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大先生(元院長)のブログ

我が誕生日

 昨日、3月25日は誕生日であった。昭和22年生まれの私は66歳の齢を重ねた事になる。朝、医院の朝礼時に、従業員からお花とラゴステの靴下を贈られ、思わぬ事でびっくりした。
また沖縄の孫達からもおめでとうの手紙をもらう。さらに別便で沖縄の息子と嫁からはお花を贈られた。そして我が家にホームステイしたニュージーランドのJ子からは前日におめでとうの電話を、またマレーシアのS子とミャンマーのE子からはお祝のメールをもらい、一日中驚くことばかりで、嬉しかった。
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 ところで私が生まれた時のエピソードを、昔、母親から聞いたことが有る。尾道市向島町で生まれたが、当日は、大雪で15pほど雪が積もり、父親が産婆さんを呼びに行くのも大変だったらしい。それに比べ、今年は広島や尾道でも桜が咲き始め、TVニュースによると東京は桜が満開になったと放送していた。かなり温暖化が進んできているのではないだろうか?
 そういえば鎌倉時代の歌人、西行法師の歌に『願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月の頃』というのが有る。如月とは2月を表すが、旧暦で考えれば今はまさに如月である。今年なら西行の願いを叶えられたのではないだろうか。
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 さらに母親の話によると、3月も終わり近くに産まれたので、同級生となる4月生まれの子供に比べ1年も差が有り可哀想だから、10日ほど誕生日をずらして届けようと思ったようだ。ところが、まだ戦後1年7カ月で多くの国民は食べるものが無く、政府からわずかな配給米があてがわれる時代であった。そのため世の中では着物などを持って農家へ買い出しに行き食べ物に換えていた時代でもある。しかし子供が生まれた事を役場に届けると1日に付き5勺(0.5合)のお米が余分に配給される。配給米をもらうために正直に届け出たと笑いながら話していた。私が可哀想という想いよりも、5勺の米に目がくらんだのが事実のようだ。
 もしも届け出が遅らされていたら、次の学年になり、今の生活とは違った人生になっていたかもしれない。正しく届けてもらった事で、同級生の家内と知り合い、結婚し子供が生まれ、かわいい孫にも恵まれ良かったと思っている。今では両親の判断に乾杯である。
人生とはほんのわずかの差で右と左に別れるものだと実感している。

2013年03月26日

県知事表彰

 1月の終わりごろ、「平成24年度歯科医師の歯科医療功労に対する知事表彰について」と言う長ったらしい通知文が広島県健康福祉局から届いた。
 初めさっと目を通した時は自分の事とは思わず、誰か尾道の会員が受賞されるのでそのお知らせを会長の私に連絡してきたものと思った。その後時間をおいて、もう一度文章を読みなおしてびっくり、宛名が「齊田健一様」となっており私宛の文章であった。
そこには「多年にわたる歯科医療活動のご功績をたたえるとともに、今後一層のご活躍を期待して表彰することになりました」と書いてある。
 私にはそのような功績もないし全く身に覚えのない事でびっくりした。歯科医歴29年、ただ歯科医師としてその職責を全うし年月を重ねただけである。私よりもはるかに頑張っておられる先生方が多くいらっしゃるのに申し訳ない気がした。
 広島県歯科医師会の会長推薦という事であるらしい。たまたま尾道市歯科医師会の会長をしている関係でいただいたものであり、尾道市歯科医師会の会員の先生全員を代表して頂いたものと思う。
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 当日(3月18日)は私を含めて4人の先生が受賞された。いずれも現在、郡市地区歯科医師会の会長か、以前会長をされていた先生方であった。県庁北館2階応接室で知事から一人ずついただいた。湯崎広島県知事の祝辞が有り、その後、たまたま私が一番年長という事で謝辞を述べた。
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 表彰式の数日前に県歯事務局から私が祝辞を述べることになっていると聞かされたが、何と述べていいやら判らず県歯の事務局にお願いしひな型を出していただいた。
 この年齢になると謝辞を空で暗誦するなど出来ず、紙に書いて読んだ。それにしてもこのような晴れがましい席に出た事はほとんどなく、あがり症の私はすごく緊張し、終わったあと肩や腰がすごく凝っているのに気がついた。
 これからも歯科医師として広島県民の歯科保健医療の向上発展を目指して微力を尽くし、精進して行かなくてはと思った。
 ところで表彰式での段取りの良さに舌を巻いた。立つ位置、並ぶ順番、式後の知事を囲んでの記念写真の座る位置など全て県の職員が段取りしており、1分の無駄もないようになっていると感心した。おそらく知事が分刻みで行動されているのでそのようになっているものと思う。
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 私の話を聴いた佐伯区の後輩のY先生がお祝のお花を贈ってくれた。また義妹夫婦がお祝の食事会を開いてくれた。有難いことである。
 なお表彰式の写真は県歯事務局より提供して頂いた。

