霧島硫黄谷温泉にある霧島ホテルに宿泊する。この硫黄谷温泉には、幕末の時代、寺田屋事件で負傷した坂本竜馬がおりょうと共に霧島へ療養の旅に来たが、これが日本で最初の新婚旅行だと言われている。このホテル〈当時は宿屋〉もゆかりの宿屋らしい。お風呂での写真撮影は出来ないので、ロビーにあったお風呂の写真を撮影。泉質は硫黄なので少し乳白色で硫黄のにおいがする。深い所では私の胸まであり立位で風呂に入れて珍しく、しかも広くてプールの様だったので少し平泳ぎをしてみた。
 今日も無事に旅が出来楽しい一日であった。

2015年10月12日

院内旅行・鹿児島 PART T

 先日2泊3日で4年振りに院内旅行に出かけた。3日間も休診したので患者さんには大変ご迷惑をお掛けしたなと思う。でも経営者としては従業員の福利厚生も考えなくてはならず痛しかゆしの所が有る。これまで4〜5年ごとに院内旅行をしてきた。海外のパック旅行が多かったが、最近の海外旅行はテロ等で危険なため今回、久しぶりに国内旅行としたが、費用はかなり嵩んだ。
 新尾道から福山経由で鹿児島中央駅まで「さくら」に乗っていく。新尾道に集合した時、従業員の1人が切符を忘れた事に気が付く。とても取りに帰る時間は無く、駅員と交渉し、再度新しく切符を購入、帰ってきてから手数料を払って忘れた切符を返金してもらうこととし、ギリギリ出発に間に合う。全員揃って行けたので本当に良かった。
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 最初は「知覧特攻平和会館」の見学である。前々から一度行って見たかった所だ。マイクロバスの運転手さんがガイド役を引き受けてくれて途中色々説明をしてくれる。記念館の前のまっすぐな道路が滑走路の跡だとか、当時の給水塔だとか案内してくれた。またこのところの天候のせいか平和会館前の桜並木にさくらが何輪か咲いていて何か私を迎えてくれている気がした。
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 平和会館の中の見学では、色々のものが展示されていたが、やはり特攻に出かけた若者達の遺書に胸を打たれる。本当にお国のためにという高い志、残る家族の幸せを願うもの、幼い娘や息子に宛てたもの等どれを読んでも胸が熱くなる。
 以前読んだ本の中に、ある戦争未亡人の和歌 『この国のかくも卑しくなりたれば捧し人のただに惜しまる』がある。
 まさに今の日本を見れば、毎日の様に報道される殺人、子供たちのいじめによる自殺、日本国を貶める様な発言をする、知識人と称する人や、マスコミなどが目に余り、本当に荒んだ国になりさがり、彼ら特攻に散った人々の思いが踏みにじられ、彼らが犬死をした様な気がする。改めて彼らが捧げた命の上に平和と豊かな現在が有る事の有難さや大切さがしみじみと伝わって来た。
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 小学生の一団が平和学習に訪れていたが、係員の説明に熱心に耳を傾けていたのが印象的であった。もう少しゆっくり見学したかったがスケジュールも有り、いつかまた来ようと思いながら後にした。
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 その後、特攻の母として知られる「鳥濱トメ」さんが経営していた「富屋食堂」(復元された)の前を通り「知覧武家屋敷庭園」を見学。その後、指宿温泉「白水館」に到着。
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 ここでは「砂むし」を体験。熱い砂を全身に掛けて貰ったが、砂が重いのと、熱さで15分が限度。砂がこんなにも重いとは思わなかった。生き埋めになるとあっと言う間に死ぬであろう。お風呂は色々趣向を凝らした湯船があり、サウナ、ミストサウナ等も有り、一応全部の湯船につかったが、露天風呂が一番気に行った。結局食事前まで2時間風呂場でリラックスし命の洗濯をする。その後食事となるが、お酒を飲むのは3人程度で至って静かな食事会である。食事後もう一度温泉につかって就寝。良い一日であった。

