大先生(元院長)のブログ
NHKドキュメンタリー「ふたり・宮崎駿X宮崎吾朗」と映画「コクリコ坂から」 |
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8月という月 |
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2011年08月08日
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尾道市の高齢化率 |
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| | 尾道の地方新聞『山陽日々新聞』の7月30日、8月2日、8月3日の三日間にわたり尾道市の地区別高齢化率の記事が掲載されていた。尾道市全体としては6月末日現在で65歳以上のお年よりは30.1%だと報じている。
また高齢化率が50%を超えると限界集落と言われ、町内会活動や消防団などの自治活動が出来なくなると言われている。平成の大合併後の現在の尾道市には8ヶ所の限界集落が存在しているとも報じている。
 
一方、政府の「平成21年版高齢社会白書」によれば2008年の高齢化率は22.1%で2013年には25.2%に達すると予測をしている。いずれにしても日本そのものが少子高齢化に向かっている中で尾道市はかなり高齢化を先取りしているようだ。
ところで旧尾道市(平成の大合併以前)で見た場合、「さいだ歯科医院」は尾道市の歯科医院としては一番北のはずれに位置しておりかなり田舎にある。

そこで地域別の高齢化率を眺めてみたところ、「さいだ歯科医院」においでになる大部分の患者様達の住まわれている地域の高齢化率は22.5%〜43.9%であった。まだ限界集落は無いようである。
その中で「さいだ歯科医院」のある美ノ郷町三成は22.5%と書いてあり比較的若い。しかし三成地区を除いた周辺の地域の高齢化率を計算したところ34.5%で、尾道市の平均よりもかなり高齢化率が高い。三成地区も含めて計算すれば28%でかなり尾道市の平均に近い。
これらのデーターから私の医院においでになられる患者様は、これからますます高齢者が増えて、総入れ歯の患者様が多くなるのではと予感がする。そしてまたお年を召され、自力で歯科医院に通えない患者様も増えることが予想される。そうなれば訪問診療などのニーズも今以上に増えるのでは無いだろうか?
その時に備えて「さいだ歯科医院」の診療体勢の構築など経営戦略を見直さなくてはと思った。
中々地域のこういうデーターは目に入らないのだが、さすが「地方の新聞」でありがたかった。
ところで先日尾道市長の平谷氏のお話をお聴きする機会があった。
その際市長は、尾道市は2012年問題と2022年問題を抱えているとお話された。
何のことかといえば、2012年問題は団塊の世代が年金をもらい始めること、2022年はこの団塊の世代が後期高齢者になりいずれも尾道市の財政を圧迫するようになるとの事。長寿社会はおめでたい事であるが、尾道市を運営する市長にとっては、これらの問題に配慮しながら他の市民サービスを充実させることは頭の痛い問題だと話しておられた。
この話を聴きながら2012年問題は正に私のことであり、来年には高齢化率を上げる要員で申し訳ない気がした。
色々のところに少子高齢化の歪が出てきており年金制度も怪しくなるのではと危惧している。
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2011年08月03日
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小説「ふがいない僕は空を見た」を読んで |
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| | 先日、実に10年以上ぶりに小説を読んだ。このところ読むのは実践本とかハウツウ本あるいは伝記の類などであった。
ひょんなところからこの本に出会った。
この本は 窪 美澄 という女性作家の作品である。
この本の帯には
「本の雑誌が選ぶ2010年度ベスト10 第1位」
「2011年度本屋大賞 第2位」
第8回「女による女のためのR−18文学賞・大賞受賞作」と書いてあった。