2013年03月20日

同期会 PART 2

 昨夜遅くまで楽しく飲みながら話し込んでいたが、全員6時過ぎには起き出す。
これも年齢のせいかもしれない。一風呂浴びて全員でそろって朝食。「朝からこんなごちそうは食べないよな」と話ながら楽しんで食事。
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                 豪華な朝食
 その後、それぞれの列車の都合に合わせ三々五々、次回の再会を約して帰っていく。私の列車は上田駅13:16発の「あさま526号」少し時間的に余裕がある。
 1時間半ほどで回れると言うので別所温泉観光スポットを訪ね、帰ることにした。
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      北向き観音               愛染桂
 まず「北向き観音」に向かう。この観音様は南向きの善光寺の観音様と対になっており、両方に参拝すると願いが叶うとか。今回は無理なのでいつか善光寺の方に もお参りにいこう。この観音堂の横に大きなかつらの木の大木があり、「愛染桂」と言われている。川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たと言 う説がある。
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           安楽寺本堂を望む             国宝八画三重塔         
 次に行ったのが信州最古の禅寺「安楽寺」で創建は鎌倉時代にさかのぼる。
境内の奥には日本で唯一の八角形をした木造の三重塔が有る。パンフレットによると最近、用材の年輪年代測定により、伐採年は1289年と判明している。長野県では始めて国宝に指定され、中国宋時代の建築様式も見ごたえがあると書かれている。  
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            常楽寺本堂               葉裏の願い文      
 次に訪れたのが常楽寺で先程の安楽寺と同じ慈覚大師の創建と言われている。ここには立派な「御船の松」の木が有り、また訪れた人が木の葉(木の名前が判らない)に願い事を書いていた。
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        石造多宝塔                 地蔵群
 またこの寺の奥には苔むした重文の石造多宝塔があり700年の歴史に耐えてきている。途中お地蔵さんが並んで立っており、これも絵になりそうであった。この常楽寺からは浅間山が晴れていれば見えるとのこと。今日は見れなくて残念。
 別所温泉駅から上田に戻ってきたが、新幹線の出発まで2時間以上ある。あいにく雨が降り出したが、せっかくなので真田一族の上田城を観に行く。徳川の大軍を2度も撃破した城とは一体どんなのか興味深く観たが、普通の平城でここを落とせなかった徳川秀忠は関ヶ原の合戦に間に合わず遅参し、家康にこっぴどく怒られた逸話がある。
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                                  東虎口櫓門 
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            樽茶室                 真田神社
 今は門と2個の櫓が残るだけで中には真田神社があり市民の公園となっている。
昼食はせっかく信州に来たのだからと駅ビルの中のそば屋で食べる。通常、私はあまりそばが好きではないが、今回食べた1杯490円の鴨そばは、つゆが美味しくなかなかのものだった。家内がお土産は「信州みそ」2キロだと言うので、何とか探し当て、従業員へのお土産としてお菓子を買い新幹線に乗る。
 定刻に出発したのだが、途中高崎を過ぎて大宮までの間、風が強く砂塵が舞っており、視界不良、列車の中まで砂埃が入ってくる。最初黄砂で見通しが悪いのかと思ったが東京に近付くに連れひどくなり砂嵐のようであった。列車も10分ほど遅れて東京駅に着く。  
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                      煙霧
 帰ってTVのニュースで都心では視界が2キロメートルくらいしかなく「煙霧」が発生したと報じていた。中国で発生する黄砂はこの何十倍もすごいのではと勝手に想像してしまった。
 楽しい思いで多き同期会であった。幹事をしてくれた、現在茨城大学の教授をしているY君に感謝。

