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大先生(元院長)のブログ

あっと驚く第三の歯

 先日、卒業した北海道医療大学の広島県支部同窓会で臨床セミナーが開かれ、京都大学医学部口腔外科教授の別所和久先生の「歯科領域における再生医療」と題した講演を聴いた。
5年ほど前に広大で彼が骨粗鬆症の講演をしたのを聴いた。実は私も彼も大学では1期生の同級生であり、懐かしさを覚えながら聴かせてもらった。
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 顎顔面骨の再建や修復の話から始まり、顎骨の再生、関節軟骨の再生、最後に歯の再生の話を聴いた。まさに最先端の研究成果を聴かせてもらった。
 京都大学なので当然あのノーベル賞をもらった山中教授のiPS細胞を使用して骨や軟骨を造り出す研究の話も出てきた。とりわけ軟骨の再生では、iPS細胞よりも、関節炎などでよく「水が溜まって抜いてもらう」と言われている滑液の中の細胞の方が効率良く軟骨を再生するとのこと。マスコミで騒がれるほど簡単なものでは無く、如何にiPS細胞をコントロールして目的の臓器にするのかが研究の大半を占めているようだった。
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 ところで歯の再生の話の中で興味のある話が聞けた。特に歯というのはエナメル質・象牙質・セメント質・歯髄(俗称神経)と歯を支える歯根膜など多様な組織の塊である。
 これを再生するとなれば大変である。現在特に乳歯や親知らずを抜歯した後その歯髄を取りだし培養し、筋肉の中で歯の形態を造り出す研究などがおこなわれている。
 ところでサメは歯がだめになるとすぐまた次の歯がどんどん生えてくる仕組みになっている。うらやましい限りである。
 ところが人間では乳歯がぬけると永久歯が生えてくるがその永久歯が無くなると2度と生えてこない。彼はここに着目をした。歯が生えるためには歯のもととなる歯堤(歯の芽)が必要である。今まではまず乳歯の歯堤が出来、乳歯が作られていく過程でその下に永久歯の歯堤が準備され、徐々に永久歯に成長して行き乳歯と交換するとされ、生涯2個しか歯堤は造られないと考えられていた。
 ところが、彼の話によると、実はさらにサメのように第3の歯堤が存在しているというのである。しかも生後3カ月くらいまではその歯堤が顎骨の中に残っている。しかしその後、生体から出てくる物質がその歯堤を消失させるため永久歯を失うと二度と生えてこないのだという。
 そこで第3の歯堤を消失させない物質を投与することで歯堤を温存し、将来永久歯が無くなった時に歯を造らせもう一度生えさせることが出来ると考え研究をしているとのこと。これがうまくいけば近い将来、歯を無くした後、入れ歯やインプラント治療など必要でなくなるかもしれない、夢のような話である。うまく研究を成功させてもらいたいものだ。
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 当日は同窓会の箕輪会長(彼も私と同期)も来広されセミナーに参加した。その後の懇親会は1期生3人で楽しく過ごした。

2013年02月25日

「幸福の木」に花が咲く。

 27年前に開業した時、開業祝いに「幸福の木」と名札の掛かった観葉植物をいただいた。初めて幸福の木という名前を知ったのである。しかしその時頂いた木は何年か後に枯らしてしまった。枯らしたから幸福ではなくなるなんて縁起を担ぐこともなかった。
 そして10年ほど前に80センチ程度の高さの「幸福の木」を家内が買ってきた。今では幹の太さはそれほどないが、丈だけは私のせいほどになった。夏場は玄関先に置いたりするが、秋から冬場は室内に置いておく。水もそこそこやる程度で大して世話もしていない。
 ところが、先日突然にこの幸福の木の幹と葉っぱの付け根に白いつぼみのようなものをいっぱいつけたものが上下2本伸びてきて、2週間ほどで花が咲いたのである。しかも夕方から咲き始めたようであった。
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 まさかこの木が花を咲かすなんて、聞いた事もなく思いもしなかった。
 白い小さな花が房のように付いている、いい匂いの芳香で部屋中が満たされ幸せな気分になれる。花そのものは5日くらいで少しずつ枯れていった。
 ところで4年前にミャンマーに行った時、この幸福の木がたくさん道端に自生しているのを見た。残念ながら写真には収めていない。その時、日本では結構高いお値段で売買されているのに、ここミャンマーでは誰も見向きもしていない。ここから持って帰れば良いのにと良からぬことを思ったものだ。
 インターネットで調べると木の学名は「ドラセナ・フラグランス」と言うらしい。どうやら「フラグランスとは辞書によれば良い匂いという意味が有る」恐らくこの木の花の匂いが素晴らしく良いため、そこから付いた名前ではないかと想像した。
 それにしてもびっくりである。幸福の木に花が咲くなんて、今年は良いことが起こる前触れなのであろうか?「こいつは春から縁起がいい」是非そうなってほしいものである。

