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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

タイ旅行 PART X

 昼食後、最初の遺跡はワットプラマハタートである。ガイドさんの話によるとこの寺院で有名なのは木の中にある仏頭だそうである。何の事か判らず実際に行ってみてびっくり。この寺院はその昔アユタヤ王朝がビルマ軍との戦争で敗れたために、ビルマ軍によってほとんどの仏像の頭が切り落とされ破壊された。
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 たまたまその時切り落とされた仏頭のそばに生えていた小さな木が生長し切り落とされた仏頭をその木が取り込んで現在のようになったとのこと。見事に木と一体になっている。
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 この寺院も良く整備され芝生で覆われていた。5分ほど芝生に寝転がって空を眺めていると、はるか昔に時空を飛び越えにいける様な気がした。高校生らしき学生たちが戸外授業なのか遺跡をカンバスに描いていた。
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 またこのアユタヤ一帯は2年前のタイの大洪水で2〜3メートル位水没したとのこと。この時はタイに進出した多くの日本企業トヨタやホンダをふくめ2カ月ほど操業できなくなったとニュースで大々的に伝えられていたのを思い出す。このアユタヤの遺跡も被害があり現在修復中のところもある。写真の家の白壁に洪水で泥水につかった跡がくっきりと残されていた。
 次の3番目の寺院はワットプラシーサンペットである。ここの仏塔はかなり保存がよく当時の名残を多く伝えているようであった。
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 それにしてもアユタヤ遺跡はさすが世界遺産だけは有ると思った。もう少しゆっくり観れたら良かったのだが。また来てみる価値は有りそうである。
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 この後、近くの象の飼育場に行き10分間の象乗り体験をする。私たちが乗った象使いがカメラをよこせ、写真を撮ってくれると言うので渡すともう一人の象使いに渡し写真を撮ってくれた。そしたら私たちの象使いが写真を撮ってくれたもう一人の象使いにチップ(100バーツ)をやれと言う。出すと今度は、照会した自分にもチップ(100バーツ)を寄こせと言う。どうやら2組がグルになって観光客からチップを巻き上げている様な気がした。金を渡した後、家内が冗談半分に文句を言うと童謡の「象さん」のメロディーを口ずさんでごまかされた。この写真は200バーツの価値がある。その後、同じツアーの方たちを待つ間に小象との記念写真をとる。小象が片方の前足を上げ座れるようにしてくれ、座ると私の体に鼻を巻きつけて来て落ちないように支えてくれた。中々良くしつけられていた。座るのに一人40バーツだったが先程の写真に比べこちらの方がはるかに貴重だと思った。
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 その後バンコクに向けて帰路に付くが間もなく雷雨となる。ぬれずに済んだ。夕食は「タイスキ食べ放題」だったが日本の「水炊き鍋」のようであった。終わってホテルに帰るのだが、通常30分程度の所を、雨と、交通渋滞に巻き込まれ何と2時間以上かかる。タイの交通事情については別の項に譲る。
 ホテルに帰った後、昨日行ったタイ式マッサージ屋に行き、タイ式を1時間、オイルマッサージを1時間してもらった。昨日はマッサージをしてくれた女性にチップを渡していなかったので昨日の女性を呼んで渡したところ喜ばれた。今日はちゃんと渡して帰る。昨日より1時間早く寝れた。
 続きはPART Yへ