2015年10月11日

孫の運動会2015年

 今日、二男の所の孫娘の運動会が有り観に行く。まさに秋晴れのいい天気で有った。二男の孫は幼稚園の年中さんで今回が2回目の運動会である。昨年は仕事の関係で観に行けなくて初めてである。沖縄の長男がまだ尾道にいた頃、長男の所の孫の運動会は3回ほど観に行った記憶が有る。
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 9時開会式で有ったが、5分ほど遅れて到着。会場は松永湾の埋め立て地で初めての場所であった。会場について驚いたのは、私が子供の頃の保育園や小学校の運動会と言えば、トラックの周りに綱を張り、その外側にクラス別に子供達の席と地区ごとに区割りした大人たちの席があり、しかもござを敷いただけのものである。ところが今は子供たちの席にもテントが有り、親たちにも幼稚園が用意したテントは有るが、とても入りきれる面積は無い。そこで多くの人達は自前でテントを用意してその中で観ている。テントの生地にはUVカットの文字すら見える。本当に様変わりであり、日本が豊かになった事を示している。二男も7時半頃来て並んで席を取ったとか。当然テントを設置していた。
 かなり大きな幼稚園らしく園児たちは350人位いるらしい。年長・年中・年少・さらにひよこ組もいるようだが、結構長時間立ったまま頑張って並んでいたのには感心した。
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開会式の後、体操をしていよいよ競技開始、孫娘はプログラム2番目にかけっこで早々に登場。結果はドン尻では無かったが、あまり足は速くない様である。見ていて手の振り方を練習させれば少し速くなると思った。この辺りに親の目ならぬ爺さん根性が出てくる。
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 その後一つ置き位に出演の機会が廻って来ていた。お遊戯や、大玉ころがし、組み体操等を観る。孫娘の演技する位置等が判らないので写真を撮るにしても中々良い位置に行けないし、観客も多くて大変。孫娘が競技に出ないときは、二男が設営したテントに戻って家内と息子たちの運動会の事を思い出しながら話に花を咲かす。その中で二人とも一番思い出深いのは、北海道白糠町の幼稚園での初めての運動会である。6月に行われたのだが、霧が深くて寒さに震えながら観戦をした。白糠や釧路はその時期海霧がひどく、尾道あたりに住んでいると信じられないかもしれないが、霧の粒も大きく霧雨程度になっている。最近家内との会話に、子供達を育てて来た事を懐かしむ会話が多くなった気がする。それだけ年齢を重ねたということかもしれない。
 運動会の観戦は午前中だけにして孫娘に午後も頑張る様に話して引き揚げた。

2015年10月04日

今年のシルバーウィーク

 6年振りのシルバーウィーク、世間は5日間の連休だそうだが、「さいだ歯科医院」は
20日から23日までの4日間で有った。6年前は桂林に旅行したのだが今年は地元で過ごそうと、その連休も今日で終わり、あっと言う間の4日間で有った。休み前は「秋でも探しに行こうか」等あれこれしようと思いめぐらしたのだが、終わってみれば極普通の日常で有った。
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 初日の20日は家内と一緒に畑仕事をして夏のトマトやオクラを引き抜いたり、畝を作り、キャベツ、白菜の苗を植える。収穫までは大分掛かりそうだ。
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 2日目、21日は朝から墓参り、本来なら御彼岸の23日に行くのだが、たまたま21日は父親の月命日でもあり今回は21日に早めに済ます。家内の方の墓参も済ます。午後は歯科衛生士の求人票を作成。歯科衛生士を確保する事は本当に至難の業で、歯科衛生士の求人倍率は12倍以上である。来春福山衛生士学校を卒業する新卒向けに求人票を作成、いかに「さいだ歯科医院」が魅力的かアピールをする資料作成をしたりして一日が終わった。
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 3日目、22日は急に思い立ち、広島県立美術館に幕末の江戸で活躍した浮世絵師「歌川国芳」展を観に行く。彼の作品のいくつかは昔から本等で見知っていた。例えば「みかけハこハゐがとんだいぃ人だ」では人の顔や手が人物を使って描かれており大変ユニークである。今回200点余りの本物が展示されており彼の奇想天外さがとても面白かった。皮肉たっぷりの戯画、判じ絵、だまし絵など面白く飽きること無く鑑賞出来た。特に錦絵の説明文の漢字にルビが振ってあり、その彫師の腕前にも感心した。また入館者も多く外国の人達も見に来ておりその人気さにも驚く。必死で観たせいか疲れて、2階の常設展も観ないで、すぐさまバスセンターからバスにて帰宅。家を出てから帰宅するまで5時間半。
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 そして今日最終日、突然の訃報が入って来た。尾道歯科医師会の会員のN先生が亡くなられたとか。N先生は私と同じ昭和22年生まれで2カ月若い、5月から入院加療されていたが薬石効なく旅立たれた。ここ2年以内に尾歯会では3人の先生がお亡くなりになられた。いずれも68〜69歳である。中々70の坂が越えられない。昔から70歳は「古希」であり、「古来稀な年齢」ということが示すように70歳とは大きな壁なのかもしれない。 私は何とか超えて行きたいと思う。18時からの通夜に出席して今年のシルバーウイークも終了する。

