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外部グログ

大先生(元院長)のブログ

初めてのスペイン旅行PART 4

 朝7:00モーニングコール、今日はスペイン高速鉄道でスペイン第三の都市セビージャへ行く。スーツケースは別便にて今日泊まるホテルまで直送してくれると言うことで7:30にドアの外に置く。
我々は手荷物一つで出かける。始発駅のアートチャ駅にいく。セビージャと言う名前に記憶が無かった。昔何かで習った頃は「セビーリャの理髪師」という戯曲があったが「セビーリヤ」イコール「セビージャ」と言うのだそうだ。
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 このスペイン高速鉄道は日本とフランスが受注合戦をしたが、日本が負けてフランス式が採用された。車両の座席は半分が進行方向に向いてのこり半分は後方を向いている。もちろん座席を回転することは出来ない代物で、日本の様に座席にリクライニングは無い。アートチャ駅を10:10に出発。途中の風景は小麦畑とオリーブ畑である、オリーブは世界一の産出量とのこと。途中からはオレンジ畑も見えてきた。
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 途中トイレに行ったがこれまた不思議、男女兼用のトイレだが前の人が使用したトイレットペーパーが流れず便器に残っている。流そうと思ってペダルを踏んでも蒼い液体が出るだけでペーパーは流れない。故障なのかその様な設計になって居るのか判らない。スピードも日本の新幹線よりかなり遅い感じがした。それでも予定よりも15分早く約2時間30分の旅であった。日本では考えられない運行スケジュールである。
 直ぐバスに乗りまずスペイン広場に行く、立派な広場でセビージャの歴史がモザイクタイルで描かれていた。フラメンコを踊っている人がいて観光客が投げ銭をしていた。
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 昼食はスペイン風小皿料理「タパス」で小エビの煮た物やサラダなどを食べる。ビール1杯2.5ユーロだった。
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 駅からレストランまで来た現地ガイドはスペイン人で日本語は「こんにちは」「さよなら」程度。昼食後違うガイドが来たが説明が英語でほとんど理解できない。添乗員のSさんが日本語で話を補足してくれてやっとで理解出来た。
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 その後歩いてカテドラルに行く。このカテドラルはスペインで最も大きな聖堂で世界遺産に登録されている。内部にはコロンブスのお墓があった。
 コロンブスは新大陸発見後セビーリヤに滞在していたという。遺骸は米西戦争の終結した1898年にキューバから運ばれてきた。棺はカスティーリャ、レオン、アラゴン、ナバラ4ヶ国を表した4体のブロンズ像に担がれている。墓はその前の床に納められているとのこと。
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この聖堂はイスラム時代のモスクを基礎に15世紀に約100年かけて建築された物で建設には新大陸交易で得た巨万の富がつぎ込まれたとのこと。
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 横にあるヒラルダの塔は現在修復中で有ったがモスク時代のミナレットを16世紀にルネサンス洋式に改築した高さ94メートルの鐘塔で塔の上にはヒラルディーリョと呼ばれる風見鶏としてアテネ像が設置されている。異文化が融合した街のシンボルとして親しまれている。20分の自由時間があったので頂上まで登ってみたがかなりきつかった。家内は膝に人工関節を入れているのでどうかと思ったが無事登りきった。
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 その後サンタクルス街を通ってホテルに向かう。途中9〜11世紀にイスラム王の王宮として建設され、その後13世紀にはキリスト教王の居城となり14世紀にペドロ1世が大改築を行ってほぼ現在の姿になったアルカサルの城壁に沿って歩く。途中レンガがはがれて12世紀頃の壁が見えているところもあった。
また街中を馬車が観光客を乗せて走っているし、その前を路面電車が走っていて面白かった。
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その後「アルフォンソトレセ」ホテルに到着。このホテルはセビージャで最も格式の高い名門ホテルとのこと。
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 チェックインの手続きを添乗員のSさんがしている間、フロアーの椅子に座ってショルダーバッグの中を整理していたことは覚えているのだが、その時、腕時計を外したらしい。部屋に入ってあれこれしていたら添乗員のSさんが時計を忘れていませんかと言いに来てくれた。腕を見るとはめていない。ロレックスで金時計だと言ったらそれだという。急いでSさんとフロントに取りに行く。時間は日本時間にしていることを告げる。受け取ってみると間違いなく自分の時計であった。ホテルの女性従業員が見つけてくれたとのこと。お礼を言う。さすがに名門ホテルである、時計が無くならなかった。たいしたものだ。今思えば女性従業員さんにチップをやるのを忘れていたのが残念であった。
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夕食は中庭であった。テーブルの上にはろうそくがあり幻想的であった。
続きはPART 5へ