2013年03月14日

同期会 PART 1

 先日、1971年日立研究所入社の同期会が有り、信州上田の別所温泉に出かけた。同期会はほぼ毎年行われているが、5年前に出席して以来である。
 私は歯科医になる前、7年ほど日立製作所に勤務していた。今回は7人しか出席せず少しさびしい気がした。
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     車窓からの富士山                長野新幹線
 天気が良くて途中富士山が良く見えた、また信州だと言うので雪深いと想いきや、ほとんど雪は無く、軽井沢駅の近くの山に少し雪が残っている程度で尾道と変わりなし。心配しただけ損をした感じ。
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   軽井沢駅近くの残雪残る山              上田駅
 ところで最近はJRの駅にも多くの女性駅員が勤務されていてそれほど珍しいものではないが、この上田電鉄別所駅には、はかま姿の駅員が勤務されており驚いた。
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   別所温泉駅                   はかま姿の女性駅員
 なぜ別府温泉かと言うと、同期のY君の実家がそこで玉屋旅館をしているといういきさつがある。しかし肝心要のY君は会議が有ってだめという事で欠席。
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     玉屋旅館玄関              今回の出席者 皆いいおじいさん
 私を除いて出席者は、日立・水戸・東海村・東京と2年 前の東日本大震災を経験した連中で、当時の生々しい様子や、震災後の生活の不便さ、今でも職人不足で家の修理が終わらない事などを話してくれた。温泉につ かり夕食・宴会となる。お酒も入り、入社したころのこと、私が退社してからの同期の連中の生きざまなどを聴いていてそれぞれ頑張ったのだと思った。同期で 他界したのは一人だが、少し上の先輩たちの何人かはすでに他界されており、えーっと驚くことしきり。
 会話で一番盛り上がったのは年金の話である。全員が60歳を過ぎ退職して年金をもらっている状態である。中にはまだ嘱託で週2〜3日勤務しているのもいた。色々の話が出た中で、私は二つの話に興味を持った。
 東京のY君が1カ 月ほどアフリカのタンザニアに出張し、ついこの前帰ってきたばかりだという。タンザニアでは多くの人たちがなにも履かないで裸足で歩いている。しかし裸足 で歩きながら携帯電話やスマホしていると言う。そのアンバランスなギャップに驚いたと話してくれた。多分何千年もの間、裸足で歩く事が当たり前で、靴を履 かない事が恥ずかしいなどとは思わないのであろう。我々ならまず靴を買ってから、携帯電話と思うのだが、文化・発想の違いなのであろう。
 アフリカでは電話回線を施設するよりアンテナだけで済む携帯の方が設備投資に金がかからなくスムーズに普及しているらしい。これからはタンザニアでは履物が売れるようになるのかもしれない。
 また東海村のK君は日立市や東海村の教育委員会が退職者を集め理科クラブを組織し、小学校の理科の実験のお手伝いをしているとのこと。交通費と半日1000円という日当で、ほとんどボランティアだという。あの茨城地区には、ものすごい数の工学博士・理学博士等が退職して家で悠々自適に暮らしている。その人たちを活用し、子供たちが理科に興味を持つようにしているとのこと。
 これからの日本を背負う子供たちが理科好きになれば、「もの造り大国」日本としては万々歳である。日立製作所の城下町だから出来ることかもしれないが、全国の自治体でもこのような事を行えば子どもたちの理系の学力も向上するのではないだろうか。
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     無言館正面              パレットの形をした石のモニュメント
 ところでJR上 田駅から、上田電鉄で別所温泉に行く途中、塩田駅で途中下車し、「戦没画学生慰霊美術館(無言館)」に立ち寄り見学した。この美術館の話は以前、神辺町出 身のソプラノ歌手「村上彩子」氏の歌を聴きに行った時、この美術館の話が出た。彼女が挫折しかけた折、この無言館を訪れ涙して挫折を乗り越えたと聞いていた。展示物は学徒出陣等で戦地に赴き二度と絵筆を持つことなく死んでいった若者達の遺作や遺品・手紙などであり、絵の横には家族のメッセー ジが添えられ、どれを読んでも家族や本人の無念さが伝わってきた。
 それにしても現在の日本のあり様を彼らが観たならば、いかばかりかと思うだろうか?
 続きはPART2へ

