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大先生(元院長)のブログ

広島ドリミネーション2013

 先日1泊2日の会合があり広島に出張した。宿泊したホテルが平和大通り沿いの三井ガーデンホテルだった。丁度平和大通りの緑地帯を利用して広島ドリミネーションが開催されていた。
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 何年か前からこの催しがあることは知っていたが、観たのは初めてである。10年前に神戸のルミナリエを観に行ったことがある。それと比べると広島の場合は100メートル通りの両脇にあり、真ん中を車が走行するので、少し間延びした感じがしたが、中々綺麗で、NHK広島放送局の前くらいまで散策してみた。小さいお子様を連れた家族連れ、若いカップル、学生おぼしき一団、また私と同じくらいの中年のカップルなど様々な人たちが多数観に来ておられた。
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 福島第一原発の事故以来節電が叫ばれているが、電飾はほとんどLEDでなされており、通常の電球よりはかなり節電出来ているのではなかろうか?
見学をされている人たちの楽しそうな話声や、笑いを聴いたり見たりしていると、節電も確かに大切だが、このようなイベントをする事で、人々の気持ちを和らげ、幸せな感じに浸れる事も大事ではないかと思った。
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 私も大いに楽しみながら散策をし、日本の国は本当にすばらしく、日本人はなんと幸せな国民なのだろうかと感じた。
 毎年ユニセフからの寄付依頼が来るが、そこに書いてある世界の子供たちの悲惨な状況からすれば、我々日本人は飢える事もなく、欲しいものは何でも手に入れて食べる事も出来るし、また食べるもの以外でも、たいがいの物は手に入れることが出来る。またこのようなドリミネーションを楽しむ事も出来る。何と我国は素晴らしく、皆幸せなのだろうかとつくづく思い、私は日本人に生まれて本当に良かったと思った。

2013年11月25日

「今日も元気・笑顔・感謝・謙虚・愛・勇気」

「今日も元気・笑顔・感謝・謙虚・愛・勇気」これは後輩のY先生と毎日やり取りする、メールの書き出しの言葉である。Y先生とのメール交換は平成22年の2月8日に彼からの「昨日はありがとうございます。」件名のメールに返信を送った時から、旅行や出張など、朝時間がとれない時を除いてほぼ毎日続いている。
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実は当時、Y先生は患者様が減少し経営的に苦しく歯科医師会を脱会して少しでも会費などの出費を抑え経費を削減したいと考えておられた。その事を人伝に聞き、2月7日に彼の診療所に車を走らせ、どのようなか状況かを聴きに行った。
当時まだ先生には3人の息子さんの内、2人が大学生でお金が必要であり、退会すれば歯科医師会で掛けている年金等を解約して充てることが出来るのだと言う。また開業時の銀行から借りた借金返済もあり本当に首が回らない状態の様であった。「時々このまま死んだら楽になるのに」とふと思うこともある等と話され切羽詰まった雰囲気が伝わってきた。
私としては金銭的に援助できるものではなく、ただもう少し頑張ったらと言うのが精一杯であった。そして彼の診療スタイル等をお聞きし、何かプラスになるアイデアは無いか考え、思いつくものをアドバイスすることにした。銀行の借金返済は少し待ってもらうように交渉してもらったり、診療の効率化になるアイデアや、毎日思いつく元気になる言葉を添えたりしてメールを送っている。また人間学を学べる雑誌「致知」を照会したりした。そして経営に関する悩み事などの相談に乗ったりした。その間、奥様と御一緒に2回ほど私の診療室の見学もして頂いた。
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幸いにY先生の並々ならぬ御努力と頑張り、そしてご家族の支援で現在は最盛期ほどの回復は無いが、ある程度業績も回復し、銀行の借金返済も再開されたようである。そして何よりも2人の大学生は卒業しそれぞれ就職し、三人の息子の内1人が結婚して初孫とも御対面が叶ったようである。
私としては何にもまして、毎朝「今日も元気・笑顔・感謝・謙虚・愛・勇気」とメールに書くことが自分への、その日1日の決意となっており逆にY先生に感謝している。
そしてY先生の返事のメールの結びの言葉は「今日も、笑顔、元気、感謝、謙虚、愛、勇気、感動、感激を忘れないよう頑張ります」と締めくくられている。
そろそろ尾道からのエールは終わろうかと思っていた矢先、Y先生の奥様より辞めないでほしいとのご要望があり、今しばらく続けてお互い情報交換をしようと思っている。

