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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

院内旅行・鹿児島 PART T

 先日2泊3日で4年振りに院内旅行に出かけた。3日間も休診したので患者さんには大変ご迷惑をお掛けしたなと思う。でも経営者としては従業員の福利厚生も考えなくてはならず痛しかゆしの所が有る。これまで4〜5年ごとに院内旅行をしてきた。海外のパック旅行が多かったが、最近の海外旅行はテロ等で危険なため今回、久しぶりに国内旅行としたが、費用はかなり嵩んだ。
 新尾道から福山経由で鹿児島中央駅まで「さくら」に乗っていく。新尾道に集合した時、従業員の1人が切符を忘れた事に気が付く。とても取りに帰る時間は無く、駅員と交渉し、再度新しく切符を購入、帰ってきてから手数料を払って忘れた切符を返金してもらうこととし、ギリギリ出発に間に合う。全員揃って行けたので本当に良かった。
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 最初は「知覧特攻平和会館」の見学である。前々から一度行って見たかった所だ。マイクロバスの運転手さんがガイド役を引き受けてくれて途中色々説明をしてくれる。記念館の前のまっすぐな道路が滑走路の跡だとか、当時の給水塔だとか案内してくれた。またこのところの天候のせいか平和会館前の桜並木にさくらが何輪か咲いていて何か私を迎えてくれている気がした。
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 平和会館の中の見学では、色々のものが展示されていたが、やはり特攻に出かけた若者達の遺書に胸を打たれる。本当にお国のためにという高い志、残る家族の幸せを願うもの、幼い娘や息子に宛てたもの等どれを読んでも胸が熱くなる。
 以前読んだ本の中に、ある戦争未亡人の和歌 『この国のかくも卑しくなりたれば捧し人のただに惜しまる』がある。
 まさに今の日本を見れば、毎日の様に報道される殺人、子供たちのいじめによる自殺、日本国を貶める様な発言をする、知識人と称する人や、マスコミなどが目に余り、本当に荒んだ国になりさがり、彼ら特攻に散った人々の思いが踏みにじられ、彼らが犬死をした様な気がする。改めて彼らが捧げた命の上に平和と豊かな現在が有る事の有難さや大切さがしみじみと伝わって来た。
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 小学生の一団が平和学習に訪れていたが、係員の説明に熱心に耳を傾けていたのが印象的であった。もう少しゆっくり見学したかったがスケジュールも有り、いつかまた来ようと思いながら後にした。
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 その後、特攻の母として知られる「鳥濱トメ」さんが経営していた「富屋食堂」(復元された)の前を通り「知覧武家屋敷庭園」を見学。その後、指宿温泉「白水館」に到着。
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 ここでは「砂むし」を体験。熱い砂を全身に掛けて貰ったが、砂が重いのと、熱さで15分が限度。砂がこんなにも重いとは思わなかった。生き埋めになるとあっと言う間に死ぬであろう。お風呂は色々趣向を凝らした湯船があり、サウナ、ミストサウナ等も有り、一応全部の湯船につかったが、露天風呂が一番気に行った。結局食事前まで2時間風呂場でリラックスし命の洗濯をする。その後食事となるが、お酒を飲むのは3人程度で至って静かな食事会である。食事後もう一度温泉につかって就寝。良い一日であった。

