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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

シンガポール旅行  PART 1

  この年末・年始の休みを利用してシンガポールに出かけた。目的は観光ではなく、以前私の家にホームステイしたミャンマーのE子・マレーシアのA子・シンガポールのS君たちに会うためである。E子はミャンマーで医師となり現在研究生としてシンガポールにちょうど在住している。マレーシアのA子は国際弁護士資格を取り、現在マレーシア法務省の役人になっている。S君は銀行員だったのを家庭の事情で1カ月ほど前にリタイヤーし、父親が経営する会社に就職し次期社長として歩み出している。この旅行計画を話したところ、息子たちも参加するという。長男は沖縄から小学1年の孫娘を伴い、二男夫婦は我々と一緒に2歳になったばっかりの娘を伴い総勢7人で出かることになった。
 11年ほど前に院内旅行でシンガポールに行った時は広島空港から直行便があり随分楽であったが、今回乗り継ぎ便しかなく長時間かかること、しかも小さい子供を伴うのでビジネスクラスを使った。これだと搭乗手続きも並ばないで良いし、出発空港や乗り継ぎ空港でラウンジが使用でき、また座席もゆったりしている。費用はかかるが、家内が今まで掛けてきた個人年金を解約して充てた。家内はどうせ男の私の方が先に死ぬだろうし、そうすれば家内の掛けた個人年金くらいは相続できると踏んだようだ。
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有頂天の孫娘                            ビジネスクラスのマイクロバス
 私たち夫婦と二男の家族は12月30日、広島9:20に出発し、上海経由で19:45にシンガポールに到着、マレーシアのA子も20時過ぎに到着。また長男たちは沖縄を15:00に出発し、仁川経由で00:25に、シンガポールに到着した。空港にはE子が迎えに来てくれていた。3年ぶりの再会である。長男たちは遅い便なので我々が先にホテルにチェックイン。E子はホテルからかなり離れた所に住んでいるようで、急遽一緒にホテルに泊まるように手続きはしたが、今日は着替えなどを持って来ていないという事で、翌日からA子と一緒の部屋に泊まることにしてもらった。少しホテルで休んだ後、家内とA子が長男たちを迎えに行った。空港にはS君が来てくれていたとのこと。私は疲れてホテルのベットでうとうとしていてこの日、S君や私の長男と孫娘には会わず仕舞いであった。
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日没                            シンガポール・チャンギ空港
大変疲れた。特に2歳の孫娘は上海までは有頂天であったようだが上海からの便では泣きっぱなしで、結局孫娘は自分の席に座ることなく二男夫婦の膝の上で泣いていた。二男夫婦はビジネスクラスを利用されている周りの人に気を使い大変だったのではないだろうか。子供の場合、気圧の関係で耳が痛くなるようだ。
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シンガポール・チャンギ空港               ホテルの窓から
ホテルはYWCA・フォートキャニングロッジといい、オーチャード通りに近く便利の良い所のようである。プールまで付いており部屋もまあまあであった。ただ日本と違い風呂が無く、シャワーだけのため体をゆっくりほぐせないのが難点であった。とにかく長い1日が終わる。