2013年08月23日

タイ旅行 PART W

 3日目、昨日のタイ式マッサージでリフレッシュした感じがする。今日はアユタヤ遺跡巡り、昨日と同じ時間に出発するが今日から休み明けと言う事で、昨日よりはかなり道路が混んでいた。狭いボンゴ車に揺られること1時間20分、足のやり場にくたびれる。
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   バンパイン離宮内庭園
 まずバンパイン離宮に立ちよる。チャオプラヤ河の中州に造られたこの離宮は王様の夏の避暑地として利用されていたようだ。多くの建物があり、西洋式の建物も多く、タイ国陸軍兵士が重要な建物の前では歩哨に立っている。唯一、中国風の建物だけが一般公開され内部を見学できた。この離宮は良く手入れされ、綺麗である。さすが宮殿でここがタイ国だと言うことを忘れるようであった。家内は膝を痛めており歩くのが大変なのでカートを利用した。
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                              タイ国国花 ゴールデンシャワー
 また庭の芝生の中に、庭木で造られた象がいた。さしずめ日本ではつげの木で鶴・亀などが作られているのと同じであろう。またタイ国の国花であるゴールデンシャワーがまだ一部咲いていた。この花は日本の桜と同じく4月に満開になるとのこと。今時分観られるのはラッキーとの事。他にも色々の花が咲いていた。
 ガイドさんの話ではアユタヤには4大寺院遺跡があり、今回の旅行ではその内3か所を観て回るとのこと。
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            ワットヤイチャイモンコン寺院

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                             パゴダの上から周りを観る
 まず最初の寺院としてワットヤイチャイモンコン寺院を訪れる。入るとすぐに壁しか残っていない建物跡に涅槃像がある。さらに進んでいくとパゴダの周りを取り囲むように黄色の僧衣をまとった仏像群がある場所に出た。ガイドさんが何か説明していたが、写真を撮ったりビデオを撮ったりしていて良く理解できていない。何しろ前もってガイドブック等で予備知識を入れていないので、なおさらである。家内に言わせると、世界遺産になったせいか、10年前に比べ随分と整備されているとのこと。
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 ここのパゴダも途中まで登る事が出来た。登った先に石造の仏像が安置され、金箔がはられていた。現地の熱心な仏教徒の人たちが少しずつ貼っているのだろうか?まだ下地の石が露出している。日本の千手観音の原型になるのか多数の手を持った小さな石仏のレリーフがあった。
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    金泊が張り付けられている         千手観音の原型か
 天から干しで暑かったが、何かしら落ち着ける癒しの場所だと感じた。
 午前中の観光はここで終わり、アユタヤ郷土料理のレストランで昼食。窓からは午後出かける寺院の廃墟が見える。タイはどこでもそうだが、冷房が良く効いており、節電の意識はなさそうであつた。タイ国製のビールを飲みつかの間の涼を楽しむ。料理の味も悪くなかった。
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2013年08月21日