2013年11月17日

「祝・さいだ歯科医院27歳」

 11月6日、我が「さいだ歯科医院」は27周年を迎えた。
朝、朝礼の時「祝・開業27周年 おめでとうございます。 スタッフ一同」とメモの入った花束を贈られた。いつもスタッフの皆からサプライズを頂く。それでお昼休みにハッピーバースデーを歌って「さいだ歯科医院」の誕生日会をして皆で祝った。
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 おもい返すとある意味あっと言う間のことだったかもしれない。しかし、じっくりと順を追って想い返してみると、良かった事よりもほんとうに多くの大変な事の方が頭に浮かんでくる。それだけ厳しかったのであろう。良く乗り越えて来たものだと思う。
 今までの歴史を知っているのは、今では私と家内と開業時から勤務している歯科技工士のT君だけである。
 27年前の開業当日は快晴で木曜日半ドンの日であったが、当時この地域は無歯科医地区でしかも慣れない事もあり昼飯抜きで午後3時ころまで診療し、その後出前のお寿司を皆で食べた記憶が鮮やかに思い出された。
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 27年間で一番悩まされ困った事は、何はさておいても女性スタッフの確保につきる。多くのスタッフが若い未婚の女性であるため勤務年数があまり経たないうちに、結婚などで辞めていくケースが多く、いったん辞められると次の補充がなかなかできない。とりわけ歯科衛生士は資格職なので大変であった。そんな中で5人しかいない女性スタッフのうち3人が一度に辞めた時は途方にくれた。一人が辞めると仕事がきつくなるという理由で2人が連れて辞めてしまったのである。
 またスタッフが交通事故を起こして辞たり、長期療養に追い込まれたりして本当にスタッフの確保には悩まされ続けた。
 しかし現在ではその様なことからも解放されてきた感がある。5人の女性スタッフは全員が歯科衛生士で、みんな落ち着いて十分期待にこたえて仕事をして頂いている。最高・最強のメンバーだと思っている。有難いことである。
 その他、開業当初、予約時間通りに治療が進まなくて、患者様に謝る事もしばしばで、中には怒って帰られた患者様もあまたいらっしゃった。毎日が針の筵の上にいるよう気がして大変であった。その様に緊張の連続であったせいか、歯科医師会の会務のため休診することはあっても、病気を理由に27年間、1日も休診した事は無い。点滴を打ちながらでも仕事を続けた。
 開業の自己資金は通帳を作るために預金をした1000円で、後はすべて借金をして開業したので、患者様が来られなくなったらどうしようか? 借金返済が出来るのだろうか? といつも心配していたが、何とか5年前に完済出来た。すこし肩の荷が下りた。
 現在は二男と一緒に診療が出来て本当に有難い。もうしばらくこのスタイルでやっていずれ世代交代をしなくてはならない。その時さいだ歯科医院は何歳なのだろうか?