この本の構成は5つの短編集からなり、それが全部つながり一つの作品となっている。
第1篇の『みくまり』は第8回「女による女のためのR−18文学賞・大賞受賞作」で主人公は高校1年生の斉藤卓巳で、助産院を営む母親と2人で暮らす普通の少年だが、ひょんなことから人妻のあんずと、コスプレした上でのセックスに興じる毎日。
だが、あるとき同級生の女の子に告白されるがそれでも、関係は続く・・・・
この短編の中で描かれる性描写は64歳の私が読んでもドキッとさせられる。
昔、20歳前後に興味しんしんで読んだ官能小説よりはるかにどぎつくあまりにもリアルである。昔読んだ官能小説は男性の作品であったが女性が描くとこの様になるのかとも思った。さすがR−18(18歳未満お断り)である。
ところで余談であるが、この題の「みくまり」は「水分り」では無いかと思った。小説の後半に川の流れの様子が表現され「水分り」と表示されていた。想像が当たっていた。
昔、広大生の頃、広島市の隣、府中町の水分り峡に飯盒すいさんにいったり、そこから沢登りをして呉婆々宇山(ござそうやま)に登ったりした事がありそこから想像していた。
第2編『世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸』は、その卓巳と不倫を繰り返す主婦・あんずが主人公。小さいときからいじめに遭って成長しやっと結婚するが、いつまでも子供ができないことで義母からプレッシャーをかけられる。一方、夫はストーカーで妻の行動に不審をもち、隠しカメラをSET・・・
第3篇『2035年のオーガズム』は卓巳に告白した同級生の女の子が主人公。
第4篇『セイタカアワダチソウの空』は卓巳の親友・良太が主人公
第5編『花粉・受粉』は助産師をしている卓巳の母親がそれぞれ主人公となっている。
登場する人々はみな、それぞれに悩みを抱えながら人生と向き合い生きている。
ところでこの5つの短編を読みながら出てくる単語を書き出せば
『不倫・いじめ・コスプレ・不妊治療・人工授精・体外受精・代理母・単身赴任・新興宗教集団・児童虐待・貧困・生活保護・アルコール依存症・自己破産・自殺・一家心中・万引き・ネットでの誹謗中傷』等、日常茶飯事にマスコミを賑わす現代社会の言葉が綴られていた。
しかも明るくて楽しくなるような言葉は見あたらない。
日本の国の恥部がえぐりだされ、現代社会の歪や矛盾があたかも当然であるような感覚で表現されている。
そういう中にあって、卓巳の母親が助産師として産婦から子供をこの世へ導き出すことが唯一の希望の光、生への執着で産婦が生まれたばかりの子どもを胸に抱くことが愛の本質として表現されているとも思った。
この本は性描写を含め現代社会の歪、世相を垣間見るという意味で私にとっても衝撃な本であった。
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2011年07月20日
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早めの暑気払い |
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2011年07月15日
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「リーダーの器量」 |
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2011年07月09日
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映画「星守る犬」と「もしドラ」を観て |
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| | 先日映画「星守る犬」と「もしドラ」を観に行った。「星守る犬」は「泣けた本ランキング1位」に輝いただけあって、なんとなく物悲しい物語であった。その物悲しさや共感性が何に由来するのかしばらく理解できなかった。
ストーリーの一部をパンフレットや公式サイトから引用すれば

『夏・・・・
北海道のとある田舎町。キャンプ場に通じる林道わきの草むらで、ナンバープレートも車体番号も外されて放置されたワゴン車が見つかった。車内には、死後半年も経った中年男性と思われる遺体と死後間もない犬の遺体があった。
市役所福祉課に努める京介はこうした遺体を引き取って弔うのも福祉課の仕事のひとつなのだ。遺体は50代の中年男性であり、放置されたワゴンのなかで発見されたという。だが、男の身元を示すものは何ひとつなかった。ワゴンのそばの盛り土に気づいた京介は、警官からそれが死んだ男性に寄り添っていた秋田犬を弔った墓だと聞かされる。その時、吹き抜けた風が、京介の足下に数枚の紙片を運んできた。それはレシートやリサイクルショップの買取り証であった。おそらく、死んだ男の所持品なのだろう。偶然なのか、運命なのか、わずかな手掛かりが、京介に男と犬の「ものがたり」に興味を持たせるきっかけとなった。京介は有給休暇を使って、偶然出合った少女・有希と共に男と犬の足取りを追う旅に出る。
男は「おとうさん」、犬は「ハッピー」という。ふたりの旅は、東京から始まり、北海道へ・・・
「おとうさん」と「ハッピー」は、行く先々で出会った人びとの心にしっかりとその姿を焼き付け、忘れられない思い出を残していた。
「おとうさん」と「ハッピー」の旅路を通して、人生の夢と挫折、老いと孤独、不況、リストラ、熟年離婚、無縁死など、現代の孕む問題に鋭く切り込みながら、人と人の絆、人と動物に育まれた愛情を描いた物語とあった。』
しかもこの映画には3月11日以前の美しい東北地方が映し出されていたが、いわきの海岸にあったコンビニエンスストアーは今どうなっているのだろうと思いをめぐらした。
観終わってこの作品の切り口が、現代の問題をより一層浮き彫りにしており、私の年齢がより共感を覚えさせたのかもしれない。