2023年11月03日

初めてのスペイン旅行PART 3

 7:30モーニングコールであったが少し早目に起床。本日の支度をしてホテル1階のレストランで朝食。バイキングスタイルで結構美味しく食べた。9:15バスにて観光に出発。スペインは朝8時と言ってもまだ日が昇らない。少し暗い感じのなか出発。
現地に住んで居られる日本人女性の方がガイドとして今日1日案内してくれる。日本語の説明で本当に助かる。
 まずスペイン広場に行く。そこには『ドン・キホーテ』の作者セルバンテス没後300年を記念して作られた広場で中央にセルバンテスが彫刻された塔がありその前には愛馬の「ロシナンテ」にまたがり槍を持った「ドン・キホーテ」とその従者「サンチョ・パンサ」の銅像があった。小説「ドン・キホーテ」を全部読んだことは無いが、風車に立ち向かう話は記憶がある。
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 それからプラド美術館に行く。ガイドさんの説明によれば世界三大美術館の一つと言われているが、人によっては他の美術館を上げる人もいるとのこと。またこのプラド美術館の収蔵品の中に略奪品が1点もないことが自慢であるおっしゃっていた。
 団体予約で前もってチケットを入手しており、拝観時間も決められていたので待ち時間もなく、正面ではない横の入り口から入館した。館内での写真撮影は一切禁止のため、スマホやビデオをショルダーバッグに入れて観た。特にスペインが誇る3大巨匠、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの作品を時代を追って観た。いずれも高校の美術の教科書に載っていた絵でエル・グレコの「聖三位一体」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」そしてゴヤの「裸のマハ」、「着衣のマハ」そして「我が子を喰らうサトゥルノ」を観た。これらの絵をこの目で実際に見ていることの驚きを感じた。パンフレットの一部を転載させてもらう。
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 プラド美術館を出たところ正面に立派な教会が目に入た。ヘロニモスレアズ教会である。
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その後ソフィア王妃芸術センターに行き門外不出のピカソの「ゲルニカ」を観た。ここは写真撮影はOKであるがフラッシュはNGだった。現地のガイドさんは36年前からスペインに在住している方で絵の説明なども本当によく勉強されていてすごく良く解った。
その後ダリの「偉大なる手淫者」の絵を観たあと昼食に行く。途中コロンブスの記念碑をバスの車窓から観た。昼食のメインはシーフードとイカスミの2種類のパエリアでサラダとデザーとがあり結構豪華であった。
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 その後バスにて世界遺産の古都『トレド』に移動する。行く途中の風景はオリーブ畑と小麦畑(現在は刈り取られている)が続く。途中一回ドライブインによってトイレ休憩をする。
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お土産物などを売っていたので何がスペインの土産なのか観てみた。トレドはBC.192年から、永い間栄え6世紀に西ゴート王国の首都になった古都で、スペインの黄金期を築いた王フェリペ2世が、都をマドリッドに遷都するまで首都で有った。ローマ、イスラム、ユダヤ、キリスト教の諸文化の後がそのまま残っている。
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 まず旧市街が一望できるタホ川の対岸からトレド市街が一望できるミラドール展望台に行き街全体を眺め、写真に収める。旧市街は昔城壁で囲まれていたとのこと。旧市街は観光バスが入れないので途中まで行き、エスカレーターで丘の上まで登る。
最初にサントトメ教会を見学。ここにはトレド出身のオルガス伯爵の葬送を題材にしたエル・グレコの「オルガス伯爵の埋葬」が有った。この絵の中にグレコ本人が描かれているとのこと。
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 次にカテドラルを観に行く。ここでは男性は帽子を脱がなくてはならない、女性は衣服の一つとして認められており脱がなくても良いのだとか。このカテドラルは完成に270年かけて造られた大聖堂で、総大理石の床、約750枚ものステンドグラスなどの装飾が内部を彩る。また天井に描かれたフレスコ画も素晴らしかった。宝物は黄金の主祭壇の彫刻で聖体祭ではキリストの体を表すパンを納めて街を担いで歩くとのこと。
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トレドの街中は中世のままの姿が残されている。市の規則で外観は決して変更してはならず、内装のみ変更可能として中世の街並みを保ってきているとのこと。結構街中を歩いた。バスにてマドリッドに戻り、夜はホテル近くのレストランで全員で食事をする。
続きはPART 4へ