2013年11月07日

孫2題

 先日、10月最後の木曜日、二男の娘が三歳になるというので七五三のお宮参りに参加する。長江の艮神社でお参りをした。ここは沖縄に移住した長男の娘たち三人も尾道在住時代、百日の宮参り・七五三と何度もお参りをさせていただいている。
 境内の楠の木が立派でここを訪れるといつも不思議と心が落ち着く感じがする。
孫は貸衣装だが綺麗な着物を着せてもらい、髪飾りをつけ御満悦である。「じいちゃん綺麗?」と何度も質問してくる。その度に綺麗だよと言うと満足そうに「にこっ」と笑う。この笑いが曲者、ついついこちらも甘くなり何でもしてやろうかという気になる。
 神主様が祝詞をあげている間神妙に手を合わせていた。百日の時は、ずっと泣きっぱなしであったのが、今回は見違えるほどで、彼女の成長ぶりに驚かされた。
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 そして1日とんで11月2日に沖縄の長男のところの一番目と二番目の孫娘二人がやってきた。「ANAキッズらくのりサービス」を利用して8歳と6歳の孫だけでやって来た。8歳だと付き添いなしでも一人で飛行機に搭乗できるそうだが、6〜7才はこのサービスを受けないと一人では搭乗できないのだそうだ。那覇空港まで長男が連れて行きCAに引き渡すと広島空港まで責任を持って連れてきてくれて、こちらが書類に受け取ったというサインをすれば孫を引き渡してくれる。孫娘2人だけの旅は彼女たちにとって冒険の旅であったのだろう。あるいは両親にとっても一大決心だったかも知れない。
こちら年寄り二人でどのように歓待してやれば良いのか迷ったが、二男一家が付き合ってくれて助かった。
 着いた日の夕食は孫達がお寿司が食べたいというので、回転寿司屋に行く。二男一家と別れ、帰って風呂に入れたり寝させたりしようとしても、8歳と6歳なのでこちらの思うような行動はしない。しつけのつもりで怒りながら何とか寝させる。
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 次の日、11月3日は朝からあいにくの雨だったが「尾道ベッチャ―祭り」観に連れて行く。ベタ・ソバ・ショウキーの3鬼神や獅子にササラ棒や祝い棒で叩かれたり、度突かれたり、咬まれたりすることによって無病息災になるという言い伝えがあるが、下の孫は少し恐れで、半ベソをかいている。そこで、抱えて近くまで行き、触ってもらう。上の孫は沖縄から来たと訴えて何度もたたかれたりして御満悦であった。二男の孫娘も怖いと言いながら喜んでたたいてもらっていた。その後ショッピングモールのゲームコーナーでゲームをさせる。結構なお金が必要であった。それでも時間は朝の十時過ぎ、何とか時間をつぶさなくてはと思い、「ドキドキ・プリキュア」の映画を観に行く。何の話かよくわからないし、私も家内もどっと疲れが出て映画を観ながら半分くらい寝ていたが、孫達は真剣に観ていたようだ。
 夜は孫が尾道在住の時通っていた英会話スクールの先生一家と、二男一家と一緒に食事会をする。英会話スクールの先生は孫達が大きくなっているのに驚いておられた。
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 孫は沖縄では通常夜8時過ぎには寝るらしいがこちらに来て夜10時を回ってしまう。本人たちも親の監視が無いのを良いことに、またこちらもついつい甘くなっているため好き放題であった。
 やっと今日11時40分の飛行機で沖縄に帰ったが、中々大人の言うことを聴かずに好き勝手するのでその見守りだけでも年寄り夫婦にはこたえた。
 初めて孫を預かったのだが最初2泊3日はあまりにも短い気がしていた。しかしこれぐらいがちょうど良かった。もう少し孫達が大きくなれば少しは違って来るのであろう。

2013年11月04日

日本の医療保険制度

 少し前の話だが9月12日に日本歯科医師会創立110周年を祝う会が東京であった。私が出席したわけではないが、当日の様子が広報紙に掲載された。見出しは「やっぱり日本の皆保険はすばらしい!」と言う安倍首相の言葉であった。
 何の事かと読んでみると、来賓あいさつで安倍信三内閣総理大臣が5月にロシアを訪問した時にプーチン大統領と会談する前日に歯が痛くなり、そのまま会談に臨んだ場合、痛くて言いたい事も言えないので現地で歯科治療を受けた。ところが帰国した後、高額の治療費を請求されたエピソードを披露されたとのこと。
 そして「日本の素晴らしい皆保険制度により、誰もが高度な医療、歯科医療を受けることができるこの制度を断固として私たちは維持していかなければならない。」さらに「8020運動をしっかり行いながら健康寿命を延ばしていく上で、歯科医療が果たす役目は極めて大きいと実感している」と述べられた。
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 この言葉の中に重要なことが含まれている。現在政府はTPP交渉の年内妥結に向けて作業を進めているが、ほとんどは秘密のベールに包まれて見えてこない。TPP交渉の中には、日本の医療制度も交渉の対象になっており、場合によっては日本の皆保険制度が崩壊する恐れがあり、歯科医師会、医師会とも反対している。
 今回の安倍総理の発言からすれば皆保険制度を断固、死守してくれるのではないかと思える。
また首相は8020運動にも言及されたが、国勢調査と同時に行われる歯科疾患実態調査の結果を見ると平成23年の8020達成者は38.3%で前回の平成17年の調査結果よりも14.2%も増加している。
 尾道市においても来る11月10日の尾道市健康祭りで8020達成者の表彰を行うことになっているが、今年は対象者が250人前後と過去最大数であり、8020運動が定着してきた感がある。なお厚生労働省は2020年に8020達成者を50%にするという目標を立ている。恐らくこの目標は達成されるであろうし、そうなれば世界においても類を見ない数字になるのではなかろうか。
 いずれにしても若い時からの口腔のケアと定期検診が必須で、我々歯科医の責任も重大となってくる。それと同時に日本の皆保険制度を守らなければならない。本当に日本の国は「幸福な夢の国」だと思う。