2013年02月21日

映画「希望の国」と「生き抜く」を観て

 この連休、歯科医師会の会務が少し一段落して心に余裕が出来たので、映画を観に行く。10日と11日の2連休で合計4本の映画を観たがその内、10日にはシネマ尾道で 園 子温監督の「希望の国」を観、また11日は奇しくも東日本大震災から丁度1年11カ月の日であったが、福山シネマモードで毎日放送のドキュメンタリー「生き抜く・・・南三陸町人々の1年」を観た。共に東日本大震災に関連した映画であった。どちらの映画も、ともすれば風化しかけている未曾有の災害を改めて心に呼びもどす映画であった。
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 「希望の国」は映画の内容をパンフレットから引用すると『東日本大震災から数年後の日本のとある町を舞台に、小野家と鈴木家は隣り合い、つつましくも幸せに暮らしていた。ある日、大震災が発生、それに続く原発事故が、生活を一変させる。原発から半径20q圏内が警戒区域に指定され、強制的に家を追われる鈴木家と、道路一つを隔てただけで避難区域外となる小野家。そんな中、小野家の息子・洋一の妻・いずみが妊娠、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていく。』
 この映画は過去の話でなく、現在も福島では現実に起きている話、放射能の恐怖、警戒区域の避難解除が進まない人たちの苦悩、そして津波で流された街の実写等が有り、物語はとある町として設定しているが、まさに福島県で起きた原発事故時の様子とその経過を再現したドラマであった。最後に主人公が飼っていた乳牛を射殺し、夫婦で死を選ぶストーリーに国の無策さを感じる。そして息子夫婦が、放射能の汚染の無い地方へと再度避難するが、はたしてそこが安全な希望の土地なのか、あるいはどの様に折り合いをつけるべきか、映画は我々に解答を求めているようであった。なお映画主人公の小野泰彦(夏八木勲)の妻・智恵子は認知症であるがそれを演じた大谷直子の演技が光っていた。
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 翌11日に観た「生き抜く」はドラマではなく、記録そのものであり、実名でスポットをあてられた人々の苦悩と現実を実にありのまま表現していた。800時間の取材テープをもとに構成され、地震発生28時間後からカメラは回り出す。行方不明者の捜索をする自衛隊員、救援物資を運ぶヘリコプター、炊き出しをする人々、さらに避難所の様子などを克明に映し出しながら、それぞれの被災者に寄り添うように映像が映し出されていた。
 パンフレットの見出しには「娘を引き揚げるためにいち早く海に出た漁師、最愛の妻を亡くし幼子と再起を誓う夫、役場職員だった夫を探し続ける妻、日に日に絶望の念を深めていく女性、仮設住宅の抽選をめぐり言い争う人たち・・・」とあり。被災者の素顔を映し出しながら、2012年2月までの記録が丁寧に描かれていた。その中で被災者たちが徐々に、現実を受け入れ、少しずつではあるが前に前進を始めた人、いまだそこにとどまり、希望さえも見出せない人もいらっしゃるが、前進を始めた人たちの表情を観るとこちらもほっとした。早く全員が立ち直って笑顔が戻ることを期待したい。
 たまたま、タイミング良く2つの映画を観たが、いまだ解決しない福島第一原発事故、被災地復興の遅さをニュースなどで聞くたびに心が痛む。願わくは全被災者の方々の心の傷が癒え早く笑顔が戻ることを祈るばかりである。