2015年09月23日

右下肺野、肺腫瘍、疑い

 毎年20年以上三原医師会病院で人間ドックの検診をしてきた。ここ3年間はPET検診もしてきている。今年は6月にPET−CT検査を受けたがその時の報告書では「今回のPET−CTでは、悪性を示唆する所見を認めませんでした。肺に気種性変化と間質性変化を認めます。呼吸器内科受診をお勧めします。」とあった。
 しかし受診をしないでそのままにしていたところ、8月に受けた人間ドックの所見欄に「右下肺野、肺腫瘍、疑い」精密検査をお勧めしますという結果報告書が送られてきた。ビックリである。人間ドックの時は肺のレントゲン1枚を撮影してもらっただけで有ったのだがその様な所見が有り、急いで精密検査の予約をし、急遽本日受診した。
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 その結果、人間ドックのレントゲン画像診断時、PET検査済みを知らなかったのでその様な判断をしたとのこと。PETの方が詳しい所見が判るので肺腫瘍については今の所心配ないとのこと。そして再度PETの画像を見ながら、肺気腫の疑いは有るので、肺活量の検査をした方が良いと言われ検査をした。
 昔高校生の頃、チューブを加えて吐き出すと水の中のドラムがくるっとまわってその出てきた量で肺活量を計った事しか思い出せなく、その様なものだと思っていた。
 ところがどっこい、今時の最新の測定機器を観てびっくり。コンピュターに年齢・身長・体重を入力した後、パイプをくわえて一気に息を吐き出したりして測定した。その結果、私の年齢・身長・体重から予測される総肺活量は予測値の117%とかなり良いのだが、1秒あたりの肺活量は97.7%であり肺年齢は71歳と実年齢より3歳ほど歳をとっており、肺気腫が少し有る結果となった。
 医師からは「今後出来るだけ風邪を引かない様に」とアドバイスを貰って今回は無罪放免となった。
一時はもし肺癌だったらどうしようかと、秘かに悩んでいたのだが本当に良かった。またPETは定期的に受ける方が良いと言われ、来年また受診をするつもりである。
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 ところで8月前半から最初右手が朝起きた時むくんでおり、その後、右足がむくんできた。気になっていたので、人間ドックの血液データーなど一式持って今日近くのT内科に行き診てもらった。データー的には問題ないが、浮腫の起こる原因として心臓の動き等も関係するので心臓の状態を超音波で診てもらったが、心臓の動き、弁の状態いずれも問題なかった。それで甲状腺の機能低下が起きてもむくむことが有るので、血液検査をしてみようとなった。結果は1週間くらい先に出るとか。それでも原因が判らない時は専門医を紹介しますということであった。
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 それにしても68歳と5カ月も年をとるとそろそろ色々の問題が出てくる様である。気持ちだけはいつまでも20代・30代なのだが。年相応に気を付けながら仕事や生活をして行かなくてはならないなと強く思った。