2013年03月12日

息子からの誕生日プレゼント

 今月は私も家内も誕生月である。一緒に診療している二男が誕生日プレゼントだと言って、食事に誘ってくれた。私は今までシャツや、模型飛行機、ジグソウパズル、ネクタイと毎年、色々のものをプレゼントしてもらった。家内も色々してもらっているようだ。
 今年は品物ではなく食事をすると言って、しまなみ海道の途中、愛媛県大島にある民宿「千年松」に連れて行ってもらった。何年か前に長男・二男家族を連れていったことが有る。
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  民宿「千年松」                 「千年松」前のプライベートビーチ
 その民宿から見る風景は素晴らしい。ただ今回は春霞が立ちあまり遠くまで見えなかったのが残念である。民宿の前が丁度プライベートビーチになっており、対岸は今治市である。来島海峡を望むことが出来、大きな巨大船が通過していく。夏ならひと泳ぎしたくなるところである。
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  部屋から来島海峡を望む             ヒラメや鯛のお刺身
 正午に食事を予約していたようで、まず食事をした。
地元でとれた魚介類をメインにした料理は新鮮でとても美味しくいただいた。ヒラメは6キロの大物だったとか、タイやタコ、アジ、えび等のお刺身の他にイセエビ丸ごとのお刺身が出てきた。まだ生きており、孫はこわごわ、動くイセエビのひげや目玉を見ていた。私たちのお誕生日祝いだということで、イセエビには金泊が降りかけてあった。
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  イセエビのお刺身                  アワビの踊り焼の素材
 生きたアワビを鉄板で焼くアワビの踊り焼や、いかなごと野菜のてんぷら、メバルの煮つけ、さらにエビ・タイ・卵を焙烙のお皿で蒸し焼きにした水軍焼きも出てきた。他にもお料理が出たが覚えていない。またご飯は鯛飯で、お味噌汁は先程お刺身にしたイセエビの頭が入っていた。最後にデザートが出てき、日本料理のフルコースに大満足でおなかは満腹。
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                             お風呂の入り口も石の門
 ところで民宿に「満天の湯」という大きな風呂が有りそれにも入る。ここ大島は昔から花崗岩が良く産出し、いたるところに石屋さんが有る。お風呂も石の湯船である。露天になっている湯船は塩湯で、風に吹かれながら入っているととても心地よかった。また風呂場に階段があり、上がるとやはり湯船が有りそこからは来島海峡が丸見えで、行きかう船を見ながら入っていられた。普通の日の午後2時過ぎでお風呂には私と息子しかいなくて、のんびり自由に入れてこれも大満足。
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  左が塩湯の露天風呂            二階の風呂からの来島海峡
 息子には少し散在させたようだが本当に良い誕生日プレゼントをいただいた。
 有難いことである。