2023年10月30日

初めてのスペイン旅行PART 2

 空港からおよそ1時間で市内中心部のホテル『ヴィラレアル』に着く。ホテルの前にはネプチューンの噴水が有り、通りを挟んで向かい側には国会議事堂がある。
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1時間後に希望者は添乗員さんがマドリッド市内を散策しながら案内してくれるというので全員が参加する。前もって添乗員さんが配布してくれたマドリッド散策MAPをもって歩いた。
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 まずマドリードの中心地であるプエルタ・デル・ソル(太陽の門広場)に行く。
ここは昔この町が城壁に囲まれていた時代、太陽が昇る東側の門が有ったことに由来しているとか。広場の中心にはカルロス3世の銅像があり、またマドリッドのシンボル「熊とマドローニヨ(山桃)の木」の銅像があり多くの人が集まっていた。また周りの建物が素晴らしく驚く。
何かイベントがあったのか教会の音楽隊とおぼしき人達が楽器を奏でながら行進していた。またこの広場のマドリード自治政府庁の前に、スペイン国道の起点となるプレレートがありそこに立って記念写真を撮っていた。私もと思ったが多くの人が順番待ちだったので止めた。
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 王立劇場の建物や修道院の建物を見ながら王宮のあるオリエンテ広場に向かう。
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 途中ハムなどを売っている多くの店があった。窓越しにのぞいてみるとイベリコ豚の足1本丸ごと生ハムとして売っている。お値段は高いので1本が765ユーロ、中間が500ユーロ(日本円で8万円)安いので200ユーロの値札があった。高いのにも驚いたが足1本丸ごと買う人がいるのにも驚く。
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 オリエンテ広場にはフェリペ4世の銅像があり、王宮及びその庭を外から見る。糸杉が結構植えられていた。ここでUターンをして帰路につく。最初一緒だったツアーの人たちも他に行きたい所が有るのか、三々五々に分かれたため最後は私たちともうひと組のご夫婦だけとなった。添乗員さんはホテルまで送ってくれるとのこと。
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 途中サンミゲル市場の中に入ってみた。市場には大勢の人が買い物に来ていたが、添乗員さんから「人での多いいところではリュックやショルダーバックは後ろや横に掛けないで前の方に持ってきてさらに片手で抑えるように注意を受けていた」のでその様にして中を見て回った。
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 それからマヨール広場に出てきた。大きな熊のぬいぐるみを着て子供たちを驚かせたり、若いカップルが抱き合っていたりと日本では見慣れない光景であった。
 途中路地の向こうにサン・イシドロ教会の建物を見た。この教会はスペイン初のイエズス教会として17世紀初めに建てられたとのこと。添乗員さんの話ではこの教会に支倉常長一行の天正少年使節団が寝泊まりしていたとのこと。
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 今晩は夕食がついてないので各自が適当に食事をするようになっていた。日本出発時気がついてなくて驚いた。ホテルに帰りながら夕食の算段をするためバル(日本の居酒屋の感じ)のお店のメニューなど見て回った。多くのバルは外でも食べれるようになっている。
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もうひと組のご夫婦は気に入ったバルが見つかりそこで食事をすると言うことで分かれる。私たちもホテルの直ぐ近くまで帰ってきたのでそこで添乗員さんとお別れする。
それで家内とホテルのレストランにするかどうか話したが、結局ホテル近くのスーパーマーケットに行く。日本のコンビニ程度の大きさでしかも日本の様に明るい照明ではなくて薄暗い感じの店に入りパン・牛乳・バナナ・缶ビール・ヨーグルトを買った。その際、明日出発時に枕銭がいるのでお釣りに1ユーロがいくつか入る様にして貰った。英語の片言でなんとか通じた。ホテルの部屋でゆっくり食べた。疲れたので早急に寝ることとした。続きはPART 3へ

2023年10月27日

初めてのスペイン旅行PART 1

 今年2回目の海外旅行である。1月終わりにエジプトに出かけたのはプレ金婚旅行で、今回は金婚旅行と思い、阪神航空フレンドツアー社の<名門ホテル「アルフォンソトレセ」に泊まる太陽の国スペイン9日間>のツアー旅行に参加した。
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 10月7日に出発。新尾道駅を15:21の「こだま」で出かける。このたびは新大阪まで乗り換えなしで出かけた。この方が時間がかかるが、ゆったり気ままに乗っておられる。新大阪で「はるか」に乗り換えたが、これも自由席。今回もスーツケースは前もって関空に宅配便で送ってもらうサービスを利用。私はショルダーバック一つ、家内も手提げ鞄一つで楽ちんで有った。
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 関空到着後、いつもどおり2階のローソンでおにぎりを買って食べる。その後4階の出発ロビーで円からユーロに両替をしてもらう。1ユーロ164円で手数料が6円ちょっと掛かっていた。その後フレンドツアー社のカウンターに行くと旅行鞄が必要と言われ、私が鞄を取りに行っている間、家内が受付を済ませ添乗員の方から注意事項を聞いた。実はこのことが後でとんでもないことを引き起こすことになろうとは思いもしなかった。
 エミレーツカウンターで搭乗手続きをしてもらい出発時刻までラウンジでゆっくりする。何組かの御夫婦がラウンジにいらっしゃり、多分同じツアーでは無いかと家内と話していた。ビール2杯とワインを少々飲んだ。1時間半ほどゆっくりして無事搭乗。機体はB777で両窓際が2席で中央が3席で横1列が7席のかなり窮屈な配置で有った。
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 0時前にテイクオフした。まもなく軽食がでる。食べた後いつも通り映画を観る。日本映画を探し「左様なら今晩は」を見始めた。2年間同棲していた彼女が家を出て行って一人になった若い男性の部屋に突然若い女性の幽霊がやってきて引き起こす物語だったが途中、土堂小学校下の高架橋とおぼしき場所からどうやら尾道駅を写していると思われる画面に遭遇、その後尾道の街の色々な場所が映し出され驚いた。お好み焼きの手鞠、向島大橋、尾道シネマなど、まさか飛行機の中で尾道の街を観るなんて驚きであった。大林監督時代は尾道三部作なども有り尾道を題材にした映画を観ていたが、まさか今時、尾道が出るなんてと思った。その後寝るが少し寒くて途中トイレに行く。
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 日本時間で午前7時30分頃目覚めてまた映画を観る。日本映画「私たちの幸せな結婚」を観る。途中朝食が出たが、幕の内弁当でボリュームがあった。10時間ちょっとのフライトで無事ドバイの空港に到着。
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 本当は降りたところで集まることになっていたらしいのだが、関空で手続きを家内に任せで私はスーツケースを取りに行っていたため説明を聞いていなかった。さらに頂いた書類にも目を通していなかったので、降りていく人の流れに任せて乗り継ぎ方へ行き手荷物検査を終えたところで、どうも同じツアーの人がいないことに気がつく。
 書類を出してみたら飛行機を降りたところで集まると書いてある。急いで添乗員さんに電話をする。私たちがいるところはCゲートで今度乗る飛行機はAゲートである。Aゲートは別のターミナルビルのためバスにて行かなくてはならないとのこと。家内と私は搭乗券を見せながら片言の英語で手荷物検査の所にいた係員に聞いたりしてやっとバスに乗り込み10分ほど掛けてAゲートターミナルに到着。ラウンジで他の人たちと合流できた。ほっとする。とんだハプニングであった。
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 1時間ほど休んでドバイからスペイン・マドリッド行きの飛行機に乗る。今度の機体はA380で座席も窓際1席、中央2席、の1列4席のゆったりしていて、色々の物が座席の横に置けるし、飲み物なども備えてあった。これだと寝返りが打てる。1時間ほどして朝食が出る。
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 また映画を観る。役所広司主演の松竹映画「峠」は長岡藩家老「河合継之助」を題材にした話で中々味のある話であった。見終わったときが日本時間15:35で現地時間10:35で本日の飛行ルートを観ると丁度アラビア半島の上を飛んでいた。まもなくエジプト・スエズ運河の上を通過するのであろう。
また映画を観る。今度は中井貴一主演「嘘八百・・なにわの陣」で、丁度見終わったところでマドリードに到着。現地時間13:25(日本時間20:35でNHKの「どうする家康」が日本では終わる頃の時間)で8時間弱のフライトで有った。
関空を出発してトータル21時間45分ほどの旅程であった。
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 今度は間違わないで全員で行動し各自スーツケースを受け取り、バスでとりあえずホテルに直行する。気温27℃で暑い。続きはPART 2へ