2015年10月11日

孫の運動会2015年

 今日、二男の所の孫娘の運動会が有り観に行く。まさに秋晴れのいい天気で有った。二男の孫は幼稚園の年中さんで今回が2回目の運動会である。昨年は仕事の関係で観に行けなくて初めてである。沖縄の長男がまだ尾道にいた頃、長男の所の孫の運動会は3回ほど観に行った記憶が有る。
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 9時開会式で有ったが、5分ほど遅れて到着。会場は松永湾の埋め立て地で初めての場所であった。会場について驚いたのは、私が子供の頃の保育園や小学校の運動会と言えば、トラックの周りに綱を張り、その外側にクラス別に子供達の席と地区ごとに区割りした大人たちの席があり、しかもござを敷いただけのものである。ところが今は子供たちの席にもテントが有り、親たちにも幼稚園が用意したテントは有るが、とても入りきれる面積は無い。そこで多くの人達は自前でテントを用意してその中で観ている。テントの生地にはUVカットの文字すら見える。本当に様変わりであり、日本が豊かになった事を示している。二男も7時半頃来て並んで席を取ったとか。当然テントを設置していた。
 かなり大きな幼稚園らしく園児たちは350人位いるらしい。年長・年中・年少・さらにひよこ組もいるようだが、結構長時間立ったまま頑張って並んでいたのには感心した。
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開会式の後、体操をしていよいよ競技開始、孫娘はプログラム2番目にかけっこで早々に登場。結果はドン尻では無かったが、あまり足は速くない様である。見ていて手の振り方を練習させれば少し速くなると思った。この辺りに親の目ならぬ爺さん根性が出てくる。
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 その後一つ置き位に出演の機会が廻って来ていた。お遊戯や、大玉ころがし、組み体操等を観る。孫娘の演技する位置等が判らないので写真を撮るにしても中々良い位置に行けないし、観客も多くて大変。孫娘が競技に出ないときは、二男が設営したテントに戻って家内と息子たちの運動会の事を思い出しながら話に花を咲かす。その中で二人とも一番思い出深いのは、北海道白糠町の幼稚園での初めての運動会である。6月に行われたのだが、霧が深くて寒さに震えながら観戦をした。白糠や釧路はその時期海霧がひどく、尾道あたりに住んでいると信じられないかもしれないが、霧の粒も大きく霧雨程度になっている。最近家内との会話に、子供達を育てて来た事を懐かしむ会話が多くなった気がする。それだけ年齢を重ねたということかもしれない。
 運動会の観戦は午前中だけにして孫娘に午後も頑張る様に話して引き揚げた。

2015年10月04日

今年のシルバーウィーク

 6年振りのシルバーウィーク、世間は5日間の連休だそうだが、「さいだ歯科医院」は
20日から23日までの4日間で有った。6年前は桂林に旅行したのだが今年は地元で過ごそうと、その連休も今日で終わり、あっと言う間の4日間で有った。休み前は「秋でも探しに行こうか」等あれこれしようと思いめぐらしたのだが、終わってみれば極普通の日常で有った。
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 初日の20日は家内と一緒に畑仕事をして夏のトマトやオクラを引き抜いたり、畝を作り、キャベツ、白菜の苗を植える。収穫までは大分掛かりそうだ。
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 2日目、21日は朝から墓参り、本来なら御彼岸の23日に行くのだが、たまたま21日は父親の月命日でもあり今回は21日に早めに済ます。家内の方の墓参も済ます。午後は歯科衛生士の求人票を作成。歯科衛生士を確保する事は本当に至難の業で、歯科衛生士の求人倍率は12倍以上である。来春福山衛生士学校を卒業する新卒向けに求人票を作成、いかに「さいだ歯科医院」が魅力的かアピールをする資料作成をしたりして一日が終わった。
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 3日目、22日は急に思い立ち、広島県立美術館に幕末の江戸で活躍した浮世絵師「歌川国芳」展を観に行く。彼の作品のいくつかは昔から本等で見知っていた。例えば「みかけハこハゐがとんだいぃ人だ」では人の顔や手が人物を使って描かれており大変ユニークである。今回200点余りの本物が展示されており彼の奇想天外さがとても面白かった。皮肉たっぷりの戯画、判じ絵、だまし絵など面白く飽きること無く鑑賞出来た。特に錦絵の説明文の漢字にルビが振ってあり、その彫師の腕前にも感心した。また入館者も多く外国の人達も見に来ておりその人気さにも驚く。必死で観たせいか疲れて、2階の常設展も観ないで、すぐさまバスセンターからバスにて帰宅。家を出てから帰宅するまで5時間半。
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 そして今日最終日、突然の訃報が入って来た。尾道歯科医師会の会員のN先生が亡くなられたとか。N先生は私と同じ昭和22年生まれで2カ月若い、5月から入院加療されていたが薬石効なく旅立たれた。ここ2年以内に尾歯会では3人の先生がお亡くなりになられた。いずれも68〜69歳である。中々70の坂が越えられない。昔から70歳は「古希」であり、「古来稀な年齢」ということが示すように70歳とは大きな壁なのかもしれない。 私は何とか超えて行きたいと思う。18時からの通夜に出席して今年のシルバーウイークも終了する。

