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大先生(元院長)のブログ

首枕

 私は職業柄患者さんの上顎を治療する時は右肩が下がり、口の中を覗き込むようにうつむいて治療する姿勢になってしまう。そのせいか、長年にわたって首肩の凝りがひどい。とりわけ首筋が痛く左に首を回すと肩から首にかけての筋肉に痛みが走る。そして肩から肩甲骨あたりにも痛みが伝わってくる。
 歯科医になって以来時々整体には通っていたが、ここ2年以上は、月に2〜4回の整体で、凝りをとってもらうようにしている。
 してもらうと一時的には良くなるのだが、1日もすれば元に戻る。それでもひどくならないように維持しているのが現状である。
 以前お医者さんに頸椎の形状が正常な人は後ろに反っているが、私の場合はストレートなので、首の後ろ側の筋が常に引っ張られている状態だと指摘された。しかも他の人より首の長さが長いとのこと。首が長いのは中学生頃からクラス写真を撮ると私だけ特に長く写っていたのでやはりそうかと合点した。このため前に首を曲げた時、物理学でいうモーメントが大きくより不利なのだと言われている。頭は5〜6キロの重さがあるためかなりのモーメントになるのだとおもえる。
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 先日ひょんなことから首枕の存在を知り購入した。この首枕は「16号整形外科」医長で医学博士の山田朱織先生のオリジナルで首肩・首こり、肩痛・肩こり、首の音が鳴る、頭痛・眼痛・めまいの症状がる場合に首に巻くだけで首の悩みが解消と書いてあった。さらに「首の姿勢を正しく整えることで、体のバランスを取り戻し、より健康になるのをお手伝いするのが首枕です」と説明書に書いてあった。重い頭を首枕でサポートするのだが、24時間装着ではなく適度にオン・オフして使うとのこと。
 さっそく使ってみたところ少し楽な感じがする。但し、仕事柄日中は出来ないので、仕事が終わって夜書類を書いたり、パソコンや、読書の時だけ使用している。
 ただ、今は夏なので結構暑くて汗が出たりするため長時間の使用はきつい。すこし涼しくなってもう少し長く着用出来れば良い結果が出るのかもしれない。
 またそのパンフレットの中に夜寝る時の枕の高さが正しければ解決できるとも書いてあった。
 いずれにしてもこの苦しみから少しでも早く逃れられれば良いのだが。多分究極的には単に仕事をリタイヤーすれば解決する問題かもしれない。また結果はいずれ報告してみたいと思う。

2013年06月30日

父の日によせて

 今日は父の日である。先日二男夫婦が来て「16日は用事が有って来れないので」と言って、プレゼントを持って来てくれた。中身は好物の日本酒の詰め合わせセットである。もともとお酒類は好きでなんでもござれであるが、若いころほど一回の量は飲めなくなってきた。しかし歯科医師会の役員をし出してから飲む機会が多くなり、今回も一昨日、昨日と飲んで、今日も昼から広島で会議が有りその後飲むことになる。中々休肝日がとれない。せめて飲むなら美味しいお酒をチョットだけと思う。二男夫婦にはいいプレゼントをもらった。
 沖縄の長男夫婦からは、宅急便で先程バーバリーのネクタイガ届いた。シックで落ち着いた色合いである。早速して出かけようかと思う。
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 それにしても昔から父の日が有ったであろうが、振り返ってみて父親に何かプレゼントをした記憶がほとんどない。就職して初月給をもらった時に父と母に何かを買って送ったと言う記憶が有る。しかし私達の子供たちは独り立ちしてから、毎年誕生日と父の日に色々のものをプレゼントしてくれる。私たちの子育てが良かったのか有難いことである。欲張って長生きし、ずっとプレゼントを貰い続けたいものである。

 ところで先日PET−CTの検査を受けたが、結果は「今回のPET−CTでは、悪性を疑う所見を認めませんでした。肺にのう胞と炎症後変化を散見しますが、心配ありません。副鼻腔炎の所見を認めます。耳鼻科受診をお勧めします。」「判定はBでわずかに異常を認めますが、日常生活に支障は有りません」とあった。
 ヤッター。正直ほっとした。この一週間のもやもやが吹き飛んだ。