タイ旅行 PART V

 昼食はホテルの食堂でバイキング、とはいってもそれほどの品数は無く、むしろ私が宿泊しているロイヤル・ベンジャ・ホテルの朝食バイキングの方が素晴らしい。その後バンコク市内のお買いもの店2店案内という予定である。
 最初は宝石などのアクセサリーを売っているお店に案内されたが、買いたいものなし。娘さんを連れて来られていた御家族が娘さんのために首飾りを買っただけの様であった。
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     昼食を食べたレストラン        幸福をもたらすガネーシャ象
 その次に案内されたのはタイの民芸品など扱う雑貨のお店であった。何かお土産になるものがあるかと見たが結局興味をそそるものはなかった。ただしここにはガネーシャの金の象が飾ってあった。ガネーシャとはWikipediaによると「太鼓腹の人間の身体に 片方の牙の折れた像の頭をもった神で、4本の腕をもつ。障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、商業の神・学問の神とされる。インドのマハラシュトラ州を中心にデカン高原一帯で多く信仰されている。」 早速幸せをもたらしてくれるようにお願いした。
 ここで本日の夕食までの予定は全て終わったが、夕食時間までまだ2時間ほどあり、明日行く予定のお店まで案内される事になる。
 そこは日本の会社がタイに進出し、100%天然ゴムを使用したラテックスを素材にした枕と蒲団のマットを売っている店だった。この枕を使えば寝返りが楽になったり、いびき防止になると言われた。私はたまたま6月末に整形外科で計測してもらった枕を作ったばかりなので買わなかった。他の家族は御主人用に買っていた。蒲団のマットも実際に横になってみたが、中々気持ちの良いものであったがやはり買う気にはなれなかった。
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                     スーパー内部
 それでも時間が余り、夕食の会場近くにあるイギリス資本の「TESCO LOTUS」というスーパーマーケットに立ち寄ってもらう。とても大きなスーパーで、カレー粉、胡椒粉、バナナチップス等を買う。家内はザクロの絵が描いてある500ccのペットボトルをジュースと思い買う。私は夜ホテルで飲むためにハイネケンの缶ビールを4本買うことにしてレジに行く。ところが缶ビールだけはレジの娘が脇にはねる。不思議に思って思わず日本語で喋ったのだがレジの娘が腕時計をトントンと示す。何の事か分からず缶ビールを取られたまま清算し、集合場所に行く。ガイドさんに聞いたら17時以降でないと酒類の販売をしないのだと言う。レジの時は16:53で7分ほど前であった。再度行こうと思ったがレジは込み合い他の方たちに迷惑になると思いやめた。家内は先程のペットボトルをガイドさんに見せたところ。ジュースではなく食用オイルだとのこと。日本に持って帰るわけにもいかず、ガイドさんにプレゼンとする。
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           スーパー内の日本食レストラン
このスーパーには日本食のレストランがあり、結構にぎわっていた。
いよいよ今日の夕食だが、タイの古典舞踊ショーを見ながらタイ料理を食べる。日本人観光客の多いレストランだったので、トムヤンクも日本人に合うように味付けされていた。
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                      古典舞踊ショー
 その後オプショナルツアーとして隣に併設されているMANBO劇場で「おかまショー(ニューハーフショー)」を観る。これが驚くほど綺麗な女性(本当は男性)でびっくり。また実際にマイクを持って歌っている人もいたが、日本の演歌を歌った、「おかま」は口パクがすごく上手で本当に歌っているように聞こえた。席も3列目で良い席であった。
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                 「おかま」ショー
 その後ホテルに帰り近くのセブンイレブンで缶ビールを買い、ホテルに隣接されているタイ式マッサージ屋に行き2時間してもらう。終わった時は日本時間午前1時半を廻っていた。風呂に入り寝るとかなりの時間となる。一日がとても長くくたびれた。
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2013年08月20日

タイ旅行 PARTU

 2日目、まだ体内時計は日本時間でいつものように6時(現地時間4時)に目覚める。まだ真っ暗。昨夜はホテルのクーラが効きすぎるので消すと暑く寝苦しかった。ホテルは31階建ての高層ビルで、私が泊まった部屋は27階、窓からの景色は悪くは無かった。
 昨日ガイドの人から、タイではチップが幅を利かせており、どのような時にチップが必要か、また金額の目安なども説明を受けた。
 チェックインした時、荷物を部屋まで運んでくれたボーイさんに20バーツ(日本円でおよそ66円)、タイ式マッサージをしてくれた女性に100バーツ、ホテルのベットメイキングに20バーツ、公衆トイレでは5〜10バーツを払う必要があると教えられていたので、出かけに枕の下に二人分40バーツ置いて出る。
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  ホテルの部屋からタイの街を見る      王妃様の肖像と王妃様の旗
 現地時間8:30にホテル出発。最初に「暁の寺 Wat Arun」に向かう。今日は、王妃様の誕生日で「母の日」途中、通りのいたるところに王妃の肖像画と王妃様の名前の入った水色の旗が飾ってある。タイでは国民が王室に対してすごく尊敬の念を持っており、日本人が天皇・皇后両陛下に抱く尊崇の念以上の物があるようだ。
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  渡し船から「暁の寺」を望む
 チャオプラヤ河を渡し船でいく。チャオプラヤ河は日本名「メナム河」なのだが「メナム」とは現地語で「河」を意味し「メナム河」は「河・河」と言う意味なのだそうだ。初めて河の名前を聞いた日本人が現地の人が「メナム」と言うので早とちりしてそのように命名したらしい。船着き場には魚のえさを売っており、ナマズが群れをなしていた。
 この寺のパゴダはすごくエレガントでタイ国にやってきたと言う感じを持たせてくれるに十分であった。一部のパゴダは途中まで登る事を許されていた。
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  「暁の寺」のパゴダの上から王宮を望む
 その後、戻って対岸の涅槃物の安置してある「Wat Pho」にいく。良く整備されており綺麗である。その後また移動し「エメラルド仏寺院」と「王宮」に行く。
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                 エメラルド寺院内の彫刻
 エメラルド仏寺院には本堂に安置されているエメラルド仏はタイ国の本尊仏として最もあがめられているとか。膝幅48センチ、高さ66センチの翡翠で造られている。夏と雨期と冬では黄金で造られた僧衣が異なり、その季節に王様により着せかえられるとのこと。今は雨期なので片肌脱いだ僧衣であった。写真は中では撮れず、外から望遠でとる。寺院の建物も荘厳で装飾も素晴らしかった。
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 雨期の僧衣をまとうエメラルド仏      奥にアンコールワットの模型が見える
 ここにカンボジアのアンコールワットの模型が置いて有りびっくりする。タイの人達はアンコールワットはタイ国の物だと主張しているようだ。これは過去にこの地域で何度も戦乱があり、現在のミャンマー、カンボジア、ラオス・ベトナムとも戦をし、勝ったり負けたりした歴史があるようだ。
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     王宮前広場                    王宮の護衛兵と一緒に  
 王宮はこれも素晴らしく立派であった。王妃様の誕生日「母の日」と言う事で、観光客ばかりでなくタイ国民も多くが訪れているためごった返していた。
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2013年08月19日