2023年10月22日

尾北16回生「もう一度喜寿を祝う会」

 9月16日に「もう一度喜寿を祝う会」が尾道のRyokan尾道西山(旧 西山別館)で開催された。昨年8月16日に34名が尾道市役所屋上に集まり「喜寿の会」が開催されたが、コロナ禍もあり食事会もなく座ることなく立ったままでの開催で有ったため、なんとなく顔合わせをしただけの感じがしていたので有ろう。11人の発起人が集まり今回企画運営をしてくれた。64名(男35名、女29名)の16回生が集まった。このようなお祝い事は数え年でするらしいのだが、昨年の8月では私は75歳になって4ヶ月しか経過して無くて、中々ピント来なかった感がしていた。
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 尾北16回生は昭和60年に開かれた同窓会で名前を16(いちろく)会と名付け、毎年お盆の8月16日に集まることにしていたがいつの間にやらうやむやとなっていたが昨年無事に復活していた。今回は1ヶ月遅れでは有ったが16日に開催できた。地元の同級生とは毎年6月に開催される北高「槙ヶ峰同窓会」で顔を合わせている。平成27年の「槙ヶ峰同窓会」では卒後50年の「ホームカミング」で招待を受け104名が集まったがその時以来の人数で有る。
 16時集合で17時から会が始まる。幹事の一人が進行役をつとめ、最初に物故者に黙祷を捧げる。配布された名簿には男性47名、女性12名の名が記されていた。当時の尾道北高校は普通科と家庭科があり、我々16回生は卒業時、普通科は男性181名、女性121名で家庭科は全員が女性で52名。男女別でいけば男性181名、女性173名であるがはるかに男性の死亡者数が多い。調査しきれなかった人たちもいると思うが、男子が4倍近く多いのに驚く。これも平均寿命が関係しているのか?
 次にA君が祝太鼓として氷川きよしの「きよしのズンドコ節」を叩いて会を盛り上げた。
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その後同窓会会長のK君の挨拶があり、白ワインで乾杯となり宴が始まる。
席は前もってくじ引きでテーブルが決まっていた。色々話を聞いていると「この年齢になると次の機会に参加できるかどうかわからないので最後かも知れないとおもい参加した」という人たちが多かった。
 県外からの参加者紹介もあり遠くは北海道からの参加者もいた。
卒業以来会ってなかった長崎からのF(旧姓T)君と話が出来たことは良かった。またここ4年ほど会っていなかった明石から参加したY君と話すと、この6月に奥様を亡くされたとか。日常生活や食事などについて色々と様子を聞いてしまう。息子さんが近くに住んでおられる様だが、ほとんどは自分でスーパーに買い物に行き自炊しているとか。  
最近家内との会話にも「お父さん私が先に行ったら食事どうするの?少し料理をしてみたらと誘われる」が聞き流していた。しかし同級生のことを聞くと少し考えなくてはと思う。
 最初お顔を見ても名前が出てこない人も多くいたが、だんだん面影が出てきたり、名札を見て思い出したりとあっという間の2時間で有った。
 最後に幹事の方から昨年の喜寿の会にはご出席いただいた恩師のK先生の近況のお手紙が披露された。2通あり6月の時点では参加することを楽しみにしているとのことで合ったが、8月のお手紙では、今年は89歳になり歩くのも少し自信が無く酷暑故に欠席するとのことで合った。
K先生は私が2年生の時赴任されてきたが、おそらく29歳でなかったかと思う。第一印象がすごかった。普通先生は授業の始まりのベルが鳴って職員室を出られるのだがこのK先生はベルが鳴る前に教室の入り口の廊下に立っていてベルが鳴ると同時に教室に入ってこられてすぐ授業開始された。驚きである。それがずっと続いていたと思う。
 最後に校歌斉唱で宴はお開きになった。タクシーが中々来ないので歩いて家まで帰る。65分かかった。
 翌朝いつものようにウォーキングをしていたらK先生のお住まいのマンションの前でぱったりお会いする。ちょうどゴミ出しに出てきておられた。昨日のことをご報告した。とても元気そうで足取りもしっかりされていて良かった。
つぎは80歳「傘寿」の会が有るのかな?