2013年03月07日

あっと驚く第三の歯

 先日、卒業した北海道医療大学の広島県支部同窓会で臨床セミナーが開かれ、京都大学医学部口腔外科教授の別所和久先生の「歯科領域における再生医療」と題した講演を聴いた。
5年ほど前に広大で彼が骨粗鬆症の講演をしたのを聴いた。実は私も彼も大学では1期生の同級生であり、懐かしさを覚えながら聴かせてもらった。
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 顎顔面骨の再建や修復の話から始まり、顎骨の再生、関節軟骨の再生、最後に歯の再生の話を聴いた。まさに最先端の研究成果を聴かせてもらった。
 京都大学なので当然あのノーベル賞をもらった山中教授のiPS細胞を使用して骨や軟骨を造り出す研究の話も出てきた。とりわけ軟骨の再生では、iPS細胞よりも、関節炎などでよく「水が溜まって抜いてもらう」と言われている滑液の中の細胞の方が効率良く軟骨を再生するとのこと。マスコミで騒がれるほど簡単なものでは無く、如何にiPS細胞をコントロールして目的の臓器にするのかが研究の大半を占めているようだった。
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 ところで歯の再生の話の中で興味のある話が聞けた。特に歯というのはエナメル質・象牙質・セメント質・歯髄(俗称神経)と歯を支える歯根膜など多様な組織の塊である。
 これを再生するとなれば大変である。現在特に乳歯や親知らずを抜歯した後その歯髄を取りだし培養し、筋肉の中で歯の形態を造り出す研究などがおこなわれている。
 ところでサメは歯がだめになるとすぐまた次の歯がどんどん生えてくる仕組みになっている。うらやましい限りである。
 ところが人間では乳歯がぬけると永久歯が生えてくるがその永久歯が無くなると2度と生えてこない。彼はここに着目をした。歯が生えるためには歯のもととなる歯堤(歯の芽)が必要である。今まではまず乳歯の歯堤が出来、乳歯が作られていく過程でその下に永久歯の歯堤が準備され、徐々に永久歯に成長して行き乳歯と交換するとされ、生涯2個しか歯堤は造られないと考えられていた。
 ところが、彼の話によると、実はさらにサメのように第3の歯堤が存在しているというのである。しかも生後3カ月くらいまではその歯堤が顎骨の中に残っている。しかしその後、生体から出てくる物質がその歯堤を消失させるため永久歯を失うと二度と生えてこないのだという。
 そこで第3の歯堤を消失させない物質を投与することで歯堤を温存し、将来永久歯が無くなった時に歯を造らせもう一度生えさせることが出来ると考え研究をしているとのこと。これがうまくいけば近い将来、歯を無くした後、入れ歯やインプラント治療など必要でなくなるかもしれない、夢のような話である。うまく研究を成功させてもらいたいものだ。
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 当日は同窓会の箕輪会長(彼も私と同期)も来広されセミナーに参加した。その後の懇親会は1期生3人で楽しく過ごした。

2013年02月25日

「幸福の木」に花が咲く。

 27年前に開業した時、開業祝いに「幸福の木」と名札の掛かった観葉植物をいただいた。初めて幸福の木という名前を知ったのである。しかしその時頂いた木は何年か後に枯らしてしまった。枯らしたから幸福ではなくなるなんて縁起を担ぐこともなかった。
 そして10年ほど前に80センチ程度の高さの「幸福の木」を家内が買ってきた。今では幹の太さはそれほどないが、丈だけは私のせいほどになった。夏場は玄関先に置いたりするが、秋から冬場は室内に置いておく。水もそこそこやる程度で大して世話もしていない。
 ところが、先日突然にこの幸福の木の幹と葉っぱの付け根に白いつぼみのようなものをいっぱいつけたものが上下2本伸びてきて、2週間ほどで花が咲いたのである。しかも夕方から咲き始めたようであった。
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 まさかこの木が花を咲かすなんて、聞いた事もなく思いもしなかった。
 白い小さな花が房のように付いている、いい匂いの芳香で部屋中が満たされ幸せな気分になれる。花そのものは5日くらいで少しずつ枯れていった。
 ところで4年前にミャンマーに行った時、この幸福の木がたくさん道端に自生しているのを見た。残念ながら写真には収めていない。その時、日本では結構高いお値段で売買されているのに、ここミャンマーでは誰も見向きもしていない。ここから持って帰れば良いのにと良からぬことを思ったものだ。
 インターネットで調べると木の学名は「ドラセナ・フラグランス」と言うらしい。どうやら「フラグランスとは辞書によれば良い匂いという意味が有る」恐らくこの木の花の匂いが素晴らしく良いため、そこから付いた名前ではないかと想像した。
 それにしてもびっくりである。幸福の木に花が咲くなんて、今年は良いことが起こる前触れなのであろうか?「こいつは春から縁起がいい」是非そうなってほしいものである。