2013年02月12日

東京日帰り出張

 1月最後の日、歯科医師会の会議で東京日比谷公会堂に行った。飛行機で行くか、新幹線で行くか迷ったが、冬のこの時期、飛行機は欠航等が起こりやすいと考え、新幹線で行く。
 新尾道駅を8:00発の「こだま730号」で出かけ、福山乗り換えで8:23の「のぞみ118号」に乗った。東京駅には12:03着であった。福山での乗り換え時間10分を引けば尾道から何と東京まで3時間53分で行けた。驚くほど速い。
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 昔、高校1年生の時初めて東京に行ったが、その時は広島発の急行「宮島」で出かけた。尾道から12時間を超えていた。その後も大学生の夏休みに東京に出かけて、帰る時など、臨時の急行列車を利用したがいずれも12時間以上だった。
また夜行の寝台特急で行ったりしていた時も12時間近く掛かっていたように思う。新幹線が出来て東京〜新大阪間3時間10分だったか15分掛かっていたのに、いつの間にか、こんなに速くなっているのに驚いた。サラリーマンの方達なら尾道・東京日帰り出張なんて当たり前のことかもしれないが、私には「東京日帰り」それだけで本当なのと思って引けてしまう。サラリーマンを辞めて久しい浦島状態の私には随分と新鮮な出来事であった。
 日比谷公会堂は名前こそ聞いたことが有るが行ったことがなく、有る程度、地図を調べておいたので、有楽町まで戻ってそれから歩く。日比谷公園の一角にあったが随分と古い建物であった。
 会議は正味1時間45分。帰りは16:30東京発の「のぞみ49号」。

 出発までかなり時間が有り東京駅まで歩く事にした。天気が良く、風もほとんどなく春を思わせるほどで、コートを着ていると汗ばむようであった。
 お堀端に沿って歩くと帝国劇場が有り、昔、そこのラウンジでコーヒーを飲んだ事を思い出した。さらに歩くと皇居前広場に出た。それで二重橋を観に行く。二重橋など何十年前に観たのか思い出せないほどである。
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 それから取って返しまっすぐ歩くと丸ビルなどが有る大手町に出る。昔、日立製作所にいた頃、本社出張で出かけたビルは無く、新しいビルになっていた。
目の前に昨年リニューアルされた東京駅の赤れんがの建物が見える。本当に綺麗になっていた。駅舎の中の天井や壁も新しくなっており、99年前の駅はこんなにもモダンだったのかと思った。
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 東京に来ても普通は東京駅そのものに降り立つ事は無く、山手線等で目的の場所に行ったりするので、今日は良い経験をさせてもらった。
予定通り新幹線に乗り新尾道駅には20:30に到着。家内に迎えに来てもらって20:40頃には家に帰りついた。ちょうど家を出てから13時間であった。
 この度は前の日まできちんと仕事をし、次の日も普通に仕事をしなければならず、体の事を考え、往復グリーン車を利用したが行きも帰りもA席だったので、雪の伊吹山も富士山も見ることが出来なくて残念、
 さすがにくたびれた。

