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大先生(元院長)のブログ

「健康寿命の延伸に寄与する歯科医療」講演会を聴いて

 先日、日本歯科総合研究機構、主任研究員 恒石美登里先生の「健康寿命の延伸に寄与する歯科医療〜最新のEBMをもとにして〜」と題する講演を聴いた。
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 日本は超高齢化社会であり、先日、平均寿命が厚労省より発表され、それによると女性が86.41才で世界1位、男性が79.94歳で5位と3年振りに順位を回復したと報道された。
ところが、平均寿命が延びる中、自立して生活できる健康寿命は伸び悩んでいる。
平均寿命と健康寿命の差は、男性で9.2年、女性で12.8年あると言われている。
最近よく言われるPPK(ピンピンコロリ)は平均寿命と健康寿命の差が少ない場合である。一方、NNK(寝んねんコロリ)は長期の要介護状態で病院や介護施設で寿命を長らえる事になる。この違い、意味することをしっかり考える必要がある。
 そして恒石先生の講演ではエビデンス(科学的根拠)に基づいた数多くのデーターが示され、これらの研究データーから、歯科的アプローチとしての健康寿命の延伸が見えてきた。
簡単に一部を照会すると
@ 機能歯数(咀嚼等に役に立っている歯)および義歯使用が生存期間に与える影響
    10本以上ある人は10本未満の人より生存期間の延長が認められた。
    機能歯数10本未満の人で義歯装着者は未装着者より生存年数長い

A 歯数・義歯使用と認知症発症の関係
   歯がほとんどなく、義歯を使っていない人は20歯以上歯がある人に比べ認知症発症    リスクが1.9倍高い。
   認知症発症にはビタミン等の栄養不足、慢性炎症の関与が指摘され、歯がほとんど   なく、義歯を使わないと生野菜などを避け、ビタミン不足に陥る。歯を失う過程で歯周炎  (慢性炎症)が脳に影響している。また義歯を使わず咀嚼しないことで、脳への刺激が   少なくなる。

B 歯数・義歯使用と転倒との関係
   歯がほとんどなく義歯を使っていない人は、20歯以上ある人に比べ転倒するリスクが    2.5倍高い。

C 歯数と医科医療費
   自分の歯が20本以上ある人に比べ、0〜4本の人は、医科医療費が1.4〜1.6倍であ    る。
   どの地域でも、経年的に実施しても同様な結果が得られた。
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いかに多くの歯を残すようにするかが我々の使命となる。人間にとっての一番の幸せはほとんどの人が「お金」より「健康」と考えている。
このことを裏付ける様なデーターが雑誌「プレジデント」2012年11.12号」に載っていた。シニア世代に(55歳〜74歳)に対し、健康に関して何を後悔するかのアンケート調査をしたところ、「歯科の定期検診をうけておけばよかった」という回答が、男性ではトップ、女性でも4位であったという記事が掲載されている。
 多くの方は定期健診の重要性は頭の中の概念として理解はしているが中々実践できないところに問題があるのかもしれない。定期健診を国民に定着させ、80歳で20本の歯を残している人の割合を増やすことが健康寿命の延伸につながるものとこの講演を聴いて改めて理解した。患者様にもこのことを伝えていきたいと思う。