タイ旅行 PARTT

 お盆休みを利用して11日から15日までタイに家内とツアー旅行に出かけた。もっとも家内は10年ほど前に行ったことがあるが、私が初めてなので同行してくれた。阪急交通社が募集した「天使の都バンコック・アユタヤ5日間」と言う福岡空港発のツアーである。
 ツアーを申し込んですっかり安心していたのだが、出発一週間前になって、福岡空港までの新幹線の手配をするのをすっかり忘れていた事に気付く。あわてて新幹線の手配をしたが満席で仕方なく自由席で行く事に。当日は丁度お盆で帰省する人が多く、広島発7:22のみずほの自由席はおよそ180%位の込みように思えた。乗降口でぎゅうぎゅうになりながら1時間3分ほど立ったままていく。この時点でかなり疲れてしまう。
  DSC00043-1.jpg   DSC00110%20%284%29-1.jpg
 福岡空港で旅行会社よりEチケットをもらい手続き開始まで待っていたら、尾道の内科医のT先生とばったり。
聞くとT先生は同じ飛行機でバンコク経由、ミャンマーに行くとのこと。それにしても意外なところで知った人に会うものだ。お互いお忍び姿で無く安心。
 チェックインをしてラウンジで少しゆっくりして搭乗。ところがすぐ空港の係の人が機内まで来て「どなたかラウンジにビデオカメラを忘れていませんか」とアナウンスがある。そういえばラウンジでビデオカメラを出して写したなと思い、手荷物を探ると無い。あわてて申し出たところ係の女性が「ビデオカメラのメーカーはどこですか」、さらに「中に何か写っていますか」と尋ねられる。「新尾道駅を写した」と答え、再生させられる。新尾道駅が写っており、私も写っていたので無事私の手元に帰ってきた。出発する前からこのざまなので先が思いやられる。
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 11:50頃テイクオフ、一路バンコクを目指す。日本との時差は2時間、現地時間15時頃到着。入国手続きをし、荷物を受け取りに行くが、途中のターンテーブルは荷物が山積みのまま動いており、一部床に落ちているのもあった。幸い私たちの所は無事であった。これだからスーツケースがすぐ傷む訳が理解できた。
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 到着ロビーには現地案内人がプラカードを持って待っており、福岡からのツアー客は4家族9人だった。そのせいか運転手含めて11人しか乗れないボンゴ車で廻る事になる。窓からは外が良く見えないし、狭くて体を持て余す。
 外に出るとスコールである。タイは今の時期、雨期なのでほぼ毎日2〜3時間くらいは雨だそうだ。そのせいか最高気温でも33℃度程度で連日35℃以上を記録する広島よりは涼しい感じがした。但し蒸し暑い。
 本日の予定はオプションとしてバイヨークスカイビュッフェで夕食、その後タイ式マッサージに行く事になっていた。宿泊ホテルは普通とワンランク上の2か所に分かれており、2家族ずつ二手に分かれて宿泊することになっていた。同じ普通ホテルに泊まる私達ともう一家族がオプションを頼んだところ、オプションの夕食は明日がシリキット王妃81歳の誕生日で国民の休日になっているため、予定の場所は人が多すぎて、いつ食べれるようになるか判らないとのこと。急遽中華料理屋(街の食堂と言う感じ)で「ふかひれスープの定食」を食べる。これが結構おいしかった。
 その後タイ式マッサージを1時間してもらいホテルにチェックイン。疲れたのでそのままどこにも出かけないで寝る。
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2013年08月18日