2013年02月03日

映画「東京家族」を観て

 先日、映画「東京家族」を観に行った。この映画はかって尾道をロケ地として小津安二郎監督が撮った「東京物語」のリメーク版である。今回は広島県の大崎上島が舞台であり、言葉も広島弁がいっぱい出て親近感があった。
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 昔、まだ若い時分に東京物語を観た時はそれほど感じることがなかったが、私も家内も今回は物語の主人公の父・周吉と、母・とみことほぼ同じ年齢になったせいか、映画を見ながら自分たちが主人公になった気持ちで見た。また日頃、私たち夫婦が息子たちの事を話しているのと同じセリフが映画の中で再々出てきて、そのセリフが出るたびに笑いが出てくる。
 この映画では後半、妻を亡くした父・周吉が子供たちと同居する道を選択しないで、結局故郷の瀬戸内海の小島で過ごす道を選択した。社会福祉の観点から自助・共助・公助の考え方があるが、故郷では隣近所の付き合いや絆が強いため共助が強く安心して生活できる場所ではないかと思う。
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 ところで現在は多くの家庭では子供さん達が学校を卒業し都会の方へ就職し、そちらで家庭を持ち故郷には老夫婦だけという、この東京家族のようなケースが多いのかもしれない。
 親思いだった息子や娘たちも、家庭を持てばそこが自分達の居場所になり大事な場所となる。その分、気にはなるが親御さんの方ばかりを向いていくことなど出来なくなり、だんだんと親との間に溝が出来る。
気持ちがかけ離れ、親からしてみるとつれなくなったと思えるのではないだろうか。そのあたりの表現が素晴らしく「そうそう、うちもそう」と共感してしまった。
 主人公・周吉が同郷の友人と飲みながら「この国はどこで間違ったのだろう、もう元には戻れないのだろうか」とつぶやくセリフがあったが、戦後の教育や家制度の崩壊によって親子の関係まで危うくなってきているのではないだろうか。
 映画の主人公の気持ちを思う時、少し悲しくなる思いがした。
 私にも息子二人がいるが、これからさらに年を経て自立がむつかしくなって来た時、息子たちに頼らざるを得ない時期が来るかもしれないが、頼らなくても生きていける準備と心構えをしておく必要があるだろう。
 そして所詮、子供は子供、家内と二人元気で生きている間は、精一杯、生を楽しんでいかなくてはならないと思った。

2013年01月28日

今年は君かもしれない、覚悟はいいか

 先日知り合いの先生のご尊父様がお亡くなりになり、お通夜に出かけた。通夜は浄土真宗西本願寺派によるもので、読経があり、御焼香、続いてご文書拝読の後、お寺さんが故人の思い出と共に講話をなされた。その中に「今年は君かもしれん、覚悟はいいか」との話が出てきたのである。
 この言葉は実はお寺さんがお正月に貰った年賀状に書いてあり、差出人は友人のご住職だという。お寺さんは自分も還暦を迎えたが、一昨年自分より後輩の友人が亡くなった報を聞いている。そういう状況下でこの言葉はかなりずしんと胸に響いたとお寺さん自身がおっしゃられたが、私にはそれ以上に説得力がある言葉に思えた。
 思えば私も間もなくこの3月には66歳を迎える。日本人の男性の平均寿命からすれば残り14~15年である。平均寿命までまだまだあるとたかを食っていたが、やはり「今年は私かもしれない、覚悟はいいか」と自問する年齢なのかと改めて気付かされた。
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 私と言えば歯医者としての仕事や歯科医師会の会務に追われ、自己を省みる暇もなくあくせくあくせく動き回り、イライラを募らせながらの日常である。

 社会奉仕者である石川洋先生の今年のカレンダー、1月の言葉は「今日1日は神様からの贈り物」と書いてある。しかし日常に埋没する私にはその有難さに全く気付かないで、ストレスの海の中でもがき苦しんでいる。
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 そういう自分に「覚悟はいいか」と刃を突き付けられた思いがした。この覚悟という意味を自分なりに考えた時、何時いかなる時に死に直面しようともあたふたすることなく、人生を全うすることが大事であり、常に自然体で過ごしていくことではないだろうか。
 いただいたこの命、この身体を、1日1日大事に思い1日を生き切ることが出来れば自ずと覚悟が出来るのかなとも思った。
 今年は少し自分を見つめながら覚悟が持てるようにもう少しゆったりと考えながら生きていこうと思う。