2015年09月23日

右下肺野、肺腫瘍、疑い

 毎年20年以上三原医師会病院で人間ドックの検診をしてきた。ここ3年間はPET検診もしてきている。今年は6月にPET−CT検査を受けたがその時の報告書では「今回のPET−CTでは、悪性を示唆する所見を認めませんでした。肺に気種性変化と間質性変化を認めます。呼吸器内科受診をお勧めします。」とあった。
 しかし受診をしないでそのままにしていたところ、8月に受けた人間ドックの所見欄に「右下肺野、肺腫瘍、疑い」精密検査をお勧めしますという結果報告書が送られてきた。ビックリである。人間ドックの時は肺のレントゲン1枚を撮影してもらっただけで有ったのだがその様な所見が有り、急いで精密検査の予約をし、急遽本日受診した。
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 その結果、人間ドックのレントゲン画像診断時、PET検査済みを知らなかったのでその様な判断をしたとのこと。PETの方が詳しい所見が判るので肺腫瘍については今の所心配ないとのこと。そして再度PETの画像を見ながら、肺気腫の疑いは有るので、肺活量の検査をした方が良いと言われ検査をした。
 昔高校生の頃、チューブを加えて吐き出すと水の中のドラムがくるっとまわってその出てきた量で肺活量を計った事しか思い出せなく、その様なものだと思っていた。
 ところがどっこい、今時の最新の測定機器を観てびっくり。コンピュターに年齢・身長・体重を入力した後、パイプをくわえて一気に息を吐き出したりして測定した。その結果、私の年齢・身長・体重から予測される総肺活量は予測値の117%とかなり良いのだが、1秒あたりの肺活量は97.7%であり肺年齢は71歳と実年齢より3歳ほど歳をとっており、肺気腫が少し有る結果となった。
 医師からは「今後出来るだけ風邪を引かない様に」とアドバイスを貰って今回は無罪放免となった。
一時はもし肺癌だったらどうしようかと、秘かに悩んでいたのだが本当に良かった。またPETは定期的に受ける方が良いと言われ、来年また受診をするつもりである。
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 ところで8月前半から最初右手が朝起きた時むくんでおり、その後、右足がむくんできた。気になっていたので、人間ドックの血液データーなど一式持って今日近くのT内科に行き診てもらった。データー的には問題ないが、浮腫の起こる原因として心臓の動き等も関係するので心臓の状態を超音波で診てもらったが、心臓の動き、弁の状態いずれも問題なかった。それで甲状腺の機能低下が起きてもむくむことが有るので、血液検査をしてみようとなった。結果は1週間くらい先に出るとか。それでも原因が判らない時は専門医を紹介しますということであった。
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 それにしても68歳と5カ月も年をとるとそろそろ色々の問題が出てくる様である。気持ちだけはいつまでも20代・30代なのだが。年相応に気を付けながら仕事や生活をして行かなくてはならないなと強く思った。