映画「終戦のエンペラー」と「風立ちぬ」を観て

 先日久方ぶりに映画を見に出かけた。時間の配分が良くて、2本観てしまった。
ハリウッド映画の「終戦のエンペラー」は大東亜戦争の最終責任が昭和天皇にあるのかどうかを調べる過程を描いた映画で、あくまでアメリカサイドの考えでドラマが進んでいく。天皇陛下がマッカーサーと会談した時の写真は学校の教科書にも載っており、天皇陛下の人間宣言がなされたと書いてあったように思う。その会談で「全ての責任は自分にある」と陛下が述べられた。当時冷戦がすでに始まっておりその様な世界情勢もあったのかマッカーサーは責任追及をやめた様に描かれていた。
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 私は高校時代日本史を学んだが、明治時代に入ったところで時間切れ、全く戦後の話などは学習しなかった。今の高校ではどこまで学んでいるのか分からないが、少なくとも本当の歴史を偏見なくきちんと学ばないと判断を誤る事になる。あの東京裁判の正当性についても国際法上、今では色々言われており、勝者が敗者をいじめた裁判と言う認識もあるようだ。またのちにマッカーサーがアメリカ議会であの戦争は日本が自衛のためにした戦争だったとも証言している。もっと深く検証すべきではないかと思う。
 参議院選挙が終わり憲法改正の問題が取りざたされているが、マスコミは少なくとも言葉の切り貼りで自分たちに都合のよいように報道するのでなく、全てを報道し国民が十分議論できるようにしてもらいたいと最近思う。
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 次に観た「風立ちぬ」は宮崎駿の最新のアニメー映画で初めて実在の人物で、「ゼロ戦」設計者の堀越二郎の半生を描いているが、そのストーリーの根底に文学者堀辰雄の作品をモチーフに、ふたりの人生をごちゃ混ぜにして描かれている。二郎の奥さんになる人の名前も堀辰雄の小説「菜穂子」からとったのではないだろうか。
今までの宮崎作品とはかなり違ったものであるが映像も綺麗で良い映画だった。

 ところで話は変わるが、学生時代、大学病院の病院長で口腔外科の教授に堀越達郎先生がいらっしゃった。すでに他界されているが、学生時代目を掛けていただいた。
永年、同じ堀越姓なので堀越二郎氏と何か関係があるのではと思っていたが、この度の映画をきっかけに大学の事務局に調べてもらった。
色々調べてもらったが結論的には関係なかったようである。
 堀越達郎教授は医師と歯科医師のダブルライセンスをお持ちで、東大分院口腔外科から千葉大学に赴任され定年退職後、新設の私たちの大学に赴任してこられた。
堀越教授が千葉大在任中、たまたま堀越二郎氏が入院され手術をされた。
執刀医は違ったが、東大時代から教授の片腕として活躍され、手術後、二郎氏の担当医で、現在札幌市で開業のS先生が「その時お互いが親戚である様な話は聞かなかった」と、大学の事務局に一報を入れてくださった。
この証言から恐らく関係は無いと結論付けられた。
忙しいのに個人的な問題で大学事務局には迷惑をかけてしまった。
また貴重な情報をいただき、長年の疑問を晴らしていただいた札幌のS先生には感謝である。