2013年10月31日

映画「日本の悲劇」を観て

 先日尾道シネマで「日本の悲劇」を観た。出演者は赤ん坊を入れても5人、主演は父親役に仲代達矢、息子は北村一輝、母親・大森暁美、息子の妻役に寺島しのぶだが、多くは父親と息子のやり取りだけである。場面は台所、父親の部屋、廊下の3場面で他にロケしたところなどは無く、まさに芝居か劇の様な設定でしかも幸せな時の回想場面がカラーで、後は白黒映画である。ある意味安上がりな映画である。
しかし、まさに日本の現代の暗部を映し出した映画であった。
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 パンフレットによると「2010年7月、父親の年金が生活のよりどころだった長女が父親の死後も隠し続け、年金や給付金を不正に受け取っていたと言う事件が報じられた。この事件に衝撃を受けた監督・小林政広は“遺書を書くような気持”で本作の脚本を書き上げたという。外部との接点をなくした極限状態の家族が、その果てに選ばざるを得なかった究極の愛の形―。「日本の悲劇」は誰の身にも起こりうる私たち家族の物語といえるだろう。」とある。
 近年TVニュースを観ているとリストラ、非正規雇用、鬱、自殺、ブラック企業など労働に関するニュースが後を絶たない。大企業はグローバル化と言う名のもとに、海外の安い労働力を求めて低開発国に進出し、必然的に国内における工場等が少なくなり労働市場が狭く小さくなっている。そして企業の国際競争力を高めるためにリストラを行い、非正規雇用を採用し、いつでも解雇できる体制を整えている。40代・50代あたりの子育て、マイホームを購入した世代に対しリストラを行い、若者を消耗品のごとく、労働基準法等関係なく長時間労働を強いり、残業代も払わないブラック企業の台頭。そのため鬱や自殺者が増加し、世の中は荒むばかりである。
 この映画はパンフレットから引用すれば『一つ屋根の下、つつましく暮らす父と息子、がんを患い残り少ない命を悟った父親は、自室を封鎖し食事も水も摂る事をやめる。そんな父親の狂気に混乱し、怒り、悲しみ、啞然とする息子。妻と子に去られた失業中の息子は、未だ生活を立て直せず、父親の年金を頼りに暮らしていた。そんな息子を残し、扉を固く閉じた父親の真意とは・・・・。』
多くの場面は部屋に閉じこもった父親の回想形式で進む。幸せいっぱいの時、その後の変遷などがある意味を持って表示されるが、この映画の訴えに対しての結論は観ている観客にゆだねられている。息子の様な状況は日常茶飯事誰にでも起こりうる可能性がある。ある意味非常に奥深いテーマであった。