2015年09月11日

広島市東千田町・浦島太郎状態

 先日、日本赤十字社 中四国ブロック血液センターで会議と講演会があり出かけた。
広島駅から紙屋町経由宇品行きの電車に何十年振りかに乗って行った。日赤病院前で降りたが、かって私が50年前の昭和40年4月に広島大学に入学しこの電停に降り立った時の電停の名前は「広島大学前」だったと思う。
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 正門の有った所から眺めた風景は様変わりである。大学1年生の時に撮った写真を見ると正門の柱に比べフェニックスはさほど大きくないし、その奥にメタセコイアや旧文理大の被爆建物で当時の理学部本館が良く見えている。今回その場に立ってみるとフェニックスやメタセコイアはあまりにも大きくなりすぎて奥の理学部の建物がほとんど見えない。
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 卒業以来40数年ぶりに中に入ってみたが正門は東千田公園の看板が掲げられており、残っていた当時の建物は理学部の被爆建物だけ、教養部の有った所にはマンションが建ち後は公園になってセミの声が昔と変わらずうるさく鳴いていた。まさに「つわものどもの夢のあと」で有る。また運動場だった所に広島大学・放送大学と書かれた新しい建物が出来ていた。歯学部や医学部の教養課程を東広島キャンパスからこちらに戻すような話を聞いた事が有る。そのために整備されているのかも知れない。大学の周りには喫茶店や本屋等が多く有ったが今は1軒も無い。正門脇にトロフィーや楯等を製造販売していた「カキタ」と言うお店がかろうじて残っていた。
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 大学のむかいには被暴く建物の日赤広島病院が有ったのだが、今は取り壊され現代的な病院になっていた。私はまさに浦島太郎状態で驚くばかりである。
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 それから会場の血液センターまで歩いて行く。血液センターはかって広大教養部の「青雲寮」跡地に建てられていた。そこにも日赤の被爆建物の一部が保存されていた。
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 会議の後、「社会保障制度と医療保険制度改革について」と題して厚生労働省 大臣官房審議官(医療保険担当)の武田俊彦氏の講演を聞いた。現在少子高齢化が進行し、また財政不足の中2025年問題(団塊の世代が全員後期高齢者になる)を抱え厚労省がどのように施策をしようとしているかの話しであった。
 その中で一つ面白い話が有った。私は第1次ベビーブームの人間であり、私の子供は第2次ベビーブームの時生まれた、第3次ベビーブームは平成12年ころに起こるはずであったが起こらなかった。この原因の分析として平成12年は介護保険が導入された年で、今でこそ「少子高齢化」は一つの言葉として扱われるが当時は全員の頭が高齢化対策にだけに向いており、少子化の事は全く頭になく、何も対策をしなかったとのこと、今となっては後の祭りである。それにしてもこれからはかなり痛みの伴う改革がなされると覚悟を決めなくてはならないと感じた。

2015年08月29日

今年のお盆休み

 今年は8月14日から16日までの3日間がお盆休みで有った。お盆休みにはよく海外旅行に出かけたりしていた。昨年は沖縄の孫娘が来て賑やかしをしてくれたが、今年は誰も来ないで、家内と二人の静かな盆休みであった。
 14日朝、涼しい内にと思い、私達としては早いと思える午前7時ごろ家を出て私の方と家内の方の両方の墓参りに出かける。
途中の畔道で稲の葉に降りた露が朝日に浴びてとてもきれいであった。
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 その後昼から映画鑑賞で「日本のいちばん長い日」を観て、夜は院長室に籠り読書をする。このところ忙しさにかまけて何冊も本が机の上に積んどく状態であり、ぜひこの休みに少し山を崩したいと思っていた。こうして1日目が静かに終わる。
 2日目、家内が家庭菜園の草取りをするという事で、私も駆り出され、先日購入した耕運機を出して畑を耕す。扱い方に慣れていないため耕運機を始動させるのも大変。ガソリンを買いに行く所から始めた。家内もいずれ耕運機を使用しなくてはならなくなると思い扱い方を教える。
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 秋になって作物を植えるために、今のうちに畑を耕し肥料を入れて土づくりとしゃれこんだが、狭い畑ではしょっちゅう耕運機を旋回させるために足腰が痛む。それでも家内はこの場所には何を植えようか、大根、タマネギ、ネギなど色々算段しているようだ。
 今年は春からこの夏の間にタマネギ、ゴボウ、ジャガイモ、きゅうり、ナス、トマト、カボチャ、オクラなど結構収穫できた。キュウリやトマトなどは2人では食べきれないほどいっぺんに出来る事も有りスタッフにおすそ分けをしたりした。
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 午後、家内は疲れて昼寝をしたらしいが、私は本を読まなくてはと思い、院長室に籠る。その後院長室の書棚等に、歯科医師会関係の書類が山積みでこれも処分をしなくてはと思い片付け開始。そんなこんなで23時ころまで院長室で過ごす。
 3日目、最後の日も朝から読書、結局3日間で歯科関係の月刊誌を3冊読んだ。合計18時間ほどの時間を費やした。本当に静かなお盆休みで、老年夫婦のお盆休みとはこんなものかなと思った。御蔭でほとんどお金を出費をすることは無かったが、家内いわく「あなたは自分のペースを崩さないで、結局いつもと同じだったね、全然休みらしくなかった」と不満を漏らしていた。自分としては畑仕事も手伝ったし、十分尽くして楽しかったと思ったのだが・・・・。

