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大先生(元院長)のブログ

「武陵源」旅行 PART 5

 翌朝もモーニングコールで起こされるが、昨日よりは気分的に余裕がある。ホテルの窓から外の風景を写したが桂林を思わせる風景があった。またホテルの玄関には「さいだ歯科医院」のシンボルになっている「サイ」の置物があり嬉しくなった。
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 本日は「世界遺産・張家界国立森林公園」の散策である。家内はまだ歩くことがママならず、公園入り口の土産物屋のベンチで腰掛けて待つことになった。
まず「金鞭峡景区」観光である。ここは武陵源で最も美しいと言われる渓流で森林浴を楽しみながら遊歩道を約3km散策した。現地案内人によれば日本の奥入瀬に似ているといわれたが水の量がさっぱりだった。
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林立する石柱群                     奥入瀬?
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                      整備された遊歩道
 昨日は石柱群を上から観たが、今日は下から仰いで見る感じである。説明によると地質は石英砂岩で昔このあたりは海だったのだが、地殻の変動で隆起し、その後侵食されやすい部分がなくなり今のような地形になったのだという。
それにしてもこの景観は日本では見られない素晴らしいものであった。
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   白く細いのがオルソセラス
 ところで昨日もそうだが、遊歩道は一枚約40センチ角の砂岩と思われる石の板が敷き詰められ、歩きやすくなっている。この石の表面に所々白い模様がある。気になってよく見るとどうやら化石である。巻貝やオルソセラス(アンモナイトやイカの祖先)、ウミユリのようなものが入っている。およそ5億年前の化石を踏みながら歩くことに興奮を覚えた。
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観音様の横顔?         中国猿       ミャオ族の衣装(襟が無い)
 写真の岩山の途中黒く写っている部分は数年前に岩が崩れ落ちたと説明があった。この地域は地震は無いのだそうだが、風化によって今でも侵食されていることを実感した。
遊歩道近くにはサルが出没し、また途中にミャオ族の衣装を着た女の子が観光客との写真撮影で現金収入を得るように働いていた。続きはPART 6へ

2011年08月30日

「武陵源」旅行 PART  4

 食後、オプションとして「張家界・魅力湖西」大劇場でのショウの観劇を案内され、せっかくの機会だし家内も何とか行けそうなので観に行く。
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  パンフレット                     劇場入り口
  パンフレットに寄ればこの劇場は昨年5月にオープンし、観客席3000人の大劇場である。中国少数民族、特に土家族、ミャオ族、トン族、白族、ヨウ族などの原住民たちの面白い風俗習慣と素晴らしい民族性を再現していると書かれていた。
 実際劇場に行くとその大きさ、中の観客席など素晴らしい。
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   入り口のモニュメント                 野外公演の舞台
 開演時間を少し回っていたが、劇場はほぼ満席である。
演目は一応英語と中国語で説明があり、右脇の壁には、中国語、英語、韓国語、
タイ語(多分?)で説明文が表示されていた。今日1日を観光してみて説明碑文は中国語と韓国語の表記がなされているところが多かった。漢字は中国表記であるがなんとなく読める。日本人の観光客はまだ少ないようである。そういえば現地案内人の「彭徳」氏によればここ張家界には日本語ガイドがいないとのこと、自分は長沙市から来たのだと言っていた。
 舞台は色々の仕掛けがあり、効果的な照明やレーザー光線の多用、天井からシャボン玉を降らせたりと趣向が凝らしてあった。古代からの時代の流れに沿って、各少数民族の逸話のようなものが題材だったようである。
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 そして一般観客が舞台に上がって平和な村の生活を一緒にエンジョイするような場面設定もあり中々のものであった。その後劇場の野外ステージでは力自慢の演目や薪の上を歩く火渡りのようなものまで見せてくれた。
そういえば一昨年行った桂林でも同じようなショウがあった。
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  少数民族衣装の踊り子           DVD・絵葉書などを売っている
 ホテルに帰り家内の足を少しマッサージしたが、昨日はほとんど寝る時間がなかったのと今日の山歩きでぐったり疲れ早々に寝た。明日家内の足が少しでも良くなって入れば良いのだが。
 続きはPART 5へ