2013年07月27日

初めて選挙カーに同乗

 現在日本国中、7月4日公示、21日投開票の参議院選挙の真っただ中である。
私たち歯科医師が所属する歯科医師連盟では、現職の「石井みどり」候補を擁立して選挙戦を戦っている。
彼女は広島県歯科医師会の会員でもある。
 彼女は2年前、平成23年の野党時代、我々歯科医師の長年の悲願であった「歯科口腔保健の推進に関する法律」いわゆる口腔保健法を議員立法という形で国会に議案提出し全会一致で成立させた。
この法律は理念法ではあるが、国や県・市町に国民や市民の口の健康を増進させる施策を実行するように求めており、これからは少しでも国民や市民の口の中が良くなり健康になっていくと私は確信している。
 野党時代に法律を全会一致で通した彼女のバイタリティーには頭が下がる。この度2期目に挑戦したいという事で、日本歯科医師連盟が中心になり選挙活動を行っており、我々地元会員としては負けられない選挙である。
 7月5日には地元広島で出陣式があり、尾道地区を預かる責任者として出席した。
 IMG_0142-1.jpg   IMG_0145-1.jpg  
 今日を含めて残り6日となったが、本日は選挙カーが三原・尾道・因島地区を街宣するという事で出かけて行った。
 三原が終わり、13:00に尾道商業高校正門で選挙カーと待ち合わせるが、10分ほど遅れて選挙カーが到着。すぐさま選挙カーに乗り込む。白い手袋と緑色をした鉢巻きを受け取る。生まれて初めての経験である。
 まわる道順は前もって立てておいた。飛び地になる浦崎の一医院を除いて、平成の大合併前の地域にある各診療所を概ね一筆書きの要領で街宣してまわる。
 専務理事のF先生に先導してもらう。西の端にあたる沖側町から出発し、祇園橋から184号線を北上し、最北端の私の診療所でUターン、栗原通りを南下し2号線そして土堂海岸通りを経て長江通りからまた北上、世計り橋・刑務所道を通って久保の尾道市歯科医師会館を経て坊地口、2号線を通り東の端の高須町でUターンし、東尾道駅から新高山市民病院、尾道大橋を経由し向東町・向島町そして南の端の津部田向島ICまで同行。尾道歯科医師会会員の48医療機関中47医療機関をめぐった。概ね2時間10分の所要時間であった。その間窓から手を振り続けた。
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 ただ残念なのは本日が海の記念日で国民の祝日でしかも2〜3連休のため、各医院を廻ったが御留守の先生方が多く、手を振ってくれる先生やご家族が少なかったのが心残りであった。
 私は高々2時間ちょっとしか同乗しなかったが、選挙カーのウグイス嬢3名は朝から晩まで連日で声をあげて大変だろうとおもった。同乗していて彼女たちの声が素晴らしい事、またその都度機転のきく声掛けに、プロとはこんなにもすごいのかと思った。
 会員の診療所近くになるとその医院の名前を挙げ「御支援ありがとうございます」と挨拶される。
ウグイス嬢なくては選挙の街宣は出来ない。ウグイス嬢さまさまである。
 ところで最近1票の格差がどうだとか言って騒がれている。投票率が特に都市部では低い、それにもかかわらず都市部では格差があると言われている。もっと投票率が上がらないと、票の格差の問題は現実離れしている感じがする。
 そういう意味でも是非、皆が投票に行って、投票率を上げれば、選挙の意味も大きな意義を持つのではないでしょうか。どうか皆様投票に行きましょう。

2013年07月15日

真夜中の恐怖

 先週は月・火・金と3日も広島出張があり、途中理事会や学校保健会総会等に出席で体が随分とくたびれてしまい、昨夜はいつもより早めに床に付いた。
 夜中に、と言っても実際は早朝3時55分であったが、時計のカチ・カチという音に混じって何かしらパサッ、カサッとかすかな音に目が覚める。しばらくするとまた同じようにパサッ、カサッと音がする。最近雨が多く湿気ているので家が軋んだりしているのかと思う。それでも不定期に同じような音が聞こえる。なんとなく何かがいる気配さえ感じる。丁度トイレにも行きたくなり、部屋の電気をつけて見たが何もない。トイレから戻りまた電気を消して寝ようとするがやはり音がする、やはり何かいるような気配がする。すこし気味が悪くなり、恐怖心が出てくる。66歳になってもそんな馬鹿なと思われるかもしれないが事実である。先程トイレに行った時は何もなかったし何だろうなと思いながらそのまま横になっていたが、突然枕元近くで音がした。不気味さを感じた。それでも電気はつけないで何だと思った矢先、首の所に何かパッと飛んできて重みと冷たさを感じた。恐怖心が一気に最大となり背筋に寒さが走る。とっさに払いのけ、がばっと起きて電気をつけてみた。それでも良く分からず、あわててメガネをかけてやおら部屋の隅々までよく目を凝らして見たところ、部屋の端に払いのけられて飛ばされたと思える、蛙が四つん這いになっているではないか?
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 頭から尻までおよそ8センチくらいのトノサマガエルである。正体を見たとたん安堵したが、このやろうと思う。急いで蛙の上にタオルをかけ捕まえて玄関から外に逃がす。捕まえた時、蛙が足を伸ばしたが頭の先から足の先までは20センチくらい有った。今から思えば写真を撮っとけばよかったと思ったが、とっさの事でそこまで気がつかない。
 私の診療所と家は1階と2階になっているが開業当時はまわりに多くの田んぼがあり、診療室の中を蛙が飛び跳ね、壁をカニが這っていた事もある。27年以上経ちかなり都市化が進み、まわりの田んぼも減って来て、昔、夜じゅう蛙がゲコ・ゲコ鳴いていたが今はあまり聞こえない。それでも時折、ムカデが出たり、カラス蛇等が家の周りをうろついている。
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 今回の蛙は先週の木曜日・雨の日に自宅に上がる階段の途中にいたのを見たのだが、その蛙がまさか2階まで上がって来てしかも私の寝室に忍び込んでくるとは思いもしなかった。ひょっとしたらあの蛙はメスだったのか?
 私がいい男に見えて夜這に来たのかもしれない。おとぎ話のように蛙の精が女性に化けて来るつもりが化けそこなったのかもしれない。おかげでその後ほとんど寝られず、疲れを取り損ねている。
 それにしても相手が何か判らずだんだんと近づいて来る時、恐怖心がこのように増大していくものかと初めて経験した。まだ電気や街灯が無い大昔には人々が夜の暗闇を恐れ、おののいていたと言われているがさもありなんと思った。