2015年08月17日

映画「日本のいちばん長い日」を観て

 8月14日に映画を観た。この映画はまさに70年前の8月14日の戦争終結を決断するまでの話がメインで有る。はるか70年前を思いやりながら画面を凝視している自分が有った。    一般国民はただ単に天皇陛下が終戦の詔勅を読まれた程度にしか当時は感じていなかったのかもしれないが、映画ではその過程に至る事実が克明に1分刻みで構成されている。
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 パンフレットから一部引用させてもらうと
「戦争終結の為に、彼らが下した日本史上最大の結論とは・・・・
今日も世界のどこかで、戦いが続いている。もはや日本の平和もいつまで続くのか,誰にもわからない。おりしも戦後70年の節目となる今年、日本が終戦に至るまでの波乱に満ちた道のりと、終戦前夜に起きた大事件の“知られざる真実”を解き明かす物語が完成した。太平洋戦争末期、戦況が絶望的となった1945年4月、鈴木貫太郎内閣が発足し、そして7月、日本は連合国から、ポッダム宣言(日本に対し無条件降伏を求める共同宣言)の受託が迫られる。降伏か、本土決戦か・・・連日連夜、閣議が開かれるが、議論は紛糾。
降伏勧告を黙殺すると発言した日本に、アメリカは原爆を投下、広島と長崎で何十万もの命が散る。
8月14日に御前会議が開かれ、天皇陛下の聖断のもと、ついに閣僚たちは降伏を決定。だが、終戦に反対する若手将校たちはクーデターを計画、皇居やラジオ局への占拠へと動き始める。その時から、終戦を知らせる天皇陛下の玉音放送が国民に届く8月15日の正午まで・・・この“日本のいちばん長い日”に、一分一秒ごとに変わっていった日本の運命とは・・・?」
 ところで映画の中で天皇陛下が読まれる終戦の詔勅の文言を決める閣議の場面中、日本の碩学・安岡正篤先生が詔勅に朱筆を入れたくだりが少し出てくる。安岡先生は歴代内閣の指南役と知られ、東洋宰相学・人物学・陽明学等の権威として知られている。
 20年ほど前から先生の御本を読んだりしているが、作家・神渡良平の「安岡正篤の世界」と言う本に詔勅が変更されたくだりが有る。引用させていただくと
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 詔勅案第三稿を安岡先生が校閲した際、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の前にある「時運の趨く所」を「儀命の存する所」に訂正されたが、これが「時運の趨く所」に書き換えられた。そこで閣議直前の校閲で、安岡先生は何故“義命の存する所”で無ければならないのか、迫水内閣書記官長に理由を示し再度元に戻したが、残念ながら安岡先生の意見は通らなかった。
 安岡先生には“義命の存する所”でなければならない理由が有った。「『春秋左氏伝』成公八年の条に『信を以て義を行い、義を以て命を為す』とある。義命とは大義名分よりもはるかに重いもので、道徳の至上命令に当たるものです。自分の心に深く内省してみると、もはや戦争はやめたほうがいいという答えが返ってくるからやめるのです。それを“時運”にすると、戦い、われに利あらず、だから、ときの成り行きのままやめるということになってしまい、まったくのご都合主義になってしまう。この姿勢はもってのほかといわなければならない」
 閣議で“義命の存する所”が“時運の趨く所”に決定した事を聞いた安岡先生は「国家の事は成り行き任せではない」と怒ったが、後の祭り、8月15日正午を迎えたとある。
 それにしてもこの様な先輩たちがいて、ほとんど混乱もなく見事に終戦を迎えることが出来、その上に今日の平和と繁栄が有るのだと終戦記念日にあたり感謝に堪えない。
 後年迫水書記官長は衆議院議員・参議院議員となり池田内閣の経済企画庁長官として所得倍増計画を推進し、また郵政大臣等を歴任したが、彼が政治家になる時、安岡先生は「現代の政治には理想がないと言える。民主政治の名の下に行政も議会も成り行き任せになりがちです。それもこれも終戦の詔勅の中の“義命”を“時運”に変えてしまった所に責任が有る。あなたも政治家として、時運派ではなく、義命派になって下さい」と話された。
 まさに現在の国会議員達を見ていると、安岡先生の気持ちが伝わってくる感じがする。