2011年08月26日

「武陵源」旅行 PART 3

 昼からは山の上を3キロほど歩きながら移動するため、家内が参加するのは無理と判断し、食事の後、広島から同行していた「ちゅーピー」の添乗員さんが付き添ってホテルに帰った。後で聞いた話だが、帰るのも大変だったようである。家内にとっては自分が行きたくて決めたツアーだけに心残りが大きかったのでは無いかと思う。
 食後「仙女献花」、「御筆山」等の奇峰群を観てまたバスに乗り、袁家界風景区観光に行く。
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 ここの風景は正に映画「アバター」の原風景になっているところで、高さ300m長さ50mの自然の石橋や「迷魂台」等の大自然の奇観を見ながら3キロほど歩いた。
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 途中映画「アバター」に出てくるマウンテン・バンシーの銅像が置いてあったが、そこでは中国人のカメラマンガ脚立の上に陣取り、観光客に記念撮影をするよう勧めていた。写真を撮られると一枚10元と請求される。Sさんは何が何だか分からず、自分のデジカメを使って撮ってもらったら金をよこせというしぐさをされた。1元出すと怒って何やら怒鳴られていた。10元と書いた紙を見せられ慌てて払う。
 見学コースが終わると下山するのだが、これは高さ326メートルのエレベーターで降りる。上半分くらいは外に出ているため乗っても外の景色が良く見えた。途中からは岩山をくりぬいた中をエレベーターが通る。
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 これで予定した今日の観光は終わりである。ホテルに帰ると休む暇なく直ぐ食事に出かけることになっていた。ロープウエーでの2時間待ちがすべて計画を狂わせた。
 家内はホテルに帰ってマッサージを頼んでしてもらい休んだので少し楽にはなったが自力歩行はかなり難しいようであった。
 昼の山の上のレストランは名ばかりの小汚いところで、食べることにも少し抵抗があったが、夜はよそのホテルで食事となった。少しこぎれいで食欲がわく
 続きはPART 4へ

2011年08月25日

「武陵源」旅行 PART 2

 4時間チョイの睡眠、モーニングコールで起こされる。いよいよ今日から観光である。
 ところで中華人民共和国国家観光局発行の日本語版パンフレットに寄れば張家界市は中国湖南省の北西部に位置し、面積9563平方キロで人口154万人の内、72%はトチャ族、ペー族、ミャオ族などの少数民族からなっている。張家界市所轄の武陵源風景区は「張家界国家森林公園、索渓峪自然保護区、天子山自然保護区の三大景勝区を含み面積264平方キロで、区内には奇峰が立ち並び、怪石が転がり、峰、林、洞、湖、滝を一身に集め、奇、秀、幽、野、険を揃って「天下第一の奇山」、「中国山水画のモデル」と絶賛されている。1992年に『世界遺産』の「世界自然遺産リスト」の収められたとあった。
 午前中は世界自然遺産・天子山自然保護区観光に出かける。中国人の「彭徳」さんというガイドが同行してくれる。中々流暢な日本語を話し日本のこともよく知っている。宿泊したホテルから3分くらいのところに公園の入り口がある。
2日間観光するために観光パスを発行してもらうのだがこれが親指の指紋認証システムである。多分中国製と思われるのだが、中々うまくカードに記憶できなくて何度もやり直させられた。
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武陵源入り口                      指紋承認カード発行
 入場すると次は専用のバスに乗り換える。まず索渓峪自然保護区にある、「十里画廊」と言うところにいく。バスが停まるとそこから先はトロッコ列車に乗り換えた。周りは切り立った岩山があり、トロッコの車窓から見る景色は、以前行ったことのある桂林の景色を思い起こすようであった。片道10分ほど乗って終点で20分ほど散策して引き返す。トチャ族の女の子達が写真に一緒に写れるように民族衣装を着ていた。トロッコ乗り場には地元民達がみやげ物や食べ物などを売りながら盛んに勧誘している。
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    トロッコ                  トロッコ車窓から観る奇峰
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    トチャ族の女の子               魚・薩摩揚げ?・焼き鳥
 トロッコを降りてまたバスに乗るために歩いていたところ、家内に後ろから現地の子供がぶっかって来て、膝が「カクント」なってよろめいた。
それから右足に力が入らずほとんど歩けなくなる。人に助けてもらいながらやっとバスに乗り込む。
 次は天子山頂上の賀龍公園に行くのだが片道10分のロープウエーに乗る必要がある。ところがその乗り場には人・人の波である。気温が高く最初は炎天下で並ぶ。熱中症に気をつけてペットボトルの水を飲んだりした。ほんに少しづつ列が動いて前に進むのだが結局乗るまでに2時間並ばされた。その間、家内は木陰のベンチに横たわり、一緒に行ったSさんの奥様(看護婦さん)が付き添い、冷やしたりマッサージをしたりして介護してもらう。我々が乗るときに合流することになった。
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      ロープウエー               ロープウエーからの景色
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                        アバターに採用された奇峰一覧
 昼食が天子山頂上のレストランで取ることになっていたので、家内も行かざるを得ず、皆に抱えられてとにかく頂上のレストランまでは行く。
ロープウエーから見る景色は素晴らしかった。続きはPART 3へ