2013年01月07日

映画「レ・ミゼラブル」を観て

 24日のクリスマスイブの日、少し時間が取れたという事で21日からロードショウになった「レ・ミゼラブル、(ああ無情)」を福山大黒座に観に行った。昔、子供の頃に「ああ無情」は本で読んだことがあったが、筋はうら覚えで、「教会で一夜を泊めてもらったが、銀の食器を盗んで逃げる。ところが警察につかまり、司祭の所に連れて行かれる。しかし司祭は全てを承知の上で銀の燭台までもあたえる。その後悔い改めて市長になるが執拗に彼ジャン・バルジャンを追うジャベール警部はある日、馬車が横転しその下敷きになった老人を助ける市長の姿を観て彼が長年探していた囚人のジャン・バルジャンと確信する・・・」というところまでは記憶があったので、映画の前半部分はよくわかった。しかし、いくら思いだそうとしても、その後の物語の展開が思い出せず、この映画で初めてその後の展開と結末はこうだったのかと知った。
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 映画自身はミュージカルでセリフも歌だったが、割合ゆっくりと歌っていたので少し歌詞が聞き取れた。ところで通常のミュージカル映画の撮影は、事前に歌をレコーディングしておき、その歌に合わせて口パク演技をするのだそうだが、この映画では気持ちの高ぶりや、心の揺れ動きが表現できないという事で、全編、ライブで撮影を敢行したとのこと。その分画面の迫力が直に迫ってくる感じがした。
 ところで私が観た16:00からの回は特別なイベントに組み込まれていた。何も知らないで行ったのだが、イブと言う事で前もって予約をし、映画の後、フレンチのコースディナー付き、プレゼント付き、料金10,000円の企画がされていた。私は普通の観客として映画鑑賞をしたのだが、席は少し端の方へはしょられた。しかし映画の上映前、映画の中で歌われる曲、2曲を舞台の上で電子ピアノと、クラリネットで生演奏するイベントに参加できた。
しかし残念ながら映画のどの部分で歌われた曲なのか理解できなかった。
 また映画終了後、映画館近くのお食事処「ふな家」で食事をした。ところが驚いたことに、先程の映画のフレンチディナーがここで行われるとのこと。また和食の店でフレンチにも驚いた。さらにディナー中、歌手が来て、映画の中の曲を2曲、生歌で歌っていた。おかげで私たちもその曲を聴くことが出来、プレゼントこそは無かったが、イベントのほとんどのサービスに無料で参加できて良かった。
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 子供たちも大きくなり出て行ってしまうと、クリスチャンでない私たちにはクリスマスイブは何の関係もないのだが、今年ばかりはお得なクリスマスイブをした気になり嬉しかった。

2012年12月26日

「私とさいだ歯科医院」の十大ニュース

 今年も残り2週間を切った。そろそろ新聞紙上に今年の十大ニュースが発表されるであろう。いち早く今年を振り返ってみる。大きなイベントや、些細なことまで色々の事が思い浮かんでくる中、どれが1位でどれが10位と必ずしもはっきりと順位付けは出来ない。
私の独断と専行でとりあえず羅列してみる
@ 開業25年が過ぎ、古めかしくなっていた診療室を5月のゴールデンウイークに、床と壁と診療台をリニューアルし、7月に天井の塗り替えをして、患者様に快適な空間を提供できるようになり、無事開業26周年を迎えることが出来た。
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A 3月末に長男一家が3人の孫を連れて沖縄に移住した。それまで当たり前に近くにいた孫たちに急に会えなくなったのが寂しいが、フェイスタイムのTV電話で何とか顔を見、お話をして成長を見守っている。
B 私も家内も3月に高齢者の仲間になった。ニュースなどで団塊の世代と呼ばれる走りである。これからは年金・医療の費用を圧迫する側に回ったようで心苦しい。出来るだけ健康管理に気を使い、世の中の厄介者にならない様にしなくてはと思う。
C 8月に父親の7回忌を行い、9月に2年半仏壇においていた母親のお骨(喉仏)を京都西本願寺無事納骨出来た。
D 4月に脳のMRI検査、11月に胃の内視鏡検査を行う。脳のMRI検査では特に緊急を要する所見がなくほっとしている。11月には胃の内視鏡検査では2年前にポリープ切除を行ってもらった時に2年したら検査に来て下さいとお誘いを受けていた。6個ほど新たにポリープができていた。切除し病理検査もしてもらったが異状なしである。大腸検査は3年に1度して下さいと言われているので、来年はしなくてはならないのだろう。
E 孫たちの成長が著しく楽しみである。沖縄に行った孫たちは今年7歳・5歳・3歳で女の子だが七 五三の年齢に合うため記念写真を寄こしてきた。そして一番上の7歳の孫は今年小学校1年生。 産まれた頃の記憶がまだまだリアルなのにもうこんなんになったのかと驚く。一番下の孫は二男の子供で2歳1カ月になるが、最近とみに言葉が発達し、母親が大阪人のためか、何か気に入らない事あるごとに「あかん」・「あかん」を連発し、我々の笑いを誘っている。
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F お盆休みに台湾旅行をし、マッサージ三昧と、大伯父の足跡を訪ねた。大伯父の著した「台日新辞書」・「台湾習俗」の復刻版を手がけた、南天書局の魏編集長と懇意になる。
また吉田初三郎の描いた鳥瞰図が載っているグラフ誌「HIROSHIMA」を探してほしいという魏編集長の宿題は、本物は見つからなかったが図録を探し当てお知らせ出来た。
G 産まれて初めてカープの試合初観戦。今年は夏の終わりまで良い線行っていたのだが最後力尽き、クライマックス戦に行けなかったのがフアンとして残念であった。
H 6月、尾歯会の会員旅行で大阪に行き劇団四季を観劇、7月、大学の父兄後援会役員会で札幌、9月、母親の納骨後、家内と京都観光、10月には名古屋で同期会と振り返ってみるとちょこちょこ旅行もしている。特に7月末、札幌に行った時、同級生の渡辺孝一君に会い、2日後に岩見沢市長を辞職し、来る衆議院選挙に立候補することを聞かされた。選挙地盤の北海道10区は自公連立で公明党が出馬することで話し合いが付いており、無所属ででも出馬すると言っていた。どうなる事かと心配していたが、この度の選挙では北海道ブロックの自民党比例の名簿第1位に登録され無事当選を果たした。同級生が国会議員とはびっくりである。
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                 中央が当選した渡辺衆議院議員
I 一番ストレスのたまる歯科医師会の会務を何とか無事にこなした。この件が家族に一番迷惑をかけていることと思っている。