2013年07月07日

首枕

 私は職業柄患者さんの上顎を治療する時は右肩が下がり、口の中を覗き込むようにうつむいて治療する姿勢になってしまう。そのせいか、長年にわたって首肩の凝りがひどい。とりわけ首筋が痛く左に首を回すと肩から首にかけての筋肉に痛みが走る。そして肩から肩甲骨あたりにも痛みが伝わってくる。
 歯科医になって以来時々整体には通っていたが、ここ2年以上は、月に2〜4回の整体で、凝りをとってもらうようにしている。
 してもらうと一時的には良くなるのだが、1日もすれば元に戻る。それでもひどくならないように維持しているのが現状である。
 以前お医者さんに頸椎の形状が正常な人は後ろに反っているが、私の場合はストレートなので、首の後ろ側の筋が常に引っ張られている状態だと指摘された。しかも他の人より首の長さが長いとのこと。首が長いのは中学生頃からクラス写真を撮ると私だけ特に長く写っていたのでやはりそうかと合点した。このため前に首を曲げた時、物理学でいうモーメントが大きくより不利なのだと言われている。頭は5〜6キロの重さがあるためかなりのモーメントになるのだとおもえる。
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 先日ひょんなことから首枕の存在を知り購入した。この首枕は「16号整形外科」医長で医学博士の山田朱織先生のオリジナルで首肩・首こり、肩痛・肩こり、首の音が鳴る、頭痛・眼痛・めまいの症状がる場合に首に巻くだけで首の悩みが解消と書いてあった。さらに「首の姿勢を正しく整えることで、体のバランスを取り戻し、より健康になるのをお手伝いするのが首枕です」と説明書に書いてあった。重い頭を首枕でサポートするのだが、24時間装着ではなく適度にオン・オフして使うとのこと。
 さっそく使ってみたところ少し楽な感じがする。但し、仕事柄日中は出来ないので、仕事が終わって夜書類を書いたり、パソコンや、読書の時だけ使用している。
 ただ、今は夏なので結構暑くて汗が出たりするため長時間の使用はきつい。すこし涼しくなってもう少し長く着用出来れば良い結果が出るのかもしれない。
 またそのパンフレットの中に夜寝る時の枕の高さが正しければ解決できるとも書いてあった。
 いずれにしてもこの苦しみから少しでも早く逃れられれば良いのだが。多分究極的には単に仕事をリタイヤーすれば解決する問題かもしれない。また結果はいずれ報告してみたいと思う。