2013年08月04日

おしのっている

 先日、今年入社のS君と話していた時のことである。もう少し積極的に先輩従業員に質問等をしてもらいたいと思い、「そんなにおしのっていたらだめだ」と言ったところ、「先生、おしのるということはどういう事ですか」と質問された。えっと思いそんな言葉知らないのと、怪訝になった。私としては悠長に構える、泰然自若としている。おっとりしている等の意味合いで使用したのだが、質問され改めてどう説明したら良いか迷う。的確な意味が説明できなくて辞書を引いてみた。ところがその様な言葉は無いのである。インターネットで検索してもヒットしない。
 はたと困る。これはひょっとしてこのあたりの方言なのだろうか?
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 尾道にも結構方言は多いとおもう。私の母は関東育ちであったが、結婚して尾道に住むようになって、「みてる」という言葉に驚いたとのこと。普通、尾道では物が無くなる時に使う。たとえば砂糖が無くなった時に「砂糖がみてた」と言った使い方をするが、標準語では「みてる」は「満てる」で間逆の意味である。でもそんな事お構いなく今でも私は「みてる」を「無くなる」という意味で使っている。他にも、尾道では「非常に物等がたくさんある様」を「ぼれいぎょうさんある」と言ったりする。
また中学生の頃よく使かった言葉で授業中先生に当てられたりすると「じゃらい、じゃらいのー」といった。なんとなく面白くない等の意味として使った。しかし最近では聞いたことが無い。尾道のごく限られた場所でだけ通用したのか?
NHKの朝ドラ「あまちゃん」で「じぇ・じぇじぇ・じぇじぇじぇ」と言う方言が人気をはくしている。
広島県では「・・・じゃけの」等が知れ渡っている。
 日本中には本当に多くの方言があり、その地方・地方の文化を形成していると思う。
私は茨城県や北海道に住んでいたが、茨城の日立市に住んでいた時、地元の人が「そっちの道はこわい」と言う。何か恐ろしいものでも出てくるのかと思ったが、実はそっちの道を行くと「しんどい、難儀する」と言う意味だと後で知った。
北海道の場合は日本中の人々がやってきて開拓したせいか、一種独特の言葉やアクセントがあるように思った。
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 前置きが長くなったが、どなたか「おしのっている」という言葉について方言なのか、何かの言葉がなまってそうなったのか、漢字交じりで書くとどうなるのか、教えていただければ幸いである。


2013年07月28日

「健康寿命の延伸に寄与する歯科医療」講演会を聴いて

 先日、日本歯科総合研究機構、主任研究員 恒石美登里先生の「健康寿命の延伸に寄与する歯科医療〜最新のEBMをもとにして〜」と題する講演を聴いた。
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 日本は超高齢化社会であり、先日、平均寿命が厚労省より発表され、それによると女性が86.41才で世界1位、男性が79.94歳で5位と3年振りに順位を回復したと報道された。
ところが、平均寿命が延びる中、自立して生活できる健康寿命は伸び悩んでいる。
平均寿命と健康寿命の差は、男性で9.2年、女性で12.8年あると言われている。
最近よく言われるPPK(ピンピンコロリ)は平均寿命と健康寿命の差が少ない場合である。一方、NNK(寝んねんコロリ)は長期の要介護状態で病院や介護施設で寿命を長らえる事になる。この違い、意味することをしっかり考える必要がある。
 そして恒石先生の講演ではエビデンス(科学的根拠)に基づいた数多くのデーターが示され、これらの研究データーから、歯科的アプローチとしての健康寿命の延伸が見えてきた。
簡単に一部を照会すると
@ 機能歯数(咀嚼等に役に立っている歯)および義歯使用が生存期間に与える影響
    10本以上ある人は10本未満の人より生存期間の延長が認められた。
    機能歯数10本未満の人で義歯装着者は未装着者より生存年数長い