2013年01月25日

シンガポール旅行 PART 8

 昼食はUSS前広場のレストラン街に行き、マレーシア料理を食べた。中央部にテーブルが並べてあって周りに10店舗以上のお店があるフードコートスタイル。イメージとして屋内の屋台村と言った感じ。A子とE子にメニューは任せる。色々の店から適当に買って来て取り分けながら食べた。
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    動く歩道で観ながら移動              大喜びの孫
 食後はUSSの隣にある世界最大と書いてある水族館に行く。私は大きな水族館だと思ったが、沖縄の孫は「美ら海水族館」も大きいと言っていた。調べると水槽のアクリルガラスの厚みが世界一らしい。2歳の孫は大喜びで水槽に近づいて奇声を発していた。
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                   色鮮やかな熱帯魚
 MRTでホテルまで帰り預けてある荷物を引き取る。E子が空港まで見送ると言ったが、彼女の住まいは空港とは全く正反対。気の毒なので「また近いうちに是非会いたいね」と言ってここで別れた。空港まではジャンボタクシー。道路は片側3車線だが、車の台数が多いのか、かなり込んでいた。シンガポール・チャンギ空港はターミナルが3つあり、私たち広島組は第三ターミナル、マレーシアのA子と沖縄の長男たちは第二ターミナルである。A子が急にラーメンが食べたいといい、第三ターミナル3階の食堂街に日本式のラーメン・チャンピオン・レストランがあり、私は博多豚骨ラーメンを食べる。14.5シンガポール$(1060円)あまり美味しいものではなかった。その後、まず私たちが荷物を預け搭乗手続きをする。その後A子や長男を見送るために第二ターミナルに移動。長男と孫の出発時間には少し余裕があったが、ラウンジでゆっくりしたいと言ってA子と共に早々に出国カウンターに消えていった。孫と別れて少しさびしい感じがした。
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 チャンギ空港内、中国東方航空のビジネスラウンジとマッサージ千エアー
 その後、広島組は第三ターミナルに引き返し、二男達は空港内を観るというので、ラウンジ前で別れた。中国東方航空のビジネスラウンジにはマッサージ千エアーが4台設置されていた。そういえば家内と旅行をするとたいてい毎日マッサージ三昧なのに今回全く旅行中マッサージをしなかった。それでラウンジのマッサージ千エアーに寝転がってマッサージをする。ラウンジでのビールやワインは無料であり、気軽に飲めた。無事定刻に離陸。しかし2歳の孫が泣き出す。深夜出発なので他のビジネスクラスの乗客には申し訳ない気がした。朝5時前から朝食のサービスが始まる。6時に上海着。
往きと同じラウンジで休憩後、8:55上海発で無事広島に到着。また機内で朝食が出たが和食が1食だけ用意されていて家内は和食を取る。久しぶりの和食で美味しかったらしい。孫は上海からの飛行機に乗ったとたん広島まで眠りに落ちる。この度は他の乗客に迷惑はかけなくて済んだ。
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     初めて有効に席を使用        日本上空、下は曇りのようである 
 さてこの度のシンガポール旅行はプライベートでありツアーでないことから食事、見物先への移動、全てを自分たちでするためすごく疲れた。ツアー旅行が如何に便利で安上がりか改めて知った。特に日本円が通常使えないため、シンガポール$への交換に気を使う。ツアーならたいてい添乗員が持ち合わせていてそれなりのレートで交換してくれる。ところがプライベートなので常に持ち合わせの残金に気を使い、交換所を探さなければならなかった。ところでレートは空港が一番安く、USSの交換所が一番高かった。3日の朝、家内と近くのショッピングモールに行くとHSBCの支店がありそこに入ってマネーチェンジを話したところ、銀行員はお金をトランスファーするのかと聞いてきた、ただ交換するだけだと言って交換してもらう。レートは1シンガポール$に対して73円であった。トランスファーならもう少しレートは良かったが、最低日本円で525万円だと言われた。海外で銀行に入り片言英語と筆談で話が出来たのは良い経験だった。
 それにしても体も財布も疲れた旅だった。