2013年06月30日

父の日によせて

 今日は父の日である。先日二男夫婦が来て「16日は用事が有って来れないので」と言って、プレゼントを持って来てくれた。中身は好物の日本酒の詰め合わせセットである。もともとお酒類は好きでなんでもござれであるが、若いころほど一回の量は飲めなくなってきた。しかし歯科医師会の役員をし出してから飲む機会が多くなり、今回も一昨日、昨日と飲んで、今日も昼から広島で会議が有りその後飲むことになる。中々休肝日がとれない。せめて飲むなら美味しいお酒をチョットだけと思う。二男夫婦にはいいプレゼントをもらった。
 沖縄の長男夫婦からは、宅急便で先程バーバリーのネクタイガ届いた。シックで落ち着いた色合いである。早速して出かけようかと思う。
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 それにしても昔から父の日が有ったであろうが、振り返ってみて父親に何かプレゼントをした記憶がほとんどない。就職して初月給をもらった時に父と母に何かを買って送ったと言う記憶が有る。しかし私達の子供たちは独り立ちしてから、毎年誕生日と父の日に色々のものをプレゼントしてくれる。私たちの子育てが良かったのか有難いことである。欲張って長生きし、ずっとプレゼントを貰い続けたいものである。

 ところで先日PET−CTの検査を受けたが、結果は「今回のPET−CTでは、悪性を疑う所見を認めませんでした。肺にのう胞と炎症後変化を散見しますが、心配ありません。副鼻腔炎の所見を認めます。耳鼻科受診をお勧めします。」「判定はBでわずかに異常を認めますが、日常生活に支障は有りません」とあった。
 ヤッター。正直ほっとした。この一週間のもやもやが吹き飛んだ。

 また右上顎洞に貯留嚢胞を認めるとあったがこれは2月の脳のMRI検査をした時にも判っていたがそのまま放置していたので今回は時間を見つけて耳鼻科に行く事にしよう。
 この所飲み会が多くてまだ祝杯はあげていない。祝杯をあげる時は父の日プレゼントで貰ったお酒で乾杯をしよう。

2013年06月16日

初めてのPET−CT検査

 今日初めてPET−CT検査を受けた。広島県歯科医師会国保組合会では毎年簡易人間ドックの受診を勧めてくれる。そのおかげで開業以来27年間休むことなく受診をしてきた。最近はデーターがだんだん境界領域に近づいてきている項目が増え、一部は超えて来たのもある。そういう事もあって今年は思い切ってオプションのPET―CT検査を受けることにして、三原医師会病院に申し込んだ。
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 申し込んだ頃は全く思わなかったことだが、検査が近付くにつれ、もし癌が見つかったらどうしたらいいのと思い始めた。普通のドックなら癌が見つかる確率はほとんどないが、PET−CT検査は癌だけを探す検査である。しかも比較的小さな癌も発見できるため、見つかるかもしれない確率は非常に高い。不安が募る。しかし考えても仕方がないので開き直り、見つかったらすぐ生命保険会社に癌特約の医療費や保険金を請求しようと思った。
 朝8:20に出向き、受付を済ます。その後安静室に案内される。4畳ほどの部屋にリクライニングシート(ビジネスクラスの座席の様な)、TVとロッカーが有り検査のための服に着替える。コンセルジェと思われる女性が来て、終わりまで担当すると自己紹介をされ、改めて体調や食事をしていない事の確認をされた。その後検査室に移動し、看護師による血圧、血糖値の検査、身長・体重検査が行われ、異状なしということで、次は鉛で遮蔽された別の部屋でいよいよ放射性物質18F−FDG (フルオロデオキシグルコース)注射された。癌細胞は活発に糖成分を取り込む性質が有るためブドウ糖に似たこの薬剤が注射された。この時点で体内被曝量約9mSv(ミリシ-ベルト)であるが、およそ2時間で全て体外に排出される。それまでは私の体から常に放射線が放出され近づく人を被曝させる。但し50センチも離れれば問題なしとのこと。その後安静室に戻り、横になって1時間待つ。その間放射性物質が体外に尿として出やすいように、お水を出来るだけ多く飲むようにと言われ500mlのペットボトルの水が用意された。そしてTV・携帯・読書などは禁止でひたすら安静を保つように指示される。私にとってはこの時間帯、通常は横になることもなく働いているので本当にありがたく少しうとうともし、良い休息であった。
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 1時間経過後コンセルジェが呼びに来てトイレに行き排尿する。その後検査する台に上がり横になる。その際、手は万歳した様に上にあげ頭の上で手を組む。体をバンドで固定されて検査が始まる。放射能を検知するセンサー部分が勢いよく回転し頭から足の付け根まで撮影して行った。22〜23分ぐらいで終わった。その後また安静室に戻り30分間横になっていた。この時はテレビOKの様だが私は休息を楽しんだ。
 その間、次の方の検査が開始されているのがドア越しに聞こえてきた。
 30分経過後、コンセルジェがやって来て検査結果は1週間程度経過した頃自宅に送付されるとのこと、また結果について判らない事が有れば電話で質問して頂きたいと言われた。用心のため今日は人が込み合う場所にはいかないように言われる。他人への被爆回避のためである。
 検査が終われば結果はどうであれ、後は野となれ山となれである。
 今回の検査費用がいくらになるのかは分からないがおおよそ10万円前後ではなかろうか?国保組合会を通じて請求が有るようだ