 また右上顎洞に貯留嚢胞を認めるとあったがこれは2月の脳のMRI検査をした時にも判っていたがそのまま放置していたので今回は時間を見つけて耳鼻科に行く事にしよう。
 この所飲み会が多くてまだ祝杯はあげていない。祝杯をあげる時は父の日プレゼントで貰ったお酒で乾杯をしよう。

2013年06月16日

初めてのPET−CT検査

 今日初めてPET−CT検査を受けた。広島県歯科医師会国保組合会では毎年簡易人間ドックの受診を勧めてくれる。そのおかげで開業以来27年間休むことなく受診をしてきた。最近はデーターがだんだん境界領域に近づいてきている項目が増え、一部は超えて来たのもある。そういう事もあって今年は思い切ってオプションのPET―CT検査を受けることにして、三原医師会病院に申し込んだ。
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 申し込んだ頃は全く思わなかったことだが、検査が近付くにつれ、もし癌が見つかったらどうしたらいいのと思い始めた。普通のドックなら癌が見つかる確率はほとんどないが、PET−CT検査は癌だけを探す検査である。しかも比較的小さな癌も発見できるため、見つかるかもしれない確率は非常に高い。不安が募る。しかし考えても仕方がないので開き直り、見つかったらすぐ生命保険会社に癌特約の医療費や保険金を請求しようと思った。
 朝8:20に出向き、受付を済ます。その後安静室に案内される。4畳ほどの部屋にリクライニングシート(ビジネスクラスの座席の様な)、TVとロッカーが有り検査のための服に着替える。コンセルジェと思われる女性が来て、終わりまで担当すると自己紹介をされ、改めて体調や食事をしていない事の確認をされた。その後検査室に移動し、看護師による血圧、血糖値の検査、身長・体重検査が行われ、異状なしということで、次は鉛で遮蔽された別の部屋でいよいよ放射性物質18F−FDG (フルオロデオキシグルコース)注射された。癌細胞は活発に糖成分を取り込む性質が有るためブドウ糖に似たこの薬剤が注射された。この時点で体内被曝量約9mSv(ミリシ-ベルト)であるが、およそ2時間で全て体外に排出される。それまでは私の体から常に放射線が放出され近づく人を被曝させる。但し50センチも離れれば問題なしとのこと。その後安静室に戻り、横になって1時間待つ。その間放射性物質が体外に尿として出やすいように、お水を出来るだけ多く飲むようにと言われ500mlのペットボトルの水が用意された。そしてTV・携帯・読書などは禁止でひたすら安静を保つように指示される。私にとってはこの時間帯、通常は横になることもなく働いているので本当にありがたく少しうとうともし、良い休息であった。
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 1時間経過後コンセルジェが呼びに来てトイレに行き排尿する。その後検査する台に上がり横になる。その際、手は万歳した様に上にあげ頭の上で手を組む。体をバンドで固定されて検査が始まる。放射能を検知するセンサー部分が勢いよく回転し頭から足の付け根まで撮影して行った。22〜23分ぐらいで終わった。その後また安静室に戻り30分間横になっていた。この時はテレビOKの様だが私は休息を楽しんだ。
 その間、次の方の検査が開始されているのがドア越しに聞こえてきた。
 30分経過後、コンセルジェがやって来て検査結果は1週間程度経過した頃自宅に送付されるとのこと、また結果について判らない事が有れば電話で質問して頂きたいと言われた。用心のため今日は人が込み合う場所にはいかないように言われる。他人への被爆回避のためである。
 検査が終われば結果はどうであれ、後は野となれ山となれである。
 今回の検査費用がいくらになるのかは分からないがおおよそ10万円前後ではなかろうか?国保組合会を通じて請求が有るようだ