2013年01月17日

シンガポール旅行 PART 7

 1月3日、シンガポール最後の日である。マレーシアのA子は21:30、沖縄の長男は23:00、私たちは0:55がそれぞれ飛行機の出発時間である。それまで時間があり、今日は沖縄の孫が行きたいと言っていたマーライオンタワーとタイガー・スカイ・タワーに行くことにする。10:00にチェックアウトし、夕方まで荷物はホテルに預かってもらうことにした。
 ところでこのホテルの客室はカードキーでこれは日本でもかなり普及している。ところが、ホテルのエレベーターに乗るのにこのカードキーがないと動かないのである。外部の人が簡単に客室フロアーに入ってこれないシステムになっており
セキュリティーの高さに驚いた。
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 カード差し込み口のあるエレベーター操作盤    ザ・マーライオンの前で
 さて、今日、S君は仕事、A子とE子が付き合ってくれる。昨日と同じくMRTでセントーサ島に行く。USSのもう一つ先のインビア駅で下車。ザ・マーラオンの頭のてっぺんの展望台から360度の景色を観た。その眺めは素晴らしく、セントーサのリゾートビーチなどが見えて南国に来たという感じがした。その後、マーライオンの口まで降りてそこからからも景色を観たが、昨日行ったUSSが眼下に見えた。
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マーライオン頭頂部展望台              シンガポール港
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シンガポール港                 セントーサ島・リゾートビーチ
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マーライオンの口からUSSを観る       正面ゴンドラ駅、左タイガータワー
 次にタイガー・スカイ・タワーに乗って景色を観た。展望台は回転しながら頂上まで移動する。先程のザ・マーライオンよりはるかに高く上がるのでインドネシアやマレーシアが遠くに見えた。ところでこのタイガー・スカイ・タワーの有る場所は、昔ゴンドラで来た時、降りた場所であった。そこに以前は太平洋戦争時の山下奉文大将とイギリス軍守備隊パーシバル中将との降伏調印式で「イエスかノウか」と山下大将が言った場面を再現した蝋人形館があった。しかし当時の建物は今、「イメージ・オブ・シンガポール」と言う名称になり蝋人形の展示をしているかどうか判らなかった。
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12年前から蛇を見世物に            恐る恐る蛇を首に巻いた孫
 ところでその場所で黄色の大きな蛇を観光客に抱かせて写真を撮らせ、観光客からお金をもらう商売をしていた人がいた。12年前には少年がやっていた記憶があり、彼に尋ねたらその当時からやっているという。小学1年の孫に蛇を抱いてみたらと勧めたところ、最初尻込みしたが、「今年はへび年、お金持ちになれるよ」と言ったらその気になったようだ。
続きはPART 8へ

2013年01月15日

シンガポール旅行 PART 6

 USS入場券はワンデイパスを買う。S君とA子がエクスプレス・パスも合わせて買うと並ばなくて済むという。それで両方のパスを購入。2歳の孫は無料だが9人分を購入すると日本円にして7万円弱かかる。
 最初のテーマ館として「マダガスカル」へ行く。背丈制限があり、小学1年の孫はOKだが2歳の孫はNGで家内が孫のお守をする。ボートに乗って探検だが、少し水がかかったがさほど怖くはない。孫にはちょうど良かったのではないだろうか。それにしてもエクスプレスパスの威力はすごい。本当に並ばなくてもよく、一般入場以外の入場口から入っていく。
出たところで初めて全員の写真を撮るがこれが最初で最後の集合写真となった。
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     マダガスカル入り口                今回旅行の総勢10人 
1月といっても赤道直下に近く気温は33度を超えていた。ただ日本の夏の灼熱感はない。聞くと年中熱いのだが、今は雨季の為だという。熱くなっても毎日一時的に雨が降り気温を下げているのだろう。長男と孫とこの後はぐれる。場内がうるさく携帯で連絡するも連絡付かない。とりあえず先に進む。
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        トランスフォーマーロボット(中に人が入っていて可動する)
 次のテーマ館は「トランスフォーマー」で最近出来たテーマ館らしい。自動車がロボットに変身し、地球外生命体と戦う映画である。何年か前に第一作を映画館で観た。このアトラクションは3D眼鏡をかけて乗り物に乗って見るのだが、乗り物がジェットコースターになっていたりして急発進、急加速、バック走行などがあり、またクラッシュした車などが目の前に飛んでくる様に見えるため手に汗を握って観た。終わるとほっとした。ところで長男と孫娘は閉館間際に観たが、孫は出てくるなり、「怖かったもう少しでちびりそうになった」と行ったのに皆大笑い。
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      古代エジプト館                長身(?)のエジプト人
 その次が古代エジプト館、ここで長男たちに再会。家内はジェットコースターが嫌いだし2歳の孫は乳母車の中で眠っており、ここでも子守をする。ジェットコースターに乗って地下の宮殿を探検するものだが、周りが暗くてジェットコースターが下降したりすると一種の恐怖感に襲われる。終わると体がこちこちになっており、首は軽い鞭打ちになったかと思った。
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       ミニ恐竜を恐る恐る見る孫              回転翼竜に乗って
 その後「ロストワールド」ゾーンに行き、回転しながら上下する乗り物に乗る。また子供でも乗れるジェットコースターに家内も挑戦した。
 次に「ファー・ファー・アウエイ」ゾーンに行きお城の中の劇場で「シュレック」と「ドンキー」の映画を見た。このゾーンだけは2歳の孫が唯一参加できた。ここでS君とA 子は用事が有り一足先に帰る。1日から3日は特別興行らしく夜のパレードはなかった。ニュヨーク通りのステージでダンスショーがあったのを見た。19:00で終了。
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      フィナーレダンス                     タイ料理店で
 E子に連れられてセトーサ島を後にし、地下鉄の駅ハバーフロントで夕食にする。E子の提案でタイ料理にしたが、孫達には辛かったようで、2歳の孫が「辛い」と言った。この言葉は初めて発したとのこと。辛くなさそうなものを選んで再注文。
 シンガポールでは地下鉄の駅にスーパーマーケットが併設しているようでそこでビールを買って帰る。500mlで5.25シンガポール$(368円程度)だった。
続きはPART 7へ