2013年10月21日

尾道灯りまつり

 昨夜、今年で10回目だと言うのに初めて「尾道灯り祭り」を観に行った。
一昨日まで暑くて夏のようだったのに、急に秋らしくなって少し着込んで出かけた。
中々綺麗で幻想的であった。18時から21時までの間開催されていた。ただ私が行って観はじめたのは丁度20時頃、そのためあまり多くを観ることが出来なかった。
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 テアトルセルネ横では、宇宙に飛び立つロケットのモチーフに灯りが配置されていた。駅前広場には親子連れが多く、ぼんぼりを観ると、子供たちが絵を書いたり、言葉を書いている。親子連れで来ている人が多く、「有った有った」と話していたりしていた。しかしこんなに多くの人が集まっているのを久しぶりにみた。 
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 芙美子の像のところにもぼんぼりがともしてあり、本通りは両サイドに灯りが並べて有った。
灯りを楽しむために本通りのアーケードの照明は消され、また食べ物屋さん以外はお店を閉めて、光が漏れないように配慮しているようだった。これだけ多くの人が集まるのだから本来なら商いのチャンスがあっただろうに、お店の人達の決断に脱帽である。
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 市内の多くのお寺さん等も協賛している。「石の門」と「握り仏」で有名な持光寺参道にも線路を渡った階段から上までぼんぼりが並んでいた。お寺の境内では即席のお店が出来て、おでんや飲み物等が販売されていた。
 初めて通る小路を通おり、山陽線の下をくぐる一里塚ガード下を通って本通りに出て来た。その後東に向かい尾道商業会議所記念館前に来た。記念館横の広場にもぼんぼりが並べてあり、二階からどうぞみてくださいと言われ中に入った。
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 私が小さいころは、会議所であったが今は記念館になっているとは知らなかった。永年尾道に住んでいるが入ったのは初めてである。
中には商業会議所の歴史や尾道の歴史等が展示物と一緒に展示してあり興味深く見た。
その中でも明治25年尾道商業会議所設立認可許可書に時の農商務大臣後藤象二郎のサインが入っているのに興味を覚えた。後藤象二郎と言えば、坂本竜馬たちと同じ時代の人間であり、その直筆を観れたのに驚いた。さすが観光の町尾道である。
 建物の二階は商業会議所の議事場になっていて、しかも三階と吹き抜けで造られており、三階から議事場の様子が観覧できる構造にもびっくりした。ちなみにこの建物は大正12年に造られたものでおそらく当時は超一流なモダンなものであったのだろう。
 記念館を出て少し経ったらアーケードの照明が一斉に点灯21時になった。
すぐさま実行委員会の人達が一斉に片付け始めた。準備も大変だったのではと思うと今日の楽しみをいただいた人たちに感謝である。

2013年10月13日

産まれて初めての宝塚歌劇鑑賞

 10月5日〜6日に尾道市歯科医師会の会員旅行に参加した。今年は神戸・宝塚方面でメインは宝塚歌劇・宙組公演の「風と共に去りぬ」を鑑賞することであった。
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 午後新尾道駅を出発。たがあまりにも尾道から近いため1時間30分ほどで新神戸、港近くの「ホテルクラウンパレス神戸」にチェックイン。夕食までは自由散策と旅程表には書いてあった。あいにく小雨も降っていて、私は2時間ほどホテルの部屋でお昼寝タイム。日ごろの疲れを癒す。会員の中には、美術館まで足を運ばれた先生がいた。もっとも私は、神戸は10年振りで、新神戸に下りたのは、阪神大震災があった年の5月以来で随分御無沙汰をしていた。
 もっとも私は、神戸は10年振りで、新神戸に下りたのは、阪神大震災があった年の5月以来で随分御無沙汰をしていた。
 18:00にホテルを出発し、夕食の会場「北野クラブ」に出かけた。山の手にあり、レストランからの神戸の街の眺めは良く、雰囲気の良いレストランであつた。味も美味しく、料理も手が込んでいるようだったが、中でも「フォアグラのポワレ 甘酸っぱいブドウ添え」は美味しい一品であった。最後のお菓子も綺麗で美味しかった。
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 お酒は別料金であったようで、ワインなども開けたので予算は大分オーバーしたのではないだろうか?
 その後若い先生たちは三々五々神戸の夜の街に散って行った。私はホテルに帰り「あん摩屋」を呼んでもらう。120分12000円のコースにした。
 翌朝、ホテルのバイキング方式の朝食を食べ、いよいよ宝塚に出発である。宝塚歌劇はNHKの教育放送でオンエアーされているのを少し観たことがあるが、本物を観るのは生まれて初めてである。マイクロバスで、新神戸駅の下をくぐるトンネルを通って六甲山の裏側に出、その後もいくつかトンネルを抜けながら宝塚市にやってきた。宝塚大劇場の建物は大きくて立派なのに驚く。10:30の開場までに、少し余裕があり土産を求めたり、中を少し観て回った。
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 座席は3500円のB席で後ろの方と聞いていた。ほとんど良く見えない場所だと覚悟し、宝塚の雰囲気だけ知れれば良いかなと思っていた。ところが旅行会社の手違いか、5500円のA席でラッキー、2階の第8列84番が私の席、中年・初老のおっさん14名が横一列に並んで鑑賞した様は他の人が見ると少し異常に見えたかも知れない。大劇場がほとんど満席で大半は女性の観客であった。私の席からでは役者さんの顔はあまりはっきりしなかった。役者さんの顔を観るにはSS席かS席でないと駄目であろう。
 今回観劇した「風と共に去りぬ」は1977年が初演でこれまでに公演回数1216回、観客動員272万人を誇る宝塚歌劇の代表作である。ストーリーは映画等を観て知っていたのでストレスにならず安心して鑑賞出来た。第一幕が終わり第二幕までの25分間で昼食の弁当を食べたが気ぜわしかった。
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 ところで多くの観客の方は、役者が出てくる度、また場面が変わるたびに拍手をしていたが、私にはどのタイミングでしていいのか分からず結局一番最後、終わった時に拍手をしただけである。
 リピータになるつもりはないが、もう一回位宝塚歌劇を鑑賞してもいいかなと思う。第二幕終了後、アトラクションのラインダンスや全員が出てくるフィナーレも圧巻であった。ただ私の位置からは、階段の最上段に立っておられる、役者さんの顔がカーテンに隠れて見えなかった。
 今回の旅行も楽しく思い出に残るものであった。