2011年08月23日

「武陵源」旅行 PART 1

 このお盆休みに中国湖南省張家界の「武陵源」の旅に出かけた。このたびはいつも家族づきあいをさせて頂いているS夫妻と一緒である。
武陵源といっても私は全く知らない。家内が滅多に無いツアーだからと申し込んだ。インターネットでどんなところか少し検索してみたが岩山が林立している程度しか載っていない。現地に行って初めて知ったのだが、一昨年観た映画「アバター」の中に出てくる衛星パンドラの原風景になったところだ。
映画の中の空中に浮いてる岩山は武陵源の岩山の上部を切り取って合成されているとのこと。
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  映画の一場面                 武陵源の岩山
今回の「ちゅーピーツアー」は添乗員を含め総勢16人のグループである。
広島空港を9:20ほぼ定刻どおりに離陸、上海(浦東)に現地時間10:00到着。上海から目的地の張家界飛行場への乗り継ぎは18:10であり、あまりにも時間が有るということで乗り継ぎ時間を利用して空港を出て昼食をとり、少し市内観光をする。といってもTV塔が見える観光スポットとその近くの歩行天通りを各自勝手に観光。 DSC00494-1.jpg  P8130028-1.jpg
私は1人でランドマークビルの百貨店に入ったりして時間をつぶす。中国の郵便ポストが緑だと始めて知った。

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 集合時間に集まり途中ゲリラ豪雨のような雨の中を空港に行く。再度カウンターを通過し国内線のターミナルに行くが、同じ搭乗口を使う15:00の飛行機が3時間以上遅れている。出発の時間が来ても飛行機は来ない。どうやら先ほどのゲリラ豪雨が影響したようだ。1時間ほど待ったころ、15:00発に乗るはずだった乗客が搭乗ゲートの係官達に詰め寄り騒ぎ出し、とりわけ女性客の抗議が凄くシュプレヒコールをあげ出す。日本女性ではこんなにはならないであろう。止む無くその乗客たちに弁当が配られていた。
 私達の飛行機もやはり3時間を過ぎても来ない。その頃になってビスケットと水が配られ一息入れた。さらに1時間以上経ったころ搭乗口が変更になったと案内があり移動する。そこで弁当が配られ待つこと1時間ほどして搭乗する。結局離陸までに予定より6時間オーバーして日付が変わるころに離陸。飛行機の中で機内食が出たが先ほど弁当を食べていたため、あまり食べれない。
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    張家界空港到着ロビーにて
 やっと張家界のホテルについてさっと風呂に入り、寝たのは2時(日本時間AM:3時)を回っていた。実に22時間以上起きていたことになる。明日からの観光が体力的に思いやられる。

2011年08月19日

NHKドキュメンタリー「ふたり・宮崎駿X宮崎吾朗」と映画「コクリコ坂から」

 8月9日夕食を食べながらたまたまドキュメンタリーを観た。内容は父である宮崎駿と息子の宮崎吾朗が新作「コクリコ坂から」の製作に関しての父と子の300日戦争を描いたものである。
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 「コクリコ坂から」は息子の吾朗が監督で、脚本が父・駿である。宮崎駿は日本におけるアニメーション界の第一人者、息子吾朗は建設コンサルタントや環境デザイナーというまったく別の仕事をしていたが、「アニメーションを作ってみたい」と言う気持ちで6年前、吾朗は父の反対を押し切って『ゲド戦記』で監督になった。
しかし、そんな息子を父は認めていなかった。
 吾朗にとって2作目となる「コクリコ坂から」では、ヒロイン・海のキャラクターが暗いイメージでしか表現できない。キャラクターの設定を巡って駿は一歩も譲らない、壮絶なバトル、幾度となく衝突する父と子の葛藤を描いていた。危機的状況の中、父から息子に一枚の絵が届けられる。その絵によって一気にヒロインのイメージが出来上がった。さらに父・駿は水面下でこっそり鈴木プロデューサーに映画の最初の場面にヒロイン・海が布団をたたむシーンを入れたほうが良いことを話す。そして鈴木はそれを息子吾朗にそれとなく伝える。がけっぷちの状況の中、追い込み作業をし、からくも7月公開に間に合った。
息子吾朗にとって既に伝説となった父と常に比較されながら挑戦し続けていく、父と子・ふたりの関係を余すところなく映像化していた。
映像のそこかしこに父・駿が心の中で息子・吾朗が自分を超えることを願っているように思えた。
私にも同じ歯科医師の息子2人がいるが、早く私を追い越して欲しいと願っている。