2013年02月21日

映画「希望の国」と「生き抜く」を観て

 この連休、歯科医師会の会務が少し一段落して心に余裕が出来たので、映画を観に行く。10日と11日の2連休で合計4本の映画を観たがその内、10日にはシネマ尾道で 園 子温監督の「希望の国」を観、また11日は奇しくも東日本大震災から丁度1年11カ月の日であったが、福山シネマモードで毎日放送のドキュメンタリー「生き抜く・・・南三陸町人々の1年」を観た。共に東日本大震災に関連した映画であった。どちらの映画も、ともすれば風化しかけている未曾有の災害を改めて心に呼びもどす映画であった。
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 「希望の国」は映画の内容をパンフレットから引用すると『東日本大震災から数年後の日本のとある町を舞台に、小野家と鈴木家は隣り合い、つつましくも幸せに暮らしていた。ある日、大震災が発生、それに続く原発事故が、生活を一変させる。原発から半径20q圏内が警戒区域に指定され、強制的に家を追われる鈴木家と、道路一つを隔てただけで避難区域外となる小野家。そんな中、小野家の息子・洋一の妻・いずみが妊娠、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていく。』
 この映画は過去の話でなく、現在も福島では現実に起きている話、放射能の恐怖、警戒区域の避難解除が進まない人たちの苦悩、そして津波で流された街の実写等が有り、物語はとある町として設定しているが、まさに福島県で起きた原発事故時の様子とその経過を再現したドラマであった。最後に主人公が飼っていた乳牛を射殺し、夫婦で死を選ぶストーリーに国の無策さを感じる。そして息子夫婦が、放射能の汚染の無い地方へと再度避難するが、はたしてそこが安全な希望の土地なのか、あるいはどの様に折り合いをつけるべきか、映画は我々に解答を求めているようであった。なお映画主人公の小野泰彦(夏八木勲)の妻・智恵子は認知症であるがそれを演じた大谷直子の演技が光っていた。
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 翌11日に観た「生き抜く」はドラマではなく、記録そのものであり、実名でスポットをあてられた人々の苦悩と現実を実にありのまま表現していた。800時間の取材テープをもとに構成され、地震発生28時間後からカメラは回り出す。行方不明者の捜索をする自衛隊員、救援物資を運ぶヘリコプター、炊き出しをする人々、さらに避難所の様子などを克明に映し出しながら、それぞれの被災者に寄り添うように映像が映し出されていた。
 パンフレットの見出しには「娘を引き揚げるためにいち早く海に出た漁師、最愛の妻を亡くし幼子と再起を誓う夫、役場職員だった夫を探し続ける妻、日に日に絶望の念を深めていく女性、仮設住宅の抽選をめぐり言い争う人たち・・・」とあり。被災者の素顔を映し出しながら、2012年2月までの記録が丁寧に描かれていた。その中で被災者たちが徐々に、現実を受け入れ、少しずつではあるが前に前進を始めた人、いまだそこにとどまり、希望さえも見出せない人もいらっしゃるが、前進を始めた人たちの表情を観るとこちらもほっとした。早く全員が立ち直って笑顔が戻ることを期待したい。
 たまたま、タイミング良く2つの映画を観たが、いまだ解決しない福島第一原発事故、被災地復興の遅さをニュースなどで聞くたびに心が痛む。願わくは全被災者の方々の心の傷が癒え早く笑顔が戻ることを祈るばかりである。

2013年02月12日

東京日帰り出張

 1月最後の日、歯科医師会の会議で東京日比谷公会堂に行った。飛行機で行くか、新幹線で行くか迷ったが、冬のこの時期、飛行機は欠航等が起こりやすいと考え、新幹線で行く。
 新尾道駅を8:00発の「こだま730号」で出かけ、福山乗り換えで8:23の「のぞみ118号」に乗った。東京駅には12:03着であった。福山での乗り換え時間10分を引けば尾道から何と東京まで3時間53分で行けた。驚くほど速い。
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 昔、高校1年生の時初めて東京に行ったが、その時は広島発の急行「宮島」で出かけた。尾道から12時間を超えていた。その後も大学生の夏休みに東京に出かけて、帰る時など、臨時の急行列車を利用したがいずれも12時間以上だった。
また夜行の寝台特急で行ったりしていた時も12時間近く掛かっていたように思う。新幹線が出来て東京〜新大阪間3時間10分だったか15分掛かっていたのに、いつの間にか、こんなに速くなっているのに驚いた。サラリーマンの方達なら尾道・東京日帰り出張なんて当たり前のことかもしれないが、私には「東京日帰り」それだけで本当なのと思って引けてしまう。サラリーマンを辞めて久しい浦島状態の私には随分と新鮮な出来事であった。
 日比谷公会堂は名前こそ聞いたことが有るが行ったことがなく、有る程度、地図を調べておいたので、有楽町まで戻ってそれから歩く。日比谷公園の一角にあったが随分と古い建物であった。
 会議は正味1時間45分。帰りは16:30東京発の「のぞみ49号」。