A 歯数・義歯使用と認知症発症の関係
   歯がほとんどなく、義歯を使っていない人は20歯以上歯がある人に比べ認知症発症    リスクが1.9倍高い。
   認知症発症にはビタミン等の栄養不足、慢性炎症の関与が指摘され、歯がほとんど   なく、義歯を使わないと生野菜などを避け、ビタミン不足に陥る。歯を失う過程で歯周炎  (慢性炎症)が脳に影響している。また義歯を使わず咀嚼しないことで、脳への刺激が   少なくなる。

B 歯数・義歯使用と転倒との関係
   歯がほとんどなく義歯を使っていない人は、20歯以上ある人に比べ転倒するリスクが    2.5倍高い。

C 歯数と医科医療費
   自分の歯が20本以上ある人に比べ、0〜4本の人は、医科医療費が1.4〜1.6倍であ    る。
   どの地域でも、経年的に実施しても同様な結果が得られた。
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いかに多くの歯を残すようにするかが我々の使命となる。人間にとっての一番の幸せはほとんどの人が「お金」より「健康」と考えている。
このことを裏付ける様なデーターが雑誌「プレジデント」2012年11.12号」に載っていた。シニア世代に(55歳〜74歳)に対し、健康に関して何を後悔するかのアンケート調査をしたところ、「歯科の定期検診をうけておけばよかった」という回答が、男性ではトップ、女性でも4位であったという記事が掲載されている。
 多くの方は定期健診の重要性は頭の中の概念として理解はしているが中々実践できないところに問題があるのかもしれない。定期健診を国民に定着させ、80歳で20本の歯を残している人の割合を増やすことが健康寿命の延伸につながるものとこの講演を聴いて改めて理解した。患者様にもこのことを伝えていきたいと思う。

2013年07月27日

初めて選挙カーに同乗

 現在日本国中、7月4日公示、21日投開票の参議院選挙の真っただ中である。
私たち歯科医師が所属する歯科医師連盟では、現職の「石井みどり」候補を擁立して選挙戦を戦っている。
彼女は広島県歯科医師会の会員でもある。
 彼女は2年前、平成23年の野党時代、我々歯科医師の長年の悲願であった「歯科口腔保健の推進に関する法律」いわゆる口腔保健法を議員立法という形で国会に議案提出し全会一致で成立させた。
この法律は理念法ではあるが、国や県・市町に国民や市民の口の健康を増進させる施策を実行するように求めており、これからは少しでも国民や市民の口の中が良くなり健康になっていくと私は確信している。
 野党時代に法律を全会一致で通した彼女のバイタリティーには頭が下がる。この度2期目に挑戦したいという事で、日本歯科医師連盟が中心になり選挙活動を行っており、我々地元会員としては負けられない選挙である。
 7月5日には地元広島で出陣式があり、尾道地区を預かる責任者として出席した。
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 今日を含めて残り6日となったが、本日は選挙カーが三原・尾道・因島地区を街宣するという事で出かけて行った。
 三原が終わり、13:00に尾道商業高校正門で選挙カーと待ち合わせるが、10分ほど遅れて選挙カーが到着。すぐさま選挙カーに乗り込む。白い手袋と緑色をした鉢巻きを受け取る。生まれて初めての経験である。
 まわる道順は前もって立てておいた。飛び地になる浦崎の一医院を除いて、平成の大合併前の地域にある各診療所を概ね一筆書きの要領で街宣してまわる。
 専務理事のF先生に先導してもらう。西の端にあたる沖側町から出発し、祇園橋から184号線を北上し、最北端の私の診療所でUターン、栗原通りを南下し2号線そして土堂海岸通りを経て長江通りからまた北上、世計り橋・刑務所道を通って久保の尾道市歯科医師会館を経て坊地口、2号線を通り東の端の高須町でUターンし、東尾道駅から新高山市民病院、尾道大橋を経由し向東町・向島町そして南の端の津部田向島ICまで同行。尾道歯科医師会会員の48医療機関中47医療機関をめぐった。概ね2時間10分の所要時間であった。その間窓から手を振り続けた。
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 ただ残念なのは本日が海の記念日で国民の祝日でしかも2〜3連休のため、各医院を廻ったが御留守の先生方が多く、手を振ってくれる先生やご家族が少なかったのが心残りであった。
 私は高々2時間ちょっとしか同乗しなかったが、選挙カーのウグイス嬢3名は朝から晩まで連日で声をあげて大変だろうとおもった。同乗していて彼女たちの声が素晴らしい事、またその都度機転のきく声掛けに、プロとはこんなにもすごいのかと思った。
 会員の診療所近くになるとその医院の名前を挙げ「御支援ありがとうございます」と挨拶される。
ウグイス嬢なくては選挙の街宣は出来ない。ウグイス嬢さまさまである。
 ところで最近1票の格差がどうだとか言って騒がれている。投票率が特に都市部では低い、それにもかかわらず都市部では格差があると言われている。もっと投票率が上がらないと、票の格差の問題は現実離れしている感じがする。
 そういう意味でも是非、皆が投票に行って、投票率を上げれば、選挙の意味も大きな意義を持つのではないでしょうか。どうか皆様投票に行きましょう。