2013年06月06日

眼鏡

 先日診療中にどうしたわけか、突然眼鏡の右のレンズが真二つにひびが入り割れてしまった。恐らく詰め物を削ずったりした時、金属片が飛んできたのかもしれない。
私自身は気が付かなかったのだが、スタッフの衛生士の子が「先生目が変です」と言う。「どうしたのか」というと「眼鏡が」と言う。そこで眼鏡をはずして初めて事の重大さに気が付く。
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 この眼鏡は5年程前に作ったもので、最適な距離で診療しやすいようにしていた。66歳を超えると目の老化も進んで眼球の厚み調整能力が落ちてくる。
そのため用途別の眼鏡が必要になってきていた。
 眼鏡のレンズがさらに割れたりすると危ないので、その眼鏡を取りやめ、とりあえず以前使用していたものを取り出してきて掛けてみた。しかし遠近両用のタイプはチョット掛けて見たりするのは良いが、診療時の様に集中して見るのには不向きである。手元が良く見えるのをかけると、診療後にカルテをコンピューターに打ち込むのに全く役に立たない。40センチヵら50センチぐらいに焦点が合うのが一番よいようである。
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            とりあえず手元にあった眼鏡
 次の日、眼鏡屋に眼鏡を作りに行ったが、私のは乱視が強すぎてそれに合うレンズを持ち合わせていないので取り寄せだと言う。1週間から10日くらいかかるとか。
仕方なくまた別のお店にも行ったが、結論は同じ。取り寄せになるとのこと。
結局一番初めに行った眼鏡屋に戻って注文した。特に診療用の眼鏡はプラスチック製のものではすぐ傷が付いてしまい役に立たなくなる。それでガラス製のレンズを取り寄せてもらう事にした。眼鏡フレームは慣れているし、もったいないので今までのを使用することにした。

 さて新しい眼鏡が出来るまでの間どうしようかと悩んだ末に、遠近両用ではなく10年ほど前に作った、遠視用と近視用と両方のレンズが付いた眼鏡を分解し、近視用だけにして使うのが、一番目に優しいと判り、つなぎにそうすることにした。
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          上が近視用下が遠視用
 白内障だ緑内障だと言われ10数年眼科に通うが徐々に悪くなってきている。そういう中での眼鏡事件、少し落ち込んでいたが、今日あたりは間もなく注文した眼鏡が出来上がってきて、不自由さから解放されると思って楽しみにしている自分を発見した。

2013年06月05日

親友S君の死

 それは突然の悲報であった。会務から帰ってきたら家内が何やら深刻そうに電話で話している。話しながらメモを私に書いてくれた。何と沖縄にいる同級生の親友S君が亡なったと書いてある。一瞬目を疑う。S君とは歯科大学の同級生で私より8歳も若い。家族ぐるみで付き合っていたので家内も真剣に話を聴いていた。
 GWの29日に家族と外食をし、家族は買い物が有ると言って先に帰り、S君は歩いて帰ると言って一人で出て行ったのだが、その晩帰宅せず家族が心配していたところ、翌朝警察から橋から転落して死亡していると連絡があったとのこと。司法解剖をしたが死因ははっきりしなかったとのこと、足を滑らせ誤って落ちたのか、酔いが回って吐きそうになり体を乗り出して落ちたのか、はたまた急な心筋梗塞の様なものが起きて倒れた拍子に落ちたのか、いずれにしても事故死であろうと推測される。奥様はいまだS君の死を受け入れられず、悲しみの淵におられる。何とお慰めをしたらよいのか言葉が見つからない。
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             13年前小樽の奥様の実家で
 まだお子さんが大学生と高校年生で、これからのことが案じられてならない。
 おもえば彼は夕張出身、お父上は当時北海道炭鉱に勤めておられた。しかし大学3年の時、北炭の大ガス爆発事故により会社は倒産、経済的に困窮する中頑張って卒業した。彼とは入学以来、彼のアパートと、私たちが住んでいた家が近かった事もあり1年生の時から夜明けまでよく飲み明かしたり、将来を語ったりした仲である。彼の口癖は「歯医者になったらバラ色」もっともそれは幻想でしかなかったが、それでも当時はそれを信じて勉学や実習に励んだ思い出が有る。
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            映画「ラブレター」のロケ地になった奥様の実家
 卒後、彼は北海道滝川市で開業したが、沖縄の地にあこがれ医院を閉院し沖縄に引っ越した。ここ2〜3年は少し体調がすぐれなかったようで、昨年自院を閉院し勤務医生活を送っていた。1カ月に1回程度のFAXや電話で連絡を取り合っていたが、ここ2カ月くらいとだえていて、気になっていたのだが、家内がたまたま柑橘類を贈った所、奥様からの電話で事の次第を知った。
 それにしても、親友を亡くすことがこんなにも応えるとは思いもよらなかった。両親を亡くした時も応えたが、「そこそこ生きたのだから」、「寿命だから」とか納得する心が何処かにあった。しかしS君の場合、私よりも若いし、学生時代を共に過ごした同志であるが故に、中々受け入れられない。その晩は彼を思いながら午前2時過ぎまで飲んでいた。彼の御霊の安らかんことを願う。向こうの世界に行った時はまた飲もーで。