2012年12月21日

交通難民と「かかりつけ歯科医」

 先日いつもメンテナンスに通って来られる、Kさんが帰り際に、「先生、今日が診てもらうのが最後だ」という。「どうしたの?」と聞くと、Kさんは「もうすぐ87歳になるので運転免許所を返すのだ」という。
Kさんは平成3年に初めて来院された。「退職したので今までは職場近くに行っていたが、これからは宜しくお願いします」と言われた。最初の頃は口腔内にトラブルが出ると来院される方でしたが、ここ5年くらいはメンテナンスに定期的に通ってきていた。
 そういえば2年くらい前に「今年から米つくりはやめたのだ」という。一人暮らしで、子供たちも遠くにいらっしゃる様で、全て一人で家事をこなしていた。かなり田舎に住んでいらっしゃるので、免許を返したら買い物も不自由になるのでは思う。それでも私は「春になって暖かくなったら自転車に乗ってきてください」「そして動けなくなったら往診に行くよ」と言うのが精一杯であった。
 高齢化が進む中、先月、中国新聞に過疎化する団地の取材記事が出ていたが、団地でなくても、もともと過疎に近い所に住んでいると、交通手段を奪われると買い物や、医療に支障が出てくる。遠い、よその話と思っていたが、急に身近な問題に思えてきた。
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 ところで今年の2月にワニブックス(PLUS)新書で『なぜ、「かかりつけ歯科医」のいる人は長寿なのか?』という本が出版された。この本は東京都港区芝歯科医師会が東京都多摩市と多摩歯科医師会との協働で都市部に住む65歳以上の在宅高齢者を2001年から「かかりつけ歯科医」がいる群といない群分けて13,066名を追跡調査した結果、
治療だけでなく、予防からメンテナンスまで定期的にプロフェッショナルケアをしていると
1、 長寿である。
2、 自分の生活に満足している。
3、 介護認定を受ける率が低い。
4、 生活自立度が高い。
5、 お出かけ好きである。
6、 友人とのつきあい、ご近所づきあいも活発
7、 かかりつけ内科医もいて、健康管理に留意
という結論が得られたと書いてあった。

 今までKさんは「さいだ歯科医院」をかかりつけとして来院されていたせいか、まさに本の結論通り、すこぶる元気であった。しかしこれから免許を返納してメンテナンスに通って来られなくなった時、どのような結末になるのか心配である。