2013年10月07日

映画「そして父になる」を観て

 先月半ばから後半にかけて会務等で忙しくとても映画どころではなかった。気持ち的にうずうずしていた。やっと先月29日の日曜日に何とか時間をやりくりして映画館に足を運んだ。
 15:10開始の「そして父になる」と終了後25分待って「謝罪の王様」2本を観た。「謝罪の王様」は阿部サダヲが出るので抱腹絶倒のエンタテイメントかと期待したのだがそこまででは無かった。
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 「そして父になる」は中々テーマの重い映画であるが、さすが第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞を獲得しただけあって前評判通りの映画であった。
6歳まで育てた息子がいよいよ小学校に上がる段になって、実は病院で取り違えられた他人の子だと判明する。
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 映画のパンフレットには『家族に起きた〈事件〉を通して、その愛と絆を描いた衝撃の感動作。血のつながりか、共に過ごした時間か。突き付けられる慟哭の選択』とある。まさにその通りであった。
 さらに、パンフレットには「愛した息子を“交換”出来ますか?」と書いて有りそのあとに
大人達の会話が一部分印刷されている。

「前例では、100%ご両親は交換という選択肢をえらびます」

「どうせだったら、両方とも引き取っちゃえよ」

「血なんてつながってなくたって、一緒に暮らしてたら情は沸くし似てくるし、  夫婦ってそういうところあるじゃない・・・親子もそうじゃないかしらね?」
 
「いいか、血だ。これからどんどんその子はお前に似てくるぞ、慶太は逆にどんどん相手の親に似ていくんだ」 

「似てるとか似てないとか、そんなことにこだわってるのは、子供と繋がってるっていう実感のない男だけよ」

「私のせいだと思っているくせに」 

「負けたことないやつってのは、ほんとうに人の気持ちわかんないんだな・・・」

 戸惑いと苦悩から発せられるこれらの言葉一つ一つに迫りくるものがあった。
結局1年程の交流の末に交換が決まるが、そこから良多(福山雅治)の本当の“父”としての葛藤が始まる。
私は映画を観ながら、自分だったらどうなのかと考えたり、下世話な話、取り違えたまま育てた場合、遺産相続はどうなるのだろうかとか、交換しても6年間育てたのだから、親としては幾ばくか遺産を分けるのではないかと思ったりした。そのことを家内に話すと馬鹿にされてしまった。
家族とは何かを考えさせてくれた映画である。