2023年09月18日

懐かしき歌

 先日、頭から布をかぶった外国籍の女性が来院された。服装でイスラム圏からの方だと思った。どこの国から来たのか聞けばインドネシアとのこと。3年以上介護施設で働いているとのこと。日本語もすごく達者である。
 インドネシアと聞いたとたん「ノーナマニサパ ヤンプーニャン ラササーヤ  サーヤゲン」とい言う言葉が急に頭に浮かんだ。
多分インドネシア語だと思ったのでこの言葉はインドネシア語ですか?と質問してみた。彼女はすごく驚いたようで「そうです」と答えてくれた。矢継ぎ早にどうして知っているのですかと逆に質問された。
 昔、昭和40年(58年前)に広大に入学したとき「広大ホームアジア」という同好会に入って活動をしていた。この同好会は当時日本政府が大東亜戦争で日本が負け、その折アジア各国に迷惑を掛けたという趣旨で日本の各地の大学へ国費留学生を招いていた。当時広島大学にはインドネシア、台湾、パキスタン、からの留学生がいた。彼らが日本で生活することや日本語の習得、勉強などのお手伝いをしたり、また色いろと意見をのべあいながら親睦を高め、日本を理解してもらうような活動をしていた。
休日にはハイキングに出かけたり、夏休みにはキャンプに行ったりクリスマス会などもあってより親睦を高めた。その時いろんな歌を歌った。その中で歌詞に「ノーナマニサパ ヤンプーニャン ノーナマニサパ ヤンプーニャン ラササーヤ  サーヤゲン」というのがあり、インドネシアからの留学生と一緒に歌った光景を思い出した。しかし歌の題は忘れていた。この歌詞の意味を逆に彼女に聞いてみたが難しいと言われた。
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 次回彼女が来院されるまでに少し知識を入れようとインターネットで検索したら「かわいあの娘(こ)は誰のもの」と言う歌でボニージャックス他、何人かが歌っていることがわかった。流行歌だったとは全く知らずラジオで聴いたこともなかった。
それで歌詞をコピーしてスマホで歌が聴けるようにして来院を待った。来院されたとき歌の歌詞を渡しスマホで聴いてもらった。この曲、元はインドネシアの民謡のようなものらしい。日本でインドネシアの歌が聴けるとは思っていなかったようでとても喜ばれた。
その後、私も再々この歌を口ずさんでいる自分に気がつく。
 同じ頃、広大工学部応用化学科で一級先輩のTさんからメールが届く。終活するつもりで段ボール箱をあけたらいろんな物が出てきたがその中にガリ版刷りの「春歌集」が出てきたといつて1ページ目の写真を添付してきた。これまた懐かしい物である。今のZ世代の人たちに「春歌」と行っても判らないであろうが私たちの世代では一杯飲んだらよく「春歌」を歌ったものである。今の若い世代では、「春をひさぐ」なんて言葉は死語に近いであろう、「売春」と言う言葉は理解できるようである。
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 それにしても添付写真の最初の歌は「めんこい仔馬」のメロディーで歌うのだが
『ゆうべとうちゃんと寝たときに、 へんなところに芋がある、 とうちゃんこの芋なんの芋  オーラ  坊やよく聞けこの芋は、 坊や作った種芋さ。』・・・・
私も何回も歌った懐かしい歌である。
 いろんな歌が替え歌となっていて、「性」や「セックス」を想起させるものがほとんどで有った様に思う。それにしても替え歌の歌詞を作詞した人はごく普通の人であろうが、作詞家としての才能があったのでは無いか? あるいは詩人では無いのかと想像してしまう。私にとっては古き良き時代の日本の文化かなと思う。今の若い世代はいやらしいと毛嫌いするのであろうが。