2013年06月06日

眼鏡

 先日診療中にどうしたわけか、突然眼鏡の右のレンズが真二つにひびが入り割れてしまった。恐らく詰め物を削ずったりした時、金属片が飛んできたのかもしれない。
私自身は気が付かなかったのだが、スタッフの衛生士の子が「先生目が変です」と言う。「どうしたのか」というと「眼鏡が」と言う。そこで眼鏡をはずして初めて事の重大さに気が付く。
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 この眼鏡は5年程前に作ったもので、最適な距離で診療しやすいようにしていた。66歳を超えると目の老化も進んで眼球の厚み調整能力が落ちてくる。
そのため用途別の眼鏡が必要になってきていた。
 眼鏡のレンズがさらに割れたりすると危ないので、その眼鏡を取りやめ、とりあえず以前使用していたものを取り出してきて掛けてみた。しかし遠近両用のタイプはチョット掛けて見たりするのは良いが、診療時の様に集中して見るのには不向きである。手元が良く見えるのをかけると、診療後にカルテをコンピューターに打ち込むのに全く役に立たない。40センチヵら50センチぐらいに焦点が合うのが一番よいようである。
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            とりあえず手元にあった眼鏡
 次の日、眼鏡屋に眼鏡を作りに行ったが、私のは乱視が強すぎてそれに合うレンズを持ち合わせていないので取り寄せだと言う。1週間から10日くらいかかるとか。
仕方なくまた別のお店にも行ったが、結論は同じ。取り寄せになるとのこと。
結局一番初めに行った眼鏡屋に戻って注文した。特に診療用の眼鏡はプラスチック製のものではすぐ傷が付いてしまい役に立たなくなる。それでガラス製のレンズを取り寄せてもらう事にした。眼鏡フレームは慣れているし、もったいないので今までのを使用することにした。

 さて新しい眼鏡が出来るまでの間どうしようかと悩んだ末に、遠近両用ではなく10年ほど前に作った、遠視用と近視用と両方のレンズが付いた眼鏡を分解し、近視用だけにして使うのが、一番目に優しいと判り、つなぎにそうすることにした。
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          上が近視用下が遠視用
 白内障だ緑内障だと言われ10数年眼科に通うが徐々に悪くなってきている。そういう中での眼鏡事件、少し落ち込んでいたが、今日あたりは間もなく注文した眼鏡が出来上がってきて、不自由さから解放されると思って楽しみにしている自分を発見した。