 ところでつい最近「産まれてくる子には罪は無い、親を選べない」と子供の立場から婚外子の遺産相続の差別が違憲だと最高裁判決が出た。子供の立場で考えれば妥当な判決かもしれない。しかしこの映画を通して家族の大切さを考えた時、社会規範から逸脱し自分達の我儘・気まぐれで婚外子を作った大人に対する罪・責任については最高裁判決は何も触れていない。片手落ちの気がした。

2013年10月01日

5人目の孫

 沖縄の長男の所に8月29日に4人目の孫が生まれた。しかも男の子である。私には今まで孫は長男の所に3人、松永の二男の所に1人いるがいずれも女の子であった。
それで男の孫が何としても生まれて欲しいと、本当に心待ちしていた。
ついに叶ったのでこの連休に孫の顔を見に沖縄に行ってきた。
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 爺やが贔屓目に観るせいか、目のくりっとした目鼻立ちの良い顔をしていた。
ところで女の孫も男の孫も可愛さには変わりないと思うが、男の孫への思い入れは特別である。なぜならこれで私の血がつながる可能性が出来たからである。
 人間は22対の染色体と2個の性染色体、合計46の染色体がある。このうち性染色体は男と女を決める染色体である。性染色体がXXなら女、XY染色体なら男を表す。最近の研究では母親と父親の対応する染色体同士は交叉を起こしてお互いに部分、部分を交換する。このようにして、片親からの染色体をそのまま次の代に渡すのではなく、新しい染色体が作られるようになっている。
 またY染色体においてもX染色体との交叉による乗り換えが起こっていると考えられている。実際とは違うが、話を簡単にするために片方の染色体は父親から、もう一つの染色体は母親から受け継ぐと古典的に考える。
 そうした場合、私の息子は家内のX染色体と私のY染色体を受け継いだ事になる。そして孫が女の子の場合、XXの内一つは息子の嫁から受け継ぎ、もう一つのXは息子から受け継いだ事になる。しかしそのXは元をたどれば私の家内のXと言う事になる。そしてこの時点で孫娘には私からの染色体は消え去ってしまっている。(実際は交叉を起こしているので私の部分も入っている)
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 一方、男の孫にはY染色体がありこれは息子から受け継いだもので、さらにさかのぼれば私から受け継いだ染色体になる。そのため将来、この度生まれた孫の子供つまりひ孫が男なら必ず私の染色体、引いては私の父親さらに祖父・曾祖父・高祖父・高祖父の父までは家系図で遡れているので、少なくとも9代は染色体が連綿とつながる事になる。
 こう考えると世間で女性の天皇を容認するような話があるが、少し考えなくてはならない。
 初代天皇の神武天皇から数えて今年が皇紀2673年となり、現在の平成天皇陛下はこの2673年前の神武天皇のY染色体をつないで来られている。そのことは非常に重要な意味を持つ。天皇陛下を除き我々庶民ではそれだけの永きにわたって同じ染色体がつながる事を証明することが出来る家系図がない。万世一系の天皇家であればこそである。
 だから皇位継承順位第3位の悠仁親王には是非男子を産んで神武天皇以来の血を絶やさないようにしてほしいものである。女性天皇になれば2673年間繋がって来たものが無くなってしまう。安易に感情に任せて「女性天皇でもいいなんて」は軽々に言えるものではない。
 横道にそれたが実際男の孫を持ってその血のつながり、染色体・遺伝子・DNAのつながりや意義を考えさせられた。
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 ところで今回は台風18号の影響があり、往きは、大分上空での航空路混雑のため40分遅れて広島空港を出発した。帰りは台風が豊橋あたりに上陸したとNHKニュースで朝放送していたのでやきもきしたが、息子にネットで調べてもらったら飛ぶと言うので空港に行った所、空港内は連休の最終日と重なり、しかも運休や遅延のため人でごった返していた。それで12時半ころに搭乗手続きをして中に入ったのだが、定刻13:20が14:00になり15:00になり最後15:25と出た。結局テイクオフしたのは15:50で2時間30分遅れだった。名古屋からの便の帰りが広島行きだったため名古屋からの到着が遅れ空港内で3時間半も待たされた。しかし欠航にならず何とか帰って来れて良かった。それにしても疲れた。

2013年09月17日

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