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10/13 令和t7年度北部圏域ネットワーク(医療・連携連携)会議
09/21 腎癌切除の道のり PART 2
09/21 腎癌切除の道のり PART 1
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 10
08/11 初めてのドイツ旅行 PART 9
外部グログ

大先生(元院長)のブログ

開業26周年を迎えて

 11月6日でわが「さいだ歯科医院」は開業26周年を迎え、いよいよ27年めに突入していった。朝のミーティング時に従業員の皆様から、色紙に書いたお祝いの寄せ書きを頂いた。有難いことである。
寄せ書きの文面はすべてが前向きで、さいだ歯科院の現在がよく表れていて嬉しかった。
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  開業当初を思い出すと、今更ながら大変だったことが思い出されてくる。
副院長の二男は当時小学校の4年生だった。また長男は6年生でこの時点で転校させると長男は、転校先の小学校の卒業アルバムに何も載らないので可哀想と思い、長男が卒業するまで子供たちは転校させないで、栗原小学校までバス通学をさせた。
開業当初は患者様も多く、また手際の悪さなどがあり、診療が終わるのが遅くなる事もしばしば。家内にも受付などを手伝ってもらっていたので、診療が終わってからの夕食の支度で、毎日がかなり遅い夕食で、子供たちには寂しくて腹をすかせていたのではと思う。
 また開業して間もなくの頃、三原山が噴火して大変になっている事すら、TVを観る暇もなく翌日の新聞のトップニュースで知った。そんな事が走馬灯のように頭を横切った。
夜、ささやかな開業26周年の食事会を近くのレストラン「オゼルブ」で開いた。
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 開業当初からのスタッフは私、家内、技工士の高須君しかいないが、多くの従業員様に支えられ、ここまでこれたのだとしみじみ思った。
 会話は「あんな事があった、こんな事もあった」等、この26年間に起きたエピソードや昨年25周年の時、今のメンバーで行った台湾への医院旅行なども含めて多いに盛り上がった。
皆の楽しそうな姿を観ているとまた1年頑張って27周年を迎えたいと思う。
 食事会も最終局面になったところで、「開業26周年おめでとうと」書かれたケーキが出てきて、さらに「26周年おめでとうございます スタッフ一同」の添え書きのある花束をチーフがスタッフを代表して渡してくれた。
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 サプライズである。前もって従業員の皆様がたが手配していてくれた。
 温かい心遣いに少しホロっとする。いつまでもこの関係が続く事を願ってやまない。

2012年11月08日

映画「終の信託」を観て

 昨日、ロードショウ開始、1週間遅れで映画「終の信託」を観た。久々の圧巻であり、映画に魅入った。
医療か?・殺人か?この映画は現代の終末期医療のあるべき姿に一石を投じていると思った。
 パンフレットから引用させていただくと「愛と死に直面した人間を冷静な視点で最後まで描ききった真のラブストーリー。終末医療の現場で起こる生死をめぐる問題の数々。知られざる検事室での聴取。数奇な運命に翻弄される女医…。現役弁護士・朔立木の同名小説を原作に、監督自らが大胆に脚本化、端正で冴えわたる演出で2時間を超える長尺を一気に見せる。愛とは何か?命の重さとは?そんな問いさえもはるかに超える息詰まる展開と衝撃の結末。人は愛をさばく事が出来るのか?」
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またストーリーも同様に引用させてもらうと
「1997年、天音中央病院。折井綾乃(草刈民代)は、患者からの評判も良い、呼吸器内科のエリート医師。しかし、長い間、不倫関係にあった同僚医師の高井 (浅野忠信)に捨てられ、失意のあまり自殺未遂騒動を起こしてしまう。そんな綾乃の心の傷を癒したのは重度の喘息を患い入退院を繰り返していた江木秦三 (役所広司)の優しさだった。綾乃と江木は心の内を語りあい、医師と患者の枠を超えた深い絆で結ばれる。
しかし、江木の病状は悪化していった。自分の死期が迫っていることを自覚した江木は綾乃に懇願する。「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と。
2か月後、江木は心肺停止状態に陥る。
江木との約束通り延命治療を中止するのか、患者の命がある限り延命の努力を続けるのか…。
「愛」と「医療」の狭間に揺れる綾乃は重大な決断を下す!
3年後、その決断が刑事事件に発展する。検察官・塚原(大沢たかお)は綾乃を殺人罪で厳しく追及。
綾乃も強い意志でその追及に応える…。」