2013年07月15日

真夜中の恐怖

 先週は月・火・金と3日も広島出張があり、途中理事会や学校保健会総会等に出席で体が随分とくたびれてしまい、昨夜はいつもより早めに床に付いた。
 夜中に、と言っても実際は早朝3時55分であったが、時計のカチ・カチという音に混じって何かしらパサッ、カサッとかすかな音に目が覚める。しばらくするとまた同じようにパサッ、カサッと音がする。最近雨が多く湿気ているので家が軋んだりしているのかと思う。それでも不定期に同じような音が聞こえる。なんとなく何かがいる気配さえ感じる。丁度トイレにも行きたくなり、部屋の電気をつけて見たが何もない。トイレから戻りまた電気を消して寝ようとするがやはり音がする、やはり何かいるような気配がする。すこし気味が悪くなり、恐怖心が出てくる。66歳になってもそんな馬鹿なと思われるかもしれないが事実である。先程トイレに行った時は何もなかったし何だろうなと思いながらそのまま横になっていたが、突然枕元近くで音がした。不気味さを感じた。それでも電気はつけないで何だと思った矢先、首の所に何かパッと飛んできて重みと冷たさを感じた。恐怖心が一気に最大となり背筋に寒さが走る。とっさに払いのけ、がばっと起きて電気をつけてみた。それでも良く分からず、あわててメガネをかけてやおら部屋の隅々までよく目を凝らして見たところ、部屋の端に払いのけられて飛ばされたと思える、蛙が四つん這いになっているではないか?
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 頭から尻までおよそ8センチくらいのトノサマガエルである。正体を見たとたん安堵したが、このやろうと思う。急いで蛙の上にタオルをかけ捕まえて玄関から外に逃がす。捕まえた時、蛙が足を伸ばしたが頭の先から足の先までは20センチくらい有った。今から思えば写真を撮っとけばよかったと思ったが、とっさの事でそこまで気がつかない。
 私の診療所と家は1階と2階になっているが開業当時はまわりに多くの田んぼがあり、診療室の中を蛙が飛び跳ね、壁をカニが這っていた事もある。27年以上経ちかなり都市化が進み、まわりの田んぼも減って来て、昔、夜じゅう蛙がゲコ・ゲコ鳴いていたが今はあまり聞こえない。それでも時折、ムカデが出たり、カラス蛇等が家の周りをうろついている。
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 今回の蛙は先週の木曜日・雨の日に自宅に上がる階段の途中にいたのを見たのだが、その蛙がまさか2階まで上がって来てしかも私の寝室に忍び込んでくるとは思いもしなかった。ひょっとしたらあの蛙はメスだったのか?
 私がいい男に見えて夜這に来たのかもしれない。おとぎ話のように蛙の精が女性に化けて来るつもりが化けそこなったのかもしれない。おかげでその後ほとんど寝られず、疲れを取り損ねている。
 それにしても相手が何か判らずだんだんと近づいて来る時、恐怖心がこのように増大していくものかと初めて経験した。まだ電気や街灯が無い大昔には人々が夜の暗闇を恐れ、おののいていたと言われているがさもありなんと思った。

2013年07月07日

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