2015年09月11日

広島市東千田町・浦島太郎状態

 先日、日本赤十字社 中四国ブロック血液センターで会議と講演会があり出かけた。
広島駅から紙屋町経由宇品行きの電車に何十年振りかに乗って行った。日赤病院前で降りたが、かって私が50年前の昭和40年4月に広島大学に入学しこの電停に降り立った時の電停の名前は「広島大学前」だったと思う。
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 正門の有った所から眺めた風景は様変わりである。大学1年生の時に撮った写真を見ると正門の柱に比べフェニックスはさほど大きくないし、その奥にメタセコイアや旧文理大の被爆建物で当時の理学部本館が良く見えている。今回その場に立ってみるとフェニックスやメタセコイアはあまりにも大きくなりすぎて奥の理学部の建物がほとんど見えない。
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 卒業以来40数年ぶりに中に入ってみたが正門は東千田公園の看板が掲げられており、残っていた当時の建物は理学部の被爆建物だけ、教養部の有った所にはマンションが建ち後は公園になってセミの声が昔と変わらずうるさく鳴いていた。まさに「つわものどもの夢のあと」で有る。また運動場だった所に広島大学・放送大学と書かれた新しい建物が出来ていた。歯学部や医学部の教養課程を東広島キャンパスからこちらに戻すような話を聞いた事が有る。そのために整備されているのかも知れない。大学の周りには喫茶店や本屋等が多く有ったが今は1軒も無い。正門脇にトロフィーや楯等を製造販売していた「カキタ」と言うお店がかろうじて残っていた。
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 大学のむかいには被暴く建物の日赤広島病院が有ったのだが、今は取り壊され現代的な病院になっていた。私はまさに浦島太郎状態で驚くばかりである。
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 それから会場の血液センターまで歩いて行く。血液センターはかって広大教養部の「青雲寮」跡地に建てられていた。そこにも日赤の被爆建物の一部が保存されていた。
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 会議の後、「社会保障制度と医療保険制度改革について」と題して厚生労働省 大臣官房審議官(医療保険担当)の武田俊彦氏の講演を聞いた。現在少子高齢化が進行し、また財政不足の中2025年問題(団塊の世代が全員後期高齢者になる)を抱え厚労省がどのように施策をしようとしているかの話しであった。
 その中で一つ面白い話が有った。私は第1次ベビーブームの人間であり、私の子供は第2次ベビーブームの時生まれた、第3次ベビーブームは平成12年ころに起こるはずであったが起こらなかった。この原因の分析として平成12年は介護保険が導入された年で、今でこそ「少子高齢化」は一つの言葉として扱われるが当時は全員の頭が高齢化対策にだけに向いており、少子化の事は全く頭になく、何も対策をしなかったとのこと、今となっては後の祭りである。それにしてもこれからはかなり痛みの伴う改革がなされると覚悟を決めなくてはならないと感じた。

2015年08月29日

今年のお盆休み

 今年は8月14日から16日までの3日間がお盆休みで有った。お盆休みにはよく海外旅行に出かけたりしていた。昨年は沖縄の孫娘が来て賑やかしをしてくれたが、今年は誰も来ないで、家内と二人の静かな盆休みであった。
 14日朝、涼しい内にと思い、私達としては早いと思える午前7時ごろ家を出て私の方と家内の方の両方の墓参りに出かける。
途中の畔道で稲の葉に降りた露が朝日に浴びてとてもきれいであった。
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 その後昼から映画鑑賞で「日本のいちばん長い日」を観て、夜は院長室に籠り読書をする。このところ忙しさにかまけて何冊も本が机の上に積んどく状態であり、ぜひこの休みに少し山を崩したいと思っていた。こうして1日目が静かに終わる。
 2日目、家内が家庭菜園の草取りをするという事で、私も駆り出され、先日購入した耕運機を出して畑を耕す。扱い方に慣れていないため耕運機を始動させるのも大変。ガソリンを買いに行く所から始めた。家内もいずれ耕運機を使用しなくてはならなくなると思い扱い方を教える。
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 秋になって作物を植えるために、今のうちに畑を耕し肥料を入れて土づくりとしゃれこんだが、狭い畑ではしょっちゅう耕運機を旋回させるために足腰が痛む。それでも家内はこの場所には何を植えようか、大根、タマネギ、ネギなど色々算段しているようだ。
 今年は春からこの夏の間にタマネギ、ゴボウ、ジャガイモ、きゅうり、ナス、トマト、カボチャ、オクラなど結構収穫できた。キュウリやトマトなどは2人では食べきれないほどいっぺんに出来る事も有りスタッフにおすそ分けをしたりした。
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 午後、家内は疲れて昼寝をしたらしいが、私は本を読まなくてはと思い、院長室に籠る。その後院長室の書棚等に、歯科医師会関係の書類が山積みでこれも処分をしなくてはと思い片付け開始。そんなこんなで23時ころまで院長室で過ごす。
 3日目、最後の日も朝から読書、結局3日間で歯科関係の月刊誌を3冊読んだ。合計18時間ほどの時間を費やした。本当に静かなお盆休みで、老年夫婦のお盆休みとはこんなものかなと思った。御蔭でほとんどお金を出費をすることは無かったが、家内いわく「あなたは自分のペースを崩さないで、結局いつもと同じだったね、全然休みらしくなかった」と不満を漏らしていた。自分としては畑仕事も手伝ったし、十分尽くして楽しかったと思ったのだが・・・・。