 原作者が弁護士であるため、検事の取調べの様子がすごくリアルで、途中の経過や、想いは何の考慮もされず結果のみに執着し、被疑者を追い込み調書が作成されたり、言葉尻から逮捕に至る経過などを観ていると、昨今、逮捕後の検事調書などが改ざんされたり、自白を強要したりする事例が報道されているが、かくのごとく取り調べられと普通の人なら意思に反してサインをせざるを得なくなる。そのため裁判で反対の供述をしたりするケースがあり、冤罪なども発生している。この映画を見る限りさもありなんと思った。

 また終末期医療をどうするかという事は広く国民の議論をするべき問題である。
ただ単に医療費の問題で片付けられるものではないが、平成22年度の国民医療費が37兆4202億で前年度の比べ1兆4135億増加し、人口一人当たりの国民医療費は29万2200円、そのうち医科診療医療費は27兆2228億円(全医療費の72.7%)、内訳は入院医療費が14兆908億円(37.7%)、入院外医療費が13兆1320億円(35.1%)となっているのも事実である。

 とりわけ終末期医療費の場合、たった一人で1ヶ月で1000万円を超える費用が発生するケースも多くみられる。少子高齢化の流れの中にあっては早急に議論を開始してほしい。

 映画の中で江木が「意識もなくチューブにつながれて生きている肉の塊にはなりたくない」と発言していたが、私自身もそうなりたくはない。その場面になったら、チューブまみれにならないで静かに安楽死または尊厳死を望む。そしてそれを実行した医師が殺人罪などに問われる事がない事を切に希望する。
それにしても久々に良い映画を観た。

2012年11月04日

フィッシングメール

 最近、TVニュースや新聞などでPCが遠隔操作されて、爆破予告や殺人などのメールが送りつけられ、そのメールを送った人物として4人の人が誤認逮捕されたというニュースがあった。また企業や防衛省などのコンピュータにハッカーが忍び込んで企業秘密や、国家の重要機密を盗まれるなどコンピューターによる犯罪が日常化しているようである。
私の所にも訳のわからないメールが来て、中にはフィッシングの恐れありと警告が出るメールも頻繁に来ます。それらはすぐに削除しているのだが、先日来たメールは、そのような警告もなくメールボックスに来ていた。
         PA250025%20%281024x822%29-1.jpg
 それは私が持っているカード会社からのメールで、マークもメール会社のものが張り付けてあり、英文であったが、私のカードの種類を特定して、電話の使用料が$3562.92になっている。24時間以内にこの支払いが私の口座から引き落とされるので注意を促す文面のようであった。
またこの警告が必要でないのなら、ここをクリックしなさいとか、口座の内容とか、最近の使用状況などと書かれたタブがある。今までこんなメールは来た事がなく、日本円で換算するとかなりの請求額なので、1回の限度額を超えているから来たのかなと思った。しかし電話料金をカードで支払う契約はしていない。とりあえず怪しいと思ったが一つタブをクリックしてみたところ、ウイルスバスターがNOと表示したのでそれ以上は進まなかった。
 急いでカード会社に電話したところ、カード会社では、けしてそのようなメールを送りはしないとのこと、何件か同じような問い合わせが来ているとのこと。それ以上先に進まないようにして下さいと注意を受けた。
まさにそのカード会社になり済まして偽メールが送られてきたのである。もしウイルスバスターの警告を無視して先に進むと、カードの暗証番号を入力させられたりしてとんでもないことになるのであろう。それにしても本当にカード会社から来たと思わせるほど巧みに装っていた。
 それにしても、私のメールアドレスやカードの種類が書かれてあったことから、間違いなくカード情報などが流出しているのではないかと思う。ただカードの暗証番号は漏れていないのであろう。カード会社に問いただしたが、自分たちの所からは漏れていないとの回答。それではどこから漏れたかであるが、海外で使用した事もなく、またカードでの支払いはほとんどしたことがない。たまたま最近DELLのPCをカードで支払ったのでそこから漏れたのかもしれない。いずれにしてもこれからは最新の注意を払い自分をガードしなければならないと感じた。