 ところで飲み屋さん等ではボトルの1本もキープしていると「いきつけの飲み屋」という表現があるようだが、歯科でも「いきつけ歯科医」という表現があるようだ。
「いきつけ歯科医」と「かかりつけ歯科医」という表現では、少しニュアンスが異なっている感じがする。
 私的には、「いきつけ歯科医」は、トラブルが発生するといつも同じ歯科医院にかかる事で、「かかりつけ歯科医」の場合はトラブルが発生しなくても、定期的にメンテナンスに通ってケアを継続していくことではないだろうかと思う。
 なお世間ではインターネット検索をすると、断然「かかりつけの歯科医」という表現が大半を占め、われわれ歯科医だけが「かかりつけ歯科医」と表現しているようだ。
 それにしても医療費が毎年3兆円以上も増加する現状から見れば、予防のために「かかりつけの歯科医」を持って元気で活き活き生活を送ることの大事さを、歯科医師会は一般市民の方に向けてもっと積極的に情報発信をすべきではないだろうか?

2012年12月06日

晩秋と紅葉

 私の診療室の窓から見える山の木々も黄色から少し茶色みを帯びた色に紅葉し一部は落葉が始まっているようだ。ただもみじや楓・はぜの木(漆)がないので赤色系がなく、なんとなく寂しく物悲しく感じる。
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 先週、紅葉を求めて広島空港横の三景園に行ってきた。出かけた時は晴れていたが、ついた頃、曇って小雨がぱらつくあいにくの天気だったが景色は最高であった。
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 驚くほどの紅葉と色の鮮やかさに驚かされた。もっと奥の中国山地付近まで行かなくてはこのような鮮やかさは期待できないものと思っていた。
 この三景園は開園した頃に2度来た事があったが、まだその頃は植栽された木が庭になじんでいなかったが、今回行って観てすっかり自然に溶け込んでいるようであった。しかも秋は初めてである。
もみじ祭りの最中とかで、入場料も少し高目だった。
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 広島県の名勝を模した造りになっており改めて良い観光スポットだと思った。2時間ほど園内を散策後、広島エアーポートホテルのロビーに立ち寄り、ロビーの喫茶コーナーで季節限定のオータムシーズンフルーツパッフェ?(多分そんな名前)とコーヒーSETを食べた。美味しかったが、せっかく2時間ほど歩いてカロリー消費をしたのがパーである。
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 それでも気持ちは晴れやか、京都あたりまで出かけなくても手軽に秋が楽しめそうで、また来年も来てみたいものだ。

2012年11月26日

鳥瞰図

 尾道の地方新聞である「山陽日日新聞」の11月8日の記事に「鞆の浦歴史民俗資料館特別展・パノラマ地図と旅・鳥瞰図と絵葉書にスポット当て」が出ていた。その記事の中に「大正から昭和にかけて活躍した吉田初三郎は、鳥瞰図(ちょうかんず)という技法を確立した絵師です。」という記述があった。
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 実はこの吉田初三郎氏については今年のお盆休みに台湾の南天書局という出版社に訪れた時、社長の魏さんから頼まれた宿題があった。それは私たちが広島から来ているということで、広島の「広島印刷(後の広島図書)」が1949年に発行したグラフ誌「HIROSHIMA」に初三郎が描いた、原爆投下前後の鳥瞰図が載っていると思われるので、もしも手に入るのならそのグラフ誌を探してほしいとお願いされた。2002年・平凡社発行の「太陽」にそれらしきものがあるとのこと。そこで捜せるかどうか解らないが、古本屋をあたってみると答える。
 帰って広島の古本屋を当たったがさっぱりであった。そんな折の新聞記事。そこですぐに鞆の浦歴史民俗資料館に出かける。そこで資料館の人にいきさつを話したところ、以前北九州市の自然史・歴史博物館「いのちの旅博物館」で初三郎氏の展示会をした事がある。その時グラフ誌「HIROSIMA」が確か展示されていたといわれ、その時の図録を見せていただき、コピーをしてもらった。
早速帰って歴史博物館に連絡するとまだ図録があるという事で取り寄せた。
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 図録の題は、「平成20年度秋の特別展、美しき九州の旅―「大正広重」初三郎がえがくモダン紀行―」で中身はすべて初三郎氏の描いた鳥瞰図や絵ハガキなどまさに初三郎ワールドであった。ただ図録の大きさがB5版のため少し小さいのが気になったが、58~59ページに求めていたグラフ誌「HIROSHIMA」に掲載されていた8枚の絵が乗っていた。
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 そしてこの図録を良く見ると「益田啓一郎蔵」と書いてあった。また多くの初三郎作品を益田氏が所有している事も判った。益田氏はこの特別展を企画した合資会社アソシエの代表でもある。またインターネットで調べたところこのグラフ誌の内容写真が次のURLに乗っている事も判った。http://www.asocie.jp/hatsu/hiroshima/index.html
 そしてこれらの図録を見る限り初三郎氏の多彩な活躍がよく見てとれた。
図録には初三郎氏以外の鳥瞰図も掲載されていたが、比較にならないと思った。
本当に素晴らしい表現力である。
 私の様に歯科しか知らない専門バカ?にはまったく違った世界であり、こういう世界もある事を教えてくれた台湾の魏さんに感謝である。
 魏さんにはURLをお知らせし、また「鞆の浦歴史民俗資料館特別展・パノラマ地図と旅・鳥瞰図と絵葉書にスポット当て」の図録と「平成20年度秋の特別展、美しき九州の旅―「大正広重」初三郎がえがくモダン紀行―」の図録を送付させてもらった。これで何とか宿題を終わらさせてもらうことにした。