2013年06月05日

親友S君の死

 それは突然の悲報であった。会務から帰ってきたら家内が何やら深刻そうに電話で話している。話しながらメモを私に書いてくれた。何と沖縄にいる同級生の親友S君が亡なったと書いてある。一瞬目を疑う。S君とは歯科大学の同級生で私より8歳も若い。家族ぐるみで付き合っていたので家内も真剣に話を聴いていた。
 GWの29日に家族と外食をし、家族は買い物が有ると言って先に帰り、S君は歩いて帰ると言って一人で出て行ったのだが、その晩帰宅せず家族が心配していたところ、翌朝警察から橋から転落して死亡していると連絡があったとのこと。司法解剖をしたが死因ははっきりしなかったとのこと、足を滑らせ誤って落ちたのか、酔いが回って吐きそうになり体を乗り出して落ちたのか、はたまた急な心筋梗塞の様なものが起きて倒れた拍子に落ちたのか、いずれにしても事故死であろうと推測される。奥様はいまだS君の死を受け入れられず、悲しみの淵におられる。何とお慰めをしたらよいのか言葉が見つからない。
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             13年前小樽の奥様の実家で
 まだお子さんが大学生と高校年生で、これからのことが案じられてならない。
 おもえば彼は夕張出身、お父上は当時北海道炭鉱に勤めておられた。しかし大学3年の時、北炭の大ガス爆発事故により会社は倒産、経済的に困窮する中頑張って卒業した。彼とは入学以来、彼のアパートと、私たちが住んでいた家が近かった事もあり1年生の時から夜明けまでよく飲み明かしたり、将来を語ったりした仲である。彼の口癖は「歯医者になったらバラ色」もっともそれは幻想でしかなかったが、それでも当時はそれを信じて勉学や実習に励んだ思い出が有る。
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            映画「ラブレター」のロケ地になった奥様の実家
 卒後、彼は北海道滝川市で開業したが、沖縄の地にあこがれ医院を閉院し沖縄に引っ越した。ここ2〜3年は少し体調がすぐれなかったようで、昨年自院を閉院し勤務医生活を送っていた。1カ月に1回程度のFAXや電話で連絡を取り合っていたが、ここ2カ月くらいとだえていて、気になっていたのだが、家内がたまたま柑橘類を贈った所、奥様からの電話で事の次第を知った。
 それにしても、親友を亡くすことがこんなにも応えるとは思いもよらなかった。両親を亡くした時も応えたが、「そこそこ生きたのだから」、「寿命だから」とか納得する心が何処かにあった。しかしS君の場合、私よりも若いし、学生時代を共に過ごした同志であるが故に、中々受け入れられない。その晩は彼を思いながら午前2時過ぎまで飲んでいた。彼の御霊の安らかんことを願う。向こうの世界に行った時はまた飲もーで。

2013年05月26日

映画「遺体」を観て

 先日映画「遺体」を観た。2011年の東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所を題材としたルポルタージュ「遺体―震災、津波の果てに-」を基に、メディアが伝え切れない被災地の真実を描き出したヒューマン・ドラマである。映画館で予告編を流している時ぜひ観たい、ぜひ観なくてはと思った映画である。
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 3・11東日本大震災当日から10日間の釜石市の死体安置所で起きた事をドキュメンタリー風に仕上げた作品である。未曾有の大震災と津波とにより多数の死者が出たが、その大部分は身元すらわからない。いたるところに散乱する遺体を収容し、廃校となっていた中学校の体育館に安置するが、ほとんどが津波による水死者のせいか、体育館の床はすぐに泥だらけになり、綺麗に並べて安置する事すらままならない状況である。
 主人公の相葉常夫を西田敏行が演じているが、相葉常夫は民生委員で過去に葬儀社に勤めた事があり、死体安置所でのボランティアをかってでる。相葉が死体は死体ではなく「御遺体」だと尊崇の念を持って、一人一人の遺体に優しく話し掛ける姿を見て、膨大な遺体に当初は戸惑ってどうしていいのか茫然自失の状態であった釜石市の職員達も、一人でも多く遺族のもとに 帰してあげたいと奮闘し続ける。
 そういう中で佐藤浩市演ずる医者が死体の検案をし、また柳葉敏郎演ずる歯科医が歯型を確認し、身元確認のために悪戦苦闘をしている状況などが映し出されていく。
 主人公が、安置所内を裸足で歩き、一人ひとりの御遺体にまるで生きている人に話しかけるように接する姿に感動した。
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 この震災の身元確認には全国から多くの歯科医がボランティアで参加した。広島県でも県歯の警察歯科医会の先生や広島大学の先生たちが参加された。
帰って来られた後、その報告を聴く機会があったが、それは筆舌に尽くしがたい大変な状況であった様だ。死体が腐敗するのを防ぐために、安置所には暖房もなく寒かったがそれでもかなり腐敗が進み異臭がすごかった事、床もどろどろであったがそこに膝をついて泥んこになりながら、電気もなく懐中電灯を頼りにして行った事、また津波による水死のため口の中が泥だらけで、それを洗う水もほとんどなく、ティシュペーパーで掻きだし掻きだし確認をして行ったとか、すさまじい様子を生々しく語っておられた。さらに広島に帰ってきても当分の間深い睡眠が十分に取れなかったことなどを話しておられた。
 私は今まで実際に死体の歯型の確認をした事は無いが、事故死などで、ほぼ身元がわかっている方で、過去に私の医院で治療されたことがある方の場合、警察や海上保安庁の担当官が歯型のチャート図や写真を持って来て、カルテやレントゲン写真などと突き合わせ、確認をする作業は何例かある。
 しかしこの度の様な大災害はいつどこで起こるか分からない。
尾道の場合、新幹線のトンネル内での火災事故や、広島空港での旅客機墜落炎上事故等が起こればすぐに出動要請が有るものと思われる。
この映画は是非とも観ていただきたいものと思った。
なお写真は映画「遺体」の公式サイトから引用させていただいた。