2023年09月05日

今年のお振り返る振り返る

 今年はカレンダの関係で8月10日木曜日(通常は休診日)と12日土曜日を入れ替え、11日から15日までの5日間という長いお盆休みとさせていただいた。患者様にはご不便をおかけしました。
 10日に台風6号が通り過ぎ良かったと思っていたが、お盆休み後半には台風7号が接近して雨を降らした。幸いここ尾道はほとんど被害も無く良かった。
 ところでお盆には毎年お墓参りに行くが、今年は台風の心配もあり1日早く12日に出かける。まず齊田の墓所に行くが、すでに息子達が先に参ってくれてお花が供えてあった。その後家内の家のお墓参りにいく。
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 その墓所への道の途中で30m位離れた藤井川の土手にかなり大きな木で白い花が咲いているのを見つけた。何だろうと思って家内と川土手を進むと「百日紅の木」で花が満開から少し散りかけていた。その向こうにも赤ピンクの花が有ったがこれも「百日紅」であった。何十年もお盆の時期お墓参りに行くのだが、ついぞ気がつかなかった。今まではお墓に参ることに集中しすぎて周囲をゆっくり見渡すようなこともなかったのかも知れない。
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 家内の実家のお墓もすでに兄嫁や甥っ子達が来て墓掃除をし、お花が供えられていた。帰りに藤井川の流れを観ながら歩いていたら石の上に小亀が甲羅干しをしていた。
 帰って昼から本読んでいたら「父母もその父母もわが身なり われを愛せよ我を敬せよ」(二宮尊徳)という一文に出会った。この一文を見てまさにお墓参りがこの一文を導いてくれたと思った。先祖からこの命を代々受け継いで今がある。決して自分一人ではないその血の重さを考えるとこの命大切にしなくてはと思う。孫達にもそのような話をすることが大切で、日本国中でそのような雰囲気になれば自殺など無くなるのではないのかな。
 13日、14日は気温も高かったが、朝8時頃から13時頃まで畑に出て草取りや水撒きをする。草を取るのに中腰でするせいか腰が痛くて適わない。そして15日は終戦記念日である。12時にはNHKの中継を観ながら起立して1分間の黙祷をした。私の父親は昭和17年2月にシンガポールでイギリス軍の砲弾の破片が胸に入り生死をさまよったが無事生還し、終戦時は除隊をしていた。そのおかげで私はこの世に産まれた。砲弾の破片は死ぬまで肺の中に有った様だ。昔、胸のレントゲン写真に破片が写っていたのを観たことがある。
 昼からインターネットを見ていたら「本川 裕」(統計探偵/統計データ分析家)氏の書かれた一文を見つけた。それは2022/06/08 13:00にアップされたもので「国のために戦いますか?」日本人の「はい」率は世界最低13%・・・50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由 他国はリーマンシュック後の世界金融危機直後に「国防意識」上昇
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 グラフを見ると下位2番目がリトアニアで32.8%、3位はスペイン33.5%、4位マケドニア36.2%、5位イタリア37.4%で、現在戦争をしているウクライナは27位で56.9%、ロシアは45位で68.2%。なお米国は30位の59.6%、韓国は40位の67.4%、台湾は60位の76.9%で最も国防意識の強いのはベトナムで96.4%であった。
(なおこのデターは各国の全国18歳以上男女1,000〜2,000サンプル程度の意識調査結果)
 この表を見て日本の低さは異常で本当に驚いた。あまりにも日本人はお花畑状態ではないかと思った。国際情勢では2027年にでも台湾を巡って米中戦争が起きるかも知れないと予測されている。そうなれば日本は否応なしに戦争に巻き込まれる。その時日本人はどうするので有ろうか?私は少なくとも戦う。そのように思っていたところ、その日の19:30から図らずもNHKスペシャルで「Z世代と”戦争“ 3千人アンケート」という番組が放映された。その質問に
1、10年以内に日本が戦争に巻き込まれる可能性はあると思うか?
  あると思うが17%、どちらかといえばあると思うが38%で半数を超えていた。
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2、もしも日本が戦争に巻き込まれたらどうするか?
  戦争に参加せず戦争反対の声を上げる 36%
  戦闘に参加せず国外に逃げる 21%
  戦闘には参加しないが戦いを支持する活動に参加する 10%
  戦闘に参加する 5%
  わからない 答えたくない22%
と報道されていた、他にも
3、この世界から戦争はなくせると思うか?等全部で7つの質問があった。
 戦争は出来るだけしないことに越したことはない。しかし相手国から勝手に攻められたときどうするかの心構えは前もってしておかなくてはならない。台湾有事があれば中国は必ず日本の米軍基地にミサイル攻撃をする。そうなれば日本は攻撃されたとして反撃することになる。当然自分だけではなく家族も被害を受ける。今のロシア・ウクライナ戦争がそれを示している。何もしないで降参してしまうと中国に占領されウイグルやチベットと同様にニッポン自治区とされ言論の自由もなければ行動の自由もなくなることは大いに想像できる。2600年以上続くこの日本が私は大好きである。なんとしても日本国が持続できる様にしたい。