2013年05月26日

映画「遺体」を観て

 先日映画「遺体」を観た。2011年の東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所を題材としたルポルタージュ「遺体―震災、津波の果てに-」を基に、メディアが伝え切れない被災地の真実を描き出したヒューマン・ドラマである。映画館で予告編を流している時ぜひ観たい、ぜひ観なくてはと思った映画である。
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 3・11東日本大震災当日から10日間の釜石市の死体安置所で起きた事をドキュメンタリー風に仕上げた作品である。未曾有の大震災と津波とにより多数の死者が出たが、その大部分は身元すらわからない。いたるところに散乱する遺体を収容し、廃校となっていた中学校の体育館に安置するが、ほとんどが津波による水死者のせいか、体育館の床はすぐに泥だらけになり、綺麗に並べて安置する事すらままならない状況である。
 主人公の相葉常夫を西田敏行が演じているが、相葉常夫は民生委員で過去に葬儀社に勤めた事があり、死体安置所でのボランティアをかってでる。相葉が死体は死体ではなく「御遺体」だと尊崇の念を持って、一人一人の遺体に優しく話し掛ける姿を見て、膨大な遺体に当初は戸惑ってどうしていいのか茫然自失の状態であった釜石市の職員達も、一人でも多く遺族のもとに 帰してあげたいと奮闘し続ける。
 そういう中で佐藤浩市演ずる医者が死体の検案をし、また柳葉敏郎演ずる歯科医が歯型を確認し、身元確認のために悪戦苦闘をしている状況などが映し出されていく。
 主人公が、安置所内を裸足で歩き、一人ひとりの御遺体にまるで生きている人に話しかけるように接する姿に感動した。
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 この震災の身元確認には全国から多くの歯科医がボランティアで参加した。広島県でも県歯の警察歯科医会の先生や広島大学の先生たちが参加された。
帰って来られた後、その報告を聴く機会があったが、それは筆舌に尽くしがたい大変な状況であった様だ。死体が腐敗するのを防ぐために、安置所には暖房もなく寒かったがそれでもかなり腐敗が進み異臭がすごかった事、床もどろどろであったがそこに膝をついて泥んこになりながら、電気もなく懐中電灯を頼りにして行った事、また津波による水死のため口の中が泥だらけで、それを洗う水もほとんどなく、ティシュペーパーで掻きだし掻きだし確認をして行ったとか、すさまじい様子を生々しく語っておられた。さらに広島に帰ってきても当分の間深い睡眠が十分に取れなかったことなどを話しておられた。
 私は今まで実際に死体の歯型の確認をした事は無いが、事故死などで、ほぼ身元がわかっている方で、過去に私の医院で治療されたことがある方の場合、警察や海上保安庁の担当官が歯型のチャート図や写真を持って来て、カルテやレントゲン写真などと突き合わせ、確認をする作業は何例かある。
 しかしこの度の様な大災害はいつどこで起こるか分からない。
尾道の場合、新幹線のトンネル内での火災事故や、広島空港での旅客機墜落炎上事故等が起こればすぐに出動要請が有るものと思われる。
この映画は是非とも観ていただきたいものと思った。
なお写真は映画「遺体」の公式サイトから引用させていただいた。

