大先生(元院長)のブログ
正月休み |
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2012年01月09日
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50年目の同窓会 |
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2012年01月04日
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映画「聨合艦隊司令長官 山本五十六」を観て |
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2011年12月26日
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留学生がやって来た |
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2011年12月20日
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大恩人『O』先生の想いで |
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| 11月末に尾道市歯科医師会の重鎮であられた『O』先生が突然にお亡くなりになられた。私としては少し心にぽっかり穴が空いたようで、さびしい感じがしている。
『O』先生は私が歯科医になるきっかけをアドバイスしていただいた、ある意味私にとっては大恩人である。30歳の時会社勤めをしていた私は、風邪を引いたが重要会議や研究やらで会社を休むことが出来ずついにダウンしてしまう。その時初めてこのままサラリーマンをしていて良いのだろうかと悩み、なんとなく医者になりたいと思った。 そう言う時、たまたま『O』先生とお知り合いになり、自分の考えを言ったら「医者になるより歯医者になったほうが良い、6年間勉強して更に研修をしていたりすると開業までに長時間を要する。君の年齢ではリスクがある」と仰られた。即座に歯科医になる決意をしたのである。

その後歯科医になり、尾道市歯科医師会の会員となって現在地に開業した。
当時は開業するに当たって必ず開業披露宴があり、口上を述べたりするのが常であった。暴力団の襲名披露に近いところがあった。私のように医科や歯科とは全く関係の無い家に育った門外漢にとっては、視るもの聞くものが初めてで緊張の連続であった。だからこそ『O』先生は色々と私を気遣って教えて下ったようである。
例えば宴会でお酒を注ぎに行くのも礼儀がある。今でこそエイズなどが感染するといって勧杯をする習慣は廃れたが、私が入会した頃はまだまだ勧杯が主流であった。今頃の若い人は目上の人にどうぞといって直ぐお酒を注ぐが、本当は若い人が目上の人にまず「お流れ頂戴します」といってお酒を注いでもらい、それから返杯するのが儀礼である。こういうことも初めて『O』先生に教わった。
また宴会の後など2階から階段を降りて帰るときでも目上の人より先に下りると『えらくなったのー』といわれたり、後から降りると『俺を見下ろすのか』といわれたりした。こうなるとどちらが良いのかわからないが、要するに相手を気遣い声がけをしながらその場の雰囲気で判断せよと教えていただいたのだと思った。
色々の場面で私が恥をかかないようにそれとなく教えていただいた気がする。『O』先生にとって私は目の離せない乳幼児の様な存在だったのではなかろうか?
そんな私が今年、尾道市歯科医師会の会長に就任した時、『O』先生は自分のことのように喜んで下さり、会長としての心構えまで伝授していただいた。
そんな私が『O』先生の葬儀に当たり、尾道市歯科医師会を代表して弔辞を読むことになろうとは思いもよりませんでした。今にして思えば先生が私に歯科医師になるようにアドバイスしてくれた時から、弔辞を読むことは宿命で決まっていたのかもしれない。そういう縁が有ったのだと思えてならない。『O』先生の御霊が安らかなれと御冥福をお祈り申し上げ、御遺族の上に御加護を賜らんことを念じております。 合掌
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2011年12月11日
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論語を習う |
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2011年12月07日
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「台湾」旅行 PART 5 |
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2011年11月17日
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