 このドキュメンタリーを観て急に「コクリコ坂から」が観たくなりインターネットで調べたら21:50のレイトショウーに間に合うことが判り、直ぐに出かけた。 
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 ドキュメンタリーにあった様にヒロイン・海ちゃんの布団を上げるシーンから始まった。また父が届けた絵の場面も出てきた。
物語の内容も良いのだが、それよりも映画の中の風景や時代設定に凄く懐かしさを感じた。ヒロイン・海ちゃんは高校2年生。
映画のパンフレットの裏に、企画のための覚書「コクリコ坂から」について『港の見える丘』 企画 宮崎 駿とあった。
それを読むと「舞台は横浜、時代は東京オリンピックの前年とあった。」
まさに私も高校2年生、ヒロイン・海ちゃんと一緒。
 「首都高速はまだないが、交通地獄が叫ばれ、道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京からカワセミが消え学級の中で共通するアダ名が消えて時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。新しい時代の幕開けであり、何かが失われようとしている時代でもある」と書いてあった。
 映画を観ながら自分の青春時代を思い出し、背景に懐かしさを覚えながら、微笑みながら観た。ヒロインの「海ちゃん」と彼氏の「俊」がお互いに好きと告白しあうが、そこは都会の子、尾道ではまだ高校2年生で告白する勇気をもった同級生はいなかったように思う。
子供向けのアニメかと思っていたが、団塊の世代にとっては懐かしくほろ苦さを感じる映画ではないかと思う。

2011年08月11日

8月という月

 明日8月9日は「長崎の原爆の日」である。6日は「広島原爆の日(慰霊の日)」であった。そして15日は終戦記念日、いずれも今年で66年が経過する。
私のように戦後生まれにはあまりピンと来ないが、それでも進駐軍は見たような記憶がある。
 8月6日、たまたま歯科医師会関係の会議で広島に出かけた。せっかく6日に来たのだからと、会議までの時間を利用して平和公園に足を伸ばし、慰霊碑に手を合わせた。さらに平和の鐘もひとつきした。その日の朝にはNHK・TVのLIVE中継で記念式典を見、黙祷をしていたのだが、やはり現地で手を合わせたりするとまた違った感じがした。
丁度訪れたのは2時ごろであったが多くの人たちがまだ慰霊碑の前に並んで、お祈りの順番を待っていて、いつもと違う平和公園がそこにあった。
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 慰霊碑前の広場はTVで見た式典のときの椅子やテントなどの片付けがなされており、原爆ドームの見える川辺では恐らく、夕方のニュースの実況中継や夜のトーク番組を行うのであろうか、各TV局が陣取り合戦をして、マイクやスピーカーの調整に余念が無いようであった。
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 原爆供養塔の前では夕方、各宗派によって行われる合同慰霊祭の準備が進められていた。
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 一昨年訪れた時観た「被爆ピアノの平和コンサート」が今年も同じ場所、「被爆あおぎり」の横でなされていた。また「原爆の子の像」のところでは色鮮やかな折鶴が飾ってあり、中学生とおぼしき一段がボランティアの方々から佐々木貞子さんのお話を聞いているようであった。
会議が終わって元安川の川べりを歩くと灯篭流しの灯篭が川面を照らしながら流れていた。66年前は恐らくおびただしい数の遺体が流れていたのであろう、
そんなことをおもった。
 ところで先日ロシア映画「戦火のナージャ」を観た。スターリンの大粛清から独ソ戦争の頃の話であるが、主人公のナージャが戦場の地獄絵図の中でいつも思い出すのは夢のような幸福で満たされていた1936年の夏の美しい情景である。映画の中でさえ、戦場の異常さと平和な世界との対比を観るにつけ、戦争の虚しさを改めて知ることが出来る。
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 恐らく、広島・長崎では一般市民にとって平和な世界から一瞬にして地獄化した光景の対比、私には想像すら出来ない。平和な情景から一変した現実、私がいかに慮っても、慮れるものではない。
しかし戦後66年経ち改めて平和の有りがたさに感謝している。