2012年10月26日

名古屋観光

 昨夜寝たのが遅かったのだが、せっかく初めて名古屋に来たのだからどこか観光しなくてはと思う。11時過ぎの新幹線を予約してあったので、観光する時間はわずかしかない。何しろ初めての名古屋である。どこを見るか考えあぐねた結果、「尾張名古屋は城で持つ」の言葉を思い出し、名古屋城は見たいと思う。そして尾張といえば織田信長、桶狭間の戦い、熱田神宮と連想ゲームよろしく熱田神宮を思い出し参拝することにした。ホテルのチェックアウト時に場所を聞くとそれぞれホテルを中心にタクシーで20分以内だという。
通りに出てタクシーを拾う。まず熱田神宮へ参拝し家内安全と旅の無事を祈願することにした。たまたま拾ったタクシーは個人タクシーで、年配の人の良さそうな運転手さんだった。途中いろいろ会話しながらいく。初めて名古屋に来たこと、熱田神宮と名古屋城を見たいが両方まわることができるか聞く。また予算的にはどれくらいかと聞くとおよそ5000円くらいだろうと言うのでお願いした。
 熱田神宮に着きタクシーには待っていてもらい、参拝する。さすが立派な神社である。
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 入口の鳥居の横の高い木に大きな鳥がとまっていてビデオカメラを回している人が多くいた。聞くと鶏(名古屋コーチン?)なのだそうだ、放し飼いにしているせいか、高い木にまで飛べるらしい。驚いた。
比較的朝が早かったせいか、巫女さんたちが本殿の柱などの拭き掃除をしていた。またボランッティアの人たちが竹ぼうきで玉砂利を掃き清めていた。
 お日柄が良いのか神宮内の結婚式場に向かう新郎新婦の姿や、七五三が近いせいか参拝され記念写真を撮っている子供連れのお父さん・お母さん・おじいさん・おばあさんたちの姿もあった。
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 割合ゆっくり参拝したので、名古屋城は中まで入ってみていると時間がなくなるということで、お城の周りを一周しながら、お城がよく見えるところで停車してもらって観ることにした。タクシーのメーターは動いていたのだが途中5000円になったところでメーターを切ってさらに廻ってくれた。運転手さんいわく、「最初に5000円だと言ったのでそうさせてもらう」とのこと。気の毒な事をしたなと思ったが有難かった。
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 名古屋城、さすが御三家のお城だけあって大きい、空襲で焼けて再建した天守閣だが金の鯱鉾は輝いていた。タクシーの運転手さんが話していたのだが、「名古屋は観光化していない。そのため神社や仏閣が京都のように解放されていないので中々見学できない。もう少し観光に力を入れてくれれば、わし等の商売も少しは潤うのだが」と言っていた。
途中いろいろ解説をしてもらいながら最後名古屋駅まで送ってくれて無事新幹線に十分間に合う。次回名古屋に来た時のお土産を決めるため、駅のキオスクでいろいろ試しに買った。えびせんの「ゆかり」、「外郎」、クッキーの「なごや嬢」、お漬物の「守口漬」、「手羽先の空揚げ」、そして「赤福饅頭」を買って帰る。まだ全部食べてないので優劣つけがたい。