2023年08月18日

初めての「エスコンフィールド北海道」

 先月15〜17日に4年振りの北海道に出かけた。そして7月29日には札幌ロイトンホテルで北海道医療大学歯学部同窓会理事会が開催されそれに出席した。宿泊は同じロイトンにした。ちなみに私は副会長を拝命している。今回はJALで出かけたので広島空港を10:35発で行くことになっていたが40分ほど遅れて出発となった。聞くところによれば翌30日に千歳航空自衛隊の航空祭の予行演習のため滑走路の使用制限があったようだ。
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 夕方から理事会が始まったが、考えてみれば2020年8月に今の理事会が発足して初めて対面での理事会になる。コロナのために3年間はZoomでの理事会であつた。しかもこのメンバーでの理事会はこれが最初で最後の対面理事会とは思いもつかなかった。事業報告、決算、次期の事業計画などについて話し合う。来年は同窓会ができて丁度40周年になるため、祝賀会などについても少し話し合う。会議終了後懇親会あり。4年振りゆえ大いに花が咲く。
 翌日飛行機は14:55であり少し時間的余裕がある。今までも千歳で開業している同級生のU先生とたびたび会っていたがここ4年会っていなかったので会おうと前もって予約を入れておいた。大抵は色々のところにドライブをしながら1年分のお話をするのだが今回は4年分である。前回2019年には支笏湖の丸駒温泉に連れて行って貰い1時間ほど湯につかりながら話をしたことを思い出した。今回会う約束をした際、北広島の日本ハムファイターズの球場「エスコンフィールド」が観てみたいと言っておいた。
 朝九時にホテルに迎えに来てくれて、北広島に向かう。途中近況などを話すが彼も65歳を超えて高齢者になったとか。
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 「エスコンフィールド」には駐車場があるが、もし駐車出来なかったらまずいので、あらかじめ北広島駅前で開業している同級生のN歯科医院駐車場を借りていてくれた。そこに止め駅から球場まではタクシーで行く、タクシー乗り場で並んでいると私たちの一つ前に並んでいた若い女性(大学生風)が「タクシーをシェアーしませんか?料金は半額払います」と話しかけてきた。シェアーすることには同意したが料金はいらないと話す。最も払うのはU先生なのだが。後期高齢者の私など孫娘ほどの若い女性に声を掛けられるとどぎまぎする。向こうも老人なので大丈夫と思ったのかも知れない?
 タクシーに乗り込んでから話をすると野球観戦ではなく、球場内でビール売り歩くアルバイトをしているとのこと。
 当日は13:00から日ハムとオリックスの試合がある日で、U先生が前もって観戦チケットを手にいれていてくれた。最も飛行機の関係で試合を観ることは出来ないが10時過ぎに会場に着きチケットのQRコードをかざして手荷物検査を受けて入場、すると色々なグッヅを手渡してくれた。その中にグルメガイドの本があり球場内の食べ物屋さんの案内が載っていた。スマホで注文すると観戦席までデリバーしてくれるサービスもあるようだ。また選手のおすすめ料理や食べ物、飲み物なども記載されていた。また野球の試合がない日でも来場できてグルメを堪能できるとのこと。
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 入ったすぐそこは2階席で目の前にグランドが見下ろせた、当日は少し雨が降っていたため屋根付きとなっていた。チケットは4階席である。
球場の中を歩いて見学。ファイターズガールがいて目が合うとにっこり笑ってくれた。中々笑顔が素敵であった。
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また壁にはダルビッシュ有選手と大谷翔平選手の二人が描かれたウオールアートがあり記念撮影をしている家族もいた。
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またクラフトビール醸造レストランもあったし、天然温泉もありびっくり。至る所に案内の人が立っていてすぐ色々なことを教えてくれたりしてありがたい。
 せっかく観戦チケットがあるので3塁側の4階の指定席に座りに行く。しばらく座って日ハムの選手の練習風景を観た。
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 帰りがけにU先生がお孫さんへと「狐ダンスのカチューシャ」を買ってくれた。そこで初めて知ったのだが、球場内では現金が使えず、スマホ決済またはカード決済とのこと驚く。
狐ダンスは流行っているとのこと。そういえば観戦に来ている子供や大人も狐ダンスのカチューシャをつけている人が多くいた。カープファンなので日ハムのことを知らずに申し訳ない。広島マツダスタジアムしか知らないのだが、とても進化した素敵な球場だと思った。
 12時前にエスコンフィールドを後にして新千歳空港に向かう。途中ブルーインパルスが空を飛んでいるのを道路脇に車を止めて観たが、スピードが速く中々スマホで撮影するのが大変であった。何回もUターンしながら千歳の上を飛んでくれたので撮影できた。また航空自衛隊の基地には政府専用機も駐機しているのが見えた。
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 空港でU先生と別れたが、「時間と体とお金を使わせU先生には申し訳なかった」と感謝でいっぱいである。

2023年08月07日

4年振りの北海道 (3)