2013年01月14日

シンガポール旅行 PART 5

 1月2日、日本ではまだお正月休みだが、ここシンガポールでは1月1日以外は通常の日である。今日はUSS(ユニバーサル・スタジオ・シンガポール)に行くことになる。私はUSJすら行ってないのにここで行くようになるとは思いもよらなかった。
 S君は午前中会社に出て仕事の指示をし、現地で落ち合うことになる。バスで行くと無料だというのでパスポートを持って出かけた。途中立派な屋敷があり聞くと大統領府だとのこと、銃を構えた警備員が門をガードしていた。
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  大統領府                      セトーサ島行きモノレール  
 バス停まで行きバスに乗ろうとしたら入国申請書の半券もいるとか、何人かが忘れてバスで行くのをあきらめる。今まで何カ国か旅行したが、入国後に半券が必要だったことはない。E子の提案で地下鉄で行き、モノレールでセントーサ島に渡ることにした。昔、院内旅行でセントーサ島に行った時はゴンドラで行った。S君はUSSの入り口で待っていてくれた。
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                 USS入り口前の広場
 昼食はUSS前のレストラン街で、院内旅行で台湾に行った時食べた「鼎秦豊」で食べた。総勢10人なので席がなかなかとれず、空くのを待つこと1時間、これには参った。味は台湾で食べた時の方がおいしかった感じがする。
 ところで日本では食堂に入ると黙っていても水が出てくる。ウーロン茶を頼まないで熱いお茶といえば日本茶が出てくる。帰国してからたまたま「鼎秦豊」で食事をしたときのレシートを見て驚いた。何と水は0.5シンガポール$(およそ35円)、お茶は1シンガポール$である。そして消費税が7%、サービス料金が10%である。全てのお店のレシートが同じである。
日本ではホテルなどを利用した時はサービス料金がかかるが、水やお茶は無料である。またお手拭きのタオルについては1個に付き0.3シンガポール$要求されていた。日本では消費税が来年4月から8%だと言っているが、シンガポールではすでに7%でありサービス料までかかるとなれば実質17%ということになる。はるかに日本の方が安い。
 この日初めて食事の時にビールを注文したが330mlで8.8シンガポール$(616円)でかなり日本よりは高い。
 食事が終わってUSS に入場。入るとそこはもうアメリカハリウッドの世界であった。
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  レストラン鼎秦豊                 ハリウッド通り
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  キャラクターとワンショット    ニューヨーク通りでのショー
大勢の観光客であふれ映画の街に迷い込んだ感じがした。
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2013年01月14日

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