2012年11月16日

学会参加

 先日歯科医師会の役員会で大坂に出かけた。宿泊はリーガーロイヤルホテル大阪。会議と懇親会をホテルで行い、そのあと、大阪出身の先生に案内されて2次会で難波、三ッ寺筋のラウンジに出かける。
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 生バンドがあり、1テーブルに一人くらいの女性が付いた。まーまーのお店で、水割りを1杯と半分くらいに、乾きもののおつまみをつまむ。2時間ほどねばった。
 今、大阪では、北の新地は土曜日・日曜日は締まっているお店が多いいのだとか。
「景気が悪く社用族が少なくなっているから土・日開けても儲からないのだ」と、そこのお店のママさんが言っていた。
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 その後、焼き鳥・タコ焼きを食べに行く連中とすし屋に行く連中と二手に分かれる。私はすし屋組に同行。ばってら寿司やアナゴ寿司などに舌づつみをうった。ホテルに帰ったらちょうど0:00。それにしても、若い人たちがそんな時刻でもすごく多く歩いているのに驚く。尾道では考えられない事である。やはり大都会という感じを受けた。
 翌朝、ホテル宿泊券に朝食が組み込まれており、和食と洋食の選択肢があったが、昨日飲みすぎた感があり、バイキングスタイルをやめ、ホテル地下一階の和食の「なだ万」で「おかゆ朝食」にした。値段の割にはそれほどではなかった。
 ところで11月9日から11月11日までリーガーロイヤルホテルの隣にある大阪国際会議場(グランキューブ大阪)で第22回日本歯科医学会総会が開催されていた。この学会に参加するのも今回の大阪出張の一つの目的である。もっとも私は、歯科医学会総会に出席するのは初めての経験である。
ホテルから会場までは連絡通路があり、雨に濡れる事もなく行けた。
余談だが、9日の開会公演は京都大学の山中教授の「iPS細胞研究の進展」と題した講演が予定されていた。しかしノーベル賞を授与されたため、急遽ヨーロッパへ出張が入りキャンセルとなった。多くの歯科医の先生方が期待されていたのだが残念だったという声が多かった。ただし私は11日だけの参加なので関係なかった。
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 「口が開かない!診断・治療の最前線」という顎関節症のシンポジュームに参加した。特にシンポジストのお一人が、私の出身大学の教授という事もあって出席した。
 私の診療室でも結構、顎関節の異常を訴えて来院される患者様も多く、従来のスプリント治療に加え、最近の治療法や外科的治療などについても勉強させてもらった。これからの治療にも役立ちそうであり中々良かった。
 歯科材料や、器具の展示をしているデンタルショウはかなり離れた場所で開催されていたため、参加はしなかった。少し残念であった。
来年チャンスがあればまた学会に出席したいものである。