2011年08月08日

尾道市の高齢化率

 尾道の地方新聞『山陽日々新聞』の7月30日、8月2日、8月3日の三日間にわたり尾道市の地区別高齢化率の記事が掲載されていた。尾道市全体としては6月末日現在で65歳以上のお年よりは30.1%だと報じている。
また高齢化率が50%を超えると限界集落と言われ、町内会活動や消防団などの自治活動が出来なくなると言われている。平成の大合併後の現在の尾道市には8ヶ所の限界集落が存在しているとも報じている。
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 一方、政府の「平成21年版高齢社会白書」によれば2008年の高齢化率は22.1%で2013年には25.2%に達すると予測をしている。いずれにしても日本そのものが少子高齢化に向かっている中で尾道市はかなり高齢化を先取りしているようだ。
ところで旧尾道市(平成の大合併以前)で見た場合、「さいだ歯科医院」は尾道市の歯科医院としては一番北のはずれに位置しておりかなり田舎にある。
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 そこで地域別の高齢化率を眺めてみたところ、「さいだ歯科医院」においでになる大部分の患者様達の住まわれている地域の高齢化率は22.5%〜43.9%であった。まだ限界集落は無いようである。
その中で「さいだ歯科医院」のある美ノ郷町三成は22.5%と書いてあり比較的若い。しかし三成地区を除いた周辺の地域の高齢化率を計算したところ34.5%で、尾道市の平均よりもかなり高齢化率が高い。三成地区も含めて計算すれば28%でかなり尾道市の平均に近い。
これらのデーターから私の医院においでになられる患者様は、これからますます高齢者が増えて、総入れ歯の患者様が多くなるのではと予感がする。そしてまたお年を召され、自力で歯科医院に通えない患者様も増えることが予想される。そうなれば訪問診療などのニーズも今以上に増えるのでは無いだろうか?
その時に備えて「さいだ歯科医院」の診療体勢の構築など経営戦略を見直さなくてはと思った。
中々地域のこういうデーターは目に入らないのだが、さすが「地方の新聞」でありがたかった。

 ところで先日尾道市長の平谷氏のお話をお聴きする機会があった。
その際市長は、尾道市は2012年問題と2022年問題を抱えているとお話された。
何のことかといえば、2012年問題は団塊の世代が年金をもらい始めること、2022年はこの団塊の世代が後期高齢者になりいずれも尾道市の財政を圧迫するようになるとの事。長寿社会はおめでたい事であるが、尾道市を運営する市長にとっては、これらの問題に配慮しながら他の市民サービスを充実させることは頭の痛い問題だと話しておられた。
この話を聴きながら2012年問題は正に私のことであり、来年には高齢化率を上げる要員で申し訳ない気がした。
色々のところに少子高齢化の歪が出てきており年金制度も怪しくなるのではと危惧している。

2011年08月03日

小説「ふがいない僕は空を見た」を読んで

 先日、実に10年以上ぶりに小説を読んだ。このところ読むのは実践本とかハウツウ本あるいは伝記の類などであった。
ひょんなところからこの本に出会った。
この本は 窪 美澄 という女性作家の作品である。
この本の帯には
「本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10 第1位」
「2011年度本屋大賞 第2位」
第8回「女による女のためのR−18文学賞・大賞受賞作」と書いてあった。
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 この本の構成は5つの短編集からなり、それが全部つながり一つの作品となっている。
 第1篇の『みくまり』は第8回「女による女のためのR−18文学賞・大賞受賞作」で主人公は高校1年生の斉藤卓巳で、助産院を営む母親と2人で暮らす普通の少年だが、ひょんなことから人妻のあんずと、コスプレした上でのセックスに興じる毎日。
だが、あるとき同級生の女の子に告白されるがそれでも、関係は続く・・・・
この短編の中で描かれる性描写は64歳の私が読んでもドキッとさせられる。