2015年08月15日

岩子島・厳島神社管弦祭

 8月2日に尾道市向島町岩子島の厳島神社管弦祭を観に行った。これは家内の同級生で家庭菜園のお師匠さんである、岩子島の専業農家のお友達Y子さんからのお誘いで有る。
あの有名な「安芸の宮島」の管弦祭は前日の8月1日に行われ、TV ニュースや、新聞記事に載っていた。昔から宮島の管弦祭の事は良く聞いていたが、観に行った事は一度も無い。岩子島の管弦祭の事も、地方ニュースで以前とり上げられていたので、存在は知っていたがこの目で直に観たのは初めてである。
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 19時頃厳島神社に行ったが、TVで観る宮島の観客には遥かに及ばないがそれでも地元の人や、おみこしを担ぐ地元小学校の子供達、一部観光客らしき人も来ており、結構にぎわっていた。神社の前の海は西方に開けているためにまだ明るく情緒あふれている。
 そういえばここは昔、海水浴場で小学6年生の時、学校から臨海学校に来て鳥居の前で記念写真を撮った事を思い出した。また最近では「男たちの大和」のロケ地でもある。
地元の婦人会の奥様方が屋台を出し、ビールやラムネなどの飲み物、かき氷、鳥の空揚げ、いか焼きなどを売っていた。Y子さんの話によれば昔はもっと見物人が多く、よそからテキヤの兄さん達が来て屋台も賑やかだったとか。
待っている間、おもわぬ事で社殿に上がってお祓いをしてもらい家内安全を祈願した。
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 夕闇が迫る頃、松明を付けて先導する小型の船(Y子さんの御主人が船を出し操縦している)、提灯を飾った2艘の船その後ろに御神体を載せた御座船が、神社前の入り江にやってきて入り江を3周する。御座船からは笛と太鼓の優美な音楽が聞こえてくる。何とも厳かな素晴らしい感覚になる。
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 その後、御座船は鳥居前に着く。神主が御座船に御神体をお迎えに行き、その後御神体を奉じて社殿に戻っていく。その後を、子供たちが大人達に助けられながら神輿を引っ張っていく。もっとも神輿と言っても、普通の神社で観るお神輿では無く1本の棒の先に飾りがついていて足元には石の車が2個付いたものをひもで引きながら移動していくものであった。その後を御座船に乗っていた太鼓や笛の楽士たちが船から降りて演奏しながら付いていく。今でこそ、この楽士の方達は法被姿だが昔は神主さんの様な服装では無かったのではと想像した。
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 それにしても貴重な体験をしたし、これがもう少し大々的に知れ渡ると村おこしにもなるのでは、観光都市を目指す尾道市としては良い素材が有るのに残念だ。
 そいえば厳島神社は日本全国いたるところにあるのではないだろか?昔30数年前に北海道白糠郡白糠町に住んでいた時、そこにも厳島神社が有り、除夜の鐘と共にマイナス10数度の中、根室本線の踏切を渡り初詣に行った記憶が有る。その時、「こんな所にも厳島神社が」と不思議に思った記憶がこの管弦祭見物で急に思い出した。

2015年08月04日

御苦労さん会

 先日、私が歯科医師会会長職を退任した事で義妹が御苦労さん会兼ねて家内ともども食事会に誘ってくれた。お互い中々時間が取れずこの時期になった。4年間御苦労さんと言われて乾杯をしたのだが、家内が横やりを入れ「本当にご苦労さんと言ってもらいたいのは私だ」と言う。「会議に遅れないように毎回車で送ったり、会合の後、街で飲んでいた私を夜遅く何度車で迎えに行ったことか。そのために寝ずに待っていたりした。」と言われ、本当にそうだなと思い、改めて家内に御苦労さんと言って乾杯をし直す。
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 食事会は三原の「ひょこめ」と言うお食事処でスーパーのイオンの少し北側にある。
ここは以前、一度だけ利用した事のある店。名前の由来は「ひょっとこ」と「おかめ」の子供を「ひょこめ」と言うらしい。それでお店には「ひょっとこ」と「おかめ」のお面が飾ってあった。
料理の方はおまかせコースを頼んだと義妹が言う。味も中々美味しく、また料理の出てくるタイミングが絶妙である。他にも4組くらいのお客さんがいたのだが、上手に時間配分をされていると感心した。
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 また料理を盛る器の中には、おかみさんが焼いた手作りの備前焼等もある。中々風情が有ってより料理を引きたてている。また店内ではおかみさんが焼いた備前焼の湯飲みなども展示販売されていた。
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 魚料理がメインだが、お刺身なども活きが良く、サザエのみそ焼き、新蓮根とスルメイカのサラダとか、南京饅頭、米なす田楽、ノドグロの塩焼き、タコ天、さらにご飯はウナギ飯であり家庭料理のオンパレード、凄く気楽に食べれた。最後に開業20周年と言う事で紅茶アイスクリームが出て来た。
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 御蔭で生ビール2杯と日本酒1.5合くらい飲んですっかり良い気分になれた。
 話は日常の他愛もない話や息子や孫達の話であっと言う間に時間が立ってしまった。
良い時間をいただいた義妹に感謝であると同時にいつも気を使って私を助けてくれる我が家内に感謝である。