 いよいよ最終日、起床して外を見ると深い霧に覆われて何にも見えなかったが、9時頃には少し霧が晴れて洞爺湖の中島が見えてきた。旅行会社の予定表ではタクシーが11時にホテルに迎えに来ることになっていた。出発時間までゆったり過ごす。
タクシーに乗って運転手さんと話したところ、予定表では昭和新山見学と有珠山のロープウエイに乗るとなっていた。
有珠山のロープウエイに乗るのは気乗りせず断る。代わりに「洞爺湖サミット記念資料館」をみたいと提案した。山の上のホテルから下りていくとき霧がなければ羊蹄山が綺麗に見えるスポットと言われたが何も見えず。
運転手さんは有珠山ロープウエイ観光がなくなり1時間の空き時間をどのようにしたら良いのか困られたようだ。とりあえず昭和新山に向かい、途中「洞爺湖サミット記念資料館」を観た。当時使用したテーブルと椅子が展示されていた。またどのような食事が提供されたか、そしてどんなことが討議されたのかがパネルで展示されていた。
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 その後昭和新山に向かう。当別に住んでいた時、家族4人できたことを思い出した。その時、足元の石を拾ったが今も持っており、その石には1981年5月3日と書かれていた。
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昭和新山については小学生のとき国語の教科書に記述があった気がする。
運転手さんは地元人なので色々考えて昭和新山と有珠山がよく見える所に連れて行ってくれた。
 そしてあじさいが咲いていて綺麗なお寺が有るからと案内された。「有珠善光寺」である。このお寺はホームページによれば826年に天台宗僧侶慈覚大師円仁が有珠を訪れ小宇を造り阿弥陀如来像を安置したことが寺の開基とされている。その後1613年に松前藩主の松前慶弘が有珠を訪れ如来堂を再興し阿弥陀如来を安置して善光寺と称した。
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 さらに1804年江戸幕府が蝦夷地を直轄するにあたり設置された「蝦夷三官寺」の一つとなり本堂や客殿が再興されたと記載されている。お寺の線香を立てる器に徳川家の家紋が入っていた。
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 あじさいは花の形も色もいろいろの種類が有り綺麗であった。私たちが訪れたときは丁度「アジサイマルシェ キッチンカーフェスin有珠善光寺」が開催されておりかなりの人が集まっていた。かき氷をここで食べた。
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 次に入江貝塚に連れて行ってもらう。ここは今から4000年以上昔の縄文人が住んでいた所である。尾道にも高須に太田貝塚が有ったが保存がいきとどかず、今は石碑のみが建っており、出土品も多くは逸散し一部保存されているようだが公開はされていない。残念である。入江貝塚の入り口には貝塚の層が分かる様に垂直の壁が切り出されて展示されていた。縦穴住居跡もある。人骨が出土した写真などもあった。
その後近くの「入江・高砂貝塚館」に案内してもらい出土品などをみた。動物の骨かなんかで作った釣り針には現代と同じようにフックがついており、掛かった魚が逃げられない構造になっていた。4000年以上前のその時代にそのようなアイデアがあったことに驚く。
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そして「世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群」というポスターが貼ってあった。以前何かでアイヌの人たちは先住民族だと書いてあったのを読んだことがあった。しかし今回の貝怩みたりすると少なくとも北海道の先住民族は縄文人でありアイヌの人たちは縄文人が寒冷化に伴い本州方面に移動した後、オホーツク方面からやってきて住み着いた人ではないのかと思う。もちろん今は日本人ではあるが、先住民だったと言う表現は違うのではないだろうか? 多分すでに分析はされていると思うが、アイヌ人のDNAと縄文人のDNAを比較すれば良いのでは。
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 その後、2000年に有珠山で噴火が起きて土地が隆起したところに案内された。ここの案内板の写真と見比べながら、1853年の爆発でできた大有珠、1977〜1978年の噴火でできた有珠新山、年代不明の西山を確認した。またその手前に、2000年の噴火で盛り上がった小さな山が見えている。2000年の噴火のときは既に定点観測がなされ噴火予知情報が発出されたため、全員が避難し命を失う人はいなかったとのこと。運転手さんの話では、有珠山は30年周期ぐらいで噴火しているとのこと、そろそろ噴火する時期が近づいているらしい。
洞爺駅まで送ってもらい15:30の「北斗13号」にて南千歳駅に行き、エアポート号に乗り換え新千歳空港に着く。18:55の飛行機に乗るつもりでいたが結局40分遅れでテイクオフ。おかげで家にたどりついたのは22時45分頃であった。

2023年07月28日

4年振りの北海道 (2)

 今日は12:09札幌発「北斗12号」で洞爺に向かうことになっている。朝食は「ビュッフェタイプ」でお腹いっぱい食べた。ホテルからは駅までは歩いて行ける距離で、近くに時計台、北海道庁が有るのでそこを観ながら駅に行くことにした。時計台にも多くの観光客がいた。また道庁に行くと改修工事が行われていた。建物全体が素屋根で覆われ外側に道庁の建物を写真撮影して印刷された幌で覆われていた。
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 一見それらしく見えるが、残念ながらいつもの赤煉瓦の建物をみることはできなかった。何年か前に時計台が改修工事をしていたときと同じように印刷された幌で覆われていたのを思い出した。改修工事は2025年2月までの予定とのこと。道庁の前の池には赤と白の睡蓮が咲いておりマガモがゆったり遊んでいた。
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 その後駅に行き、列車で洞爺へ向かう。洞爺湖は何回か観たことがあったが洞爺湖温泉には入浴したことがない。宿は旅行会社にお任せしていたところ2008年の洞爺湖サミットが開催された「ザ・ウィンザーホテル洞爺」とのこと。洞爺駅には当時のサミットの案内があった。よく見ると旗が9本立っていてG8であった。今年の広島サミットではG7であったが当時はロシアが参加していてG8だったのだと改めて思い出した。
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 ホテルまでの公共交通は無くお迎えバスにて40分ほど掛かった。ホテルは山の上でそこにはホテル以外に何も無い。だから警備がしやすくサミット会場に選ばれたのかも知れない。TVニュースなどでこのホテルの外観は何回も観たことがあった。
 今度は予約の部屋(ジュニアースイートルーム)があった。昨日の部屋より狭いがそれでも十分に大きい。ちなみに隣の909号室は当時のアメリカ合衆国大統領ブッシュ氏が宿泊した部屋で広さはおそらく私が泊まった部屋の倍以上だと思われた。
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 夕食までしばらく時間があったのでホテル内や外を散策してみた。すごく大きなホテルで散策するにもそこそこ時間を費やした。散策途中サミットを記念して植樹された木が大きくなっていた。また各国首脳が並んで記念撮影をしたところがあり、ちょうど福田康夫首相が立っていた同じ位置に立って写真を撮った。このホテルはゴルフ場やスキー場も併設していてリゾートホテルという感じがした。部屋の窓からは洞爺湖がよく見えた。
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 散策後温泉に入りそれから夕食となったがフランス料理、和食、中華料理の3タイプの内、チェックイン時に中華をお願いした。またチェックイン時にドリンク券が一人一枚ついていたので、それを出しビールを飲む。家内もビールを頼み少し飲んだと後、私にくれたのでそれを飲み他にアルコール類は注文しなかった。料理はなかなか美味しかったし、品数もあり十分にお腹が太った。そういえば、朝食をいっぱい食べたせいかお昼に腹が減らなくて昼食を食べていなかった。夕食後再度温泉に入り就寝。明日はこの近辺を観光し、帰路につくことにしてい

2023年07月24日

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