2012年10月16日

初めての名古屋で同期会

 先日13日に、歯科大学の同期会が名古屋で行われ参加した。名古屋は39年前、広島で結婚式を挙げ、勤務していた茨城県の日立市まで帰る途中、紀伊白浜・那智勝浦・伊勢志摩を新婚旅行し、近鉄から新幹線に乗り換えるため1度だけ名古屋駅のホームに降り立ったことがある。後はいつも素通りで新幹線の車窓から見るだけの街であった。
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 われわれの同期は歯学部1期生ということもあり、卒業時でなく入学時の仲間で同期会を組織している。149名が入学した同期生だがすでに5人が他界している。
最初のころは5年に1度くらいのペースであったが、前回は同期生のうち私を含めて4名が還暦を迎えたということで、特別に4年前に開催された。今回、北は北海道から南は沖縄まで34名が集まった。
 私は13日の当日に出かけたが、中には前の日から名古屋入りして盛り上がっていた連中もいた。愛知県在住の3名が幹事をしてくれて楽しい会であった。
私が一番長老で、入学した時13才年下の同級生からはずいぶん老けた同級生だと思われ、「おじさん」と呼ばれたり、「日本兵」と呼ばれたりしていた。今回皆と会ってみて、彼らもそれなりに年をとって来たのでその差があまりなくなってきている。
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 一次会は名鉄グランドホテルで行われ、恩師のE先生(私より1歳若い)も駆け付けて話に花が咲く。同級生の多くは息子や、娘たちが大学に在学しているとか、受験期だとの話が多く、子育ての最終コーナーにかかっているようだ。まだ親の介護の話は出てこなかった。
 また昨年の3・11の津波で診療室が流され、現在借り診療所で診療している石巻市のT夫妻(二人とも同級生)も来て、われわれが以前カンパしたことにお礼を述べた。
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 母校の教授になっているK君やO君の話によると今の学生は教授が黒板に板書してもノートは取らず、デジカメやiPadで写真に収めているとのこと。我々の頃と大いに違ってきている。しかし本当は板書をノートに書くことで記憶も深まっていくのに、此の横着さが学生の留年や国試合格率に関係しているのではないだろうかと思った。
2次会は名古屋の繁華街、錦のクラブに出かけ、さらに学生時代のエピソードなどに話がはずむ。その後は三々五々別れた。
 私は沖縄のT君とショットバーに入って三次会さらに語り合う。彼とは学生時代、同じボート部で私はバウ、彼はコックスとしてチームを組んで石狩川の茨戸で漕いだ。当時の話や、同窓会の在り方、また歯科医師会の在り方など色々話す。また沖縄に移住した私の長男とは前日の12日の夜一緒に飲んだと話をしてくれた。日ごろ息子は何も知らせてくれないのでT君から息子の様子を聞けてよかった。ホテルに帰ったら午前1時半を過ぎていた。
 次回は同窓会が創立されて30周年になる2年後札幌でと決まった。

2012年10月15日

花崗岩とむし歯の関係

 私が)毎月購読している歯科の雑誌に「歯界展望」があるが、その9月号に面白い記事が掲載されていた。題は「地図を見れば、病気が防げる!?  西日本の子供にむし歯が少ないワケ」 福山市で開業されている歯科医の大石憲一・大石恵美子先生が執筆されていた。
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 記事によるとお二人の先生は岡山市、滋賀県北部(現、長浜町余呉町)、福山市で幼児・学校検診に携われた。その時“むし歯のない子・少ない子”と“むし歯がいっぱいの子”という二極化、いわゆる「健康格差」に気づかれた。特に福山では“むし歯のない子・少ない子”の割合が多いと実感された。たまたま福山市内のスーパー銭湯で温泉の水質検査項目にフッ素イオンが水質基準の6倍が含まれていることを目にされた。それなら水道水にもフッ素イオンがあると考え、福山市の水道の水質検査表を調べると基準値内ではあるがフッ素が含まれていた。このことが福山においてむし歯の予防に関係しているのではと仮説をたてられた。ところでむし歯予防に有用なフッ素であるが、飲み水にある一定量以上のフッ素が含まれると歯のフッ素症(斑状歯)が発生することは良く知られている。それではなぜ福山の水道水にフッ素が含まれているのか疑問を呈された。たまたま東北大学の相田潤先生の論文を目にされた。それは3歳児の市町村ごとのむし歯の割合を疾病地図にしたものである。
 それによると北海道や東北、南九州などではむし歯が多い地域があるが、東京・名古屋・大阪等の大都市や西日本・北四国・九州北部にむし歯の少ない市町村が集中していた。さらによく見ると同じ県内でもむし歯の多い地域と少ない地域の境界線があるのに気付かれた。図書館で地質学に関する文献を見ると「花崗岩」の分布とむし歯の少ない地域の分布がよく似ていたことを発見される。さらに調べると花崗岩はほかの岩石に比べてフッ化物が高濃度に含まれていることを知った。「むし歯予防」と「花崗岩」がつながったと瞬間と書かれていた。面白い発見をされたものだと感心した。
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青い部分が花崗岩の分布で、黒点が水道水に0.3ppm以上フッ素が含まれる地域
つまりドリップコーヒーを入れるのと同じイメージで、雨水が地中の花崗岩層を通過するときにフッ化物が溶出し、フッ化物を含んだ地下水や、湧水、伏流水が我々の飲み水になるとのこと。
 福山がそうなら尾道も子どものむし歯が少ないのではないかと思う。しかし残念ながら3歳児で見る限り、「1本もむし歯のない子供」の割合は広島県の平均値や全国平均値より少し低い。そこで水道水に含まれるフッ素の量をインターネットで調べたが尾道市の水道水の水質検査データーは公開されていないようである。
 ところで尾道の場合、水道事業が大正14年に始まったが、私が住んでいるところから少し奥の地域では、つい数年前に水道が通った。その地域から来院されるある程度、年齢が経られた患者様の中には軽度のフッ素症と思われる歯をした方もいらっしゃる。この方たちは長年井戸水を飲んでこられたので軽度のフッ素症になったのかもしれない。 今では尾道には石切り場などが無くなったが、私が小さい頃には、千光寺山の栗原側や、門田水源地のところには石切り場があり、花崗岩が多く産出されていた。また昔から尾道には石工が多く住んでいて神社仏閣にその名残をとどめている。大石先生が考察されるように尾道でも飲み水に含まれるフッ素の影響はあると思われるが、尾道市の3歳児の「むし歯を持つ子供」の割合が平均よりも多いのは何か他の要因があるのかもしれない。それにしても面白い記事を目にした。