2012年11月12日

開業26周年を迎えて

 11月6日でわが「さいだ歯科医院」は開業26周年を迎え、いよいよ27年めに突入していった。朝のミーティング時に従業員の皆様から、色紙に書いたお祝いの寄せ書きを頂いた。有難いことである。
寄せ書きの文面はすべてが前向きで、さいだ歯科院の現在がよく表れていて嬉しかった。
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  開業当初を思い出すと、今更ながら大変だったことが思い出されてくる。
副院長の二男は当時小学校の4年生だった。また長男は6年生でこの時点で転校させると長男は、転校先の小学校の卒業アルバムに何も載らないので可哀想と思い、長男が卒業するまで子供たちは転校させないで、栗原小学校までバス通学をさせた。
開業当初は患者様も多く、また手際の悪さなどがあり、診療が終わるのが遅くなる事もしばしば。家内にも受付などを手伝ってもらっていたので、診療が終わってからの夕食の支度で、毎日がかなり遅い夕食で、子供たちには寂しくて腹をすかせていたのではと思う。
 また開業して間もなくの頃、三原山が噴火して大変になっている事すら、TVを観る暇もなく翌日の新聞のトップニュースで知った。そんな事が走馬灯のように頭を横切った。
夜、ささやかな開業26周年の食事会を近くのレストラン「オゼルブ」で開いた。
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 開業当初からのスタッフは私、家内、技工士の高須君しかいないが、多くの従業員様に支えられ、ここまでこれたのだとしみじみ思った。
 会話は「あんな事があった、こんな事もあった」等、この26年間に起きたエピソードや昨年25周年の時、今のメンバーで行った台湾への医院旅行なども含めて多いに盛り上がった。
皆の楽しそうな姿を観ているとまた1年頑張って27周年を迎えたいと思う。
 食事会も最終局面になったところで、「開業26周年おめでとうと」書かれたケーキが出てきて、さらに「26周年おめでとうございます スタッフ一同」の添え書きのある花束をチーフがスタッフを代表して渡してくれた。
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 サプライズである。前もって従業員の皆様がたが手配していてくれた。
 温かい心遣いに少しホロっとする。いつまでもこの関係が続く事を願ってやまない。

2012年11月08日

映画「終の信託」を観て

 昨日、ロードショウ開始、1週間遅れで映画「終の信託」を観た。久々の圧巻であり、映画に魅入った。
医療か?・殺人か?この映画は現代の終末期医療のあるべき姿に一石を投じていると思った。
 パンフレットから引用させていただくと「愛と死に直面した人間を冷静な視点で最後まで描ききった真のラブストーリー。終末医療の現場で起こる生死をめぐる問題の数々。知られざる検事室での聴取。数奇な運命に翻弄される女医…。現役弁護士・朔立木の同名小説を原作に、監督自らが大胆に脚本化、端正で冴えわたる演出で2時間を超える長尺を一気に見せる。愛とは何か?命の重さとは?そんな問いさえもはるかに超える息詰まる展開と衝撃の結末。人は愛をさばく事が出来るのか?」
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またストーリーも同様に引用させてもらうと
「1997年、天音中央病院。折井綾乃(草刈民代)は、患者からの評判も良い、呼吸器内科のエリート医師。しかし、長い間、不倫関係にあった同僚医師の高井 (浅野忠信)に捨てられ、失意のあまり自殺未遂騒動を起こしてしまう。そんな綾乃の心の傷を癒したのは重度の喘息を患い入退院を繰り返していた江木秦三 (役所広司)の優しさだった。綾乃と江木は心の内を語りあい、医師と患者の枠を超えた深い絆で結ばれる。
しかし、江木の病状は悪化していった。自分の死期が迫っていることを自覚した江木は綾乃に懇願する。「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と。
2か月後、江木は心肺停止状態に陥る。
江木との約束通り延命治療を中止するのか、患者の命がある限り延命の努力を続けるのか…。
「愛」と「医療」の狭間に揺れる綾乃は重大な決断を下す!
3年後、その決断が刑事事件に発展する。検察官・塚原(大沢たかお)は綾乃を殺人罪で厳しく追及。
綾乃も強い意志でその追及に応える…。」