2013年05月19日

20年振りの同窓会

 昨日、広島大学工学部応用化学科根来研究室のミニ同窓会が広島駅新幹線口北側の「茶夢」という食堂で有った。
同期の神戸在住のN君と1期先輩で大津在住のTさんが幹事となって、企画して頂いた。あまりにも範囲を広げすぎると大変なので昭和42年から46年に卒業した人たちにだけ声掛けをしたようで、全部で14人が東は群馬・千葉・横浜、西は佐賀から参加してくれた。私は44年卒で私が研究室に入った時、42年卒の先輩が大学院修士課程2年でした。私も修士課程まで根来研で過ごした関係で46年卒の後輩たちを含め全員が判り懐かしかった。同期も6人中4人が参加し当時を色々思い出しながら話に花が咲く。中には42年ぶりに会う後輩もいたりして懐かしかった。
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 色々の話が出たがその中で特に同期のN君と後輩のS君とで長野県の白樺湖から蓼科山に登り、毎日雨に降られながら八ヶ岳連峰を縦走した時の話しでは盛り上がった。
また途中で会社人間を脱落した私と違って、皆は最後まで勤め上げ、それぞれ部長や役員になって成功されていた。ただ会社人間時代は皆さん猛烈社員で大変だった事を話しておらた。今では全員がすでに会社をいったんリタイヤーし、自営をしている人、嘱託で少しまだ会社に行っている人、フルマラソンに挑戦している後輩、植物園でボランティアガイドをしている人など、さまざまで残りの人生を満喫しているようでした。
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 根来教授はすでに他界されていらっしゃいましたが、当時助手をしていらっしゃった佐伯先生は御健在で御年80歳、今でも年に2〜3回はゴルフをされているとか、歯はさすがに悪くなって5本しか残ってないと言われていた。
 私たち夫婦は結婚して今年丁度40周年迎えたが、根来先生に御媒酌をして頂き、佐伯先生にも出席をして頂いた。今年4月の結婚記念日に当時のアルバムを引っ張り出して家内と懐かしんだが、当時の写真に写っている先生の姿と現在を比較しても確かにお歳は召されているが今でもびっくりするぐらいの元気さである。私が歯医者になった事にすごく興味をもたれたが、さして理由は無いと答える。後輩のS君が、私が家内(当時は彼女)のためにボルト・ナットのナットで指輪を作っていたことを思い出し、先輩は器用だから歯医者になったのですかと質問された。
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 大学院2年の時家内と婚約をし、広島市本川町にあった太田鋼管店で1個50円のステンレスのナットを買ってきて、金鋸や、やすりを使い、指にまめを作りながら1週間ほど掛けて指輪を作った。家内に聞くとその指輪は今行方不明。しかし私は今でもその指輪を作る時、半分にしたナットの片割れを持っている。今なら歯のかぶせを作る要領で金を溶かして鋳込んで造るであろうが、残りのナットでまたいつか作っても良いかもしれない。
それにしても25円の婚約指輪でよく家内も納得してくれたものである。
また後輩がよく覚えていたのにも驚いた。
次回、何時同窓会をするかは決まらなかったがまた皆と再会したいものである。

2013年05月12日

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