「もしドラ」は正式名称は「もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」という長い題名の映画である。
ストーリーはパンフレットから引用させていただくと、『永年、予選一回戦負けの都立程久保高校野球に、病気の親友の代わりにマネージャーとして入部した川島みなみ。みなみは、親友を励ますつもりで、「野球部を甲子園に連れて行く」と監督と部員の前で宣言してしまう。マネージャーの仕事の参考にと、勘違いから手にした経営学の父・ドラッカーの名著「マネジメント」に不思議に感動し、そこに書かれている教えを野球部の中で実践していく。次第にやる気のなかった部員や、監督の意識・行動、さらに高校野球において長く常識とされてきた古いセオリーを変革させていく。』
ドラッカーの理論をどのように応用するのか興味があった。そして私の医院にも応用できるものがあるのでは無いかと思い観賞していた。一部応用しても良いなと思うものがあった。それと主役の「川島みなみ」は、つい先日行われたAKB48総選挙で1位に返り咲いた前田敦子が演じているのも興味があった。
映画はエンタテイメントではあるが心に響く物がやはり良い。
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2011年06月27日
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老後のキャッシュフローと相続対策 |
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2011年06月21日
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甥っ子の結婚式 |
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2011年06月13日
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金子みすゞ「こだまでしょうか」 |
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| | 東日本大震災直後TVのコマーシャルには企業広告が無く、総て公共広告機構の広告であった。その中で
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。
そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
という金子みすゞの詩がバックの映像と共に放送されると心を揺さぶられ、なんともいえない優しさに包まれ強く心に響いた。
何か懐かしく、優しく心が落ち着くのだが、しかしそれが何故なのか深く考えることも無く日々の生活に追われていた。
ところが今月発売された月間誌「致知」7月号に矢崎節夫氏(金子みすゞ記念館館長)が「金子みすゞの詩を読む」と題して4ページに渡る一文を執筆されておりそれを読んで胸のつかえが取れた。

記事から抜き出させていただくと
『 五百十二篇ある金子みすゞの詩を俯瞰(ふかん)した時、全篇を優しく包み込むような作品がこの『こだまでしょうか』ですと、私はずっと言い続けてきました。
それだけに今回の東日本大震災を受けて、CMでこの詩が流れたと聞いた時は本当に驚きました。
この詩で私が注目したいのは、「こだまでしょうか」という呼び掛けに「いいえ、誰でも」と答えている末尾の一文です。
よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは「こだま」だけではなく、万人の心がそうだとみすゞは言っているのです。
この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに対して、こだまする自分でいられるかどうかと考えたのではないでしょうか。
一人ひとりがこの震災がもたらした被害を、自分のこととして感じる一つのきっかけを与えたのが『こだまでしょうか』の詩だと思います。
こだまというのは、山から投げ掛けた言葉がそのまま返ってくるわけですから、大自然の懐に包まれたような安心感を生み出し、私たちの心を優しくしてくれるのです。
この詩に触れ、心の内で何度もこだましているうちに、どこか優しくなれた自分を見つけることができたのでしょう。
募金活動がこれほどの大きなうねりとなり、また多くの日本人がボランティアとして被災地へと向かう後押しをしてくれたのが、「こだまでしょうか」という言葉だったのだと思います。
言葉にはこれほどの力があるということを、私は改めて教えられた気がしました。』
とあった。
本当に心の中でこだまが跳ね返りながら増幅して行き心の中で自問自答していく過程で消化しきれずに私の心に引っかかっていたのだと気付いた。
今ほど日本人の中に「絆」という言葉が当てはまるのも、この詩の影響かもしれない。 致知7月号に感謝である。
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2011年06月06日
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