 原作者が弁護士であるため、検事の取調べの様子がすごくリアルで、途中の経過や、想いは何の考慮もされず結果のみに執着し、被疑者を追い込み調書が作成されたり、言葉尻から逮捕に至る経過などを観ていると、昨今、逮捕後の検事調書などが改ざんされたり、自白を強要したりする事例が報道されているが、かくのごとく取り調べられと普通の人なら意思に反してサインをせざるを得なくなる。そのため裁判で反対の供述をしたりするケースがあり、冤罪なども発生している。この映画を見る限りさもありなんと思った。

 また終末期医療をどうするかという事は広く国民の議論をするべき問題である。
ただ単に医療費の問題で片付けられるものではないが、平成22年度の国民医療費が37兆4202億で前年度の比べ1兆4135億増加し、人口一人当たりの国民医療費は29万2200円、そのうち医科診療医療費は27兆2228億円(全医療費の72.7%)、内訳は入院医療費が14兆908億円(37.7%)、入院外医療費が13兆1320億円(35.1%)となっているのも事実である。

 とりわけ終末期医療費の場合、たった一人で1ヶ月で1000万円を超える費用が発生するケースも多くみられる。少子高齢化の流れの中にあっては早急に議論を開始してほしい。

 映画の中で江木が「意識もなくチューブにつながれて生きている肉の塊にはなりたくない」と発言していたが、私自身もそうなりたくはない。その場面になったら、チューブまみれにならないで静かに安楽死または尊厳死を望む。そしてそれを実行した医師が殺人罪などに問われる事がない事を切に希望する。
それにしても久々に良い映画を観た。

2012年11月04日

フィッシングメール

 最近、TVニュースや新聞などでPCが遠隔操作されて、爆破予告や殺人などのメールが送りつけられ、そのメールを送った人物として4人の人が誤認逮捕されたというニュースがあった。また企業や防衛省などのコンピュータにハッカーが忍び込んで企業秘密や、国家の重要機密を盗まれるなどコンピューターによる犯罪が日常化しているようである。
私の所にも訳のわからないメールが来て、中にはフィッシングの恐れありと警告が出るメールも頻繁に来ます。それらはすぐに削除しているのだが、先日来たメールは、そのような警告もなくメールボックスに来ていた。
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 それは私が持っているカード会社からのメールで、マークもメール会社のものが張り付けてあり、英文であったが、私のカードの種類を特定して、電話の使用料が$3562.92になっている。24時間以内にこの支払いが私の口座から引き落とされるので注意を促す文面のようであった。
またこの警告が必要でないのなら、ここをクリックしなさいとか、口座の内容とか、最近の使用状況などと書かれたタブがある。今までこんなメールは来た事がなく、日本円で換算するとかなりの請求額なので、1回の限度額を超えているから来たのかなと思った。しかし電話料金をカードで支払う契約はしていない。とりあえず怪しいと思ったが一つタブをクリックしてみたところ、ウイルスバスターがNOと表示したのでそれ以上は進まなかった。
 急いでカード会社に電話したところ、カード会社では、けしてそのようなメールを送りはしないとのこと、何件か同じような問い合わせが来ているとのこと。それ以上先に進まないようにして下さいと注意を受けた。
まさにそのカード会社になり済まして偽メールが送られてきたのである。もしウイルスバスターの警告を無視して先に進むと、カードの暗証番号を入力させられたりしてとんでもないことになるのであろう。それにしても本当にカード会社から来たと思わせるほど巧みに装っていた。
 それにしても、私のメールアドレスやカードの種類が書かれてあったことから、間違いなくカード情報などが流出しているのではないかと思う。ただカードの暗証番号は漏れていないのであろう。カード会社に問いただしたが、自分たちの所からは漏れていないとの回答。それではどこから漏れたかであるが、海外で使用した事もなく、またカードでの支払いはほとんどしたことがない。たまたま最近DELLのPCをカードで支払ったのでそこから漏れたのかもしれない。いずれにしてもこれからは最新の注意を払い自分をガードしなければならないと感じた。

2012年10月26日

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