昔、20歳前後に興味しんしんで読んだ官能小説よりはるかにどぎつくあまりにもリアルである。昔読んだ官能小説は男性の作品であったが女性が描くとこの様になるのかとも思った。さすがR−18(18歳未満お断り)である。
 ところで余談であるが、この題の「みくまり」は「水分り」では無いかと思った。小説の後半に川の流れの様子が表現され「水分り」と表示されていた。想像が当たっていた。
昔、広大生の頃、広島市の隣、府中町の水分り峡に飯盒すいさんにいったり、そこから沢登りをして呉婆々宇山(ござそうやま)に登ったりした事がありそこから想像していた。
 第2編『世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸』は、その卓巳と不倫を繰り返す主婦・あんずが主人公。小さいときからいじめに遭って成長しやっと結婚するが、いつまでも子供ができないことで義母からプレッシャーをかけられる。一方、夫はストーカーで妻の行動に不審をもち、隠しカメラをSET・・・
 第3篇『2035年のオーガズム』は卓巳に告白した同級生の女の子が主人公。
 第4篇『セイタカアワダチソウの空』は卓巳の親友・良太が主人公
 第5編『花粉・受粉』は助産師をしている卓巳の母親がそれぞれ主人公となっている。
 登場する人々はみな、それぞれに悩みを抱えながら人生と向き合い生きている。
ところでこの5つの短編を読みながら出てくる単語を書き出せば
『不倫・いじめ・コスプレ・不妊治療・人工授精・体外受精・代理母・単身赴任・新興宗教集団・児童虐待・貧困・生活保護・アルコール依存症・自己破産・自殺・一家心中・万引き・ネットでの誹謗中傷』等、日常茶飯事にマスコミを賑わす現代社会の言葉が綴られていた。
しかも明るくて楽しくなるような言葉は見あたらない。
日本の国の恥部がえぐりだされ、現代社会の歪や矛盾があたかも当然であるような感覚で表現されている。
 そういう中にあって、卓巳の母親が助産師として産婦から子供をこの世へ導き出すことが唯一の希望の光、生への執着で産婦が生まれたばかりの子どもを胸に抱くことが愛の本質として表現されているとも思った。
 この本は性描写を含め現代社会の歪、世相を垣間見るという意味で私にとっても衝撃な本であった。

2011年07月20日

早めの暑気払い

 今年は5月に梅雨に入ったかと思えば、2週間以上も早く7月8日には梅雨明けをした。何だか段々、日本列島が温帯から亜熱帯になってきたのでは無いかと思う。この連日の暑さにはほどほど参ってしまう。
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そこで例年なら土用の丑の頃にする暑気払いを早くした。女性スタッフは若いし、夏と言えばやはり肉かなと思う。場所の選定をしていたら尾道のGホテルが「カナダビーフ90分食べ放題」のキャンペーンをしているのを見つけた。そういえば昨年も同じだった。
パンフレットにも「期間限定特別企画大好評につき復活」とある。早速予約を入れ、先日皆で暑気払を兼ねて食事会をした。
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女性スタッフでも2枚は食べたし、技工士のT君は4枚ほど食べた。私といえば何とか2.5枚を食べたがお腹はパンパンである。
 食べながら小さいときの記憶が戻ってきた。私が小学生や、中学生のころ牛肉などはめったに口に入らなかった。それでも時折、母親から牛肉を買いに行くお手伝いを頼まれ、栗原から、長江口辺りまで何度か自転車で買いに行ったことがある。最も今で言う「並のばら肉」で当時は家族4人で50匁(187.5グラム)買っていた。
 ステーキなど食べたことが無いしそんなもの見たことがなかった。時折、父親が戦前、誰かに招待されて厚さ1センチ以上で草鞋のような大きさのものを食べたことがあると言っていた。子供心にステーキはどんなものかあれこれ想像し一度食べてみたいと思っていた。
実際ステーキと言われるものを口にしたのは大学生になってからである。
 ところで今回の食事会のステーキは正に親父が言っていた「厚さ1センチ以上で、草鞋の大きさ」があり、食べながらこれだこれだと思った。
 それにしても昭和33年頃に比べ本当に日本の国は豊かになった。当時はほとんど毎日お魚が食卓に上っていたし、今では珍しい鯨肉も良く食べた。時折、かしわ(鶏肉)や豚肉があり牛肉はめったになかったように記憶している。
 そういえば、鶏肉は現在のようなブロイラーではなく、年老いた鶏をつぶした「かしわ」で、肉質は固く、噛み応えがあった。
しかも食卓に上るおかずの品数も随分少なかった様に思う。
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 今回の食事会には副院長である次男の娘(7ヶ月)まで参加した。女性スタッフにかわるがわる抱かれたりして御満悦であった。お陰で会が予想以上に盛り上がり、90分があっという間であった。明日からの仕事にスタッフ一同と共に頑張ってこの夏を乗り切りたいものである。

2011年07月15日

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