2013年05月19日

20年振りの同窓会

 昨日、広島大学工学部応用化学科根来研究室のミニ同窓会が広島駅新幹線口北側の「茶夢」という食堂で有った。
同期の神戸在住のN君と1期先輩で大津在住のTさんが幹事となって、企画して頂いた。あまりにも範囲を広げすぎると大変なので昭和42年から46年に卒業した人たちにだけ声掛けをしたようで、全部で14人が東は群馬・千葉・横浜、西は佐賀から参加してくれた。私は44年卒で私が研究室に入った時、42年卒の先輩が大学院修士課程2年でした。私も修士課程まで根来研で過ごした関係で46年卒の後輩たちを含め全員が判り懐かしかった。同期も6人中4人が参加し当時を色々思い出しながら話に花が咲く。中には42年ぶりに会う後輩もいたりして懐かしかった。
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 色々の話が出たがその中で特に同期のN君と後輩のS君とで長野県の白樺湖から蓼科山に登り、毎日雨に降られながら八ヶ岳連峰を縦走した時の話しでは盛り上がった。
また途中で会社人間を脱落した私と違って、皆は最後まで勤め上げ、それぞれ部長や役員になって成功されていた。ただ会社人間時代は皆さん猛烈社員で大変だった事を話しておらた。今では全員がすでに会社をいったんリタイヤーし、自営をしている人、嘱託で少しまだ会社に行っている人、フルマラソンに挑戦している後輩、植物園でボランティアガイドをしている人など、さまざまで残りの人生を満喫しているようでした。
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 根来教授はすでに他界されていらっしゃいましたが、当時助手をしていらっしゃった佐伯先生は御健在で御年80歳、今でも年に2〜3回はゴルフをされているとか、歯はさすがに悪くなって5本しか残ってないと言われていた。
 私たち夫婦は結婚して今年丁度40周年迎えたが、根来先生に御媒酌をして頂き、佐伯先生にも出席をして頂いた。今年4月の結婚記念日に当時のアルバムを引っ張り出して家内と懐かしんだが、当時の写真に写っている先生の姿と現在を比較しても確かにお歳は召されているが今でもびっくりするぐらいの元気さである。私が歯医者になった事にすごく興味をもたれたが、さして理由は無いと答える。後輩のS君が、私が家内(当時は彼女)のためにボルト・ナットのナットで指輪を作っていたことを思い出し、先輩は器用だから歯医者になったのですかと質問された。
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 大学院2年の時家内と婚約をし、広島市本川町にあった太田鋼管店で1個50円のステンレスのナットを買ってきて、金鋸や、やすりを使い、指にまめを作りながら1週間ほど掛けて指輪を作った。家内に聞くとその指輪は今行方不明。しかし私は今でもその指輪を作る時、半分にしたナットの片割れを持っている。今なら歯のかぶせを作る要領で金を溶かして鋳込んで造るであろうが、残りのナットでまたいつか作っても良いかもしれない。
それにしても25円の婚約指輪でよく家内も納得してくれたものである。
また後輩がよく覚えていたのにも驚いた。
次回、何時同窓会をするかは決まらなかったがまた皆と再会したいものである。