2012年10月07日

京都観光

17日、朝起きてTVのニュースを見ると台風16号は九州の西側を抜け朝鮮半島に向かっている。幸い京都は晴れて風もそれほどでない。市内観光をすることにしヤサカタクシーに電話、5時間コースをお願いする。運転手さんに有名な所はある程度観光していたので、そのようなところで無い所をお願いした。しばし考えられて、とりあえず北に向かって洛北方面に走った。
最初は岩倉にある東山天皇の中宮・承秋門院ゆかりの実相院門跡を見学。ここでは板の間に移る庭の景色が綺麗である。特に秋の紅葉のころは素晴らしいらしい。なおこの建物は旧御所の客殿との事。
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  実相院門跡の枯山水                  圓通寺の枯山水
次ぎに同じく岩倉にある後水尾天皇が造営された幡枝離宮の跡である、圓通寺に参拝した。現在は妙心寺派大悲山圓通寺。ここの庭園は霊峰比叡山を借景にした枯山水平庭で国の名勝に指定されている。都会の喧騒も無く、静かで心地よい風が吹いていた。縁側から遠く比叡山を眺めながら心静かに庭を鑑賞していると「つくつく法師」のせみの声が良く聞こえ、心を落ち着かせてくれた。
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                      曼殊院門跡の庭 
次ぎに訪れたのは曼殊院門跡ここには国宝の「黄不動尊」が有名である。また襖絵には狩野派の有名な絵師、狩野探幽や狩野永徳たちが名を連ねていた。庭は枯山水で見事な感じがした。ただ残念なことにコケが今年の暑さで至るところ緑を失い茶色に変色しているのが気になった。たまたま庭を手入れしている人に聞くと、秋になれば緑が戻ってくるとの事。この広い庭の手入れをする人が2人だとは驚いた。
これで時計は12時前、どこかで昼食をしなくてはならないが、解らないので運転手さんに任せる。蕎麦料理の「権太呂」に案内された。昼時で次から次へのお客さんにびっくり。そば粉は北海道旭川・幌加内のそば畑で取れた玄そばを石臼びきして作ったものを使用しているとのこと。私は鴨南そばの定食を食べた。お値段もそこそこであった。このような時の表現方法に「高かったが美味しかった」と言う言い方と「美味しかったが高かった」と言う表現があり微妙な差がある。私の場合、今回は後者の表現が当てはまる気がした。
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  権太呂
その後、豊臣秀吉の側室「淀殿」が父・浅井長政の追善の為、建立した養源院に参拝。この寺は一度焼失し、現在の建物は淀殿の妹「おごうの方」の尽力により、徳川秀忠が再建したものである。天井板は伏見城落城のおり、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井として使用している。今でも血のりの後に人型が見え、「血天井」として名高い。ここでは御住職自ら説明をして下さり、杉戸には中学時代の美術の教科書などのも出ていた、「俵屋宗達」描く象、獅子、麒麟などの絵が描かれていた。また本堂の廊下はすべて左甚五郎の造ったうぐいす張りで歩くと音がした。
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   養源院                       俵屋宗達の絵    
その後、直ぐ近くの方広寺に行く。ここは改修中なのかお寺の屋根しか見えなかったが、梵鐘を見ることが出来た。この梵鐘に刻まれた碑文の中に「国家安康」「君臣豊楽」という文字があり、これに家康が難癖をつけて豊臣家を滅ぼすきっかけとなったものである。より歴史を身近に感じた。
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    方広寺梵鐘
5時間はあっという間に過ぎた。京都駅では帰りの新幹線の発射時刻まで2時間半あり、京都駅の中をうろうろし見て廻った。屋上まで上がってみると、南側の風景が良く見えた。
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  京都駅ステーションビル                屋上からの眺め
喉が乾いてしゃれたお店でコーヒーかジュースでも飲もうと思ったがどこもいっぱい。順番待ちに並んでいる。尾道では考えられない光景である。ステーションビル内はどこも人があふれ、都会は人と人との距離が近すぎて息が詰まる感じがする。結局ミスタードーナツでカフェオレを飲んだ。安上がり。台風の影響も無く無事尾道に帰り着く。