 出発までかなり時間が有り東京駅まで歩く事にした。天気が良く、風もほとんどなく春を思わせるほどで、コートを着ていると汗ばむようであった。
 お堀端に沿って歩くと帝国劇場が有り、昔、そこのラウンジでコーヒーを飲んだ事を思い出した。さらに歩くと皇居前広場に出た。それで二重橋を観に行く。二重橋など何十年前に観たのか思い出せないほどである。
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 それから取って返しまっすぐ歩くと丸ビルなどが有る大手町に出る。昔、日立製作所にいた頃、本社出張で出かけたビルは無く、新しいビルになっていた。
目の前に昨年リニューアルされた東京駅の赤れんがの建物が見える。本当に綺麗になっていた。駅舎の中の天井や壁も新しくなっており、99年前の駅はこんなにもモダンだったのかと思った。
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 東京に来ても普通は東京駅そのものに降り立つ事は無く、山手線等で目的の場所に行ったりするので、今日は良い経験をさせてもらった。
予定通り新幹線に乗り新尾道駅には20:30に到着。家内に迎えに来てもらって20:40頃には家に帰りついた。ちょうど家を出てから13時間であった。
 この度は前の日まできちんと仕事をし、次の日も普通に仕事をしなければならず、体の事を考え、往復グリーン車を利用したが行きも帰りもA席だったので、雪の伊吹山も富士山も見ることが出来なくて残念、
 さすがにくたびれた。

2013年02月03日

映画「東京家族」を観て

 先日、映画「東京家族」を観に行った。この映画はかって尾道をロケ地として小津安二郎監督が撮った「東京物語」のリメーク版である。今回は広島県の大崎上島が舞台であり、言葉も広島弁がいっぱい出て親近感があった。
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 昔、まだ若い時分に東京物語を観た時はそれほど感じることがなかったが、私も家内も今回は物語の主人公の父・周吉と、母・とみことほぼ同じ年齢になったせいか、映画を見ながら自分たちが主人公になった気持ちで見た。また日頃、私たち夫婦が息子たちの事を話しているのと同じセリフが映画の中で再々出てきて、そのセリフが出るたびに笑いが出てくる。
 この映画では後半、妻を亡くした父・周吉が子供たちと同居する道を選択しないで、結局故郷の瀬戸内海の小島で過ごす道を選択した。社会福祉の観点から自助・共助・公助の考え方があるが、故郷では隣近所の付き合いや絆が強いため共助が強く安心して生活できる場所ではないかと思う。
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 ところで現在は多くの家庭では子供さん達が学校を卒業し都会の方へ就職し、そちらで家庭を持ち故郷には老夫婦だけという、この東京家族のようなケースが多いのかもしれない。
 親思いだった息子や娘たちも、家庭を持てばそこが自分達の居場所になり大事な場所となる。その分、気にはなるが親御さんの方ばかりを向いていくことなど出来なくなり、だんだんと親との間に溝が出来る。
気持ちがかけ離れ、親からしてみるとつれなくなったと思えるのではないだろうか。そのあたりの表現が素晴らしく「そうそう、うちもそう」と共感してしまった。
 主人公・周吉が同郷の友人と飲みながら「この国はどこで間違ったのだろう、もう元には戻れないのだろうか」とつぶやくセリフがあったが、戦後の教育や家制度の崩壊によって親子の関係まで危うくなってきているのではないだろうか。
 映画の主人公の気持ちを思う時、少し悲しくなる思いがした。
 私にも息子二人がいるが、これからさらに年を経て自立がむつかしくなって来た時、息子たちに頼らざるを得ない時期が来るかもしれないが、頼らなくても生きていける準備と心構えをしておく必要があるだろう。
 そして所詮、子供は子供、家内と二人元気で生きている間は、精一杯、生を楽しんでいかなくてはならないと思った。

2013年01月28日

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