2015年08月17日

映画「日本のいちばん長い日」を観て

 8月14日に映画を観た。この映画はまさに70年前の8月14日の戦争終結を決断するまでの話がメインで有る。はるか70年前を思いやりながら画面を凝視している自分が有った。    一般国民はただ単に天皇陛下が終戦の詔勅を読まれた程度にしか当時は感じていなかったのかもしれないが、映画ではその過程に至る事実が克明に1分刻みで構成されている。
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 パンフレットから一部引用させてもらうと
「戦争終結の為に、彼らが下した日本史上最大の結論とは・・・・
今日も世界のどこかで、戦いが続いている。もはや日本の平和もいつまで続くのか,誰にもわからない。おりしも戦後70年の節目となる今年、日本が終戦に至るまでの波乱に満ちた道のりと、終戦前夜に起きた大事件の“知られざる真実”を解き明かす物語が完成した。太平洋戦争末期、戦況が絶望的となった1945年4月、鈴木貫太郎内閣が発足し、そして7月、日本は連合国から、ポッダム宣言(日本に対し無条件降伏を求める共同宣言)の受託が迫られる。降伏か、本土決戦か・・・連日連夜、閣議が開かれるが、議論は紛糾。
降伏勧告を黙殺すると発言した日本に、アメリカは原爆を投下、広島と長崎で何十万もの命が散る。
8月14日に御前会議が開かれ、天皇陛下の聖断のもと、ついに閣僚たちは降伏を決定。だが、終戦に反対する若手将校たちはクーデターを計画、皇居やラジオ局への占拠へと動き始める。その時から、終戦を知らせる天皇陛下の玉音放送が国民に届く8月15日の正午まで・・・この“日本のいちばん長い日”に、一分一秒ごとに変わっていった日本の運命とは・・・?」
 ところで映画の中で天皇陛下が読まれる終戦の詔勅の文言を決める閣議の場面中、日本の碩学・安岡正篤先生が詔勅に朱筆を入れたくだりが少し出てくる。安岡先生は歴代内閣の指南役と知られ、東洋宰相学・人物学・陽明学等の権威として知られている。
 20年ほど前から先生の御本を読んだりしているが、作家・神渡良平の「安岡正篤の世界」と言う本に詔勅が変更されたくだりが有る。引用させていただくと
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 詔勅案第三稿を安岡先生が校閲した際、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の前にある「時運の趨く所」を「儀命の存する所」に訂正されたが、これが「時運の趨く所」に書き換えられた。そこで閣議直前の校閲で、安岡先生は何故“義命の存する所”で無ければならないのか、迫水内閣書記官長に理由を示し再度元に戻したが、残念ながら安岡先生の意見は通らなかった。
 安岡先生には“義命の存する所”でなければならない理由が有った。「『春秋左氏伝』成公八年の条に『信を以て義を行い、義を以て命を為す』とある。義命とは大義名分よりもはるかに重いもので、道徳の至上命令に当たるものです。自分の心に深く内省してみると、もはや戦争はやめたほうがいいという答えが返ってくるからやめるのです。それを“時運”にすると、戦い、われに利あらず、だから、ときの成り行きのままやめるということになってしまい、まったくのご都合主義になってしまう。この姿勢はもってのほかといわなければならない」
 閣議で“義命の存する所”が“時運の趨く所”に決定した事を聞いた安岡先生は「国家の事は成り行き任せではない」と怒ったが、後の祭り、8月15日正午を迎えたとある。
 それにしてもこの様な先輩たちがいて、ほとんど混乱もなく見事に終戦を迎えることが出来、その上に今日の平和と繁栄が有るのだと終戦記念日にあたり感謝に堪えない。
 後年迫水書記官長は衆議院議員・参議院議員となり池田内閣の経済企画庁長官として所得倍増計画を推進し、また郵政大臣等を歴任したが、彼が政治家になる時、安岡先生は「現代の政治には理想がないと言える。民主政治の名の下に行政も議会も成り行き任せになりがちです。それもこれも終戦の詔勅の中の“義命”を“時運”に変えてしまった所に責任が有る。あなたも政治家として、時運派ではなく、義命派になって下さい」と話された。
 まさに現在の国会議員達を見ていると、安岡先生の気持ちが伝わってくる感じがする。

2015年08月15日

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