2012年09月23日

母の納骨

 先日の16・17日の連休を利用して京都西本願寺に納骨に行った。母が亡くなって2年半が過ぎ、それまで仏壇においていた喉仏さんを納骨した。納骨後京都観光をしようと思い、一泊2日でパック旅行を旅行会社に申し込んでいのだが、台風16号が近づいてきており、今更変更も出来ずどうなるか心配しながら出かけた。
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 納骨場所は西本願寺と少し離れた清水寺の横の大谷本廟になる。5年前に父の納骨の時は受付けに小一時間掛かったが今回は割合空いていたせいかスムーズに受け付けてもらって、首尾よく納骨できた。西本願寺では納骨の仕方に2種類ある。祖壇納骨では骨の返却は無理だが私は無量寿堂納骨で、檀家のお寺さんの納骨場所に入れさせていただいた。この場合だといつでも返却可能だとの事。お墓にはすでに二人を納骨していたが、西本願寺ではこの度やっと父と母の骨がそろい、寂しい思いをしていた父も喜んでいると思う。
ところで奇しくも父親の納骨日と同じ9月16日であった。これも何かの縁なのか。
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 納骨後は西本願寺に戻り、阿弥陀堂に参拝し、お経を聴いた。また5年前は修復中であった御影堂にも上がり、内陣中央に安置されている、親鸞聖人の御真影(木像)に手を合わさせていただいた。1636年(寛永13年)に再建されたこの御影堂は1999年より10年の歳月をかけ親鸞聖人750回大遠忌法要に合わせ大修復工事が終わり見事なたたずまいを示していた。
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 このたびは少しゆっくりし広い境内を見て廻る。中に本願寺の大銀杏といわれる銀杏の木が有り、その枝の素晴らしさに感心した。
ここに来ると何かしら心の平安が得られるようでほっとする。
 ところで、大谷本廟から帰る途中の階段のところで朝市の露店があってその中に似顔絵を書いている若者がいた。丁度子供さんを画いていたのを観ていると、大人でもよいということで、家内と二人それぞれに書いてもらった。家内の場合は年齢に詐称アリほどの若さに仕上げてもらっていて随分ご満悦であった。私は少し若振りにハンサムに仕上げてもらったようだ。
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 そのほか箒やタワシなどを売っているお店も有り、私は垢すり用に背中をこするタワシを買った。 
 西本願寺の参拝を終え、タクシーで今夜の宿屋「花月」に向かった。
最近はホテルに泊まることが多く、久方ぶりの日本宿と思っていたのだが、最近改装したのか、京都の古風さには似つかわしくないような和式と洋式が折衷したようなつくりであった。それでも露天風呂や、檜の湯船があり落ち着くことが出来た。食事も部屋で食べれたし、料理も美味しかった。
大役を終わらせたせいか、ビール2本で酔っ払い、早めに寝る。ニュースによると台風16号が大分近づいてきているようで、明日の観光が出来るかどうか不安である。