2013年05月12日

今年のGW

 5月3日から6日まで沖縄の長男一家が里帰りをした。長男と一番上の孫娘とは今年の正月に一緒にシンガポール旅行をしたのでそれほど驚かなかったが、二番目の5歳の孫娘、三番目の3歳の孫娘とは昨年8月以来である。かなり成長しており特に3番目がおしゃべりばかりして驚かされる。またお嫁さんのお腹には4番目の孫が入っている。現在妊娠7カ月とのこと、まだ性別は判らない。正式に御対面とは行かなかったが、恐らく母親のお腹の中で我々の会話を聴いていたのではないだろうか?
尾道の二男一家も交えて行動をした。二男の所は2歳の孫娘1人なので、「お姉ちゃん・お姉ちゃんと」言って大はしゃぎのようだ。
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 初日は三原市の「みはらし温泉・夢の宿」に総勢10人で泊まる。お風呂は大きいし、色々の種類が有り、温水プールもあって子供たちは大喜びであった。私は日頃の疲れを癒すのに大いに助かった。
 夕食は沖縄の長男が魚を食べたいとリクエストをしたので「魚三昧」でお刺身や煮魚を頼んで食事をした。長男が言うには沖縄の赤や青い色の魚は身が柔らかすぎて美味しくないのだそうだ。沖縄の孫達は結構沖縄弁を使っている。何年も尾道に住んで居たのにあっという間に感化されるのだと思うと同時に、この時期英会話をやればかなりのものになるのではと思った。
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 次の日孫達は沼隈の「みろくの里」の遊園地に行くと言って出かける。私と家内は丁度町内のお葬式がありパスした。帰ってきて様子を聴くと、とても楽しかったようで、二男の2歳の娘も大はしゃぎだったようだ。夕食は外食にしたが、孫4人がしゃべったり、走り回ったりで大変。日頃、二男の孫一人を相手にしているだけなので、活発な4人を相手にすると疲れる。
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 次の日、子供の日は御調町にイチゴ狩りと世羅高原農場にチュウリップを観に行く。
イチゴ狩りは私も家内も初めてである。40分間食べ放題だと言うがとてもそんなに多く食べれるものではない。しかし2歳の孫が40個ほど食べたのにはびっくり。もう少し粒が大きくて甘い品種だったらもっと良かったのだが。その農園では何棟かのビニールハウスでイチゴ栽培をしており、日替わりでイチゴ狩りをするハウスを変えているようだ。私たちが終わった時には、すでに本日のイチゴ狩りは終了したとの看板が出ていた。次にイチゴが赤くなって収穫できるようになるのに3日くらいかかるのではないだろうか?何組かの家族はその看板を観てUターンして帰っていた。
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 その後チューリップを観に行くがものすごい人出である。駐車場にたどり着くまで長い渋滞でやっと着く。過去に4回ほど来たことがあるがこれほどの渋滞は初めて。
丁度満開で色とりどりのチューリップの花に思わず声が出た。4人の孫は大はしゃぎで、大人の言う事など、まったく聞く耳持たずお構いなしで走り回る。怪我の無い様に、迷子にならないようにとそのお世話でつかれた。
長男夫婦は3人いやこれからは4人の子育てをするのだと思うと、本当によくやっている。
夜は我が家で食べる。孫達はおにぎりを作るお手伝いをしてしっかり参加していた。
本日11時過ぎの飛行機で沖縄に帰る。
まさに「待って嬉しい」・「来て嬉しい」・「帰って嬉しい」で、さらに「財布はお疲れさん」である。それでも爺・婆ぶりが出来た事に感謝である。

2013年05月06日

映画「リンカーン」と「舟を編む」を観て

 この連休「おのみち港祭り」は人が多そうだったのでエイガール8に映画を観に行く。15:30開始の「リンカーン」を観た。リンカーンと言えば南北戦争をし、奴隷解放を成し遂げ、ゲティスバーグでおこなった「人民の人民による人民のための政治」という演説、暗殺された米国の第16代大統領というのが、私の全知識である。
この映画は最初の場面で激しい戦争場面があるが、残りすべては奴隷解放のために合衆国憲法修正第13条を下院で批准させ、奴隷解放を成し遂げる過程のドラマであった。
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 当時、アメリカ憲法の改正には出席議員の3分の2以上の賛成が得られないと改正できない。共和党議員の全員は賛成であるが、民主党は反対という構図の中で3分の2以上の賛成票を獲得するためのロビー活動や、民主党議員の懐柔や切り崩し工作をする様子を克明に描いたスピルバーグ監督の映画である。民主党議員への工作をしている間も戦場では多くの兵士が戦死をしていく。自分の息子まで入隊をしていく、早く戦争を終わらせなければならない、しかも奴隷制も廃止しなければならないと思うリンカーの苦悩そのものを描いた映画で、奴隷制を廃止したという結果だけしか知らなかった私にとってはある意味衝撃劇的な映画でもあった。
 ところで私自身は政治に口出しなど出来るものではないし、してはならないと思っているが、この映画と日本の現代とが重なっているように思える。戦後アメリカ主導で制定された日本国憲法は現在の国際情勢などに鑑みると、ところどころほころびが出てきている様に思う。
 最近安倍内閣が憲法第96条を改正したいと言うニュースがよく流れている。
日本国憲法第96条は「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」とある。
リンカーの映画でも同じ3分の2以上という規定がいかに大変であるかを物語っている。奴隷制は悪い、人はみな平等だと思っても、奴隷制で恩恵を受けている議員やそれを支持をする人にとってはとても受け容れ難い事である。別の見方をすれば3分の1の人が3分の2という多くの人の意見を抹殺するという事になるのかもしれない。十分議論が必要な気がする。
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 終わったら18:10だった。18:30から「舟を編む」という映画が開始されると言うので、もう一本観て帰ることにした。この映画は「大渡海」という現代にマッチした辞書を作る話だが、辞書作りがこんなにも大変な事を初めて知る。地味な作業の連続で普通の人間なら到底耐えられないのではと思われた。たとえば「右」という言葉を説明するだけでも大変で他の辞書の語釈を盗用するわけにもいかず苦悩の連続である。結局13年掛かってその辞書「大渡海」が完成する。最近は電子辞書やインターネットですぐ検索できるが、指で辞書のページをめくるという感覚は無い。映画でも描かれていたがその辞書の紙質までにも注意を払い、薄くて丈夫で1枚1枚めくれるしっとり感、まさにそこに辞書としての醍醐味が有る気がした。我が家にも古くなって破れかけた辞書もあるが、この映画を観た以上捨てるに捨てられない気がする。捨てると辞書編集者の魂を葬り去る様な気がした。
以前ブログでも書いたが大伯父東方孝義が「日台新辞書」を独学で十余年をかけて編纂した時の苦労を改めて推察した。