2015年08月03日

10ヶ月ぶりの札幌

 11・12日に大学の父兄後援会全国支部長会議が有り札幌に出かける。毎年開かれる会議だが20年以上ほぼ毎年出席している。例年ANA で出かけていたが、今年は予約が取れなくてJALで出かける。宿泊は会議が開かれる「京王プラザホテル札幌」にした。札幌駅から徒歩7〜8分くらいで便利が良い。15時頃チェックインして17時半からの会議に備える。窓から下を観ているとたまたま結婚式が行われていた。気温は少し高めだが湿度が無くさわやかな日であった。
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 会議では、大学としても受験者数の確保、入学者の確保は喫緊の問題であり、その事についても話し合うが、少子化の流れの中でこれはと言う手は中々無いのが現状である。
 大学の教育レベルや国家試験の合格率を上げる以外に手はなさそうである。会議には私を含めて歯学部の1期生4人出ていた。前同窓会長のK君、現同窓会長のM君、それに旭川で開業しているA君である。会議後,懇親会があり、その後K君、M君と連れだってすすき野に出かけ、「鮨処 ひのき」やさんで軽く一杯やって帰る。会議や懇親会ではあまり突っ込んだ話が出来ないが、ここでは6年間苦楽を共にした同級生同士、色々の話に花が咲き、また他の同級生の近況など聞けて良かった。
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 次の日は例年なら道庁の赤れんがの建物を観に行ったり、大通り公園を散策したりするのだが、今年は異常に暑くてとても外を歩く気にはなれず、さりとて15:25の出発までどうすべきか悩んだ末に、涼しくて時間が潰せる所として、札幌駅にある映画館で映画を観る事にする。尾道に帰って観たTVニュースでは札幌33℃で、道内の清水町ではお年寄りが熱中症で亡くなられたと報じていた。
 タイミング良く時間がつぶせる映画として10時から12:35まで上映される「アベンジャーズ / エイジ・オブ・ウルトロン」を観た。客席はほぼ満席状態で、前から2列目の席だったので見上げながら観た。首が疲れた。この映画のシリーズは最初が「アイアンマン」でその時観て以来鑑賞したことが無かったので、今回の映画の様に進化しているとさっぱり内容が理解出来ない。それでもエンタテイメントだと割り切り鑑賞した。60歳以上は割引きが有り、1100円で2.5時間潰せた。
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 その後札幌駅から新千歳空港に移動。従業員様にお土産を買う。そのお店も他のお店も、TAXフリーの案内掲示が英語・中国語・韓国語で表記されている。さいきんTVや新聞等で中国人の爆買が報道されているが、そういえば宿泊したホテルにも多くの中国人がいた。しかも結構若い学生風の人達が多かった。空港ロビーでも大きな荷物を持った中国人とおぼしき人たちが多数大声で話しながら歩いていた。
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 昼飯は3階の食堂街はお客が多く並んだりしなくてはならないので、初めて空弁なるものに挑戦。3色丼(蟹・イクラ・うに)¥2360だったが、結構高く食堂で食べる方が安いのではないかと思った、しかも食材が食材なので塩からく塩分の取り過ぎの様な気がした。
 飛行機は新千歳を定刻に離陸、17:25無時広島空港に着陸。何か札幌まで飛行機に乗って映画を観に行った感じでくたびれた。

2015年07月14日

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