2012年09月20日

雨漏り

 少し前の話になるが、6月の半ば梅雨時、食後、院長室で仕事をしていた時の事、その夜は少し強めの雨が振っていた。突然家内から「おとうさんたいへん上がってきて」と内線電話が入る。
何事かと思って上がってみると、何と、天井から大粒の水滴がぼたぼたと落ちてきている。急いでバケツや洗面器で受ける。雨漏りがしているのである。しかも雨漏りは天井の明り取りの部分からである。夜遅かったが急遽S工務店のNさんに電話し、明日見てくれるように頼む。
 昔、小さい頃、雨漏りのため、親に夜中起こされ、寝る場所を移動し、雨漏りがしている所に、洗面器や鍋などを置いていた光景を急に思い出す。
幸い雨は1時間ほどで小降りになり、雨漏りもしなくなる。
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 翌朝、Nさんが瓦屋さんと一緒に来て、屋根を点検してくれた。私の家の屋根は寄棟型で、東と西の面にドーム型の明り取りがある。ドーム部分は銅版で覆われており、瓦屋根とドーム部分の境目も銅版で処理をしている。
ところで歯科医院を建てた時、屋根だけは瓦で無いといけないと、設計士の方が譲らなかった。ただドーム部分は半円状なので瓦が使えず銅版処理となった経緯がある。しかし屋根に銅版を使うことは日本では神社などの屋根に使われ何百年もの歴史がある。
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 ところがNさん達が調べた所、屋根とドームの間のつなぎ部分の銅版に穴があいていた。そのためそこから雨漏りがしたのだと言う。とりあえず応急処置をしてもらい、修理することにした。そして先日修理が終わった。
こんどは屋根とドームのつなぎ目をステンレスにしてもらう。
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 それにしても築25〜6年で銅版に穴があくなんて信じられない。原因を考えてみたが、一番は酸性雨だと思う。それと国道脇にあるため、自動車の排気ガスも影響しているかもしれない。
 酸性雨の大半は中国大陸からのものだと思う。昔40年以上も前、日本では工場からの煙には公害対策がなされて無かったので、随分と酸性雨があり、山の松などが枯れた時代があった。今ではそのような工場は皆無である。一方、今の中国大陸の工場では脱硫装置などを施して公害対策をした工場は無と聞いている。そのため亜硫酸ガスなどが日本海を渡りやってきて、硫酸の雨となって降ってくる。「そんな、大陸からここまで亜硫酸ガスがやってくるなんて」と思われるかもしれないが、それが証拠に春先、黄河流域で発生した黄砂が日本上空にやってきて車などに降り注いだり、洗濯物を汚したりする。いとも簡単に大陸のものがやってくる。昔なら何百年ももつはずのものが、25年やそこらで駄目になる。由々しきことである。
 今度治したステンレスは硫酸には強いが塩酸には弱いと言う欠点がある。また25年後には修理が必要なのかな?

 ところで世の中では原発反対、原発をやめて自然エネルギー(再生可能エネルギー)をと言っている人たちが多い。その中には太陽光発電を推奨する人も多くいらっしゃる。しかし今回、我が家の屋根で起こったことを考えると、大丈夫なのかと少し心配になる。
 と言うのも太陽光パネルは常に表面がクリーンで無いと発電効率は落ちる。
春先の黄砂や日頃の埃でパネルが汚れれば所期の発電量が確保出来ない。そうかと言って毎日屋根の上に上がってパネル表面を掃除することも難しい気がする。まして掃除中に誤って屋根から落ちたら死ぬかも知れない。それに酸性雨などのため、太陽光パネルの部品などがさびて寿命が短くなる恐れもある。発電した電気を電力会社に売ることでパネル代金をチャラに出来るなどとPRされているが、そのような事も考慮して説明されているのだろうか?
もう少し我が家では太陽光パネルの導入は様子見である。