2013年04月30日

東城町千鳥、別尺の山桜

 昨日NHKの地方ニュースで庄原市東城町千鳥の山桜が満開になったと報道されていた。
 昔、1995年4月30日に始めて訪れた時は満開でそれはみごとな景色で感動した。それで次の年は5月5日に行ったがやはり満開であった。しかし翌年の1997年は5月4日に行ったのだが、かなり散っていて1週間遅かったと感じがっかりした。
それから時折ニュースなどで報道されていたが疎遠になっていた。
 今日は暖かく、休診日でもあり、気分的に少し豊らかであったので午後から16年ぶりに出かけてみた。
山陽道尾道インターから入り尾道道を通り世羅町、上下町、帝釈峡、東城に抜けた。ナビをかけたのだが、東城から千鳥までの道が良く分からなくなり庄原市役所東城支所に立ち寄り行く道を教えてもらう。とても親切に対応していただいた。
訪ねる観光客が多いのか地図なども前もってファイルされており一部いただき、有難かった。
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 千鳥までの道路は一部昔の面影は有るものの、道幅が拡張されてずいぶんと良くなっているのに驚く。初めて行った時などは、ほとんど誰もいなくて、のんびりした山裾に勇壮に桜がそびえていて、地元の人たちが田植えの準備に追われていたのを思い出した。
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今日も周りの田んぼは以前と同じたたずまいで、蛙がケロケロ・ガーガー鳴いており、鶯も良い声で鳴いていた。そういえば私にとって、今年初めての鶯の声である。また田んぼの上は早、ツバメが飛び交っていた。そして農家の庭先には鯉のぼりが有り、季節が確実に変わりつつあると感じた。着いたのは4時を回っていたが結構来ている人が多く、カメラを構えている。聞くと夜まで待ってライトアップされた桜を撮影するとのこと。
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昔に比べ木の周りは立ち入り禁止で柵がしてあり近寄れない。以前はそばまで行って木の胴周りを手をつないで計ることも出来た。また樹齢400年を超える木で、昔に比べ枯れた枝などを切り落としているせいか少し全体の形が小さくなっている気がした。
そして一番驚いたのは、そばにお店屋さんまで出来ていて焼きたてのアップルパイや飲み物なども売っており、簡易トイレも据え付けてあった。結構観光地化していたのに驚いた。
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しかし車の駐車料金は取られなくてすごく良心的だと思った。
帰りは道の駅「遊YOUサロン東城」で名物の「竹屋饅頭」と「乳団子」をお土産に買った。

2013年04月25日

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