2012年09月12日

台北旅行 PART 6

 最終日、飛行機の出発時間は16:55である。午前中は少し自由時間が有る。そこで、家内の旅行目的「マッサージ」を完璧に達成するために、もう一度マッサージをして帰国することにした。昨日行ったマッサージ屋に電話した所、11時から開店であったが、帰国する事情を話すと10:20に来て下さいと言われ、10時にホテルをチェック・アウト。荷物はホテルに預かってもらい、マッサージ屋に直行。
 私は若い男性であった。力だけが強くあまり気持ちよくはなかった。やはりある程度年齢のいったベテランで無いと駄目だな。家内は女性にしてもらい、今回の旅行の中で一番良かったとか。膝や足のほうもかなり良くなったようだ。終わりよければすべてよしである。
 昼食はマッサージ屋に近いこともあり、また「大和」に行き「焼き鯖定食」と「納豆巻」を食べる。ちゃんと味噌汁や大根おろしなどがあり美味しかった。納豆巻は納豆がきざんでなく、そのままだったので興ざめである。
 タクシーでホテルに帰るが道路の関係で簡単に左折や右折が出来ない。あちこち曲がりながらホテルに着いたら結構予定していた金額よりも高くなる。小銭で払った。これが後で失敗だと解る。
 飛行場行きの乗り合いバスは隣のリーゼントホテルの前から出る。30分に1本くらいらしい。バスの時刻表は無い。
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バス停から見たリーゼントホテル、        私が泊まった部屋からのリーゼントホテル
 発車した後なら30分、外で待つ覚悟でとりあえずホテルを後にしてバス停に行く。幸い15分ほど待ってバスが来る。空港までは90元、先ほどのタクシーで小銭を使っていたので100元の札を料金箱に入れたがお釣りはくれない。仮に500元札を入れても同じ扱いだ。タクシーでお札を出しておつりをもらっておけばよかった。日本では考えられないシステムである。
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 空港には出発3時間前に到着。従業員へのお土産などを買い搭乗。今までこの飛行機には2回ほど搭乗したが時間通りに搭乗したことが無い。今回は何故か定刻どおりに搭乗できた。ところが待てど出発しない。乗り継ぎ便が遅れているとか。結局40分遅れでテイクオフ。途中四国松山付近?で花火が上がっているのが見えた。かなり下の方に見え、直径3センチくらいで可愛かった。花火を飛行機から見たのは初めて。飛行機から初めて花火を見た。何とか無事に広島空港に到着
今回の旅行の目的を、私も家内も達成できて大満足である。

 次の日16日から私は仕事が始まる。そこで家内に「魏さん」との約束の一つ、広島市にお住まいのMさんへ、お土産を預かっている旨メールで問い合わせをしてもらう。私が台北に大叔父・東方孝義が編纂した「台日新辞書」買いに行って魏さんとの出会いがあった事など経緯を書いてもらった。Mさんのお返事では、彼が独力で台湾語を勉強し、今も勉強し続けていること、そして大叔父の「台日新辞書」を座右にし、今なお使用していると書かれていた。また台湾で復刻した「台湾習俗」もお持ちとのこと。
改めて大叔父の偉業が時空を超えて今なお生き続け、しかもこの広島で活躍していることに大いに驚いた。
M様には無事魏さんのお土産をお届けすることができた。
後はグラフ誌「HIROSIMA」を探すことだがかなり難しいかも知れない。時間を見つけて古本屋を当って見ようと思う。

余話
 ところで日本で復刻した「台湾習俗」と南天書局の復刻した「台湾習俗」を帰国して改めて対比したところ、本の大きさだけでなく、中身に少し違いがあった。
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日本で復刻したP165                    台湾で復刻したP165
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日本で復刻したP173                    台湾で復刻したP173
 日本で復刻したものは途中の文章に墨が入れられていたり、あるページの一部が白紙のままだったりしていた。多分、戦後大叔父たちが台湾から引き上げる時に検閲を受けてそのように成ったのではなかろうかと思う?
そういう意味で南天書局の復刻本がよりオリジナルに近いのではなかろうか。

今回の台北旅行なかなか有意義な旅であった。また行きたいと思う。

2012年09月02日

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